ペルハイ会談
翌日、グワラニーはクアムートに帰還する。
その直後、会議をおこなう。
そして、グワラニーはそこで王都では披露しなかった対アリストの秘策を示す。
それは……。
「大海賊ワイバーンを仲間に引き入れる」
「具体的には……」
「ワイバーンにブリターニャの商船狩りをおこなわせる。さらに迎撃してきた海軍の船を沈める。さらにブリターニャに向かう商船は国籍を問わず沈めると各国に伝え、海路での物資運搬を止めさせる」
「当然、アリスト王子はこの対応を迫られる。十分な足止めになる」
「さらにアリターナやアグリニオンに輸出も止めることによって陸路での物資搬入も停止させれば効果はさらに大きくなる」
「そして、こちらがより重要なのだが……」
「いよいよとなった場合、ワイバーンに我々の受け入れさせる」
「……安全性という点では悪くはありませんが、それはあくまでこちらの都合。相手がこちらの提案に乗ってくるかは別の話。それについて採算があるのですか?」
「それは交渉次第というところだろうな」
目の前にいるふたりのうちのひとりからやってきたその問いにグワラニーはそう答えた。
「魔族が消え、アリスト王子というか、ブリターニャの天下となったら大海賊の力の根源である金銀は入手不能となる。それはワイバーンにとっては望ましいことではない」
「さらに魔族という種族を根絶やしにするというアリスト王子の方針はなにも陸上だけとは限らない。いずれ自分たちにもその手がやって来る可能性は十分にある。並みの頭の持ち主なら、単独で抗するより強力な仲間がいるうちに対抗措置を講じようと考えるだろう」
「では、後者についてはどうなりますか?」
もうひとりである年長の女性から当然過ぎる問いがやってくると、グワラニーは薄く笑みを浮かべる。
「追われる身となる我々を匿うことは、一見するとワイバーンに得になるようなものはなく、それどころか魔族の一部を匿えば、それを理由に討伐ということもあり得ます」
「ですが、我々を受け入れることは、ワイバーンは大いなる利を得られる。それを伝えてやれば、承知することでしょう」
そう言って、グワラニーは笑う。
「そのひとつは魔術師。我々を滅ぼした後、アリスト王子は残った唯一の魔族であるワイバーンを駆逐に乗り出した場合、彼らの選択肢は逃げ回るしかない」
「ですが、勇者を凌駕することはできなくても、魔法一撃で壊滅しなくて済む手段を提供するといえば彼らも頷くことでしょう。さらにいえば、魔術師長の弟子たちはワイバーンの配下よりは格上であることは確実。それだけの魔術師を一気に抱えられるとなればワイバーンは喜んで手を差し伸べることでしょう」
「それから、もうひとつ」
「それは金と銀」
「アリスト王子が魔族の国を亡ぼせば自動的に魔族の国の金と銀はブリターニャのものとなり、ワイバーンはそれを手にすることができなくなります。ですが、マンジュークをはじめとした金や銀の鉱山の場所を知ることができれば話は別。それを取引材料にします」
「ということで……」
「早急に会わねばなりませんね。天空の大海賊』の長バレデラス・ワイバーンに」
「ですが、バレデラス・ワイバーンは非常に用心深いと聞いております。会えますかね?」
「会うだろう」
「ワイバーンが現在の状況をどの程度まで掴んでいるかは知らないが、表面的なものだけであれば、魔族軍がブリターニャ軍を蹴散らし、サイレンセストを落とすのは確実。そうなったときに自身の地位がどうなるか不安だろう」
「そして、もう少し深みまで情報を手に入れ、見た目とは裏腹に実は追い込まれているのは魔族であることを知っていれば、なおさら会わねばならない」
「声をかければ必ず乗ってくる」
「そういうことで、バイア」
「できるだけ早く会えるように手配してくれ」
むろん、バイアがおこなうことだ。
その日の夜にはグワラニーの意向はペルハイを経由して大海賊ワイバーンの根拠地ファンドリアナ島の港町マンドリツァーラに滞在しているバレデラス・ワイバーンに伝えられる。
