最後の旅路
勇者一行は王都を出たその日の夕方には現在の前線となるガルベイン砦に到着し、指揮官たちからの歓待を受ける。
もっともそれは表面上のことだけ。
五人だけで敵を蹴散らし、イペトスートを落とせる?
それだけの力があるのなら、なぜあの時窮地にあったブリターニャ軍を助けなかったのか?
だが、相手は王太子。
しかも、口だけではなく実際に魔族の王都を陥れるために出向くのだ。
将軍たちは強引にその思いを飲み込み、形ばかりの笑顔を見せていたのだ。
アリストはすぐに目の前の男たちの感情を気づく。
だが、わざわざそれを指摘して揉め事の種をつくる必要ない。
アリストは三人のつくりものの笑いに素直に応じたため、残る四人も何も言わずやり過ごす。
そして、ささやかで、ぎこちない歓迎会が終わったその夜。
「……王太子殿下はイペトスートを落とすと豪語しているが本当にそんなことが可能なのか?」
ガルベイン砦の指揮を任された三人の将軍のひとりバイロン・グレナームが酒を口に含みながら疑い深そうにそう呟くと、それに応じたのは三人の中で唯一アリストたちの攻撃を目の当たりにしているアラン・カービシュリーだった。
「例の魔族以外なら圧勝することだろう」
「つまり?」
「敵の王都の落とすことは可能である」
「問題は例の魔族とどこでぶつかるのかということだろう」
そう言ったカービシュリーが語ったのはあの日の出来事だった。
「……対応不可能な氷槍を降らせ戦況を一変させた。あれがなければフランベーニュ軍はそのままサイレンセストにやってきていたことだろう。あの強さは勇者の噂通り。まさに無敵」
「だが、あれだけの力を持っている王太子殿下でもあきらかに例の魔族との戦いを避けている」
「つまり、王太子殿下の見立てでも例の魔族は簡単に勝てない相手ということなのだろう。しかも……」
「強力な魔術師団を抱えているだけではなくその男は策謀という点でも秀でている。力攻めに出て罠に陥ることだってあり得ると考えているのだろう」
「つまり、王都に到着するまでは例の魔族には出会いたくない?」
「もしかしたら、その逆で早めに潰したいと思っているのかもしれない」
「どちらにしても、例の魔族に勝てるかどうかが魔族討伐のカギとなるのだろう」
「なるほど……」
「そのような敵であるのなら我々も兵を率いて王太子殿下に同行すべきではないのか」
ここでグレナームとカービシュリーの会話に割り込んできたのはアルビン・リムリックだった。
カービシュリーはフランベーニュ侵攻の最終盤に武功を挙げ面目を保ったが、リムリック、そしてグレナームは二度にわたる戦いで大敗、多くの兵を失って敗走し戦線を大幅に下げたという負い目があった。
敵と戦い、そして、大きな戦果を挙げ、忘れがたい汚名を消し去りたいという思いがあったのだ。
「だが、決めるのは王太子殿下だ」
「では、明日、掛け合ってみるか」
翌日の打ち合わせでアリストは自分たちの出発の翌日に補給と転移避けを主任務とする十万の規模の部隊を後続部隊として進軍させることを要望したのに対し、バイロン・グレナームは七十万の兵と二万の魔術師からなる第二陣を用意していることを告げる。
ガルベイン砦には守備に強いカービシュリーが残る。
たとえ敵が自分たちの背後から現われても簡単には抜かれない。
そもそも自分たちは転移避けの魔術師を配置しながら進むので転移で背後を取られることはない。
それがグレナームの主張だった。
アリストは一瞬だけ何か言いたそうな顔をしたものの、結局口に出しては何も言わず、グレナームの提案を受け入れる。
そして、毎日自分たちのもとに伝令を送るようにという要望を加える。
「むろんイペトスートを守備する魔族軍の排除は我々がおこないますが、その後我々は新たな敵を求めて移動する予定です。ですから、将軍たちにはイペトスートの維持は将軍たちの仕事となります」
自身の計画を変更したアリストが最後にそう言って最終打ち合わせが終わると、まもなく五人はガルベイン砦を出発する。
そこから勇者一行は進路に立ちはだかる魔族軍を次々となぎ倒しながら王都へと進む。
英雄譚であればそうなるだろうし、ここでもそう言いたいところなのだが、実際は違った。
どれだけ進んでも魔族軍兵士の姿はない。
むろん遠巻きにする物見らしい者の気配は感じるが、想定していた十万単位どころか百人ほどの部隊すら姿を見せないのだ。
「なんだ。このままでは一度も戦わず王都に到着してしまうではないか」
「魔族はいつからそんな腰抜けになったのだ?」
することがないファーブとブランが大剣を振り回しながら遠くにいるかもしれない相手に向かって喚き散らすものの、それで敵が現れるはずがなくフィーネの嘲笑を浴びながら虚しい時間が過ぎていく。
