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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十八章 滅びの道を選択する者たち
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突然の訪問者

 様々な噂が流れる中、王宮内ではアリストの勇者として旅立つ準備が進められているブリターニャの王都サイレンセスト。

 その一室。


「むろんグワラニーは悪党であることは疑いの余地などないのだが、それは自身と魔族の生き残りを賭けた戦い。私だって同じ立場なら同様のことをおこなうから許容範囲ではある。だが……」


「フランベーニュ王国の王太子兼宰相、ダニエル・フランベーニュ」


「あの男だけは許せない」


「大国を率いる身でありながら、我が身可愛さに人間としての尊厳を捨て、さらに国まで売るあの男を野放しにしたまま、生死を賭けたグワラニーとの決戦に臨むわけにはいかない」


 ひとりになったアリストはそう呟く。


 そう。

 アリストは信じ切っていた。


 自分とブリターニャを貶める数々の噂。

 それを用意したのはグワラニー。

 だが、あれだけの巧妙に噂を流すためにはそれ相応の協力者が必要。

 そして、その協力者が最初にその噂が流れたフランベーニュを統治するダニエルであると。


「奴はそうやって安全な場所から私とグワラニーの戦いを眺め、勝った方に媚びを売るつもりなのだ」


「グワラニーが勝てばこれまで以上に媚びを売り、私が勝ったらグワラニーが噂を流す条件に約束した数多くの特権などなかったことにして私に近づいてくる」


「それで、ブリターニャが弱っていたら背中から襲う算段。すでに勝者になったつもりでいるのだろうが甘い」


「まず滅びる者」


「それはダニエル・フランベーニュ。おまえだ」


 翌日。

 アリストは父王と会う。

 そして、魔族との決戦の前にフランベーニュ叩くべきという自身の考えを伝える。

 父王はその言葉に表情を曇らせる。


「……おまえと我が国をここまで貶めた魔族に手を貸したフランベーニュを叩きたい気持ちはわかる」


「だが、我が国にはフランベーニュに侵攻するだけの余裕はない」


「そうかと言っておまえがフランベーニュに出向きダニエル・フランベーニュの首を刎ねたら、魔族が流した噂通りになるではないか」


 正論である。

 過剰に熱を帯びたアリストを宥めるように父王はそう言うと、アリストは薄く笑う。


「……我が国のフランベーニュに兵を出すことができないことも、私が出向けばグワラニーの根拠のない言葉を実証することになるのも事実。私もそれは承知しています」


「私の策は、こちらは手を汚さず、フランベーニュ人たちだけで宴を開催してもらい、最終的には国の崩壊をおこなわせるというものです」


「……ほう」


 父王は目を細める。


「聞こうか。その策を」


 その言葉にアリストは頷く。

 そして、少しだけ苦笑の色を濃くする。


「実際のところ、ここまで盛大に噂を流され、多くの国ではそれが真実と思われてはどれだけ否定しても流れは変わることはありますまい」


「であれば、こちらもその流れを利用するまで」


「邪王アルフレッド・ブリターニャの再来、アリスト・ブリターニャはこのような宣言をおこなう」


「魔族との戦い後、フランベーニュの三分二はブリターニャ領になる。これは彼の忠実な臣であるダニエル・フランベーニュからの申し出でありブリターニャはありがたく受け取る。その代わりにブリターニャの次王アリスト・ブリターニャはダニエル・フランベーニュがフランベーニュ王国の王になり、引き続きフランベーニュを支配することを承認する」


「そもそもフランベーニュ人はブリターニャ嫌いが揃っています。そこに最近のブリターニャの理不尽な侵略。その思いは強まっていることでしょう。ダニエル・フランベーニュ自身についても多くの失態を重ねて信用が大きく揺らいでいます」


「さらに、先日の奇怪な噂。多くの国民はダニエル・フランベーニュを疑っています。そのような状況でその噂の相手である私がそれを認めたとなれば、ダニエル本人がどれだけ否定しても誰も信じない」


「一気に反王家の動きが進むことでしょう」


「何がどれだけ残るのかまではわかりませんが、少なくてもダニエル・フランベーニュが現在の地位に留まっていることはほぼ不可能でしょう。というより、彼が生きていることも難しい」


