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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十八章 滅びの道を選択する者たち
326/376

この世は想定外で満ちている 

 想定外。


 別の世界においてそれは自身の責任を逃れるための常套句として使用される。

 十分な配慮をし、そのための対策はしていたのだが、実際に起こった事態は誰も予想できないものであった。

 だから、神ではない自分たちにはそこまでの責任は取れない。

 簡単に言えばそのようなことになる。

 もちろん本当に予想される規模を大きく超えても十分に耐えられる対策を講じていたのならその言葉は有効であろう。

 だが、その多くは十分に起こり得ることが予測されるものを都合よく小さく見積もった結果。

 そもそもどんな理由があろうとも問題なしと約束した以上、その責任は問われるべきなのだが、実際にはそうなることは殆どない。


 そういう意味で「想定外」とは責任逃れができる魔法の言葉なのである。


 そして、ぼやき気味にその言葉を使うことになったのは、別の世界からその言葉を持ち込んだ魔族軍の将アルディーシャ・グワラニーだった。


「……ちょっと気を抜くとすぐに予定外のことに巻き込まれる」


「本当にこの世は想定外に満ちている」


「もっとも、それは私だけに当てはまるものではないのだが」


 グワラニーにそう言わしめた出来事。

 それはその出来事が動き出したのは「西フランベーニュの戦役」が終了した直後のこととなる。


 そして、この出来事の中心にいたのはアラン・フィンドレイ。

 三方から王都アヴィニアを目指したブリターニャ軍によるフランベーニュ侵攻。

 その一隊である北街道部隊を指揮し、他の二隊が全滅するなか、旗下の将兵の多くを家族のもとに帰すことに成功した将軍である。


 だが、そのフィンドレイは現在非常に厳しい立場に置かれていた。


 むろんその原因は、一軍を任さられたにもかかわらず、その責任を放棄しフランベーニュ軍に投降したこと。

 フィンドレイの意図は追撃してくるフランベーニュ軍の足止めを計り、ひとりでも多くの兵を助けようというものであり、実際にそこで生まれた空白時間が最終的に多くの命を救った。

 だが、彼の行為は自身の名誉だけではなくブリターニャ軍、いやブリターニャという国そのものの名誉を傷つけたことも事実。

 しかも、投降した相手はブリターニャとはライバル関係にあるフランベーニュ。

 大金と引き換えにその身を手放したものの、フランベーニュにとってフィンドレイの投降は国威発揚の絶好の材料。

 当然のように盛大に利用する。

 そして、その宣伝文句である「自身が助かるためには部下を見捨てるブリターニャ軍の将らしくぶざまな振舞い」という文言はブリターニャ軍幹部を激怒させるに十分なものだった。

 そして、「子爵という爵位を持ちながら、あのような恥知らずの行為ができるとはさすが誇りというものを知らないブリターニャ貴族」という言葉が加わったところで、貴族たちもその列に加わる。

 そのさなかに、フィンドレイはブリターニャの王都サイレンセストに戻ってくる。


 多くの兵を失わせた敗戦の責任と軍の名誉を著しく傷つけた罪により公開処刑をおこなうよう軍から王への要請が上程され、貴族たちからも裏ルートから子爵位の剥奪とフィンドレイ家の断絶が求められる。


 もちろん、フィンドレイの意図を知る、フィンドレイが離脱した後の指揮を任されたアラン・カービシュリーやクレイク・エトリック、助かった多くの兵からは助命嘆願が出されるのだが、歴史的大敗の影響を最小限に抑えるためには、フィンドレイに敗戦の責任まで擦り付けてすべてを収束させることが最良の策であるというのが国を動かす文官や大臣の意見であり、王の意志もその方向へ傾きつつあった。

 むろんフィンドレイの意図を見抜き将来の軍の中核を担わせる気でいたアリストにとってこの流れは好ましいものではなかった。

 だが、父王を説き伏せ、国民にも広がっている「フィンドレイを公開処刑すべし」という声を黙らせるのは容易なことではなかった。

 なにしろ、フィンドレイは敗走中の軍を離脱し、フランベーニュに投降したのは紛れもない事実。

 そして、フランベーニュから流れてくる言葉によって、その行動はブリターニャ軍、ブリターニャ貴族、そして国としてのブリターニャを貶めていることも事実なのだから。


 さらに、ここで生き残った者の中で軍最高位にあるフィンドレイを許してしまっては、過去に同じ状況で罰せられた者との整合性が著しく欠けるうえ、今後に起こり得る同様の敗戦時にも指揮官を罰せることが出来ず責任の所在が曖昧になるという問題もある。

 そして、責任の所在という点では、今回の侵攻を最終的に許可したのは国王であり、国王が責任を取らねばならないという事態になりかねない。

 王権を傷つけてまで守るだけの価値がフィンドレイにあるかといえば疑問の余地があり、アリストの弁舌もいつものような勢いがない。


「思っていたより簡単ではないな」


 珍しく高官たちとの議論で押し込めたままで終わったアリストはそうぼやいた。


 翌日も状況は変わらず、これまでの前例に則りフィンドレイの公開処刑はほぼ確定した。


 だが、それだけではとどまらない。

 ここまではフィンドレイの将軍として責任を問うものだが、ここからはブリターニャ貴族としてのフィンドレイ家に対する罰。

 そして、そちらについては私刑の要素が大きく加わるものとなる。

 なぜなら、多くの国と同様、ブリターニャでも爵位持ちの貴族は国の刑罰で罰せられることは稀である。

 つまり、上級貴族は法で縛られることがない。

 本当の意味でのアウトロー。

 では、彼ら行為をどうやって罰するのか?

 それは王が任命した者による法とは無縁な特別裁判による。

 逆にいえば、王がその気になれば、考えられないくらいの罰を課すことも可能であり、過去には王女と恋仲になり父王の逆鱗に触れた伯爵の一族が根絶やしにされたこともある。


 そして、今回も……。


 子爵位の剥奪。

 フィンドレイ家の断絶と領地および財産の没収。

 一族の処刑。


 それが裁判官役に任じられた宰相アンタイル・カイルウスと王族の代表でもある公爵のアシャー・バリントアに寄せられた貴族たちの要求であった。


 ……残念だが、無罪放免というわけにはいかない。

 ……爵位の剥奪は避けようがないが、一族の処刑だけはなんとしても避けたいものだ。

 ……領地も食べていける分くらいは残してもらいたい。


 さすがのアリストも長い歴史と蓄積された前例に抗うことはできず、要求を条件闘争へ移行させざるを得ない状況になりつつあった。


 聳え立つ山のような状況に打つ手なしのアリストはフィーネの提案に乗り気分転換も兼ねてクアムートに出かける。


 むろんそこで打開のきっかけを得ようなどとは思わずに。


 久しぶりに会う妹にアリストの不機嫌さで満ちた顔を解けていく。

 ただし、妹の方は別室に行くことを拒否。

 そのため、全員がその場で過ごすことになる。


 そして、微妙な雰囲気の中で意味のない会話が垂れ流され時間が三十ドゥアほど続いたところで、グワラニーが少し前に手に入れたあの話を持ち出す。


「ところでフランベーニュ側から聞いたところでは、ブリターニャの指揮官ひとりが軍を捨てて取り巻きとともに投降するという快挙を成し遂げたとのこと。しかも、それに感動したアリスト王子が大金を支払いその男を連れ戻したということですが……」


