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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十八章 滅びの道を選択する者たち
318/376

ヴァンセンヌ宣言

 そして、やってきたその日。


 すでに重大な発表があると告知されていたため、王都に住む者たちを中心に多くの者が会場となるヴァンセンヌ広場に集まっていたのだが、集まった彼らは疑いの色が濃い視線をある集団へ向けていた。


 多数の陸軍の兵士。

 それだけではなく服装からすぐに区別できる海軍の兵士もかなりの数がいる。

 別の世界の者がこの状況を見たら、軍によるクーデターと即座に判断しただろうが、この世界の歴史ではいまだそのような出来事は起こっていないため、そこまで想像する者はいなかった。

 その彼らの思考が辿り着いたのは、宰相でもある王太子ダニエル・フランベーニュがこの場に現れ、何かを発表するということ。

 

「まあ、話というのは小麦についてだろう」

「それ以外はないだろう。問題は……」

「王城にため込んだ小麦を吐き出すかどうかだろう」


「それで、どう思う?」

「さあな。だが、こうやって俺たちを集めたのだ。それなりのことは考えたということだろう」


 だが……。


「もしかして集めた俺たちを取り押さえるつもりかもしれない。そうでなければ、これだけの兵士たちはいらないだろう」

「あり得るな。ということは……」


 気の利いた者、それから身に覚えのある者は軍人を見た瞬間、その場を立ち去るものの、大部分はその場に残り、用意された舞台に立つ者を待つ。


 やがて、儀礼用に黒い制服を着た陸軍の将たちが台の両脇に並ぶ。

 そして、その中で登壇した者。

 白い服。

 それが陸軍のものではないことは多くの者が知っている。

 さらにいえば、その男の顔も。

 いや、名前も。

 そして、その男を自分たちが何と呼んでいるかも。


「……ロシュフォール提督」

「間違いない。ミュランジ城攻防戦の英雄ロシュフォール提督だ」


 その声が瞬く間に群衆に広がり、自身の名を呼ぶ声に右手で答えるのは、アーネスト・ロシュフォールだった。

 壇上から周囲を見渡した直後、ロシュフォールは大きく息を吸う。

 そして……。


「私はフランベーニュ海軍提督アーネスト・ロシュフォール。海を守る者である私がここに立つのは皆に伝えなければならないことがあるからだ」


 静まり返ったその場でロシュフォールはこう切り出し、のちに「ヴァンセンヌ宣言」と呼ばれる演説が始まる。


「最近皆が声を上げているとおり、小麦の価格が急騰している。それどころか、小麦そのものがないという状況が続いている。その原因は魔族軍による小麦畑の焼き打ちとなる。もちろん戦場以外の場所に戦火を持ち込む魔族の醜悪さは非難すべきものだが、それを防げなかったのは軍の失態。軍を代表して謝罪する」


「さらに小麦の不足は全世界的なものであるため、不足分を輸入し補うということができない」


「すなわち現状は来年の小麦の収穫まで続くことになる」


「だが、我が国は農業大国。いつもと同じように収穫できれば現在の状況は一気に解決する。もちろん魔族の襲撃は再び起こることは考えられる。それを防ぐため軍も最大限の努力をすることを約束する」


 そこで一度言葉を止めたロシュフォールは観衆を見渡す。

 もちろん全員の視線はロシュフォールへ集まる。

 小さく頷いたロシュフォールは表情を少しだけ変える。


「だが、それは将来のことであり、現在皆が置かれている状況を改善することにはまったく貢献しないものであることは承知している」


「そして、当然それでは皆の不安と不満が静まらないことはよく理解している。そこで……」


「これからそのための策をおこなうことを宣言する」


「王城をはじめとした食料庫を開け、小麦の供出を開始する」


「ただし、現在我が軍は魔族と交戦中。前線で戦う兵士の明日の食料を奪うわけにはいかない。供出は前線の兵士が飢えることがない範囲となる」


「当然ではあるが、そうであれば供出される小麦の量は皆が期待するものとは程遠いものとなる」


「だが、供出する小麦は本来王家のために備蓄されていたもの。そこに軍のために備蓄していた二年分のうち一年分を加える。これが我々の出せる最大限。これ以上はどれだけ要求されても出すことはできない。それを理解していただきたい」


