動き出す大仕掛け
魔族と大海賊ワイバーンとの秘密協定が結ばれてまもなく、フランベーニュで奇妙な噂が流れ出す。
先のブリターニャによるフランベーニュ侵攻の目的は、アヴィニアを陥落させることではなく、フランベーニュ人の大量虐殺。
実際の戦闘ではブリターニャ軍は大敗し、百万人以上の兵を失ったが、侵攻の過程で多くの女や子供を殺害した。
その数は二百万を超える。
つまり、計画は成功していた。
さらに先日もブリターニャ軍はフランベーニュ軍を背後から襲おうとして失敗したのだが、これもその一環。
つまり、どのような手段を使っても構わない。
フランベーニュ人を殺せという命令が出ていたのだ。
その命令を出したのが、ブリターニャ王国王太子アリスト・ブリターニャ。
そして、そのアリスト・ブリターニャは、最近、自らに魔術師の才が備わったと発表したのに続き、ブリターニャ全体と死と恐怖に包んだアルフレッド・ブリターニャの再来と自称し始めている。
そして、彼は師であるアルフレッド・ブリターニャを超えるため、災いをこの世界全体にもたらすことを計画している。
その手始めがふたつの出来事であり、それに続くのがフランベーニュ領内でのさらなる大量虐殺。
それに加担しようとしているのが、自らの命と地位を保証することを約束されたフランベーニュの王太子ダニエル・フランベーニュ。
噂の内容はそのようなものだった。
そして、そこにこのような枝葉が加わる。
誇り高きフランベーニュ人はブリターニャに強硬な姿勢を見せられる新しい王を必要としている。
アリスト・ブリターニャに媚びを売る惰弱な王太子は不要。
私腹を肥やすだけの腰抜け王太子を権力の座から引きずり降ろさなければならない。
むろん、その噂を耳にしたダニエルは激怒し、すぐさま火消しに動くものの、その力ずくの消火は「火に油」となり完全に失敗。
フランベーニュ国内は異様な空気に包まれる。
「口先ひとつで我が国を貶めるアルディーシャ・グワラニーの悪党が」
ダニエルは歯ぎしりして悔しがるものの、このままで暴動が起こるのは確実。
軍内部の不満分子が加われば、内乱になることも十分にあり得る。
「と、とにかく国民の矛先が王制に向けられないようにしなければならない」
そうして急遽取りまとめられ発表されたものがこれである。
「フランベーニュ王国は、これまでのブリターニャの度重なる野蛮な振舞いに我慢に我慢を重ねてきたものの、蛮行に対する謝罪もないブリターニャを許すことはできない」
「まず、フランベーニュ王国はブリターニャとの国境を閉鎖し、野蛮人の侵入も許さない。年齢、性別を問わず侵入した者はすべて捕え公開斬首とする」
「次にフランベーニュ王国は野蛮人国家ブリターニャとのすべての交易を停止する。違反した者は全財産を没収のうえ、家族を含めて公開斬首」
「さらに国内にいるブリターニャ人はそのすべてを捕え斬首に処する」
そして、その手始めにおこなわれたのは、将軍アルジャノン・タッカーをはじめとしたバンワード丘陵の戦い捕虜の公開処刑。
その数五万以上。
当然一か所でおこなうには数が多すぎる。
王都十八か所を含む、フランベーニュ各地計七十三か所でおこなわれる。
そのうちの三か所はブリターニャとの国境近く。
当然これ見よがしにおこなわれたその様子は王都サイレンセストに急報として知らされ、王宮内に怒号が飛び交う。
「……むろん、その者たちは処刑されるだけのおこないをしたことは間違いない」
「だから、処刑自体は咎めない」
「だが、そのやり方は斬首。または刺殺と決まっている。爪を剥ぎ指を一本ずつ切り落としていくというのは処刑とは言わない。拷問だ」
「しかも、我が兵士たちに見せつけるようにおこなうとは野盗の所業」
「これは放置できない。ただちに報復せよ」
ブリターニャ王カーセル・ブリターニャの指示により、王都サイレンセストでフランベーニュ人を女性八人を含む八十四人が捕らえられ、半数は王都で、残りの半数はフランベーニュとの国境で処刑をおこなう。
むろん、フランベーニュと同じ方法で。
