バンワード丘陵の戦い
そして、アリストにとって寝耳に水の出来事だったブリターニャとフランベーニュの激突であるが、むろんアリストの疑いは事実無根、グワラニーは少なくてもその始まりについてはまったくの無関係。
だが、突然自分たちの目の前でフランベーニュとブリターニャが戦闘を始めたことに魔族軍も少なからず混乱し、王都にすぐさま確認の伝令が飛ぶ。
これは秘密裡におこなわれたグワラニーの策の結果なのではないかと疑って。
前線からの急報を受け、すぐさま王都からクアムートに伝令がやってくるわけなのだが、まったく関与していないグワラニーは当然否定する。
さらに、あまりにもありえない事態に、グワラニーはアリストの策を疑い、このような助言をおこなった。
目の前で起こっていることは世紀の大悪党アリスト・ブリターニャによって用意された同士討ちを見せかけた罠の可能性が高い。
関りを持たず、迎撃の準備をしながら静観すべし。
そう。
アリストとグワラニー。
双方ともこの予想外の事態を相手の小細工だと信じていたのである。
ただし、アリストと違いグワラニーは行動に制限が加えられていない。
アリストがどのような策を講じているのかにも興味があり、王と総司令官のガスリンに許可を得て前線に赴く。
軍事の専門家であるプライーヤとタルファとともに。
むろんデルフィンやその祖父、さらにコリチーバ率いる護衛隊も同行している。
そして、アリストに盾としてホリーと彼女の護衛団である元ブリターニャ軍将軍アラン・フィンドレイと十五人の部下も加わる。
ちなみに、これがフィンドレイたちにとっては魔族軍に属してから初の前線ということになる。
「……どうですか?将軍。敵側から見たブリターニャ軍は」
戦いの様子を睨みつけるフィンドレイはホリーにそう声をかけられると、その複雑な心境は更に色濃く表情に現れる。
「……自分たちを捨て、自分たちも捨てたはずですが、やはりブリターニャ軍には勝ってもらいたい」
「それが偽りのない私の心境です」
「まあ、私もそれについては同感です。それでどうですか?元祖国の状況は」
「厳しいとしか言えません。ですが、なぜ敵前という危険を冒してまでフランベーニュはブリターニャを攻撃したのでしょうか。ブリターニャのフランベーニュ侵攻への報復ということであれば、他にもやりようはあったでしょうに……」
むろん攻撃を仕掛けたのはブリターニャであってフランベーニュではない。
だが、目の前でおこなわれている戦場では攻勢に出ているのはフランベーニュで、ブリターニャ軍が必至に迎撃しているものの、力及ばずズルズルと後退している。
ここにやってくる前にあったグワラニーの状況説明も「ブリターニャ軍とフランベーニュ軍が交戦している」というものであり、どちらが先に手を出したのかは伝えていない。
これだけ一方的な戦況であるということは、フランベーニュが迎撃準備の整っていないブリターニャ軍に対して奇襲をおこなった。
フィンドレイはそう判断をするのも無理のないところであろう。
「……あきらかな協定違反ではありますが、ブリターニャにそれを言う資格があるかと言えば、厳しいと言わざるを得ない。このままでは目の前に魔族軍を置いたままフランベーニュの背後から攻撃を受け続けることになり停戦に申し出なければ軍全体が崩壊しかねない」
「本来であれば、ブリターニャに対する攻撃を始めたフランベーニュに対して魔族軍が攻勢をかけるところなのだが誰かの差し金により静観している。ブリターニャの目には両者が組んだと見えるでしょうね」
「これでブリターニャとフランベーニュの断絶は決定的になった……」
むろん同様の会話はホリーたちから少しだけ離れた場所でもおこなわれていた。
「……おふたりの見立てはどのようなものでしょうか?」
「見立ても何もフランベーニュが圧倒しブリターニャが味方を巻き込みながら敗走を続けている。ああなってはもう手の打ちようがない。それこそアリスト王子でも現れないかぎり」
「このままでは我々の代わりにフランベーニュがブリターニャを殲滅してくれそうですね」
「それは楽が出来ていいですね。我々は」