「その偉人はその後どうなったか教えていただきたいものです」


 むろんグワラニーはすべてを知っている。

 フィーネからの情報で。

 だが、そのようなことをおくびにも出さない。


 そして、「フランベーニュからの情報」というひとこと。


 なにしろ、今回のフランベーニュの反撃の絵図を描いたのはグワラニー。

 それくらいのことを聞き出すことなど造作もない。


 そのひとことがアリストをそう納得させる。


「アラン・フィンドレイ将軍のことか。安心しろ。まもなく処刑される」


 隠す必要もないため、アリストは吐き捨てるようにそう言った。

 だが、その瞬間グワラニーの表情が変わる。


「つまり、アリスト王子はフィンドレイというその将軍をサイレンセストで処刑するために大金を払い連れ帰ったということなのですか?それは随分と趣味がよろしいことで」


 これは完全に嫌味。

 そして、当然アリストの癇に障る。


「そんなわけがないだろう。だが、結局同じ運命になることになった。残念なことだが」


「……ほう」


 声をやや荒げたアリストからやってきたその言葉にグワラニーは目を細める。


「つまり、その男は命惜しさに投降したのではないということですか?」


「フィンドレイの投降は自身の命と名誉を代償にして部下を救うという、自分の命が一番大事だと思っているおまえにはできない崇高は行為だ」


「……だが、その男をブリターニャは処刑すると?」

「そうだ」


「それはそれで正当な理由があるから簡単にひっくり返せない。せめてフィンドレイの名誉くらいは守ってやりたかったのだが、それすらできない状況だ」


「このままいけば、フィンドレイ家は領地を没収され、家族全員処刑。もちろんフィンドレイ家は取り潰しだ」

「なるほど」


「ちなみに将軍が部下を救った策というのは?」

「司令官である自身が投降することにより、フランベーニュ軍の足を止めるという単純だが効果的な時間稼ぎだ」


「まあ、なにもしなければ、一日早くフランベーニュ軍はブリターニャ軍を捉えていただろうからフィンドレイの策は成功だったといえるだろう」


 ……やはり。


 だが、相手はアリスト。

 これはすべて罠であり、窮地にあるフィンドレイを経費もこちら持ちで引き取らせようとしている可能性がある。

 簡単に手札を晒すわけにはいかない。

 だが……。


「世の中、すべてが思い通りにいかないよい例だな」


 あきらかに諦めの色の濃い言葉だった。


 ……これは本物だな。

 ……そして……。

 ……王の決定が出された時点で終わり。

 ……となれば、すぐにでも動かざるを得ない。


「アリスト王子。どうしても救いたいということであれば、手はあります」


「ただし、多少経費がかかります。その経費を王子が負担するというのであれば、お手伝いいたしますが」


 これはあくまで困っている知り合いを助ける。


 そう。

 人助け。

 そこに色はつくが。


 自身に対して盛大に言い訳したところで、グワラニーはそう切り出した。


 もちろんこの時点でアリストは察する。

 グワラニーの策がどのようなものかを。


「いいだろう」


 まず、そう答えたところで具体的な手順を話し始める。

 いつものように顔を寄せ合ってコソコソと。


「……これで本当に敵同士なのか?俺には悪党幹部の密談にしか見えないぞ」

「知らん」

「だが、それを言ったら俺たちだって同じだろう。魔族の幹部が出した菓子を食いながら茶を飲んでいるのだから」

「そうだな。だが、それが気に入らないのならブランは今後何も食うな。そうすれば俺が食う分が増える」

「乗った」

「ふざけるな。夫人の手作りお菓子ならたとえ毒が入っていても俺は食べるぞ」


 そして、これまたいつものように糞尿剣士たちの恥ずかしいせめぎ合いが始まる。


「皆さん本当に仲がいいことで」


 アリシアが笑みをこぼしながらそう言うと、フィーネも大きく頷く。


「まったくです」


「ここにいる者だけで世界を統一したらきっと面白い世界になることでしょうね」

「そうですね。そして、そうなればこの世界は今よりもずっと良いものになることでしょう」


 そして、四日後。

 この世界が誇る悪の二大巨頭が練った策略が発動する。


 もちろんその前に王の裁定が出され、発表されてしまってはすべてが水の泡になる。

 そうならぬようアリストは数日前の会議で論陣を張っていた。


「投降した事実は確かである以上、将軍の地位の剥奪は止むを得ない。だが、処刑などありえぬ。大敗の責任はフランベーニュ侵攻を計画し、その総司令官であるセドリック・エンズバーグこそが負うべきであり、フィンドレイの配下の兵の多くがブリターニャに戻れたことを評価すべき」


 そして、フィンドレイの一族を処刑するなら、戦死したエンズバーグとフィンドレイと同じく一隊を任せられ戦死したボブ・ヘンドリーの家族も同様に処断すべきと主張した。


 むろんその主張に多少の矛盾と論点を微妙にずらした感はぬぐい切れないもの、王太子の主張であり、無下にはできない。

 話を手早くまとめるにはアリストの主張を入れればよい。

 だが、そうなるとふたりの将軍の縁者である貴族にも累が及ぶ。

 そして、その場にいた者たちの中に該当者を縁者に持つ者がいたことから、話を有耶無耶にしようと、そういうことであれば戦いに参加した将軍全員を処分対象にすべきなどというところまで話が広がって収拾がつかなくなり結局会議はアリストの思惑通り結論が出ぬまま一時中断となる。


 そうして、やってきたその日。


 ダワンイワヤのブリターニャ軍陣地に魔族の将アルディーシャ・グワラニーからブリターニャ王太子アリスト・ブリターニャへの書が届けられる。

 むろん、それは先日グワラニーとアリストが入念に打ち合わせをおこなった内容となるわけなのだが、実を言えば、それはグワラニーによって若干の修正が加えられていた。


 そして、肝心のその内容はといえば……。


「フランベーニュに侵攻したものの、指揮官の無能ぶりが露呈し無残にも破れ、百万を超える兵士たちの死体を置き去りにしたまま泣きながら母国に逃げ帰ったブリターニャ軍は、生き残った将軍アラン・フィンドレイなる者に責任のすべてを押しつけ家族もまとめて処刑するとのこと。まさにブリターニャにしかできない快挙といえるだろう」


「だが、家族にまでその範囲を広げては、さすがになけなしの良心が痛むと見えて未だ処刑に至っていないようだ」


「そこで、そのような腰抜けの鑑ブリターニャに提案をしたい」


「その処刑を我々が代行したいと思う。だから……」


「アラン・フィンドレイとその家族を引き渡してもらいたい」


「それによってブリターニャは良心の呵責に苛まれることから解放され、我々は大軍を率いる地位にあるブリターニャ軍将軍を確実に葬れる。双方にとって悪いものではないだろう」


