悪夢再び
ブリターニャの追加徴兵は大掛かりかつ武断的で別の世界での言葉を使用すれば「強制連行」と表現できるものだった。
しかも、この対象となるのは平民と下級貴族のみであり、さらに王族や上級貴族の領内に住む者は平民であっても除外される。
むろんアリストの領地であるラフギールもそこに含まれ、のちにアリストの悪行のひとつとして挙げられることになる。
「囮役として多数の国民を前線に送り無駄死にさせながら、自身の領内の民には今まで通りの平穏な生活を保証する。アルフレッド・ブリターニャの後継者であるアリスト・ブリターニャにしかできない崇高な行為といえるだろう」
ブリターニャの歴史学者デズモンド・エクスターは著書の中で皮肉を込めてそう非難し、この徴兵を扱う多くの書でも同様な記述が残される。
だが、事実は大きく違う。
徴兵を始めるにあたり、アリストは自身の領地も徴兵の対象にするように求めた。
むろん彼らが生きて帰ることができないのはわかっている。
だから、自領内での徴兵を望んでいるわけではない。
だが、多くの者に負担を強要しながら、自身は傷つかないことは許されない。
所謂「断腸の思い」で申し出であった。
だが、結局これは却下される。
王太子の領内で徴兵がおこなわれれば他の王族や上級貴族の領内もそれに準じなければならない。
だが、それでは都合が悪い、所謂ステークホルダーが徴兵をおこなう側の中に多数存在した。
当然それを認めるわけにはいかない。
日の当たらない場所で彼らは手を組み、その代表として宰相アンタイル・カイルウスや大物王族が王に掛け合い、アリストの提案を却下する決定を手に入れる。
王の決定である以上、アリストはそれに従うしかなく、結果としてアリストの領地に住む者は徴兵を免れた。
それは事実である。
だが、それを言うのなら他の王族や上級貴族も同罪。
いや、それ以上の罪があるはずである。
しかし、非難はなぜかすべてアリストに集まり、他の者への言及は殆どない。
その理由はこれに関わる公文書が残っていなかったことを利用して関係者が自らのおこないをすべて悪名轟くアリストに擦りつけた結果だった。
さて、その徴兵も終わり編成が完了したブリターニャのフランベーニュ遠征軍の規模は百八十万人。
そのうちの二十三万五千が新たに徴兵で集められた者となる。
平均年齢二十九歳。
ブリターニャ軍正規兵の平均である二十六歳より若干高いが十分戦闘に耐えられる年齢に思えるが、これにはカラクリがある。
肝心の二十代、三十代がほとんどおらず、この世界の成人年齢である十五歳になったばかり、それどころかそれより若い未成年の者と四十歳台の者が大部分だったのである。
これはグワラニーの言う「平均値のいかさま」が成せる業といえる。
実を言えば、グワラニーは文官時代から平均値を忌み嫌い、中央値を崇拝していた。
それはこの世界に来る前の前職の経験に由来している。
彼が属した組織は多くの場所に提示するのは平均値。
だが、自分たちが本当に必要とする場合にはこっそりと中央値を使用していた。
これはある意味でダブルスタンダード。
それとともに、平均値がいかに実体に即したものでないかを示す証左となる。
「十人の者がいる。ひとりは金貨百枚を持っており、残り九人は金貨を一枚も持っていない。だが、十人の平均となると、ひとり当たり金貨十枚持っていることになる。だが、これが実態に表しているかといえば違う。その点中央値は十人のうち五番目の者の値となり、当然ゼロ。実態としてはこちらの方が近いといえる。だが、使用されるのは平均値。これはそれを示す者にとって都合がいいものになっていることが多いからだ」
「だから、私は平均値より中央値を重要視する」
「諸君も『平均値のいかさま』に騙されることなく、中央値にこそ真実があることを心に刻むように」
自身が選抜したエリート文官の集まりである軍官たちの前で訓示したときのグワラニーの言葉がそれをよく表している。
もっとも、この時には中央値になるものもその悲惨な実態に正確に示していたとは言い難かったのだが。
続いて、内々に発表された遠征部隊の指揮官たち。
フランベーニュ遠征軍総司令官兼中央軍司令官ファルマス・イブリントン将軍。
遠征軍副司令官ジャクソン・ムーア将軍、サイラス・ランス将軍。
