大追撃戦
川岸で右往左往するブリターニャ軍の兵士の視界にフランベーニュ軍が入ってくる。
むろん、それはフランベーニュ軍がブリターニャ軍を捉えたことでもある。
「始めろ」
隣のベルナードに視線を送り確認した直後、魔術師長アラン・シャンバニュールの命令とともに魔術師団の容赦ない魔法攻撃が始まる。
そして、最後におこなわれた小競り合い程度に剣を交えたところで川の南側からブリターニャ軍は駆逐される。
どうにか川を渡りきり対岸に辿り着いた者は一万二千三百七十四人。
投降し捕虜となった者五万六千八十一人。
ミュアジ川を超えたブリターニャ軍は魔術師を含めて二十三万五千九百二十八人であったから、十六万七千四百七十三人が戦死したということになる。
もっとも、その半数以上は死体が見つかっていない行方不明者だったのだが。
「さて、本来であれば、協定を破り攻撃を画策した者を排除して終わりとなるわけなのだが、ブリターニャ軍には躾が必要だ」
「川を超え、ブリターニャ軍を背後から叩く」
「渡河戦の準備を」
大河を渡る渡河戦。
この世界の戦いにおいてそれは困難な戦いに属するものとなる。
そして、それはミュランジ城攻防戦における魔族軍の惨敗かも証明されている。
もし、ブリターニャ軍がこの川を砦として迎撃戦の準備をしていたのなら、ベルナードも渡河を諦めたであろう。
だが、残念ながら、このようなことをバインベナーは想定していないため、備えなどない。
唯一の対抗手段は魔術師ということになるわけなのだが、本隊にフランベーニュ軍の魔術師に対抗できるものがいないのだ。
当然後方部隊にそのような者などいない。
つまり、フランベーニュ軍は渡河前に魔術師による掃討戦が可能よいうことになる。
さらにベルナードはいずれ大掛かりな渡河戦が起こることを想定し、大軍による渡河をおこなうために十分な川船を用意していた。
二百万の兵士を一斉に渡河させるつもりで。
そうなれば、たとえそれが五十万の将兵であっても問題など何もない。
むろん、掃討戦が完了すれば転移魔法を使用できる。
「始める」
「魔術師団。周辺の敵を駆逐せよ」
実をいえば、魔族軍がフランベーニュとブリターニャの内輪もめも察知したのはこの攻撃の頃で、当初その情報を掴んだ魔族軍の前線指揮官たちはフランベーニュ軍がブリターニャ軍を攻撃しているという認識だった。
そこで思いついたのがグワラニーのフランベーニュ懐柔の可能性であり、王都に確認の伝令を飛ばしたのだ。
だが、その後にこの方面の情報を精査すると、その何日か前に転移魔法が展開されていたのを確認していることから、ブリターニャがフランベーニュに攻撃を仕掛けたものの、逆に叩きのめされ、後退しているという意見に傾いたところにグワラニーが現れたというわけである。
徹底的な掃討戦が終わると、いよいよフランベーニュ軍の渡河が始まるわけなのだが、ブリターニャの東部方面軍はこの時点においても事態を把握していなかった。
むろんそれは伝令役を担う魔術師がすべて狩られていたからなのだが、転移魔法を使用できない場合の代替の連絡方法の欠如が問題になるのはブリターニャに限ったことではない。
もちろんこの世界には電信技術はなかったのだが、海を縄張りにしている海軍や商人たちが使用している信号旗は十分にその代替になるものであった。
だが、それをおこなうには専門の技能者を大量に養成しなければならず、当然膨大な時間と費用が必要となる。
しかも、それを使用するのは転移魔法が使用できない場合のみ。
そう。
費用対効果、いわゆるコスパが非常に悪いのである。
結局、過去の例と同様、この戦いの後に開かれた会議でも転移魔法とは別の通信手段を構築が叫ばれたものの、いつの間にか立ち消えになるのである。
さて、無事渡河を成功させたベルナード率いるフランベーニュ軍は、かつてのライバルである「フランベーニュの英雄」アポロン・ボナールのお株を奪うような速攻を披露して移動すると、ブリターニャの南管轄軍の背後から攻撃を開始する。
いわゆるオールドスタイルの攻撃魔法のひとつ火球を出現させて。