「それから……」


「国としてできる最大限のことをおこなう。それを約束する。それでも皆の満足できるものではないことになるのは避けられない。それは非常に申し訳なく思う。だが……」


「これ以降どのような形であっても王家に抗する動きを見せた場合、それは国の崩壊を願う利敵行為とみなし、軍は全力で排除に動く。もちろん私アーネスト・ロシュフォールはその先頭に立つ」


「もちろん、そうなれば国が大きく割れることになるだろう」


「そうならぬよう皆も増産に励み、また代替品によって空腹を癒すことで、現在の苦難に打ち勝つことを希望する。最後に……」


「フランベーニュの民である皆の未来に輝きがあらんことを。フランベーニュに栄光あれ」


 専門家から見れば及第点にも届かないようなその無骨な演説が終わって一瞬後。

 凄まじいばかりの怒号が起こる。

 いや。

 怒号に思えたそれは同じ熱量を持った咆哮だった。

 人々は口々に「フランベーニュに栄光あれ」、「フランベーニュ万歳」と声を上げる。

 むろんそこにはロシュフォールの名も加わる。


 そう。

 フランベーニュ国民は為政者たちには大いなる不満を持っていたものの、強い愛国心があり、フランベーニュの国民であることを人一倍誇りに思っていた。

 そこに彼らがその登場を願っていた核となる者が目の前に現れ、誠実に現状を伝え、自分たちに協力を請うたのだ。

 くすぶり続けた不満を燃材とするように彼らの愛国心に火がつくの必然といえるのかもしれない。


「小麦がない程度で騒ぐな」

「そのとおり。小麦がなければ肉を食え。肉がなければ魚を食え。魚もなければ木の実がある」

「人間は小麦を食わなければ死ぬわけではないことを忘れるな」

「今こそ愚かな魔族にフランベーニュ人の偉大さを見せるとき」

「フランベーニュに栄光あれ」


 その熱を帯びた言葉その日のうちに国中へと広がり、それまでの騒動が嘘のような収束へと急進していく。

 まさしく、エゲヴィーブの想定どおり。


「……これぞ英雄の力」


 この案を考え出したその男はそう呟いた。


「だが……」


「もしかしたら、私は開けてはいけない扉を開けたかもしれないな」


 エゲヴィーブの呟き。

 同様の感想を持ったのはもちろん彼だけではない。

 その場にいた多くの者。

 そして、あの場の雰囲気を伝え聞いた者。

 皆同様な思いを抱いていた。


 新しい指導者の登場。


 そう。

 新しいフランベーニュはロシュフォールの指導のもとで進んでいくべき。

 多くの者が考えた。

 

 それが何を意味するかなど言うまでもないだろう。


 ダニエル・フランベーニュ。


 フランベーニュ王国の実質的トップ。

 そして、そのダニエルが短い演説ひとつであれほどの怒号が一気に沈黙するいう異常ともいえるロシュフォールへの人気に強い危機感を持っていたグループの筆頭といえた。


 もちろんその要因をつくったのは自分であることをダニエルは自覚していた。


 偶然の産物とはいえミュランジ城防衛にロシュフォールと彼の部下を投入したのはダニエル。

 そして、ミュランジ城攻防戦の勝利後、その戦果を大々的に宣伝し、「新・フランベーニュの英雄誕生」と触れ回ったのもダニエル。


 その結果がこれである。


「今回の件を乗り切るにはロシュフォール提督の名前を利用するという提案は悪いものではなかったのだが、提督の人気がこれほどだったとは……」


 本来であれば、ロシュフォールの人気に乗り、小麦放出に続き、代替食料の提案、小麦増産策など更なる対策を考案しなければならないダニエルだったが、彼がまず始めたのは、ロシュフォールやロバウを呼びつけ、自分への忠誠を誓わせることだった。