いよいよ魔族軍が陣を敷いていたはずの地域に入る。
そして、出会う。
「……やりますね」
「ええ。これが魔族の新しい転移避けの策ですか」
「たしかにこれなら魔術師を張り付けておく必要もない。悪くないですが、彼らも転移できなくなります。それでもいいということなのでしょうか?」
アリストがフィーネとともに嫌味を言いながら睨みつけていたもの。
それは……。
街道とその周辺を埋め尽くさんばかりに打ち込まれた杭。
この世界の転移魔法は転移先が転移不可であった場合はそのリクエストは拒絶される。
そのため、大軍を転移させる場合には開けた場所が必要となるわけなのだが、これはその応用。
しかも杭の先は尖っているため、万が一、転移に成功した場合、その瞬間杭が身体を貫く。
転移避けの手段としては非常に有効なものといえるだろう。
「まあ、これを考えたのはグワラニーでしょうね」
「たしかに実物を見せられたらなぜ今までなぜ誰も気がつかなかったのかと思うのですが、こんなものを思いつくのはあの小細工職人以外ないでしょう」
「ですが……」
「彼らが背後狙う気ははなく、道中のどこかで待ち伏せしていることが確定しました。まあ、こちらとしてもありがたいことですが」
アリストは自分自身を納得させるように誰に対してのものかわからぬ言葉を呟き、数瞬後、もう一度口を開く。
「そうなればグワラニーの策は正面から魔法無効化結界でもう一度挑んでくるということで決まりですね」
「前回と同様気配を消してどこかに隠れて近づいてくるのを待っているのでしょうが、その手が通用しないことを小細工職人に教えてやることにしましょう」
「感知されないように魔力を消す」
「それはつまり防御魔法を展開しないということです」
「そのような状況下であればこちらからの攻撃魔法はどのような種類、そして、どのような強さのものであっても相手には決定的な打撃を与えられます」
「彼らが魔法無力化結界を展開する前に、フィーネが最大級の防御魔法を張り、その中から私が最大威力の攻撃魔法を行使する」
「これであれば、防御魔法の内側にいる私たちには被害はありませんが、外側に潜んでいる者はひとたまりもありません」
「まあ、これはグワラニーが『フランベーニュの英雄』の軍四十万を消し去った『悪魔の光』の再現」
「自分が考案した策で滅びる。それも一興でしょう」
そして、それからまもなく、アリストの言葉を借りれば、「いかにもグワラニーが戦場として選びそうな場所が五人の前に現れる。
「……魔力を感じますか?フィーネ」
「見張りをしている者たちが数人というところでしょうか」
自身が感じたものと同じ。
つまり、デルフィンやその祖父、それに人間に生まれていればその国最高の魔術師になれる実力を持つ弟子たちの魔力は感じない。
「一見すると待ち人はいないわけですがこれは前回とおなじ。二度も同じ手を食うわけにはいきません」
「お願いします。フィーネ」
アリストのその声とともにフィーネは、自身が最高位の魔術師であることを誇示するかのように拳の中に杖を顕現させると、範囲を示すように指し示す。
その直後、強力な防御魔法でつくりだしたドーム状の結界が出来上がる。
そして、それを確認できるもうひとりが自身の杖を取り出す。
「全員目を瞑ってください。では、いきます」
天に向けた杖を軽く振るう。
そして、それから三ドゥアほど経った頃。
「もういいですよ。目を開けても大丈夫ですよ」
アリストの声とともに目を開けた四人は見た。
結界の内側は生の世界、外側は等しく死が与えられた世界。
それをはっきりと分かつ境界を。
まさに、あの時と同じ風景である。
ありがたいことに今回はあの時と違い死者は百人もいなかったであろうが。
「最後の瞬間、魔力を感じましたか?フィーネ」
「いいえ」
「ですが、お嬢や孫娘に甘い爺様なら私が結界を展開した瞬間に次に何が来るか察し、防御魔法を展開したか、転移魔法で退避したから本当にいなかったということになるでしょうね」
「まあ、そうでしょうね。ですが、相手がいないことが確定できない以上、今後も続けるしかありません」
そして、その言葉どおり、さらに二か所で大魔法を披露するものの、収穫なし。
「……おかしいですね」
アリストが呟く。
「あの小細工職人が何かよからぬことを考えているのはわかります。ですが、それが何かがわかりません。さすがにこれは困りました」
アリストが思わず言葉にした胸騒ぎと予感。
それは間違いなく真実の的の真ん中を射抜くものだった。
魔族の国の王都イペトスート。
少し前に届いたその報告を眺めながら玉座に座る「王」と呼ばれる男は黒い笑みを浮かべていた。
