混迷のブリターニャ
同盟国であるフランベーニュに攻め込んだ挙句、百万を超える兵と多くの指揮官を失ったブリターニャ。
これは西部方面で大規模な攻勢をおこなうチャンス。
王がこの好機を逃すはずがない。
すなわち自分たちに攻勢の先陣を務めるように命令が下る。
グワラニーはそう考え、自軍に対し準備を命じた。
だが、その予想は外れ、特別な命令は出ず、待機状態は続いた。
「てっきり我々を先陣にして一挙にブリターニャをサイレンセストまで押し返すものだと思っていた」
グワラニーはそう言って苦笑する。
「まあ、今回失ったのは予備部隊だから前線の強さはそう変わらない。そのような状態で敵前での部隊の入れ替えなどおこなっては混乱し相手につけ込まれる可能性もある。そう考えた王は攻勢を諦めたのだろうが、見極めがよい王にしてはやや消極的といえる」
「ということは、ガスリンかコンシリアの意見ということですか?」
グワラニーの言葉にバイアがそう応じたところでアリシアが口を開いた。
「……明敏な陛下がこれだけの好条件が揃いながら攻勢を命じなかったのは、もしかしたら、それとは別の考えを持っていたのではないでしょうか」
「たとえば?」
バイアからやってきた問いにアリシアはこう答える。
「今回の失敗を受けて、正規軍によってイペトスートを落とすのは困難になったと察したブリターニャ王が勇者、すなわちアリスト王子にイペトスートを落とすよう命じる可能性があると考えた」
「勇者と唯一対抗できるグワラニー様の軍がブリターニャ領奥地に侵攻したところでその裏をついた勇者にイペトスートを襲われたときにはなすすべなしということになりかねない」
「そうならないように、攻勢をおこなわず当初の計画どおり、グワラニー様の軍もそのまま待機させている」
「なるほど」
「たしかにそういうことなら待機命令をあり得る」
「では、いよいよ勇者がやってくると?」
「ブリターニャにそれ以外の手がない以上、十分にあり得るのではないかと」
バイアからの問いにアリシアはそう答える。
だが、一瞬後、少しだけ苦笑してみせる。
「ですが、私たち以上に枷があるアリスト王子がイペトスート攻略に専念できるのかは疑問ではありますが」
実をいえば、アリシアが示したこの予測はほぼ的中していた。
ブリターニャ王カーセル・ブリターニャは正規軍によって魔族を制圧するのは困難だと感じていた。
むろんその理由はグワラニーの存在。
「強力な魔術師を持つ自軍を一切動かさず、それどころか、自身は前線に赴くこともなく、策を提示しただけ。それに従っただけで我が軍を打ち破る」
「アルディーシャ・グワラニーという男はこれまで思っていた以上に厄介だな」
「フランベーニュは勝ったとはいえ、弱体化はさらに進んだ。もう奴が直接手を下さず放っておいても自壊することだろう」
「そうなれば奴の相手はブリターニャだけということになる」
「だが、今度は自身の軍を率いてくる。言いたくはないが、そうなれば、被害はダワンイワヤ会戦の比ではないだろう。しかも、予備部隊の大部分を失った状況で、前線が崩壊すれば敵は一気にサイレンセストまで攻め寄せてくる」
「そうさせないためには……」
「勇者の力を借りるしかあるまい」
そう言って王は目の前にいる男に目をやった。
「むろん勇者を前面に押し立てて、敵を殲滅しながら進むという手も一策である。そして、それこそが我が軍の損害を減らすだけではなく、目標を達成する最高の方法であることも知っている」
「だが、それはおまえが望んでいたものとは違うだろう」
「そこで……」
「おまえに命じる」
「これまでどおり仲間たちとともに行動せよ。ただし、自身の居場所を魔族にわかるように。理由はわかるな」
「グワラニー軍を勇者のもとに引き寄せるということでしょうか」
自身の問いに男がそう答えると、王は頷く。
「グワラニーに対抗できるのはおまえたちしかいない。だが、それと同時に、おまえたちと対抗できるのもあの男の軍だけ」
「勇者が進んできているのを知れば、魔族は間違いなくグワラニーに勇者討伐を命じる」
「そこであの男を倒せ」
「そうすれば勝利は我々にものとなる」
そこまで言ったところで、王は自身の息子である男を見る。
「……それで勝てるか?」
