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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十八章 滅びの道を選択する者たち
334/374

賢者は賢者の戦いを 愚者は愚者の戦いを

「わざわざ言うまでもないことなのだが……」


 東部方面軍総司令官アーサー・ドレイトンは目の前に並ぶ五人の男を見渡す。


「この戦いはブリターニャの最終的な勝利にとって重要というわけではなく、我々五人の命そのものに直接関わってくる」


「バインベナーの愚行を許しただけではなく、ベルナード率いるフランベーニュに追い立てられるように逃げ出し、多くの占領地を失った」


「しかも、そのフランベーニュ軍は我らの五分の一。これは大いなる失態」


「むろん我らにも言い分はある。だが、戦いは結果がすべて」


「つまり、ここで勝たねば、我らの明日はない。そして、その我らに必要なもの。それは……」


「陛下が納得する戦果」


「そのために必要なものを示してもらいたい」


 東部方面軍のトップであり、王への報告書の提出者となっているアーサー・ドレイトンの真剣なのは当然であるのだが、その他の四人も全員同じように気持ちで臨んでいるのかといえば、実は微妙だと言えた。

 副司令官のバーナード・シャンクリーは大失敗に終わったフランベーニュ領侵攻にも深く関わっている。

 ドレイトンと同じく、敗戦が決まれば更迭だけでは済まないことは確実。

 当然大勝利が必要だ。

 今回の敗戦の発端となったバインベナーの協定破り。

 南管区司令官アルビン・リムリックも、バインベナーに陣地を与えなかったことがその原因であるのだから罪は軽くないとも言える。

 当然、自分自身のために必死となる。

 だが、残るふたりアルバート・カーマーゼン、バイロン・グレナームについては、外見上はともかく、その薄皮一枚剥がしたその裏側ではこのようなことを考えていた。


 たしかに半分もいない相手にろくな戦いをせずに逃げたのは事実。

 だが、それでも一時的な降格はあっても将来的に挽回できないほどもない。

 それよりも、ここで無理をして傷口を大きくしては本当に五人まとめて斬首に処せられる。

 それだけは避けるべき。


 よって、我が部隊は命令にかかかわらず今までどおり着実に前進する。


 一方は、全面的な強引な力攻めを考えているのに対し、もう一方はこれまでと変わらず失点を少なくする戦いを希望する。


 そう。

 こうなったら自身の生存こそが第一。

 特に後者のふたりは、一か八かの選択をするしかない斬首待ったなしの仲間に巻き込まれたくない。

 そして、そのひとりが提案する。


「全面攻勢。響きは良いがそれでは芸がない」


「力の入れ具合に濃淡をつけるべきだろう」

「たとえば?」

「陛下に対して具体的に名を示したワダメダリ城の確保は絶対条件だろう」


「そこで、今回の攻勢計画のために増員された兵たちをすべてリムリックの南管区に集める」


「これによって力の均衡が崩れ、十分な成果を得られるのではないか?」

「だが、北と中央はどうする?」

「まあ、それは地道に進むしかないだろう。どうだ?カーマーゼン」


 提案者である中央管区司令官バイロン・グレナームにそう問われると、グレナームと同様に無理な攻勢には否定的だったアルバート・カーマーゼンは待っていましたとばかりに大きく頷き、その提案に乗る。

 むろん、この露骨な提案はその真意は透けて見えるため、その責任を一手に押しつけられた南管区司令官アルビン・リムリックは盛大に嫌な顔を見せるものの、そもそもそれくらいの手柄を上げないと生き残れないうえに、使える兵が増え、成功の確率が上がるのも事実。

 拒む理由はない。


「私も異存はない」


 リムリックは重々しくそう答えた。


 前線の指揮官三人がともに賛成したその案を拒むだけの理由を持ち合わせていないドレイトンと東部方面軍副司令官バーナード・シャンクリーもその案を了承し準備に入る。


 実をいえば、王都サイレンセストでは、海軍出身のブリターニャ軍のもうひとりの副司令官ベネディクト・レーンヘッドから、失敗が許されないのであれば増援の兵を送るべきではないのかという提案が出されていたのだが、総司令官のコルグルトンはこれを却下していた。


