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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十八章 滅びの道を選択する者たち
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フランベーニュ領侵攻

 フランベーニュとの国境から七アケト程離れた草原地帯に整列させた自軍を眺めながらセドリック・エンズバーグは会心の笑みを浮かべていた。


 言いがかりと挑発により、フランベーニュ軍がブリターニャ国境に兵を集め出したところで、「フランベーニュ軍侵攻の動き」に対応するためと称し国境に兵を送り込む。

 そして、かつてアポロン・ボナールと彼の軍も駐屯していた対ブリターニャの要衝プレゲール城の現城主アルバン・ベオル子爵に開戦への口火を切ってもらう。


 エンズバーグとしては、「最初に手を出したのはフランベーニュ」という証拠を手に入れるために是が非でもベオル子爵に攻撃させなければならないわけなのだが、さすがに子爵がどれだけ愚かでも自軍より相手の方が兵数が多ければ簡単には動かない。

 そこで、国境には自分たちよりも少数の兵だけが配備されているように見せなければならない。

 むろんそれについても抜かりはない。


「配備が完了次第、挑発行動をおこなうように命じてある。オルビストンなら完璧にそれをおこない、派手な逃走劇を披露することだろう。そして、いくつかの砦にフランベーニュの旗を立てた子爵を連れて来てくれるわけだ。我が軍の前に」


 そして、戦いはエンズバーグの予定通りに始まる。


 まずはこれでもかというほどの罵詈雑言による挑発。

 むろんフランベーニュも応戦する。

 口で。

 だが、ブリターニャ軍の攻撃対象が国や王太子から自分たち国境守備隊へ移ったところで、フランベーニュ軍兵士の怒りが心の防潮堤を超え始める。

 しかも、運が悪いことに子爵本人が前線視察にやって来ていたところに、「プレゲール城主は人前で糞を漏らす以外に取柄がないフランベーニュ馬鹿貴族の見本」というフランベーニュ語によるありがたい言葉が届く。

 激高したベオルが挑発に乗りブリターニャ討伐を命じると溜まっていた鬱憤を晴らすようにフランベーニュ兵士は国境を越えブリターニャ軍に襲いかかる。

 そして、逃げるブリターニャ兵を追い回し、四つの砦を奪取、ブリターニャ国旗を燃やし、代わりにフランベーニュを掲げる。

 さらに逃げるブリターニャ兵を追いかけるフランベーニュ兵士たちは森を抜けたところで大軍に出会う。


「初めまして。フランベーニュ兵士の諸君」


「そして、さようなら」


 ニヤリと笑い、そう声を上げるとエンズバーグは両脇に並ぶ将兵に目をやる。


「突撃」


 前線から離れたフランベーニュの国境に配置されていたのは、いわば二線級の将兵。

 指揮官であるアルバン・ベオルに至ってはさらにそれより数段階下。

 それに対しセドリック・エンズバーグ率いるブリターニャ軍は決戦部隊として温存されていたエリート部隊。

 さらに数も圧倒的に違う。

 それほど時間を置くことなく戦いの趨勢は決し、三千の戦死者と八千の負傷者を残しフランベーニュ軍は敗走を始める。

 むろん当初の予定通り、ブリターニャ軍は追撃戦へ移行し、占領されていた砦をすべて奪回後、国境を越え、プレゲール城に向けて前進し、二日後には城を包囲し、翌日には陥落させ、城主アルバン・ベオルも捕虜となる。