「だが、それだけではそちらの立場上都合が悪いのは承知している。そこで……」


「私アルディーシャ・グワラニーがブリターニャ軍将軍アラン・フィンドレイとその家族をブリターニャ金貨五百万枚で買い取ることにする」


「これだけ支払うのだ。ついでにフィンドレイに同行した者たちとその家族も一緒に譲っていただくことにする。もちろん生きたまま」


 アリストはそれを見て驚く。

 いや、怒り出す。

 そして、思わず宣う。


「そんな金絶対に支払わん」


「まあ、支払うのはグワラニーだ。支払いたいというであれば致し方ないのだが」


 微妙に含みのある言葉を口にすると、すぐに父王のもとに持参する。

 そして、翌日、王カーセル・ブリターニャよりそれが披露されたのだが、過剰ともいえる反応したのは宰相アンタイル・カイルウスだった。


 宰相。

 つまり、文官たちのトップ。

 当然、あの金貨五千万枚が自国の財政にどれだけの負担を強いているかをよく知っている。

 もちろん、それによって多くの利をブリターニャにもたらすというのならそれも許せる。

 だが、処刑するためにそれだけの大金を支払って連れ帰るなど彼ら文官にとってはあり得ぬこと。

 フィンドレイ家の財産と領地の没収という過剰ともいえる貴族たちの言葉にカイルウスが乗ったのにはそのような理由がある。


 そこに降って沸いたようにブリターニャ金貨五百万枚でのフィンドレイを売り渡す話が舞い込んだのだ。

 当然カイルウスは大賛成する。


「領地と財産を国庫に収めたうえでフィンドレイとその取り巻き、それからその家族を売り渡す。しかも、幼子の首を刎ねる役は魔族がおこなう。結構な話ではないか」


 一方、軍を代表する軍最高司令官アレグザンダー・コルグルトン、副司令官であるアーサー・ドレイトンとベネディクト・レーンヘッド、それから陸軍最高司令官バーナード・シャンクリーの四人はフィンドレイの身柄を魔族に引き渡すことに反対し、あくまで公開処刑をおこなうよう主張する。

 そして、フィンドレイは処刑し、その他の者と、彼らの家族を魔族に引き渡す妥協案を示す。

 だが、グワラニーは生きた状態での引き渡しを求めているうえ、そもそもメインターゲットであるフィンドレイが渡されない時点で取引は不成立になる。

 すなわち、目の前にぶら下がった金貨五百万枚は入ってこない。

 カイルウスは当然その案を飲むはずがない。

 なんとしても五百万枚の金貨を手に入れたいカイルウスはコルグルトンたちに向けて禁断の一手を繰り出す。


「軍は敗北の責任と度々口にするが、それは誰に対しての責任か」

「当然国王陛下に対してだ」


 自らの問いに即座に戻ってきたコルグルトンの言葉に大きく頷いたカイルウスはもう一度口を開く。


「では、エンズバーグ配下の将のひとりであるフィンドレイではなく、軍幹部が今回の大敗の責任を負うべきであろう。特に陸軍の最高位にあるシャンクリー将軍はエンズバーグの計画にも関わっているのだ。責任を取るべき立場にあると言って差し支えないと思うのだが、如何か」


 カイルウスのこの言葉は正論であり、その程度のことはコルグルトンたちも言われなくてもわかっている。

 だが、それとともに、それを回避するためにここまでやってきたのだ。

 それはカイルウスも阿吽の呼吸で承知していたのだが、目の前に五百万枚の金貨が積みあがったところでその「暗黙の了解」は脆くも崩れた。

 言うまでもなく四人にとってカイルウスの行為は裏切りに等しい。

 だが、王の御前。

 口から出かかった言葉を押し殺すが、それに代わる反論の言葉が出ない。

 四人の様子に自身の勝利を確信したところでカイルウスはもう一度口を開く。


「軍幹部の意向は重々承知している。だが、国を動かす者にとってフランベーニュに支払った金貨五千万枚の穴埋めは絶対に必要なのだ」


「ここは将軍の地位と子爵位の剥奪。それから家族とともに魔族にくれてやるということで納得してもらいたい」


 アリストは黙ってその醜いやり取りを眺めていた。

 そして、思う。


 ……金貨五千枚でも五万枚でもなく五百万枚だったからこその成功だな。これは。

 ……もし、予定通り五百枚だったら、軍部に蹴り飛ばされていたのは間違いない。

 ……だが、いったい誰が払うのだ?五百万枚を。


 実をいえば、アリストとグワラニーが企てた策でグワラニーが支払うフィンドレイの身請け代金はアリストがグワラニーに支払うことになっていた。

 当然アリストは出し渋り金貨五百枚で折り合いをつけた。

 だが、実際に支払うことになったのはその一万倍。

 アリストがそう言うのも当然といえば当然であろう。


「アリスト。おまえはどう思う?」


 文官と武官との攻防がほぼ決着というところでようやく口を開いた父王からやってきた問い。

 むろんそうなることを望んでいたアリストが反対するはずがない。

 あの一点を除いて。


「地位も財産も失い家族とともに魔族のもとに送られる。フィンドレイとその取り巻きにとっては大きな罰といえるでしょう」


「ですが……」


「相手が魔族。しかも、あのグワラニーであると考えた場合、やや不安があります」


「奴がフィンドレイのどこに金貨五百万枚の価値を見出したのか。興味が湧きます」

「ということは反対か?」

「いいえ。何を勘違いして大金を支払う気になったのかは知りませんがこの取引が失敗だったと小生意気な魔族に後悔させるのも一興かと」

「わかった」


 父王はアリストの言葉に頷く。


「フィンドレイは軍の地位と子爵位の剝奪。それから全財産を没収。フィンドレイとともにフランベーニュに投降した者も同罪。そのうえで身柄は魔族に売りつけるということにする。ただし、なにか問題が発見できるかもしれないから一日だけ猶予期間を設ける」


 王のこの言葉により事実上フィンドレイの処分は決定した。


 その夜。

 アリストは今回の悪事の共犯者に会うためクアムートに向かう。

 そして、その男との話が始まると開口一番、こう宣言する。


「フィンドレイの身元引受のために支払い金の額が相当間違っていたのだが、私は予定通りブリターニャ金貨五百枚だけを支払うことに……」


 だが、アリストは最後まで辿り着くことができなかった。

 妹の冷たすぎる視線のために。


「ホリー。これは私が金をケチっているのではなく、十分に話し合いをして決めたことをグワラニーが勝手に変更したので、そのお仕置きのようなものだ……」

「では、そういうことは口頭注意でいいでしょう。なにしろこの件に関してグワラニー様は利になることはひとつもないのです。それに対し、兄上は利だらけ。自分の利のために協力させた相手に大きな負担を強要し、利だけは独占するというのはブリターニャ王太子、いいえ、人間としてあるまじき行為だと思います」


