フランベーニュ戦線離脱
グワラニーがデルフィン、バイア、アリシア、そしてコリチーバ率いる護衛隊とともに魔族の国の王都イペトスートにやってきたのはベルナードとの会談がおこなわれた翌日。
「……ちなみにおまえはどうしたらよいと思う?」
グワラニーから会談の概要を聞いた王はそう問うた。
「ベルナード将軍は軍の幹部でありますがフランベーニュ軍の前線指揮官。そうなれば、こちらの彼らと対峙している軍の司令官。またはその上官に当たる者がそれをおこなうべきかと」
そう。
王が尋ねたのは停戦の合否ではなく、それをおこなう者は誰がよいかということであり、間接的にグワラニーの辞退を促していた。
それを察したグワラニーはそれを肯定したものとなる。
「……わかった」
形式的ではあるが、グワラニーの提案に王は頷く。
そして、視線をその場にいるふたりの軍幹部のひとりへと動かす。
「ということで、コンシリア。この件はおまえに任せる。言うまでもないことであるが、我々には勇者との決戦が控えている。おまえに任せるのはおまえの配下のお調子者が撤退するフランベーニュ軍を追撃などしてベルナードの反撃を食らうなどという醜態が晒すことがないようにする意味も含まれている」
「承知しています」
「これでフランベーニュも完全に戦いから離脱する。いよいよブリターニャだけになったな」
「まあ、正確には勇者一行なのだが」
その二日後。
フランベーニュが魔族との戦いを終結させるという歴史的会談が両者の陣地の中間地点でおこなわれる。
その設置は魔族側がおこなった。
むろん魔族側は自陣にフランベーニュ側の者たちを呼びつける形にしたかったのだが、フランベーニュ側の要求によりこの場所になったというのがその経緯となる。
そして、もうひとつフランベーニュ側の要求により当初の予定より変更したことがある。
グワラニーの出席である。
本来この場に立ち会うつもりでなかったものの、強く請われては拒絶するわけにもいかず、急遽座を設けられ最強の護衛であるデルフィンとともに参加することになった。
これについてコンシリアは、「随分信用されているものだ」と皮肉を言ったものの、拒否することはなくなく、王も「これまでの努力の賜物」と評してそれを許した。
魔族側の出席者。
代表は軍副司令官アパリシード・コンシリア。
副代表はコンシリア派閥のひとりである南西方面軍司令官アレグレテ・カスカベル。
その他の出席者は南西方面軍魔術師長アンジェロ・クリシウマ、南西方面軍副司令官バウル・ロンドリア、アララカ・プリリュランテ。
書記として軍に同行している文官であるドラウドス・ジャルディン、ボニート・ボヌーラ。
さらに交渉がフランベーニュ語でおこなわれるため、通訳としてグワラニー配下の軍官でフランベーニュ語が堪能なアドリアーノ・カベセイラとブニファシオ・イタビランカが加わる。
そして、アルディーシャ・グワラニー、デルフィン・コルペリーア。
続いて、フランベーニュ側の出席者。
代表はアルサンス・ベルナード。
副代表は新フランベーニュ王国の宰相オートリーブ・エゲヴィーブ。
その他の出席者はミュランジ城城主クロヴィス・リブルヌ、西方軍副司令官ウジェーヌ・グミエール、西方軍魔術師長アラン・シャンバニュール。
そして、ベルナードの副官バスチアン・リューとリブルヌの副官エルヴェ・レスパール。
「私はフランベーニュ王国軍の将軍アルサンス・ベルナード」
「私は軍副司令官アパリシード・コンシリア。フランベーニュ軍最高の指揮官である将軍とこのような形で顔を合わせられるのは最高の喜び」
自身の自己紹介に続いてやってきたコンシリアの皮肉にベルナードは表情を変える。
だが、現実はコンシリアの言葉が正しいことを示している。
ベルナードは出かかった言葉を飲み込むと、すぐさま本題に入る。
「こちらは先日グワラニー将軍に示した条件で停戦をすることを要望する」
「これに対する返答を聞きたい」
本来であれば、さらに追い打ちとなる言葉を口にするのだが、王の言葉がそれを抑え込む。
「なるほど」
コンシリアとは思えぬほどの穏やかな表情でそれに応える。
「では、フランベーニュの要求に対する我が国の王の言葉を伝える」
「すべて承知した」