 それでは先日の失態のけじめがつかない。

 それがその理由であったのだが、それは表向きのことであり、陸軍出身のコルグルトンとしては海軍出身のレーンヘッドの提案を受け入れたくないというのがその本当の理由となる。


 結局、攻めに強いクレイク・エトリックと守りに定評があるアラン・カービシュリーという有能な人材がフランベーニュ領侵攻軍の生き残りとともに待機していたにもかかわらず、補充という形で損出分の穴埋めをするだけで本格的な増援はおこなわれることなく現状の兵を再配置して攻勢をかけることなった。

 それでも総計で三百万人は超える。

 そして、彼らと対峙する魔族軍の予想兵力は約百万。


 ここからブリターニャ軍と魔族軍の歴史の中で最も激しいものとなる戦いが始まるわけなのだが、むろん魔族軍はブリターニャが再奪還のために攻勢をかけてくることは織り込み済みだった。


 その日、ブリターニャ軍と対峙する西方方面軍の司令官アフォンソ・モンテイロは、ふたりの副司令官コンコール・グルバ、アウディアス・デスコンペルタ、魔術師長のカトリマニ・エスメルメルダとともにグワラニーたちの滞在先を訪れていた。

 その目的はブリターニャ軍の攻勢に対する対応策の協議。


 モンテイロは魔族軍副司令官のアパリシード・コンシリアの派閥に属する。

 当然、グワラニーに対してよい感情は持っていない。

 だが、そのモンテイロがわざわざ出向きグワラニーに教えを乞う。

 それくらいにグワラニーの無敵神話は軍内に広がっていたのだ。


「尋ねる。ブリターニャ軍の戦い方をどう考えているか?」


 さすがに部下たちの前でグワラニーに頭を下げるわけにはいかないモンテイロのその言葉で始まったその会議は、まずブリターニャ軍の戦力分析から始まる。


「フランベーニュ軍に追われて敗走したものの、損害自体はそう多くない。予備を含めて三百万はいるだろう」


「奴らは力攻め一択。早期の奪還を目指すのなら相当数を増やさねばならないわけなのだが、後方に残っている予備がどれくらい残っているのやら」

「誰でもいいとなれば数百万はいるでしょうが、すぐに戦場に出せるとなったら百万もいないでしょうね。五十万が上限かと」

「となると、三百五十万というところか」

「それに対し我が軍は百万弱。やはり、草原での戦いは避け、強固な陣地を構築し迎撃すべきかと」


 副司令官のひとりコンコール・グルバが示したのはむろん正しく、これこそが王道といえるもの。

 だが、それで万事うまくいくのなら、来たくない場所に来て、会いたくない男に会うことはない。

 つまり、モンテイロが狙っているのはプラスアルファということである。


「我が副司令官はそう言うのだが、おまえにはこれ以上の策はあるか?グワラニー」


 モンテイロはそう言ってグワラニーに鋭い視線を向けた。


「……いや。おまえに問うのなら、別の言い方にした方がいいな」


「おまえがブリターニャ軍を指揮する者ならどう動く?」


 そう言ってグワラニーに発言を促す。


 百瞬後、グワラニーが視線を動かした先にいたのは問うたモンテイロではなく、カトリマニ・エスメルメルダだった。


「エスメルメルダ魔術師にお伺いする。フランベーニュ軍に追い立てられたブリターニャ軍の損害はそれほど多くはない。それは私も戦いの様子を眺めていたのでわかっています。そのうえでお伺いします」


「魔術師の損害も同様ですか?」

「いや。兵士とは比較にならぬほどの損害を被っている」


「なにしろフランベーニュ軍の攻勢にあわせて我々が魔法攻撃をおこなったのだ。憐れむくらいの損害だろう」

「失った魔術師の穴埋めは可能でしょうか?」

「数だけなら。だが、質となると厳しいだろう。なにしろ彼らこそブリターニャの第一線の魔術師。その彼らの穴埋めが簡単にできるくらいにブリターニャ軍に余裕があるのなら、ブリターニャは今回の攻勢時にその者たちを投入しているだろう。そして、そうであれば、彼らの目的は達成されていただろうし、ベルナードにいいように弄ばれることもなかっただろう」