 まさに電撃戦。


「王都に連絡は?」

「もちろん終わっています。フランベーニュが国境を越えて攻めてきたところを撃退。反撃に移ったと」

「よろしい」


 副官のエドガー・ロングリッジの言葉にエンズバーグは大きく頷く。


「すべてが予定通り」


 プレゲール城の見張り櫓に登り、これから進む東を見やりながらエンズバーグは口にした言葉は間違いではないといえるだろう。


「……何も起きないではないか」


 エンズバーグはある男の顔を思い出しながらそう呟いた。


 ここでサイレンセストからフランベーニュの王都アヴィニアに放っていたブリターニャの間者たちが手に入れた情報が入る。


 二千から三千の集団がバラバラに王都を出発している。

 合計五万ほど。

 ロバウ率いる迎撃部隊の本隊二十万は王都で確認。

 前線から戻ってきたウジェーヌ・グミエール率いる三十五万は王都近郊に展開中。

 ロシュフォールほか海軍兵も各港に居座ったままで動く気配なし。

 目立ったことといえば、どの港もアグリニオンとアリターナの旗を掲げた多数の商船が停泊していることくらい。

 魔族が越境したという情報なし。


「この様子ではフランベーニュは王都の近くまで呼び込んでから決戦を挑むつもりだな」


「もちろん戦い方としては間違いないではないのだが……」


 エンズバーグが抱いた奇妙な違和感。

 それは自国領内を敵に素通りさせるというフランベーニュの戦略にある。

 むろん自身が口に出したように戦い方としては間違っていない。

 相手は長躯遠征したところで自身は本拠地近くで戦う地の利。

 さらに準備に時間がつくれ、補給の心配もない。

 だが、敵に王都近くまで攻め入られる屈辱感は生易しいものではないはず。


「……もしかして、それだけフランベーニュの内情は悪いということなのか」


 エンズバーグは呟く。

 だが、彼は軍人。

 思考はすぐに戦いに関するものへ移行する。


「王都付近での正面決戦以外で考えられるのは、我々を懐深く呼び込み、後方を遮断して袋叩きにすることだが……」


「残念だが、その策は使えない」


 エンズバーグがそう断言できる理由。

 もちろんそれはその対策をおこなっているからである。


 ブリターニャからフランベーニュの王都アヴィニアに進む主要ルートは三本。

 現在エンズバーグが三十万の兵を率いて進んでいる正式名称はブルドネ街道である中央街道。

 海沿いに進み南街道と呼ばれることが多いセヴィエンヌ街道。

 それから山岳地帯の麓に沿って進むドラネージュ街道、通称北街道である。


 このうち二十五万の兵を率いて北街道を進むアラン・フィンドレイ将軍は、主戦場から山を越えて後方に来ることができるベルシュ峠を抑えるルネヴェ城を落とし五万の兵を守備兵として残している。

 南街道を進むボブ・ヘンドリー将軍も順調に前進を続けている。

 さらに各街道はもちろん周辺にも完璧ともいえる転移避けを張り巡らされているので、大規模な部隊の転移は不可能となっていた。


 背後に転移しての挟撃作戦が不可能であれば、フランベーニュ軍がおこなえるのは数を頼りにした正面からの攻撃くらいしかない。


「そうなると、中央部隊の数はやや少ないか」


 エンズバーグは国境沿いに待機させていた予備部隊だけではなく、王都周辺に展開させていた部隊も呼び寄せ、中央部隊を八十万にまで膨らませる。


「王都周辺に展開させている敵主力は六十万弱。周辺の部隊を合わせても八十万までは届くまい。これでフランベーニュが力攻めをしてきても負けることはない」


「さあ、どうする?ダニエル・フランベーニュ。いや……」


「アルディーシャ・グワラニー」


 会ったこともない魔族の将の名を口にしたエンズバーグは、それとともにその男を評価した自国の王太子に対してもある思いを持っていた。

 さすがにそれを口にはしなかったのはブリターニャの貴族としての節度というところであろうか。


 相手が有利となるすべての可能性を排除したと確信したエンズバーグはさらに軍を進める。

 むろん王都に近づくに従い抵抗は大きくなるが、組織的なものではなく、そもそも数が圧倒的に少ないため、簡単に退ける。


 フランベーニュ侵攻から三十五日目。


 あと数日も進めば視界に入ってくるのは王都手前の最大の要衝ニオール。

 その町の手前にウジェーヌ・グミエール率いる約四十万が展開していることを先行する物見の兵によって確認される。

 

「……陣地を構築しているのか。さすがベルナードの生き写しだな」


 エンズバーグはグミエールのふたつ名を口にして薄い笑みを浮かべる。

 ブリターニャとフランベーニュの若手、といっても、将軍の地位にあるのだから相応の年齢にあるのだからその呼び方が正しいかは微妙ではあるが、少なくてもエンズバーグは多くの名声を得ていたグミエールに対して強烈なライバル心を持っていた。