「アルディーシャ・グワラニーが私を名指しで話をしたいと言ってきた。いったい何の話だろうな。ペルディエンス」
バレデラスは最側近のアデマール・ペルディエンスにそう声をかける。
「まあ、ブリターニャ制圧後の交易についてであろうが、問題は……」
「王の代理ではなく、個人的にというところだ」
「奴が個人的に私に会いたい。しかも、大至急の要件とは何だ?しかも、個人的にということは王にも言えないこと。全くもって想像がつかない」
そう言ったものの、バレデラスには心当たりがひとつあった。
奴が異世界転移者であった場合。
紙を根拠に自分を同胞と見抜いた。
話はそれについてのもの。
心の中でそう呟いたバレデラスの耳にペルディエンスの声が飛び込んでくる。
「まあ、そこまで言うのです。会うことについては拒むこともないでしょう」
「さすがに我々を討つつもりではないでしょうから」
「それに……」
「こちらとしても一度会っておくべきでしょう。特に実質的に魔族軍の中心にいるグワラニーという男に。直接会えば為人もある程度わかるでしょうから損はない」
それから数度の交渉でセッティングは纏まり、二日後に会談がおこなわれることになった。
そして、その日、ペルハイで唯一ワイバーンの管理下に置かれている「イスコンディリージョ」という名の宿屋でふたりは会う。
その特別な店の中の特別な一室にやってきたのは、グワラニー、バイア、アリシア、デルフィン、アンガス・コルペリーア、そしてコリチーバと三人の護衛。
彼らを待っていたのは、バレデラス・ワイバーンとアデマール・ペルディエンス。
そこに加わるのは、まず大海賊ワイバーンの別動隊を率いるアラリコ・アビスベロ、アンドレア・マントゥーアのふたり。
このふたりは幹部であると同時に物理的な意味での護衛でもある。
さらに頭脳という点でアンブロシオ・コンセブシオン、カミロ・ナランヒートス。
それからナランヒートスとともに大海賊ワイバーンが抱える魔術師の第一人者とされるガエウ・デマハグマ。
「お互いに忙しい身。つまらぬ挨拶や駆け引きなしにしてもらおうか」
「問う」
「私を呼び出した理由は何だ?魔族の将アルディーシャ・グワラニー」
全員が席についたところで、挨拶代わりにすぐさまやってきたバレデラスの言葉にグワラニーは薄い笑みで応じる。
そして、口を開く。
「それは結構ですが、まずお尋ねしたい」
「大海賊ワイバーンは、我々とブリターニャとの戦いの状況をどう認識しているのでしょうか」
その問いにバレデラスは視線をひとりの男に動かす。
「コンセブシオン」
名を呼ばれた青色の瞳をした男は一礼後、口を開く。
「ブリターニャ軍は魔族軍に大敗し、大幅に戦力を減らしている。さらにブリターニャ軍はフランベーニュ領でも大敗しており、数はともかく質という点で魔族軍と対等に戦える戦力を擁してはいない。つまり、ブリターニャの滅亡は間近」
事実を完結に伝えたコンセブシオンの言葉に満足そうに頷いたバレデラスは目の前に座る若い魔族の男に目をやる。
「そういうことだ」
バレデラスとしては、自身の情報収集力と分析力を見せつけたつもりであったのだが、グワラニーの反応は驚くほど薄い。
そして、あきらかに負の要素に染まった笑みを湛えこう言う。
「それから?」
「それからとはどういうことだ?」
むろん、バレデラスはすべてのカードを切り終わっている。
バレデラスは部下たちに目をやる。
そして、全員の表情からグワラニーは相手には本当に手札が残されていないことを確信する。
バイアとアリシアに目をやり、ふたりも同じ感想を持っていることを確認したところで口を開く。
「では、こちらからその話をさせていただく。実を言えば、バレデラス殿が口にしたことは表面的なもの。そして、現実は少々違います。いや……」
「かなり違います。なぜなら追い詰められているのはブリターニャではなく、我々なのです」