自らの問いにプライーヤ、タルファの順に答え、それに対してグワラニーが口にした出来の笑い冗談に起こった三人分の笑いが収まったところでグワラニーの表情が変わる。
「それで、この状況はブリターニャが我が軍に対してしかけた罠であるとしたらそれはどのようなものだと思いますか?」
「本当にそんなものがあるのか?グワラニー殿」
即座にそう返したのはその場にいたもうひとりである老魔術師だった。
「報告では最初に攻撃を始めたのはブリターニャだというが、その後は一方的に叩かれている」
「そして、現在フランベーニュは我が軍が様子見するために後退したのをいいことに兵の多くをブリターニャ追撃に向けている」
「この状況のどこにもブリターニャの利になるものは見えない」
「あるとすれば薄くなったフランベーニュ軍に我が軍が食らいついたところを伏兵で叩くというものだろうが、それはフランベーニュの利であって。ブリターニャの利にはならない」
「その通りです。それにたとえブリターニャがフランベーニュにした我が軍を誘引するものだとしてもあの様子では被害は尋常ではないでしょう。そこまでやりますか?あのアリスト王子が」
「先日ブリターニャは百万以上の兵を失ったばかり。むしろ先日のお返しをするためにフランベーニュに襲撃したものの、返り討ちにあって敗走しているようにしか見えない」
アリストの罠を疑うグワラニーに対して、アンガス・コルペリーア、アゴスティーノ・プライーヤ、アーネスト・タルファの三人は揃ってそれに否定的だった。
「……状況だけを考えればプライーヤ将軍の言葉のとおりにしか見えない」
「まあ、実際には現状のようなことになっていますが、普通に考えれば、かりそめの味方とはいえ、本来の敵と戦っているフランベーニュの側面を叩けば、フランベーニュが総崩れするのは必定。そして、それだけではなく襲ったブリターニャにだって相応の損害が出ることは予想できたはず」
「それを承知でブリターニャはそのような暴挙に出た。そこには罠がないとは思えないのですが」
そう。
グワラニーもこれが状況から考えれば単純な同士討ちであることは十分に承知している。
だが、アリストがあれだけの敗戦の後に再び同じ愚を犯すようなことに賛成するはずがないという思いもある。
そして、そうなれば考えられるのは魔族軍が「漁夫の利」を得ようと動いたところを叩くという罠。
だが、どれだけ見てもその痕跡が掴めないのは事実。
ただし、ブリターニャ軍の背後にはあのアリスト・ブリターニャがいる以上、簡単に断を下してはいけない。
我が軍は軽々に動くべきではないと思うし、魔族軍が動かなくてもフランベーニュとブリターニャは勝手に削り合っているのだから動かなくても支障はない。
よって叩くのは両者がともに倒れてからであっても遅くはない。
それがグワラニーの結論であり、プライーヤを通じて前線指揮官たちに意向を伝える。
以前なら、グワラニーの意見などすぐさま蹴り飛ばし、その逆を行く者が山ほどいたのだが、この頃になると前線の指揮官たちもグワラニーの意見を素直に聞き入れるようになっており、フランベーニュ軍と対峙している魔族軍は警戒をしながらもひと時の休憩に入る。
むろんフランベーニュ軍にとってこれ幸い。
お互いに手出しを避け、休憩を兼ねた睨みあいに入る。
さて、アリストやグワラニーも含めて当事者以外には何が起こったのかまったく理解ができず、魔族軍に至っては、絶好の全面攻勢の機会にもかかわらず、一方に対して「静観する」というあり得ぬ選択肢を遂行することになった不可思議なこの出来事。
その始まりは後世「バンワード丘陵の戦い」と呼ばれるものとなる。
グワラニーが前線に姿を現す十八日前。
「ベルナード様。ブリターニャ軍が我が軍との境界付近で転移を繰り返しています。南に向けて進軍するための準備作業ではないかと斥候から意見具申がついた報告がありました」
食糧不足に悩まされながら魔族軍との戦いを優勢に推し進めるフランベーニュ軍を率いるアルサンス・ベルナードのもとに副官バスチアン・リューがたった今手に入れたその一報をもたらす。
「……奴らは新たな攻勢計画を実施するというのはアヴィニアからの情報にあった」
「だが、随分と戦線を広げるものだ。数に余裕があるのなら全戦線に圧力をかけながら一点に数を集中させて敵陣を抜くべきであろうに……」
