サイレンセスト包囲
アリストたちがイペトスートを臨む場所まで到達した翌日の朝。
ブリターニャの王都サイレンセストに住む者たちは王都を遠巻きに包囲する大軍勢を目にする。
そして、その軍列は魔族軍の黒を基調にした軍旗に混ざり場違いなくらいに華やかな虹色の旗が靡かせている。
そう。
アリストがあり得ないと断言したグワラニーが率いる軍によるサイレンセスト包囲は本当におこなわれていたのだ。
「個人的な意見では、やはり一位はアヴィニア。三位はノルディアの王都ロフォーテン。サイレンセストはその間というところでしょうか」
王都を囲む魔族軍の中心で見た目上二十歳を超えるかどうか程度でしかない目の赤い若造がそう呟くと、男の右隣に立つ彼の母親と言ってもいいくらいの年齢差がある女性がそれに応じる。
「ですが、アヴィニアは瓦礫に変わっていますので、実質的にはこの世界で一番美しい王都はサイレンセストが一位ということなのでしょうか?」
女性の声に若い男は笑いながら大きく頷く。
そして……。
「まあ、今のところはそういうことになります。ですが、ブリターニャ王が余程の人物でないかぎりまもなくここも瓦礫の山となるわけですから一位はロフォーテンということになりますね」
「元ノルディア人としてはうれしいかぎり。ですが、アリターナの王都パラティーノも非常にきれいでしたよ。おいしいものもたくさんありましたし。それに建築技術という点ではアリターナは最高峰といえるでしょう。パラティーノには他はない高層の住居も多数ありますし」
「そうですか。そういうことであれば是非一度訪れたいものです」
「もうすぐ見ることができます。すべてが終わったら皆で行くというのはどうでしょう」
「いいですね。そのときにはチェルトーザ氏に案内してもらうことにしましょう」
むろん、そう談笑していた男はアルディーシャ・グワラニー、女性はアリシア・タルファであり、グワラニーの左隣には自軍を守る結界を操るデルフィンがいる。
さて、当然の疑問が浮かぶ。
アリストがあれだけハッキリと不可能と言い切り、フィーネもそれを肯定したグワラニー軍によるサイレンセスト包囲をグワラニーはなぜ実現できたのか?
いや。
そもそもここまでどうやってきたのか?
正解。
むろん、その方法は陸路でも海路でもなく転移魔法なのだが、今度はアリストが口にした転移魔法の枷となる例の理をグワラニーがどうやって突破したのかという新たな疑問が浮上する。
むろん、某英雄譚のように、都合よくデルフィンが突如それを突破する新たな力を手に入れたなどということはなく、例の枷は今でも健在である。
では、どのような方法で転移してきたのか?
それを語るには、時間をさらに遡り、グワラニーたちがサイレンセストに姿を現す二十日前のクアムートまで戻らねばならない。
そこでは、すべての段取りを終えたグワラニーと最側近のバイアと酒を酌み交わしていた。
「いよいよですね」
「ああ」
「何年ぶりだろうな。サイレンセストは」
「まあ、そうは言ってもあの時は真夜中で月明りに照らされたその外観を見ただけだったのだが」
「今度は好きなだけ見られますよ。グワラニー様」
そう。
実をいえば、グワラニーもバイアもサイレンセストのすぐ近くまで行ったことがあったのだ。
当然それは転移魔法を使って。
ただし、その時はまだデルフィンはいなかった。
「アリスト王子は我々が王都を囲んだと聞いたらワイバーンの手助けを想像するだろう。少なくても自力でここに辿りついたなどとは思うまい」
「当然でしょう。あの時は我々が軍からも員数外扱いにされていましたし、そのことについてアリスト王子には欠片も話していませんから、さすがのアリスト王子もその出来事のことを私たちと結び付けて心に留めていることはないでしょう」
「ですが、白状しますと、せっせとやっていましたが、これを何に使うのかと思っていました。まさか無駄な努力に思われたあのときの出来事がこのような形で最後の最後にアリスト王子に対して決定的な一撃を与えられるとは思いませんでした。もちろんあの時点ではということですが」
「まあ、それをいうのなら私も同じだ。このような形で利用しようと思ったのは随分後の話であり、最初は魔族崩壊後に逃げる場所を確保するのが目的だったのだから。とにかく、日頃から地道な努力をおこなうことは大事だということをあらためて思う」
