クアムート攻防戦 Ⅷ
……あれは本当にすごかった。
前日の夜の出来事を思い出し、グワラニーは改めて心の中で呟く。
……だからと言って彼女の力ばかりを頼ってはいられない。
……何か考えなければならない。
……だが、今はそれを考える前にやることがある。
敗走する敵軍を追撃する友軍を見送ったグワラニーの部隊はパラトゥードに命じられるまま彼らが放置した荷車とともに城内に入る。
半ばあきらめていた援軍。
それが、やってきただけではなく、圧倒的多数のノルディア軍を目の前で粉砕してみせた彼らを城内に残った者たちが歓喜の声で迎えるのは当然のことである。
「救援感謝する。ペパス将軍」
その先頭で出迎えた守備隊長将軍プライーヤがまず手を差し伸べた相手は顔見知りのペパスだった。
当然である。
なにしろやってきた者の中で将軍の地位にあるのは、彼ひとり。
さらにいえば、例の事件が起こったとき、プライーヤはすでに籠城中であり、そのようなことが起こったことなど知らなかった。
だが、その事件の当事者であり、そのすべてを知っている相手は、「はい、そうですか」とそのまま受けるわけにはいかない。
……予想はしていたが、それがこうして現実になるとやはり居心地のよいものではないな。
差し出された手を握り締めながらもペパスは苦笑いする。
「プライーヤ殿。この部隊の指揮官は私ではない」
「もちろんパラトゥードということだろう。だが……」
「そうではない」
城主の言葉を遮ったペパスはさらに言葉を続ける。
「王からの命令も忘れて森に狩りにでかけたあの馬鹿などどうでもいい。私が言っているのは……」
そう言った将軍が視線で指し示したのは現在の彼の上官である騎士団長の地位にある男だ。
「現在は騎士団長の地位にあるグワラニー殿。彼が今回の策を立案しただけではなく、この部隊を率いて今回の驚くべき成功に導いた者。つまり、今回の戦いにおける一番の功労者。そして、現在私の上官にあたる人物でもある」
ペパスの簡素な紹介に続き、グワラニーが口を開く。
「お初にお目にかかります。この部隊の指揮官グワラニーです。プライーヤ殿の長期間にわたる粘り強い戦いぶりに感服しておりました。さらに助けを求める同胞を見捨てることなく受け入れたことは我が国の歴史に残る美談として語り継がれることでしょう。その閣下のお役に立てたこと、このグワラニー大変名誉に思います」
「……事情は了解した」
お世辞の域から一ミリたちともはみ出ることのないグワラニーの言葉に続き、もうひとりの当事者であるペパスから例の一件から始まる今回の背景の説明を受けたプライーヤはそう呟く。
「とにかく助かった。たいしたものは出せないが歓迎の宴を開きたい。そして、グワラニー殿が今回使った策についてたっぷりと……」
「もちろんお話するのは構いません。ですが、その前に……」
最後の晩餐のためにとっておいた干し肉や酒を振舞うという城主のありがたい言葉を遮らなければならないほどグワラニーと彼の部下が必要としていたもの。
それは睡眠だった。
兵たちには輪番に仮眠時間は与えられてはいた。
だが、いつ敵が来るかもわからぬ戦場の真ん中で堂々と爆睡するウビラタンやバロチナのような神経の太い者は魔族の戦士といえどもそう多くはいない。
目的が完遂し満足感を得られたと同時に緊張の糸が切れ、急激に睡魔の虜となり倒れこむと、そのまま眠り込む兵士が続出する。
もちろんそれは最高幹部たちも同じである。
転移してからこれまで一睡をせず指揮を執り続けたグワラニーとバイアはプライーヤとの会話を最低限の報告で切り上げ用意された部屋に向かったものの、辿り着くことができず廊下で倒れ込む。
「やはり元文官。我々とは鍛え方が違う」
その様子を眺め、睡眠中のふたりに逆説的な皮肉を言ったペパスだったが、直後自らも電池切れを起こして誘われたように彼らの隣に座り込む。
さらに、威厳という言葉を具現化したような魔族の国最高の魔術師も用意された椅子に座ったとたんに人目を憚らずだらしなく寝入るという失態を演じる。