「そして、我々がここにやってきたのはそれが理由となります」
「なんだと……」
グワラニーの言葉はバレデラスにとって予想外のものであった。
再び取り巻きに目をやる。
……なるほど。
……すべてを理解した。
グワラニーはその様子で察した。
……海賊の本業での実力はわからないが、交渉者としての力、そして洞察力は並み。
……ただし、部下たちの忠誠心から相応の求心力はある。
……さらに、自身の力を理解し、それを補うために力のある者を周りに置き、さらに部下の声を聞く度量もある。
……組織の頂点に立つ者としては合格点。
……むしろ、このような男こそ成功できる。
……バレデラス氏の力を見極めたところでグワラニーは本題に進もう。
「では、順を追って説明します」
薄い笑みを浮かべたグワラニーはその言葉を前置きにして話し始める。
「バレデラス殿は勇者がご存じですか?」
「もちろん。会ったことはないが」
「実は……」
「その勇者一行とは、ブリターニャ王太子、アリスト・ブリターニャとその護衛のことです」
その瞬間、複数の驚きの声が上がる。
もちろんそこにバレデラスも含まれる。
だが、それとともにバレデラスは理解した。
あの一件の後、バレデラスはナランヒートスとデマハグマから忠告されていた。
あの女は化け物級の魔術師、戦闘は絶対に避けるべきだと。
彼女が勇者一行にいるという「銀髪の魔女」ならその力は納得できる。
だが、噂では勇者一行にはふたりの魔術師がいる。
もちろんひとりは「銀髪の魔女」。
あの場には勇者一行のうちの四人がいたが、魔力を確認できたのは彼女だけ。
ということは……。
「勇者一行にいるというふたりの化け物魔術師のひとりとは……」
「そう。アリスト・ブリターニャ本人。さらに言っておけば、アリスト王子の魔力は『銀髪の魔女』よりも上。つまり、彼の魔力はこの世界の最高級ということになります」
「そして、その破壊力は実際目にしたものを言葉にすれば視界に入るものすべてを一撃で焼き尽くす」
「バレデラス殿の言葉どおり、ブリターニャ軍は魔族軍に抗うことはもはや困難。このまま黙っていればサイレンセスト陥落は避けられない」
「ブリターニャの王太子としてそれは看過できない。さらに……」
「少し前にアリスト・ブリターニャは自身が魔術師であるという宣言をおこなった」
「言うまでもなく、アルフレッド・ブリターニャの件もあり、ブリターニャの王位継承者が魔術師であることは好ましいことではない。それにもかかわらず、何故そのような宣言をしたのか?」
「言うまでもない。非常に強力な相手が現れ、近いうちに自分が動かなけれならない時が来る。あれはその時のためです」
「そして、王子の目的は何か?」
「魔術師であることを公表した以上、アリスト王子は生半可戦果では国王にはなれない。将来にわたって燦然と輝くようなものが必要となります。それは何か?いうまでもない。魔族殲滅。それによってこの世界は魔族が存在しない人間だけの世界にできる」
「だが、アリスト王子はそのようなことまで言っていない。つまり、それはあくまでおまえの推測。それともそこまで言い切れるだけの根拠があるのか?」
ペルディエンスからやってきた問いにグワラニーは黒みを帯びた笑みで応じる。
「噂とは違いアリスト・ブリターニャは非常に頭が切れる。彼の才はアリターナの『赤い悪魔』の長や『アグリニオンの女傑』と同等以上」
「そんな男です。おそらく魔族を屈服させ、自国の傭兵にしようという選択肢も用意したところで、どれだけ有用性があろうとも絶対に生かしておいてはいけない理由に辿り着いた」
「なんだ?それは」
「魔族の寿命」
「アリスト王子が恐れているのは、従順な羊のふりをしていた狼が自分の死後、本性を表し再び君臨する世界」
「そうならぬためには、圧倒的力を持った自分が生きているうちに狼を狩り尽くし、そのようなことが起こらぬようにする」