ブリターニャの苛烈な報復に対し、フランベーニュは前回より数段レベルを上げた再報復をおこない、ブリターニャとフランベーニュの間に修復しがたい亀裂が入ったことを確認すると、クアムートに滞在していた若い男は黒い笑みを浮かべる。
「チェルトーザ氏。アドニア嬢に連絡」
「第二幕を」
その二日後。
今度はフランベーニュの隣国、アリターナで奇怪な噂が流れ出る。
「『アルフレッド・ブリターニャの再来』と自称するアリスト・ブリターニャと手を結んだアリターナは近々フランベーニュに攻め込むことが決まった。その報酬はフランベーニュ東半分。当然王都アヴィニアはアリターナのものとなる」
「過去数十年にわたるフランベーニュ軍から受けた侮辱の数々を晴らす機会が到来した。まもなく始まる徴兵に進んで応じよう」
むろん、アリターナの為政者たちにとってそれは寝耳に水。
ただちに否定するものの、その直後、疑心暗鬼となったダニエルよりアリターナ王へ過激な内容の抗議文が届く。
「アリターナ兵が一歩でも自国に踏み込めばただちに反撃し、目の前にいるアリターナ人をひとり残らず殺し、逆にアリターナの王都パラティーノを火の海にして、王族全員を公開斬首にする。その覚悟があるのなら、邪悪の化身アリスト・ブリターニャとの密約を実行するがよろしかろう」
まったくの濡れ衣のうえ、一方的に喧嘩を売られたアリターナ王と陪臣はただただうろたえ、事態打開のためチェルトーザを呼び出し、助言を請う。
まさか、そのチェルトーザが噂を流している張本人などとは思わずに。
そして、王に対策を問われたその張本人は重々しくこう答える。
「……では、私が宰相殿下に会い、誤解を解いて来ることにしましょう」
チェルトーザは「いけしゃあしゃあ」の見本のようにそう言い、さらに……。
「少々の謝罪と譲歩は必要でしょうが、フランベーニュが我が国に攻め入ることだけは阻止する。その点はおまかせあれ」
これまでの実績、そして、そこから信頼により、チェルトーザは完全なフリーハンドで交渉をおこなうことを許された。
むろん、ここまでは予定どおり。
「問題はダニエル・フランベーニュに会えるかどうかということだったが、簡単に了承するとは驚きだ」
「まあ、これで関門突破。会ってしまえば、すべてがうまくいく」
「ダニエル・フランベーニュがどれだけの者であってもアルディーシャ・グワラニーより上ということはないのだから」
フランベーニュ行きの馬車の中でチェルトーザはそう呟き、黒い笑みを浮かべた。
「……アリスト・ブリターニャとダニエル・フランベーニュには申しわけないことなのだが……」
「面白くなってきた」
そして……。
フランベーニュ王国の王太子兼宰相であるダニエル・フランベーニュ。
アリターナ王国の公爵家の実質当主であり、この世界に名を轟かす交渉集団「赤い悪魔」の長アントニオ・チェルトーザ。
フランベーニュの王都アヴィニアの王宮内の一室でふたりは顔を合わせていた。
むろん、形としてはアリターナがフランベーニュに対して誤解を解くための説明、飾らない言葉で言えば、申し開きのためにチェルトーザはやってきたということになる。
「では、話を聞こうか」
儀礼的な挨拶が終わった直後、ダニエルはそう宣言し、その話し合いが始まる。
いや。
アントニオ・チェルトーザの独壇場が始まる。
「最初に言っておけば。アリターナ王国はブリターニャと手を組むことはありません」
「実際のところ、我々も最近のブリターニャ軍の動きはおかしさを感じていました。表面的なところでは二度にわたるフランベーニュへの攻撃」
「我々はブリターニャが密かに魔族と手を組んだのではないのかと疑っていました。ところが、情報によればブリターニャ軍その後魔族軍に大敗し、半壊状態に陥っている。さすがに魔族との手打ちの理由にするには負けすぎです。となれば、そうではない」
「では、何か別の理由はないか?そこである仮説を考えてみました」
「目的はブリターニャ兵を殺すこと」
「それ自体を目的にしているのではないかと」
「フランベーニュ人ではなくブリターニャ人を殺すことが目的?そんなことはあるはずが……」
ダニエルは断言しかかった言葉を止める。
「もしかして……」