 むろんロシュフォールもロバウも顔を顰めたものの、ダニエルの誤解を生むような事態を避けるため、それに応じた。

 だが、それを眺めていたエゲヴィーブは黒い笑みを浮かべてこう呟く。


「終わりの始まりだな」


 頂きにいる者が部下に裏切りの可能性を疑う。

 しかも、それがどちらかといえば、妬みといえるもの。


「……王太子の地位を手に入れるまでは有能に見えたのだが、結局兄弟は兄弟。引きずり下ろした兄と同類だったということか」


 一方、今回の小麦騒動の張本人ともいえるグワラニーは、辛辣の極みともいえるエゲヴィーブの言葉よりも数段階ダニエルに対して好意的な評価をしていた。


「もちろんダニエル・フランベーニュの失策もある。そして、国の頂点に立つと決めた以上、すべての事案について責任を取らねばならないのは事実である。だが……」


「多くの場所でダニエル・フランベーニュは最良手を指していたことを忘れてはいけない」


「今回の件でも、今は亡き兄たちや幽閉されている王が玉座に座っていたら、おそらく食料を要求する民たちに問答無用で兵を差し向けていたことだろう。その点からもダニエル・フランベーニュは有能な為政者だといえるだろう。だが……」


「残念ながら、今回を含めて彼の努力は報われることがなく彼が望まぬ結果が出ることがあまりにも多かった」


「さすがにこれだけ努力に反し、裏目、裏目にことが進めば、自信を失い視野が狭まるのは致し方ないことといえる」


「彼に足りないところがあるのなら、部下を信じる気持ちというところであろう。もちろんそのためには信頼できる部下を集める努力をしなければならなかったのだが、彼にはそれをおこなう時間がなかった」


「そういう点ではアーネスト・ロシュフォールにはオートリーブ・エゲヴィーブという洞察力と硬軟取り揃えた策を弄することができる信頼に値する側近がいたことは大きかったといえるだろう」


 さて、内外の状況を考えれば一時的なものではあろうが、とにかくロシュフォールの演説によってフランベーニュの小麦騒動は収束し、国内は落ち着きを取り戻す。

 

 そして、ヴァンセンヌ宣言から五日後。

 チェルトーザからあることについての連絡を受け取ったグワラニーは思わず声を上げ、続いて盛大に苦笑いする。


「バイア。どうやら我々はフランベーニュ人に対する認識を改めなければならないようだ」


 隣に立つ側近に目をやったグワラニーがそうぼやくと、その相手も同じ表情で大きく頷く。


「そうですね。我々が想定した状況であるのならその可能性はあると思っていましたが、状況が改善したように見えるなかで戻ってくるとは……」


「ですが、それは彼女たちは状況をよく見えているということを示しているともいえるのでしょうか」


 表情を少しだけ変えたバイアがそう言うと、グワラニーの苦みを帯びた笑みはさらに深いものとなる。


「……多くの者が熱狂する自身の熱で見失っているが、実をいえば状況は何も変わっていないことに彼女たちは気づいた。そして、安定して食料を手に入れ、安心して子供を育てるのはフランベーニュよりこちらのほうがよいと判断した」