父王にとってこれは二重の意味で重要であった。
ひとつは国王としてのもの。
つまり、アリストはグワラニーに勝利することによってブリターニャは勝利に近づく。
そして、もうひとつは言うまでもなく父親としてのもの。
もちろん勝てばいい。
だが、負けるということは、すなわちアリストの死を意味する。
そして、それは一歩進めればブリターニャには勝利の目はなく、現在のフランベーニュと同じ運命を辿ると同義語。
相手が難敵である以上、確実に勝てる保証はないのは承知しているが、残っている三人の王子のひとり、さらに将来王となる王太子の地位にある者を死地に向かわせるのだから、父王としては最低でも五分以上の勝率が必要なのだ。
「もちろん勝てます。と言いたいところですが……」
「勝てなくはないというのが精一杯でしょう」
それがアリストの答えだった。
「謙遜か?」
「ここでそれを言っても何もいいことはありません。事実です」
父王の言葉に残念そうにそう返したその男アリスト・ブリターニャは小さく息を吐く。
「実際、もう少しでやられかけました。もちろん同じ手でやられることはありませんが」
「そして、それを踏まえて言うのであれば、現状であればこちらが一枚、いや、半枚程手札が多い分有利です」
むろん手札というのはふたりの戦いでの主要武器となる魔法、その使い手となる魔術師の数を示している。
勇者側はアリストとフィーネの二枚。
一方の魔族軍はグワラニーとデルフィンの二枚。
最高位の魔術師の数は同じ。
ただし、フィーネには死者蘇生という究極の治癒魔法がある。
それがアリストの見立て。
ちなみに、老魔術師に関しては高位ではあるが自分たちのレベルではないというのがアリストの評価であり、実際にその評価は正しいものである。
そして、より重要なのはこの時点においてもアリストがグワラニーは魔術師であると想定していることであり、それを踏まえたうえでアリストの表現を使えば、勇者の優位は手札一枚以上ということになる。
「……純粋な魔法戦においては半歩でも優位に立てば圧勝できる。以前、宮廷魔術師長エイベル・ウォルステンホルムからそう聞いたことがある。そういうことであれば、おまえたちの勝利は動かないのではないのか?」
父王の言葉にアリストは薄い笑みで応じる。
「魔術師長の言葉はたしかに間違っていません。ですが、純粋な魔法戦など実際の戦いでは存在しません。特に相手がグワラニーであればなおさらです」
「奴は必ずこちらの常識の外側からの一手を打ってくる。その手を防ぐことができるかどうか?それが勝敗のカギとなるでしょう」
「わかった。それについては承知した。ところでアリスト……」
「それとは別の話ではあるのだが……」
父王は一瞬の間をおいてその言葉を前置きにして、話題を変える。
そして、その話題とは金銀にだった。
この世界の人間社会で流通している金貨や銀貨、その材料の大部分を提供しているのは彼らと互いの滅びを賭けて死闘を繰り広げている魔族。
この実に奇妙な関係を可能にしているのは大海賊のひとり「天空の大海賊」ワイバーン。
いわゆる仲介交易である。
だが、最終決戦となったところで、魔族は攻勢と同時にブリターニャを締め上げるために経済の根幹となる貨幣鋳造を停止させようと動くのではないか。
王の言葉はそう言っていた。
アリストが小さく頷くのを確認した王の言葉はさらに続く。
「もちろんその気になればとっくにやっていた。それをおこなわなかったのだから今後もおこなわないとも考えられる」
「だが、これまではブリターニャもフランベーニュも余裕があった。そして、戦況もある」
「少し前までは金や銀を止めても影響はあるものの大打撃とまではならなかった。そして、短期的な混乱はあっても長期的には対応する方法は考えられた、だが、今それをやられたうえ、白旗を迫られたら、相当厳しいのではないか?」
「小麦さえ戦いの武器にするような者たちだ。当然金や銀の有用性は知っているだろう。いや……」
「このような状況になることを待っていた。そのためにその手を温存していたとさえ思えてくる」
父王の懸念はもっともだ。
そして、それを実施されたら、ブリターニャの経済は一年でガタガタになるのは確実。
……だが……。