 そのライバルと直接対決。

 しかも、圧倒的有利な状況で。


 だが、その陣地を見た瞬間、それまで持っていた優越感は一瞬で消える。


「見たことがないくらいの強固な陣地。これを破るのは簡単ではない」


「軍事教書によれば相応の陣があれば二倍の敵と対等に戦える。しかも、これだけの陣地。しかも、指揮を執るのはベルナードの弟子。つまり……」


「四十万で八十万の敵と十分に渡り合えるということか」


「しかも、グミエールは我が軍を消し去れば、自軍もともに消えても十分な成功と言えるのに対し、こちらはそうはいかない」


「我々は完勝が必要。つまり、この陣地を攻めていたのではその目的は果たせない。なんとしても奴を巣穴から引きずり出さなければならないわけか」


 陣地に籠る敵を引きずり出す。

 言うのは簡単だが、それが困難であることは十分に承知している。

 特に相手がその有利さを理解しているというであれば。


 エンズバーグは進軍スピードを落とさせる。


「こちらも陣地をつくりにらみ合い。そこに南街道を進んでいたヘンドリーが到着し、側面攻撃を始め、陣形が崩れたところを一気に攻めることにする」


「もともとこちらは相手の二倍。戦いが始まってしまえば、絶対に勝てる」


 幕僚たちに前方の敵に対する戦い方を示し、ヘンドリーに使者を送り至急合流するように指示した。


 そして、グミエールがつくった要塞のような陣地に相対すようにエンズバーグも堀と土塀による陣地をつくり上げ睨み合いが始まって九日後、事態が動く。

 南街道を進んでいたヘンドリーが落とした町のひとつダルカションから来たという伝令がとんでもない事実をエンズバーグに知らせてきたのだ。


「敵?敵の大軍が現れただと」


 エンズバーグは伝令の第一声に驚愕する。


「転移避けは完璧だったはずだろう。もしかして、どこかに穴が……」

「いいえ。敵は……」


「敵は海から現われました」


「突然多数の船が現れると、そこからフランベーニュ兵がぞくぞくと上陸しあっという間に……」

「数は?」

「夜だったので正確にはわかりません。ですが、一万以上はいるかと……」

「ありえん」


 それを聞いてエンズバーグは呻く。

 そして、自身の思考に大きな穴があったことにようやく気づく。


「ロシュフォールか」


「……『モレイアン川の支配者』は元々海軍。奴なら船で背後に乗りつけるくらいの芸当はやる。それを考慮しなかったのは迂闊だった」


 エンズバーグはそう言うものの、これはある意味やむを得ないことだった。

 なにしろこの世界においては陸軍と海軍は天と地ほども離れた組織。

 海軍の兵が陸軍の縄張りである陸上の戦いに参加するなどありえないことでしかなかったのである。

 

「ロシュフォールの直属部隊は五千程という情報。ということは、最大で五千はいるということか。数としてはたいしたことはないが背後を荒らされるとやっかいだな」


 自軍から一万ほど割いてロシュフォール軍殲滅のために派遣しよう。


 エンズバーグが部隊編成をおこなおうとしたところで、さらに伝令がやってくる。

 そして、驚くべき事実を伝える。


 ダルカションから周辺を奪還して回っている敵の数は少なくても数万。

 さらに続いて駆け込んできた伝令によってダルカション以外にも同規模の敵が海からやってきたことが判明する。

 これは間違いなく背後狙う大規模な上陸戦。

 

 このフランベーニュ軍による敵前上陸であるが、後に「初めての敵前上陸戦」として戦史に記されることになる。


 海賊が海沿いの町や村を襲うのも一種の上陸戦といえるのだからむろん敵前上陸が初めてというわけではない。

 だが、軍という組織にカテゴリーを絞れば、それは明確にそれとは異質なものとなる。


 前述したように、この世界の陸軍と海軍は別の世界以上に縄張り意識が強く、海軍が陸上で戦闘するなど禁忌に等しく、同じく陸軍も海上輸送に頼るようなことは邪道中の邪道と考えていた。