 グワラニーはその言葉に笑みで応じる。


「ということで、彼らの弱点は魔術師。そして、敵の弱い部分を狙い叩くという戦いの常道に則ることが我が軍を導くことになるでしょう」

「グワラニー。弱体化したブリターニャの魔術師団を狙うことはわかった。だが、具体的にはどのようなものだ?」


 モンテイロからのその言葉はむろんグワラニーが待っていたもの。

 すぐにその答えはやってくる。


「完璧な防御魔法に守られた状態からの敵を圧倒する数の魔術師団による先制の火球攻撃」


 そう言ったところで、グワラニーはもう一度エスメルメルダを見やる。


「大量の火球攻撃を受けた場合、魔術師団はどうしますか?」

「当然対抗魔法を展開させる」


「そう。では、互いに百人の魔術師がいます。魔力は互角。相手が百人の魔術師全員で火球攻撃をおこなってきたら?」

「当然こちらは全員が対抗魔法で応戦するしかない」


 エスメルメルダの言葉に大きく頷き、黒い笑みを浮かべ直したグワラニーはそのまま言葉を続ける。


「そう。そして、相手は防御だけで手一杯になり攻撃に回ることができない。これだけでも主導権が握れるわけですが、こちらが百五十人だったらどうなるか?」


「言うまでもない。むろん相手は防ぎきれず必ず穴が開く。魔術師は倒れていき、最後はこちらだけに魔術師がいる状態になります。そうなれば……」


「剣士はただの的に成り下がるわけか。だが、相手を圧倒するだけの魔術師など我が軍にはない」

「あります」


「現在アストラハーニェとの戦いが終わり東部戦線から兵を大幅に引き上げています。もちろん一部はこちらにやってきていますが、その多くは王都周辺で待機しています」


「それは魔術師も同じ」


「その彼らに声をかけ、臨時に加勢してもらえばいいでしょう。彼らはアストラハーニェとの大軍に対して戦った経験があります。いや。ここは勝利した実績があると言ったほうがいいでしょう。当然、彼らは戦いの主導権を握るための戦い方を熟知しています」


「そして、ありがたいことに対アストラハーニェ戦でコンシリア副司令官は彼らを指揮した。副司令官が声をかければ喜んで応じることでしょう」


「我々はアストラハーニェの戦いで対抗方法が確立された時代遅れの魔法と言われた火球を使って勝利し、火球の有効性を再発見しました。今回の戦い方を見るとフランベーニュ軍もおそらくそれに気づいた」


「ですが、ブリターニャはまだ気づいていない。といっても気づくのは時間の問題。我々はそれまでの短い空白時間を利用してブリターニャを叩く」


「できるだけ多くの魔術師を集め、一挙に魔術師を排除。魔術師の加護がなくなった敵を散々叩き、その後掃討戦に移行」


「これで完勝です」


 ヒントを手に入れるつもりが、それを通り越していきなり答えがやってきた形になり、モンテイロたちは驚く。

 だが、これで戦い方は決まったと言っていいだろう。

 次は戦場ということになるわけなのだが、実をいえば、これは戦い方と密接な関係にある。

 そのため、グワラニーは求められていない戦い方を示したのだ。

 そして、グワラニーが示した戦場。

 それは先ほど副司令官コンコール・グルバが示した場所とはまったく違い場所だった。


「……平原?ということは、堂々と野戦を挑むということか?」

「さすがに無理です。いや。勝てるかもしれないがこちらの損害も馬鹿にならない。草原は避けるのが常道でしょう」


 モンテイロとグルバが否定の色が濃い言葉が口にしたとおり、グワラニーが決戦場として示したのはブリターニャ軍を迎え撃つためにつくる頑強な陣地ではなく、見渡しのよい草原地帯であった。


「なぜ草原で戦うのだ?」

「それはもちろん勝つためです」

「だから……」

「モンテイロ将軍」


 自身の問いに人を食ったような答えを返したグワラニーに言い返そうしたモンテイロの言葉を遮るように言葉を挟み込んだのはそれまでグワラニーの右側に座っていた老人だった。


