ホリーの覚悟
さて、この世界の未来に起こることを少しだけ語ったところで、舞台を、勇者たちが立ち去り、さらに停戦が成立したことを伝える伝令を送り出したあの場面に戻すことにしよう。
「では、新王ふたりの最初の仕事を始めましょうか」
「は、はい」
なにやら某世界の結婚式でのケーキカット時の司会のコメントのような言葉を口にしたグワラニーに対し、それを知らないはずのホリーはなぜか顔を真っ赤にしながらそれに応じる。
そして、その様子を見ていたデルフィンがこちらもなぜか頬を膨らませる。
この辺は鈍感な男には絶対にわからぬ、恋する乙女の感性というところであろう。
その微妙な雰囲気の中、アリシアが手を挙げる。
「グワラニー様。それについてひとつ提案があります」
拒むはずもなくグワラニーはそれに応じると、アリシアは新王のひとりを見やりながら言葉を続ける。
「グワラニー様はともかく、ホリー王女については副王という肩書で軍に対して停戦の呼びかけをすべきでしょう」
「王と言ってしまうと、戦闘中で頭に血が上った状態であるブリターニャ軍の将兵の中には王位を狙って国を売ったなどという考えを抱く者が出てくるかもしれません」
「その点、副王はブリターニャ王から頂き公表もされている正規な肩書。王も王太子が消えた今であれば、権限を行使する立派な根拠となりますから」
「なるほど。たしかに」
「では、ブリターニャ東部で快進撃を続けているコンシリア将軍のもとに行き、我が軍の勝利で終わったことを伝え、そこからブリターニャ軍に使者を送ることにしましょう。それでよろしいですか。ホリー王女。いや、陛下……ではなく副王様」
「もちろんです」
「まず本陣に戻り、それから行動に移しましょう」
本陣に戻ったグワラニーたちは報告会を兼ねた簡単な祝宴後、すぐさまコンシリア軍のもとへ向かう。
もっとも、味方であっても戦闘中の部隊の背後に転移することがどれだけ危険かは数多くの苦い経験とともに魔族側もよく知っており、その対策は確立されている。
その手順に沿って、まず先発隊、続いて、本隊となるグワラニーが目的地の遥か後方へ転移していく。
むろん、時間的なロスは膨大ではあるのだが、ここまで完璧ともいえる勝利を収めながら、手抜きひとつのためにフレンドリーファイアの犠牲になるなど馬鹿々々しいかぎり。
当然グワラニーは手順通りに進む。
そして、よくやく到着したコンシリア本陣。
むろん先陣役を果たした魔術師たちによって停戦の成立とアリストの死は伝わっており、すでに小さな祝宴があちこちで始まっていた。
「本来はひとこと言いたいところですが、止むを得ませんね」
そう言って苦笑するグワラニーのもとに笑顔のコンシリアがやってくる。
「さすがだな。新王」
とても王に対するものとは思えぬ言葉とともに両手が伸びる。
やむなく応じるグワラニーの右手を覆うと、アルコールの香りが漂うコンシリアの口から言葉が漏れ出す。
「それで、残りは目の前にいるブリターニャの残党狩り。と言いたいところだが、停戦を伝えるわけか」
「そうなります。ですが、それにしても随分と前進しましたね」
「当然だ。西方だけではなく、中央の部隊も大部分が参加しているのだ。半分崩壊しているブリターニャ軍など相手にならん」
「命令があればブリターニャ全土を平らげてもいいぞ」
遂に手に入れた勝利に浮かれているのか、相手が元ライバルということも忘れコンシリアは饒舌である。
だが、すぐに表情を変える。
「どうする?本来であればこの軍の司令官である私が停戦を呼び掛けるべきなのだろうが……」
そう言ったコンシリアの視線はグワラニーの後方に立つ若い女性に向けられる。
「敵味方に分かれているとはいえ、両親や兄弟をすべて失ったのは事実。哀悼の意を示すべきか……」
独り言のような呟きを残し、コンシリアはその女性のもとに歩き出す。
そして……。
「お悔やみを……」