ブリターニャにとっては予想外の場所からの一撃。
それはまさにバインベナーがフランベーニュ軍におこなおうとしていた策。
しかも、この時魔族軍が周辺からかき集めた魔術師たちによる魔法攻撃をおこなっていたため、ブリターニャ軍はその迎撃で手一杯の状況であった。
まさかの魔族とフランベーニュによる挟撃。
ブリターニャ軍はあっという間に崩壊し、指揮官のアルビン・リムリックは歯ぎしりしながら北方へ退避するよう指示、南管区軍の全面敗走が始まる。
南管区軍からの悲鳴のような救援要請によって東部方面軍総司令官アーサー・ドレイトンはフランベーニュ軍の襲撃に知る。
だが、それは転移魔法ではなく徒歩による伝令からのものであったので、当然受け取った時点で賞味期限切れになっていた。
それでも、戦闘は継続中なのだから、予備部隊に出撃は必須。
だが、ブリターニャ軍は数に頼った全面攻勢中であるため、すでにすべての兵を前線に投入し、司令部に残っているのはわずかな護衛のみ。
通常は用意されている戦略予備は皆無であった。
だが、フランベーニュ軍に対処するため、どこかで兵を調達し迎撃に向かわせなければない。
「とりあえず中央管区バイロン・グレナームに……」
「バイロン・グレナーム将軍より連絡。魔族とフランベーニュの挟撃に遭い、戦線の維持は困難。救援請う」
ドレイトンの言葉を遮るように飛び込んできたのはその中央管区軍からの救援要請だった。
そして、ここでようやく今回の襲撃をおこなっているフランベーニュ軍の指揮官がわかる。
「……ベルナードが直々に指揮をしているだと」
「間違いないのか?」
「軍旗識別書で確認したとのこと。さらにウジェーヌ・グミエールの軍旗も確認できたと」
「ということは、フランベーニュ軍は自身の持ち場を空にして我が軍を攻撃してきているのか。協定違反……」
ドレイトンが吐き出しかけた言葉を止めたのは身に覚えがあったからに他ならない。
「バインベナーはどうした?」
「状況から察するにすでに破れたものと……」
「ということは……」
「フランベーニュの協定違反を声高に言うわけにはいかないということか?」
「それどころか捕らえた者たちが証人となり、こちらの協定違反を問われるのは避けられないかと……」
副司令官で陸軍最高司令官も兼務しているバーナード・シャンクリーの言葉も徐々に弱まる。
「ですが、解せないのは魔族軍の動き。奴らはなぜ我が軍だけに攻撃を集中させているのでしょうか」
「それこそ、ベルナードもグミエールもいないのなら動きが鈍くなっているはずで攻勢をかける絶好の機会。魔族軍の攻勢の報があれば当然ベルナードは引く。ベルナードが我が軍を攻め立てているということは、当然魔族はフランベーニュ側で攻勢をかけていない。しかも、こちらでも魔族が攻撃しているのは我が軍だけでフランベーニュにも攻撃を仕掛けているという報がありません」
「これは魔族が我が軍だけに圧力をかけているということに他なりません」
「つまり、共闘しているということか」
「だが、今は穴を塞ぐことが先。それが終わったら貴様の裏切り行為を問うてやる。アルサンス・ベルナード」
フランベーニュは魔族と共闘している。
ドレイトンは心の底からそう思い、戦場で魔族軍とフランベーニュ軍が微妙な距離を保っているのを目の当たりにした兵士たちも同様の思いを持っていた。
むろん彼らは知らない。
ベルナードが魔族軍と手を結んだ事実がないことを。
ただし、その事実こそないものの、魔族、フランベーニュ双方に相手を利用して自らの利に使用という微妙な思惑があったことは否めない。
そして、そのキーマンとなるのは、魔族軍の将アルディーシャ・グワラニーとなる。
フランベーニュ軍によるブリターニャの南管区軍攻撃が始まる少し前。
ブリターニャ軍と対峙する魔族軍の将を集めたグワラニーはある提案をしていた。
我が軍がフランベーニュ軍の攻撃に先だってブリターニャ軍を押し返す。
具体的には魔法攻撃の強化。
これによってブリターニャ軍は我が軍の攻勢に対応するのが精一杯となり、背後からの魔法攻撃に対して対応できない。