「そうなれば、フランベーニュは分裂し、魔族との戦いに勝利した我が国に対抗する力など残らない」


「悪くはない。だが……」


「そこまでやってしまうと。本当にアルフレッド・ブリターニャの後継者として名を残すことになるぞ」

「覚悟はできています。それにそれくらいの代償を支払わなければグワラニーがいる今の魔族には勝つことはできません」

「わかった」


 父王はアリストの短い言葉で応じる。


「だが、おまえはアルフレッド・ブリターニャの後継者ではないし、そもそもアルフレッド・ブリターニャは世間が知っている者とはまったく違うことは忘れるな」


「そういうことで先ほどの宣言だが、内容はともかく文言はもう少し穏やかなものにしろ。そして、発表の前に私の許可を取れ」


 アリスト、グワラニー、双方が避けられない激突に対する準備を進めているある夜。


「……グワラニー様。交易所からお客様が来ていると連絡がありましたが、いかがいたしましょうか」


 軍幹部であり、クアムート周辺の統治者でもあるグワラニーの屋敷には警備を兼ねて必ず五人の兵が待機している。

 ノックとともにグワラニーの寝室の外から声をかけたのは、その日の当番のひとりであるエントレ・エルナンデスだった。

 むろん、就寝中ではあったものの、その声ですぐに目を覚ましたグワラニーは着替えながら、問う。


「アリスト王子はどのような目的かを告げましたか?」

「いいえ」


「今日は女性がひとり。アリスト王子も護衛の剣士もいないそうです」

「ひとり?」

「はい」


「わかりました。では、副魔術師長と……」


「いいえ。副魔術師だけにすぐに来るように伝えてください。それから、副隊長が到着次第出掛けますから護衛隊長にはそのように連絡を」


 七十ドゥア後、別の世界での二時間より少しだけ短い時間が過ぎたところでグワラニーはデルフィンと、一目で特別なものとわかる着飾った服を着たコリチーバたちだけを伴って現れる。


「……待ちくたびれました。帰ろうかと思いましたよ。グワラニー」


 銀髪の女性はそう言って口を尖らせるものの、その目は言葉と裏腹に笑っている。

 すべてを察した男はその言葉を軽く受け流すとこう言葉を返す。


「……それでも帰らなかった。つまり、それだけ重要な要件ということですか」


 その声はいつもどおり。

 相手に自身の意図が伝わった女性は薄く笑う。


「言い返せないのが残念です」


「ちなみに、残りの方はどうしましたか?」

「もちろん置いてきました」


「そうでなければ話ができませんから。ですが、そちらだって同じでしょう。同行するのがお嬢だけというのはそういうことでしょう。それよりも……」


「あまり時間がありません。すぐに本題に入りましょうか」


 フィーネはそう言って視線を壁際に並ぶ者たちへ向ける。

 

「……コリチーバ。外で待っていてくれ。三人だけで話をしたい」

「ですが……」

「大丈夫。何かあればすぐに呼ぶ」


 食い下がったものの、そこまで言われてはどうしようもない。

 コリチーバが部下たちとともその指示に従うと、グワラニーはもう一度口を開く。


「では、始めましょうか」


 フィーネはすでに自身の前に置かれたものと同じこの世界では貴重品であるガラス製の器をグワラニーとデルフィンの前に置くと、グワラニーには自分と同じ芳醇な香りがする透明な液体を注ぐ。