「自軍の三割程度の敵が草原地帯に剣を持って横陣を敷いていたら、将軍はどうする?」

「言うまでもない。すぐさま突撃する」

「まあ、そうだろうな。では、攻めにくい場所に見るからに強固は陣地をつくって待ち構える相手だったら」

「まずは相手を削るために魔法攻撃を指示する」

「単純な突撃では味方の損害が増えるばかり。指揮官としては当然の選択だな。そして……」


「ほぼ確実に相手も同じことを考えるだろう」


「草原に横陣で待ち構える敵がここから魔法攻撃を始めるなど頭の片隅にもないまま」


 一瞬の数百倍の時間が過ぎたところでグワラニーの意図を理解したモンテイロはようやく口を開く。


「ブリターニャ軍に対する迎撃方法は理解した。では、こちらの配置についてはどう考えているのか?」

「むろんこれまでどおり、すべての戦線で圧力をかけてくると思いますが、ひとつだけ注意すべき点があります」


「それはフランベーニュ軍を襲うことに失敗した部隊。二十万ほどの部隊ということでしたが、背後から襲うにしてもフランベーニュ軍を襲うには数があまりにも少なすぎます。つまり、彼らの真の目的はフランベーニュ軍を急襲することではないと思われます」


「では、なにか?」


「言うまでもなく、迂回したうえ、予想外の場所からこちらの急襲する意図があったということです」


「つまり、ブリターニャ軍にとっての主たる攻撃目標は戦線の南側、我が軍の差左翼にあるということです。そして……」


「それを踏まえて考えると、彼らの目指しているところが浮かび上がってきます」

「ファゼンダ要塞か?」

「ほぼ確実に」


「そうなれば敵の中央と左翼は陽動で、本命は右翼。主力を配置してくることでしょうし、兵も多く配置されることでしょう」


「つまり、こちらも左翼に厚めに配置すべきということか」


 それから二日後。


「提案に沿って右翼、中央は各二十万、右翼は三十万を配置し、中央部隊の後方の本隊に二十万の予備を置くということにしたいがそれでいいか?」


 王都からの増援によって魔術師の増員が図られ、いよいよ草原地帯へ出陣するというところでグワラニーのもとにやってきたモンテイロの確認の言葉は不測の事態にも対応できる極めて常識的なものだった。

 だが……。


「ここは予備を置かず、全軍をすべて並べて迎撃しましょう」


「相手に罠の疑念抱かせぬように」

「言いたいことはわかるが、それでは相手が奇策を用いたときに対応が遅れることになる」

「そのとおり。やはり、予備を置くべき」

「同じく」


 グワラニーの提案に反対の意を示すモンテイロの言葉に副司令官たちも賛同する。

 むろん、常道からいえばモンテイロの主張こそ正しく、グワラニーの提案は本隊に予備がいなかったために敗走の連鎖を防げなかったブリターニャ軍の二の舞になりかねないと言える。


 もちろん、その程度のことはグワラニーだって十分に理解している。

 つまり、今回の提案は敢えて常道から離れるということ。

 そして、その理由は……。


「たとえば、これが通常の戦いであればモンテイロ司令官の言葉は正しく、私が将軍の立場なら同じ選択をしたでしょう」


「ですが、今回の戦いは、言ってしまえば狩り。獲物であるブリターニャ軍に気持ちよく我々の罠に入ってもらわねばなりません」


「では、どうすれば彼らは疑いを持たずに我々のもとにやってくるかといえば……」


「まず、絶対に勝てると思わせること。続いて、一番不安な罠の存在がないと思わせること」


「そして、この後者については、細工をおこなう役を担うのは当然予備兵力。その予備兵力を置かず、全軍で迎撃出てきたと思えば、ブリターニャ軍も力勝負を挑んできたと思い、大喜びでやってくるでしょう」


「魔族軍が全軍で迎撃してきた。ここで奴らを粉砕し、敗走するところを追撃すれば、奪還された場所を取り返すだけではなく、さらに奥地まで進める。そうなれば、恩賞は思いのままなどと喚き散らしながら」


「万端の迎撃態勢を取るこちらとしては、罠の存在を疑い、敵の出来方がわからないうちは動かない。または後方に待機する部隊を多数置かれるという選択をブリターニャ軍に取られることは好ましくない」


