愚か者たちの戦い
いうまでもないことではあるが、アリストが送り出した文官たちが王都サイレンセストに到着したときには前線から王都へ敗戦の報が伝えられていた。
むろん前線の指揮官たちとしては敗北を隠し、こっそりと帳尻をあわせたいところであったのだが、あまりにも大きな敗北、さらに、自分たちが後退している隙を突いた魔族軍が大幅に前進してしまったため、失地回復は簡単におこなえない。
渋々ながら報告することになったのだが、その報告内容をどうするかで幹部たちの議論が始まる。
本来、状況を正確に報告すべきところであるが、それは処分に直結する。
そのため、敗北そのものは伝えるものの、醜態の度合いについてはなるべく薄くするということで全員の意見が一致したのだが、そこで問題になったのはバインベナーの侵攻だった。
あきらかな協定違反。
それを許したとなれば、敗戦の責は数段階割り増しされることは確実である。
そうならぬよう苦心した報告。
その概要はこうである。
魔族軍と戦っている我がブリターニャ軍は背後に突然現れたフランベーニュ軍の襲撃を受け、一番南方に陣を敷いていたアンドリアム・バインベナー将軍の部隊は奮戦虚しく壊滅。
将軍も戦死の模様。
その間、魔族軍は我が軍にだけ攻撃をかけ、フランベーニュ軍には一切手出ししなかった。
このことから。フランベーニュ軍と魔族軍は共闘したものと思われる。
挟撃されたため一時的な後退を余儀なくされた我が軍は体制を立て直し、反撃に出た時にはフランベーニュ軍の姿はなく、我が軍が陣を敷いていた場所には魔族軍が居座っている。
失った陣地を奪い返すために戦いを継続中。
状況から考えて、バインベナーの部隊はほぼ壊滅。
バインベナーをはじめ、幹部も皆戦死した。
となれば、どれだけ盛っても露見することはない。
そのような意図でつくり上げた報告書は、当然のごとく王たちを激怒させた。
アリストが帰り次第フランベーニュに対する報復をおこなうあらたな計画を策定するよう軍最高司令官アレグザンダー・コルグルトンに指示したところで、サイレンセストに戻ってきたふたりの文官アーサー・コノニッシュとアドルフ・キリコナンがアリストからの書を父王へ手渡す。
むろん、そこには事実、つまりドレイトンからやってきた報告とは違う内容が記されていた。
東部方面軍総司令官アーサー・ドレイトンとアリスト・ブリターニャ。
王がどちらの言葉を信じるかはいうまでもないだろう。
「ドレイトンに使者を送れ」
むろんドレイトンをはじめとした東部方面軍の幹部たちは詰問に近い王からの書に青ざめる。
王は返答を求めている。
だが、今さら真実を語るわけにはいかない彼らはうろたえながらも考える。
前回の報告と王が示した真実の辻褄合わせができないかと。
そして、見つける。
なんとか整合性のある答えを。
アンドリアム・バインベナーはブリターニャの管轄地域の最南端から迂回し、南管区のアルビン・リムリックの軍と協力してワダメダリ城を攻略する手はずだったのは事実であり、我々はバインベナーが予定通り動いていたと信じておりました。
境界を超えてフランベーニュ軍の背後を襲おうとしていた事実は恥ずかしながら陛下の言葉で初めて知った次第。
つまり、その事実が本当であった場合、それは東部方面軍の計画ではなくバインベナーが独断でおこなったこと。
もちろん総司令官である私アーサー・ドレイトンは部下の不始末の責任を負う立場ではありますが、その点だけはどうぞご理解いただきたく。
そう。
それはアンドリアム・バインベナーが無届けでおこなったことであり、他の者は誰も預かり知らない。
ドレイトンたちは死んだバインベナーにすべての責任を押し付けたのである。
そして……。
「コルグルトン。ドレイトンは随分とおもしろいことを言ってきているが、おまえはどう思う?」
王はドレイトンの苦心の作をテーブルに放り投げ、軍総司令官アレグザンダー・コルグルトンにそれを読むように促した。
陛下はフランベーニュ滞在中の王太子殿下から手紙を受け取った直後、態度が豹変した。
そして、それはドレイトンの新たな書を見ても変わらず。