「これぞ母親。というところか」

「ですが、こちらの状況を知っている本人はともかく家族までというのはどうなのでしょう」


 バイアはグワラニーの言葉を肯定しながらも、そうつけ加える。


「本人の説得がうまかったのか?それとも、その家族も薄々実態に気づいていたのか?」


「どちらにしても来ると言う者は拒めません。なにしろ、来るということはこちらで出した条件を飲むということなのですから」

「そうだな。とりあえず間者かどうか検査はするが、基本的には受け入れるということにするしかない」


「こうなると、我が国の外延部は人間で溢れかえることになる。というより、私の領地は人間だらけだ」

「結構な話ではないですか」

「まあな」


 あの戦いの後にクペル城に残り、少し前にフランベーニュに戻ったのは、七十五人の母親と二百三人の子供。

 つまり、七十五組の家族ということである。


 そして、戻ってきたのは、七十五組。

 つまり、全員が魔族領での生活を希望したのである。

 さらに、七十五組のうち、五十九組は夫も戻り、四十二組が片方または双方の両親も同行し、十四組に至っては一族全員がそこに加わる。

 合計六百四十一人。


「敵国に移住する、しかも、そこは母国フランベーニュが滅ぼそうとしている魔族の国」


「……言いたくはないが、彼らはいったいフランベーニュでどのような生活をしていたのだ?」


 全員の魔術師適正検査をおこなったアンガス・コルペリーアはそうぼやき、自身の問いの答えを求めて視線を動かす。

 そして、その視線の先にいたのは、フランベーニュ人の世話を差配する女性であるわけなのだが、むろん彼女アリシア・タルファはすまし顔でこう答える。


「もちろん皆さん、楽しく暮らしていたのでしょう。ですが、その生活を捨ててまでやってくるだけの価値があるということです。私たちの国は」


 もちろんアリシアの言葉の半分は冗談の類である。

 だが、残りの半分は事実と自信でつくられていると言っていいだろう。


 農民なら生産物、商人なら利益の約四割を税とグワラニーに対する上納分として納める。

 別の世界の言葉では税負担率は四割となり、魔族の国の税制度が特別軽いものではなかったにもかかわらず、フランベーニュ人が皆戻ってきた理由。

 それは、母国の税負担がそれを上回る厳しいものであったことと、人間の国では必ずついてくるそれ以外の負担が魔族の国ではなかったことが大きい。


 その代表が徴兵。

 彼らは皆平民。

 当然上級貴族のような徴兵免除という特権はない。

 さらに、実際の軍務においては最下級の兵士から始まるうえ、上官たちは彼らの命は道具程度にしか思っていない。

 そうなれば当然生存率は低い。

 それに対し、魔族の国では戦士として戦場に赴くのは純魔族のみ。

 もちろん人間種でも軍所属の魔術師は戦場に立つし、グワラニーやタルファのように人間種や人間でも戦闘に参加することを志願することはできるのだが、それは例外中の例外。

 戦いに巻き込まれることはあっても前線に送りこまれることはない。


 さらにフランベーニュには徴用というものがある。

 労務を提供し、物資を差し出す。

 そのすべて無料。

 私用であっても軍の名を使って多くのものを提供させることがフランベーニュ中でまかり通っていた。


 一方、魔族はすべてに正当な対価を支払う。

 これはノブレスオブリージュのようなもので、兵役とともに純魔族が人間種より上位である根拠のひとつとされるものである。

 もっとも、正当な対価の支払いは、純魔族の義務ではなく、税の支払い義務がない軍人と元軍人、そしてその家族の義務というのが正しい。

 ほぼ軍人イコール純魔族であったため混同されてはいるが、以前から軍に同行する魔術師は人間種であっても税金は免除されているし、人間種であるグワラニーの、敵国から奪い取った大金や多額の報酬にも税金がかからないことがそれを証明している。

 さらにいえば、グワラニーの高尚な言葉を借りれば、税金が免除されている者たちが各所で支払いをおこなうことは市場にお金を流す仕組みの要。

 いわば、彼らの支払い行為は公共事業的側面もあるので、そういう点からも税金の免除を受けている者たちは正当な支払いをしなければならないのである。


 さて、余談的話が長くなったが、そういうわけで魔族領に向かうフランベーニュ人には覚悟だけではなく、それだけの理由、いや、利があったのだが、魔族領での生活がどのようなものかを知らないほぼすべての同胞は彼女たちの決定を奇異に見える。