「……自分の居場所を盛大に知らせながら進むとは勇者、いや、アリスト・ブリターニャも意外に浅慮だな。まあ……」
そう言ったその男は、目の前にいる三人の軍幹部のひとりに目をやる。
「まさか何もしない。そのこと自体が罠だと考えられる者などそうはいないだろうから勇者が浅慮というのは言い過ぎで、むしろそれを考えた者こそ褒めるべきか」
「さすがグワラニーというところか」
そう言った男は名を呼んだ男を眺めもう一度笑う。
「だが、着実に王都に近づいているのは事実」
「それは我らの最期が迫っていることも意味する」
男は再び笑う。
まるで、死する自身が最終的な勝利者であることを確信しているかのように。
数日後、勇者一行の前に再び杭のない小さな草原地帯が現れる。
気配はない。
これまですべてが空振りだったのだ。
ここはそれらの草原よりかなり狭い。
さすがにここはいないだろう。
そう思いつつ、再びアリストは大魔法を展開する。
そう。
相手はグワラニー。
いると思わせていないのだ。
いないと思ったところにいてもおかしくない。
裏をかかれることを恐れたアリストには方針を変えることができなかった。
そして、今回も同じ。
「なあ、アリスト」
未だ剣を振るう機会がなく、暇を持て余している三剣士のひとりであるファーブがアリストに声をかけたのはガルベイン砦を出て二十日以上過ぎたある日のことだった。
「周辺の村に誰もいないのは避難したということはわかる。そして、グワラニーが自分にとっての最高の戦場を選ぶから簡単に姿を現さないのも理解できる。だが、他の奴らも迎撃に出てこないのはどういうことだ?」
ファーブの言葉に兄弟剣士も大きく頷き、アリストに視線を向けると、その男は大きく息を吐きだす。
「実際のところ、この事態は私にとっても想定外のことです」
「ですが、さすがにこのまま王都まで何もせず通してくれるほど気前がいいとは思えません。必ずどこかで大軍で待ち構えているはずです」
「問題はどこかということになりますが」
「迎撃はグワラニーに任せて他の魔族軍は迂回して逆進している可能性はありませんか?」
割り込むようにフィーネからやってきたその問い。
実をいえば、自身もその可能性が疑っていたアリストは少しだけ考え、こう答える。
「可能性はなくはないでしょう。ですが、どこかでブリターニャの正規軍とぶつかっているはずです」
「ダワンイワヤから攻め込む可能性は?」
「さすがにそれはないでしょう。彼らの律儀さはすでに証明されています。こちらが協定を破らないかぎりないと言えます」
「どちらにしても、私たちは背後を気にせず王都に向かう。これが陛下との打ち合わせで決めたこと。そして、陛下からはこう言われています。おまえは前だけ見て進み、イペトスートを落とすことだけに専念しろ。ですから、敵が現れないことは気にはなりますが、前に進みましょう」
そして、再び現れる草原地帯。
警戒を高める勇者一行であったが、結局何も起きず。
「おかしいですね」
「遠方から火球のひとつくらいは飛んでくると思っていましたが」
「この調子では本当に王都で決戦をする気なのかもしれませんね。魔族の王は」
「そうするとこちらも少々想定と対策を考え直さなければいけないかもしれません」
王都までの道中、広い草原地帯に入ったところで、グワラニーは魔法無効化結界を用いた戦いを仕掛けてくる。
アリストは多くの想定の中からそれを選び出したのは、自身にとって最も戦い難いという理由であった。
だが、その気配は全くなく、そうであれば油断したところを襲撃してくるかもしれないと身構えたものの、それもない。
そうなれば、考えられるのは王都が見えたところでの戦いである。
勇者の目標が王都イペトスートを落とすこと。
王都が目に入ったところで王都目掛けて決定的一撃を放ちたくなる。
だが、これこそが魔族の、いや、グワラニーの狙いなのかもしれない。
魔法攻撃をおこなった直後、遠方から魔法無効化結界を展開し、足止めをしたうえで結界の外から火球を撃ち込み、これまで温存していた剣士が湧いて出てくる。
つまり、王都そのものを囮にした戦い。
そうであれば、王をはじめとしたそこに住む者は王都を退去している可能性が高い。
魔族の王の首を取る。
それは王都を落とす以上に重要なことである。
絶対にその死を確認しなければならない。
「……そうなると、王の所在を確認する前に王都を破壊するわけにはいきませんね」
「そのためにはどのような手順で王都攻略をすべきなのか……」
アリストは一日出発を延ばした。
もちろん頭を動かすために。
その晩、防御魔法の維持をフィーネに任せたアリストは思考の森に踏み入る。
まず、魔族が王都でどのような戦いをおこなうつもりなのか?
