終わりと始まりの狭間で
魔族軍とブリターニャ軍との停戦が決定し、ブリターニャ軍の解体が始まるわけなのだが、この直後、ブリターニャ軍陣地内で小さな事件が起きていた。
総司令官アンガス・オードレム斬殺。
作戦上の失敗に加え、国の上層部が消え事実上の敗北という状況にもかかわらず降伏申し入れを拒絶。
さらに、副王からの呼び出しに応じないという醜態まで加わり、部下たちの我慢の堤防は限界まで来ていた。
そこに、停戦祝いの祝宴を開くという宣言。
当然過ぎる決壊。
その言葉の直後、オードレムは副官のクロンモア・ハケットに背中から斬りつけられる。
オードレムの悲鳴によって事態に気づき飛んできた三人の警備兵だったが、彼らもハケットではなくオードレムの腹に次々と剣を突き立てた。
むろんその他にも多くの者がいたのだが、ただ眺めているだけでオードレムを救護する者は皆無だった。
いや。
次々と剣が振り下ろされる。
その後、急報を聞き駆けつけた副司令官バロン・ラウンドウッドは無残な姿になり果てたオードレムを見て、すべてを察した。
すべてを報告を聞いたところで重々しく「総司令官は敗戦の責任を取り自刃した」と宣言し、ただちに火葬された。
「……おまえのような男は新しいブリターニャには不要だ」
ラウンドウッドはこの時そう呟いたという。
むろん、記録の隙間から漏れた情報によって、この事件は後世の者の知るところとなるのだが、後世の歴史家の中でもオードレムの側に立つ者は皆無であり、無責任な指揮官は法によらずに責任を取らされることになった実例として紹介されることになる。
そして、実をいえば、停戦からの短期間にブリターニャ国内で同様の事件は数多く発生したのだが、むろん有能な指揮官の大部分を失っているとはいえ、生き残ったブリターニャ軍の指揮官が皆オードレムの同類だったというわけではない。
その代表が魔族領に取り残された形となったブリターニャ軍を指揮するバイロン・グレナームと彼の側近たちということになるだろう。
実をいえば、新王グワラニーはコンシリアに対してこの指示を出していた。
「残りは勇者の後方を進んで我が国に侵攻したものの、取り残される形となっている軍だけとなります」
「事実上、ブリターニャ軍との停戦も成立し、我が国と人間たちの戦いは終結しました。つまり、そのブリターニャ軍との戦いがおそらく最後の戦いとなります」
「その指揮をお任せします。コンシリア将軍」
「さすがに降伏して敵を討つわけにはいきませんが、そうでないかぎり好きなように。すべてお任せします」
「お任せされた」
グワラニーとしては一種のガス抜きのつもり。
そして、コンシリアとしては有終の美を飾るつもりの戦い。
グワラニーの命を受けると、コンシリアは占領地の維持に必要な必要最低限の兵以外のすべてを率いてただちに反転する。
「新王はそう言ったものの、ブリターニャ軍の指揮官どもは降伏などするはずがない。つまり、好きなだけ狩れということだろう」
「当然すべて狩る」
出発にあたり旗下の将軍たちを集めた軍議でコンシリアはこの戦いの進めたについてこう説明した。
「まず、魔術師を排除する。ここまではこれまでと同じ。だが、ここからが違う。魔術師を下げ、直後に剣士たちを突撃させる」
「今後はこのような機会はないだろう。自身の剣に自信がある者はその地位に関係なく突撃に加わることを許す」
「むろん私も参加する」
そして、その日がやってくる。
斥候隊の報告により、明日接敵となったところで、コンシリアは再び集めた全将軍に向けてこう訓示した。
「奴らは後退したくても、その先には帰る家がない。つまり、生き残るためには前進あるのみ」
「つまり、逃げたくても逃げられないわけだ」
そう言ってニヤリと笑う。
「狩る側としてこれ以上の条件はない」
「当然すべて狩る」
「ただし、剣を捨て降伏の意志を示した者には絶対に手を出すな。これは陛下の意志である。これを破った者は必ず厳罰に処せ。もちろん諸君がそれをおこなった場合は私が諸君の首を刎ねる」
「勝利が決まった後の戦いでそうならぬよう自分の部下たちには念を押しておくように」
この言葉を聞きながら将軍たちは思った。
あのグワラニーを陛下と呼ぶのか。
コンシリア将軍が。
そして、さらに思う。
それがコンシリア将軍の重要視する秩序ということか。
コンシリア将軍の部下である我々はそれに従うのみ。
「肝に銘じます」
そして、翌日。
迎撃態勢を完全に備えた魔族軍はブリターニャ軍が姿を現すのも待つ。
すでに物見の報告によって姿を現すのはわかっている。
数三十万。
そうなると、魔術師はその一割として三万程度。
「……いや。それだけいるのならとっくに転移魔法で逃げ帰っている。となれば、その半分もいないだろう」
「だが、油断は禁物。こちらはこちらの戦いをするだけだ」
コンシリアは愛剣を持ちながらそう呟く。
「これが最後なのだ。十分に楽しませてくれよ。ブリターニャ軍」