目の前にある大判の地図に目をやりながらベルナードはそう呟く。
むろんそれはブリターニャ軍の戦術の拙さを皮肉ったものだったのだが、やがて別の目的を持ってブリターニャ軍が動いている可能性があることに気づく。
「さすがに考え過ぎだとは思うが、何事に対しても備えをしておくことは必要だ」
その独り言を呟いた直後、ベルナードは副司令官のウジェーヌ・グミエールを呼び寄せた。
そして……。
「……まさか」
ベルナードの状況説明とそれに対する見解を聞いたグミエールは言葉を漏らす。
「あれだけ負けてまたやるというのはいくらブリターニャ軍が野蛮人の集まりとはいえさすがにないのでは……」
そう言いかけたところでグミエールは先の戦いの最後に表したブリターニャの王太子の名を思い出す。
この前の戦いの最後に現れ、追撃するフランベーニュ軍を一撃で葬った大魔法。
あれを使うというのなら話は別だ。
「まさか……」
「いや。アリスト王子は前線には来ない」
グミエールの言葉を遮ったベルナードは副司令官の頭を過った男の名を上げ、それを否定した。
「アリスト王子はアヴィニアで宰相殿下と会談しているのでそれはない」
「一応、宰相殿下には連絡し、注意喚起はしてあるが」
「とりあえず我々は軍人。王都のことは王都にいる者に任せて、こちらのやるべきことをやろうではないか」
「グミエール。もし、おまえがブリターニャ軍の将でありフランベーニュ軍を攻撃するとしたらどう動く?」
ベルナードは地図に自軍の配置通り青色の駒を並べ、続いて対峙するように黒色の駒で示された魔族軍を並べる。
そして、ブリターニャ軍とする赤色の駒を左上に置く。
「どうだ?」
ベルナードに促され、グミエールは地図に視線を落とす。
多少の凹凸はあるもののフランベーニュ軍は直線状に陣を敷いているのだが、その左翼部隊のさらに左には三方を高い石壁のような崖に囲まれた広大な丘陵地帯があり、魔族領を源として魔族軍の背後を通り、その丘陵地帯に沿って流れる六十ジェレトほどの幅を持つミュアジ川がその一帯でのフランベーニュと魔族の両軍を、そしてフランベーニュとブリターニャの管轄の境をつくっている。
そして、フランベーニュとブリターニャを分かつ川の北側、つまり、ブリターニャ軍の管轄地域は大きな湿地、というより泥濘地帯になっており大軍を動かすのに不向きなこともあり、ブリターニャ軍、魔族軍ともに少数の守備隊が置いているだけの事実上の非戦闘地域が広がっている。
ブリターニャ軍が確認されたのはその湿地帯の西側。
つまり、湿地帯を迂回するように南下しているのである。
「ブリターニャ軍の管轄地域のうち、手付かずだった湿地帯を突破する部隊とも考えられますが、こうして見ると、我が軍を攻撃するために南下していると考えた方がより正しいように思えますね、確かに」
独り言のようにそう言った後、グミエールはベルナードに目をやる。
「ブリターニャ軍の数は?」
「二十万」
それから、少しだけ沈黙したグミエールは、いわゆる「お手上げ」のポーズで苦笑いする。
「ブリターニャ軍から最も近いペルジュラック将軍率いる我が軍左翼だけでも三十万。そして、すぐに援軍に駆け付けられる予備部隊は五十万。二十万ではどうやっても勝ち目はありません。私ならそのような無謀な戦いはしないでしょうね」
「それについては私も同意見だ。たとえペルジュラックを粉砕したとしても、目の前には魔族軍、そして、背後には私の直属部隊。食われるためにやってきたようなものだ」
「だが、それはこちらの配置を知っているから言えることだ」
「そういうことで、手持ちは二十万。そして、狙いは我が軍左翼。どう攻める?」
ベルナードの言葉とともにグミエールの表情が変わる。
成功するかどうかではなく、おこなうという命令。
そうであれば、より成功する道を探るわけなのだが、まだ疑問はある。
彼らの目的だ。
戦いが終わった後にどうなるかということを脇に置くことができるという条件つきではあるものの、先日の大敗の報復にやってきたということなら理解もできる。
だが、左翼を突破して魔族軍に攻め込むというのはあまりにも無謀すぎる。