 ミュランジ城攻防戦における海軍の活躍はそういう意味では掟破りといえるものであったのだが、一応すべてが水上でおこなわれたこと、そして、なによりもそれによって陥落確実とされたミュランジ城が守られたこともあり、フランベーニュ軍内で不問にされることになった経緯がある。

 その後、ロシュフォールの直属部隊はフランベーニュの兄弟喧嘩と嘲笑されるソリュテュード平原会戦にも参加したことにより、そのハードルは随分と低くなったように思えるが、あくまでそれはロシュフォールの直属部隊だけの話であり、その他の部隊は陸海軍とも交流を持つことはなかった。

 だが、数万という報告が事実であるのなら、その規模はロシュフォールの直属部隊だけでおこなえるものでないのはあきらか。


「他の海軍も参加しているというのは信じがたい話ではあるが、とりあえずフランベーニュ軍が上陸したとされる地点のひとつカステラーヌはヘンドリーの軍の背後。ここに情報が届いているということはヘンドリーにも情報は届いているはず。当然そこにはヘンドリーが掃討に向かう。そうなるとこちらが掃討すべきは敵が上陸したことが判明しているダルディシュとダルカション」


「それぞれ数万という数は信じられないが、報告があった以上、それに対抗できる数を出すしかあるまい」


 多くの信じがたい情報が錯綜するなか、エンズバーグはクレイグ・ホーガンを指揮官として十二万の兵を掃討部隊として送り出す。

 だが、この時点においてエンズバーグはフランベーニュ軍による上陸の主目的が陽動と疑っていた。


 背後に兵を送り込み、その迎撃のために兵を割かせ、兵力差を減らしたところで攻勢に出るというのがグミエールの策。


 それがエンズバーグの見解であった。


「……それとも焦った私が無謀な攻勢に出ることへの誘いということも考えられる」


「その手には乗らない」


 情報がない中で無用な動きをすることは敵の術中に陥る可能性が高い。

 ここは動くべきではない。


 フランベーニュ軍の予想外の動きに対するエンズバーグの判断は間違ってはいなかったといえるだろう。

 だが、それはエンズバーグの中での前提条件が成立している状況下の話であって、それが成立していなければ話はまったく違うものになる。


 ブリターニャの戦史研究家フィログ・ホーリーヘッドは、この時のエンズバーグが置かれた状況をこの言葉にしている。


「すぐさま転移魔法によって現地に飛び、現状確認を含めて偵察をおこなうべきだったとエンズバーグを批判するのは簡単だ。だが、エンズバーグほどの者ならそのようなことは誰に言われなくても気づく。では、なぜおこなわなかったのか?言うまでもない。背後に転移されることを警戒し転移避けを展開させることを命じていたから。つまり、そうしたくてもできなかったのである」