コンシリアのその声が聞こえたかのようにまもなく、前方に配置している物見の兵たちが声を上げ始める。
「いよいよだな……」
だが、次の瞬間、コンシリアの耳にとんでもない言葉が飛び込んでくる。
「敵が白旗を掲げました」
むろんコンシリアにとってこれは想定外。
「何かの間違いではないのか?」
「ブリターニャ軍は一斉に白旗を掲げています」
「い、いかがしますか?」
副官のアギレル・ルイーダの言葉は困惑色に染まっているが、それはコンシリアも同じ。
出来れば無視したいところだが、そうはいかない。
「止むを得ない。攻撃はするな。とりあえずこちらも白旗を上げ出向き、奴らの意図を確認するしかあるまい」
「カスカベルを呼べ」
アレグレテ・カスカベル。
コンシリアが信用している将軍のひとり。
そして、フランベーニュ軍との停戦時にもその席にいた。
このような役にはふさわしいといえるだろう。
そこに護衛十人、魔術師ふたり、それから同行している文官を三人加える。
「カスカベル。白旗が上がっている以上、相手の言い分は聞かねばならない。降伏する気なら総司令官自ら我が陣地に来いと言え」
「それ以外の場合は?」
「そこで待たせ。こちらに伝令を出せ」
「承知」
そして、魔族側から白旗を上げたカスカベルたちが進み出ると、同じようにブリターニャ軍からも五人ほどの使者が白旗を上げて歩き出す。
ほぼ中央で顔を合わせた両者だったがほどなく全員が歩み出す。
こちらへ。
「どういうことでしょうか?」
「降伏するということなのだろうが、つまり、その五人の中にブリターニャ軍の総司令官がいるということなのか……」
「まあ、いい。話だけは聞いてやろうではないか」
ここに来ての不覚などありえない。
むろんコンシリアは警戒を怠らない。
左右両翼及び後方に広範囲に物見の兵を配置する。
だが、そのすべてはすぐに無駄になる。
「ブリターニャ軍遠征部隊総司令官バイロン・グレナームです」
五人のブリターニャ人のうちのひとりは名乗る。
続いて四人の男も同じように自らの名と地位を口にする。
そうなれば、当然こちらも名乗る必要がある。
コンシリアも自身の名を告げる。
そして……。
「……先ほどの話では、ここに来ているのはブリターニャ軍の幹部ということだったが……」
「試みに問う。もし、私がこの場で全員の首を刎ねたら指揮はどうなるのだ?」
コンシリアとしてはそう問わざるを得ないだろう。
それに対しグレナームと名乗った男は薄く笑う。
「その時は……」
「中級指揮官たちの判断で突撃することになるでしょう。まあ、それでどうにかなるわけではありませんが」
コンシリアは男を眺め直す。
そして、この男が本物の指揮官であることを悟る。
「すべてを承知した。それで、ブリターニャ軍の総司令官バイロン・グレナームはどのような用で、ここまで来たのか。もう一度聞かせてもらおうか」
「むろん降伏の申し出です。コンシリア将軍」
「なるほど」
「戦わずに降伏する。だが、我々がそれで終わりにすると思うか?」
「いいえ」
「我々五人の首を差し上げます。その代わり、残りの者たちは助けていただきたい」
コンシリアは再び全員の顔を見直す。
「まあ、数十万の首代にしては少なすぎる気もするが、総司令官が自らの首を差し出すのはわからないでもない。それが敗軍を率いる者の義務のひとつなのなのだから。だが、諦めが早すぎはしないか」
一戦もせず降伏などするな。
コンシリアはそう言っているのである。
だが……。
グレナームは自らに対しての嘲りを込めた笑みでそれに応じる。
「たとえば、私ひとりであれば間違いなくそうしたでしょう。フランベーニュに負け、魔族にも負け、その度に多くの兵を死なせている。ここで降伏などできるはずがない」
「だが、我々はすでに戦う理由を失っているのだ。これ以上兵たちを死なせるわけにはいかない」
「戦う理由がないとは?」
「すでに聞いている。サイレンセストが陥落したことを」
「本来であれば、亡き陛下を追いかけ自刃するところだが、この敗軍の将の首にも多少価値があることに気づき、ここに来たのだ」
「なるほど」
コンシリアは思う。
連絡が出来た。
つまり、転移魔法で逃げられたにもかかわらず、この者たちは残ったということか。
ブリターニャ軍の指揮官は最後まで顔を出すことなく部下の後ろに隠れていた者ばかりかと思っていたが、そうでない者もいるのか。
「将軍の覚悟は理解した。だが、そうであれば、ひとりで来るべきだろう。付き合わされる部下たちは迷惑だろう」
「私もそう言ったのが……」
「これは我らの意志。しかも、我らも副司令官や副官の地位を頂いている。十分に首を差し出す権利がある」
「義務ではなく権利か……」
コンシリアは笑う。
そして……。
「では、おまえたちの首で、残り全員の命は救うことにする」
「まずは総司令官。首を差し出せ」
「ありがたい。感謝する」
グレナームは躊躇いもなく首を突き出す。
「今からでも遅くはない。つまらないことを考えずにおまえたちは生きろ。これが私からの最後の命令だ」