「そうならないように、相手が希望する状況をつくる。もちろん見た目だけですが。それが予備を置かない理由となります」


 魔族軍の布陣に遅れること四日。

 ブリターニャ軍もラダム草原に到着する。

 補充と再編成がおこなわれた各軍の指揮官と陣容は次の通りである。


 北管区軍。

 総司令官アルバート・カーマーゼン。

 将兵八十三万五千四百七十九人。

 魔術師一万八千三百十一人。


 中央管区軍。

 総司令官バイロン・グレナーム。

 将兵七十六万八百六十六人。

 魔術師一万七千九百八十八人。


 南管区軍。

 総司令官アルビン・リムリック。

 将兵百六十五万二千四百五十二人。

 東方方面軍魔術師団長エヴィラール・インマン。

 魔術師三万三千六百二十九人。


 予備軍。

 総司令官兼東方方面軍副司令官バーナード・シャンクリー。

 兵五万四千三百四十三人。

 魔術師三千六百二十九人。


 東方方面軍本隊。

 東方方面軍司令官アーサー・ドレイトン。

 将兵一万一千二百九十六人。

 魔術師七百八十六人。


 むろんブリターニャ軍、魔族軍ともに斥候を出し、その結果、ブリターニャ軍は魔族軍がすでに横陣を敷いて待ち受けていること、そして、見える範囲では背後に予備兵力を置いていないことを確認していた。


 総兵力は百万。

 予想兵力と一致している。


「つまり、その兵力がすべてというわけか」

「だが、敢えて平原に出て戦うのだ?」


 戦闘前の最後の会議となる場で、ドレイトンに続いたカーマーゼンはそう疑問の言葉を投げかけた。


「これまでの戦いから数が半分なら魔族の圧勝。三分の一でも魔族の勝利。我々が圧勝するためには最低でも四倍の数が必要ということになっている。だが、それは奴らの陣地や城を我々が攻めるときの話だ。草原に出て戦うとなればこの数の差があれば我々の勝利は動かない」


「それにもかかわらず、なぜ草原で迎撃してくる?」


 カーマーゼンが言外に指摘したのは罠の存在だった。

 それに嘲笑をもって応じたのはグレナームだった。


「……前回の勝利に浮かれて勝てると思ったのだろう」


「実際に、奴らは魔族兵ひとりが人間の兵士五人分に相当すると豪語しているのだ。そうおかしなことではないだろう」


「それに、カーマーゼンの言うとおりになっても問題はない」


「その場合は北と中央は後退してやればよいだろう。そうすれば、対峙する魔族軍を引きずり出すことができ、敵の左翼軍が厳しい状況になっても助けにいけない。万が一、援軍に回ろうと後退したらその時は背後を叩けばよい」