「まったくです」
そう言って笑うふたり。
そして、ふたりが口にした、その努力。
それは、発足してまもなくグワラニーの部隊所属の魔術師たちが幽霊のふりをして人間の国の奥地まで転移ポイントをつくり上げていったあの作業のことである。
もちろんその直後にこの転移ポイントを利用してグワラニーは大戦果を挙げ、軍人としての一歩を踏み出した。
だが、その後も時間を見つけては転移ポイントの新設と転移可能な者たちを増やしていた。
こっそりと。
さらにこれを隠し玉として使用するため、その後の作戦の中で使用することはなかった。
意図的に。
そして、迎えたサイレンセスト襲撃前日。
その日、退避事業のすべてを終わらせ、無人の町と化したはずのクアムートに再び活気が戻る。
いや。
活気ではなく、熱気と言った方がいいかもしれない。
大海賊ワイバーンの本拠地マンドリツァーラに退避する者たちとともに行動するバイア、語学が堪能でありバイアの指示への理解力があるという理由で選ばれたふたりの将軍アビリオ・ウビラタンとエルメジリオ・バロチナ、魔術師団の指揮を任せられたアパリシード・ノウト、さらにアンデルソン・ビルキタスをはじめとした軍官幹部も含めて要職にある者全員が揃っていた。
さらに、これからグワラニーたちが向かう戦場に同行すると申し出た魔族とフランベーニュ人に最近移住してきたブリターニャ人まで加わったクペル城周辺に住む女性たちの姿もある。
彼女たちは兵たちの食を担当する。
非軍人の参加者はまだいる。
クアムートとクペル城を根城に商売する者たち。
彼らは荷物を押し込んだ百台を超える馬車とともに軍に同行する。
「とても生死を賭けた戦いに行くとは思えないな」
「だが、彼らだって我々が負ければ明日はないと知っている。勝利のためにできるだけの協力をしたいということなのだろう。それに……」
「女たちはともかく、商人たちが同行するのは我々にとっては吉報であろう」
「奴らは今回の決戦を我々の勝ち戦と読んだと言いたいかな」
「そのとおり。商売第一、安全第二。少なくても酔狂で危ない場所に出向くなどということなど絶対にない彼らがこうして自主的に戦場に同行する。少なくても我々にとって縁起が悪いということはあるまい」
それを眺めたアゴスティーノ・プライーヤとアルトゥール・ウベラバがそう囁き合う。
そして、そこに加わった老魔術師がその会話をこう締めくくる。
「まあ、勝ちと思っているのは我々も同じ。負ける気も死ぬ気もないだろう。おぬしたちも」
一方、プライーヤ達と違い、この状況を、初めて戦場に出る新兵のように緊張しながらこの時を過ごしていたのはブリターニャの王女ホリー・ブリターニャの護衛を担う者たち。
実をいえば、グワラニーは彼らに対してある仕事を申しつけていた。
そして、その仕事とは彼らにとってこれ以上ないといえるくらい辛い仕事。
「フィンドレイ将軍。さすがに妙な気分になります」
ブリターニャの将軍だったときのフィンドレイの副官で現在も同様の任についているクリエフ・ブレアは思わずその心にあるものを吐露すると、彼の元上官アラン・フィンドレイもそれに同意するように頷き苦笑する。
そして、その直後表情を一気に厳しいものに変えたフィンドレイは口を開く。
「元とはいえ、自国の王都を破壊する側として戦いに参加するとは思わなかった」
「だが、やらねばならない」
「やらねばならないのだ」
さて、様々な思いを持つ者たちで構成されている、実は彼らにとって最後の戦いとなるブリターニャ王都包囲戦に参加するグワラニー軍の陣容はこうなる。
第一陣。
アウグスト・ベメンテウと魔術師五人。
その護衛としてふたりの将軍ジルベルト・アライランジア、エンゾ・フェヘイラ。
これは転移場所を確保するための先発隊で、敵に察知されぬよう少人数の編成となる。
第二陣。
司令官アルディーシャ・グワラニー。
副司令官アンブロージョ・ペパス。
軍指揮官アゴスティーノ・プライーヤ、アーネスト・タルファ、クレベール・ナチヴィダデ、デニウソン・バルサス、
兵二万八千四百五十。
魔術師長アンガス・コルペリーア。
副魔術師長デルフィン・コルペリーア。
魔術師四千八百二十、治癒担当魔術師二百二十。
