それぞれの決断
大海賊のひとつ「強欲の大海賊トゥルム」の本拠地であるアンバリア島は海賊たちにとって有名な場所がふたつあった。
ひとつは、二千隻の大船が一度に停泊できるこの世界最大の港アッサルグーベ。
そして、もうひとつが「すべてを奪う場所」という異名を持つ「すべてが揃う場所」港町アディーグラッド。
ちなみに後者の異名のひとつは、ここを訪れた者は自身の命と船以外のすべてを換金し、欲望のすべてを満たし無一文で帰っていく猛者のひとりの呟きが始まりとされる。
そして、この世界ではアッサルグーベへの入港が許されてようやく一人前の海賊であるとされるため、大海賊トゥルムの長アレクサンドル・トゥルムに認められることが駆け出しの海賊の最初の目標となる。
そのアッサルグーベに八種類の大海賊旗を掲げた船が入港していたのは、フランベーニュで最初の噂が流れた直後だった。
「……つまり、ブリターニャと魔族との戦いに参加するというのか?ワイバーン」
「そうだ」
アディーグラッドの喧騒から離れた場所に新しく建てられたアレクサンドル・トゥルムの別邸の一室で始められた大海賊の長だけの話し合い。
その冒頭に飛び出したトゥルムに会の参集を要望したバレデラスからの提案にその島の主は呻き声を上げ、提案の言葉を復唱するように問うと、バレデラスは簡素過ぎる言葉で応じる。
「今まで傍観していたのに今ここで魔族の助力をするのだ?」
「決まってます。勝ちが決まった相手に恩を売ろうということでしょう。いかにもこの男が考えそうなことです」
「さすが、ユラ。まったくその通り。と言いたいところなのだが、実はそうではないのだ」
トゥルムの問いに軽蔑の色で出来上がった言葉で応じたユラに、バレデラスは言葉を吐き出す。
「最近立て続けに起きた戦いで大敗続きのブリターニャに勝ち目など全くないと私も思っていたのだが、実はそうではないのだ」
「それどころか、これから情勢は一気にひっくり返され種族を滅ぼされかねない。それが魔族の見立てとなっている」
「そして、その理由。それは……」
「アリスト・ブリターニャ。つまり、ブリターニャ王国の王太子。彼がここから戦闘に参加するからだ」
「それでなぜ魔族が滅びの危機に陥るのだ」
「それはアリスト王子とその護衛こそ勇者一行だからだ」
その瞬間、どよめきとともにその場の空気が変わる。
「確認する。それは間違いないのか?ワイバーン」
「ああ。もちろん私が確認したのではなく、確認したのは魔族なのだが」
「だが、私もその力の一部を確認しており、同じくその力を確認したものがふたりいる。ユラ。それから、コパン」
ウシュマルに問われたバレデラスは名を呼んだふたりに目をやる。
「剣士三人の剣の腕前は尋常ではなかった。それは勇者と言われても納得できるもの」
「それから、女の魔力もすさまじいもの。それこそひとりですべてにケリがつけられるくらいに」
「つまり、勇者にふさわしいというわけか。それで、肝心のアリスト王子は?」
「魔術師たちによれば魔力は感じなかったそうだ。だが、もし本来ある魔力を完全に封じ込める込めることができるのなら相当の上位者ということになる」
「ということはありえるわけか」
「そうなるな」
「それで……」
「そのアリスト王子が勇者一行のひとりだとワイバーンが参戦しなければならないのだ?」
「ふたつある。ひとつは我々の権益が侵されるからだ」
「魔族が滅びる。つまり、ブリターニャが魔族領を手に入れる。そうなれば魔族の金や銀はブリターニャのもの。奴らには金や銀を流す理由などない。たとえ、あったとしても我々を仲介させる必要はない」
「つまり、我々は用済みとなる」
「そのような事態を我々は看過できない」
「さらにアリスト王子は魔族の長命を危険視し、強大な力を持つ自身の存命中に魔族という種自体をこの世から排除したいという希望を持っていることがわかった」
「そうなれば、アリスト王子の魔法はいずれ我々に向く」