 一方、デルフィンのグラスに注がれたのは気泡が上がるオレンジ色の液体が入ったガラス製の容器。


 ……久しぶりに見た炭酸ジュース。

 ……起きたばかりということもあり、今日はこちらの気分だったな。


 少しだけ残念そうな表情でそれを眺めていたグワラニーのもとにフィーネの言葉がやってくる。


「……ちなみに私がひとりで来た理由はわかりますか?グワラニー」

「それは……」


 視線をジュースからフィーネに動かしたグワラニーがその言葉を前置きにすると、数瞬の間をおいて続きとなるものを口にする。


「ひとりで来たと見せかけてこれから残りがこの場所を襲撃し、私を亡き者にする」


「そうでなければ、こっそりと王都を逃げ出しこちらへの寝返りを決めた」


「大別すればこの二択でしょうか」


「それで、あなたはどちらがより可能性あると思っているのですか?」

「後者でしょう。希望的も、現実的にも」

「……なるほど」


「たしかにその二択であれば、より近いのは後者ですね。正解にはだいぶ離れていますが」


 そう言ってフィーネはケラケラと笑う。


「それで肝心の要件は?」

「まあ、わかっていると思いますが、アリストはあなたがた魔族を根絶やしにすることを決めました」


「つまり、あなたがたはアリストに勝つ。というより、アリストとその仲間を殺さないかぎり生き残れないことになりました」


「それを伝えにきたわけです」


「そして、もうひとつ。魔族を根絶やしにするというアリストの方針に糞尿三剣士は物凄い勢いで反対しました。今回はアリストが一旦その方針を撤回したので手打ちになりましたが、双方とも妥協はないでしょうからいずれ別れは来るでしょうね」


 これは重要情報である。

 むろん内容的には最初のものこそが重要なのだが、それはこちらも承知なこと。

 そう言う意味ではふたつ目のものは重要な新情報となる。


 勇者一行に修復不能な亀裂が入った。


 だが、残念ながらそれだけでは勇者を仕留めるというその一点でいえば、序列はそれほど高くない情報でもある。

 そして、グワラニーにとって知りたいことは……。


「……それでそうなった場合にあなたはどうするのですか?」


 そう。

 グワラニーとアリストの戦いにとってこれこそが重要なのである。

 なにしろ、グワラニーの見立てによれば、アリストが半歩有利なのは、フィーネがアリスト側にいること。

 これが自身の側にくれば、圧倒的有利になるのだから。


「まあ、当然そう聞いてきますね」


 フィーネは薄く笑う。

 もちろん、フィーネは正面から答えるつもりだ。

 そのためにここに来たのであり、そのためのセッティングなのだから。


 一瞬後、女性の声が部屋に流れる。


「私は、魔族がどうなろうが、ブリターニャがどうなろうが私にとってはどうでもいいことなのです。ですが、私の利益のためにあなたは生き残ってもらわねばならない」


「……会ったのでしょう。バレデラス・ワイバーンに」


 ……ここまで露骨に言われるとかえって疑ってしまう。


「あの状況を見れば、それなりの知識を持った者なら誰でも私とワイバーンが接触し、相当突っ込んだ話をしたと思うでしょうね」


「もちろん推測どおり。彼と会いました」

「それでどうでした?バレデラス・ワイバーンに会った感触は」


 自身の問いに肯定の言葉を口にしたグワラニーを見やりながらそう問うたこのフィーネの言葉にはふたつの意味がある。


 ひとつは直面する問題を共有する相手として。

 もうひとつは、元の世界へ戻るカギを握る者として。

 そして、フィーネが尋ねたかったのは言うまでもなく後者。


 もちろんグワラニーはそれを察する。


「多くの者が一緒ですのでなんとも」


「ですが、話をした感触だけでいえば、彼の交渉技術はたいしたことはない。ですから、その気になればもう少し深くまで知るのは難しくはない。これが私の感想です」


 表面的にも通じるが、事情を知る者が聞けば、別の意味に捉えることができるというグワラニーの絶妙な説明。


 むろんそのようなカモフラージュを施したのはその場にデルフィンがいるからなのだが、グワラニーはそれによってデルフィンを疎外しようとする意図はなく、自分たちが置かれた立場を説明しても彼女が理解するのは難しいと判断したからである。

 それはフィーネも同じでありコリチーバを追い出すように暗に要求した彼女がデルフィンを残したことに異議を申し立てなかったのは、単にグワラニーの最強の護衛というだけではなく、彼女の中でも身内という意識が芽生えていたからである。


「それについては理解しました。そういうことであれば、なおさら生き残ってもらわねばなりませんね。それで、できるのですか?」


 フィーネにそう振られたグワラニーは苦笑いで応じるしかない。


「そうなるためには今の戦力状況を改善しなければなりません」


「その協力は……」

「無理ですね」


「もし、イペトスート陥落前に迎撃部隊のひとつとして出てくれば容赦なく叩きます」


 即答である。

 だが、フィーネの言葉には微妙な可能性が残っていた。

 むろんそれはフィーネの意志であり、グワラニーも気づく。


「その後では?」


「条件次第ですね。ただし、アリストはあなたを殺す方針は変えない。たとえ隣に王女がいようとも」

「決心が固そうですね」

「あの様子では降伏も認めないでしょうね。いや。降伏を認めて生き残った魔族全員を一撃で葬りかねません。まさしくこの世界の王族……というより、どこかの誰かの言うように、『アルフレッド・ブリターニャの再来』に近くなってきました」