北方軍司令官ランドルフ・ブレイン将軍。
南方軍司令官チャールズ・ハイゲード将軍。
魔術師団司令官カーティス・シーフォース。
予備部隊司令官ダスティン・バーヴィカン将軍。
実は将軍及び将軍格の魔術師はこれだけあり、残りの指揮官百二十二人は皆准将であり、魔術師長もすべて准将軍格。
これは異例中に異例である。
「この戦いでの功が認められれば正式に将軍に格上げする」
これが任命式における軍総司令官アレグザンダー・コルグルトンの言葉となる。
「一斉に国境を越え進軍せよ」
「第一目標はプレゲール城。南北両軍は中央軍がプレゲール城を奪取し確保できるように敵を牽制しながら進軍せよ」
「第一目標が終了後、新たな目標を伝える。まずは第一目標を成功させるよう全力を尽くせ」
コルグルトンはイブリントンら将軍クラスの指揮官を集めた席でそう言ったものの、実はそれ以上の目標は策定されていなかった。
理由はいうまでもないこと。
「……それまでにベルナードは必ず現れる」
「そして、そこからが彼らの本当の仕事が始まるわけだ」
軍を見送ったコルグルトンはそう呟いた。
そして、それからまもなくブリターニャ軍は三方面から一斉にフランベーニュ領に侵入し、侵攻作戦を開始する。
極限までの緊張を持って。
だが……。
「敵がいないではないか?」
「まったくだ。国境を守る者もいないのか。フランベーニュ軍は」
「だが、兵士どころか誰もいないというのはおかしくないか」
そう。
国境沿いに点在する監視所はもちろん、周辺の集落にもフランベーニュ軍だけではなくフランベーニュ人がいないのである。
「我が軍の展開を知って逃げ出したということか」
「ということは、プレゲール城に集まっているということか」
「ああ。あそこは数十万の兵を収容できる広さがある。激戦は避けられないな」
中央を進む総司令官イブリントンは副司令官のムーアやランスとそのような言葉を交わす。
そして、侵攻を開始して五日目。
小高い丘に登ったイブリントンはその様子に驚く。
「……どういうことだ?」
「プレゲール城が無人などということはあり得るのか?」
そう。
コルグルトンが示した目標であるプレゲール城までやってきたブリターニャ軍が見たのは無人の城。
この要衝を戦いもせず撤退するなどあり得ぬ話であり、イブリントンは罠を疑う。
だが、結局何も起こらず。
「サイレンセストへ連絡。プレゲール城奪取に成功。次の指示を請う」
その報は、ブリターニャ側の国境警備の拠点バーゴインで待つアリストにも伝わる。
むろん周囲は沸き立つ中、アリストの表情はそれとは対照的なものだった。
「どう思いますか?」
「予定通り。と言っても相手にとっての話ですが」
フィーネの問いにアリストはそう答え、そのまま言葉を続ける。
「……間違いなくベルナード将軍は来ていますね」
「では、指揮官にそう教えてやればいいではありませんか」
「教えたいです。ですが、そうなると指揮系統が乱れます。さらに言えば……」
「そうなると彼らの本来の役割が果たせない」
コルグルトンからの命令は当然前進。
予備部隊司令官ダスティン・バーヴィカン将軍をプレゲール城を置いたブリターニャ軍はさらに前へ進む。
むろんブリターニャ軍の様子はすべてベルナード将軍の知るところであった。
だが、それにもかかわらず、ベルナード将軍はあきらかに不機嫌だった。
「何か気に入らないことでもあるのかな。総司令官」
「あるかないかどうかどころか、不満ばかりだな」
シャンバニュールの問いに吐き捨てるようのそう言うと、上がってきた報告書を魔術師に渡す。
「二百万の将兵を囮、いや、我々に対する餌にする。それが一国を統べる者がおこなうことなのか?」
「逆にいえば、将軍はそれだけの価値があるということなのだろう」
シャンバニュールの言葉は一見すると名誉に聞こえるものの、当然それはこの場にいない者への盛大な皮肉。
不機嫌さは増したベルナードはシャンバニュールに目をやる。
「それは大変な名誉だな。だが、だからと言って死んでやる義理はない。それどころか、アリスト・ブリターニャが酔狂だけで始めたこんな戦いで大事な一兵を死なせるわけにはいかない」
「シャンバニュールの提案通り海軍風、いや、グワラニー風で戦うことにしよう」