「結果的にエンズバーグは自身がつくった枷で身動きがとれなくなったとなったわけである」


「逆に言えば、それを含めて考案されていたのが歴史に残るフランベーニュの大規模な逆襲策だった」


「まあ、それを考案したのはフランベーニュ人ではなかったのだが」


 それでも死に物狂いで走ってきた伝令たちによりフランベーニュの計画が徐々にあきらかになり始める。


 フランベーニュ軍が上陸したのは東からカステラーヌ、ダルディシュ、ダルカション。

 他の二か所はわからぬがダルディシュに上陸してきたのは二万程度。

 そして、ダルディシュに上陸した集団はすでに中央街道に入っている。

 さらに、カステラーヌにフランベーニュ軍が上陸したという一報を聞いてヘンドリーはほぼ全軍にあたる十五万を率いて反転し迎撃に向かっている。


「さすがに十五万を率いるヘンドリーを相手にしてはフランベーニュ軍もどうにもできまい。まもなくヘンドリーから勝利の報が来ることだろう」


 少しだけ余裕の出たエンズバーグは言葉を吐き出す。

 そして、それからしばらくしたところで、その言葉どおり伝令はやってきた。

 だが……。


「負けた?ヘンドリーが負けたのか?」


 エンズバーグは呻く。

 ヘンドリーから送られた伝令の言葉。

 それは……。


「お味方は崩壊中」


 エンズバーグはその不快だけで出来上がった情報をもたらした伝令を睨みつける。


「ヘンドリー軍は十五万。それでなぜ負けるのだ」


 無能とは程遠い将軍であるヘンドリーが負けるには相応の理由がある。

 相手の方が圧倒的に数の多い場合。

 そうでなければ、奇襲を受けたかだ。

 さすがに上陸したフランベーニュ軍がブリターニャ軍十五万より圧倒的に多いということは考えられない。

 そうなれば、残る選択肢は奇襲。


「フランベーニュ軍はいったいどのような策を用いたのだ?」


 一介の伝令兵にはその全貌などわかるはずはないが、それでも断片でも手に入ればその策を構築できる。


 心の中でそう呟いたエンズバーグの言葉に一瞬だけ沈黙した伝令が口を開く。


「我が軍はフランベーニュの大軍に挟撃されました」


「ヘンドリー将軍はカステラーヌに上陸し向かってくるフランベーニュを迎撃し、戦いが始まってしばらくすると急進してきたあらたな敵が背後を襲われました。将軍は私を含めて十五人の伝令を出しましたが、どうやら辿り着いたのは私だけだったようです」


 その情報をもたらした伝令を下がらせたエンズバーグはアービー・ラドフォードとアーサー・オルビストンの顔を見る。


「どう思う?」

「合計で同数程度の敵がヘンドリーを挟撃したのは間違いないでしょう。挟撃に成功してもさすがに数万で十五万は破るのは難しいでしょうから」


 自身の問いに対してのオルビストンの言葉にエンズバーグは頷く。

 だが、実際に口にした言葉はそれとは別のものだった。


「どう考えても数が多すぎる」


「その数が本当なら海軍兵の大部分が戦いに参加していることになる。だが……」


「陸戦に参加するということは、奴らは命より大事と教えられる船を放棄したことになる。そんなことがあるはずがない」


「ということは、やはり奇襲。だが、彼我が同数と思わせる奇手とはどのようなものなのだ?」


「そもそもそれだけの数の船をどうやってかき集めた。大海賊に大量に沈められ乗る船がないから陸の上で剣の訓練を毎日やっていたのだろう。ロシュフォールたちは」


 そう話をしながらエンズバーグは言い知れぬ不安に襲われていた。

 フランベーニュ軍がやっているのはどれもこれもこれまでの常識からは想像できないこと。

 しかも、悔しいがそれらの策は的確にこちらの弱点を突いてくる。


 この手際の良さから考えるに一連の迎撃策は予め準備されていたものなのか?

 いや。

 そんなはずはない。


 エンズバーグは心の中で呟いたそれを自問自答のように首を振って否定する。


 では、誰かの閃きということなのか?


 エンズバーグは思考する。


 海軍が関わっているのは間違いない。

 そうなれば、第一の候補者はロシュフォールとなるのだが、噂を聞くかぎり、ロシュフォールは堅実で、とても奇手を連発するような者ではない。

 では、ダニエルの側近の陸軍幹部ロバウか?