「それが圧倒的力を与えられた自分の責務とでも考えたのでしょう。それがわざわざ自身が魔術師であることを公表した理由でもあるでしょう」
「狩られる側にとっては非常に迷惑な話ですが、いかにも勇者らしい発想でもあります」
バレデラス、そして同行した者たちはようやく事態の深刻さに気づく。
「だ、だが、我々は種族としては魔族だが、魔族の国からは独立した存在だろう……」
「それは命乞いのときに言うセリフとして取っておいてください」
組織の中で武闘派として名高いアラリコ・アビスベロの大海賊らしくない言葉を嘲笑とともに瞬殺したグワラニーはさらに言葉を続ける。
「もちろんアリスト王子の最初の目標は陸上にいる魔族の殲滅でしょう。そして、あなたがたが蠢動せぬようワイバーンは海賊は無関係と言うことでしょう。ですが、それを信じてはいけない」
「アリスト王子の性格から考えれば、一番厳しいところを自分が担う。魔族の王都を落とし、私の軍の殲滅に成功したら必ず海に乗り出す」
「彼にとって幸いなことにブリターニャの海軍は温存されている。さらに商船も多数ある。海に出て、見つけてしまえば、あとは自分たちが仕事をすればいいわけです」
「それを逃れるためにあなたがたは逃げ、アリスト王子の乗る船が追いかける。その過程で出会った大海賊もすべて屠るでしょう。そして、あなたがたの根拠地も」
そこでグワラニーの言葉はようやく止まる。
その場を完全に支配して。
「とりあえず状況は理解した」
「それで我々への相談とは何か?」
グワラニーが口にしたここまでの言葉で自分たちを誘っているものであり、十分に盛っていることは承知している。
承知しているが、乗らざるを得ない。
グワラニーの言うような最悪の事態が目の前にやってきたときでは手遅れになのだから。
そして、バレデラスの絞り出すように口にした言葉に対するグワラニーが答えはこれである。
「むろん、共通の敵であるアリスト・ブリターニャへの対応です」
「差し当たって我々がおこなわなければならないのは勇者一行の足止めです。何もしなければ三十日で魔族の王都は落ち、五十日後にはアリスト王子は海に乗り出します」
「そういうことであなたがたにはブリターニャへの海上輸送を止めていただきたい」
「具体的にはブリターニャに出入りする船は国籍を問わずすべて沈めると宣言してください」
「それと同時に噂を流す。アルフレッド・ブリターニャの再来であるアリスト・ブリターニャがこの世界の人口を半分にする邪悪な計画を立てていると」
「さらに、フランベーニュではこうも言う。先日のブリターニャによるフランベーニュ進攻とフランベーニュ軍への攻撃。それもすべてアリスト・ブリターニャの計画。一見失敗したかのように見えるが、フランベーニュ国民数百万を虐殺する、これ自体が目的であったのだから計画は成功したとアリスト・ブリターニャは笑っている。そして、アリターナとアグリニオンでは、アリスト王子はこの両国で虐殺をおこなう計画を立てている。そのためにまず妨害に出ると思われる魔族を滅ぼすために動く」
「これでブリターニャへ入る小麦をはじめとした必要物資の搬入が止まり、その対応に追われることになります」
「それとともに、魔族とブリターニャの立ち位置を逆転させ、悪は魔族ではなくブリターニャという流れをつくりだします。そして、その正体を明らかにした勇者も正義の味方ではなく残虐行為をおこなう邪悪な存在に失墜させます」
「そして、それとは別に将来への予防として、ブリターニャ海軍の殲滅。さらに商船も同様。これによってアリスト王子は海賊討伐に乗り出しても肝心の船がないという状況をつくりだします」
「ですが、相手はアリスト・ブリターニャ」
「おそらくこれでも足りない」
「そこで勇者による魔族領が始まり、王都の戦いが始まり、王都に迫った段階で、完全というわけにはいかないでしょうが、鉱山はもちろん、畑や灌漑施設もすべて破壊しブリターニャには何も残さない」
「もちろんこのペルハイは破壊します」