「逃げる餌を追ってやって来る我々を狩る気で国境の先で待っているのであれば、そこまでにブリターニャ兵を全部狩り尽くせばいいだけのこと」
「アリスト・ブリターニャに実地で教えてやる。思い通りにはならない戦争の厳しさというものを」
プレゲール城無血占領から十三日目。
先頭部隊からの敵発見の報を聞き、大急ぎで隊列の先頭に向かったイブリントンはこう呟く。
「これがフランベーニュ軍の答えということか」
一介の兵であれば、この時点で逃げ出すところだが、今のイブリントンは百万の兵を率いる司令官。
戦いもせず敗走を始めたら、たとえブリターニャに辿り着いたとしても責任を取らされ処刑は免れない。
だが、心の中で「逃げ出すために一戦はしなくてもならないなど馬鹿々々しいかぎり」と呟くイブリントンと違い、ふたりの副司令官を始め、多くの者はやる気を漲らせている。
仕方がない。
その言葉を飲み込むとイブリントンは敵の配置をもう一度確認し、それから、集まっていた指揮官たちに目をやる。
「自分たちは万全の体制。それに対し相手は行軍陣形。この時点で戦い始めれば一瞬で決着がつく。それにもかかわらず仕掛けてこない。つまり、正々堂々と戦うということだ」
「ここまでされては受けざるを得ない」
「作法に則り、相手司令官と話をする」
それから両軍の中間地点でおこなわれた協議。
これはこの世界の戦いをおこなう場合の伝統的な作法のひとつであるのだが、それが常におこなわれてきたのかといえばそのようなことはない。
まず、魔族が関わった場合にはその例はないと言っていい。
では、人間同士の戦いではどうなのかといえば、実を言えばそれがおこなわれた例は全体の二割ほどとされている。
その理由は簡単。
自分たちが有利な体制なうちに相手を叩くべき。
逆にいえば、不利な側が協議に持ち込み、その間に陣形を整える、その協議を時間稼ぎに利用できた。
そのためそれをおこなわせないよう戦闘を開始することも珍しくなかったのである。
つまり、今回の場合も敵を発見したフランベーニュ軍がすぐさま戦闘に入るのはある意味では定石。
それをおこなわず、そうなるように誘い、協議にも応じたベルナードにはこのような思惑があった。
戦いの作法を示し、勝てないとわかっていても戦うしかないように仕向ける。
そして、相手の全軍を戦場に引きずり出し徹底的に叩く。
ブリターニャ軍との協議が始まる少し前のフランベーニュ軍本陣。
「ブリターニャ軍。白旗を上げた小集団が進んできます」
見張りからの声にベルナードはニヤリとする。
「降伏ということはないだろうな」
「余程気の利いた者でないかぎりそれはあるまい」
ベルナードの声に応じたのはシャンバニュール。
その言葉にベルナードは大きく頷く。
「そうだな。食料不足が著しいこちらにとってそれが一番困るなどと考えるのはグワラニーくらいのもの。それ以外の者は戦う前に降伏するなどという選択肢は持ち合わせていない。もちろんこの私も」
「まあ、それこそがフランベーニュがグワラニーに負けた理由なのだが」
自身に向けての嘲りの言葉を口にしたベルナードだったが、すぐに表情はいつもと同じ厳しいだけでつくられているものへ戻っていく。
「同行は魔術師長。それから護衛としてエルキュールとジャックのルブラン兄弟。そして、書記を兼ねたリューだけでいいだろう。その間に指揮はクリスチャーヌ・ペルジュラックに任せる」
十ドゥア後。
「私はブリターニャ軍将軍ファルマス・イブリントン」
「アルサンス・ベルナード。フランベーニュ軍の将軍である」
立ったまま型どおりの挨拶が終わると、ベルナードはその男を眺め直し、問う。
「同行しているのは副官と文官だけのようだが……」
そう。
イブリントンはが同行させたのは副官のカール・ゲミエールと、文書作成のために文官のベンジャミン・ダンピースのみを同行させていた。
通常にそこに加わる副司令官や魔術師、それから護衛などはすべて省いていたのだ。
敵将を自分ごと吹き飛ばせという指示をしていたのではないか。
だが、ベルナードの様子からそれを察したイブリントンは薄く笑う。
「相手は高名なベルナード将軍。しかも数も違う。そのような状況で協議にやってきた私のような小物を叩き斬ることはないだろうと思っただけだ。自分と一緒に魔法で吹き飛ばせなどという命令はしていない」
「それにそんなことを考えても成功するはずがない。恥を掻いて終わりだ」