「それは陸に住む者が我ら大海賊に剣を向ける行為となる。それが何を意味しているかは今さら述べる必要はないだろう。当然大海賊の宴の開催だ。だが、残念ながら、海で無敵を誇る我らも強大な魔術師である勇者一行には歯が立たない。宴を開いても返り討ちになるだけだ」
「では、勝てないからと言って、宴を開催しないで済ませるのか?そうすれば、被害は我々ワイバーンだけ済むわけだが」
この世界の海のヒエラルキーがどうなっているかといえば、頂点は八人の長が率いる大海賊、その下に中小の海賊と各国海軍、最下層に商会の商船や漁船となる。
だが、海軍は自国の権益を守るための組織を守るためにつくられたもの。
当然、海賊との衝突を繰り返す。
ただし、その相手は自分たちと同格の中小の海賊の場合がほとんどであるのだが、稀に大海賊との衝突も起こる。
ほぼすべては大海賊が海軍を排除するときのもので、戦闘は軽く撫でる程度で終了するのだが、同じ戦いでも海軍が先に手を出した場合には状況は一変する。
八組の大海賊にはある取り決めがある。
大海賊のうち誰かが攻撃を受けた場合、それが誰であろうとすべての大海賊が共同してその相手を叩く。
二度と手を出さないと思わせるまで徹底的に。
これが「大海賊の宴」と呼ばれるものである。
最近では、フランベーニュ海軍に対してこの「大海賊の宴」がおこなわれ、フランベーニュ海軍は艦隊司令官を失ったうえ瓦解し、今に至っている。
海の王者として君臨している彼らにとって攻撃を受けていながら宴を開かないことなどあり得ない。
だが、負ける戦いはおこないたくない。
そのため、魔族と共闘する。
バレデラスの提案はある意味妥協の産物というわけである。
ただし、まだ攻撃を受けていないのだから、宴と違い、全員参加が義務とまでは言えないのも事実。
バレデラスとしては半分も参加すれば御の字というところだった。
だが……。
「承知した」
八人の中で最も掟を重視すると言われるウシュマルがまず声をあげると、次々を戦いに加わることを表明していく。
そして……。
「皆は私が参加しないとでも思ったか。私は大海賊のひとつ『慈悲なき大海賊コパン』の長アレクシス・コパン。相手がブリターニャの王太子であろうと関係ない」
こうして、大海賊は一致してグワラニーと共闘することが決した。
そして、同じ頃、別の場所でも大きな決断を迫られている者たちがいた。
クアムート。
その日、ホリー・ブリターニャと彼女の護衛であるアラン・フィンドレイたち十六人はクアムート城の一室に招かれていた。
そこにはグワラニーだけではなく、バイアやアリシア、さらにペパスやプライーヤなどの軍幹部まで揃っており、ホリーたちを待っていた。
いつもとはまったく違う空気を纏って。
「今日来てもらったのはお伝えせねばならないことがあるからです」
グワラニーは笑みの欠片もない表情でそう切り出す。
「薄々感じていると思いますが、アリスト王子との最終決戦が迫っています」
「アリスト王子は聡明な方。どこかで妥協できるのではないかという希望もありましたが、アリスト王子は我々をこの世界からの排除という札を捨てる気はないことが判明しました。その上で近々我が国の王都を落とすために動き出します」
「そこでこちらもアリスト王子をアルフレッド・ブリターニャの再来と喧伝し、彼をこの世界共通の敵という認識をすべての国の民に植えつけることに成功し、現在ブリターニャは完全に孤立状態にあります。当然食料は入ってきません。一年もすれば、国民は皆飢え死にすることでしょう。当然アリスト王子はその前にケリをつけなければなりません」
「つまり、双方とも後戻りができない札を切りました」
「ここまで来てしまっては、どちらかが滅びなければ決着はつきません」
「ここに来てもらったのは状況を説明すること。それからその状況を聞いたうえで今後の身の振り方を尋ねるためです」