 そう言って再び笑うが、今回の笑いは少しだけ影が伴っているようであった。

 フィーネは器の液体を飲み干すとさらに言葉を続ける。


「……ところで、アリストを『アルフレッド・ブリターニャの再来』に仕立てた件ですが、アリストはそのお返しとしてフランベーニュの王太子ダニエル・フランベーニュの追い落としを計画しています。もちろん、そうなればフランベーニュも崩壊するでしょう」


「当然そうなればフィラリオ家も暴走した者たちの略奪の対象になります。ですが、あの家の男どもは皆凡庸な者ばかり。大きな波が来ればあっさりと飲み込まれてしまうことでしょう。そこで……」


 そう言って、グワラニーに視線を向け、右手を軽く差し出す。


「彼らを助けろと?」


 グワラニーがそう言うと、フィーネは自分に対してかのような薄い笑みを浮かべそれからどこか別の場所を見るようにしながらこう呟く。


「……かりそめの家族ではありますが、育ててもらった恩はあります。財産はともかく命ぐらいは助ける義務はあるでしょう。ですが、残念ながら私は動くことができません」


「これについては一点借りということにしておきましょうか」


「その代わり、あなたがイペトスート陥落まで生き残っていたら、利子をつけてお返ししましょう」


「ところで、アリストはあの様子ではダニエル・フランベーニュはあなたから相当なことを約束されたようだと言っていましたが、あなたはあの男にいったいどのような約束をしたのですか?」


 フィーネからやってきた問い。

 それによって、今回の唐突ともいえるアリストの動きの発端が何かをグワラニーは理解した。


 ……こちらが流した例の噂にダニエル・フランベーニュが深く関与しているとアリスト王子は考えた。

 ……誰がどう見ても、彼は被害者。そして、怪しいのはチェルトーザ氏とアドニア嬢。

 ……だが、チェルトーザ氏考案の小細工のために傍から見ればふたりは巻き込まれた者たちとなる。

 ……そうなると別の共犯者が必要となる。

 ……そこで浮かんだのはダニエル・フランベーニュというわけか。


 ……たしかに彼であればフランベーニュ国内でいくらでも小細工ができる。

 ……しかも、最初の被害者。

 ……もっとも怪しくない者が一番怪しい。


 ……いかにもアリスト王子が考えそうなことだ。だが、これは冤罪。


 ……さすがに冤罪は晴らすべき。


 ……もっとも……。

 ……彼女はここで聞いたことをアリスト王子に言うわけにはいかないのだが。


 グワラニーはつくったような笑みを浮かべる。


「その報復としてアリスト王子から罰を受けるのなら、ダニエル王子は本当についていないとしか言いようがないですね」


「なにしろ、この件について私はダニエル王子とは一切交渉していませんから」


「つまり、ダニエル王子は得るものは何もなく、国内外から非難され、挙句の果てに権力の座から引きずり降ろされることになるわけです」


「これで死んだから、私とアリスト王子はダニエル王子に相当恨まれるでしょうね」


「本当のことなのですか?グワラニー」

「あなたはアリスト王子に報告できないこの状況で嘘を言ってどうするのですか?」


「ということは、ダニエル・フランベーニュは最高級の貧乏くじを引いたみたいですね」


「なぜなら……」


 数ドゥア後。


「……さすがアリスト王子」


 フィーネからアリストの報復、その全貌を聞き終えたグワラニーは呻くようにそう声を上げる。


「こちらが流し国中に広がった悪評をアリスト王子自身が肯定したうえで、その報酬に言及する。たしかにそれを否定するのは難しい」


「もちろん事前に動き、情報を上書きしてしまえばその悪事を阻止できなくないでしょうが、そうなると、あなたがここに来た報復の内容を私に告げたことをアリスト王子は確実に察する。今のアリスト王子ならあなたを害することも十分考えられる。ですが……」