「今回は予備兵もいる。心配はいらない」


「それよりも、リムリック。それだけの兵を与えているのだ。勝てないとは言わせないぞ」


 そう言って、もうひとつの軍を指揮する将軍に目をやる。


「自信がなければ変わってやるぞ」

「お断りだ」


 グレナームの煽り文句にそう応じたその男はニヤリと笑うと、こう返す。


「ワダメダリ城を落としたら、泣きながら敗走しているおまえたちを助けに行ってやるから、それまでは全滅しないことだ」


 大言壮語の応酬に思えるが、実を言えばそう的外れなことを言っているわけではなく、これまでの経験に基づいた十分に根拠のあるものであった。


「つまり、勝利は動かないということだ」


「では、来るべき戦いの勝利の前祝いとしようか」


 そう言って、ドレイトンは酒の入った器を掲げ、残りの者たちもそれに続いた。


 同じ頃、魔族軍も最終的な打ち合わせをおこなっていた。


「……ブリターニャ軍はこちらの兵力と配置を見て勝利を確信し、前祝いの酒が振舞われていることでしょう」


 モンテイロに促されたグワラニーが口にしたその言葉はむろん冗談の類。

 実はそれが真実だったなど夢にも思っていない。


「おそらく明日中に前進して草原に姿を現し配置につくことでしょう」


「それにしても、ここまで露骨に兵力の偏重を見せるとは思いませんでした」


「余程落としたいのでしょうね。ファゼンダ要塞を」


 そう言って、笑顔を零す。


「ですが、どうしようが結果は同じ。計画どおりにことを進めれば勝利が逃げることはありません。ですので、抜け駆けなどはしないように。そこだけは注意を」


 とりあえず、ここまでは何事もなくおわる。

 だが、ここでグワラニーにとって予想外の事態が起こる。


「右翼の指揮はコンコール・グルバ、中央はアウディアス・デスコンペルタに任せる。そして……」


「最も需要な左翼をグワラニーに任せたい。どうだ?」


 そう。

 モンテイロは自分の指揮下にある三軍のひとつをグワラニーに委ねると言って来たのだ。

 むろん、それは自身の指揮下に入れと言っているのと同じ。


 プライーヤとタルファは表情を厳しいものに変え、老魔術師はモンテイロの意図を読み取り鼻で笑う。

 もちろんグワラニーもその意図をすぐに察した。


 ……本来ここにはモンテイロ本人が入るべき。だが、そうすると全体の指揮を誰かに委ねなければならない。

 ……つまり、それを私に渡したくないというわけだ。

 ……さらに、左翼は戦力的に一番厳しい。そこを私に押しつけた。


 ……言っているほどのことが本当にできるかを見ようというわけか。


 グワラニーの口が開く。


「……モンテイロ将軍」


「我が軍左翼は今回の戦いで最も重要な部隊。それを部外者である私に任せてよろしいのか?」


 流れ出したのは十分な嫌味を加えた言葉。

 そして、グワラニーはモンテイロを見やるとさらにもうひとことつけ加える。


「それとも功を譲ってもいいだけの理由があるのかな?」

「いや」


「単純にそれだけの規模の軍を指揮できる者がいないだけだ。私が全体の指揮を執る以上、任せられるのはおまえしかいない。それだけだ」


 ……ものは言いようだ。


 モンテイロの返答に苦笑したグワラニーは心の中でそう呟く。


 ……断ることは簡単だが……。

 ……ここは受けるべきだろうな。


 ……色々な意味で。

 

 実をいえば、この会議の直前、グワラニーは一度王都イペトスートに戻り、王とガスリン、それからコンシリアに一時的にこの方面での戦闘許可を手に入れていた。

 むろん、自軍の呼び寄せて戦うのではなく、あくまで指揮官として戦闘に参加するというもの。

 グワラニーとしては自身の策を半強制的に押しつけた手前、何かあれば、帳尻を合わせる必要があるが、このままではただそれを眺めているだけということになりかねない。

 指揮権だけでも手に入れておけば、なんとかなると考えたわけである。

 そして、ガスリンとコンシリアがそれを許したのはさらにもう一歩深みのある理由からだった。


 グワラニーの不敗神話はグワラニー配下ありきのもの。


 これはグワラニーを快く思わぬ者たちが必ず口にするもので、グワラニーが自身の部隊以外を指揮すれば、あれほどの戦果は挙げられないということを言っているわけである。

 グワラニーやバイアに言わせれば、それだけの部隊をつくり上げたそのものが大きな功績だろうということになるのだが、グワラニーがあえてそのような条件で指揮権を取り入れたのはガスリンたちを黙らせるという意味合いもあるのである。


 むろん、それはモンテイロの職権を奪うことになるので、あくまで指揮できる権利を有していると言ったほうが正しく、基本的にはモンテイロの後方で戦況を眺めているだけである。