「こちらはできることはすべてやった。それでもできることは勇者の足止めくらい。実際の戦闘になれば勝ち目は薄い。ですが、私は一介の将。王からの命があれば迎撃に出なければならない」
「つまり、次回アリスト王子に戦場で会ったところで我々の命運が尽きるというわけです。それは私の隣に王女殿下がいても変わらないでしょう」
「それを踏まえて尋ねます」
「王女殿下が戦いの始まる前に我が軍から離脱したいという気持ちがあるのなら、それを認めたいと思います。もちろんフィンドレイ将軍たち、及びその家族も同様。そして、将軍たちの事情もある。もちろん開放場所はブリターニャより安全なアグリニオンとします」
「如何?」
言うまでもなく、これは退避勧告。
ホリーがアリストに対する盾にならない以上、同行させる理由がないというわけである。
だが、実をいえば、これはあくまで建前であり、グワラニーが計画しているアリスト及びブリターニャに対してのお返し、それから自分たちの退避場所として大海賊ワイバーンの本拠地マンドリツァーラを考えていることをホリーやフィンドレイの口からアリストに漏れることを防ぐ。
それが本当の理由となる。
つまり、グワラニーのホリーたちへの信頼度はこの時点でもその程度しかなかったということである。
当然、ここで解き放った場合、彼女たちには偽情報を伝え、アリストにそれを掴ませることまでグワラニーは考えていた。
だが……。
「それは逃げろということでしょうか?」
むろんその言葉は怒りの感情が濃いホリーからのものだった。
「私はすでにこちら側の人間です。危ないから国を捨てて逃げるなどという選択肢はありません。最後までグワラニー様につき従います」
その視線の先にはグワラニーに寄り添うこの場で一番の年少者がいた。
彼女には負けられない。
ホリーは心の中でその言葉を口にする。
「そういうことでお気遣いなく」
ホリーのその強い言葉に彼女の背後に並ぶ男たちの声が続く。
「我々はホリー王女の護衛。そうなれば我々も最後まで残る」
「そもそも我らはブリターニャに捨てられ、おまえに拾われた身。いまさらブリターニャに命乞いなどするわけがない」
「そのとおり。不本意ではあるが、今の主はおまえだ。主ある以上、主をを置いて自分たちだけが逃げるなどという恥知らずなことはできない」
「そのとおり。王女殿下のついでにおまえも守ってやるから安心しろ。アルディーシャ・グワラニー」
その勇ましい言葉に薄く笑ったグワラニーはバイア、アリシア、それから将軍たちに目をやる。
そして、全員が頷くのを確認したところで口を開く。
「わかりました。では、皆さんも我々とともに最後までつきあってもらいましょう」
「それにあたってひとつ尋ねたいことがあるのですが、よろしいでしょうか。グワラニー様」
「もちろん」
グワラニーは残留を決めた直後にやってきたホリーの言葉にそう応じ、それから右手で合図を送る。
小さく頷いた後、ホリーが口を開く。
「前回、勇者一行をあと一歩まで追い詰めたあの手をもう一度使えばよろしいのではないですか?」
「今度は掃討戦まで自前でおこなえば逃げられることはないと思いますが」
「そうでなければ、外からの火球攻撃で一帯を火の海にしてしまうということもできるはずです」
「それにもかかわらず、すでに負ける前提でことを進めているのですか?」
ホリーの言葉にあのときにはまだこちらの側にいなかったフィンドレイたちからどよめきの声が上がる。
そして、その全員の目がグワラニーに向けられる。
グワラニーが大きく息を吐き、相手を見回す。
「……むろんこの前の戦いで使った魔法無効化結界をもう一度使用しての戦いは可能です」
「たとえば、防御魔法を展開して進む勇者たちを発見したところで、魔法無効化結界を発動させ、その直後、結界の外から火球で攻撃して防御魔法を解除させないようにして足止めをしたうえで、剣士を突撃してケリをつける。などという策もあります」