「あなたと同じように、私もあなたが消えてしまうのは目的遂行上非常に困る。当然ことが始まるまでは動けない」


「まあ、無実の男が殺されて寝つきが悪くなるというのであれば、ことが始まってから命を救うのことについては止めませんのでどうぞお好きなように」


「最後にもうひとつ。ホリー王女はどうするのですか?」


「今のアリストであるなら、ホリー王女は盾にはならないと思うのですが、それでもやはり手放さないのですか?王女を」


 フィーネの問いにグワラニーは苦みの多い笑みで応じる。


「王女を開放すれば手打ちにしてくれるという話はありますか?」


「ないですね。心置きなく最大魔力で攻撃することはあっても、それで魔族を根絶やしにするという方針を転換するということにはなりません」

「まあ、そうでしょうね。こちらもそれ相応の手を打った後ですから」


「つまり、最後まで連れていくと?」

「それが本人の希望ですから……」


 そう言ったグワラニーはあの時のやり取りをフィーネに聞かせる。


「……私としては正直扱いに困っているのです。ですから、いい機会だと思い護衛共々アドニア嬢のもとに逃がすつもりでしたが、あれだけ頑なに拒否されてはどうしようもありません。さすが王女。敵に恩を受けて逃げたと言われるのが嫌なのでしょうね。私なら喜んでそれに応じますが」


 グワラニーの表情から冗談ではなく本気で言っていることを察したフィーネは大きなため息をつき、心の中でこう呟く。


 ……アリストといい、グワラニーといい、本当に王女は愛する人に恵まれない。


 心の中で短い嫌味を言ったところで、フィーネは立ち上がる。


「……とにかく、伝えるべきことはすべて伝え、それから知りたかったことはすべてわかりました。最後にもう一度言っておきます。絶対に生き残りなさい。グワラニー」


「それから、お嬢も」


 その言葉を言い残してフィーネが部屋を出ていく。


 そして、それから数ドゥア後、デルフィンがオレンジ色の液体を飲み終えるのを待っていたグワラニーは少女に目をやる。


「ひとつお願いがあります」


「今、私たちが話した内容は誰にも言わないように」


「これは非常に大事なこと。そして、内緒にしておくべきことなのでよろしくお願いします」


 グワラニーの言葉に小さく頷いたデルフィンだったが、そこで薄く笑う。


「……グワラニー様」


「つまり、これはふたりだけの秘密というわけですね」


 むろんグワラニーはその意味を十分に理解しているし、デルフィンの言いたいことも察している。

 ここは彼女の望む言葉を口にしなければならない。


「そのとおりです。これはふたりだけの秘密です」


 一瞬後、少女らしい笑みを見せるデルフィンにグワラニーは手を差し伸べる。


「では、クアムートに戻って何か食べましょう」


 ……他人のことは言えませんが、この世は本当に悪人ばかりです。


 ……ですが……。

 ……英雄譚で語られるような誠実な善人など早々に消え、悪人だけが生き残る。


 ……そして、最後まで生き残った真の悪人が「悪から世界を救うために戦った最高の善人」として後世に名を残し語られていく。


 ……それが歴史。


 フィーネの言葉には明確なメッセージがあった。


 魔族の国の王都イペトスートを落とすまでに目の前に現れたときは、一切の手抜きなしに攻撃をおこなう。

 だが、それ以降については十分に手打ちができる余地がある。


 それからもうひとつ。

 こちらはメッセージというより情報提供となる。


 それは……。


 アリストは魔族殲滅に舵を切り、一切の妥協はない。


 だが、これはフィーネのメッセージとは矛盾する。

 つまり、イペトスートを落としたところで、勇者一行は解体され、その後の魔族殲滅はアリストが単独でおこなうということである。


 つまり、イペトスート陥落後にアリストと戦う場合には、アリストに従うのはブリターニャ軍のみ。

 もちろん三剣士が加わる可能性はあるだろうが、わざわざアリストと三剣士との確執を口にしたところをみると、その可能性は殆どないといえる。

 フィーネがこちら側に加わるかどうかは不透明だが、少なくてもアリストに与しないことは間違いないのだろうから、状況は五分五分、いや、六対四でこちらが有利。


 本来であればこの情報に基づいて今後の方針を話し合うところなのだが、あえてそれを伏せることにしたのには理由がある。


 ほぼまちがいないと思っていても、何割かは罠の可能性がある。


 フィーネはアリストの指示で動き、その情報に信じ、グワラニー軍が王都防衛戦に参加しないように仕向ける。

 そして、戦いが終わるとノコノコ現れたグワラニー軍を出迎えるのは五人揃った勇者一行。


 言うまでもなく、最初から最後まで敵と思っているよりもこちらのほうが精神的ダメージは大きい。


 自身の名誉を傷つけられたアリストならこの程度の罠を仕掛けてくる可能性は十分にある。


 そうであれば、最後の一瞬まで、敵は攻撃してくることを前提に行動すべき。

 