 その言葉に天を仰ぐアリスト。

 勝ち誇るグワラニー。

 爆笑するフィーネ。

 それに続く糞尿三剣士。


 過去何度も見た光景である。


「だが、さすがにブリターニャ金貨五百万枚は高すぎるだろう」

「そうですか?ですが、それを言うのなら金貨五百枚こそ絶対にないと思いますが?」


 その言葉に反応したのは糞尿三剣士で最も金にシビアなマロだった。


「五百?アリストは金貨五百枚でなんとしろと言ったのか?」


「はい」

「それはひどい。さすがに五百枚はないな」

「ああ。話を聞いた状況で金貨五百枚を示してその腰抜け将軍の身柄を寄こせと言っても鼻で笑われるだけだ」

「さすがアリスト」

「アリスト兄さま。さすがにそれは恥ずかしすぎます」


 形勢不利ということを悟ったアリストはすぐさま支払い減免の交渉へと移行したものの味方である者たちからの再びの集中砲火。

 もちろんこれもいつもの光景といえるだろう。


「……ちなみにおまえはブリターニャ金貨五百万枚を払えるのか?」

「もちろん。払えもせずにそんな約束をしたら誰からも信用されなくなるだけではなく、この世で一番恥ずかしい男として歴史に名が刻まれてしまいます」


 アリストはグワラニーの仰々しく着飾ったその言葉に疑わしそうな視線を向けるものの、これは嘘でもハッタリでもない真実。

 通貨や食料を剣や魔法と同じように武器として扱い、各国から大金を巻き上げているグワラニーにとってブリターニャ金貨五百万枚など金策をしなくても即金で払える程度のものなのである。


 フィンドレイの身柄を手に入れるために支払うブリターニャ金貨五百万枚。

 実をいえば、その中身はほんの少し前にブリターニャがフランベーニュに支払ったブリターニャ金貨だった。


 アグリニオンとアリターナの商人たちの強硬な主張によって、その五千万枚を両替する必要に迫られたフランベーニュは、全額カラブリタ商会に引き渡した。

 そして、手数料を引かれた四千五百万枚分である四億五千万枚のフランベーニュ金貨になったのだが、当然このときのブリターニャ金貨はカラブリタ商会が保管している。

 グワラニーはそこから金を引き出せば調達完了というわけである。


 そして、そのカラブリタ商会の両替業務の元手になっているのは、グワラニーが預けた各国から巻き上げた貨幣であり、カラブリタ商会からフランベーニュに渡ったフランベーニュ金貨のうちの一億枚はアンムバラン迎撃戦後の交渉でフランベーニュがグワラニーに支払ったものでもある。


 結局、ホリーの視線もあり、アリストはその大金の支払いを承知することになったのだが、一国の王太子とはいえ、個人的にそれだけの大金を所持していないアリストは現金一括支払いとはいかず、多少の色がついた十年の分割支払いということになるのだが、これでアリストとグワラニーの奇妙な関係があと十年続くというのかといえばそうではない。

 アリストは将来的に踏み倒す気満々であり、グワラニーも嫌がらせを含めたアリストに対する貸しをつくった程度の感覚でしかなく、すべてが返済されるとは思っていないのだから。


「それで、ブリターニャ金貨五百万枚の男の処遇はどうすればいいのですか?」

「さすがにすぐにアグリニオンに解き放つというわけにはいかないだろうから、当分の間おまえのところで預かってもらうしかあるまい。もちろんタダで」

「いやいやいや……」


 再びの交渉が始まる。


 しかも、それはこの世界の方向性を決めるものはなく、百人あまりの生活費をどちらが負担するのかという、このふたりの立場と実力からは想像できないくらいの微細なものであるというところが非常に悲しい話なのだが、とにかく一セパ後、すべてアリストが負担することで決着する。


「では、そちらの指定日に支払いをし、その後将軍たちを引き取るということにしますが、早まって自刃しないように枷をつけておくべきでしょう」


「ひとりでも欠けるようなら、ホリー王女の命がない旨の書を追加で出しておくことにしましょう」

「承知した」


 そして、二日後。

 アラン・フィンドレイらに対する処分は発表される。


 一軍を率いる指揮官でありながら軍を離脱しフランベーニュに投降したアラン・フィンドレイの行為は、ブリターニャ軍の名誉を著しく傷つけた。

 本来であれば家族全員公開処刑をおこなうところであるが、今回の行為はそれであっても償い切れるものではない。

 よって、軍籍を抹消したうえ家族と共に魔族との戦闘地域へ追放する。

 なお、それにあたり、フィンドレイが所持していた子爵位は剥奪、領地及び財産はすべて没収のうえ、フィンドレイ家は取り潰しとする。


 また、フィンドレイとともに行動した者についても、フィンドレイと同様の処分とする。


「妥協と取り繕いがそこかしこに見える素晴らしい決定」


 それを聞いたアリストの感想となる。


 それからまもなくのダワンイワヤ。


 ブリターニャの現国王カーセル・ブリターニャの四人息子をはじめとして多くの将兵が戦死した地であるとともに、非公式ながらブリターニャと魔族が安全かつ平和裏に接触できる場所でもある。


 別の世界の常識では激しい戦いを繰り広げているふたつの国が部分的に停戦地域を設け直接接触するなどありえないのだが、この世界ではその奇妙なエリアがここ以外に少なくても三か所存在する。

 そして、この奇妙な関係の成立に関与しているのは魔族の将アルディーシャ・グワラニーとなる。


 圧倒的力の差を見せつけたうえでの停戦協定の提示。


 歪ではあるものの、実は双方にとって非常に有益であるその地域は、グワラニーの力と信用度だけで成り立っているといえるだろう。


 さて、少しだけ道が逸れたが、そういうことで今回のようなことをおこなうには最適な場所と言えるダワンイワヤに予定通り大量のブリターニャ金貨が持ち込まれた。


 ブリターニャ金貨五百万枚。


 むろんフィンドレイとその部下十五名とその家族合計百十八名の身請け金である。


 その五百万枚はグワラニーのポケットマネーではあるものの、大金であることには変わりない。

 さらに一時的とはいえ、百十八人もの敵国の人間を受け入れるのだ。

 王に報告し許可を得る必要がある。


 むろん別の世界で「報連相」の重要性を叩きこまれていたグワラニーがそれを忘れることはなく、許可を得るためイペトスートに出向く。

 だが、これはなかなか難儀な仕事だった。


 たとえば、ノルディアに対して賠償金を半額にする条件で手に入れたタルファ夫妻はその目で実力を確かめ、さらにふたりはその「移籍金」にふさわしい働きをしている。

 だが、今回はフィンドレイの為人や能力を自身の目で確かめたわけではないうえ、時間を置いたところでフィンドレイたちをアグリニオンに送り、最終的に王位に就いたアリストの部下になる。