「ブリターニャ軍の目的はなんでしょうか?」
「ブリターニャ軍の攻勢の一環と考えるなら、さらに魔族軍を抜き、その先にある拠点の奪取。先日のお返しはついでにおこなう程度くらいの意味しかない」
「なんと欲張りなことで」
「だが、二十万もの大軍を動かすのだ。その程度のことは考えていてもおかしくない」
「なるほど……」
そういうことであれば、主目的は魔族軍の前線突破。
それが可能かどうかは別にして、フランベーニュ軍についてはその前線を突破し恥を掻かせる程度でいい。
いや。
さすがに二十万の兵は抜けるには相応の時間が必要であり、さらに目的を考えれば、ここでの損害は少なければ少ないほどいい。
つまり、左翼を丸ごと吹き飛ばし、空いた大穴を突くということか。
そうなれば、その一撃は攻撃魔法。
ただし、すでに防御魔法を展開しているのだ。使用するのは火球か氷槍のようなもの。
そういう点では背後からの一撃は十分に効果がある。
つまり、ブリターニャ軍の行動は理に適っているということか。
「決まりました」
グミエールはそう前置きすると、ひねり出した策を開陳し始める。
「バンワード丘陵についてはブリターニャ軍も後方から比較的容易に登れると理解していることでしょう」
「そのうえで立てる策は……」
「まず本隊と別動隊に分離し、大部分の将兵が属する本隊は丘陵を背後から迂回します。そして、魔術師団を中心とした別動隊はバンワード丘陵を登り、東端まできたところでフランベーニュ軍に対し火球攻撃をおこないます」
「魔族の戦いの最中であり、フランベーニュ軍は防御魔法を展開しているわけですから、通常の魔法攻撃は通用しません。ですが、予想もしない場所から火球を撃ち込まれたら、対抗魔法は間に合わず大損害を受けることでしょう。その混乱に乗じてブリターニャ軍はフランベーニュ軍の前線から魔族軍に陣地に突入しそれを抜き、そのまま先を急ぎます」
「まあ、その先がどうなるかは私には預かり知らぬことではありますが、接近中のブリターニャ軍の将が考えていることはそのようなものではないでしょうか」
グミエールが口を閉じると、グミエールはその言葉を咀嚼し始める。
そして……。
「丘陵で仕事をした魔術師どうする?」
「転移できる位置まで後退し、転移魔法で安全な後方に逃れればいいでしょう。もちろん左翼部隊を突破した部隊に戻れれば一番いいのですが、転移避けや点直後の無防備状態を攻撃される危険を考えればやめたほうがいいでしょう」
「つまり、別動隊は魔法攻撃をおこなうためだけに追加された者たちということか?」
「そうなります」
「策としては悪くない」
「そして、おそらくブリターニャ軍の将も同様のことを考えているのだろう。というより、通常戦力でこれ以上の策があるになら教えてもらいたい」
それがベルナードの評価だった。
「だが、それは攻撃が始まるまで我が軍に発見されないことが前提だろう」
「実際にはすでに発見され、こうして対策が検討されている」
「どこの世間知らずが指揮を執っているのかは知らないが、ダメだな。その者は」
「多くの前提をつけた策を講じている時点でダメだが、その前提が成立すると思って行動しているところがさらにダメだ」
「そういうことで、その経験不足の若者に戦争の厳しさを教えてやることにしようではないか」
「グミエール。全軍に伝達。ブリターニャ軍迎撃戦をおこなうと」
そして……。
目指すべき丘陵からの突然の一撃によって魔術師団が殲滅させられたのに続き、三方からの魔法攻撃によって崩壊していくブリターニャ軍をその丘陵から冷たい視線で眺めるフランベーニュ軍の指揮官に隣に立つ最初の攻撃をおこなったこの軍の魔術師長であるアラン・シャンバニュールが声をかける。
「……満足かな。ベルナード殿」
「もちろん」
シャンバニュールの言葉にその男アルサンス・ベルナードは乾ききった声で応じた。
「てっきり前面に大軍を置いて待ち構えるのかと思った」
「戦い方は随分変わったな」
魔術師の言葉は間違いなく皮肉を込めたものであったのだが、ベルナードは薄い笑みで応じると、もう一度口を開く。
「魔族の小僧の戦い方には学ぶものはある」
そう言ったベルナードはふたりの背後に控える副官バスチアン・リューを見やる。