「フランベーニュ軍からの攻撃がないかぎり撤退中のフランベーニュ軍の背を撃つような行為はおこなわないことを誓う」
こうして停戦が決まる。
あっさりと。
ささやかな交渉さえもないことに、ベルナードは拍子抜けしたものの、これで目的は果たした。
席を立ちかけたベルナードにコンシリアが声をかける。
「簡素なものだが合意文書を用意した。署名を」
この取り決めは非公式なものということもあり、さらに言えばグワラニー以外の魔族がそのようなものを用意しているとは思わなかったベルナードは少しだけ驚き、席に座り直すと、示された文書を眺める。
「魔族軍とフランベーニュ王国軍はすべての戦線で戦闘を停止させる」
「停戦が確認された後、フランベーニュ軍は撤退を開始し、エクラン山地の南まで移動する」
「自軍が攻撃されないかぎり魔族軍は後退するフランベーニュ軍を攻撃しないことを特に明記する」
「停戦の期限は設けないが、停戦を破棄する場合は、然るべく方法で相手に伝えなければならない」
短いがその分誤解は生じない文章。
そして……。
「……魔族」
魔族は絶対に使わないというその言葉はその書面に記されていることにベルナードは苦笑すると、それに気づいたコンシリアが口を開く。
「すでに多くの場所で人間と交渉していたグワラニーのぼやきがやっとわかった。たしかに相応の国名は必要だな」
「まあ、実際にはこのような場合のための国名はあるのだが、恥ずかしくて陛下さえも口にしないのが本当のところなのだ。こんな日が来るとわかっていれば別の名を考えておくべきだった」
「とりあえず、私の署名はしてあるので問題がなければ署名をして一通をもらおうか」
ベルナードは読み終わった協定書をエゲヴィーブに渡す。
そして、全員が目を通したところでペンを握る。
「これを……」
これで正式に停戦が締結した。
「ベルナード将軍」
今度こそ手続きが終わったと立ち上がったベルナードをコンシリアが呼び止める。
「余計なことかもしれないが……」
「これまでの戦闘で負傷者も多数いるだろう。必要があれば手当をする。王都に戻っても手当するのは難しいだろうから遠慮せずに言ってくれ。それを食料と少々だが酒もある。必要なだけ持って行ってくれ」
「感謝する。食料も酒もありがたく受け取る」
「魔族の施しなど受けない」とベルナードが口にする前にその言葉で制したのはエゲヴィーブだった。
「ちなみどのような酒かな」
受け取りの有無を一瞬で終了させ、すぐさま話題を変える手際の良さにベルナードも含めてフランベーニュ側の参加者全員が苦笑する。
「アリターナとフランベーニュの葡萄酒だったな」
「素晴らしい。王都が丸焼けになったおかげで酒が手に入らず難儀していた。だが、気前がいいな」
「まあ、こちらは事実上勝利したのだ。それくらいのことはさせてもらう」
「なるほど。さすがグワラニー氏の上官のことだけあって心が広い」
「グワラニーの上官?」
そこまで機嫌よく話をしていたコンシリアの口が止まる。
「……まあ、形の上では上官ではあるな。確かに」
「だが、それももうすぐ終わる」
「どういうことかな」
「その時になればわかる」
余計なことを喋ったという表情をしたコンシリアは慌てて話をそこで打ち切ると、エゲヴィーブもそれ以上触れることなくその話はそこで途切れる。
一瞬後、コンシリアが再び口を開く。
「さて、会談はこれまでだ」
「昨日までの敵に対して微妙な言い方ではあるが、生きて家族に会えることを喜べ。そして、これから先、平和に暮らせることを祈っている」
この会談はむろん歴史的に非常に重要な事柄である。
なにしろ対魔族協定の推進役のひとつであるフランベーニュが自らの意志でその舞台から降りたのだから。
さらにその提案をしたのが前線の指揮官で戦いを優勢に進めていたベルナードとなればその彩は深みを増す。
「結局のところ、ベルナードは後方に足を引っ張られ、撤退を余儀なくされた」
フランベーニュの軍事研究家エリック・シュルアンドルはこの出来事をそう纏めた。
「本来前線での戦いに専念するはずだったベルナードが、不安的な補給路を強化に乗り出し、それなりの安定化に成功した。だが、肝心の補給物資が枯渇した。こうなってしまえば、どれだけベルナードが有能であっても如何ともし難い。停戦申し込みという名目の事実上の降伏も止むを得ないところだった」