「拒否します」
「同じく」
グレナームはコンシリアを見上げる。
「私の部下は馬鹿ばかりのようだ。こうなれば仕方がない。では、よろしく頼む」
「ああ」
一瞬後、コンシリアの剣が動く。
だが……。
「えっ?」
軽い音が自身の首から聞こえた直後、グレナームは思わず声を上げる。
もちろん目を瞑ってその瞬間に備えていた部下たちも。
「どういうことですか?」
「叩き落とそうと思ったのだが、剣が悪いのか腕が悪いのかうまくいかなかった」
「だが、斬り落とすと言っておきながらそれが出来なかったのは恥になる。首を落とされたことにしておいてくれ」
そう言って再び笑うコンシリアの手には鞘に入ったままの状態の剣。
「まあ、最後にいいものを見せてもらった。その礼のようなものだ」
「そして、せっかく拾った命だ。人材不足が甚だしいブリターニャの中で将軍たちのような者は貴重だ。つまらぬ気を起こさずに死んだ気で新王のもとで復興に努めよ」
「それから、これは約束する。軍列を整え、見える位置に白旗を掲げて行進すれば、帰国までの安全は保障する。ただちに出発するがいいだろう」
「さらばだ」
ブリターニャ軍の中にはコンシリアのこの言葉を疑う者が少なくなかったものの、そのまま戦っていれば全滅確実な状況であり、グレナームとしてはどれだけ疑わしくてもコンシリアを信じざるを得なかったのは事実。
だが、言われたとおり、軍列を整え、白旗を先頭に行進を始めると、なんと魔族軍は左右に分かれブリターニャ軍のために道を開ける。
そして、その中をブリターニャ軍が通り始めると、剣を高々と掲げてブリターニャ軍を見送る。
魔族軍の中でこれは相手に対して最高位の敬意を示す儀礼とされるもの。
さらに驚くべきは、三十万を超えるブリターニャ軍が通り終えるまで魔族軍兵士たちはそれをおこない続けたことだ。
むろん戦争の最後にやってきたこの時の経験はブリターニャ軍将兵にとって忘れがたいものであり、その様子は多くのブリターニャ兵が記録として残しているのだが、その地名から取られたこの「ザクマの奇跡」が起きた理由については後世の歴史研究家も多くの意見を寄せている。
ただし、専門家の多くはブリターニャの戦史研究家ブライアン・マルハムが主張するように、魔族側の単純な気まぐれというものだった。
これは、「戦争終結している状況で無駄な戦いをする必要がないことを魔族軍指揮官が強く意識した結果」、「両軍指揮官がお互いに敬意を示したことによる奇跡」というブリターニャ軍将兵が主張した理由と大きく乖離している。
むろん、そのどちらかどころかそのどちらでもない可能性もあるのだが、これを決めたコンシリアがどのような意志のもとにその命令を出したのかは公的資料としては全く残されていないため、この問題は永遠に解決することはないだろう。
ただし、それは魔族側の事情を知らない者たちの話であり、それを含めればそう難しいことではない。
もちろんコンシリアの気まぐれという要素は全くないとは言えないだろう。
特に、最高位の儀礼を示したところなどはその要素が強く滲み出しているといえるだろう。
だが、その根幹に関するものについては、彼の中では戦争は終わっていたということが多くの割合を示すものといえるだろう。
しかも、新王から「降伏の意を示す者は殺すな」という命が出ている。
まもなく軍を離れる自分だけならともかく、これからの魔族軍に残る者たちが王の命を軽く扱うなど許されるべきものではない。
それがたとえ好きになれない者の言葉であっても。
もっとも、やってきたブリターニャ軍司令官がバイロン・グレナームではなく、停戦直後部下たちに殺されたアンガス・オードレムのような男であっても同じ対応をしたかはこれまた微妙であり、自分の命と引き換えに部下を助けるように懇願したグレナームと彼の部下たちの存在もコンシリアの決定に大きく影響したのは間違いない。
そう考えると、残った資料だけで多くを論じる歴史家よりその場に立ち会った者たちが肌で感じたものの方がより正解に近かったといえるだろう。
そして、この戦いの後、軍務を離れることになるアパリシード・コンシリアはグワラニーから王都イペトスート南に領地を貰い、そこで家族たちと暮らすことになる。
むろん、新王の即位式などいくつかの式典には参加したが、それ以外の行事には出席せず、また国政に関わることもなかった。
そして、これはそれからさらに時間が過ぎてからのことなのだが、コンシリアの屋敷を三人の若者が訪ねてくる。
あきらかに剣士。
しかも、彼らは魔族ではなく、人間。
最初は戸惑い、何かを疑ったコンシリアだったが、三人の口から自らの素性と訪ねた経緯が語られると、表情は一転、屋敷に招き入れ大いに歓待した。
それから何度も訪れていた三人だったが、ある日、同行者をもうひとり増やした。
その四人目の男を見たコンシリアは驚き、そして、あまりの懐かしさに涙を流すことになる。