「もっとも、味方の中にいるお調子者の誰かがそれをおこなうかもしれないが、それはその者が勝手にやったことで私の命令ではないと断言しておこう」
「それならいい。では、協議を始める」
「戦いは一セパ後。こちらの狼煙にそちらが応じたところで始める」
「今回の戦いに関してはそれ以外に取り決めることはないし、要求にも応じない」
「承知した」
ベルナードのその言葉はブリターニャ軍兵士の降伏を認めず、全員を殺すことを暗に示している。
むろんイブリントンはその言葉が何を意味しているかすぐに理解していた。
それにもかかわらずそれをあっさりと承知したということである。
「決め事は僅か。証するものは不要であろう。よろしいか」
「もちろん。では、これで終わりだ。ということで……」
「ダンピース。おまえの仕事はここまでだ。ベルナード将軍。この男を将軍に引き渡す。捕虜としてくれ」
「えっ?」
「はあ?」
そう言われたダンピースはもちろん、彼を押しつけられた形となったベルナードも驚く。
「一応その理由を聞いておこうか」
見捨てられた形となるダンピースを眺めながらベルナードはそう問うと、イブリントンは当然のことをなぜ尋ねると言わんばかりの表情を見せ、こう返す。
「簡単なことだ。このダンピースは文官。これからおこなわれる戦いの場では無用。そんなものは我が軍に置いておく必要はない。ただそれだけだ」
足手纏い
イブリントンの言葉を簡単に言えばそうなる。
実際にダンピースは剣を帯びていない。
表面上でいえば、その言葉は正しい。
だが、その言葉をそのまま受け取っていいかといえば、そうではない。
ベルナードもシャンバニュールもそれに気づく。
自分たちはこれから全滅する。
武官であれば、それは仕方がないこと。
だが、文官は違う。
「尋ねる」
「この者を選んだ理由は?」
「むろんダンピースは気が利く者だから。だが、この者を置いていくのは最近子供が生まれたと聞かされてしまった。そんなつまらぬ理由だ」
「なるほど」
ベルナードはシャンバニュールを見やり、薄く笑う。
「戦いの前にそのような話をされるのは非常に迷惑」
「だが、承知した。その者の名は?」
「ベンジャミン・ダンピース」
「では、ダンピース。たった今からおまえは私の捕虜だ」
むろん驚くべき速さで決まったことに思考が追いつかなかったダンピースはうろたえるものの、結局従わざるを得なかった。
「感謝する。では、戦場で」
「ああ」
実をいえば、イブリントンは協議を始める前まではダンピースをその場で引き渡すことなど全く考えていなかった。
戦いが始まった時点で文官全員は降伏させる。
そして、これが無駄な死者を出さないためのイブリントンの腹案。
だが、その言葉からベルナードは降伏を許さずブリターニャの兵をひとり残らず殺すつもりであることを悟ったイブリントンは窮余の策として協議の場でダンピースを捕虜として引き渡したのである。
戦いが終わった後に、ベルナードからそれを聞かされたダンピースは号泣し、見捨てられたと思いイブリントンを恨んだ自分を恥じ入る。
そして、相当な期間の捕虜生活があるという自身が想像していたよりもずっと早くブリターニャに戻ることができたダンピースは家族との再会を果たすと、家族を連れてフランベーニュに戻り、正式にベルナードの部下となる。
ダンピースはそこで思ってもみなかった人物と出会うことになるのだが、むろんそれはかなり後の話となる。
そして、約束の時間となる。
ブリターニャ軍の陣形は、この世界で言う三角陣。
別の世界の魚鱗の陣。
むろんイブリントンは看破していた。
ブリターニャ軍を半包囲するようなフランベーニュ軍の陣形であるが中央が他に比べてやや薄い。
おそらく、敢えて中央を薄くしてそこに自分たちを誘い込み、完全包囲を完成させて叩くというのがベルナードの策であろうと。
だが、そこを狙わずにこちらの勝ち目はない。
「まず、中央に殺到しベルナード将軍を討ち取り、続いて背面で左右に展開し後方から叩く。そして、敵が崩れたところで戦場を離脱する」
戦いの直前、イブリントンはそう訓示する。
「忘れるな。勝つためには最低でもベルナード将軍の首を取らねばならないことを」
やがて、相手陣地に煙が上がる。
「フランベーニュ軍から狼煙が上がりました」