 グワラニーがデルフィンに対して口止めをおこなったのにはそのような理由があった。


 ……あの鉄壁防御をアリスト王子の防御魔法を抜くのは不可能と言ってもいい。

 ……そうなると、アリスト王子を排除するには勇者一行の誰かが裏切るしかないわけなのですが……。

 ……当然三剣士がそこまでやるはずがないので、実行者はフィーネ嬢ということになりますが……。

 

 ……フィーネ嬢にそれをやる勇気があるのだろうか。

 ……まあ、あの性格ですから、当然あるでしょう。


 ……そうなれば、それをおこなうだけの利を彼女が持っているのか?

 ……というより、元の世界に戻ることがそれだけの意味があるのか?


 ……私としては疑問。


 考えれば考えるほど、その実現は疑わしくなってくる。


 ……とにかく、まずはフランベーニュだ。


 グワラニーは答えが出ない、それどころか思考が行ったり来たりするだけのその問題を脇に置き、目の前に迫っていることから片づけることにした。


 ……それこそ自身の名誉を斬り捨てる覚悟でおこなうのだ。フランベーニュに対する謀略の決着がつくまでアリスト王子はサイレンセストを動くことはない。それはフィーネ嬢が自身の親の救出を要請したことからもわかる。


 ……フィーネ嬢に貸しをつくるためにも頼まれたフィラリオ一家の救出。それから、そのついでにダニエル・フランベーニュの救援。


 ……事前にやるべきことがまた増えたようだ。


 翌日、グワラニーは何食わぬ顔で会議を招集する。

 出席者はバイア、アリシア、それからデルフィンとその祖父アンガス・コルペリーアである。

 そこで、グワラニーはフィーネがひとりでやってきたこと。

 それから、その目的はフランベーニュが混乱状態に陥った場合には実家の家族の保護の依頼。

 報酬は結果によるので確定できないことを伝える。

 そして、これは彼女に対する貸しとなるものなのでその条件で受けることにしたことも。


「これから我が国に攻め入って来る者が、無関係な場所での仕事を依頼してくるというのはどういうことなのかな」


「私には目障りな我々を戦場から遠ざけて楽に仕事をしたいようにしか見えないが」


 老魔術師がそう言うと、バイアも大きく頷く。

 一方、アリシアはその言葉に賛意を示しつつ、別の意見を口にする。


「ですが、フィーネ嬢はグワラニー様の為人をよくご存じ。つまり、現在の状況でそんなことを言って受け入れられるとは考えないでしょう。ですから、その要請はそれとは別の意図があるのではないでしょうか?」

「たとえば?」

「これからそのようなことがフランベーニュに起こり、さらにその騒動が終わるまで勇者は動かない」

「もし、そういうことであれば、それをフランベーニュの騒動を引き起こすのはアリスト王子ということになる。なぜなら、魔族領侵攻を決めたアリスト王子が他者のおこなったことの結果を見極めるために動かないなどということはない。逆に自身が計画したことなら当然結果を確認するだろうから」

「そういうことになります」

「ということは、あの小娘はそれを暗に知らせてきたということか?」

「それとも、アリスト王子の小細工で自身の実家が大変なことになる。だが、アリスト王子の護衛という立場上、自身は助けに行けないのでグワラニー様にそれを頼んだ。頼んだ、それ自体がその期間は何も起きないことを暗に知らせながら」


「それで肝心のグワラニー殿はどう考えているのかな?もっとも、その話を持ち出したということは受けたということなのだろうからその尋ね方は違うな。改めて問う。その根拠は何か」


 老人の皮肉が多分に加わった言葉にグワラニーは苦笑し、それから口を開く。


「実際のところ、アリスト王子の魔族領侵攻が始まらなければ我々は動きようがありません」


「ですから、最初に魔術師長が言った、我々を遠ざけ、その隙に仕事を始めるのであっても、我々にとっては全くの損というわけではありません。もちろんこちらも手早く済ます必要はありますが」