「多くの者が自身の利を求めて動いている以上、絶対ということはありませんが、この状況でそのようなことは起こらないと思っていいでしょう」
それがアリストの結論だった。
「理由を聞こうか?」
「それは現在の状況です」
「現在の状況?」
問いに対するアリストの言葉はあまりにも短く、父王はその言葉の意味することが理解できない。
むろんそこで説明を終わらす気はないアリストは小さく頷き父王の言葉に応じると、そのまま自身の言葉に続きとなるもの口にする。
「もちろんそれはブリターニャを貶めるという一点においては有効ではあります。ですが、世界は繋がっている。ワイバーンに対してブリターニャに金や銀を流さないように指示はできても、結局、アグリニオンやアリターナを通じて手に入れることは可能なのです」
「それを確実なものにするには、人間社会に金や銀を流すことをやめるしかない」
「だが、そうなると打撃を受けるのはブリターニャだけに留まらない。グワラニーを介して魔族と関係があるアグリニオンやアリターナもブリターニャと同じくらいの打撃を受ける」
「アグリニオンやアリターナを道具として利用してきたグワラニーはそれに反対するでしょう」
「そもそも、魔族から手に入れていた金や銀を力の根源にしていた大海賊ワイバーンが承知しない」
「魔族が金や銀の対価としてワイバーンから何を受け取っていたのかは知りませんが、戦いが激化してもそれを止めなかったということはワイバーンから受け取っていたものは魔族にとって余程重要なものということになります。そして、金や銀の輸出停止はそれが手に入らなくなるということ。つまり、実は魔族としてもそれは都合が悪いということになります」
「ですから、魔族がその手を使うのは自身の攻勢時ではなく、いよいよ王都イペトスートが危ないとなった時と思われます」
「それよりも……」
「食べ物がなくなり困り切ったフランベーニュが魔族との停戦に踏み切る。こちらの方が可能性は高く、さらに問題になります」
「先日も小麦不足が深刻化したフランベーニュの窮地を救ったのは魔族の小麦だと思って間違いない」
「そうなると、再び危機が訪れた時にダニエル・フランベーニュがアルディーシャ・グワラニーに直接小麦を送るよう要求するかもしれません」
「そうなったときに……」
「アリストよ。それはエンズバーグからすでに聞いている」
「そして、そうならぬようエンズバーグは兵を出したのであろう」
「私の記憶が正しければ、あの時、おまえはそれに反対だった気がするが、今になって悔い改め、改めて軍事侵攻を主張するのか」
アリストの言葉を遮った口にしたこの王としては珍しく強烈な皮肉を込めた問い。
だが、父王としてはそう言いたくもなる。
それがわかっていたのなら、もっと早く介入すべきで、そうであれば再逆転は可能であっただろうし、もちろんたった今主張したフランベーニュと魔族の同盟を簡単阻止できたのだから。
「やはり、フランベーニュを屈服させるのは自身の手でやりたいということか?」
「まさか」
「むろん今のフランベーニュを占領するのは容易い、ですが、占領は反ブリターニャの意識が強いフランベーニュ人を腹に抱え込むということ。非組織的な抵抗が頻発し足枷になるだけではなく、それこそ魔族との共闘関係成立の手伝いとなります。つまり……」
「やめておくべき。そして、魔族にこそそれをおこなわせるべき」
そう。
アリストにとって、フランベーニュ占領という札は手に入れてはいけないもの、すなわちジョーカー。
そして、どのような形であれ、その札をグワラニーに引かせ、最終的に状況を有利に運ぶというのが基本戦略。
だが、それはグワラニーも同じ。
フランベーニュ占領というジョーカーを魔族とブリターニャが押しつけ合うというのが言葉に表現できる構図となる。
ただし、占領はしなくても、停戦という手は魔族にとって悪いものではない。
逆にブリターニャとしてはフランベーニュにその札を絶対に切らせてはいけないということになる。
「それでどうする?」
「ダニエル・フランベーニュと話をするしかないでしょう」
父王の問いにアリストはそう答える。
「手土産になるようなものはありませんが」
「それによって釘を刺しながら多少なりとも関係を改善させ、さらに、魔族との関係がどの程度のものかを確認できます」