そうなれば、挟撃される形となるブリターニャ軍は一瞬で崩壊する。
先制の魔法攻撃でブリターニャ軍に圧力をかけ、フランベーニュ軍による背後から攻撃でブリターニャ軍が半壊したところで掃討戦に移行する。
おそらくフランベーニュ軍の目的はブリターニャ軍への報復。
つまり、こちらから手を出さなければ、フランベーニュ軍も攻撃してこない。
フランベーニュ軍がどこまでやるのかわからないが、彼らが攻勢に出ている間は見かけ上の協力をおこなうべし。
それによって単独では手にできないような大きな戦果が得られるのだから。
さらにこれによってブリターニャ軍に我々とフランベーニュ軍が共闘しているという疑念の種を植えつけ、両者の間に大きな楔が打ち込める。
成功すれば将軍たちの大きな武功となる。
なお、フランベーニュ軍がこちらに剣を向けた場合はその相手は我々が承る。
これはある種の保険付きの提案。
しかも、その保険は何があろうがグワラニーが帳尻を合わせてくれるという極上のもの。
さらに、その功は自分たちに与えられる。
そうなれば、乗らない手はない。
当然全員が賛成する。
そして、結果は大成功。
崩壊し敗走していったブリターニャ軍と、彼らを追撃し次の獲物のもとに向かったフランベーニュ軍は去り、残ったのは魔族軍。
軽く掃討戦を実施しただけで陣地の奪還に成功する。
まさに漁夫の利である。
むろんそれを見たブリターニャ中央管区軍と対峙する魔族軍の将軍たちもグワラニーの策に乗ると、物凄い勢いで魔法攻撃を仕掛ける。
必至に応戦するブリターニャ軍のもとに敗走兵とフランベーニュ軍が混戦状態で姿を現す。
迎撃態勢こそとっていたものの、逃げてくる味方が邪魔で攻撃ができない。
結局指揮官バイロン・グレナームのこの躊躇いが命取りになる。
敗走兵の渦に中央管区の兵が飲み込まれたところにやってきたシャンバニュールの一撃で勝負はあっけなく決まり、圧倒的数が多いはずのブリターニャ軍がフランベーニュ軍は追い立てられるように敗走する。
まさにドミノ倒し。
アルバート・カーマーゼン率いる北管区軍にいたっては、敗走する味方が見えた途端に、味方を敵の大軍と見間違え敗走が始まるという体たらく。
そして、翌々日、十アケト以上敗走したところでブリターニャ軍が体制を立て直し、迎撃に向かったときにはフランベーニュ軍の姿はなく、彼らの代わりに魔族軍が大幅な前進をして多くの要衝を奪還していた。
カナストラ・マラニャンセの戦い。
それが、五十万のフランベーニュ軍が三百万のブリターニャ軍を敗走させるフランベーニュ軍にとっての痛快劇、逆にブリターニャにとっては歴史に残る究極の失態ともいえる戦いの名となる。
ちなみに、その名は、敗走劇の始まりとなるブリターニャ南管区軍の本陣が置かれた場所であるカナストラと、全ブリターニャ軍が敗走したところで、フランベーニュ軍の進撃中止の命令が出たマラニャンセの丘から取られたものである。
そして、ブリターニャ軍が遥か後方で再集結し、再進撃の準備を整えている頃、このあり得ぬ事態の終焉にふさわしい出来事が起こっていた。
協力してブリターニャ軍を叩きのめしたフランベーニュ軍の指揮官アルサンス・ベルナードと魔族軍将軍アルディーシャ・グワラニーの再会である。
北管区陣地からブリターニャ軍を追いだしたフランベーニュ軍司令官のもとに魔族軍の監視をしていた兵士が走り寄る。
「ベルナード様。魔族軍陣地から白旗を掲げた集団がやってきます」
共通の敵が消えたところで阿吽の呼吸でおこなってきた停戦を解除するという通告とも考えられる。
だが、そもそも停戦自体正式にはおこなっていたわけではないのだから、そのようなものは不要。
つまり、それとは別の要件ということになる。
考えられるのは降伏勧告。
ここで戦闘が始まった場合、やがて戻ってくるブリターニャ軍に背後を襲われ、今度はフランベーニュ軍が崩壊状態になりかねない。
それが嫌なら降伏せよ。
十分にあり得る話なのだが、なぜかベルナードはそれについて心配していなかった。
