王太子戦場に立つ
実をいえば、グワラニーは西方方面での目的はほぼすべて達成し、まもなく引き上げるつもりでいた。
だが、それを変更し、さらにしばらくこの地に滞在することを決める。
「……つまり、アリスト王子は戦場に立ち、こちらの軍に対して魔法を行使するということですか?」
その理由についての自身の説明に対してそうアリシアがそう問うとグワラニーは頷く。
「もちろんおこなう場合でも、最大魔力を使って一挙に殲滅するという派手なことはもちろんおこなわないでしょう。やるとすれば、どこかの誰と同じく他の魔術師の攻撃に紛れて特定の個人に対する攻撃ということになるでしょうが」
「それでも効果は非常に大きなものです。それはすでに実証済み。それは是が非でも阻止したい」
「ですが、それは最悪の事態であり、より可能性があるのは、本当の意味で軍の指揮をおこなうということになります」
「そして、興味があるのはこちらの方。アリスト王子が軍の指揮官としてどれだけの力があるのか?そして、どのような癖があるのか?」
「これはじっくりと観察する必要があるでしょう」
「そのためにはもう少し専門家を呼んだ方がいいかもしれませんね」
一方のアリスト。
挑発に乗り攻勢に出る発言をしたかのように見えるものの、その言葉には幾重にも罠をかけたものであったのはさすがグワラニーの同類というところだろうか。
「グワラニーはうまくやったつもりなのだろうが、失敗したのはあの男の方だ……」
そう言ってアリストはニヤリと笑う。
「グワラニーの言葉は多くのことを語っている」
「まず、奴が敵左翼を指揮していたことが確定できた。そのことから、今回の戦いの発端になったフランベーニュとの諍いの際にグワラニーは前線におり、我が軍を迎撃し、さらに逆進し敗走させたときに魔族軍がフランベーニュへの攻撃をおこなわなかったのはグワラニーの指示で間違いない」
「さらに……」
「その言葉から魔族軍は勢いに乗ってさらに進攻する気がないことが伺える」
「逆に狙っているのはこちらの攻勢。戦力を補充してもう一度攻勢に出てきたところを叩き、こちらの魔術師を枯渇させる。侵攻を始めるのはその後ということでしょう」
「つまり、魔族軍は前回以上に魔術師を集めて待ち構えるということ」
「これを打ち破るには私とフィーネが手助けしなければならないわけなのですが、それを阻止するためにグワラニーも前線に居座る」
「もちろん奴を出し抜く手などいくらでもありますが、ホリーの前で言ってしまった以上、約束は守らねばならない。そうなると、別の方法を用意しなければならないということです」
熱弁を振るうアリストの前にいるのは四人。
と言っても、軍幹部ではなく、勇者一行である。
そして、その中のひとりが口を開く。
「だが、結局魔法を使わずに大軍に勝つなら先ほどのヘボ将軍どもが率いる軍を動かすことになる。その許可は取ってきたのか?アリスト」
そう言ってアリストを冷ややかな視線を送る。
「そもそもおまえが命令して兵たちは指示通りに動くのか?」
「いや。今まで軍の指揮したことがないアリストから突拍子もない命令を出されても兵たちは動けまい」
「そういうことだ。あの魔族が毎回奇策を連発しても兵が対応できるのは、それを信じるだけの奴の実績と策を理解し実行するための日頃の訓練があるからだ。その両方が共にないアリストが頭からひねり出した策を披露されても将兵がアリストの思い通りに動くとは思えない。そして、そのような奇策は失敗した場合は悲惨な運命になる」
ファーブが口火を切った否定的なコメントはブランとマロが引き継ぐ。
そして、そのすべてが出終わったところで、アリストがため息をつく。
「そのとおりです。残念ながら」
「ですから、私ができるのは情報提供くらいですね」
「ちなみに、アリストが考えた奇策とやらはどのようなものだったのですか?」
ここまで会話に加わってこなかったフィーネの問いにアリストはもう一度ため息をつく。
「奇策というほどのものではありません。しかも……」
「相当な被害が出るものです。ですから、奇策というより愚策ですね」
「それでも聞きますか?」
「もちろん」
「では……」
「まず、魔族軍の戦い方ですが、これは間違いなく圧倒的多数の魔術師を揃え、迎撃の穴から魔術師を倒して数を減らし、最終的にはこちらには魔術師の加護なしの状態をつくること」