戦闘工兵団ディオゴ・ビニェイロス、ベル・ジュルエナ、アペル・フロレスタと元鉱山労働者である戦闘工兵八千二百四十人。
司令官護衛隊アイマール・コリチーバが指揮する兵三十。
言うまでもなく、これが本隊。
そして、それに続くのが後方部隊。
第三陣。
司令官アリシア・タルファ。
副司令官アルトゥール・ウベラバ。
兵二千。
魔術師長フロレンシオ・センティネラ。
魔術師四百、治癒担当魔術師五十。
幕僚ホリー・ブリターニャ。
王女護衛隊アラン・フィンドレイら計十六。
非軍人たちはここに属することになる。
そして、これからグワラニーたちが向かう先であるサイレンセストであるが、一国の王都であるのだから、むろん魔術的防御も高水準に施されていた。
ただし、それは攻撃魔法による直接攻撃と王都内に転移魔法を使って侵入することを防ぐものであり、過剰な転移避けをおこなえば自身の移動にも悪影響を及ぼすこともあり、王都を一歩出ると事実上転移し放題となっていた。
だが、だからと言ってブリターニャの認識が甘く警備が緩かったのかといえば、そうともいえないだろう。
魔族は転移魔法が持つ理によって王都サイレンセスト付近に転移できない。
アリストがフィーネたちに対して口にした言葉どおり、これがブリターニャの常識であり、実は魔族の中でも同じように常識となっていた。
その前提があれば、転移避けはそれで十分なものと言えた。
さらにいえば、昨今の魔術師不足。
前線から遠く離れている王都に魔術師を重点配備するなどという発想はこの状況下のブリターニャには生まれない。
だが、それは逆に言えば、転移が可能になればブリターニャに対する決定的な打撃を与えられることを意味する。
そして、それが実行された。
現状をひとことで言えば、そういうことになる。
グワラニー軍によるサイレンセスト包囲戦開始の前夜。
サイレンセスト南東に広がる穀物畑に八人の魔族が姿を現す。
「真っ暗だ」
「草むらという以外は何もわからないが本当にここでいいのか」
ふたりの男は小さくない声で尋ねると、ふたりの手を掴んでいる男がその数段階低い声でこう答える。
「もちろんです」
「さて、魔力は感じない。そして、これだけ騒いでも誰も来ないということは問題ないということになります。とりあえず先発隊の役目は果たしたと言えます」
「では、第二段階に移行します。フローレスタ。クアムートに戻りグワラニー様に伝えてくれ。問題なし。ただちに転移されたしと」
「承知」
その声とともにフローレスタという名のその男の気配が消える。
そして、それから五ドゥア後。
魔族の大軍が姿を現す。
第一陣はともかく、第二、第三陣と立て続けに大軍が転移してくれば、サイレンセストの宮廷魔術師も敵の来襲に気づく。
だが、敵が来たことまではわかったものの、相手が魔族とまでは思い至らなかった。
やってきたのはフランベーニュ。
または大海賊ワイバーン。
だが、転移してきたという状況を考えればこれは常識的な推測。
なにしろ、転移ポイントを確保できる可能性があるのは人間だけなのだから。
正体不明の大軍が王都近郊に転移してきたという報に、すぐさま軍最高司令官アレグザンダー・コルグルトンと宮廷魔術師長エイベル・ウォルステンホルムの指揮のもとサイレンセストに駐屯する全兵力で迎撃に出る。
さらに王都とガルベイン砦の中間地帯に布陣している陸軍最高司令官兼予備軍司令官アルバート・カーマーゼンと副司令官で猛将と呼び声高いクレイク・エトリックが七十万を率いる予備軍にも至急報を送る。
いや。
魔族軍の転移避けにより転移できずやむなく伝令兵を走らせる。
「どこの馬鹿かは知らないが、サイレンセストの城壁に首を晒したいらしい。希望通りにしてやろうではないか」
「だが、相手は転移避けを張っている。そのおかげでカーマーゼン将軍の予備部隊やスカーレットとシェトランドが率いる即応魔術師団とも連絡ができないらしい。用心すべきであろう」
「安心しろ。魔術師長。陸軍二十万と宮廷魔術師団一万。さらにアーロン・キッドウエリー侯爵率いる貴族連合軍三万までいる」
「負けるはずがない」
そして、自軍絶対的有利と踏んだコルグルトンはこう指示を出す。
「夜戦をおこない、どさくさ紛れに王都侵入を許すなど馬鹿々々しいかぎり。ひとりも逃さないためには夜明けを待つ。こんな無礼なおこないを輩にはひとこと言わねばならないし」