「そうなれば、当然、今回は公的な訪問ということになります」
「フランベーニュが新たな要求をしてきたら?」
「当然断ります。もちろんやんわりと」
「関係の修復をする場で大喧嘩というわけにはいかないですから」
「おまえの力を見せてダニエル・フランベーニュを従わせるというのは?」
「できなくはないですが、結局裏切られるだけです」
父王の提案をそう否定したところでアリストは思う。
……力によって相手をねじ伏せすべてを解決する。
……それが父上の基本的姿勢。
……だから、圧倒的な力を持った者が弱者に譲歩するということが理解できない。
……だが、それではうまくいかない。
……相手があの男であるかぎり。
……そして、早く手を打たないとグワラニーの蠢動が始まり手遅れになりかねない。
……それにしても……。
……最近は常にグワラニーに先手を取られ、私は常にその後処理に駆け回っているように思える。
むろんそれはアリストにとっては不本意以外のなにものでもない。
アリストもグワラニーと同じ、策と土俵を用意し、その策に相手が引っ掛かり、自身が用意した土俵に上がってくるのを待つタイプ。
だが、今回のブリターニャによるフランベーニュ侵攻を含めて、すべて用意された土俵に乗り、その被害を最小に抑えるだけ。
……それこそ力を開放し、敵はすべて悪としてすべてを戦いで決着させる吟遊詩人が語る英雄譚の主人公のやり方を実行する方が正しく思えてきた。
「まあ、フランベーニュについてはおまえに任せることにする。外務省にすぐに手配させる」
「それともうひとつ」
「まだあるのですか?」
アリストがそう声を上げると、父王は苦笑いし小さく頷く。
「軍があらたな攻勢計画を策定しているらしい。近々その説明に来るとのことだ」
「……あれだけ負けたのにまたやるのかという顔をしているが、軍としてはあれだけの大敗をして、そのままというわけにはいかないのだ」
「大敗を忘れさせるだけの戦果が必要と言ったほうがいい」
「もっとも……」
「内々で聞いた話では、新たな戦線を開くと言うわけではなく、目の前にある魔族の城をいくつか落としてそれを大々的に宣伝するというものらしいが」
「それで、どう思う?アリスト」
「……そうですね」
アリストは知っている。
現在の魔族とブリターニャが戦っている場所にはグワラニーは関与していないことを。
……そういうことであれば、あっても小競り合い程度。
……多少兵を増やしてもそう問題はない。
……それどころかブリターニャ軍が攻勢に出れば、グワラニーの目もそちらに向き、私とダニエル・フランベーニュと交渉から目を逸らせるかもしれない。
すでにその多くをフランベーニュとの交渉に注ぎ込んでいたアリストの思考はそれほど深みに入ることなくそのような結論に達した。
「彼らには彼らの事情があることですし、拒む理由はないでしょう」
「ただし、ダワンイワヤからの侵攻は絶対に禁止することと、魔族軍にグワラニーが現れる兆候があった場合はすぐに兵を引き、サイレンセストに報告することをつけ加えておくべきでしょう」
アリストらしくもなく簡単に答えてしまったこの言葉が結果としてブリターニャに大打撃を与えることになるのだが、もちろんこのときのアリストは気づかない。
いや。
アリストが口にしたものは極めて常識的なものであり誰であってもそう答えるもの。
的外れなものではないのだから、アリストひとりにすべての責任を負わせるのは酷といえなくもない。
だが、普段のアリストであれば、もう少し視野を広くしてものを考えられたのだが、現在、目の前に重要なフランベーニュとの交渉が控えていた、そして、グワラニーがその地域に関わりを持っていないことを知っていたという偶然がアリストの思考を鈍らせた。
本当にアリストにとっては不運が重なったとしか言いようがない。
もちろんこれは少しだけ先の話となるのだが。
二日後。
その不幸な出来事の出発点であり、軍幹部により攻勢計画の説明、いわゆるプレゼンテーションが始まったのだが……。
現在の戦線全体での攻勢をおこなう。
長い説明を要約するれば、軍の提出した計画の概要はこう言いかえられる。
……実に単純な計画。
……こんなものをおこなうためにわざわざ王の許可を得なければならないのか?