「救いだったのは魔族軍がこれから強大な敵と戦うことが決定していたことだろう。そうでなければ、たとえその時点で優勢であっても、ベルナードの首や多額の賠償金を要求されたのは確実で、それどころか魔族軍はフランベーニュが自壊するのを待ち、徹底的な追撃をおこなうことも可能だった。そうなればフランベーニュ軍全滅という新たな惨劇も考えられたのだから」
「戦争は補給なしでは勝てない。それがどれほど優秀な指揮官に率いられた強軍であっても。現代の軍事に関わる多くの書でその例としてこのときのフランベーニュ軍を取り上げる。ベルナードと同じフランベーニュ人として残念なことではあるのだが、それは正しいと言わざるを得ない」
百人近くの動くこともままならずこのまま死を待つはずだった者を含む五桁に届く行軍することが厳しいと思われた負傷者全員が完全体になるのに要したのは八日間。
これはグワラニーが呼び寄せた治癒担当の魔術師団の成果となる。
むろん難易度の高い者はすべてデルフィンの手によるものであるのだが。
さらにフランベーニュ軍の食料事情が切迫から危険と言える状態まで悪化していたことを考えれば、ベルナードの言葉を遮ったエゲヴィーブのひとことはフランベーニュ軍を救ったと言っていいだろう。
「今更だが魔族の食料など食えるかと言わないでよかった」
「まったくだ。そういう点では宰相には助けられたといえるだろう。そうでなければ我々は転移魔法で移動しながらフランベーニュ領内で略奪をしなければならなかったのだから。そんなことをしたら軍の面目丸つぶれだ」
「ああ。だが、本当に食料がまったく届かなくなるとは思わなかった」
「王都だって前線に送りたい気持ちはあるだろう。だが、なければどうしようもない。そう考えると、ここで戦いをやめておかなかったらとんでもないことになっていた」
コンシリアから提供されたパンや肉を齧りながらベルナードはシャンバニュールとぼやきあいに興じる。
「そういえば、久しぶりに子供の夢を見た」
「私なんか停戦が決まってからというもの毎日孫を抱く夢を見ているぞ」
「やっと帰れるのだな」
「楽しみだ」
そこでふたりは笑う。
「ところでコンシリア将軍から貰った酒があるが飲むか?」
「当然だ。ちなみに……」
「フランベーニュ産。しかも高級酒」
「全然回ってこないと思っていたら、魔族に売っていたのか。まったくろくな奴らではないな。葡萄酒業者というのは」
「まったくだ。だが、こうして飲めるのだ。今日のところは勘弁しておくとしようか」
それから数日後、魔族軍陣地に出向き、アレグレテ・カスカベルに対して、治療、そして、食料提供の礼を述べたベルナードの号令のもとこれまでとは逆方向への行軍が始まる。
ただし、街道を進む以上、全軍が一斉にというわけにはいかず、シャルル・フォンティーヌ率いる第一陣から始まり、アンドワン・リシュールが率いる第四陣が出発するまでに五日、ベルナードが率いる最後の集団がその地を離れるまでさらに四日が必要だった。
彼らが目指すのは王都まで水路が活用できるミュランジ城。
むろんその間の町で商売を営むフランベーニュの商人にも停戦と撤退を伝え同行させるわけなのだが、大部分が突然のことで準備ができず、またいかにも商人らしく、最後の最後まで商売を続ける者も多く、結局その多くはベルナードが率いる最終集団に同行することになる。
この撤退は様々な話題を提供することになるわけなのだが、末端の兵士だけではなく最後尾で進むベルナードや少し前を進むグミエールもこの行軍が楽しい記憶として印象に刻まれたらしく、帰宅後家族にその間に起きたことについて語られ、公式記録とは別の物語として後世にも伝わっていくことになる。
そして、前線で撤退が開始されて三日後、王都で魔族軍と完全停戦と前線から軍を引き上げることが発表される。
むろんこれは驚きを持って迎えられるものの、フランベーニュ人が「この世界で一番美しい王都」と自慢していたアヴィニアが黒焦げた瓦礫の山になっては戦争どころではなく魔族との停戦と軍の引き上げも是と言わざるを得ず、反対の声は意外にも小さかった。
そして、各地の掲示板に張り出されたその布告文はこのようなものとなる。
「フランベーニュ王国は魔族と全戦線において停戦することで協定を結んだ」