だが、この直後、防御魔法で守られていたはずの魔術師団が火に包まれる。
これは魔術師から漏れる魔力を目標におこなった魔術師長アンガス・コルペリーアの攻撃によるもの。
そして、総司令官コルグルトンを巻き添えにしたウォルステンホルムへの狙い撃ちの電撃をおこなったのはもちろんデルフィン。
ほんの一瞬の出来事。
だが、この時点で魔術師団と指揮官を失ったブリターニャは半壊したと言っていいだろう。
そこに追い打ちをかけるようにさらに魔族軍の魔術師による火球攻撃が始まるとはその表現は完全に崩壊に変わる。
生き残った兵たちは負傷者を置き去りにして先を争うようにサイレンセストへ逃げ帰る。
そして、何を出来ぬまま一方的に叩かれたブリターニャ軍の将兵が打ちひしがれる中で夜が明け、ダワンイワヤ会戦の生き残りの証言により、サイレンセストの住人たちはようやくやってきた者たちが誰かを知ったのである。
「さて、ここまでは予定通り」
朝日に照らされるサイレンセストを眺めながらグワラニーは呟いた。
「包囲が完成した頃にブリターニャ軍の援軍がやってくる」
「ワイバーンからの情報では陸軍総司令官が指揮を執る予備部隊。ブリターニャ軍の現在の最強戦力らしいこの軍がまず飛んでくるでしょうね。もちろん周辺の部隊も統合して」
「数は?」
「百万はいないそうです。魔術師五万」
アリシアの問いにそう答えるグワラニーは薄く笑う。
「目の前に転移してくれれば、そこで終わるわけですが、さすがにこちらの望むとおりにはならないでしょう。少し離れた場所に転移して進軍してくることでしょう」
「ですが、彼らは悠長には構えてはいられない。なにしろこちらはいつでも王都を攻撃できるのですから」
「まっすぐ来るしかない。そして……」
「搔き集めた情報から彼らはこう推測する。ありがたいことに敵は王都を包囲するだけで手一杯。大規模な予備部隊は持っていない。そうなれば王都を包囲した敵をさらに包囲する逆包囲も、数で押し切ってまず国王を救助する一点突破も可能」
「ですが、それこそがこちらの罠。そして、ブリターニャ軍の指揮官がそれに気づくのは自軍が崩壊してから」
そう言って、グワラニーは笑う。
「数は勝利の条件。これは間違いないないことですが、それとともにそれだけが条件ではない」
「……相手の数の少なさを妄信してはいけないのです」
「そして、もうひとつ纏まった戦力を持っているのは海軍」
「ただし、魔術師の多くの陸軍へ貸し出しているため、フランベーニュ海軍ほどの力があるのかはわかりません」
「それに……」
「王都は気になっていても、海軍が王都救援に兵を送り出す余裕があるかどうかはわかりません」
「どういうことですか」
「おそらくブリターニャ沖に多数の船が姿を現しているでしょうから。今頃」
自身の言葉に対して問うアリシアの言葉に笑みを黒色に変えたグワラニーはそう答え、それから、さらに言葉を加える。
「マンドリツァーラに渡ったところで、バイアがこちらの攻勢の情報をワイバーンに伝える。すでにブリターニャの港を襲撃する準備をしているワイバーンがこの機会を逃すはずがない」
「必ず港襲撃を決行します。そうなれば、ブリターニャ軍海軍の迎撃に回るしかない。もともと大嫌いな陸軍の手伝いなどしたくないのです。海に敵が現れれば当然そちらを優先します」
「私の知っているかぎり、大海賊が常に勝利を収めてきたのは、常に自身の有利な状況で戦っていたからということも大きな要因でしょう。迎撃態勢を整えているブリターニャ海軍とぶつかったらこれまでと同じ結果になるのは微妙なところ。ですが、それでもブリターニャ海軍は相当な打撃を被り、王都救援どころではなくなるのは確実」
「つまり、これからやってくる陸軍を排除したところでブリターニャ軍には手札がなくなるということです。アリスト王子が現れるまで」
「さらに言うのなら、その陸軍の救援部隊も全軍を持って王都救援に来られるから疑問なのです」
「おそらく今頃コンシリア将軍率いる大軍がガルベイン砦に殺到しているでしょうから当然予備軍には救援要請が届く」
「指揮官が前線を見捨てでも王都救援をおこなうと決断できるくらいの者でないかぎり、予備軍を半分に分けて対応します」
「もっとも半分になろうが、全軍で来ようが、結果は同じなのですが」