結局寝室で優雅に眠りについたグワラニー隊の幹部は副魔術師長である最年少のデルフィンただひとりであったという報告を受けた城主である男は思わず苦笑いする。
「ノルディア軍の奴らがこの様子だけを見たら涙を流して悔しがることだろうな。俺たちはこんな奴らに負けたのかと」
グワラニーの部隊による決定的な勝利によって別の意味での睡眠不足から解放されることになるプライーヤの言葉を待つまでもなく、それはまさにノルディア軍の指揮官ベーシュが前夜口にした見立てどおりの状況だった。
言い方を変えればベーシュは勝利を手にする目前まで辿り着いていたともいえる。
もっとも、あと半日でも戦いが延びればというその前提条件は、そうならないためにグワラニーは策を講じていたので起こるはずのないことではあったのだが。
その半日後。
つまり、その日の午後遅く。
もう少しだけ寝ていたいという欲求に打ち勝って起き出したグワラニーは改めて城主に面会する。
もうひとつの欲求である空腹の解消を兼ねて。
そして、それは城内の各所で起こっていた。
あちらこちらで催された小さな宴から聞こえる心地よい賑わいのなか、城主の男が口を開く。
「ところで、グワラニー殿」
プライーヤが食事に勤しむグワラニーに問うたのは狩りに出かけたまま戻らない者たちのことだった。
すべてを聞き終えたグワラニーが食事を中断して言葉を紡ぐ。
「……そうは言っても、将軍は私の上席。戻って来いとは命令はできません」
「だが、敵が逃げた先にあるオコカはノルディア軍の一大駐屯地となっているらしい。さすがに魔術師も連れずに出かけた三千の兵ではそれを打ち破るのは難しい。不必要な被害が出る前にこちらから声をかけ、パラトゥードが戻るきっかけを与えるべきではないのか?」
「いや。放っておいて構わん」
ふたりの話に割って入ったのはそのテーブルの先客でもある肉に食らいついていたその場にいたもうひとりの将軍だった。
「そもそも我々が王から与えられた任務はクアムートに食料を運び込むこと。そして、そこに加わっていたのは可能であれば民を連れ帰ることであり、奴らがおこなっている敗残兵を追い回すことなど王の命令にはない。それをあの愚か者はもっとも大事な荷物を放り出して……」
命令違反を犯した者は痛い目を見るべきだ。
ペパスの言葉はそう続いていたのはまちがいない。
「もっとも、オコカにどれほどの兵が駐屯しているのかは知らないが、敗走の勢いに飲み込まれ一緒に逃げだすかもしれんが」
「その手前にバベロがありますが」
少々焼き過ぎたパンを齧るグワラニーが言葉に口を挟むが、ペパスはそっけなくこう応じる。
「さすがにもともと小さな町で防御施設もないあそこに反撃できるだけの兵はおいていないだろう。宿屋を兼ねた酒場や賭博場などクアムート包囲軍やオコカに駐留している連中から金を巻き上げる場所を商人たちがつくっているかもしれないが」
「なるほど。たしかにそうですね。失礼しました」
ペパスの言葉に素直に頷きながら、グワラニーは完璧につくり上げた穏やかな表情からは想像できないどす黒い言葉を心の中で口にしていた。
……いや。私が気になっているのはノルディア軍などではない。
……勇者。そして、その仲間。
……彼らが現れるのなら、軍が駐屯しているオコカではなくバベロ。そして、ノルディアの敗残兵がうまいこと逃げていたのなら、そろそろバベロにパラトゥードの部隊が到着するはず。
……楽しみだな。
……いや。追撃の際に足手まといになるだけだと魔術師連れず出かけた奴らなど彼らの相手になるはずがない。
……つまり、いるか?いないか?それだけだ。
……まあ、どちらにしても、仕事を終えた我々とは関係のないことではある。
グワラニーは心の中でそう呟き、再びパンや干し肉を頬張り始めた。
さて、グワラニーが自らの舞台とは無縁なものとしたパラトゥード隊による追撃の結末であるが、まずグワラニーが口にしたその者たちが、いるのか、いないのか。
これについて答えておこう。
グワラニーが設定した二択のうちのどちらが正解だったかといえば……。
正解は、前者。
つまり、勇者たちは二日前からそこに滞在していた。
そして、結果がどうなるといえば……。