陽は沈み、そして、また昇る
アリストの遺体とともに四人の男女は消えると、大きく息を吐きだしたグワラニーは、ホリーに目をやる。
「そういうことでよろしくお願いします。新ブリターニャ王国初代王。ホリー・ブリターニャ陛下」
「こちらこそ。新国王陛下」
お互いにそう呼び合ったところで薄く笑う。
ちなみに、この世界では国の治める者は男と決められているため、この時点では女王に該当する言葉は存在しておらず、ホリーが王位に就いたところでようやくその言葉が生まれることになる。
ついでにいえば、明確に女王と王妃を単語としてはっきりと分類されているのは別の世界においても珍しく、たとえば、ブリターニャに近い言葉を使用する某国の国の言葉でいえば両者ともに「QUEEN」である。
グワラニーが言葉を続ける。
「本来であれば、正式な即位を内外に伝え、そこから協定を結んで停戦となるわけですが、さすがにそれでは時間がかかり死ななくて命が失われます。そこで、それはすべて後回しにして、戦闘が続いている場所に出向き停戦を呼びかけることにしましょう」
「ですが、まずはこの知らせを待っている者たちに勝利によって停戦が実現したことを知らせることにしましょう」
「伝令を……」
そう言って、グワラニーは本来真っ先に死ぬはずだった餌役に自ら志願した魔術師五名に吉報を魔族軍各陣に伝える名誉を与える。
そして、同じく危険な地域を受け持ったアウグスト・ベメンテウにはマンドリツァーラで待つバイアのもとに向かうように指示をする。
そして、それからまもなく。
サイレンセスト周辺に展開する魔族軍にその情報が伝わり、兵士たちは歓声を上げる。
停戦。
それも、勝利によるものなのだから当然である。
早速即席の祝宴が始まるわけなのだが、規律には厳しくいつもはそのようなことを許さない将軍たちもそこに加わり、大いに盛り上がる。
だが、それとは対照的に王都から脱出をしたブリターニャ人は複雑な表情をつくる。
魔族軍がアリスト率いる勇者一行に勝利したということは、戦いは終わり自分たちが巻き添えになって死ぬことがなくなったことを意味する。
だが、その一方でブリターニャが魔族に負けたことも確定されたのだ。
喜びと悲しみを同等に配合されたものとなるのは仕方がないところであろう。
勝利が確定したことにより当初の二倍になった保障金を手に、その多くはその日のうちに各地に散っていったわけなのだが、文官たちだけは留め置きされる。
むろん彼らは王国復興に携わらなければならないからだ。
そして、サイレンセストに潜んでいた各国の間者たちはすぐさまこの情報を本国へ伝える。
魔族軍勝利。
続いて、続いて知ったアリストの死も伝えられる。
そして、事情をよく知る者にとって魔族軍の勝利よりアリストの死の報こそ重要なことであり、これにより本当の平和がやってくると盛大に胸を撫でおろしていた。
アリターナ王国の都パラティーノでその報を接したアントニオ・チェルトーザが自身の執事ファウスティーノ・オルバサーノに対して語ったとされる言葉。
「安心したというのが本音だ。ここでアリスト・ブリターニャが勝利していたら、ほぼ沈静化していた戦争が再び始まることになったのだから。しかも、自軍の兵力がほぼなくなっていたのだから当然アリスト王子が全面に出て戦うことになる。そうなれば……」
「戦いというよりも虐殺と表現できそうな光景が広がったことだろう。それこそ、パラティーノが焼け落ちることだって十分にあり得た」
「そして、その後に待っているのは、パックス・ブリターニャだった」
ちなみに、最後の言葉は別の世界に存在する「パックス・ロマーナ」を変じたもので、間違いなくアリスト・ブリターニャの強大な力を背景にしたブリターニャ王国の世界支配を危険視する言葉であるのだが、当然この世界の者であるオルバサーノに通じず、その意味を問われたチェルトーザはどこかの国の神話にある一強による世界支配を意味すると答えている。
商人国家アグリニオン国を率いるアドニア・カラブリタも胸を撫で下ろした側のひとりである。