「そう。ブリターニャがおかしな行動を取るようになったのは王太子アリスト・ブリターニャが魔術師であることを宣言してから」
「そして、その可能性を考えたのはフランベーニュで流れているあの噂」
「つまり、あの噂は事実の半分だけを伝えているのではないか。私はそう考えています」
「……それがアルディーシャ・グワラニーの言いたいことなのか?」
「アルディーシャ・グワラニー?」
一瞬、ダニエルの、真実の的を射た言葉に驚いたチェルトーザだったが、何事もなかったかのようにそう返して首を傾げる。
「それのどこがグワラニーの言葉になるのでしょうか?宰相殿下」
さらにそう言ってからダニエルの表情を見る。
「まあ、特別な証拠はない。だが、奴ならこのようなことを思いつきそうだからそう思っただけだ」
「なるほど」
チェルトーザは察した。
ダニエルの言葉は、チェルトーザをメッセンジャーにしたグワラニーの伝言という意味ではなく、単純に起こったことに対する感想だということに。
こちらの意図を見抜かれたのではないことに無表情の裏側で盛大に安堵したチェルトーザはさらに言葉を続ける。
「非情に言いにくいことではあり、さらに残念なことではありますが、それはないと考えるべきでしょう」
「ということだ?」
「現在の状況は、彼がそんな回りくどいこととする必要がないくらいにすべての点において魔族軍が有利だからです」
「……武力。そして、食料。それ以前に金や銀」
「それらを背景にして、形はどうであれアリターナやフランベーニュを従属させることは今の魔族ならそう難しくもない」
「さらに、フランベーニュほどは痛い目に遭っていなかったブリターニャが自分自身の足に剣を向けるような愚かな行為を立て続けにおこない弱体化した」
「そうであれば、自身の優位さを生かし、各国に圧力をかければ済んでしまう」
「訳のわからぬ噂を流す必要などないのです」
「ですから、あの噂を流したのはブリターニャ内部の者。そして、その意図はアリスト王子が進めているある計画を我々に知らせるもの」
「そして、アリスト王子が計画している計画とは、この世界全体での虐殺」
「アルフレッド・ブリターニャはその災いをブリターニャでおこなったわけですが、彼の再来と自称しているというアリスト王子は、それをこの世界全体でおこなおうとしている」
「それを察知したブリターニャの誰かが、情報の半分だけを流した。これだけであれば単なる噂。情報を流したことが露見しない。だが、わかる者が聞けばわかってくれる。そう期待したものではないかと」
「我々は手を取り合い、その名の知れない者の志を汲み取るべきでしょう」
数ドゥアの沈黙後、ダニエルは口を開く。
「……むろん証拠はない」
「だが、そう考えると話の筋は通る」
「最近のブリターニャの不可解な行動も説明がつく」
「十分にあり得る話だ」
「いいだろう。その話を信じることにする。それで、今後はどうする?」
その瞬間、チェルトーザは心の中で歓喜の声を上げる。
そう。
実を言えば、チェルトーザが欲しかったのはこの言葉だった。
なにしろそのために延々と壮大な与太話を語っていたのだから。
だが、その喜びなど微塵も見せることなく、チェルトーザは重々しく考える。
むろん形だけであるが。
そして、口を開き、口にした言葉がこれである。
「アリターナもブリターニャの交易を中止し、あわせてブリターニャからの船の入港も禁止します」
そして、その直後、アドニア・カラブリタ率いる商人国家アグリニオンでもその仕掛けは動きだす。
「アリスト・ブリターニャの目指すもの。それはこの世界をブリターニャによって支配すること」
「そのために障害となるアグリニオンで大規模で虐殺行為が計画されている。具体的にはアリスト・ブリターニャ自らセリフォスカストリツァに現れて大魔法を展開し、すべてを消滅させるというものである」
「まもなくアリスト・ブリターニャがやってくる」
むろん評議会はそれを穴だらけの噂話と否定するものの、フランベーニュとアリターナでの出来事はこの国にも伝わっている。
止まらない。
いや。
拡大する一方だった。
「……この話は怪しさだけでできていますが、ここまで大きくなっては仕方がありません」