 さらに言えば、アフォンソ・モンテイロはこれまでの実績を考えれば決して無能ではなく、側近たちも十分に有能といえる。

 自身が前面に出て、デルフィンや彼女の祖父の力を行使する事態は簡単には起こらないというのがグワラニーの読みであった。


 ……まさか、あの要請をこのような形で逆用するとは思いませんでした。


 心の中でそう呟いたグワラニーはわざとらしく大きく息を吐きだす。


「そういうことなら仕方ありませんね。左翼の指揮をさせていただきましょう」


 急遽決まった左翼軍の指揮。


 もちろん軍を動かすこと自体は問題ない。

 ただし、自分の命令通りに兵たちが動くという点については不安がある。


 ……命令どおりに動かず、形勢が不利になれば、ふたりの力を使うしかあるまい。


 だが、翌朝グワラニー本人も含めてやってきた誰もが予想しなかったことが左翼陣地に到着したグワラニーたちを待っていた。


 予想された怒号の代わりの歓声。

 そして、グワラニーの名の連呼。


 そう。

 兵士たちはグワラニーの不敗神話を歓迎していたということなのだが、これは当然といえば当然である。

 むろん報酬に直結する勝利は重要である。

 だが、末端の兵士たちにとって勝利以上に重要なのが自身の生死。

 そのような彼らにとって自軍の損害が出さずに大戦果を挙げ続けるグワラニーは理想の指揮官。


 たとえ彼が劣等種の小僧であったとしてもそれは変わらない。


「あの様子では左翼の失敗はない。ここで申し合わせを無視して抜け駆けをして失敗するようになればどれだけ戦果を挙げても我々だけが恩賞にありつけなくなる」


「命令があるまで動かぬよう部下たちに徹底させろ」


 左翼部隊から聞こえる自分たちを鼓舞する雄叫びに触発され負けじと声を上げ始める中央部隊を指揮するデスコンペルタは自軍の兵士が暴走しないよう手綱を盛大に引くよう配下の将軍たちに怒鳴り散らし、右翼を指揮するグルバも申し合わせの徹底を配下にこう厳命する。


「最初に言っておく。命令前に動きだしたら私が斬り殺す。殺されたくなければ絶対に動くな」


 実をいえば、人間と魔族との戦いは、その大部分が互いの陣地や城、砦などを奪い合う陣取り合戦のようなものであり、今回のように双方が草原の両端に並んだところから戦いを始めるこの世界における本当の意味での会戦は数えるほどしかなかった。

 そして、数少ない事例となる本格的な会戦で毎回起こるのが、別の世界における「一番槍」を狙った抜け駆けである。

 申し合わせを無視した抜け駆けは違反行為であり、勝敗に関わらず戦いが終わった後として咎められることになるわけなのだが、実際のところ、戦場の両側で共にそれは勇ましさの象徴と尊ばれる風潮があったことや、それが勝敗の決定的な理由にならなかったこともあり、これまではそれほど問題視されなかった。


 だが、今回は違う。

 お調子者ひとりの飛び出しですべてが台無しになりかねない。

 そうなったときには確実に罪を問われる。


 アルディーシャ・グワラニーは軍紀に厳しいことでも知られている。

 勝利できる戦いを無に帰するようになれば、恩賞なしどころか降格でも済まない。


 間違いなくグワラニーが要求するのは、公開斬首。

 そして、歴史的勝利を手に入れ損なうことになるモンテイロ総司令官もグワラニーに賛意を示すだろう。


 ふたりの司令官が命令を徹底させているのは当然のことなのである。


 むろん、魔族軍全体から響き渡る雄叫びの連鎖は草原に向けて進軍するブリターニャ軍にも届く。


 あれは剣だけで戦いにケリをつけるための神聖な儀式。


 夕刻、草原に姿を現したブリターニャ軍はそう受け取って自分たちも負けずに声を張り上げ、魔族軍を大いに威嚇した。

 だが……。


 前祝いと称して酒を酌み交わしていた魔族軍のふたりの指揮官コンコール・グルバ、アウディアス・デスコンペルタは深夜になっても続いているブリターニャ軍の雄叫びを聞きながらこのような言葉を交わしていた。


「本来であれば夜襲のひとつでも食らわしてやるところだが、奴らの望みは明日の決戦。希望を叶えてやることにしよう」

「それはいい。どうせ明日昼間には消える命。敵であっても少しだけでも長生きさせてやることはいいことだ」


「まあ、そういうことで戦いが終わったらまた酒を酌み交わそうではないか。今度は本当の戦勝祝いとして」


「それにしても……」


 デスコンペルタは酒を飲みほした木製の器を眺めながら苦笑する。


「ここに来てから初めてだな」


「全く負ける気がしない。いや。戦う前から心の底から勝つ気でいるのは」

「まったくだ。そして、我々がそう思っているのだ。兵たちは尚更だろうな」


「そう思わせるだけでもあの人間種の小僧はすごいということになるわけなのだが……」


「これで本当に完勝だったらいよいよ神格化されるだろうな。あの男は」


 そう言ったグルバが残っていた酒を一気に飲み干す。

 それを見たデスコンペルタは苦笑する。


「気に入らないと言いたそうだな。実をいえば、私もそうだ。だが、今は何よりも勝つことだ」


「ここで奴の言葉どおりの勝ちを収めれば、この方面の形勢は大きく変わるのだから」


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