常識的に考えれば、王都の手前で陣を敷いて迎撃戦をおこなうということになるだろう。
ここまで温存してきた全兵力を使って。
魔力を消して待ち伏せしたグワラニー軍が魔法無効化結界を展開し、その直後勇者の視界範囲外で待機していた部隊を転移させてくるという方法が一番有効だ。
むろん火球攻撃も可能だが、この場合もまず結界付近に魔術師を転移させたうえで火球を撃つ込み確実に仕留めに来る。
ここで重要なのは魔法無効化結界。
ここに来る前にフィーネと試した結果、魔法無効化結界の外側からもうひとつ同じ結界を展開しても優先順位は先に展開したものということがわかっている。
そうなれば、相手よりも先に展開させることが絶対条件となる。
そうすれば有利にはなる。
だが、それで数の暴力に勝てるかといえば、そうではない。
せいぜい不利になったときに脱出できるというくらいだ。
「この対策ができないうちには王都に近づくわけにはいきませんね」
「……剣士、魔術師。そのどちらであっても結界の目の前に転移されてはこちらに勝ち目がない。となれば、転移避けをおこなわなければならないわけですが、そうなるとふたりの魔術師が別に行動しなければなりません」
「そうなれば、グワラニーは同じような戦い方を二回するだけでふたりの魔術師を狩ることができる」
「案外、グワラニーはそれを狙っているのかもしれない。となれば、ふたりが別行動するのは愚策」
「ですが、そうなると、こちらとしてはやはり一枚足りない」
「後方部隊を呼び寄せ、魔術師にその役を担わせればよいだろうと考えたくなりますが、これもむずかしい。現実的に」
そう。
魔法無効化結界を展開してしまっては、そもそもブリターニャの正規軍に同行している魔術師たちが結界を覆うように転移避けを張ることなどできない。
そうであれば、結界の範囲を小さくすればいいのではないかということになる。
むろんアリストレベルになれば、その大きさを調整することは可能ではある。
だが、それでは範囲内の相手の魔法使用を抑え込むという魔法無効化結界を展開させている意味が薄れるだけではなく、魔法自体の安定性が失われるという新たな問題も出てくるのだ。
最高レベルの魔術師であるアリストは魔法無効化結界についても、その範囲、それから持続時間も最高位にあると言っていい。
だが、同じく最高位の魔術師であるデルフィンと比べた場合、この魔法に関する習熟度はかなり劣ると言わざるを得ない。
アリストは自身を中心に円形上の結界しか展開できないのに対し、デルフィンは自身を含むことにはなるものの、どのような形状の結界を展開できる。
しかも、マンジューク防衛戦の時点でそれをおこなっているのだから。
さらにこの魔法の扱いの難しさからその効果範囲の調整も非常に難しく、アリストやフィーネも含めてデルフィン以外の魔術師がその範囲を自由に設定し、それを維持するのは困難。
つまり、自身の最大範囲のみで運用せざるを得ない。
アリストはその結界は魔術師そのものの存在価値を失わせるものであると嫌っていたうえ、勇者一行の強みが自分とフィーネの魔法によるものであることから、使用することなどないと思っていたため、この魔法の訓練したことがなかった。
それに対し、デルフィンは、自身の祖父からその魔法の存在を聞かされたときからそれを策の中心に据えようとしていたグワラニーの期待に応えようとかなりの時間を使ってこの魔法の習熟訓練をおこなっていた。
それがふたりの差ということになる。
これについてのちにグワラニーは、「日頃の努力の差がもたらした結果」と表現したのだが、祖父であるアンガス・コルペリーアはより実態に即した表現で苦笑しながら「これが愛の力というものなのだろう」と説明をしている。
そして、この時から多くの時間を過ぎてからも魔法無効化結界の形状を自由にできた記録があるのはデルフィンのみ。
その大きさについても最新の魔法指南書でも「魔法無効化結界は常に最大の効果範囲で運用すべし」という記述があるくらい、効果範囲の設定も難しく、こちらについても歴史上デルフィンだけが結界の大きさを自由に決め使いこなしていたと言っていいだろう。