「また、これに伴い、フランベーニュ王国軍はエクラン山地の南に移動し、エクラン山地がフランベーニュ王国と魔族を隔てる新しい境界となる」
「この停戦は臨時的かつ短期的なものであり、その後についてはあらためて協議することになっている」
文官らしく微妙な言葉で不都合な事実を覆い隠す取り繕いは感じるものの、オブラートのかけすぎは肝心な部分の意味を取り違える可能性もあることから、ギリギリの線で停戦と撤退を伝えるものになったなかなかの労作というのが文官たちを仕切るエゲヴィーブの評となるこの布告はむろん各国にも伝わる。
フランベーニュ王室のフランベーニュ脱出とアリターナの受け入れに深く関わり、国として相応の報酬を得ていたチェルトーザは公表されていない王とダニエルの文書も読んでいたのでフランベーニュが魔族と停戦し、占領地から撤退するという発表に対して特別驚くことも慌てることもなく、それを静観した。
だが、他の国も同じかといえば、さすがにそうはならなかった。
まず驚き、そこから次の一手へと動き出す。
アストラハーニェの新王アレクセイ・カラシニコフはその報に苦笑いし、こう呟いた。
「これはなかなか興味深い。いや。随分と皮肉な結果といえる」
「我が国の王朝が倒れた時に、フランベーニュはその波が自国に及ばぬように破壊工作をおこなおうとしたわけなのだが、結局あれが起点になって王朝が倒れた」
「しかも、その後に現れたのは王家との関りのない軍人。どこかで聞いたことがある話だ。親しみを感じるくらいに」
「まあ、王位に就いたのは私の方が少々先。先達として手助けできることがあったら何かしてやろう。そして、グワラニーが消えた後は覇王を擁したブリターニャと対峙しなければならないのだから、今のうちにフランベーニュの新王とは良好な関係を構築しておかねばならない。ということで、まずは……」
「祝いの言葉を」
アグリニオン国の都セリフォスカストリツァ。
別の世界での都とは王が住む場所という意味があるわけなので、そういう意味では王制を敷いていないアグリニオン国の首都を表すのに都を使用するのは必ずしも正しくないのだが、この世界ではあくまで都は首都という意味があるため、その意味では間違っていないと言っておこう。
この商人国家の中枢を司る組織が集まる通称ウーノラスの女主人アドニア・カラブリタも少なからず驚いた側に身を置いていた。
むろんグワラニーの要請によりフィーネの実家でフランベーニュの大貴族フィラリオ家をそっくり保護した時点でフランベーニュの終わりは近いと思ったのは確かで、実際にフランベーニュ中で略奪と暴動が起こり、王都が炎上したときはその予想が当たったと思った。
そして、フランベーニュ王と王太子がそれぞれ国を逃げ出したらしいという情報を掴んだときも当然だろうと思ったものだ。
だが、しばらくは「無政府状態」の混沌がフランベーニュを覆うと思ったアドニアの予想は大きく外れ、フランベーニュ王家とはかかわりのないアーネスト・ロシュフォールが王位に就き、しかも、ベルナードをはじめとした軍部はすべてそれに賛意を示したのは驚き以外のなにものでもなかった。
「……たしかに『新フランベーニュの英雄』であれば、国を纏めることは可能かもしれませんが、ここまで来ると軍部はかなり早い段階からロシュフォール王朝の準備をしていたことになります」
「権力闘争に明け暮れるフランベーニュ王家に見切りをつけたともいえますが、あのアルサンス・ベルナードまでがそこに加わっているとは……」
アドニアは呻くように言葉を漏らしたのだが、彼女が驚きはさらに続く。
ロシュフォール新王朝はアリターナに対して自国の東部を割譲したのだ。
形はどうであれ、ロシュフォール王朝は間違いなく軍事政権。
その軍事政権が格下と見て嘲笑の対象であったアリターナに領土を奪われるなどあり得ぬこと。
国民の不満が爆発、それ以上に納得がいかない軍部も不支持に転じ、ロイヤル・ブラッドではないロシュフォール王朝は短命に終わる。
だが、その危機もあっさりと乗り切ったところで発表された魔族との停戦と占領地からの撤退。
「……魔族との撤退はともかく、占領地の撤退まで」
「そこまでやらないと国としてやっていけないということなのでしょうが、驚きです。ですが、これで流れは決まりました」