「そのためにはこちらより多くの魔術師を用意するわけですが、実を言えば、これだけでは足りません」
「最前線の剣士たち」
「魔術師たちにとって白兵戦に持ち込まれることが一番困る」
「もちろんそうならないように魔術師の前に剣士を置くわけですが、双方の剣士が戦闘になってしまうと、魔術師は手を出せなくなるわけです」
「それがどのような状況になっても」
「指揮官としては好ましいものではありません。ですから、剣士同士の戦闘が開始されるのは魔術師を排除してからにしたいのです」
「そうなると、敵最前線の兵士の足止めもしなければならない。むろん、これも魔術師の仕事です」
「ですが、彼らの主目標はあくまで魔術師。剣士を抑える役には多くを割くことはない」
「狙いはここになります」
「ですが、数が少ないといっても、そうならぬよう魔術師は配置されているでしょう。そうでなければ、あれだけ一方的な結果は得られないでしょうから」
「そのとおり。ですから、こちらはさらに剣士を投入するのです」
「これは、ラフギールにやってきた田舎貴族と対峙したときにファーブたちが使った方法。それを大規模におこなうものです」
「もちろんこれは多くの剣士が命を失うことになります。ですが、私たちの魔法を封じたまま、圧倒的多数の魔術師を相手にした場合……」
「これが唯一の対抗手段といえるでしょう」
……アリストをしても、相応の損害を伴うものしか考えつかないということは、無傷で戦果を挙げ続けるあの男の策がどれだけすごいものかがわかるというものです。
……そして、もちろんアリストもそれに気づいている。
……ですが、それが言えない。
……それを言ってしまえば、自分の負けというアリストの気持ちが滲み出ているようです。
目の男の言葉に相槌を打ちながらフィーネは心の中で呟いた。
……ですが、どれだけ抗おうが、勝負はついているのです。アリスト。
……あなたも、ブリターニャも、あの男が率いる魔族軍には勝てない。
……そして、グワラニーが支配する新世界こそが現在この世界に生きる者にとって一番の選択であるのです。
……もちろんアリストがグワラニーに勝つ手段はある。
……それはグワラニーを殺すこと。
……そして、そのときに隣に立つお嬢も消し去る。
……これが実現できれば、アリストの望み通りになる。
……ですが、その後に待っているのは、ブリターニャによる支配。
……むろんアリストはこの世界のオリジナルとは思えぬほど先進的な思考を持っている。
……ですが、所詮それは王制を核にしたもの。
……さらにいえば、アリストの後継者がアリストと同じような先進性を持ち合わせているとは限らない。
……そう。
……アリストは気づいていない。
……自分が抱き、グワラニーを倒して魔族を滅ぼす理由となっているグワラニーが支配した場合に待っている未来に対する不安は、自分が目指すブリターニャの支配についてもいえることなのだということを。
なぜか深いため息をつくフィーネの様子をアリストは真実とは違う方向に存在する多くの選択肢から正解を選び出そうとしてものの失敗し、フィーネが無言を貫いたこともあり、自身の話を続けることにした。
「成功しても多くの死傷者が出る。勝ったとしても批判は出る」
「当然指揮官としてこれをおこなうのは相応の勇気がいる」
「それこそ私がこの策を実行することを命じれば、甘い果実だけ自身のもととして、苦みのある部分はすべて私に押しつけようとするでしょう」
「指揮官がその程度の覚悟ではこの策は失敗する」
「つまり、これは追い込まれた状態にならないと使えないということ」
「情報だけを伝え、最初は彼ら自身が考案した策で戦わせる。相手はグワラニー。当然破れるでしょう。後がなくなったところで、この策を披露する。これであれば、彼らも従うでしょう」
翌日、アリストはバイロン・グレナームらブリターニャ軍東部方面軍の幹部を集める。
「グワラニーがあれだけ言ったのだ。魔族軍が王都はもちろんガルベイン砦にも攻め寄せてくることはない」
「となれば、こちらの攻勢が確定するわけなのだが、その策については当然経験豊かな諸将に任せることになるわけなのだが、諸将が策を講じるにあたってひとつ情報を提供する。魔族軍は前回以上の魔術師を揃えて待ち構えている」
「そのうえで問う」