 批判、そして、強烈な引き留めが起こる。

 むろん彼女たちはその声に耳を貸すことなく、財産の処分を含む魔族領へ向かう準備を続け、やがて消える。

 彼らが消えた後、残った者たちは口々にこう言った。


 魔族に騙されているのだ。

 到着直後、悲しい結末を迎えるに決まっている。


 だが、残念なことだが、悲しい結末がやってくる先にいたのはフランベーニュに残った者たちだった。

 自ら進んでハズレクジを引いたと思われた者たちが安全と平和を手に入れ、彼女たちを笑った者たちが最終的にハズレを引いたことになる今回の騒動。

 もちろんその時代に生きた者たちの多くはそれがやってくるまで正解がどちらだったのか気がつかなかったわけなのだが、結果を含めてそのすべてを俯瞰的に見ることができた後世の歴史家たちがこの出来事をどう見ていたのか?


 フランベーニュの歴史学者バスチアン・ジャッケがこのような言葉を残している。


「フランベーニュ人としては残念なかぎりではあるが、すべてが必然としか言いようがない」


「大部分のフランベーニュ人にとって魔族とは自分たちとは相容れぬ存在。フランベーニュに残った者、残るように勧めた者の行為は彼らの常識では正解となる」


「一方、クペル城に残りグワラニーの下で生活していた者たちは自分たちの所有者となっているグワラニーがフランベーニュはもちろんどの国の為政者よりも優れ、さらに彼の行動を容認する魔族の国が驚くほど寛容であることを肌で感じていた。しかも、魔族の国は豊か。安全が約束されたグワラニー庇護下であればフランベーニュでの生活より数段上であること理解していた」


「当然魔族領へ戻ることを選択する」


「もちろん彼らは自身の見える範囲でのみで進むか残るかを判断したのだが、その未来の決定は彼らの知らない部分こそが重要だった」


「それはフランベーニュ軍の、魔族軍に対する戦況である」


「いくら豊かな生活が送れても、魔族が敗退すればすべて失われる。逆に、今は食料不足に喘ぐフランベーニュも最終的に勝利すれば、それに見合うだけのものが得られたわけである」


「しかも、実際のところ、見た目上の戦況はフランベーニュ有利だった。だから、あの時点では残る方が正解と思うのは間違いとはいえないだろう」


「まあ、これまで常に自分たちが有利と吹聴していたダニエル・フランベーニュをはじめとした国を動かしていた者たちが本当の戦況を言えるわけがないのだが、最終的にそれがフランベーニュ人にとって仇となったわけである」


「そして……」


「そう考えるとアルディーシャ・グワラニーの存在がすべての核となる。つまり、グワラニーを知り、理解しているか。これが分岐点と言ってもいいだろう」


「軍才はもちろん、為政者としての統治能力も魔族はもちろん人間を含めた世界の誰も及ばない。しかも、強大な力を持ちながらあれだけの寛容さを持つ者はどの国、そして、どの時代の歴史を探しても見つからない」


「結局のところ、フランベーニュの不幸は、アルディーシャ・グワラニーがフランベーニュの為政者ではなく、フランベーニュの敵側に存在したことだったといえるだろう」


「もっとも、あれだけの状況に置かれながら、とにかくフランベーニュという国が存在できたのもグワラニーが魔族軍にいたからとも言えるわけで、そういう点では感謝すべきなのかもしれないのだが」


 さて、フランベーニュで起こった騒動とその顛末は各国へすぐに伝わる。

 もちろんアリターナとアグリニオンはグワラニーの共犯であり当然その当事者はフランベーニュの醜態に笑うだけであり、また本来の当事者であるアストラハーニェの新国王カラシニコフは自分の仕事が忙しいこともあり情報を手に入れても特別な反応することはなかった

 そのような中で彼らとは別の反応を見せたのはブリターニャだった。

 