「……ないな」
そう言ってその可能性を否定したところで、ベルナードはやってきた兵士に目をやる。
「何人か確認したか?」
「三十人ほどですが、女ふたりほど混ざっております」
「女?」
その言葉にベルナードは自身の推測が当たっていたことを確信しニヤリと笑う。
「……やはり来ていたのか。小僧」
そう呟き、苦笑いしたベルナードはグミエールとシャンバニュールだけを伴って、その集団の方へ歩き出していった。
「……お久しぶりです。そして、大勝利おめでとうございます。ベルナード将軍」
「そちらには膨大な土地をくれてやるのだ。礼は言わないぞ。アルディーシャ・グワラニー」
それがふたりの挨拶代わりの言葉だった。
「その巧みな戦い方からグミエール将軍が指揮をしているのかと思っていましたが、まさかベルナード将軍まで来ているとは思いませんでした」
「このような汚い仕事を部下に押しつけるわけにはいかないのだ」
「さすがです」
ベルナードの箸にも棒にも掛からぬ言葉を誉め言葉で応じると、グワラニーは咳払いひとつで仕切り直しをし、それから表情を少しだけ厳しいものへと変える。
「礼は必要ありませんが、なぜこのような事態になったのかくらいは教えてもらってもバチは当たらないと思うのですが、いかがでしょうか?」
グワラニーは指揮官がベルナードである以上、フランベーニュ軍がブリターニャ軍を襲ったとは思っていない。
つまり、手を出したのはブリターニャで、フランベーニュは少々過剰な反撃をしただけ。
だが、なぜブリターニャはそのようなことをおこなったのかはわからない。
当事者に聞けばそれがわかるだろうということである。
「知らん。と言いたいところだが、教えてやる。といっても、捕虜になった者が口にしたことだからどこまでアテになるのかは知らないが」
そう言ってベルナードが語ったのは、バインベナーがフランベーニュ襲撃を計画するに至った経緯だった。
「……結局そのバインベナーなる者にはあれ以外の選択肢がなかったらしい」
「そうであっても、背後から攻撃されるまでこちらが気づかないと思っていたというのはいただけない。そう思わないか?」
ベルナードは自問自答のような問答を口にし終えると、グワラニーに目をやる。
「尋ねられたことを答えてやったのだ。こちらの問いにも答えてもらおうか」
「なぜ手薄になった我が軍を攻撃してこなかった?」
「……まあ、最終的にはその方が我々の利益になるからということなのですが……」
そう言ったグワラニーは盛大に苦笑した。
「フランベーニュとブリターニャが戦闘していることを知った我が軍の前線指揮官たちは私が手を回してフランベーニュにブリターニャを攻撃させたと勘違いしてフランベーニュに対する攻撃を控え、その話を聞かされた私はブリターニャの王太子アリスト・ブリターニャがまたろくでもなくことを考えたに違いないので関わるべきではないと助言した」
「それが真相になります」
「つまり、盛大な勘違いだの結果だということか」
「だが、残念ながらおまえが会いたかったアリスト王子は我が国の王都で宰相殿下と会談中だ」
「公的に発表されていたので知っています。ですが、そう思わせて、突然目の前に現れるのがアリスト王子」
「詳しいな。まるで知り合いのようだぞ」
「いえいえ。単純に彼の悪い噂をかき集めて想像しているだけです」
「ですが、このようなものは最悪を想定すべきでしょう」
「……それは正しい。それを怠るとブリターニャの将軍のようになるのだ」
グワラニーの言葉に独り言のようにそう返したベルナードはゆっくりと視線を動かす。
「せっかく来たのだ。そちらにいる者も紹介してもらおうか」
「まあ、そのような要求は自らがおこなってからやるものだ。では、遅くなったが……」
「私はアルサンス・ベルナード。フランベーニュ軍の司令官で将来魔族の都イペトスートを落とす者である。そして、右にいるのは我が軍の魔術師長アラン・シャンバニュール。そして、左は副司令官のウジェーヌ・グミエールだ」