「魔術師団は防御魔法を。それから魔術師長は狼煙と同時に攻撃魔法を発動」
「それと同時に突撃を開始する」
「準備はいいな」
「狼煙上げろ」
「突撃」
イブリントンの指示は全く隙のないものだった。
だが、その直後。
「ま、魔術師団陣地が炎上」
悲鳴のような報告にイブリントンは振り向く。
火に包まれている七か所は間違いなく魔術師団陣地。
あの様子では魔術師はもちろん護衛の兵士も助からない。
防御魔法を展開させていたはずの魔術師団がこれだけあっさりとやられるのは納得がいかない。
いったいどうやったらそれが可能になるのかという疑問はある。
だが、今はその疑問よりも重要なことがある。
「突撃。魔法攻撃が来る前に敵陣へ突入せよ」
「敵陣より火球群がまっすぐ来ます」
イブリントンの命令を遮るように物見の兵の叫び声が響きわたった。
フランベーニュ軍陣地から一斉に放たれた火球は上空に発生さ敵陣へ落下させる通常の方法とは違い、魔術師の目の前に発生させた火球を直線状に撃つ。
突撃体形の最前列に配置された精兵があっという間に失われる。
それだけではなく、これでブリターニャ軍の足は完全に止まる。
そこに上空から飛来する火球がやってくればどうなるかなどあきらか、
阿鼻叫喚。
そう。
戦う前にベルナードが口にしていた「グワラニー風の戦い方」とは、こういうことなのである。
徹底的に魔法で攻撃。
それによって自軍の損害を減らす。
それをおこなう側としていいことずくめのようなこの戦い方であるのだが、これにはひとつ条件がある。
第一段階で敵魔術師団を完全排除する。
だが、これがこれだけ完璧におこなえるのであるのなら、対魔族戦でもそれは可能だったということになる。
では、これまではそれがおこなわず、今回突如それが可能になったのか。
それはその戦い方にある。
フランベーニュ軍による一方的な殺戮が始まった直後、ベルナードのもとにひとりの男が戻ってくる。
「こういう戦い方はやはり好みではない」
「まあ、戦いは好き嫌いでやるようになっては人として終わりではあるのだが」
戦場を見る目を動かさずベルナードはその男に対して言葉を呟くと、その男は薄い笑みを浮かべたままそう応じた。
ベルナードは苦笑いする。
一本取られたと言わんばかりに。
「……まったくだ。今の発言は忘れてもらおうか。シャンバニュール」
そこまで話したところでベルナードは表情を変える。
「だが、有効だな。たしかに」
「そう。そして、昔の魔術師は皆勇敢だったということだ」
ベルナードの呟きに応えたシャンバニュールの言葉。
それが攻撃を受けた直後のイブリントンが発した疑問の答えとなる。
現在の魔術師はお互いに防御魔法を展開し、その中から攻撃魔法を放つ。
たしかにこれで安全は買える。
だが、それでは攻撃魔法は二度にわたる強力な防御魔法によってその魔力を大幅に減衰させ、多くの場合、相手は届かず、届いた場合でもその効果は微々たるものとなる。
では、攻撃魔法で相手に大きなダメージを与えるにはどうしたらよいのか。
その方法はふたつ。
ふたつの防御魔法による減衰をものともしないだけの魔力で攻撃魔法を放つ。
これはデルフィンや勇者一行がおこなっていることであるのだが、当然術者が人知を超えた魔力法勇者出なければできない。
そうなれば、他の魔術師がおこなえる方法は残りのひとつのみとなる。
味方の防御魔法の外で攻撃魔法を放つ。
これであれば魔力の減衰は相手の防御魔法によるものだけで済む。
だが、これは大きなリスクを伴う。
攻撃魔法を放つ者、多くの場合、その軍で最上位に立つ魔術師となるわけなのだが、その者は防御魔法を身に纏っていないため、狙われた瞬間すべてが終わる。
これがどの国も秀でた魔術師がほとんどいない理由であり、シャンバニュールが口にした「昔の魔術師は勇敢だった」とはこのことを示していたのである。
では、突然シャンバニュールはその危険な行為をおこなう気になったのか。
それは戦いの前に会った宰相オートリーブ・エゲヴィーブの言葉にある。
「魔力を消して接近し、ブリターニャ軍の魔術師の位置を把握したところで攻撃をおこなった」
王都アヴィニアでおこなわれたフランベーニュ軍が誇るふたりの魔術師の話し合い。