 ブリターニャの王都サイレンセスト。

 カムデンヒルとも呼ばれるブリターニャの王宮で、ひときわ不機嫌な表情を見せていたのが、王太子アリスト・ブリターニャだった。


「……それで、フランベーニュの醜態をおまえはどう思う?アリスト」


 不機嫌そのものの表情でアヴィニアに放っていた間者からの報告書を読むアリストにそう話しかけたのは、彼に先だってその報告書を読み、アリストにそれを渡した男だった。


「事実だけで考えれば、フランベーニュの王太子がアストラハーニェに余計な手出しをして回りまわって酷い目に遭った笑い話にしか見えないのだが」


「実際のところ、陛下の……」

「ふたりだけだ」


 男の視線が動いたところでアリストが話し始めるものの、男はすぐにアリストの言葉を遮るようにそう言うと、アリストは頷く。


「実際の結果だけを見れば父上の言葉のとおりでしょう。ですが……」


「問題はそのお返しをした者がアストラハーニェの新王ではないというところです」


「アストラハーニェの新王は王位を簒奪したものの、その経緯から前王の時代よりも国民の暮らしが悪くなったというわけにはいきません」


「余計な手出しをしたのは気に入らないが、内政の立て直しが忙しくお返しをするだけの余裕はありません。つまり、フランベーニュの混乱を起こしたのはアストラハーニェではないということです。つまり……」


「あの男か」

「ええ。なにしろアストラハーニェの新王の背後にはあの男がいるのは確実。そうなれば新王の保護者としてお返しを企んでもおかしくはありません。いや。あの小細工職人なら確実にやってくる」


「……そこまで言われるとさすがに憎むべき者あるはずのあの男でも憐れみを感じるな」


 息子の言葉に父王は苦笑いで応じる。

 実を言えば、ブリターニャ王カーセル・ブリターニャはフランベーニュでおかしな動きが始まったときにグワラニーの蠢動を疑い、間者を追加してその痕跡を調べていたのだが、結果は完全なシロ。

 それはアリストも承知している。

 それにもかかわらず、この言葉。

 父王が冗談交じりにそう言うのもまったくのハズレとは言わないだろう。


 だが、アリストはわざとらしく表情を厳しいものに変える。


「いいのですよ。なにしろ奴はホリーを盗んでいった者。これくらい言ってもバチは当たりません」

「まあ、その点については同意する。だが、奴が蠢動したとしたらこんな中途半端な終わり方はしないだろう」

「たしかに」


 アリストは父王に言葉に相槌を打つ。

 だが、心の中では相反する言葉を呟いていた。


 ……いや。


 ……ダニエル・フランベーニュが自ら進んで転落の道へ歩み出したのだ。グワラニーが動かないことはない。

 ……もちろん奴が関わった痕跡はない。だが、それこそが奴が関わった証拠。

 ……となると……。


 ……噂が出始めた国境を接するアリターナと、もうひとつ噂の出所である海からやってきた商人たちの元締めであるアグリニオンが実際に動いた者たちか。


 ……そして、一旦は収まったものの、フランベーニュで次の動きがあったとき、グワラニーが本格的に介入し、フランベーニュも手中に収める可能性が高い。

 ……そして、フランベーニュにも親魔族の為政者が誕生する。


 ……そうなれば魔族とブリターニャの一騎打ち。いや。ブリターニャ対全世界という構図だってありえる。


 ……そうならぬために混乱が始まったらブリターニャはダニエル・フランベーニュを援助すべき。

 

 そして、勝利を確実にするためブリターニャは援軍を派遣し、思惑通りダニエル・フランベーニュ率いる王制派が勝利することだろう。

 だが、その戦いが王制派対反王制派という構図になった場合、単純に見えるそれは異なる色合いが加わる。

 反王制派。

 それは国民の大部分を占める平民や彼らに準ずる最末端の下級貴族ということになるだろう。

 そのような国民の大部分を占める者たちへの弾圧に手を貸すというのは本当に正解といえるのか?