「グミエールへ連絡」
「敗走するブリターニャの蛮族を追撃せよ。徹底的に叩き、蛮族に自身の愚かさを教えてやれ。私もすぐに後を追う。そして、やってきた者たちを殲滅後、我が軍は川を超え、ブリターニャ軍を叩く」
「そういうことで、しばらくの間、予備軍はあてにできないことを左右、及び中央部隊の指揮官クリスチャーヌ・ペルジュラック、アルセルム・ジェデオン、アンドワン・リシュールに伝えておけ。それと……」
「私とグミエールの不在の間、軍の指揮はシャルル・フォンティーヌがおこなうものとする」
さすがベルナードといえる完璧な迎撃戦。
だが、ベルナード自身が戦いが始まる前に口にしたように、そもそもブリターニャの策は条件が完全に揃った場合にのみ成立するような「成功すれば賞賛を、失敗すれば嘲笑を浴びる」博打のようものであるうえ、その条件が揃うことを疑いもせず実施するという、別の世界の存在する某国の旧軍の悪癖を引き継いだような醜態があったこともその要因といえるだろう。
ただし、この軍の指揮官であるアンドリアム・バインベナー将軍の側に少しだけ立って話をすれば、彼はこの策を実施せざるを得なかったという事情があったことを述べておくべきだろう。
王都からの出陣式。
この時点でバインベナーと、持ち場が重なるブリターニャ軍南管区司令官アルビン・リムリックは第一目標であるワダメダリ城をどちらが落とすか激しく対立していた。
リムリックはこれまで多くの時間を費やしてここまでやってきたのに、目の前に来たところで後方からやってきた者にその功を奪われるのは我慢ならないと主張し、バインベナーはそのために新たな軍が編成されたのだから当然自らの軍がそれを落とす任につくべきと主張したのだ。
俯瞰的に見れば、バインベナーが正しいと思えるのだが、これまで苦労をともにしてきた残るふたりの指揮官もリムリックに味方し、戦う前に対立を助長させるわけにいかない立場の東部戦線総司令官ドレイトンもリムリックに優先権を与えてしまった。
だが、せっかく編成された軍を游兵にするわけにはいかない。
そこでリムリックの管轄外で行動するのであればどのような行動も掣肘しないという極上のタマムシ色的妥協案を提示し、渋々ではあるものの、バインベナーは提案を応じる。
そして、側近であるオーガスタ・ティアニー、アルジャノン・タッカー、ビル・クアークの三将軍、さらに付き合いの長いザカリー・レイノルズ、ウォルト・クレランド、トレヴァー・コリンズという上級魔術師とその策について協議する。
そこで高名な魔術師一族の者であるザカリー・レイノルズから出されたのがフランベーニュ軍陣地から魔族軍陣地を突破する案であった。
実はレイノルズのふたりの兄弟がフランベーニュ領侵攻計画に加わり戦死していた。
レイノルズにとってそれは、計画の成功だけではなく、兄弟の仇も取れるいわば一石二鳥の案であった。
もちろんバインベナーはフランベーニュを背後から攻撃するという案に疑問を持ったものの、そうなれば、失敗必至の湿地帯を突破するか、リムリックの配下で手伝いをするかの二択。
もちろんバインベナーにとってどちらも選ぶわけにはいかない。
そうなれば、了承するしかない。
こうして、無謀な策が動き出す。
むろんフランベーニュ軍の背後を襲って排除し、その穴から魔族軍に突入する行為は、「対魔族協定」の多くの項目に違反する。
当然この時点で上層部に計画を上げていたら潰される。
そのため、東部方面司令官アーサー・ドレイトンへの報告も実施前日におこなうものとし、バインベナーたちは密かに計画を練り込んでいく
そして、不思議なものだが、そうやっていくうちに無謀な計画に思えたそれは成功するように思えてくる。
それとともに、自己正当化の理論武装も出来上がっていく。
「成功すれば、多少の協定違反など帳消しになる」
「そもそも、ドレイトン総司令官は『南部管区以外ならどのような行動も掣肘しない』と言っているのだから、止める刺客などない」
独善的な思考。
その見本である。
だが、それは距離を取って彼らを見ているからわかるもので、内側に入ってしまうと傍目から見ればすぐにわかる問題点にすら気づかないことが起こるというのは多くの場面で見受けられることである。