なにしろアリターナ以上にハッキリと反ブリターニャの色合いを濃くしていたこの商人国家はブリターニャの勝利を暁には報復は免れず、当然それを指導していたアドニアは失脚確実。
下手をすれば物理的な処分を十分に考えられたのだから。
だが、結果として魔族軍への過剰な肩入れは成功し、この後、この世界におけるアグリニオンの商業及び金融界における支配力はさらに上がることになる。
むろんその中心は彼女が率いるアドニア商会である。
ノルディア王国。
最終的には勝ち組となるこの国も実は危ない橋を渡っていた。
しかも、それを意識することなく。
グワラニーの甘い言葉に乗せられ、ブリターニャに奪われた旧領に攻め入り、奪還に成功していたのだが、もし、勇者が勝利を収めていれば、奪い返した領地を再び奪われたのは間違いない。
アリストの状態を考えれば、そこで終わらずに国そのものが消えていてもおかしくなった。
むろん、多くのことが闇に葬られていたので、ノルディアの為政者たちは自分たちがとんでもないギャンブルに出ていたことに最後まで気づくことはなかったのだが。
そして、国王アレキサンドル・ノルデンはブリターニャに代わり北の大国という地位にまで国を引き上げたノルディア史に燦然と輝く偉大な王とされることになる。
結果良ければすべてよし。
後世の評価などその程度のものである。
なぜなら、そもそも奪還した領地はアレキサンドル・ノルデンの時代に奪われたもの。
そして、魔族軍との戦いで破れた挙句、囚われた親族を返還させるために国の財政を傾けたのもこの王である。
さらに、資金不足で食料不足に陥ったノルディアを魔族からの輸入というとんでもない荒業で乗り切ったのはコンラード・ホルムの功績であり、王はホルムの提案を渋々許可しただけ。
ハッキリいえば、この王が自身の功績として誇れるものは皆無。
つまり、実績を見合った評価をこの王にするのであれば、こうなるだろう。
ノルディア国王アレキサンドル・ノルデン。
ノルディア史上、最も幸運な王。
前述とした三か国に比べ、比較的好位置をキープしていたのはアストラハーニェ王国。
この国を率いるアレクセイ・カラシニコフは新王国建国の過程からグワラニーとは親密な関係を築き、今回の戦いの際に旧同胞の保護を委託される間柄である。
だが、それはすべて内密におこなわれたため、いざとなればアリスト側に寝返ることが可能だった。
だから、いざという時は他国ほど大きな打撃を受けずに生き残れたと思われる。
しかし、薄皮一枚剥がせば間違いなくその本質はグワラニー側。
魔族軍勝利が確定し、グワラニーが王位に就くと、カラシニコフはさらなる関係強化に乗り出すことになる。
大海賊ワイバーン率いるバレデラス・ワイバーン。
実は今回の戦い後のグワラニーによる論功行賞的配慮が一番大きかったのは彼だったのだが、これは当然といえば、当然である。
海上封鎖によって食料輸入国であるブリターニャの首を絞め、さらに最終的には他の大海賊を誘い、ブリターニャ海軍殲滅戦をおこなった。
そして、その中でも功として大きかったのは避難する魔族の国の者たちの受け入れである。
もし、これがなければ、アリストからの攻撃を受けやすいクアムートの住民たちを自国内に分散退避させなければならず、その護衛のために相当な数の兵が割かれた。
そうなれば、サイレンセスト包囲がうまくいったかは微妙であり、数段階にわたる偵察システムも組むことができなかったことだろう。
つまり、バレデラスこそ陰の功労者というわけである。
さらにいえば、バレデラス・ワイバーンはグワラニーと同じ、異世界からこの世界にやってきた者。
それだけではなく、多くの証拠から異世界とこの世界を行き来していることも確実となっている。
当然、そのカラクリが知りたいグワラニーとしてはバレデラスの機嫌を損なうわけにはいかない。
少なくても、そのカラクリを知るまでは。
大海賊ワイバーンに対し、グワラニーがやや過剰といえる特典を与えたのは、そのような事情も加わっていたのは間違いないところだろう。