 仲介をするだけで利になることがない。

 それどころか、立て替えた五百万枚の金貨も支払ってもらえるかもわからないのだ。


 明敏な王を納得させられるかといえば、微妙、いや、困難と言ったほうがいいだろう。


 グワラニーがダワンイワヤに姿を現す二日前。

 当然のようにそれは現実のものとなる。


「すべてを聞いた。だが、それではブリターニャの王太子に利用されるだけで、こちらの利になることはまったくないではないか」


「グワラニーらしくもない失策。五百万枚のムダ金を支払うのは自由だが、我が国の土地にブリターニャ人を留め置くことはさすがに認めるわけにはいかないな」


 案の定、グワラニーの説明からその穴を察した王の決定は不許可。


 ……そういうことならそのままアグリニオンに送るしかない。


 さすがのグワラニーも今回ばかりはどうしようもないと腹を括った。


 だが……。


「よろしいでしょうか」


 それは同行させていたふたりのうちのひとりからだった。


「なにかな?アリシア・タルファ」

「それについて意見を申し上げたく」


 そう。

 今回グワラニーは人間を居住させるということもあり、すでにそれについて取り仕切っているアリシアもバイアとともに連れてきていた。

 ちなみにアリシアがいることにより、会話はすべてブリターニャ語でおこなわれていた。


 魔族の王は元ノルディア人の女性に改めて視線を向ける。


「聞こう」


 王の言葉に一礼したアリシアが口を開く。


「今回の策ですが、ほんの少し修正を加える。それだけで我が国に大いなる利をもたらすことができます」


 その瞬間、王の視線がグワラニーへと動く。


 おまえが仕向けたのか?


 王の視線はそう言っていた。

 だが、グワラニーはアリシアの秘策を本当に知らなかった。


 グワラニーが小さく頭を振るのを確認した王は再び人間の女性に目を動かす。


「では、聞こうか。その素晴らしい策を」


 王の言葉にアリシアは一礼で応じ、それから薄い笑みとともに口を開く。


「アラン・フィンドレイなるブリターニャ軍将軍はフランベーニュへ投降し、ほぼ確実にフランベーニュの王都で公開処刑されていました。それをアリスト王子がブリターニャ金貨五千万枚という大金を支払って奪還しました」


「これだけの大金を支払った目的が自国での公開処刑ということではありますまい」

「つまり、ブリターニャの王太子にとってはそれだけの価値があるということか?」

「そのとおりです。ですが、父王を含めてそれを理解する者がおらず、これまでの慣例に則り処刑するということになった」

「グワラニー様は大金でその将軍を買いとってアリスト王子に貸しをつくり、それをそのままアリスト王子に売りつけることによって彼に経済的打撃を与えようとしたわけです。ですが、ここで考慮すべきはアリスト王子がアラン・フィンドレイにそれだけの価値をつけたことです」


「本当にそれだけの男なら、アリスト王子に返還せず、我が国の駒として使う方向で考えるべきではないでしょうか」

「なるほど」


「だが、その男は将軍の地位にあった者。しかも、ブリターニャの王太子がそれだけ見込んだ男ということであればグワラニーの指示に簡単に従うようになるとは思えぬ」


 たとえば、フィンドレイが命惜しさにフランベーニュに投降したというのであれば、命を助けたグワラニーの命に従うこともあり得るだろう。

 だが、命惜しさに指揮する部隊を見捨て投降するような者にアリストが大金を投じるはずがない。

 アリストが大金を支払っても奪還したいと思う者が簡単に宗旨替えをするはずがない。


 王が口にしたこの疑問は正しいと言えるだろう。


「違うか。アリシア・タルファ」

「その通りです。当然そのような者を動かすには強力な枷が必要でしょう」


「……家族のような」


 王も、そしてグワラニーもここでアリシアの意図を察した。


「つまり、家族を人質にその者を縛るということか?」


 王から漏れ出したその言葉はそれに対する王の感情が籠ったものだった。

 数瞬後、王は苦笑する。


「……改めて思う。ノルディアはよくこれほどの者を手放す気になったものだ」


「そして、アリシア・タルファに活躍の場を与えられないとは人間とはなんと狭量な生き物なのだろうな」


「まあ、それは我が国でも同じなのだが」


 アリシアと王の問答はさらに続く。


「ちなみに枷となる女子供をどう扱うつもりだ?」

「クペル城周辺にはフランベーニュ人が数多く住んでいます。彼らもそこに住まわせます。そして、永住となれば、新しくやってきたブリターニャ人はフランベーニュ人と同様グワラニー様の奴隷という身分となります。一方、フィンドレイたちはクアムートに居住させます」

「つまり、枷は十分に作用するというわけか」


「もっともそれはその男が我が国の役に立つ才があるとわかった場合ではあるのだが」


「そうでなかった場合は?」


「フィンドレイが我が国に利をもたらす者ではないと判断した場合は、即座に他国へ放逐します」

「処刑ではなく放逐する理由は?」

「処刑はブリターニャの希望どおり。大金を支払ってブリターニャの希望を叶えてやる必要はないでしょう」


「ここで私たちが大金を支払って手に入れたフィンドレイを殺すことなく即座に放逐したら、ブリターニャの為政者たちはこう思うのではないでしょうか」


「……魔族と王太子は繋がりがあるのではないのか?」


「ブリターニャの為政者たちの間にアリスト王子に対する疑念の種を植えつけブリターニャに楔を打ち込む。十分に意味のあるものとなるでしょう」


 予定どおり金は支払う。

 そして、フィンドレイがそれなりの者であった場合は魔族領にしばらく留め置くことも了承された。


 そして、アリストの支払いが滞るのは確実であるため、長期滞在は確実。

 だが、客人としてクアムートに滞在させておくわけにはいかないため、相応の仕事を用意しなければならないのだが、武辺の者であるフィンドレイに気の利いた仕事は無理であり、そうかと言って兵を預けるほどは信用できない。


 ……そんな都合の良い仕事などあるわけがない。


 顔中でその心の声を表現したグワラニーにアリシアはこう囁く。


「ホリー王女の護衛でいいでしょう。これなら彼らの忠誠心も満足させるでしょうし。そして……」


「変な話ではありますが、ホリー王女に彼らがおかしなことをしないかを監視させておけばいいでしょう。王女の言葉なら彼らも素直に従うと思います」


 結局、アリシアから出されたその提案が採用される。

 実は、帰り際に王からアリシアに対してある提案がされたのだが、アリシアは笑ってそれを恐れ多いと謝絶する。

 そして、それは後にアリシアの伝説のひとつとして伝わることになるのだが、それは別の機会で話すことにしよう。


 そして、時間を元に戻し大金引き渡しの当日。


 グワラニーたちを待っていたのはブリターニャ側から見知らぬ者たち。


 ブリターニャ大蔵大臣アーサー・ブリンククロイス。

 そして、次官アシュリー・フェアボーンとベンジャミン・ランピター。

 それから財務担当の文官二百五十名。


 むろん魔族側も財務を扱う軍官を指揮するアウミール・トハードが部下たちとともにグワラニーに同行している。


「アリスト王子は来られないのですか?」

「金の受け取りに一国の王太子が立ち会う必要などないだろうが」


 簡単な挨拶と自己紹介の直後にやってきたグワラニーからの問いにブリンククロイスはそう言い放つと、すぐに本題へと進む。

 そして、ここで活躍するのはもちろん同じ場所、同じ場面で登場した計量器である。

 つつがなく、とはいかなかったものの、それでも手作業とは思えぬ速さで五百万枚のブリターニャ金貨が数え終わると、受取書と引き換えに金貨を手に入れたブリンククロイスたちはそそくさとその場を後にする。