川を超えて四日目。
そして、運命の日。
夜が明ける直前にブリターニャ軍は進撃をやめ、丘陵地帯から見えぬように草むらや雑木林の中で寝そべる。
食事も火を使わず干し肉を齧り、水を飲む。
細心の注意が払われていた。
だが、ひとつだけ抜け落ちていたものがあった。
魔術師の魔力。
高位の魔術師にだけが持つその能力は、相手から漏れ出す魔力から位置を割り出すことができるというもの。
そして、その感度は魔術師の能力が高ければ高いほど正確になる。
待ち構えるフランベーニュ軍には陸軍最高の魔術師と言われる魔術師長アラン・シャンバニュールがいる。
そうなれば、何が起こるかはいうまでもないだろう。
「……終わりだ。ブリターニャ軍」
シャンバニュールが呟いたその言葉は届かない。
だが、シャンバニュールが意図したことはブリターニャ軍も理解する。
身を持って。
「ま、魔術師団はすでに半壊した模様。ザカリー・レイノルズ様、ウォルト・クレランド様、トレヴァー・コリンズ様も戦死」
バインベナーに届く報告はむろん不快以外のなにものでもなかった。
だが、その後にやってくるものはさらに不快なものだった。
「火球群が上空に出現」
「やってきます」
むろんこれは自国領の防衛戦にも参加したジェルメーヌ・シャルランジュの指揮によるもので、「相手より上位の魔術師による魔術師狩りの後、魔術師による攻撃」というグワラニーによる戦術をフランベーニュ軍が取り入れた最初の戦いと言えるだろう。
いや。
成功した最初の戦いというのが正しい表現であろう。
実際、グワラニーの戦術は新しいというものではなく、どの戦場でもその両側でそれは常におこなわれているものなのだから。
そして、それはシャンバニュールクラスの魔術師であれば魔族軍前線にも存在することを意味するものでもある。
そうでなければ、ブリターニャ軍に起きた悲劇が魔族軍にも起きていなければならないのだから。
「くそっ」
奇襲をおこなうはずが奇襲を受ける。
この時点で計画は失敗。
認めたくはないがバインベナーも失敗したと認めざるを得ない。
「やむを得ない。撤退せよ」
降り注ぐ火球の中、バインベナーは撤退を指示する。
この時点で自軍にどれくらいの損害が出ているのかをバインベナーは把握していなかったのだが、オーガスタ・ティアニーはすでに冥界に旅立ったほか、魔族軍陣地に突入する際には先鋒をつとめるはずだったブルーノ・レイクl、ケーシー・レイモンドというふたりも部下たちとともに戦死していた。
そして、冥界の神の手はバインベナーにも延びる。
「将軍。火球が……」
護衛の兵士の悲鳴のような声に驚き、振り返ったバインベナーの視界一杯に広がる眩しい光。
それがバインベナーの見た最後のものとなる。
その時にはすでにほぼ半壊状態だったブリターニャ軍は司令官の戦死により崩壊まで一気に進む。
すでに魔術師はいないため、転移による避退が出来ず文字通りの敗走となる。
無秩序と混乱を絵にしたような。
だが、彼らに与えられた試練はそれで終わらない。
待機していた部隊が指揮官ブライアン・ロビンソンの命により渡河用の船のほとんどに火をかけ、残った船で対岸に逃げ帰る。
この行為については多くの者から批判を受けたのだが、船をそのままにしていてはフランベーニュ軍に使用される危険性があるのだからこれは正当な措置であるとロビンソンを擁護する者も多い。
その両極端の意見のどちら側につくかは各々の立ち位置によって決まるのでここでその判断をすることは避けることにするが、とにかく、命からがらここまで辿り着くことができたブリターニャの兵士たちはさらなる絶望を味わうことになる。
川に飛び込み、泳いで対岸を目指す。
敵と戦い、自らの命と引き換えに一矢報いる。
降伏し、捕虜となる。
自死。
彼らに与えられた選択肢は凡そこの四つであろう。
そして、ブリターニャ軍将兵の大部分が選択したのはもちろん最初のものとなるのだが、ビル・クアークのように、溺れ死ぬこと、敵に討ち取られること、投降すること、そのすべてを拒否し自死する者も多数存在する。
敵と、自分たちを見捨てた味方に対する呪いの言葉を唱えながら。