「そして、それ以降、国内に残った金や銀、さらに小麦を生産地や貯蔵場所から直接そちらの根拠地に移動させたいと思います」
「それに関連して、いくつかの提案をしたい」
「こちらの魔術師が転移できるようにしておきたい」
「移動させるのは物的資産だけではなく人的資産も含まれる。そうなれば、こちらの魔術師による転移は必要となるからだ」
「ついでに言えば、私が抱える魔術師団はそちらの魔術師ふたりより遥かに格上の魔術師が二千人います。魔族の国が無くなった場合、当然彼らはあなたがた『天空の大海賊』に合流します。そして、剣士たちも」
「ひとつ聞いていいか?」
グワラニーがそこまで話したところで、バレデラスが言葉を挟み込む。
「その人的資源とやらの受け入れについてだが、対象は魔族の国全体の話なのか?」
「いいえ。ここでお願いしているのはあくまで私の配下だけの話。こういうものは早い者勝ちなので、定員にならぬうちに申し込みしておこうということです」
「……個人的な話とはそういうことか」
「まあ、そうなりますね。ですが、悪い話ではないでしょう。魔族軍最強、というより、勇者を除けばこの世界最強部隊をそっくり抱え込むことができるのですから」
「それに、こちらはマンジュークをはじめとした鉱山群の位置を把握しています。いざとなれば、彼らを道案内役にして本業で金銀を手に入れられる。そうすれば、ブリターニャに鉱山を抑えられても手に入れる手段が確保できる」
「アリスト王子ならともかく、ブリターニャの警備兵どもであれば、難なく排除できることでしょうから」
「つまり、おまえたちを受け入れれば、我々には大きな利があるというわけか」
「そういうことになります」
「もちろんそこまで進まず、我々がブリターニャを抑え込むことに成功した場合でも金銀は『天空の大海賊』を介すことを約束します」
「手伝いをさせる以上、小麦についてはアリターナとアグリニオンの商人たちに流すしかありませんが」
「とても、軍人には見えない。いや、文官にも見えない。商品をよく見せて高く売ることにも随分と長けているようなのでアグリオンに行っても十分成功しそうだ。いや、噂の『赤い悪魔』に入ってもやっていけるのではないか」
そう皮肉を込めてグワラニーの才を認めたバレデラスは一瞬後、グワラニーに目をやる。
「まあ、いいだろう。そちらの要求は承知した」
この直後、ふたりは羊皮紙製の協定書を交わす。
たとえば、これが人間同士の協定なら、裏切りや協定の反故は起こり得るものと考えておかねばならない。
そして、これがこの世界だけものではないことは、別の世界でも国家間の条約でさえ、条約遵守より利益が優先する場合、あっさりと反故にされることが頻繁に起きていることからそれは証明されている。
だが、大海賊と魔族に限っては契約の類は絶対に守られるものであり、守れぬ可能性があるものは契約しないということが鉄則。
つまり、契約至上主義者である両者が協定を結んだということはその協定は破られることはないのだ。
グワラニーにとってこれは大きい。
まず、避難場所を確保した。
さらに、バレデラスが自分と協定を結んだということは、アリストに先んじて大海賊に対して手を打てたということであり、全面的な協力とはならなくても、全面的な敵対行動はなくなったことを意味している。
そして、個人的な部分においても、この世界と元の世界を行き来している者の第一候補であるバレデラス・ワイバーンと友諠を結べたのは大きい。
もちろん、今はそれを口にすることはないのだが。
「では、下見がてらに行ってみるか。この場にいる者だけになるが」
「よろしくお願いします」
「ナランヒートス、デマハグマ」
バレデラスはふたりの部下の名を呼び、テーブルに指さす。
そして、差し出されたふたり分の手に全員が触れた次の瞬間、その姿が薄まり始め、やがて完全に消える。
その直後、その者たちは一瞬前までとはまったく違う光景と香りの土地に姿を現す。