「翌日に罪人たちを連れてくる」


 礼代わりにその言葉を言い残して。


 ブリターニャ金貨五百万枚。

 これはグワラニーの換算法でいけば、別の世界での五百億円と等価。


 これを受取書一枚だけで前払いする。

 しかも、その相手は現在交戦中の相手。

 別の世界であれば、金を支払ったものの品物は届かず、「騙された方が悪い」と嘲笑されるだけである。


 だが、ここはこのようにそれが怏々として起こる世界。

 いや。

 さすがにそれではこの世界の住人が良心の塊でできており、他人を騙す者はいないと言っているようで非常に気持ちが悪い。

 そのようなことが成立するのは二種類の者が関わったときだけで、そうでない場合は、商品と代金は引き換えが忠実におこなわれている。


 そして、その例外のあたる一組目は大海賊。

 彼らは金払いが非常によく、約束は守る。

 だから、前払いだろうが、後払いだろうが心配はいらない。

 もちろん彼らを騙した場合は相応の事態になるという保険もある。

 その点についてはもう一組の例外であるグワラニーも同じである。


 そういうことで、騙したい気持ちはあるものの、それができないブリターニャ側は約束どおり翌日にやってくる。

 もちろん今度はアリストがやってくる。

 フィーネやファーブたち勇者一行の残りのメンバーも同行する。


 一方のグワラニー側も、デルフィンとコリチーバの護衛隊はもちろん、アリシアとホリーも加わる。

 さらに、普段は姿を見せないアンガス・コルペリーアがアパリシード・ノウト、フロレンシオ・センティネラをとともにその場に現われる。

 これはやってくるブリターニャ人の中に魔術師がいないかを確認するためである。


「お久しぶりです。王太子殿下」

「そうだな。また、ここで顔を合わせるとは」


 わざとらしいグワラニーの言葉にアリストが同じくわざとらしい言葉で応じる。

 むろんそれは公的な話であり、非公式なものを加えれば、このふたりはほんの少し前に顔を合わせたばかりである。


 糞尿三剣士も、周りに多くのブリターニャ兵がいる状況ではいつものように軽口は叩けない。

 何も言わず、そして、どうにか笑いを堪えている。


 一方、これから魔族に引き渡されるフィンドレイとその部下、それからその家族は緊張が体全体から滲み出している。

 本来であれば、ここに来る前に自刃しているところだが、それができない。

 その枷となっている若い女性に目をやる。


「ホリー王女殿下……」


 そう。

 彼女がフィンドレイたちの枷というわけである。

 ただし、そう思っているのはフィンドレイたちだけなのだが。


「引き渡す者は合計百十八名。その名簿だ」


 アリストから名簿を受け取ったグワラニーに老魔術師が近づく。

 そして、こう囁く。


「魔術師の素養を持つ者はいない。よかったな。グワラニー殿」


 老魔術師のこの言葉は多くの意味で「真実の的」を射ている。


 アンガス・コルペリーアが持つ魔道具「マアト」は一瞬で目の前にいる者の魔術師の適正を判別できる。

 それは、すでに魔力を開放している者だけではなく潜在的な魔力保持者も発見できるもので、特に老人が所有するその魔道具はその秘められた魔力量まで測れるというとんでもない代物である。

 そして、本来自国の魔術師候補を早期に発見するために使用されるこの魔道具を使用してこの老人は国内に人間の魔術師が紛れ込むことを防いでおり、過去に魔術師適正があると判断された多くの者が密かに消されている。


 今回の魔族領に入る人間は百十八名。

 確率的に十人近くが抹殺対象者になってもおかしくないのだが、調査の結果、該当者はゼロ。


 それが老人の囁きの前半部分。

 そして、その後半のものとなるものが何を意味しているのかといえば、言うまでもなく、該当者が見つかれば、グワラニーは年齢、性別に関係なく躊躇いなく排除に動く。

 ただし、それを喜んでやっているのかといえば、違う。

 その心情を気遣ったものとなる。


 少しだけほっとしたグワラニーはこちらにやってくるフィンドレイたちを見送るアリストに視線を動かす。


「……では、出発しますが、何かありますか?」


 グワラニーからそう振られたアリストは一瞬だけ考え、それから口を開く。


「また逢う日までお元気で」


 むろんアリストとしてはそう遠くない未来に再開するつもりでそう言ったわけなのだが、裏事情を聞かされていないフィンドレイたちにとってそれは皮肉、または出来の悪い冗談でしかない。


 ……さすがにここではそれはあかんだろう。

 

 グワラニーは微妙な表情を浮かべるフィンドレイたちに同情し、薄い笑みを浮かべるものの、すぐに受け入れ側の代表としての表情へと変わる。


「では、出発します」


「まず、家族の方々。続いて、将軍たちを我が国へお連れします」


「……金に見合った待遇をしろ。グワラニー」

「そう言うことは払ってから言うものですよ。アリスト王子」


 最後に他には聞こえぬ声でふたりが交わしたのはこのようなものだった。


 グワラニーとアリストが恥ずかしいやりとりをおこなった直後、魔族領に渡る大部分のブリターニャ人はアリシア、それからふたりの魔術師とともに転移していく。

 当然それに続いてフィンドレイたち十六人も転移する。

 だが、そうはならなかった。


「フィンドレイ将軍。転移前に少し話を聞かせてもらいましょうか」


 もちろんそれはグワラニーの面接。

 フィンドレイの人物を見極め、その処遇を決めるための。


 だが……。


「おまえたち魔族が何を考えているのか想像はつく。私に命乞いをさせたいのだろう。ついでに私と私の家族を引き渡したブリターニャに対しての恨みの言葉を口にさせたいのだろう」


「だが、残念ながらその手には乗らない」


「そもそもそういう要求は少なくても王太子殿下のいない場所でやるべきだろう」


 それがフィンドレイの言葉だった。


「まあ、殿下がいなくなっても、そんな恥知らずなことがおこなう気はないが」

「なるほど」


「まあ、そういうことならその話については触れないことを約束しましょう」


「そのうえで尋ねます」


 そう言って、ふた呼吸分くらい間を開けたところでグワラニーはフィンドレイに正視する。


「将軍はなぜフランベーニュ軍に投降したのですか?」


 軍事機密を尋ねられるものと想定していたフィンドレイにとってこの問いは予想外の極みであった。


 だが、相手は魔族。

 しかも、多くの敵を手玉にとってきたグワラニーとなればなおさら。

 一瞬の隙も見せてはいけない。


 気を引き締め直し、表情を一段階厳しいものに変えたフィンドレイは薄ら笑いを浮かべる。


「魔族がなぜそんなことを気にする?」

 