「ですが、それはあくまでこちらの都合だけで話をしたもの。相手がアリスト王子であるかぎりこの手は使えない」
「その理由は、それをおこなわせない方法があるからです」
「私がアリスト王子なら、間違いなく、魔法無効化結界を展開させながら進む。そして、それだけで魔法無効化結界を使用した戦いで完全に主導権が握れる。逆にいえば、我々は前回と同じ手が使えないというわけです」
そう言ったところで、その言葉の意味を理解しがたい様子を見せる相手に気づいたグワラニーは説明のためさらに言葉を加える。
「たとえば、結界の解除」
「結界を展開した者がこれをおこなえるわけです」
「魔法無効化結界は他の魔法を使用不能にするために特化した魔法。剣からの攻撃には全くの無力。当然剣士がやってきたら剣で防ぐしかありません。ですが、勇者は五人。ひとり千人と同等でも一万の兵がやってきたらとても防ぐことはできません。それは前回の戦いで証明しています」
「前回の戦いで勇者が苦戦したのはその結界を敵が展開したから。ですが、それを自身が展開していれば、状況が不利になれば結界を解除して、すぐさま転移できるわけです」
「では、こちらが魔法無効化結界を展開したうえで待ち構えていいのかといえば、勇者はそこに近づかなければいい。ただ、それだけのことです」
「つまり、勇者は常に魔法無効化結界を展開できるのに対し、こちらは相手をおびき寄せたところで結界を発動させなければならないということです。つまり、勇者側が一手有利」
「つまり、アリスト王子が油断したあの時が勇者を討てる最初で最後の機会だった。あれを逃した以上、こちらに勇者を討つ機会はないでしょう」
「……では、私たちはこれからどうするのですか?」
実を言えば、グワラニーの言葉を聞くまではホリーは状況を楽観視していた。
むろん兄が強大な魔法を扱える魔術師であることはわかっているが、そうであってもグワラニーならなんとかする。
そして、その先には明るい未来が待っていると。
だが、示された現実は全く違うもの。
そして、改めて思う。
あの時無理をしてでも兄を殺すべきだったと。
だが、ここでそれを言っても栓無き事であることも承知している。
そうなれば、次善の策を考えなければならない。
それがホリーの言葉となる。
そして、それに対するグワラニーの答えはこれである。
「もちろん我々は軍組織。勇者がやってくれば迎撃しなければいけません」
「それをどこでおこなうか。どのようにして戦うか。それらは何も決まっていません」
「そして、それとは別にやらねばならないことがあります。アリスト王子がこの世から魔族をひとり残らず抹殺することを目論んでいる以上、我々はそれを阻む義務があります」
「つまり、勇者一行に対する我々の勝利」
「それは魔族の血を受け継ぐ者が生き残ること。どのような形であっても」
「どのように戦っても勇者には勝てない。それがわかっているのであれば、我々の軸足はそちらに移すべきでしょう」
「と言っても、私がおこなうのはクアムートやクペル城周辺、プロエルメルの住人たちで、王都に住む者たちは別の方がなんとかすることになるでしょう」
「避難場所は?」
「今のところは決まっていません。まあ、流浪の民としてこの世界を転々と移動することになると思います」
「ですが、どちらにしても、この場にいる者の大部分には無縁の話です。魔族軍の最強部隊である我々が勇者迎撃戦に参加しないということはありませんから」
「ここまで話したところで、王女殿下にもう一度尋ねます」
「それでも私たちと行動をともにしますか?」
「もちろん」
「将軍たちは?」
「そう聞かれることこそ心外。家族が避難する者たちに含まれているだけで十分だ」
「承知しました」
「では、皆さんも最後の戦いまでつきあってもらいます」
「ですが、それはあなたがたにとって非常に辛いものになります。それは覚悟してください」