「……右往左往した挙句、結局何も決まらない」
結局スタート地点に戻ってきた思考にアリストは自分を嘲る。
「そうなると、結界の周辺に敵が集まった瞬間、一度結界を解除し、防御魔法を張ったうえで周辺を焼き尽くし、私がすぐに結界を再度展開させる。最後にフィーネの防御魔法を解除する」
「少々危険ですが、それしかこれに対する対策はなさそうですね」
「むろん一度逃げるという選択肢はありますが、それではいつまで経っても前に進めません。ここは勝負どころ。やるしかないでしょう」
「それにフィーネと私であれば、一瞬ですべてを終わらせることができます」
「安全な遠方から眺めているグワラニーはその間に結界を展開させるのは難しいでしょう」
「とりあえず、こちらの対策はこれでいいとして……」
「次に王都を餌にするもうひとつに対策に行きましょうか」
ここまでの魔族軍の戦い方を考えれば、王都前に防衛線を敷いているとは限らない。
いや。
グワラニーが直接指揮を執るということであれば、別の戦い方を用意している可能性の方が高い。
そして、その戦い方とは王都を勇者に対する餌とするというもの。
これは最低でもふたつの利点がある。
まず、一撃で王都イペトスートを瓦礫の山にすることは可能ではあるが、王を含む王都に住む者たちをすべて避難させていた場合、その渾身の一撃は空き家に向けて放たれたものと同じ、王都を破壊されたということを除けば、損害はないのと同じ。
さらに状況を確認せず攻撃してしまったら、メインターゲットの魔族の王の死が確認できない。
それから、もうひとつは、王都攻撃をおこなえば、自身の位置をあきらかになり、王都を攻撃中に背後から攻撃を受けかねないということ。
それに王が王都から無事離脱していたという事実が加われば、魔族討伐は完全失敗ということになる。
つまり、魔族の王を討ち取るという魔族討伐の最大の目的を成就させるには王の所在地を確認できないうちは王都を破壊するわけにはいかないということになる。
むろん王宮はすぐに判別できるだろう。
だが、勇者が王宮を目指して王都に入ったところで無人の王都ごと吹き飛ばすなどという荒業をおこなうことも考えに入れておかねばならない。
「そのためには防御魔法を展開させなければならないわけですが、このときに魔法無効化結界を……」
「いや。最初に防御魔法を王都全体に展開させれば王都内の移動は可能にはなりますね。ですが、相手の選択が結界ではなく攻撃魔法であった場合、抜かれる可能性があります。その少女の全力であれば」
「それに備えて、フィーネは自身に対してもうひとつ防御魔法を纏っておけば彼女は助かる。その後転移魔法で退避し、私たち死んだ者たちは死者蘇生で復活させることはできますが、どうも前向きではないですね。思考が」
そして、思考を始めて二日目となるその晩。
相変わらず焚火の前でぶつぶつと独り言を呟き続けていたアリストは大きく息を吐きだす。
「王都制圧とグワラニーへの対処。それを同時にやろうとすることがそもそも無理な話で……」
そこまで言ったところでアリストの頭にあることが閃く。
「なるほど。そういうことですか」
そう言うと、アリストの顔に黒味を帯びた笑みが広がる。
「迎撃することなく、王都まで私たちを誘引する。そして、目の前に王都を差し出し、私たちに王都への攻撃と自分たちへの対処を同時におこなわせること。それがグワラニーの狙い」
二正面作戦を強いる。
別の世界での言葉を使用しこの状況を説明すればこうなる。
そして、より具体的に言えば、その世界での大戦での転換点となった戦いにおいて、陸上基地攻撃と敵艦隊殲滅というふたつの目的を与えられた軍がそれによる混乱が原因で敗れ去ったものと同じ。
「その手には乗りません」
「策が読めたのですから、対策を講じるのはそう難しくはありません」
「ありがたいことに今回は後方に大軍が控えています。それを活用することにします」
「私たちの勝ちです」
遂に解に辿り着いたアリストだったが、すぐに出発はせずさらに一日その場で過ごした。
これは後続のブリターニャ正規軍との距離を縮めるためである。