 まずアリストに見やり、それから視線をフィンドレイへ戻す。


「決まっています」


「ブリターニャが、いや、アリスト王子がブリターニャ金貨五千万枚をフランベーニュに支払って取り戻したのです。そのような男が我が身可愛さだけで投降などするはずがない」


「そうなれば、別の理由があるはずだと思ったのです」

「なるほど。では、逆に聞こう」


「私がフランベーニュに投降した理由はどのような理由とおまえは考えているのだ?」


 そう言ったフィンドレイは鋭い視線をグワラニーに向ける。

 むろんそれがやってくることを見越していたグワラニーは小さく頷くと、それを口にする。

 

「状況と結果を考えれば、将軍は命惜しさにフランベーニュに投降したのではなく、自軍の逃げ切りを目的にフランベーニュの足止めを図った」


「そして、これは総司令官である自分にしかできないことを理解していた」


「一介の兵士がいくら投降しようが追撃をやめることなどないが、それが最高司令官となれば、話は違う。それなりの扱いをする必要があり、自軍の分離を避けるために一時的進軍を止める必要が出てくる」


「それによって敗走する自軍と追撃してくるフランベーニュの差を広げられる」


「そして、それは成功した」


「ただし、その代償は大きく、将軍自身は命を失うだけではなく、総司令官の地位にありながら敵軍に投降したという不名誉まで背負うことになる」


「それでもそれをおこなった将軍の意図を察したアリスト王子は大金を支払いブリターニャに連れ帰った。だが、軍幹部はそこまで理解できなかった。もしかしたら将軍の意図を理解していたが、敢えて無視をして、将軍を処刑することにした」


「結果的にブリターニャは自国で処刑するために将軍大金を支払って連れ戻すという間抜け役を演じることになった」


「なるほど」


「どのようなつもりかは知らないが随分と持ち上げてくれる。だが、まったくの見当違いだ。私と私の部下は自分たちが助かりたい。それだけを考えフランベーニュに投降した。そして、その恥知らずな行動の報いをこうして受けているところだ」