 この男も堅実を身にまとったような者というのが一般的な評価。

 そして、それはウジェーヌ・グミエールも同じ。


「……いったい誰だ。こんな策を……」


 その瞬間、エンズバーグの頭にある男の名が浮かぶ。


「まさか、グワラニーか……」


 心の中には常に存在していたグワラニーの影。

 それが徐々に現実のものとなっていくのをエンズバーグは感じた。


 だが、簡単には負けられない。


「ここまでは優位にことを進められているが、最後までおまえの思い通りになると思うなよ」


「ベルナードの南下に備えさせていた北街道を進むフィンドレイにはニオールで本隊と合流するように命じろ。だが、まずは前面の敵を倒すべき」


「陣地という有利な要素はあるが、向こうは四十万。こっちは七十万。数で負けるはずがない」


 エンズバーグは予定を変更し、自らが完璧と称したフランベーニュ軍の陣地を力攻めすること決断する。


 王都アヴィニアからほど近い小さな町ニオールの西側に広がる草原に陣を敷くフランベーニュ、ブリターニャ両軍の戦力はそれぞれ四十万対六十八万とブリターニャが有利。

 だが、ブリターニャ軍がこの地に到着したときにはすでにフランベーニュ軍は堀と土塀による強固な野戦陣地を構築していた。


 この世界に存在する各国の軍事教書では野戦陣地を用いて防御に徹した場合、自軍の二倍の敵と対等に戦えるとしていた。

 そして、敵よりも少数で戦わなければならない場合は、陣地を積極的に活用するように推奨されていた。

 グミエールの選択はまさに教本通り。

 さすが基本に忠実なベルナードの生き写しといえるだろう。

 一方のエンズバーグは、速攻を主体とした野戦で多くの戦果を挙げたが、様々な奇策を用いての攻城戦も得意。

 まさに、「ブリターニャのアポロン・ボナール」と言ったところだろうか。


 ベルナード対ボナールの代理戦争とも言える「ニオールの戦い」がここから始まる。


 四十万の兵が籠る強固な陣地に六十万の兵が攻撃する。

 その言葉だけを聞けば、攻め手が敵陣に全面突撃し激しい斬り合いを始める光景が目に思い浮かぶことだろう。

 そして、実際にそうなればお互いに盛大に死傷者を計上し、どっちが勝ったのかわからないような状況になることだろう。

 だが、それは将兵を失ってもすぐにどこからともなく代わりの兵が湧き出る特別な世界の話。

 そうではない現実世界において、そのような単純な攻め方ができるのは戦力が圧倒的に違う場合だけであって、この世界はもちろん別の世界でも条件が整わないままそれをおこなうのは指揮する者が愚かな場合だけというのが相場となる。

 だから、力攻めをすると言っても、そこまで行く過程がいくつもあり、守備側はもちろん攻撃側にも損害を減らす十分な準備はするのが一般的だ。


 そして、この世界では今回のように大軍が対峙したうえで戦いをおこなう場合、いくつかのルールが存在する。

 正確に言えば、大将同士が打ち合わせをおこない、双方がそこで決められた事を守るということになっている。


 攻め手側であるブリターニャ軍から白旗を持った従者と総司令官のエンズバーグとアーサー・オルビストン、書記と通訳の男が前に進み、フランベーニュ側からもグミエールを中心に同じ構成の者が前に進む。


「私はブリターニャ軍将軍セドリック・エンズバーグ」

「フランベーニュ軍将軍ウジェーヌ・グミエールである」


「戦いの作法に則り、取り決めをおこないたい」

「承知した」


「戦いは日の出から日没まで」

「いいだろう」


「戦いの決着は相手の大将を討ち取るか、どちらかが白旗を上げたとき。または、どちらかの大将が戦場に背を向けたとき。投降の意志を示した者は殺さない」

「わかった」


 エンズバーグの提案にグミエールが承知する形で次々とこの戦いのルールが決まっていく。

 そして、大枠といえるものが定まったところで、エンズバーグはあらためてグミエールに目をやる。


「そちらからの提案はあるか?」

「提案はない。だが……」


 やってきたエンズバーグの言葉にグミエールはそれ自体を馬鹿にするように短い言葉で応じた。


「貴様たちブリターニャがどのような理由で今回の蛮行に及んだかは戦いが終わり、縄を打たれ惨めな姿になった貴様に尋ねるつもりだ。だから、間違っても死ぬな。私が言いたいのはそれだけだ」


 あきらかな挑発。

 むろんエンズバーグも黙ってはいない。


「それはこちらの話だ。たった今おまえが言った姿になったおまえのなれの果てには尋ねなければならないことが山ほどある。腕くらいは落とされても首は落とされるな。少なくても話が出来る状態で私の前にやってきてもらおうか」