ウーノラスで開かれた評議委員会で、アドニアは苦笑しながらそう言って、評議委員の全員の顔を見る。
むろん、これをつまらぬ噂話と放置してどうにかなるものではないことは皆承知している。
全員の意見がまとまるのを確認したところで、アドニアが口を開く。
「この機会にブリターニャへ高値で商品を売りつけ儲けたいところではありますが、自身の庭で火災が起こっている以上、それを消し止めることを第一とすべき。フランベーニュやアリターナの状況が落ち着くまでブリターニャとの取引を全面禁止し、ブリターニャからの船の入港も禁止することにするしかないありません」
「それに伴う違約金は国が支払う。もちろん、ここで違約金を払っては収拾がつかなくなりますので、すべてが収束してからということになります」
「この内容を公表し、あわせてブリターニャにも通知します」
反対する者は……いなかった。
翌日。
アグリニオンの評議会はその措置が解除されるまでブリターニャとの交易を全面禁止とし、それに従わない商会は資産没収の処分を下すと発表。
さらにブリターニャ人の入国も禁止とする追加条項も発表。
「ブリターニャ王国及び、同国の王太子アリスト・ブリターニャに対する我が国の国民の疑念が晴れるまでこの措置は続く」
最後にそうつけ加えた評議会委員長アドニア・カラブリタが口にした言葉により、ブリターニャは他国との交易が事実上おこなえない状況となった。
それはグワラニーとバレデラス・ワイバーンが協定を結んでからわずか十七日間の出来事だった。
むろん、これはブリターニャにとって大きな誤算であった。
ダニエルが捕虜を公開処刑し、その報復をおこなった時点で、フランベーニュとの断絶は避けられないものとなっていた。
だが、ダニエルの宣言には大きな穴があった。
アリターナやアグリニオンを介して人や物資の行き来は可能だったのである。
ところが、そのアリターナ、アグリニオンでも反ブリターニャ運動が起きてしまい、その抜け道も使えない。
それどころか、両国との交易も経たれることになった。
「やってくれる」
「……この手際の良さは間違いなくあの小細工職人の仕業」
アリストは次々に入ってくる情報を頭の中で纏めながら言葉を絞り出す。
「だが……」
「どうもおかしい」
アリストは呟く。
「一連の出来事の裏にいるのはグワラニーなのは間違いない」
「だが、奴は誰を駒にしてあれだけの噂を流したのだ?」
「一番可能性があるのはアグリニオンの女傑だが、間者の情報では彼女は当初火消し回ったがうまくいかず、対策を協議するために開かれた評議委員会の多数の声によってブリターニャとの交易停止を決めたという。その経緯に彼女の主体性が全くない」
「ということは、グワラニーに近しいもうひとりであるアントニオ・チェルトーザがそれをおこなったのかといえば……」
「それもおかしい。チェルトーザはフランベーニュに喧嘩を売られ慌てたアリターナ王に命じられフランベーニュに出向き、アリターナ侵攻をしないという条件を手に入れた代わりにアリターナはあの決定をおこなうことを受け入れたのだから」
「ということは、彼らとは別にグワラニーには大きな駒がいるということなのか」
「そうなると考えられるのはフランベーニュの宰相殿ということになるが……」
「まあ、いい。とりあえずここまでは完璧ともいえる、褒めてやる。だが……」
「グワラニー。おまえは大事なことを忘れていたようだな」
「海の真の支配者が誰かということを」
この状況下でのアリストがここまで強気でいられる根拠。
むろんそれは大海賊の存在。
大海賊であれば、各国の交易規制の外側にいる。
そして、ブリターニャに行くものとわかっていても止められない彼我の力関係。
多少は高くなっても結局必要なものは手に入る。
アリストの言葉はそう言っていたのである。
もちろん魔族が金や銀を盾にワイバーンに圧力をかけることは考えられる。
だが、今のところその様子は全くない。
グワラニーがワイバーンの存在を失念していたということは考えられない。
そのつもりならとっくにおこなっており、すでにその影響が出ている。