……細かな気配り。あれこそが私が知らないコンシリアの本来の姿。
……そうでなければ普段あれだけ粗雑で力技一辺倒のコンシリアに部下もついて来ない。
グワラニーは心の中で呟き、普段のコンシリアから想像もできない姿でのホリーとのやり取りが眺めていた。
やがて、ふたりが並んでグワラニーのもとにやってくる。
「王と王女が停戦に向かうとして私はどうすればいい?」
「白旗を掲げた後に停戦してもらえばそれだけで結構です。防御と迎撃の用意は必要ですが」
「無礼な輩が現れたら」
「むろんこちらで対処します」
「なるほど。では、そうならないことを祈るとしよう。むろんブリターニャ軍のために」
「各軍の司令官に伝令を」
そして、広大な戦線に展開している魔族軍にその命令が伝わったところで魔族軍から白旗を持った一隊がブリターニャ軍に向けて歩き始める。
先頭は白旗を持ったクリエフ・ブレア。
続いて、アラン・フィンドレイ率いるホリーの護衛隊、そして、ホリー。
その後方はコリチーバ率いる護衛隊に守られたグワラニーとデルフィン。
むろん、この時点でブリターニャ軍にも包囲されていたサイレンセストが陥落したことは伝わっている。
だが、こうなってしまうと、実は前線指揮官としては逆に非常に困った事態になるのだ。
つまり、命令が来なくなる。
いや。
戦えという命令だけが残っており、どうなろうが戦いがやめられないのだ。
むろん兵たちは逃げ出すことはできる。
だが、相応の地位にある者はそうはいかない。
将軍級になれば尚更である。
もちろん状況を考え、自らの判断で降伏することはできるし、国の上層部が消えている以上、すぐにでも降伏するべきなのだが、降伏したという不名誉と責任は司令官自身にやってくる。
そこで起こるのが、どの世界にも存在する「誰が負けたと言うか。いや、どれだけ負けても負けを認めない」を賭けるチキンレース。
そして、普段威勢のいいことばかり言っている輩が指揮する軍は、その言葉を口にできない司令官とともに結局最後まで行ってしまう。
結果として、指揮官のつまらぬ名誉を守るために、多くの者を巻き添えになるのである。
ブリターニャ軍将兵にとって不幸なことに、総司令官が次々に戦死する異常事態によって回ってきた、戦いが始まって六人目のブリターニャ軍総司令官で子爵の爵位を持つ将軍アンガス・オードレムがこのタイプだったことだろう。
すでに副司令官バロン・ラウンドウッド、副官クロンモア・ハケットをはじめ、多くの者が停戦を進言するものの、すべて拒絶。
挙句の果てに「おまえの名前で降伏しろ」などと怒鳴り散らす始末。
そう言う点では、魔族軍からやってきた使者は多くの者にとって救いの神、実情に合わせれば救いの女神だったといえるだろう。
魔族軍、ブリターニャ軍が睨み合う戦場の中間地点までやってきたその集団。
その先頭に立った人間の男が口を開く。
「ブリターニャ王国副王ホリー・ブリターニャがブリターニャ軍総司令官に面会を求めている。総司令官はただちに前に出るように」
だが、ブリターニャ軍からは音沙汰なし。
「……怖くて出られないのか。腰抜けが」
そう言葉を吐き出すと、男は後ろを振り返り、主となる者に確認を取る。
そして、彼らの主である若い女性が隣に立つと、男はもう一度口を開く。
「総司令官が現れる気がないようなので、全軍に直接伝えることにする。私はアラン・フィンドレイ。ブリターニャ王国副王ホリー・ブリターニャ様の護衛を務める者。ただいまより、副王様のブリターニャ軍の将兵に対する言葉を伝える」
「昨日、ブリターニャ王国の王都サイレンセストは陥落。残念ながら国王カーセル・ブリターニャ陛下をはじめ、王都に残っていた王族はすべて命を落とした。そして……」
「この戦いを平和裏に解決するための提案を自らの欲望実現のために破棄し、救えるはずだった王都を火の海にした張本人、『アルフレッド・ブリターニャの後継者』を自認し悪逆非道な魔術師でもあるブリターニャ王国王太子アリスト・ブリターニャは正義の使者、勇者ファーブとその同行者によって討ち取られた」