 双方の大将の感情が籠った舌戦はその従者たちにも伝染する。

 だが、その中でどうにか仕事をおこなっていたのは書記役の男たちであった。

 この儀式の最後。

 双方がそれぞれ記した協定書の交換をおこなうために。


 まず自国語。

 それから相手の言葉で同じ内容を書き込み、それを相手方に手渡し、その内容を確認したところで、それぞれの大将が両方の羊皮紙に署名する。


 それを受け取り、別れる。


 取り決めによって、開戦は翌日。

 ブリターニャ、フランベーニュの順で狼煙が上がったところで戦闘開始となる。

 明日になれば、多くの戦死者が出る。

 つまり、その者にとっては最後の晩餐となる。

 だが、フランベーニュ軍はともかく、ブリターニャ兵士の食料状況は厳しく、本来このような戦い前におこなわれる特配もなし。

 それを聞いた兵士たちも士気は一気に下がった。

 実は彼らが食している大部分はここまで来る過程でフランベーニュ人から奪ったもの。

 敵領に入った場合、物資の調達は略奪が基本だからこれは当然であるのだが、食料不足に悩むフランベーニュ側には奪われるもの自体が少なかった。


 そうであれば本国からの支援がおこなわれるべきなのだが、ここで魔族軍と戦うフランベーニュ軍を常に悩ませている補給の苦労がブリターニャに襲い掛かっていた。

 ブリターニャが進む魔族領には数多くの砦があり、フランベーニュ軍より進撃速度が遅かった。

 だが、そのおかげで補給ポイントが構築できるという予想外の恩恵があったのだが、今回は進撃速度が速く、そのような余裕はなかった。

 しかも、後方が平穏であるのなら転移避けを解除し、そこを補給拠点として転移魔法による輸送ができるのだが背後で敵が暴れまわっている現状でそれもできない。

 そうであれば、残りは荷馬車による輸送なわけだが、実をいえば、これ大量輸送に適していない。

 もちろんそのようなことは少しでも考えればわかることではあるのだが、この世界の大部分の軍人と同じようにこれまでエンズバーグも敵と戦うことだけに注力していた。

 そして、その現実に直面したところでようやく補給の重要さに気づいたのである。


「とりあえず今はまだ食べるものはあるが、それがいつまで続くかはわからない。そういう意味では戦いは早めに終わらせる必要がある」


 干し肉を齧りながらエンズバーグは呟いた言葉がブリターニャの見えざる苦境を現わしているといえるだろう。

 そして、それはブリターニャ軍に本来避けるべきとした無謀な攻勢をおこなわせることへと繋がっていく。


 翌日戦いが始まる。

 むろんブリターニャが攻め、フランベーニュが守るということになるわけなのだが、当然それは守る側の想定通り。

 ブリターニャは戦死者を増やすだけで得ることがないまま時間が過ぎていく。

 その戦況を眺めながら、エンズバーグは呻くように呟く。


「さすがベルナードの弟子。隙がない」


 そして、思う。


 硬い殻に籠る敵を叩いているだけでは何も起きない。

 やはり、外に引きずり出さなければならない。


 迂回して王都へ進み、追撃してきたところを叩く。

 それとも、撤退を装って追撃をさせ、反転して叩く。


 思い描いたふたつの策。

 それは、自身のふたつ名にあるアポロン・ボナールがマンジュークへと続く渓谷地帯を抜くための用意していた策や、ある者が示した策に乗ったベルナードが別の戦場で成功を収めており、やがて「ベルナードの奇手」という名がつくものと同類である。


 初日終了。

 三回にわたる全面攻撃はブリターニャ軍が五万二千の死者とその倍する負傷者を出しただけで撤収。

 二日目の戦いでは左翼に攻撃を集中させ、敵に大幅は游兵をつくる策で再び攻めるものの、二万七千の失ったところでエンズバーグは攻撃中止の指示を出す。

 二日間で七万九千の戦死者を出したブリターニャ軍であったが、それ以外にも十八万人にも及び負傷者がいる。

 むろん軽傷者は明日の戦いに参加させる。

 だが、それでもブリターニャ軍の兵力は五十一万六千人まで下がる。


「……このままでは数日中に立場が逆転してしまう」


 力攻めをおこなうと決めた段階で想定はしていたものの、それを大きく上回る死傷者数。

 フランベーニュ軍の損害はもちろんエンズバーグは正確にはわからぬが、過剰に盛られた兵たちの報告を信じてもこちらの半分ほど。


 おそらく四十万のうち数万が減っただけだろう。


「単純な力攻めではどうにもならない」


「今さらだが」


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