やってきたのが三人だけということで、あっという間に終わった自己紹介が終わると、ベルナードは視線でグワラニーに同行者の紹介を促すと、グワラニーは小さく頷き、口を開く。
「では……」
「私と副魔術師長はすでに三人と会っているので省くということで……」
「まずは私の軍の魔術師長アンガス・コルペリーア」
「そして、ふたりの将軍アゴスティーノ・プライーヤとアーネスト・タルファ。そして、私の護衛隊長アイマール・コリチーバとその部下たち」
「それから、現在我が国に滞在中のブリターニャ国の王女ホリー・ブリターニャと彼女の護衛で元ブリターニャの将軍アラン・フィンドレイと彼の部下です」
「ちなみに、グミエール将軍はフィンドレイ元将軍たちと面識があるはずですが……」
「ああ」
「そういうことになりますが、まさかこんなところで顔を合わせるとは思いませんでしたよ。フィンドレイ将軍」
顔中で不機嫌さを表しグワラニーの言葉に短く応じたフィンドレイに続いたグミエールの言葉どおり、ふたりはある場所で顔を合わせていた。
指揮する兵を捨てて投降した恥知らずの将軍とそれを投降先の指揮官という立場で。
「どういう経過で今の立場を手に入れたのか非常に興味がありますね」
グミエールとしてはそう言わざるを得ない。
なにしろアリストは自身の手で処刑するということで、フィンドレイの身を要求し、対価を支払った。
それにもかかわらず、とっくに首を落とされているはずの者が生きているだけではなく、魔族の将の配下として目の前に現れたのだから。
「……まあ、そうだろうな」
「私自身なぜそういうことになったのかわからなかったのだから」
フィンドレイは自身を嘲るように薄く笑いながらそう呟く。
「私自身はフランベーニュに投降した時点で、処刑されると思っていた。いや。そのつもりでいた」
「だが、アリスト王子が大金を支払い、私の身柄を引き取ったわけなのだが、サイレンセストのお偉方は私を処刑したがっていた。だから、処刑場所が変わっただけだということになる」
「だが、ここで誰も予想しない事態が起こった。私の身柄を買い取りたいとブリターニャに申し入れた者がいたのだ」
「グワラニー?」
「そう。ここでも自分の国で処刑したいというのが理由であった」
「実はブリターニャでの処刑は私と部下十六人だけではなく家族も処刑するということが内々に決まっていたのだが、私の前に立つ男は家族もすべて引き渡すように要求した。対価はブリターニャがフランベーニュに支払った十分の一。大金に目が眩んだ宰相や軍幹部は私を売り渡した」
「だが、何を思ったのか。グワラニーは我々を厚遇で迎えると言い出した。もちろん誇りあるブリターニャ軍人である私自身はそれを拒否したかったのだが、魔族たちと楽しくやっている家族を見て少しだけ気が変わった。しかも、我々の仕事は王女殿下の護衛。そういうことで、それを引き受けることにした」
「ちなみにかなりの数のフランベーニュ人もそこで暮らしており、私の家族と楽しくやっている」
「まあ、そういうことで私はこうして生きている。そして、忠誠を誓ったからには私も部下もアルディーシャ・グワラニーを裏切ることはない。命じられればブリターニャの将軍にだって剣を向けることができる」
「それが今の我々だ。相手が爪の先ほども遠慮する必要がないフランベーニュ軍となれば尚更だ」
「立派な……」
「グミエール。その辺にしておけ」
グミエールがさらに何かを言いかけたところで、ベルナードがそれを制す。
「そこにいる魔族の小僧が大金を払って買ったということは、その男は相応のものがあるということであろう」
「状況を聞くに、それが何かも想像はつく」
「それに人それぞれ事情がある。それについて他人が問うことではない」
年長者らしくそう言って強制的に話を終わらせたベルナードだったが、部下の話を終わらせたのには、言葉として語ったものとは別の理由もあった。
「ところで……」
「私の記憶が間違っていなければ、我が軍の至宝であるアポロン・ボナールと決闘し、倒したという元ノルディア軍人で現在は魔族軍の将をしている男の名はアーネスト・タルファだったが、そこにいる人間は同名の別人か?」