 フィンドレイはその言葉で自らを貶める。

 そして、一瞬だけ薄い笑みを浮かべた後、グワラニーを見る。


「まあ、的外れではあるが、高い評価をしてくれたのは事実。感謝だけではしておこう」


「それで、卑怯者の我々に高い評価をした魔族の将に問う」


「ブリターニャ金貨五百万枚を支払い、我々を買い取った理由はなんだ?」


 フィンドレイからの問いにグワラニーはニヤリと笑う。


「先ほどのお返し」


「将軍はどう考えますか?」

「言うまでもないこと」


「甚振って殺す。まず家族を目の前で殺し、十分に苦痛を与えてから我々も殺す。いかにも魔族がやりそうなことだ」

「まあ、それを主にやっていたのは人間の方で少なくてもこれまで私はそのようなことはやっていませんが、そういうことなら、その問いには実地で答えることにしましょう」


「では、行きましょうか」


 そう言ったグワラニーは視線で老魔術師を呼び寄せる。


「……合格ですね」

「わかった」


 次の瞬間、フィンドレイたちを連れた老魔術師の姿が消え、続いてグワラニーもデルフィン、ホリーとともに姿を消した。


 クアムート。


 グワラニーの審査に合格したフィンドレイと十五人を待っていたのはバイアとタルファだった。


「先に転移した家族はどうした?」

「別の場所です」


「なるほど。それで……」


「すぐに処刑するのか?」


 フィンドレイの問いにバイアは苦笑いし、隣に立つタルファに目をやる。


「まさか。ただ殺すために金貨五百万枚は支払えない」


「それに見合った仕事をしてもらう」

「仕事?つまり、ブリターニャを裏切れということか。笑わせるな。全員殺される覚悟はできている。さっさと殺せ」


 自身の言葉に即座にやってきた言葉のバイアの苦笑いは深みを増す。


「国に見捨てられ、それでもまだ忠誠を誓うとは見上げたものだ」


 その言葉にもうひとりが同じ種類の笑みを浮かべる。


「まったくです。まるで、昔の私を見ているようで恥ずかしいです」


 そう言って笑うふたりを睨み直したところでフィンドレイはようやく気づく。

 人間種だと思っていたふたりの魔族の男。

 そのうちのひとりは間違いなく人間であることに。


「貴様、魔族ではないな」

「そうですね。ですが、現在は軍の指揮官を任されています」


「もしかして、おまえがあのアーネスト・タルファか」


 魔族軍に籍を移したノルディア軍の将。

 そして、クペル城攻防戦の際に、「フランベーニュの英雄」アポロン・ボナールを決闘で倒したという剣の使い手。


 ブリターニャで伝わっている噂をかき集めたフィンドレイが導き出したその名前に男の口もとが緩む。


「まあ、あのという言葉がどのようなことを意味しているのかは知りませんが、その名前はたしかに私のものですね」

「貴様。魔族に誇りを売って恥ずかしいとは思わないのか?」


 フィンドレイからやってきたその言葉とともに相手の男の表情は険しいものに急変する。


「まったく。といっても、この地にやってきたときには将軍と同じ感情を持っていた。剣があれば目の前にいる者たちを斬り伏せられると思ったものだ」

「なぜ変節した?」

「言っておくが、裏切ったのは国であって私ではない。しかも、その理由が金を得るため。それは奴隷売買と変わらぬ。それに気づいただけだ」


「もしかして、将軍は自分を売った国に忠義を尽くすのか?」

「当然だ」

「だが、忠義を尽くしてここで死んでもブリターニャの誰もが将軍を評価することはない。それどころかすぐに忘れ去られる」


「つまり、将軍がやろうとしていることはただの自己満足」


「その自己満足に家族を巻き込むのか」


 そう言って、タルファはフィンドレイ、それから十五人のブリターニャ人を冷たく見る。

 そして、タルファの言葉を引き取ったのはバイアだった。


「とりあえず、ただ飯を食わせるわけにはいかないので仕事はしてもらうが当面将軍たちが対ブリターニャの戦いに参加してもらうことはない」


「それと、仕事に見合った給金を支払う。時々家族に会わせるのでそのときに家族に渡せるように無駄遣いしないことだな」


「それで我々に何をさせようというのだ?」

「それは……」


「それは私の護衛をお願いします。フィンドレイ将軍」


 フィンドレイからやってきた問いに答えるバイアの言葉を遮って背後からやってきた女性の声。

 むろんそれは彼らを魔族の国に売った王の娘。

 といっても、彼女もまた父王によって魔族の国に売られた身なのだが。


「ホリー王女殿下」

「こうして間近で会うのは初めてとなるので、『初めてお目にかかります』と言っておきます。将軍。そして、皆さま。すでに話はついているのですが、いかがでしょうか?」

「も、もちろんです。お任せください。命に代えても王女殿下をお守りいたします」

「では、よろしくお願いします」


 まさに「舌の根の乾かぬうち」の見本のような前言撤回。


 ……アリシアさんの読み通り。


 ホリーとともにやってきたグワラニーは心の中でそう呟き、表面上では軽く笑みを浮かべた。


 そして、その夜。


「……ありえない」


 フィンドレイは呻く。


 彼らの中ではタルファ宅に居候しているホリーも囚われの身のはず。

 だが、どう見ても彼女はこの家の娘。

 それはそれで無礼なことではあるのだが、なによりもホリーはそれを受け入れ、妙に馴染んでいるのは「王族イコール雲の上の人」である彼らにとってはあり得ぬこと。

 いや。

 まさに想定外。


 しかも、フィンドレイたちの歓迎会を兼ねた夕食にはゾロソロと魔族軍の兵士が現れると、敵愾心丸出しのフィンドレイたちに対し流暢なブリターニャ語の挨拶の言葉を投げかけてくる。

 大昔からの知り合いかのように。

 これまた想定外。


 そして、この日最大の想定外が何かといえば……。


「……うまい」

「ああ。これは絶品だ」

「兵士たちもこれ目当てに来たのだろう」

「まったくだ。だが、これはそうしたくなるだけのものがある」


 そう。

 アリシアの手料理。

 といっても、半分はアリシアの母と娘の合作であったのだが。


 十日後。

 フィンドレイたちは初めて家族が住むクペル城へやってくる。

 そこで見たもの。

 自分たちの子供と遊んでいるのはフランベーニュ人の子供。

 それだけではない。

 その集団の大部分は魔族の子供。


 さらに自分たちの家族が買い物をしている店の店主の大部分も魔族の者たち。

 そして、このクペル城周辺の店での飛び交うのはなんとフランベーニュ語。


「……自慢にもならないが、子供はもちろん私の妻もフランベーニュ語はできない」


「それなのにどうやって意思疎通をおこなっているのだ?」

「特別なことはやっていませんよ」


 フィンドレイのぼやき気味の呟きに応えたのはアリシアだった。


「必要があれば言葉の壁など簡単に乗り越えられるのです」


 むろん、それは空虚な理想論などではなくクペル城明け渡しの際に起こった出来事に基にしている。

 そして、それを目撃した者たちが口を開き次々とアリシアの言葉を肯定していく。


「たしかに……」


「そして、あのとき我々は、魔族、人間を問わず母親という存在がどれだけ偉大なものかということを実感したわけです」

「というより、男の情けなさだったな。実感したのは」

「それを否定できないことが悲しいかぎりだが、まったくそのとおり」


 アリシアの言葉に続いたのは、グワラニー、アンガス・コルペリーア、アンブロージョ・ペパスというフィンドレイに同行してきたグワラニー軍幹部。


「なるほどな」


 完全に納得したわけではない。

 したわけではないのだが、そう言わざるを得ない。


 それがフィンドレイの心の声。


 そして、彼の中ではそれを流してしまわなければならないくらいのことが目の前に展開していた。


 魔族に捕えられた人間は奴隷として使役させられる。

 当然劣悪な環境で。


 それが人間界の常識。

 だが、目の前の光景はそれを否定する。


「いったい何が起こっているのだ?」


「一応言っておきます」


「あなたがたの想像どおりここに住む家族の方々は人質。ですが、あなたがたが我々に敵意を向けないかぎり現在の生活を続けられることを保証します」


「そして。彼女たちが安全に、そして豊かな生活をするためにあなたがたは現在与えられているホリー王女の護衛の仕事を忠実に実行しなければなりません」


 そして、ブリターニャ金貨五百万枚を支払って引き取ったブリターニャ人たちの生活が安定した頃、それを狙ったかのようにアリストがクアムートの交易所に姿を現す。


 そして、ここでも当人にとって想定外の事態が起こる。


「……帰らない?帰らないとはどういうことだ?グワラニー」


「ですから、皆、我が国が居心地がいいのでブリターニャには戻らないそうです」

「まさか変な圧力をかけたわけではないだろうな」


 そう。

 それはアリストにとっては想定外の極み。

 なにしろフィンドレイはブリターニャ軍人。

 しかも、猛将の部類に入る思考が直線的な人間。

 そのフィンドレイがこの短期間に方向を百八十度変えるにはそれなりの力が必要なのだから。


「グワラニー様。この場に本人がいるのです。自身の言葉で説明させてはいかがですか」


 ホリーの言葉にグワラニーは頷き、壁際に控えている元ブリターニャ軍の将軍に視線を向けると、その男はそれまで以上に姿勢を正す。 

 そして、アリストに視線に目を背けることなく答える。


「アルディーシャ・グワラニーの言葉は間違っておりません。王太子殿下」


 その男の言葉は続く。


「そもそも我々はサイレンセストで処刑されることが決定していました。それがアルディーシャ・グワラニーに買われたとたんに生きてブリターニャに帰るとなれば、当然魔族と何かしらの取引があったと思われます。さらに生きてブリターニャに帰ったからと言って処刑の決定が覆されるわけではありません。当然魔族に魂を売った裏切り者という新たな罪が加わり殺されることでしょう」


「もちろん王太子殿下に対する恩義は十分に感じております。ですが、現在アルディーシャ・グワラニーに与えられたホリー王女殿下の警備の仕事はやりがいがあります。この仕事を辞してまで更なる不名誉を加えられて殺されるためにブリターニャに戻るのはさすがに難しいです」


「そして、最大の理由。それは我々が王太子殿下とアルディーシャ・グワラニーの関係を知ってしまったこと。十分に口は堅いつもりではありますが、何か拍子で自分が見聞きしたことを喋ってしまうかもしれません。恩義ある王太子殿下に迷惑をかけるわけにはいかない。そういうことで我々は魔族領で生を全うするしかないのです」


 ……さすがにこれはアリスト王子も反論できない。


 グワラニーは心の中で呟く。

 

 百瞬程考えたところでアリストはフィンドレイの主張の正しさに同意することにする。


「そういうことなら、ホリーの護衛をよろしく頼む」


 そう言ったものの、やはり納得しがたいアリストはグワラニーを睨む。


「おまえが何かよからぬことを吹き込んだのではないだろうな」


 実をいえば、この事態はグワラニーにとっても予想外かつ不本意。

 なにしろ投資したブリターニャ金貨五百万枚の回収がほぼ不可能になったのだから。

 そのうえ、ありもしない罪をかけられてたまらないグワラニーはここは完全否定する。


 そして……。


「……ということは、ブリターニャが五千万枚で買い戻した男をグワラニーは一割だけを支払って手に入れた。考えようによっては一番損をしたのはブリターニャということになるではないか」


 損得勘定を計算し終わったアリストはそうぼやいた。



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