「つまり、奴は大海賊に圧力をかけたかったがそれが叶わなかったということを示している」
「それは大海賊が金や銀の代わりに渡しているものが魔族にとって絶対に必要なものだから、止めたくても止められないということだ」
「いったいそれが何か興味深いところだが、とにかくこれでブリターニャを食料不足の状態にするというグワラニーの策は破綻した」
だが、破綻したのはアリストの推測となる。
まずフランベーニュで新たな噂が流れる。
「アリスト・ブリターニャは自身の虐殺計画をおこなうにあたり、まず強力な抵抗勢力になる魔族と大海賊ワイバーンの殲滅を決めた」
「それが完了次第、ブリターニャ軍によるフランベーニュ再侵攻がおこなわれ、フランベーニュ人を十分の一にする計画が始められる」
むろんフランベーニュ国内が反ブリターニャの感情が渦巻くのだが、そのような中で大海賊たちと一番関係の深い商人国家アグリニオンの評議委員会からこのような発表される。
「非常に喜ばしいことをお知らせする」
「大海賊ワイバーンがこの世界の敵アリスト・ブリターニャとブリターニャ王国に対する共闘に参加すると連絡が届いた」
「詳細はわからぬものの、大海賊ワイバーンはブリターニャには何も渡さないとのこと」
「さらにブリターニャへは何も届かぬようすべての船をすべて排除するとも伝えられている」
むろんその直前、ブリターニャに対し、「天空の大海賊」ワイバーンよりの通告が記された羊皮紙が港に停泊中のブリターニャ海軍の船の帆柱に張りつけられる。
そこにはバレデラス・ワイバーンだけではなく、「強欲の大海賊トゥルム」の長アレクサンドル・トゥルム、「暴虐の大海賊ウシュマル」の長サカリアス・ウシュマル、「麗しの大海賊ユラ」の長ジェセリア・ユラも名を連ねる。
さらに……。
「……アレクシス・コパン。『慈悲なき大海賊コパン』の名まであるだと」
他の七人はともかく、ブリターニャ王室とは血縁関係があるアレクシス・コパンまで通告書に名があることにアリストは驚く。
「王の末裔とはいえ、所詮海賊ということだろう」
アリストの呻き声にそう応じたのは、アリストにその通告書を見せた父王カーセル・ブリターニャだった。
「どうやら、先手を打たれたようだな。アリスト」
父王の苦みが濃い言葉にアリストも頷かねばならない。
「同じ魔族のワイバーンはともかく、他の大海賊たちまでグワラニーにつくとは思いませんでした」
そこから続くブリターニャの王宮の一室に長く続いた沈黙の時間を破ったのは父王の言葉だった。
「フランベーニュやアリターナ、それにアグリニオンの話はまもなくサイレンセストにも届く。相応の対策をおこなわなければ大混乱になる」
「そうかと言ってここでどれだけ否定しても効果はない。不本意の極みであるが、魔族の男の策に乗るしかあるまい」
「おまえの最前線に押し立てて魔族討伐をおこなってもらう」
むろんアリストも同意見である。
「そうですね。本当に残念ですが、それしかないようですね。百日から二百日。それだけあれば魔族の国の王都イペトスートを落とせるでしょうし、その間に迎撃で出たグワラニーを仕留めることができるはず。そうすれば、形勢は一気に逆転。グワラニーについている者たちも皆ブリターニャに靡くことでしょう」
「ですから、私たちが魔族討伐に出かけている間、国民の動揺を抑えるために食料の放出だけはよろしくお願いします」
当初は魔族軍がガルベイン砦攻略に乗り出したところで、その背後に転移し、イペトスートを目指すというものだった。
だが、ブリターニャを取り巻く状況は悪化の一途を辿り、他国からの情報がブリターニャ国内に流れ込み、不安から来る混乱は避けられない。
さらに、他国からの輸入ができなくなり食料不足も免れない。
むろん軍用の備蓄を放出する手はあるが、一年後に尽きる。
そうなれば、その前に事態を打開せねばならない。
つまり、勇者一行は準備でき次第行動を起こさねばならないということだ。
そして、そうなればガルベイン砦から前進を始めることになるのだが、当然ブリターニャの正規軍が勇者に続くことになる。
そうなれば、彼らは勇者の戦い方を見ることになる。
それを見てどう思うか?