そう。
ベルナードは自らの視線の先にいる男との会話がしたかったのである。
むろん、グワラニーはそれを察し、振り向くことなく、その相手にこう言葉をかける。
「タルファ将軍。ベルナード将軍はあの時のことが聞きたいようだ。話をしてやってください」
一礼後。タルファが話したのはむろん真実。
そして、以前グワラニーが口にしたものと同じ。
「……これがすべてとなります」
「ひとつ聞く」
「将軍から見てボナールの剣の腕はどうだった?正直なところを教えてくれ」
その言葉にタルファは一瞬だけ躊躇ったが、何かを呟いた後、それを語り出す。
「……たしかに強いと思いました」
「技術という点ではボナール将軍の方が上だったと思います。ですが、剣速は圧倒的に私の方が早かった。勝敗はそこで決まったといえるでしょう」
「その剣速がどこで身に着けた?」
「グワラニー殿の配下になってからですね」
「もうひとつ」
「魔族の将の配下になっている気分はどうだ?同等の条件を出せば、フランベーニュに来るということはあるのか?」
「ないですね。まったく」
この時の会話は、ベルナードはもちろん、グミエールやシャンバニュールもよほど印象深かったらしく、数多くの言葉を残していることが確認できる。
「グワラニーに命を救われたブリターニャ人の言葉は話半分で聞いていたのだが、さすがにアーネスト・タルファの言葉も同じ扱いをするわけにはいかないだろう」
シャンバニュールはしばらく後に側近たちにそう言った。
「何度かアポロン・ボナールがおこなった模擬戦を見たことがあるが、その剣はとても鈍重なものではなかった。それどころか、誰もその剣速についていけないと言ったほうがいいもので一部では『神速の剣』と呼ばれていた」
「その剣を遅いと断言するということはアーネスト・タルファの剣がどのようなものなのか想像もつかない」
「そのような者を放逐し、グワラニーに提供したノルディアの為政者の馬鹿さ加減はいうまでもない」
魔術師らしくシャンバニュールはグワラニーに同行したふたりの魔術師についても語り、その上でこの世界の未来についても言及している。
「グワラニーに寄り添う少女の魔力はこの世界に存在するどの魔術師よりも強大であり、私が知る限り最高の魔力を持つ人間であるフィラリオ公爵家の令嬢も少女と比べればやや劣る」
「一方、魔術師長だという老人だが、少女と比べてしまえば、数段落ちることになるが、それでも魔力は膨大であり当然我々よりも格上の存在である」
「二度にわたっておこなわれたフランベーニュとブリターニャの戦いはともに魔術師の能力差がそのまま勝敗に結びついたわけなのだが、今後も同様の戦い方となった場合、残念ながら生き残るのはブリターニャと魔族ということになるだろう」
グワラニーとベルナードの「立ち話的」会談に同行したもうひとりウジェーヌ・グミエールも多くの言葉を残している。
そのひとつがこれである。
「前回。そして、今回。ふたつの戦いを終わったところで考えるに、我々の本当の敵は魔族なのかと思えてくる」
「たしかにこれまで我々と魔族は殺し合いに等しい戦いを繰り広げてきた。それは事実だ。だが、グワラニーが登場してから状況は大きく変わった」
「部分的な停戦。それから迎撃策の策定。そして、今回の共闘」
「今後、より強い信頼関係が構築できるのなら少なくてもグワラニーとは共存できるのではないかと思えるくらいに」
「それに対しブリターニャは二度にわたって協定を破り攻撃してきた」
「同じ人間であるので非常に言いにくいことではあるのだが、魔族とブリターニャ。どちらが信用できないかと問われれば、当然ブリターニャ」
「言葉こそ出さないものの、それはベルナード総司令官も同じ考えを持っていたのではないだろうか」
「そうでなければ、目の前に魔族軍がいるにもかかわらず五十万の大軍をブリターニャ迎撃に向けるなどありえないことだろうし、横腹を魔族軍に晒すように移動もしないだろう」