その中で、シャンバニュールはエゲヴィーブに前回のブリターニャの侵攻の際、どうやって防御魔法が展開されているエンズバーグ率いるブリターニャの魔術師団を殲滅したのかと問うた。
そして、それに対するエゲヴィーブの答えがその言葉となる。
エゲヴィーブの言葉は続く。
「たしかにあの軍の魔術師より私の方が数段上と見た」
「だが、それでも足りないのだ。防御魔法の中からの攻撃では。もちろんシャンバニュール殿にそんな説明など不要なのだが」
「だがら勝利のためにどうしても魔術師を倒さなければならないとなれば、危険を承知で防御魔法の外に出なければならない」
「それがあのとき」
「もちろんそんな危険なことはしたくなかったのだが、完全な安全と完全な戦果は同時に得ることはできない。存亡を賭けた戦いでどうしても戦果が欲しければ、完全な安全を捨てなければならないとグワラニー氏に諭された」
「結果的に奇襲は成功し、私の攻撃が終わった時点で戦いの趨勢が決まったわけだ」
「もっとも、あれは通常の戦いでは使えない手だ。グワラニー氏はそうも言っていた。つまり、魔族との戦いのように常に睨み合っている戦場ではそれをやればただ死ぬだけ。自死を望んでいる者以外はおこなってはいけないということだ」
「言うまでもない。何も起こらないので忘れているが、敵も味方も常に相手に対して攻撃魔法を放っているのだ。防御魔法の外に出た瞬間、攻撃魔法の餌食となる」
「その点、あの時のような完全な奇襲では相手は攻撃魔法を放っておらず、作法に則った会戦であれば開戦前には攻撃魔法は放たれない」
「完全に身を隠すことができれば、このふたつの戦いではそのような攻撃は有効だとも」
「元々は他人の言葉ではあるが、実戦した者の言葉でもある。大軍を相手に戦うのであれば、伝統に則った戦い方をすることをお勧めする」
ベルナードとあの時の会話を思い出していたシャンバニュールの前でフランベーニュ軍の一方的な攻撃は続き、六割ほどまで数を減らしたところで遂にブリターニャの敗走が始まる。
「そろそろだな」
ベルナードは呟く。
「全軍突撃準備」
「ただし、抵抗しない者は捕らえよ」
「全員魔法で殺すのではなかったのか?」
シャンバニュールは皮肉を込めてそう言う。
「まあな」
「だが、これだけやれば十分だ。私があの小僧ほど徹底できないのだから仕方がない」
「では、次を最後の一撃にしようか」
「魔術師団。全力攻撃。その後後退しろ」
むろん、一方的な戦いは中央軍だけではなかった。
グミエールが指揮を執った北街道の迎撃戦、ベルナード配下の将軍アルセルム・ジェデオン軍に宰相オートリーブ・エゲヴィーブが加わった南街道での迎撃戦も同様、いや、ブリターニャにとってはそれ以上の悲惨な状況になっていた。
遠距離からの徹底した魔法による攻撃。
そこに最終的な厳しい掃討戦が加われば当然の結末といえる。
警備や転移避けとために配備していた者たちも遠くに見える様子からブリターニャの不利とわかると次々に逃走を始める。
そして、残りはプレゲール城。
むろん数は相手が圧倒的。
迎撃など不可能であり、守備を任されたブリターニャ軍の将軍バーヴィカンは援軍を求め後方へ伝令を走らせる。
だが、その直後プレゲール城は猛烈な火球群の攻撃に見舞われる。
それが終わった時焼け落ちたプレゲール城には生きた者は誰一人いなかった。
「さて、予定通り我が国に侵入した野蛮人どもはほぼすべて駆逐した。だが、大物がひとり残っている」
「これにどう対処すべきか」
そう呟いたベルナードは振り向き、ほんの少し前まで敵国に所属していた男を見た。
「仕事を頼もうか」
それから五日後のフランベーニュとの国境に設置された見張り小屋。
見張りの兵士は白旗を持ったひとりの男を見つけ、すぐさま後方へ連絡。
さらに十人の兵士がその男を取り囲む。
だが……。
「私はブリターニャ人だ。ブリターニャ軍司令部所属の文官ベンジャミン・ダンピース。戦いで捕虜になったのだが、敵軍の司令官アルサンス・ベルナード将軍よりの伝令として王太子アリスト・ブリターニャ殿下への書簡を持参した」
「王太子殿下にお会いしたい」
むろん末端の兵士たちではその要求に対し対処できるはずもなく、上官からそのまた上官にとその要求は次々に上位者に上げられ、結局アリストにその裁可が委ねられる。
そして……。
「拒む必要はないでしょう」