だが、同じ大海賊でも少々の苦みを持ってその情報を聞いた者もいる。
「慈悲なき大海賊コパン」の長アレクシス・コパンと、「麗しき大海賊ユラ」の長ジェセリア・ユラである。
ともにアリストと関りを持っていた。
それだけではなく、アレクシス・コパンはアルフレッド・ブリターニャの子孫、つまり、同じブリターニャ王族の血を引く者、ジェセリア・ユラはアリストに対して一方的ではあるものの、恋愛感情を持っていた。
その日の夜。
コパンの御座船「ラーウィック」に酒を持ってやってきたユラを珍しくコパンは文句ひとつ言わずに出迎える。
「……あなたの遠い親戚となるアリスト・ブリターニャが死んだようですね」
「ああ」
「残念なことです」
「全くだ。あの男は私が見るに良き王になれる素質は十分にあった。そして、おまえもブリターニャ王妃になり損ねたな」
ユラは少しだけ笑う。
「わかっていたのですか?」
「もちろんだ。あれだけ露骨な表情をすれば誰でもわかるというものだ。もっとも、私自身はそれはそれでよかったと思うぞ。王妃は見た目ほど楽ではないがおまえなら十分に王妃の職務が務まっただろうから」
短い沈黙後、ユラが口を開く。
「……やはり、『アルフレッド・ブリターニャの呪い』なのでしょうか?」
「いつもはそれを否定するのだが、今日ばかりはそう思いたくなるな。本当に残念だ」
そこまで話したところで再び沈黙がその場を支配する。
やがて、コパンが酒の入った器を掲げる。
「手向けの酒を。史上最高の王になるはずだったアリスト・ブリターニャに」
もちろんユラもそれに応じる。
「手向けの酒を。私の結婚相手になるはずだったアリスト・ブリターニャに」
そして、フランベーニュ。
必要だったとはいえ、アルサンス・ベルナードがあれだけの煽り文句をアリストに投げつけたのだ。
勇者が勝利した暁には相応の報復は免れなかったことだろう。
むろんそれは当事者たちも十分に承知していた。
魔族軍の勝利とアリストの死を知ったときに、ベルナード本人は苦笑いしながら、魔族の軍の勝利を祝うように杯を掲げ、半ば押しつけられて王位に就いたフランベーニュの新王アーネスト・ロシュフォールも「こんな気持ちで結果を待つくらいなら自分が戦ったほうがまだマシだ」という言葉を口にして胸を撫でおろしていた。
だが、ロシュフォールも元は生粋の軍人。
本来持つ軍人の本質で言えば、圧倒的な力を持つ勇者とグワラニー軍が正面からぶつかればどうなるかという気持ちは抑えられなかったのも事実である。
まもなく勇者と魔族軍の最終決戦が始まるというところで開かれた今後のフランベーニュの対応について協議する会合。
本来、国の行く末を協議する場にもかかわらず、始まってまもなく話題がその戦いそのものへと移っていったのはその表れといえるだろう。
「……そもそも今回の戦いはどちらが有利なのでしょうか?」
その会議に発火装置付きの最高級の薪を投じたのは、実はアリストの抹殺リスト上位に名前が記されていたミュランジ城城主クロヴィス・リブルヌ。
むろん、それはその場にいる者全員の関心事項であり、話は一瞬でそちらへ傾き進んでいく。
そこでまず発言したのはベルナード。
「一応言っておけば、私がアリスト王子に送った挑発文は、あの小僧が勝つ前提というわけではない」
「簡単にいえば、アリスト王子の刃を魔族側に向けるために、戦いの最中には攻めないと約束しただけだ」
「つまり、実際に勝つのはアリスト王子だと?」
「……残念だが魔術師の数が一枚足りない」
ロシュフォールの問いにベルナードはそう呟く。
「我々もブリターニャとの戦いで十分にわかっただろう。勝利のカギは相手より優秀な魔術師の存在であり。同等の力であった場合にはその数が勝利に深く関わってくることを」
「魔族はひとり、勇者はふたり。そうなれば厳しいのは魔族。もっとも、小僧本人が最高位の魔術師三人と同等の力を持っているのであれば話は変わるのだが」
一同が頷く中、口を開いたのは宰相の地位にあるオートリーブ・エゲヴィーブだった。