「そして、なによりもグワラニーとの何を話すかもわからぬ会談に応じただけではなく、護衛をつけずに向かった。これは総司令官がグワラニーを信用している証といえるだろう」
そして、そのベルナードであるが、家族宛ての手紙にこの戦いについてこのように記している。
「我が軍は最近ブリターニャ軍と激しい戦闘をおこなった。ブリターニャ軍は我が軍の十倍近く。これだけの兵数の差があれば誰がどう考えても勝てないわけなのだが、結果は我が軍の圧勝」
「こんなことは酒場で聞く吟遊詩人の英雄譚の中でしか起こらないわけなのだが、これは事実だ」
「そして、何故そのような夢物語が現実になったかといえば、魔族の助力があったからだ。言うまでもなく、我々は魔族を倒すために戦い、そのためにブリターニャと協定を結んだ。それにもかかわらず、このような事態になったのだから、馬鹿々々しいとしか言いようがない。そして、思う。我々はいったい誰と戦っているのかと」
「まあ、他人事のようにそう言っているが、私自身、他の将はともかく今回魔族軍を指揮したアルディーシャ・グワラニーという魔族はそれなり信じているのだから、私自身が馬鹿の代表なのかもしれない」
そして、それに続くのは自身の未来についての予測を語ったものだった。
「むろん、私もグワラニーも互いに相容れない相手であることは理解している。だから、今回はこのような形になったが、いずれどこかでぶつかることになるだろう」
「……残念なことだが、それが私の最後の戦いになる。アルディーシャ・グワラニーはそれだけの男である。有能な将と最強の魔術師団を配下に収め、さらに硬軟自在に策を弄す当代一の名将。万が一にも勝てる可能性がないのだから」
「勝ち目がないのを承知のうえで戦うなど御免被りたいし、勝てないのならさっさと降伏すればいい。むろん降伏は許されるだろうし、グワラニーは我々全員を厚く遇するだろうが、少なくても私はそれが許されない立場にある。まったくつまらぬ地位に就いてしまったと後悔している。グワラニーの部下として戦えるノルディア人とブリターニャ人を見てそう思った」
長いようで実は短かった奇妙な会談は二十ドゥアほどで終わる。
「勢いで敗走していったブリターニャ軍が我に返り、戻ってこないうちに自陣に戻るべきでしょう」
「魔術師も相当いるようですからどうぞ転移魔法をお使いください」
「それに乗ったところで全員を一気に仕留めるか?」
グワラニーの提案にベルナードは即座にそう返すものの、直後、出来の悪い笑みを浮かべる。
「……いや。おまえがそんなつまらぬことをするわけがないな。では、その言葉を甘えさせてもらおうか」
「準備が整ったら赤い狼煙を上げる。それが戦闘再開の合図だ」
「承知しました」
「では、戻る。敵である魔族に言いたくはないところが、借りをつくったままでは気分が悪い。ひとこと言っておこうか」
「先日の戦い。それから今回の戦い。助力に感謝する」
そして、それから一セパほど経ったフランベーニュ軍の陣地から赤い煙が上がると。
それを合図として、それまでの時間が存在しなかったように再び魔族軍とフランベーニュ軍の戦いが始まった。
「相手を騙すことは戦術のひとつであり、それ自体否定はしない。それこそ、騙されたほうが悪いのだ。だが、それは戦いの中の話であって、騙し討ちのような卑劣な手段は絶対にやってはいけない」
「それは、たとえ相手が魔族であっても」
「そういう点では、アルディーシャ・グワラニーは誰よりも信用できる者であり、こちらもあの男の信用に答えなければならないのだ……」
戦闘が再開された戦場を眺めながらベルナードは呟く。
「……王都へ連絡。迎撃戦は終了した。我が方の勝利。ブリターニャ軍の襲撃部隊を粉砕し、続いて、ブリターニャ軍の前線も崩壊させ、その後撤収した。我が方の損害極めて軽微。ブリターニャ軍は大幅に後退し、魔族軍に占領地を奪い返された模様」
「戦いの詳細については後日報告する」
「なおブリターニャの襲撃部隊を指揮していた将軍のひとりアルジャノン・タッカーなる者を含む多数を捕虜にしたので、準備でき次第王都へ送る」