見知った者がいない以上、その名を語った刺客という可能性はなくはなかったものの、最高位の防御魔法を纏っているアリストを害するのはほぼ不可能。
そうであれば、どのような形であっても情報を得られる機会を逃すは下策。
アリストはそう言ってあっさりと面会要求を受け入れた。
「……ベンジャミン・ダンピースでしたね。書簡を受け取る前にいくつか教えてください」
十ドゥア後、やってきたダンピースに椅子を勧めたアリストはその男から魔力を感じないことを確認すると、そう切り出した。
「あなたがベルナード将軍の代理としてここに来た時点である程度のことは予想できますが、あなたの言葉でそれを聞かせてもらいましょうか」
ダンピースはアリストのその言葉に頷くと語り始める。
抵抗がないどころか、フランベーニュ人が全くいない状況が続いたところで展開を終え待ち構えていたフランベーニュの大軍を発見し、司令官イブリントンが戦いの作法に則り相手の司令官ベルナードと協議をしたと。
「それで?」
「私はその協議に立ち会ったわけですが、それが終わるところで、将軍はと突然『おまえは用済みだからフランベーニュ軍に引き渡す』と言い出し、ベルナード将軍もあっさりとそれを受け、私は戦いが始まる前に捕虜になった次第」
「むろんその時は、本当に捨てられたと思ったのですが、戦いが追撃戦に入ったところで、ベルナード将軍はその真意を語ってくれました」
「自分たちは全滅する。そうであれば、ここに来たのも何かの縁。兵士ではないこの男だけでも助けてやりたいというイブリントン将軍の思いだと」
「そして、続けてこうも言いました。『思うところはあるだろうが、イブリントン将軍の厚意を無にすることはするな。むろん自分も将軍の思いを尊重し、おまえを厚く遇することを誓おう』と」
「なるほど」
アリストは何度も頷きながらその話を聞き終えるともう一度大きくため息をつく。
「軍人としては知りませんが、人間としては魅力的な方だったようですね。将軍は」
そして、そこからしばらく沈黙してから、再び口を開く。
「その後は?」
アリストに促されるようにダンピースが語り出したのはブリターニャ人にとって耳を覆いたくなるような内容だった。
「……ブリターニャの中央軍はフランベーニュ軍の掃討戦ほぼ壊滅し、プレゲール城も魔法攻撃により焼け落ち、私が中に入ったときに生きている者はいませんでした。というより、焼けていない者がいなかったという方が正しいです」
「その後、ベルナード将軍は私を呼び、自身の書簡を渡し、王太子殿下に届けるように命じました」
「そして、書簡を渡した後はそのまま家族のもとに行けと。そして、その後は自由にしてよいと」
「そのままブリターニャに留まってもよいし、その気があるのなら雇ってもいいとも言っていました」
……つまり、書簡とやらは相応のものということか。
「それで、どうするつもりですか?」
「考えていません。今は早く仕事を終わらせ、家族のもとに帰りたい。それだけを考えています。娘が生まれたばかりなので」
……そういうことか。
「ちなみに、イブリントン将軍やベルナード将軍はそれを知っているのかな」
「イブリントン将軍には進軍中に話しました。ベルナード将軍もその話をイブリントン将軍がしましたので」
「なるほど」
……揃いも揃って皆感傷的だな。
……だが、そうなると私もそれにつき合わなければ、ひとりだけ悪人になってしまうではないですか。
心の中でそう呟き、苦笑すると、後ろを振り向き体全体で暇であることを表現する銀髪の女性を見やる。
「……フィーネ。そういうことで彼が助けを必要としている場合は手伝ってやってください」
「言うまでもないことですが、ブリターニャとフランベーニュは戦闘状態にあります。あなたがフランベーニュに渡ることは容易なことではない。ですが、彼女はフランベーニュ人。知り合いが多い。ベルナード将軍の下で働きたいという意向があるのなら彼女を訪ねなさい」
「ということで、前置きが長くなりましたが、見せてもらいましょうか。ベルナード将軍からの書簡を」
アリストの言葉に頷いたダンピースは懐から折り畳まれた羊皮紙を取り出す。
それを受け取ったアリストはそれを広げ眺めるものの、まもなく微妙な香りのする笑みが顔中に零れる。
「……これはなかなかの名文」