アリストは軍幹部たちが汗を拭きだしながら説明する様子を父王の隣で聞きながら心の中で呟く。
……むろん後方部隊を前線に移動させるのだ。
……許可は必要であろうが。
……そうであっても、私から見れば、時間の無駄でしかない。
……そして、このようなことが魔族の国でもおこなわれているのであれば、グワラニーが毎回おこなう複雑怪奇な策にはどれだけの説明が必要なのかわからない。
……全くもってご苦労なことだな。
そして、この茶番が早く終わることをアリスト心の底から願っていたわけなのだが、その心の声が届いたのか、ようやく説明が終わって、五十瞬くらい経ったところで王は重々しく口を開く。
「すべて理解した」
「だが、それはこれまでおこなってきたこととさほど変わらないだろう。軍が希望する、先の敗戦を忘れさせるような戦果もそう期待できないと思うのだが?」
王の指摘どおり、これでは作戦的にはともかくプロパガンダ的にはたいしたものは得られない。
もちろん魔族軍前線を完全崩壊させ、敗走する魔族軍を追って王都まで急進を始めるということであれば、十分な宣伝になるだろう。
だが、実際のところ、そのようなことはアリストやフィーネが前線に出て杖を振るわないかぎり起こらない。
そして、現実的にありそうな戦果である数アケト侵攻したことを大声で叫ぼうが、残念ながら国民に響くことはない。
そのようなことのために魔族との最終決戦、そして、その後に待っているこの世界の統一するための戦いに温存している貴重な予備戦力を投入することには父王でなくても疑問を待たざるを得ないだろう。
「たしかに。さすが陛下」
軍最高司令官アレグザンダー・コルグルトンは出てもいない汗を拭くと、すぐさま王の言葉を肯定するのだが、これはこのような場でおこなわれる、いわば儀式。
王に問題を指摘させ、その有能さを知らしめるという。
当然その続きとなるものが用意されている。
「長い前線の南部、前線から三アケトほど後方にある丘に大きな城があります。どうやらそこは魔族軍の補給を司る要衝のようです。そこを落とし、今回の攻勢の戦果の旗印にするつもりです」
「城の名はわかりませんが、とりあえず古地図を基にその周辺の名を取りワダメダリ城としました」
「さらにこの城程大きなものではありませんが、各前線の後方に城や砦が十四確認されており、そのすべてを落とせば、十分に誇れる戦果となると思われます」
「これなら、いかがでしょうか?陛下」
「……一挙に十五の城を落としたとなれば、確かに十分な戦果といえる」
「悪くないと思うのだが、アリストはどうだ?」
父王はそう言って隣のアリストへ視線を動かすと、アリストは小さく頷き、肯定の言葉を口にする。
むろん、それは数日前に聞かされていたものであり、特別問題になるものは感じられなかったのだから当然である。
「いいだろう」
「では、準備を入り、速やかに実行に移すように」
こうして軍の、フランベーニュ侵攻の大失敗を覆い隠す目的で計画された新たな攻勢計画は承認された。
軍副司令官のひとりアーサー・ドレイトンが今回の攻勢にあわせて新設された東部方面軍総司令官に任命される。
副司令官は陸軍最高司令官バーナード・シャンクリーが兼務。
その下にこれまでの方面軍司令官だったアルバート・カーマーゼン、バイロン・グレナーム、アルビン・リムリックがそれぞれ北管区、中央管区、南管区司令官となり、今回の攻勢に合わせて各十八万の兵が増員される。
さらに、もっとも重要な南管区にはそれとは別に遠征軍としてアンドリアム・バインベナー将軍率いる二十二万も加わる。
「五十日以内に目標の城をすべて落としてまいります」
ドレイトンは王の前でそう誓った。
以前のアリストであれば、ここからすぐにフランベーニュに飛ぶわけなのだが、王太子という立場、さらに今回のフランベーニュ訪問は公的なものであるため、出発までに多くの手順を踏む必要がある。
まず、王太子の義務として父王とともに遠征軍への見送りをおこなう。
次に、すでに送った親書に対してフランベーニュからの返答がやってきたところで、改めてこちらの予定を伝え、了解されたところで初めて出発となる。
「面倒だが、仕方がない」
むろん典礼大臣であるアートボルト・フィンズベリーから王太子としての振舞いについての説明を受けたアリストのぼやきである。
そして、まずやってきたのはもちろん遠征軍の見送りである。
豪華な式典後、慣例通り「勝者の門」から堂々と出陣する将兵百万、魔術師十二万。
と言いたいところなのだが、さすがにこれは数が多すぎる。
指揮官及びベテランを中心に選抜された兵のみが門を通過し、大部分の兵士はすでに郊外で待機しているのだが、それでも十分の一を上回る数となり、かなりの時間が必要となる。
それでも嫌な顔をせず見送ることが王と王太子の努めのひとつなのである。
「ひとつ目の仕事終了」
「では、ダニエル・フランベーニュとの交渉に集中することにしようか」
アリストはそう呟き、雑務の多い王都サイレンセストを離れ、別邸のあるラフギールへ戻っていく。
「まあ、ドレイトン将軍があれだけ自信満々に言い放ったのです五十日はさすがに厳しいかもしれませんが、百日以内にはなんとかするでしょう。今回は正攻法。小細工職人が蠢動する余地はないのだから心配はいらないと思います」
「失敗は許されないことは十分に承知しているでしょうから慎重の上にも慎重に行動するでしょうし」
王都を離れる前、アリストは父王にそう語っていた。
むろん本心で。
そして、アリストの言葉どおり、ブリターニャは慎重に動き、数を頼りに正攻法で攻めれば問題は起きようがない。
はずだった。
だが、起きてしまう。
起きないはずの大問題が。