「どう攻め、そして、勝つのか?」
アリストの問いに対し、まず意見を口にしたのはアルビン・リムリック。
「相手も増やしたと言っても、こちらも国中の魔術師を集めているのです。そして、あの魔族が言うとおり、この状況を維持できるのはそう長い時間ではない。そして、それを知っている魔族が攻めてくるはずがない。となれば、たとえ数が劣っていても攻めに出るしかない」
「我々がおこなうべきは先制攻撃。これで主導権が握ることができる」
リムリックに続いて口を開いたカーマーゼンが示したのは、先手を握ること。
前回の戦いでは、突然の火球攻撃に対抗魔法で応戦するだけで、何もできぬままジリ貧に追い込まれた。
そうならぬよう先制攻撃をするという発想は当然といえば当然である。
ふたりの言葉にアリストは頷き、それから口を開く。
「一応言っておけば、王太子という地位にある者は当然軍の指揮権はある。だが、今回私は視察に来た身。各集団の指揮は将軍たちにあり、グレナーム将軍については現在臨時ではあるものの総司令官である。すべてを任せる」
「ただし、これだけは言わせてもらう」
「二度にわたる大敗。さらにフランベーニュ領侵攻も失敗している。今回は負けない戦いでは済まない。必ず勝つ。そのような策を講じてもらいたい」
そして、三人の将軍が魔術師長アンディ・フレミングとともにアリストに示した策。
その骨子はこういうものである。
剣士と最低限の数の魔術師で編制された集団を前衛として配置する。
そして、前衛からはるか後方に魔術師で編制された後衛を置く。
敵は前衛に対して火球攻撃を開始したところで、その火球を目安に敵の視界の外から火球を撃ち込む。
当然、それに対し敵は前衛の攻撃をやめ、対抗魔法を用意する。
攻撃が緩んだところで前衛は突撃を敢行し、乱戦に持ち込む。
「……なるほど」
「ですが、この策は相当な犠牲を伴うように思えますが前衛の指揮は誰が?」
「もちろん各集団の長である我々が」
表情には出さないものの、実を言えばアリストは非常に驚いていた。
将軍たちが示した案は、自分と同じ方向性にあるもの。
そして、そのふたつを並べた場合、より出来の良いものは将軍たちの案。
……私が用意したものより可能性を感じさせるもの。
……そして、何よりも私が案を出す前提とした最初に負ける必要がなくなった。
……悪くない。
……というより、素晴らしいと言わざるを得ないな。
……もちろん損害は相応なものになるだろうし、囮役となる前衛に参加する彼らも死者の列に加わる可能性が高い。
……覚悟も受け取りました。
「素晴らしい策です。では、直ちに準備を。なにしろ相手はあのグワラニー。あの男は入念な準備をして迎撃する。つまり、時間は我々以上のあの男に味方するということなのですから」
……これだけ盛大に囮を用意する策。
……しかも、囮に見える前衛が実は攻撃の核となる部隊。
……さらにいつもなら真っ先に攻撃する魔術師は視界の外。これでは容易に攻撃できない。
……それをおこなうには自身の駒を使うしかなくなる。
……だが、私が目の前にいればそれはできない。
……さすがにここまで練り込まれたものならグワラニーでも看破できまい。
……いや。たとえ看破できても手が出せまい。
……私の勝ちだ。グワラニー。
そして、十日後。
四集団に分かれたブリターニャ軍が前進を開始する。
前衛となる三集団は左からアルバート・カーマーゼン、バイロン・グレナーム、アルビン・リムリックが指揮する各五十万。
そこに加わるのは前回の生き残りの魔術師、その大部分となる一万五千。
そして、そこからかなり後方となる後衛はアンディ・フレミング率いる魔術師団十一万四千。
その内訳は前回の戦いに参加した者の残り一千、陸軍の補充四万三千、海軍の魔術師三万八千、貴族からの供出二万七千、それから宮廷魔術師五千。
アリストはむろん最前線、バイロン・グレナームが指揮する中央集団の後方で戦いを見守る。
当然将軍たちはこぞって反対し、後方に待機するように懇願するものの、アリストはこう言って謝絶する。
「将軍たちが命をかける戦いで未来の王が安全な場所でそれを眺めるなどありえないこと」
むろん、それはあくまで建前。
完全な安全が保証されている。
そして、その根拠はアイアース・イムシーダ率いる千人の公的な護衛ではなく、四人の私兵と自身の魔力にある。