つまり、王太子殿下の手紙には信頼すべき十分な証拠となるもの記されており、それによって前回の報告だけではなく今回の書に書かれていることも偽りであると陛下は判断した。
コルグルトンはドレイトンからの手紙を眺めながら心の中でそう呟く。
つまり、ドレイトンは王に偽りの言葉を吐いたということになり、最低でも更迭、場合によっては死罪もありえる罪を犯したということになる。
そして、その罪は副司令官で陸軍最高司令官のバーナード・シャンクリー、アルバート・カーマーゼンら三人の管区司令官も同じ。
当然これは五人全員が更迭すべき事案ということになり、王もそれを言外に要求しているのは間違いないだろう。
それはコルグルトンも十分に理解した。
だが……。
「陛下に申し上げます」
「まちがいなく事実は陛下の察する通りだと思いますが、ここで五人を更迭するのは避けるべきかと考えます」
「理由は?」
「思わぬ大敗で兵たちは動揺していることでしょう。ここで司令官をすべて交代させるのはその動揺を助長させます」
「いずれ、更迭は機会を見ておこなうということで、今回は彼らの言い分を受け入れたうえで、敗北を帳消しにする勝利を求めてはいかがかと」
コルグルトンがブリターニャ王カーセル・ブリターニャの意に沿わないことを知りつつ、そう意見したのにはむろん理由があった。
彼らとの個人的繋がり?
むろん断頭台目前の五人は昔からの知り合いであり、おいしい思いを共有した仲でもある。
だが、ここでその程度の理由で彼らを庇っては、救出するどころか、自身もその列に並ぶことになりかねない。
当然この場での理由にはならない。
では、いったいどのような理由なのか?
その理由。
簡単に言ってしまえば、それはブリターニャの軍の上級幹部の昇格制度と人材不足ということになる。
能力主義の極みのような魔族軍の昇進システム、そこまで極端ではないもののフランベーニュのそれもどちらかといえば能力主義に近いのに対し、ブリターニャはそれぞれの部署で経験を積んで地位を高めていく年功序列式。
そして、ブリターニャ軍の階級ピラミッドは、軍総司令官を頂点に、序列二位は陸海軍出身者ひとりずつが選ばれる副司令官。
それに続くのが陸海軍総司令官となる。
現在問題になっている陸軍の話でいけば、次の地位は魔族軍に対峙している三つの管区の司令官。
それに続くのは王都防衛部隊司令官と決戦部隊である予備部隊司令官。
五人いる陸軍の副司令官は序列的には方面軍の中では最下位とされるフランベーニュとの国境地区の担当である南方方面軍司令官を挟んだその次となる。
ドレイトンたち五人を一挙に更迭してしまうと、幹部としての実務経験がない者が特進してしまいヒエラルキーが崩壊してしまう。
それは軍の更なる弱体化を招く。
コルグルトンがそのような提案をするのも十分に頷けるといえるだろう。
むろん無用な疑いを王に持たれぬよう、ドレイトンはすぐさまその詳細の説明を始め、王は了承する。
だが、この時点では猶予になっているだけであり、五人の陸軍幹部の首は断頭台に据えられたまま。
これを回避するために相当な戦果を上げねばならない。
ドレイトンからアリスト経由で王の耳に真実が入っていることを伝えられた五人は恐怖する。
そして、急いで再攻勢の準備に入る。
といっても、彼らに出来ることは数を頼りにした単調な力攻めのみ。
それで大幅な前進を勝ち取るには現在より相当な増員が必要なので残念ながら彼らの望みは簡単には叶えられない。
今さら言っても栓亡きことではあるのだが、こういう時のためにセドリック・エンズバーグ率いる決戦部隊がいたのであり、今こそエンズバーグのような異才が必要だったと言えるだろう。
ブリターニャにとってさらに不幸だったのは、現地視察をしていたグワラニーがクアムートに戻らずまだこの地に留まっていたことだった。
むろん、ブリターニャの攻勢を迎撃するためではなく、いずれやってくる勇者の進行ルートを推測するための実地検分が目的であったのが、目の前で戦いが始まり、助言と助力を求められれば実質的な実戦部隊を指揮する者の頂点に立つグワラニーは立場上断ることはできない。
渋々でも協力することになるのだろうが、そうなれば、それはアリストの知らないところで起こる新たな悲劇の始まりとなるしかないのである。