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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十八章 滅びの道を選択する者たち

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人の噂は倍になる

 クアムートのグワラニー邸。

 この地の支配者でもある魔族最高の将が住む住居はこの地に居を構える他の将軍や軍官幹部の質実剛健を体現する役宅よりもさらに数段階簡素なものだった。


 ただし、そこに付随していた会議室は広さ、機能性とも主の地位にふさわしいものといえた。


 この日、その部屋に集められたのは、アントゥール・バイア、アリシア・タルファ、アンガス・コルペリーア、そして、ホリー・ブリターニャ。

 そして、議題はもちろんフランベーニュに対するお返し。


「フランベーニュの宰相殿が愚かな決定をした」


「自身のかじ取りが失敗したおかげで食料不足から始まった国民の不満に対して、自国の食料不安解消ではなく、他国に干渉し貶めることで解決しようとした」


「しかも、それが成功するならまだしも大失敗」


「だが、アストラハーニェの国王カラシニコフ氏は自国の経営で手一杯で報復はできないとのこと。そこで……」


「代わりに我々がダニエル・フランベーニュに対してお仕置きを敢行することにする」


「と言っても、このお仕置きは軍事進攻ではなく、現在のフランベーニュに対して、最も有効、かつ王権の弱体化を進めるもの」


「すなわち、噂の流布です」


 そう言ったグワラニーは全員を見渡す。


「実際のところ、我々であれば、軍事的にフランベーニュの王都を攻め落とすのは今すぐでも可能だ」


「だが、落とした後をどうするという問題がある。さらに、憎き魔族の侵攻に対抗しようとフランベーニュ国民が一致団結しその頂点にダニエル・フランベーニュがいるなどという、彼の人気回復に貢献するなど馬鹿々々しいかぎり」


「ということで、侵攻はダニエル・フランベーニュの名が地に落ちるまでおこなわない」

「ですが、この前のようにフランベーニュ国内に入り込んで活動することはやめた方がいいでしょう」


 長々と続くグワラニーの話を遮ったバイアのその言葉に全員が頷く。


「もちろん安全ということもありますが、なによりもそれをやってしまっては、その噂を流しているのが我々だとダニエル・フランベーニュに知られてしまいますから」


 今回に限らず、この手のことをおこなう際の肝は絶対に尻尾を掴まれないこと。

 もちろん、最有力容疑者として怪しまれることは確実であるし、丁寧に痕跡を辿っていけばいつかは証拠に辿り着くだろうが、今回についてはそれが動き出したらそんなことをやっている暇は相手にはない。

 だから、気をつけるべきは最初の段階だけということになる。

 そういう点では自らが乗り込んで噂をばら撒くのは愚策ということになり、バイアはそれを指摘したわけである。

 むろんグワラニーもそれを承知している。

 バイアの言葉に頷くと、グワラニーは途切れた話を再開させる。


「その点は心配ない。このような策は準備だけ念入りにおこなえば、始まった後はそれほど手間はいらないのですから」


「具体的には入口付近で噂を広く流してやれば、奥までは別の者たちが運んでくれる」

「別の人物?つまり、フランベーニュで噂をばら撒く者を雇うということなのか?」


 その場にいる中で一番の年長者となる老魔術師がそう問うと、グワラニーで黒い笑みとともに頭を振る。


「いえいえ。そんな手間をかけなくても噂話というのはあっという間に広がります。さらにいえば……」


「そのような噂話はたいてい為政者たちには都合の悪い方向へ進みます。つまり、種を蒔けばあとは勝手に枝葉をつけ立派な実が成るというわけです。そして……」


「そのようなときに為政者たちはどう動くか?」


「もちろん火消しにやっきとなるわけですが、その時彼ら為政者に残された手札は大きく分けてふたつ」


「民衆に媚びるか。それとも、弾圧するか」


「多くの場合、為政者は後者を選択し、最終的には悲しい結末を迎えます」

「よろしいでしょうか」


 グワラニーの言葉を遮るようにそう言って発言の機会を求めたのは末席のホリー・ブリターニャだった。

 長い金髪を掻き上げたブリターニャの王女が口を開く。


「つまり、為政者は民に迎合すべきだということですか?」


「私はそう思いませんが」


 ……さすが元王族。


 グワラニーは心の中でそう呟くものの、もちろんそれを実際に口に出すことはない。

 そして、右手で言葉を続けるように合図を送ると、ホリーは小さく頷く。


「民は目の前のことをしか考えておらず、国のすべてを見る為政者とはその視野が違います。さらに、彼らは自身の要求が受け入れられてもそこで満足せず、さらに大きな要求をする。むろんその要求はすぐに実現不可能なところに到達する。それでも彼らの要求は止まることはない。そうであれば、苦みを伴っても民の要求を拒絶すべきではないでしょうか」