「だが、これにより、現在ブリターニャ王国は国王及び王太子、さらに国王より副王に指名された王子ふたり。そのすべてがこの世を去るという事態に陥っている」
「そこでもうひとりの副王である私ホリー・ブリターニャが先ほど魔族の国王に対し停戦を申し込み、受け入れられた」
そして、もう一度隣の女性に確認し、女性が頷いたところで男はそれまで以上に声を張り上げる。
「ブリターニャ王の代理人たる副王ホリー・ブリターニャからブリターニャ軍全軍に対し命じる」
「戦闘を停止せよ」
「そして、今後については魔族軍司令官の命に従うように」
「なお、指示に従わぬ者は地位にかかわらずすべて国賊として罰するものとする。以上」
その言葉とともにブリターニャ軍は大いにざわつく。
むろんその大多数は戦いの終了を喜ぶものであったのだが、中には非難めいた言葉を口にする者もいた。
それまで黙っていたホリーが口を開く。
「私の言葉が気に入らない者。そして、私そのものが気に入らない者は今すぐ剣を取り、私を討ちに来るがいい」
「それとも、隠れて文句を言うだけですか」
その瞬間、数十人の剣士が飛び出す。
だが、本人たちも何が起こったのかわからぬまま全員がバラバラになった。
まさに一瞬のこと。
ホリーは後方をチラリと見た後、再びブリターニャ軍の方へ目を向ける。
「他にはいないのか」
「見てのとおり、魔族軍は強い。残念ではあるが、ブリターニャ軍では勝ち目はない。どれだけ抗ってもただ殺されるだけ」
「そのような状況で魔族の国はブリターニャに対し降伏を勧告した」
「むろん、その条件は厳しく、我が国は多くの領土を失うことになる。だが、失うのは領土だけで、国民を害することはないと魔族の王は約束しました」
「知ってのとおり、我々ブリターニャ軍は魔族という種族の殲滅を目指していた。当然負ければ同等の措置が待っている。それを考えれば、この条件は非常に寛大とも言えます」
「だが、愚かな男アリスト・ブリターニャはそれを拒絶し、その結果、王都サイレンセストは燃え落ち、多くの者の命が失われた。しかも、アリスト・ブリターニャはそれでも飽き足らずさらなる危機をこの世界にもたらそうと画策しました。そして、勇者に討たれた」
「そして、その勇者に私はブリターニャの未来を託されました。私は魔族の王に対してあらためて停戦、いや、降伏を申し入れ、受け入れていただいた。そして、今後は復興に向かって歩く」
「私とともに国の復興に携わりたい者は、まず剣を捨て、鍬を持て」
「それが嫌な者は国を捨てよ」
それがホリーの言葉だった。
むろんホリーはアリストがどのような経緯でファーブたちに殺されたのかは知らない。
単純にサイレンセスト陥落前の交渉の際にグワラニーが用意したシナリオ、それに沿って話をしただけである。
だが、結果的にこれはほぼ事実と一致していた。
おそるべしアルディーシャ・グワラニーと言ったところであるのだが、むろんグワラニーはアリストがあのような状態になるなど想像もしておらず、単純にアリストを貶めるためにそう言っていただけ。
つまり、これは完全なる偶然だった。
「……よかったのですか?」
「もちろん。ブリターニャの副王といっても、私は魔族側の人間です。それに……」
「利用できるものは利用する。たしかにその通りだと私も思いましたので」
「それで次はどうするのですか?」
「もちろん正式な停戦。そのための協議ですが……」
「両方の王都が破壊されてしまった以上、クアムートでおこなうしかありませんね。そのためには、まずマンドリツァーラに避難していた者たちを戻すことから始めなければなりません」
「王都近くまで侵攻しているブリターニャ軍は?」
「コンシリア将軍に任せましょう。どうやら暴れ足りないようですから」
「とりあえず、名演説お疲れ様でした」