「ここからはフランベーニュでの権益拡大を励むことになるわけですが、とりあえずグワラニー氏にお伺いを立てておきましょうか」
「ここまでその名は表に出て来てはいませんが、これだけの仕掛けにあの男が関わっていないなどありえないことなのですから」
そして、アリスト・ブリターニャ。
ダニエル・フランベーニュが王位継承権を捨てて国外逃亡したことも十分な驚きであったのだが、フランベーニュ軍の撤退はそれ以上の驚きであった。
「アヴィニアが瓦礫の山になったことを知り、さすがのベルナードも戦喪失したということなのでしょうか」
「それとも前線に送る小麦がなくなったのではないでしょうか。そうであればかの将軍だって諦めるでしょう」
「その可能性は十分にあり得ますが、そうであれば魔族が追撃しないのは解せませんね。グワラニーではあるいまし、退却する敵は追わないなどと気取ったことはしないと思っていました」
フィーネの皮肉にそう答えながらアリストは深刻な表情を浮かべる。
「これから大敵と戦うから余計な損害を出したくないということではないのですか?」
「まあ、それならいいのですが、情報が入って来ない以上、別の可能性も考えておかないしょう」
「別の可能性?なんですか?それは」
「ベルナードの軍は撤退ではなく、転進したのではないかということです」
「転進?撤退と転進は違うのですか?」
「当然でしょう」
フィーネの問いにアリストは当然のようにそう答えたのだが、別の世界に存在する某国ではどれだけの大敗も勝利となり撤退も転進と称していた。
その某国出身のフィーネが両者は同じと考えるのはごく自然の流れなのだが、アリストにはそれが理解できないのもこれまた当然といえるだろう。
ネタバレ的裏話はここまでにして本題に戻ろう。
アリストの言葉はさらに続く。
「停戦に際し魔族とフランベーニュが共闘の秘密協定を結んだ。そのためベルナード軍は後退しても魔族軍は追撃しない。そして、後退したフランベーニュ軍は王都アヴィニアを経由してさらに西方に移動し、南部からブリターニャ領に侵攻する。先日までのお返しをまとめておこなうために」
「むろんブリターニャも国境付近に軍を展開させています。ですが、ベルナード軍は最強部隊。そもそも数が違い過ぎる。王都に到着するのもそう難しくない。いや、彼の軍であるならばサイレンセストを炎上させることだって可能でしょう」
「なおさら動けなくなりました」
「では、手っ取り早くこちらが出向き蠢動を始めぬうちにベルナード軍を消し去ればいいのかといえば、それも難しい」
「もちろん物理的には難しくはありません。ですが、それをやってしまうと少なくてもふたつ、不都合な事態になります。むろんひとつはフランベーニュ国民のブリターニャの感情です。現在でも最悪なところに、国内を移動中のベルナード軍を全滅させたとなれば最悪の中の最悪となります。それこそ魔族を滅ぼした後、彼らを黙らせるために恐怖政治をおこない、完全に力で押さえつけなければならないくらいの強烈なものがやってくるでしょう」
「勇者の欠片もないおこないですね。それは」
「そのとおり」
「言ってしまえば、それをやってしまえば魔族の地位にブリターニャが就いただけとも言えます。そうなれば、今度は対ブリターニャの抵抗運動が起きます」
「その弾圧に勇者が出かける?馬鹿々々しいことです」
「まったくです。もちろん頂点に立てば類似の事態になることは避けられないのですが、その可能性と濃度はできるだけ下げたいものです」
「それで、もうひとつは?」
「むろんグワラニーです」
「あの男とはすでに戦闘状態にあるわけですが、それでもあの男との約束をすべて破棄していいのかといえばそうではないです。しかも、あの男は私との約束を破った兆候がない。それなのに私がそれを破るなどという恥ずかしい行為は遠慮したい」
「さらにいえば、ここでフランベーニュに踏み入り、ベルナード軍を消し去れば、グワラニーもどこで力を開放しても文句は言えなくなります」
「そして、あの男は間違いなく私の意図を察している。そうなればその時点で兵士ではないブリターニャ人も攻撃の対象になりかねない」
「大海賊もグワラニーの側にあると思えば、彼らを道案内に突然海からやってくるなどということも考えられます」