 なによりも、そうなった場合にはグワラニーは多数派である反王制派に手を貸す。

 国民の味方として。

 グワラニーのことだ。

 自身を正義の味方と吹聴することだろう。

 そうなった場合、勝敗は別にしても、フランベーニュ国民が、魔族、ブリターニャ双方をどのように見るかなど考えるまでもないだろう。


 総合的に考えればフランベーニュで大規模な内戦が起こっても軍を派遣すべきではない。


 つまり、そのような事態が起きないことが一番。

 おこなうべきはそのための努力。


 ……そして、その一手目は……。

 ……言うまでもない。

 ……グワラニーに釘を刺しておくことだ。


 ……あの小悪党が動きさえしなければいくらでも対処できるのだから。


 アリストがそう決心したその日の夜。


 勇者一行はクアムートに姿を現す。

 もちろん目的はグワラニーの蠢動阻止。

 だが、それはグワラニーも想定済み。

 入念な準備をして待ち構えていた。


 そして……。


 今晩も妹に軽くあしらわれた哀れな兄は八つ当たり気味に魔族の男に詰め寄る。


「今回も随分とやってくれたな。そのおかげでフランベーニュの王太子は泣いていたぞ」


 ここまで言えば、アリストが何を言いたいのかは明らか。

 もちろん証拠がないのだから、知らぬフリを決め込むことも可能だが、相手はアリスト。


 ……証拠がない。それ自体がおまえのやった証拠などと言い張るに決まっている。

 ……そうであれば、最初から認めたほうが手っ取り早い。


 グワラニーは薄く笑う。


「一応言わせてもらえれば、先に仕掛けてきたのはダニエル王子です。それにこちらがおこなったのはささやかなお返し。アリスト王子に言いがかりをつけられるようなことはしていないのですが」

「何がささやかだ。では、聞こう。おまえがやったことを言ってみろ」


 アリストにそう詰め寄られたグワラニーは苦笑しながら息を吐きだす。


「……アストラハーニェの未来とフランベーニュの進む道にこちらの希望を加えた話を多くの方に聞いていただきました」

「つまり、金を払って噂をばら撒いたということだな?」

「いいえ。金を払わず噂を撒いたというのが正しい表現となります。私は他人を騙し泣かせてばかりのアリスト王子と違い、人間にも多くの知己がおりそれ以外の方からも多くの信頼を得ているのでお金を払わなくても協力してくださる方が大勢いるのですよ」


 グワラニーの言葉に鼻白むものの、もちろんアリストの目的は騒動の首謀者をあきらかにすることではない。

 つまり、ここからが本番というわけである。


「わかった。他人に迷惑をかけることを生業としているおまえがやったことをいちいち追及していたら、時間がいくらあっても足りない。だから、これまでのことは大目に見てやる。問題はここから先の話だ」


「今後フランベーニュで何が起ころうが一切関わらないこと。それを約束してもらおうか」


 ……やはりそう来ましたか。


 グワラニーは心の中で呟く。

 もちろんこれは想定のうちにあるもの。

 すぐに返答はできる。

 だが、少しだけ時間をかけその言葉を吟味するように考えるように沈黙し、それから口を開く。


「それを要求するということは、当然どのような事態になろうともアリスト王子、というより、勇者一行は戦いに参加しないということを約束することになりますが、そう考えてよろしいでしょうね」


 グワラニーの返答。

 これは当然要求すべきものである。


 なぜなら、勇者を止められるのはグワラニーが率いる軍のみ。

 その軍に対し、アリストは戦場に来るなと要求した。

 もし、その要求だけで終われば、勇者一行は戦場で無双するだけ。


 だが、グワラニー軍が参加しない代わりに勇者一行も戦闘に参加しないということになれば、それは別の話になる。

 つまり、ダニエル王子側にはブリターニャ軍が加わるものの、反対派にはグワラニー軍を除く魔族軍が加わるということも可能となり、ダニエル王子側が確実に勝てるとはいえなくなる。