「忘れたくても忘れられないものです。どうぞ」
そう言って、アリストはフィーネにそれを手渡す。
それを読んだフィーネもすぐにアリストの言葉に同調する。
「これは盛大に喧嘩を売りつけたものですね」
「しかも、条件付きの」
一瞬後、フィーネはもう一度羊皮紙に目をやる。
「……フランベーニュ王国軍将軍アルサンス・ベルナードがブリターニャ王国王太子アリスト・ブリターニャに申す」
「先日の大敗の教訓を生かすことなくおこなわれた再びの愚行はブリターニャにとって前回以上の惨事になったことを知らせる。すなわち、三方からフランベーニュ領を犯したブリターニャ軍はすでにすべて敗退。ファルマス・イブリントン将軍をはじめそのほぼすべてが戦死した」
「むろんフランベーニュ王国民としては決して許されるものではないが、侵攻の意図がフランベーニュ領を手に入れるつもりなら軍人としては納得できる」
「だが、今回のそれは私をおびき出すための罠。そのような小賢しいことのために二百万もの自国民の命を簡単に捨て去る行為は人間の成せる業とは思えぬ。まさに『虐殺王アルフレッド・ブリターニャ』の後継者であると言わざるを得ない」
「私との戦いが望みならこのような小賢しい策など用いず、まずは魔族を倒せ」
「それが終わったらいつでも相手をしてやる」
「むろんその間はブリターニャに攻め入ることはしないと約束してやる。もっともおまえ程度ではアルディーシャ・グワラニーは倒せないだろうが」
フィーネがそこに書かれていたものをブリターニャ語に翻訳して読み上げると、いくつかの笑いが混ざってはいるものの、ほぼすべてが激高の声であった。
「……今すぐ決闘を申し込みたくなりますね」
「ですが、ベルナード将軍に言によれば、まず魔族を倒さなければならないそうですよ。それに、フランベーニュ軍は魔族との決着がつくまで動かないということですからアリストの希望は叶ったとも言えます。成果が出たといえるでしょう」
自身のぼやきに応じたフィーネの言葉どおり、フランベーニュ軍による裏口からの侵攻は無くなったわけで当初の目的は果たせたことは間違いないとアリストも思う。
「とにかく、ここで大軍を留めておくのは余計な諍いのもと。最低限度の兵を残して王都に戻るべきでしょうね」
アリストはそう言うと、同行していた正規軍を率いていた新陸軍司令官アルバート・カーマーゼンに目をやる。
「敵を刺激しない程度に兵を残して撤退を。それから、何があろうが国境から先には進まないように徹底させてください」
「では、私は戻ります」
「ベンジャミン・ダンピースを連れて」
それからまもなくブリターニャ軍の撤退が始まり、ブリターニャ軍の侵攻作戦は再び大損害を受け失敗に終わる。
そして、この時の一連の戦いは、「歴史上最も成功した迎撃戦」と称されることになる。
なにしろブリターニャ軍は将兵、魔術師、それに文官や輸送任務にあたる徴用された者全体で百七十万を失ったのに対し、フランベーニュ軍の死者はブリターニャ軍を追撃したときの数百人のみ。
完璧ともいえる結果といえるだろう。
そして、これによってフランベーニュの迎撃部隊を指揮したアルサンス・ベルナードはこの時代の最高の将軍という称号を得ることになる。
もっとも、ベルナード将軍自身はこの大勝に対してこのような言葉を残している。
「前回の迎撃戦と今回の迎撃戦はその意味合いは全く違う」
「今回のブリターニャ軍は我が軍の餌役。つまり、殺されるための兵」
「どれだけ討ち取っても自慢になどならない。逆にこのような戦いで死者を出したことを恥じ入るばかりだ」
そして、この戦いを俯瞰的に見る者の中にも「歴史上最も成功した迎撃戦」という評価が必ずしも正しくはないと主張する者もいる。
フランベーニュの軍事研究家エリック・シュルアンドルの言葉。
「たしかにフランベーニュは大勝した。だが、ブリターニャの王太子アリスト・ブリターニャの目的が自身の戦いの最中にフランベーニュによるブリターニャ侵攻がおこなわれないようにすることというのであれば、ブリターニャはその目的を果たしたといえるわけで、そのような観点からいえば、勝者はブリターニャだったともいえる。もっとも、このときの損害がブリターニャの没落を決定的にしたことを考えれば全く割に合わないものではあるのだが」