出発は一日遅れであったものの、大軍の行軍は少人数での移動に比べ驚くほど時間を必要となる。
アリストたちが現在地に到着した時点で七日分ほどの時間的距離があった。
魔族の国の王都イペトスート制圧に正規軍を利用する策を思いついたアリストにとってこれは好ましい状況ではない。
三日ないし四日。
これがアリストの望む理想的な時間的距離。
「相手の出方を確認したところで策を練り、彼らに指示をする必要がありますから」
この言葉は「そういうことなら正規軍と一緒に進めばいいだろう。なぜ、三日も四日も差をつけるのだ?」というファーブの問いに対するアリストの答えとなる。
グワラニーの策を読み切った自信はある。
だが、相手がグワラニーである以上、その裏をかいて王都到着目前に襲撃してくる可能性も考慮する。
いや。
むしろそちらの方が望ましい。
防御魔法を盛大に展開して進むのはある意味で自身の位置を示し、攻撃を誘っているものでもある。
だが、残念ながらこれも不発。
いよいよ魔族軍は王都決戦を目指していることがあきらかになる。
そして、それから三日後、遂にその場所が見えてくる。
自身の意志を持ってそこを目指し、辿り着いた最初の人間。
勇者一行のあらたな勲章となる。
「あれが魔族の国の王都イペトスートなのか?」
「おそらく」
なにしろ小高い丘の上から望むそれはまだまだ遠く全体像が確認できる程度。
そして、なによりアリスト自身それを見るのは初めてであったため、やってきたファーブの問いにそう答えるのがやっとだったのは致し方ないところであろう。
続いて声を上げたのはフィーネだった。
「見た目だけでいえば、随分と地味ですね。焼け落ちる前のアヴィニアはもちろんサイレンセストだってこの距離からでも華やかさは伝わってきましたから」
「ですが、そんなことよりも……」
「何をやっているのでしょうね。魔族軍は」
「私たちがその気になればここからでも王都を石の山に戻せるというのに。守備兵がひとりもいないというのはどういうつもりなのでしょうね」
「まあ、誘っているのでしょう」
「グワラニーとしてはさらに都合のいい場所へ」
「ですが、彼の望みは叶いません。なぜなら……」
「私たちはここから動きませんから」
そう答えたアリストは笑う。
「私たちを動かすには自分たちから仕掛けなければなりません。ですが、それによって自分たちの位置を知らせることになるわけです」
「これで立場は逆転します」
目の前に餌を出されすぐにでも動くと思われた相手が動かない。
そうなれば、自分たちから動かざるを得なくなる。
むろんここまでの道中で防御魔法を展開してきたのだから、自分たちの位置を魔族は凡そ把握していることだろうが、大魔法を有効に活用するために、グワラニーは必ず味方を動かす。
それがアリストの読み。
「目の前に見えているのだからまず王都を攻撃してもおかしくない。ですが、それをやってしまうと魔族の王の生死が把握できなくなる。だから、こちらは絶対に王都を攻撃しないという前提でグワラニーは小賢しい策を講じている」
「本来であればその逆を取り、まず王都を攻撃したいところですが、残念ながらそこはグワラニーの読み通り」
「ですが、その後についてはこちらの都合に合わせてもらいましょうか」
一セパ後。
「……魔力を感じますか?」
「いいえ。魔力を感じないどころか、周辺に敵を配置しているのかも疑いたくなりますね。この状況は」
忍耐力を試されているかのような時間。
それを必死に耐えるアリストの問いにフィーネはやや投げやりな言葉を返す。
そう。
フィーネは完全に飽きている。
いや。
アリスト以外の全員がこの動きの全くない状況に飽きている。
「いっそのこと、イペトスートに一撃食らわしてみてはどうですか?」
「そうしたいところですが、それをやったら魔族の王が生きているのか死んでいるのかわからなくなります」
「こうなると私が焦れて王都を破壊する。それを狙っているとしか思えませんね。そうであれば、何があっても動くわけにはいきません。いきませんが……」
「相手が何もしてこないことがこれほど苦痛とは思いませんでした」