「さらにアリシアさんが示した、フィーネ嬢が家族を助けたいという思いからそのようなことを言っているとしたら、それはフィーネ嬢に対する貸しをつくったということでこれまた損ではない」


「どう転んでも我々には損はないということです」


「フィーネ嬢の意図はわかりません。ですが、我々にとっておこなうだけの利があるのですから、実行すべきでしょう」


「もちろん彼女の家族を救い出すという一点だけを考えれば、そう難しいことはないでしょう」


「副魔術師長は彼女の実家へは転移できますので」


「ですが、これには問題があります」


「なんと言ってもフィーネ嬢の実家はフランベーニュ第一の貴族。その彼らを国外に連れ出した場合、拉致と非難される可能性があります」


「さらに彼らを救出する際に、怒り狂う国民を力で排除するようなことをおこなえば、我々は王制派となってしまいます。私としてはこうなることは避けたい」


「となれば、フィラリオ家が自主的に退去。または、国内の協力者を動かすしかありません」


「そうなると、フランベーニュ側と事前協議が必要となります」

「フランベーニュ国内の協力者とは誰のことだ?」


 老人の問いにグワラニーは薄い笑みをうかべる。


「ミュランジ城攻防戦で活躍された方々です。もちろん」


「特に海軍提督で今や『新フランベーニュの英雄』と祀り上げられているアーネスト・ロシュフォール。彼の説得であれば公爵も動くし、群衆も黙る可能性がある」


「それは結構ですが、そもそもアリスト王子はフランベーニュ国内で何をしようとしているのでしょうか。それについてフィーネ嬢は何か言っていなかったのですか?」

「バイア様。彼女の立場上、さすがにそれは言えないでしょう。ですが、彼女の言葉から凡その想像はつきます。おそらく、こちらがおこなったことと同じ、流言。そして、それは王を頂点とする現在のフランベーニュの体制が一気に崩壊するようなもの。そうであれば、王制の一翼を担う貴族の頂点を君臨するフィーネ嬢の実家もただで済まないでしょう」

「私もそう考えました」


「激高した国民が王や貴族を襲うように仕向けるような何か。そうであれば、公爵家でのフィーネ嬢の実家は一番の目標になる」

「アリスト王子はそれについて配慮するはずでは」

「どうやら、何もなかったようだな。そのためフィーネ嬢は自身で動かざるをえなかったわけです。アリスト王子の中では大義をおこなううえでの小さな犠牲なのでしょうが、結局そのために計画が我々に漏れたわけです」

「その辺がグワラニー様と違うわけですね」

「さあ。私は単に小心者だからです」


 ……だが、あちらこちらに気を使うというその小心者的配慮がうまく働いた。まさに、「情けは人の為ならず」です。


 心の中でそう呟いたグワラニーは全員の顔を見る。


「一義的にはフランベーニュ人を利用するが、それが叶わなければ我々自身が「要請された」などと適当な理由をつけて動く。フィラリオ家を救うことを第一とする」


「そして、我々が動く場合、ベルナード将軍には伝えておくことにする」

「なぜ?」

「現在のフランベーニュで唯一まともに機能しているのはベルナード将軍が率いる前線部隊だからです。いっそのこと、フランベーニュ王朝が倒れたら、彼が次の王になってもらいたいくらいです」


 むろん、グワラニーの最後の言葉は冗談である。

 だが、さらに時間が進んだとき、そう口にしたグワラニーを含めたその場にいた全員がその言葉をもう一度思い出すことになる。


「では、早速ミュランジ城のリブルヌ将軍を呼び出して交渉を……」

「いや。彼に会うにしても、アリスト王子の策が具体的にわからない以上、交渉はすべきではない」


「とりあえず、ご機嫌伺いと、フィーネ嬢からの伝言を父上に届けてくれるよう頼むことにしよう」


「もちろんそんなものは預かっていないので、こちらで適当にでっち上げたものだが、フィーネ嬢の話と例の一件の際に立ち寄ったときの状況から察するにフィーネ嬢の序列は父よりも上で頂上。つまり、父親を納得させればいざというときに揉めることはなくことが進む」


「ということで、アリシアさんとバイアで名文を考案してもらいたい」

「グワラニー様は?」

「アストラハーニェの旧友に会いに行ってくる」


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