それと同時に半数の者が声を上げる。
「これは?」
「おそらくこれが海というものだろう」
「青い。そして、広い」
「ああ。何も見えない」
「一応、太陽があるから方向はわかるが、陸が見えないところまで進んだらあっという間に迷子だ」
「ああ。海賊たちはどうやって帰ってくるのだ?」
「知らん」
むろんその恥ずかしい言葉を口にしているのは魔族の国の住人たち。
ちなみに、彼らの中で海を見た経験のある者はアリシアとデルフィン、それから別の世界の海も含めるならグワラニーも加わり三人となる。
普段は厳めしい顔を崩さないアンガス・コルペリーアもさすがに初めて見る海の雄大さに感嘆の声を上げざるを得なかった。
海を見せる。
それだけで訪問者を圧倒したその島の支配者はその様子に十分な満足感を得たところで口を開く。
「ようこそ。マンドリツァーラへ」
「マンドリツァーラ?それは町の名ですか?それとも島の名ですか?」
「町の名だ。ただし、町と言っても、中心部だけでも数万人以上が暮らしており、周辺も合わせれば十万人以上はいるので、正確には都市ではある」
「……クアムートの新市街地と同等ということですか」
自身の問いに答えるバレデラスの言葉に大きく頷くグワラニーの耳元でバイアが呟く。
ちなみに、この世界に人口五万以上十万以下を示す「市」という概念を持ち込んだのはグワラニーで、当然「市」、「新市街」という言葉をこの世界に生み出したのもグワラニーとなる。
さらにいえば、この世界には「単位王」として名高い大昔の魔族の王と悪名高きブリターニャ王によって異世界から多くの概念が持ち込まれていたのだが、百人以下の地域を「村」、それ以上を「町」、十万以上を「都市」とする基準と名称もそれに含まれる。
この時「市」がなぜ抜け落ちたのか言えば、王都以外にその規模を有する場所は、別の世界の「城郭都市」にあたる周壁に囲まれ要塞化された「城塞都市」と呼ばれるもの以外に存在しなかったためである。
「まあ、じっくり案内をしたところだが、時間の関係もある。それはまた別の機会にすることにして、我々が受け入れるのはどれくらいになる?」
「十万から二十万というところですか」
「随分多いな」
「それでも半分以下です」
これは正しい。
そして、落とされるのはアストラハーニェからの移住者たちとなるが、彼らの場合、目と鼻の先が祖国であり、話を通しておけばカラシニコフが保護するのだから問題は起きない。
だが、フランベーニュやマジャーラからの移住者はそうはいかない。
彼らは連れて行くしかないのだ。
そうなると、それくらいの数になる。
「もちろんすべて用意してくれなどとは言いません。土地さえいただければ、整備はこちらでおこないますので」
そして、グワラニーの言葉どおり、それからしばらくすると、転移ポイントを手に入れるために魔術師の転移が始まり、続いて整地作業をおこなうための戦闘工兵も姿を現す。
彼らはマンドリツァーラ近郊、さらに未開拓の地域に道路をつくりその地域を整備していく。
さらに、ファンドリアナ島の北にある無人島ウベロにも上陸し、さらに住居地域を拡大していく。
だが、結局それらはほとんど使用されることなく役目を終え、放棄されたその場所は一部を除き再び樹海に戻っていくことになる。
「それから、我々が請け負う仕事についてだが、いくつかの例外を設けたい」
「ひとつは我々がブリターニャ各地に忍ばせている間者に関わるものだ。間者の交代をおこなうには当然陸地に近づかねばならない」
「それと漁師たちの船は見逃す」
バレデラスからの言葉にグワラニーは頷く。
「結構です。対象は商船のみで結構です」
「もうひとつ。大海賊のひとり『慈悲なき大海賊』の長アレクシス・コパンは個人的にブリターニャ王室と繋がっており、年に数度贈り物を届けている。さすがそれを止めるのは難しい」
「いいでしょう」
「そして、当然だが、コパンはおまえの話には乗ってこないと思ったほうがいい」