「まず、前提であるグワラニー氏が魔術師かどうかだが、おそらく違うだろう」
「そうなると、ベルナード将軍の言うとおり、アリスト王子が圧倒的有利。そう思えるのだが、実はそうでもない」
「いや。ハッキリ言えば勝つのはグワラニー氏だろう」
「どういうことですか?つまり、グワラニーは数の不利を埋め、勝てる秘策を用意しているということですか?」
驚いたリブルヌの問いにエゲヴィーブは薄く笑ってこう応じる。
「そう難しいことはない。というより、我々自身それを体験しているだろう」
「おそらくあれはグワラニー氏による我々を使った実験だったのだろう。その結果で確信を深めたグワラニー氏はその手を使って勇者を仕留めるつもりだろう」
「いったい何を言っているのか私にはわからない。宰相。もう少しわかりやすく説明してくれ」
ロシュフォールからの言葉にエゲヴィーブは小さく頷く。
「それこそブリターニャに我々が圧勝した要因。そして、あれこそがグワラニー氏が対勇者用に用意している必殺の策だ」
「そして、その核になるものは……」
その言葉とともに全員が前のめりになる。
その様子を十分に楽しんだところでエゲヴィーブはゆっくりと口を開く。
「二度にわたるブリターニャ軍との戦いで我々が圧勝できたのは、最初の攻撃で敵の魔術師を狩ったからだ」
「だが、相手の魔術師だって馬鹿ではない。当然防御魔法を展開している。いや……」
「通常は双方が全力で防御魔法を展開し、魔術師はその中から攻撃魔法を放つ。そうなれば、自身の防御魔法で攻撃魔法は大幅に減衰する。だから、攻撃は届かない。その状態で攻撃が可能なのは、この世界で三人」
「当然私もその状態で攻撃をおこなえば、ブリターニャ軍の防御魔法を突破することはできなかった。たとえ、相手の魔術師より数段上であっても」
「だが、自身が防御魔法を纏わなければどうなるか?」
「言うまでもない。自身の力が相手を上回りさえすれば相手の防御魔法を突破し攻撃できる。すなわち、敵魔術師を狩り取ることができるわけだ。ただし、逆に攻撃されればひとたまりもないのだが」
「つまり、魔力を消し相手に察知されずに隠れたうえで、相手を全力で攻撃する。こうであれば、敵を殲滅できる」
「グワラニー氏はその策を我々に伝授し、それによって我々は勝利したわけなのだが、それとともに、グワラニー氏は試したわけだ。実際にこの策が実戦で通用するかを」
「そして、おそらく我々の勝利で使えると確信したグワラニー氏はその策で勇者に挑む」
「私の見立てではグワラニー氏の隣にいる少女はこの世界最高の魔術師。もちろんアリスト王子やフィラリオ家の令嬢も含めても」
「成功すればアリスト王子は確実に仕留められるというわけだ」
エゲヴィーブはそこで一度言葉を切り、全員を見回す。
「ただし、今回ばかりはグワラニー氏の部隊も相当被害が出るはずだ」
「半数は失う。特に魔術師は相当やられるはずだ」
「勇者一行と戦うのだ。それくらいの損害は覚悟しなければならないし、場合によっては味方を勇者の餌として差し出す。それくらいの気持ちがなければならない」
「まあ、その程度のことはグワラニー氏もわかっているだろうし、彼の部下たちならその役を買って出るかもしれない」
そう。
エゲヴィーブは、あくまで正面からぶつかった場合を想定しており、クアムートでの最後の打ち合わせでまさにエゲヴィーブが口にした戦い方を示したグワラニーも戦いに臨んだ者のうち相当数が家族のもとには帰れないと踏んでいた。
特に魔術師はふたりの魔術師の居場所をあきらかにするための囮になるため、半数どころか魔術師長アンガス・コルペリーアを含むほぼ全員が消えることもあり得るとしていた。
そして、実際に両者はぶつかればその想定数と変わらぬ被害が出たことはほぼ間違いないと思われる。
だが、暫くしたところでブリターニャから入ってきた情報は、のちに賢者の称号を得るフランベーニュ宰相エゲヴィーブを驚愕させるものだった。
まさに想定外。
もっとも、勇者一行のひとりがアリストを殺害するなど想像できる者などいるはずがないのだが。