「そして、王都に一撃。我々がイペトスートに対して攻撃をおこなう前にサイレンセストが瓦礫の山になるなど悪夢以外のなにものでもないです」
「つまり、そうならぬように最後の最後まであの男は枷で縛りつけておかねばならないのです。あの男は魔族。こちらが約束を破らなければ律儀にそれを守る。それを利用して」
「そうなるとあの男の居場所は正確に掴む必要がありそうです。やはり」
「ですが、そんなことを言っていたらいつまでも出発できないのではないのですか?」
疑わしそう表情でその言葉を口にしたフィーネにアリストはこう答える。
「仕方ありません。互いの滅びを賭けた戦い。そして、十分な準備をし、油断をしなければこちらが勝てる戦い。逆にいえば、グワラニーはこちらが予想していない戦い方をしなければ勝ち目はない。むろんグワラニーが護衛の少女以上の魔術師であった場合には若干変わりますが。当然グワラニーもそれはわかっている。おそらく姿を現さないのはその一環」
「焦れて準備不足のままで動き始めるのを待っているのでしょう」
「となれば、こちらはそれに乗せられずじっくりと構えるべき。そういうことで、とりあえずここはベルナード軍の動向を注視しましょう。私の予想が外れ、王都で解散式がおこなわれるように祈りながら」
「そういうことなら、好きなだけどうぞお祈りください」
フィーネはそう言うと話を打ち切り立ち上がった。
だが、アリストの日頃のおこないが悪かったのか、その信心深さが足りなかったのかはわからないが、アリストが懸念していたベルナード軍の転進はこの後すぐに現実のものとなる。
だが、これはある意味当然のことと言えるだろう。
魔族との停戦が実現する。
本来であれば、相手が魔族となれば信用できず国境沿いに大軍を配備しなければいけないところであるが、これまでの経験から停戦協定を破って魔族が攻めてくることは考えにくい。
ブリターニャとの決戦を控えているとなれば尚更だ。
そうであれば、フランベーニュにとって唯一の敵はブリターニャ。
前回ブリターニャの侵攻を許したのはブリターニャとの国境に配備していたのが二線級だったことが一因であるのはあきらか。
そうなればその対策を兼ねてベルナード軍を西方に再配備しようと考えるのはそれなりの見識があれば誰でも思いつく。
それどころか、ブリターニャ国境に対したそのままに自軍最強の部隊を解体する方が非常識というものであろう。
「全軍を王都西方に一旦布陣させた後に、ある程度の戦力を維持したまま順次兵たちに休暇を与える。その後西方に進軍し、ブリターニャとの国境に展開する」
これが王都からの命令に基づきベルナードによる前線から後退する直前に発した命令となる。
王都アヴィニアに忍び込ませた間者からベルナード軍が新王に拝謁後解散されず、そのまま西方に進むらしいという情報を掴んだアリストは「やはり」という言葉を呟いた後に考え込む。
ブリターニャの侵攻に備えているだけなら放置していても構わない。
だが、そうではなく、ブリターニャ領へ侵攻する意図があるのなら叩かねばならない。
いや。
可能性があるのなら叩くべき。
そのための策はないか。
そう。
この頃になると、アリストの思考は先鋭化していた。
これは間違いなく自身の思い通りに進まない事態への苛立ちと焦りが原因。
彼にとって不幸だったのは助言し、その思考を止める役割を担う者がいなかったこと。
もっとも、それはこれまでもそうだったのだが、ここまでアリストの思考を変化させたのは自身がおこなおうとしている魔族根絶やしへの罪悪感とそれでもそれをおこなわなければならないという義務感だったのだろう。
「ふり返って考えれば、この時点でアリストの精神はすでに半分壊れていたように思う」
フィーネは後にこのような感想を述べている。
「ただし、あの性格であるため、本気で壊れているのか、単にそう演じているのか判別するのは私には難しかった」
「おそらくそれが出来たのは、アルディーシャ・グワラニーと実の妹のホリー・ブリターニャ。それにアリシア・タルファぐらい」
「残念ながら、その三人はすべて敵側。つまり、指摘できる者はいなかった」
「そして、誰も止められぬアリストの暴走はブリターニャの没落を加速させた」