むろんその強さに感嘆の声を上げるだろう。
だが、それと同時にその力をなぜこれまで使わなかったのかと疑問を持つことだろう。
あのふたつの戦い、それだけではなく、フランベーニュ侵攻の際にも。
「……色々反省すべき点はあります。だが、過去のことをどれだけ言っても始まらないし、死んだ者が生き返るわけでもありません」
「とにかく今は前に進むしかないです」
「まあ、今までと違い堂々と戦えるのだから悪くはないだろう」
「だが、アリストの言うとおり、これがあの魔族の企みの結果なら、奴は本気だということになる。だが……」
「俺の見立てでは奴はこちらと妥協する気満々だった。それがここまで変わったのはなぜだ?」
「それは……」
「それはアリストが魔族を根絶やしにする計画を持っていることに気づいたからでしょう」
ファーブの疑問に答えかけたアリストの言葉を遮り、その答えを口にしたのはフィーネだった。
「アリスト。ここまで来たのです。自分の計画を白状しなさい」
「……わかりました」
フィーネの、その言葉以上に強さを帯びた視線に応じるようにアリストは口を開く。
「魔族という種族はこの世界に存在していけないもの。私はそう考えています」
「それは各国の為政者どもが言っていることと同じだ」
「そうですね。ですが、彼らと私には決定的な違いがあります」
「彼らと違い、私にはそれができる」
「アリストに尋ねる」
いつもとは全く違う表情のファーブが再び口を開く。
「そのお題目では目が赤ければ女だろうが子供だろうが殺すということになるが、本当にそれを実行するのか?」
「はい」
「つまり、これまで見逃してきた者たちも殺すということか?」
「そうなります」
「御免被る」
「俺も。魔族軍兵士ならいくらでも斬るが、助けを請う女や子供を歯を出して笑いながら斬るほど俺は落ちぶれてはいない」
「まったくだ。それをやるなら、アリスト。おまえが自分でやれ」
ファーブに続き、マロとブランも口から泡を飛ばさんばかりに魔族皆殺しに反対するが、その三人を冷ややかに眺め返したアリストはフィーネに目をやる。
「あなたはどうしますか?フィーネ」
冷笑とともにやってきたその問いにフィーネはため息で応じ、それからアリストを眺め直す。
「私たちは正義の味方である勇者と名乗っているのです。もし、そうやりたければ、勇者という看板を下ろし、グワラニーが言っているとおり、『この世界に災いを齎した邪王アルフレッド・ブリターニャの正当な後継者アリスト・ブリターニャ』と名乗るべきでしょう。そうであれば、女子供を殺しても文句は言われません」
「いやいや、殺すのは魔族の者であって、人間には手をかけません。そうであれば、そこまでは言われないでしょう」
「さあ、それはどうでしょう。それに……」
「一度枷が外れたアリストにそれができるか疑問です。反対者はすべて殺すという素晴らしい暴君に変貌する方があり得る気がしますが」
それはあきらかに拒否を示す。
今度はアリストは大きくため息をつく。
「つまり、あなたがたはこれ以上、私と旅をしないということですか?」
「いや。イペトスートを落とすところまではつきあう」
「ああ。それから魔族の王の首は刎ねるのは俺だ」
「ただし、その間も俺たちが相手にするのは魔族軍の兵士だけだ。そんなに女子供を殺したければ自分でやれ。もちろん剣で」
「殺した子供が夢に出て寝られなくなる」
むろん、これまでも戦い方について意見の相違はあった。
そして、そのほぼすべてがアリストに正当性があったといってもいいだろう。
さらにいえば、説明不足の感はあるものの、今回もアリストの言葉には相応の理由があり、十分な正当性があったといえるだろう。
だが、結局ここで起きたアリストとファーブたちの溝は最後まで消えることはなかったのだが、それは魔族の国の王を屈服させればそれですべてが終わると思っているファーブたちと、将来まで見越して不安の種を自分の代で摘んでおこうというアリストとの「理想と現実のギャップ」とも言い換えることもできる。
ただし、ここではその罅はすぐに修復される。
「やはりやめておきましょう。男性はともかくきれいな女性を殺すのは私の主義に合わない。そのうえ魔族の王を倒した褒美がその大層な肩書になるのはうれしくないですから」
「俺たちだって、あのアルフレッド・ブリターニャの後継者の従者などと後ろ指は刺されたくない。そうしてもらえると助かる」
アリストは簡単に前言を撤回、ファーブもそれに応じ和解する。
ただし、一方は上辺だけの言葉ではあるのだが。
……まあ、アリストもグワラニーを倒すところまでは私たちがいなければ困るわけですから当然そうなるでしょうね。
ふたりの手打ちの様子を見ながらフィーネは心の中でそう呟いた。