「それも承知しました。大海賊全員が協力してくれるのなら一番いいのですが、それぞれに事情があるでしょうから」
「それで……」
「我々はすぐに仕事を始めればいいのか?」
「いいえ」
バレデラスの問いにグワラニーは即座にそう返答する。
「これをおこなうには順番というものが重要になってきます」
「具体的には、まずフランベーニュ、アリターナ、それからアグリニオンで噂が流れます。『天空の大海賊』はそれに反応するように行動を起こす」
「こうすれば、あなたがたは我々の協力者ではなく、その噂に過剰反応した者ということになります」
「そうであれば、アリスト王子がすぐさま討伐にやってくることもないですし、それどころか懐柔のために接触してくるかもしれません」
「そうすれば、彼の為人を確認できることでしょう」
「もちろん彼の本性は表面の笑顔の裏顔にあることを忘れてはいけません」
むろん、この同盟は公表されない、いわば秘密同盟。
そして、グワラニーの助言に従い絶妙過ぎるタイミングでワイバーンが動き出したため、当時者たち以外はその存在を疑う者はいなかった。
「統一戦史研究学会」の重鎮でフランベーニュの大歴史研究家ショボニー・プラティエの言葉。
「アルディーシャ・グワラニーとアリスト・ブリターニャによる頂上決戦は最終的に当事者を含めて誰もが予想もしない形で決着がするわけなのだが、少なくても純粋な意味での勝者を決めた要因のひとつは大海賊ワイバーンとの協定締結であった」
「フランベーニュから始まる一連の噂。その直後のワイバーンの海上封鎖宣言。あれで対魔族協定に代わる各国の対ブリターニャ協力体制が出来上がった」
「そして、それによって動きが取れなくなったアリスト・ブリターニャが事態打開のために強引に動き出したことで噂は真実になっていく」
「乱暴な言い方をすれば、アリスト・ブリターニャはこの時点ですでに負けていたと言える」
「もちろん、アリスト・ブリターニャの希望通りことが進んでいれば、魔族という種族を完全殲滅し、さらに自身の力によってすべての国を従わせることもできただろう。だが、それは自らが『アルフレッド・ブリターニャの再来』であることを証明するもの。当然各国に抵抗運動は続き、最終的な破滅となる。どう転がってもアリスト・ブリターニャにも彼にすべてを託したブリターニャ王国にも明るい未来はやってくることはなかったのだ」
グワラニーの策に乗り、この戦いの最終的な勝利者のひとりとなる「天空の大海賊」ワイバーン。
バレデラス・ワイバーンとアルディーシャ・グワラニーの交渉をすぐ近くで眺めていた者たちの言葉がいくつか残されている。
側近中の側近であるアデマール・ペルディエンス。
「アリスト・ブリターニャとアルディーシャ・グワラニーの戦い。それに比べれば、我々の戦いなど児戯に等しい」
「子供たちが遊ぶ盤上遊戯で例えるなら、我々がおこなうのは数手先の読み合い。だが、アリスト・ブリターニャは、戦いの半ばまで読み、さらに一手ごとにすべてを読み直すような戦い方をする。だが、彼の相手であるグワラニーはさらに上をいく。始まる前に最後の一手まで読み切ってから手を動かす。しかも、相手がどのような手を打とうが、結果は変わらない。すべてを読み切ったとはあの男だけに許される言葉であろう」
大海賊ワイバーンの小細工の発案者として知られるカミロ・ナランヒートス。
「個人的には……」
「今後の参考にするため、化け物のようなふたりの騙し合いの結晶であるあの戦いの本来の結末がどのようなものだったのかが見たかった」
「もっとも、それは自分が生者として立っていられるから言える戯言である。なぜなら……」
「実際にグワラニーの罠をアリスト・ブリターニャが力業で突破した後の戦いが結末までいっていたら、我々の中で生き残った者がいるかどうかもわからない悲惨な現実がやってきたことだろうから」
「そういう意味では、グワラニーを含めた我々生き残った全員があの男に感謝すべきだろう」