 別の世界の言葉を使いわかりやすく言えば、こちらに飛車角抜きを要求するのなら、自分たちも飛車角抜きで戦えということである。

 

 そこでアリストがそれに承諾すれば話は終わる。

 だが……。


「私はブリターニャの王太子。陛下に軍を率いて戦場に赴けと命じられれば行かねばならない。そして、ファーブやフィーネは形式上私の私兵。私が戦場に行くのであれば、彼らも行かねばならない。それが道理だ」

「つまり、こちらの要求は拒否するということですか?」

「そうなるな」

「では……」


「私も同じ論理でアリスト王子の要求を拒否します。なぜなら、私は魔族軍の一将軍。王から命じられればどこにも行き、誰とでも戦わなければなりませんので」


 お互いの要求を拒否。


 もちろん、ここまでは双方の予想通り。


「ということは、フランベーニュで顔を合わせることになる。まあ、そんなに死にたいのなら望みを叶えてやる。感謝しろ」

「それはこちらのセリフ」


 そうやってお互いにジャブで様子を見ながら、次のカードを出すタイミングを見計る。


 実をいえば、ふたりの手札は同じもの。

 そして、お互いに相手が隠し持つ札が自身と同様なものであることもある程度想像していた。

 つまり、どちらかがそれを示せば、揉めることなく決まることになるはず。


 だが、どちらもその札が切れない。


 これは駆け引きの一種ではあるものの、技術的な問題ではなく、単純に感情的なもの。

 つまり、自分が先に交渉を下りたと思われたくないという、言ってしまえば、チキンレース参加者の心情。


 ……つまらない意地を張らずさっさと示せ。グワラニー。


 ……こういう時こそ日頃の分まで王者の度量を示すときです。アリスト王子。


 心の中で相手の器の小ささをこき下ろしながら待つ。

 

 いつ終わるかもわからぬふたりのチキンレース。

 それに終止符を打ったのはフィーネだった。

 あくびをしながら器の小さな男たちの睨み合いを眺めていたものの、遂にその忍耐力の限界がやってくる。


「アリスト。策があるのならさっさと示しなさい。私はあなたやグワラニーのように暇ではないですし、寝不足は乙女の肌の大敵なのですから」


 わかったような、わからないような、そんな適当な理由をつけて隣の男を冷たい視線を向ける。


「ですが……」

「何もないのなら、帰りますよ。ねえ、ファーブ」

「ああ。食い物もなくなったし早く帰って酒が飲みたい」

「そのとおり。それともふたりだけで朝までそうやっているか。それはそれでおもしろいが」

「まったくだ。だが、それでは結局俺たちも帰れないのだ。だから、早く終わらせろ。アリスト」


 フィーネだけではなくファーブたちまで加わっても帰るコール。

 さすがのアリストも身内からの非難には動かずにいかない。

 渋々という音を立てながら口を動かす。


「お互いの立場もある。戦場に出かけること自体を制限するのは難しい。それは事実だ」


「だが、そこで数十万の敵を一気に灰にする巨大魔法の使用は使わないということは約束できるだろう。もう少し踏み込めば、お互いに上位ふたりの魔術師は戦場で一切の攻撃魔法を使用しない」


 アリストの提案。

 それは戦場で巨大魔法をしないということ。


 アリストからのその提案に、自身のものと重ね合わせたグワラニーは頷く。

 ニヤリと笑いながら。

 当然負けた形となったアリストは面白くない。


「……先ほど友人が多いなどとデカいことを言ったのだ。その友人とやらに頼み、フランベーニュの食料不足をなんとかしてみせろ。そうすれば、お互いに無駄な遠征をしなくて済む」

「承知しました。ですが、せっかくの機会ですから、ブリターニャもフランベーニュに小麦を送ったらどうですか。多少ではありますが評価されますよ」

「断る」


 最後の最後まで傍からみれば恥ずかしいだけの嫌味の応酬だった。

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