「では、今回我々がおこなおうとしていることが成就した場合、ダニエル王子は不足する食料を要求する民を力で抑え込むべきということですか?」


 そう言ってホリーを黙らせたところでグワラニーはさらに言葉を続ける。

 少しだけ熱を込めて。


「結局のところ、彼が弾圧しようとする民の声は自身の失策から起こったもの。さらに言えば、その要求は国民にとって一番重要な食料不足から来ている。そう考えると弾圧ではなく迎合こそ正解と思われます」


「ただし……」


「目の前で声を上げる対民衆という点では正解であるものの、フランベーニュの未来という点でも正解かといえばそうとも言えない」


「我が国と違い、フランベーニュ王家の穀物庫に眠る小麦はそう多くないはず。そうなった場合、民の声を抑えるために小麦を吐き出した場合、フランベーニュには手札がなくなる」


「もう一度大規模に農地を焼かれたら今度こそ救いようがない状況になります」


 グワラニーの言葉を聞きながらホリーは思う。


 この言葉が実行に移されれば間違いなく成功し、余程うまく立ち回らなければフランベーニュは上下に分断する。

 そうなった場合、フランベーニュはアストラハーニェ以上の内乱が起こる。

 そこに国民側に立つと宣言した魔族軍が進攻し、抵抗者を排除しながら民に対しては食料を与え、さらに自由を保証し、解放者として振舞うのだ。

 そして、アストラハーニェを参考にすれば、最終的には民に迎合した為政者を誕生させる。

 その上に君臨するのは魔族の王。

 ただし、それは形式上、または目に見えぬ部分のものであり、実質的は各国は独立国で為政者は自由裁量が与えられる。


 そう悪いものではない。

 いや。

 この世界全体を考えればこれ以上のものは考えられない。

 なにしろ、この戦争に人間側が勝っても、更なる覇権争いが始まり、満足するのは最終的な勝利を手にした国だけ。

 もう少し言えば、その国の為政者とその取り巻きだけで、どの国が勝利しても多くの平民にとって明るい未来はやってこない。


 それなのに……。


「アリスト・ブリターニャは何を不満に思い、グワラニー様に抗っているのでしょうか?」


 兄を他人のように呼ぶこと。

 そして、兄や勇者がおこなっていることを否定するような表現。


 もちろんホリーはグワラニーが進めようとしているものに光を見出し、口にした言葉であったのだが、それをグワラニーが簡単に受け入れることは、それまでの経緯があるため容易ではない。

 さらに、グワラニー自身は知っている。

 アリストが進めるものにも十分過ぎる正しき理由があることを。


 ……どのようなつもりでその言葉を口にしたのかはわからない。

 ……だが、ここは言っておくべきだろうな。

 ……やはり。


 グワラニーは小さく頷き、それから口を開くと、一気に言葉が流れ出す。


「……非常に屈折した言い方ですが、私はアリスト王子が考えていることは間違っていないと思っています。そして、自分が同じ立場であれば、アリスト王子の考え方を選択した可能性もあると言っておきます」


「そして、ほぼ間違いなくアリスト王子はこちらがどのような世界を目指しているのか理解しており、さらにそれが現在の状況よりも格段にいいことをわかっていると思います。ですが、アリスト王子は気づいた」


「それは永遠に約束されたものではないことを」


「過去のほぼすべて王、または魔族の大部分の者と同じように人間を家畜程度にしか思わぬ者が王になってもその状況が守られるのか?当然それは否となります」


「では、その時に再び戦いを始めればいいかといえばそうはいかない。その時にアリスト・ブリターニャやフィーネ・デ・フィラリオ。そして、あの三剣士のような存在がいるとは限らない。というより、いないと言ったほうが正しいでしょう。つまり、あの五人は特別な存在なのです」


「そして、その力を持っている五人が揃った今、魔族を倒しておかねば将来に禍根を残す。それはその力を与えられた者の責務とアリスト王子は考えている」


「我々魔族が人間より数倍長命。そして、現状魔族にとって勝てない相手というのは勇者一行のみ。さらにいえば、三剣士だけであればモエリス平原で証明されたとおり数で押し切ることは可能。ということは、本当に問題となるのはアリスト王子とフィーネ嬢」


「極端な話をすれば、我々は降伏し、ふたりの寿命が尽きるのを待てばいい。どこかの時点までアリスト王子はブリターニャの支配地のどこかに魔族を隔離し管理しようと考えていた。これは我々の最初の接触の頃の言動からあきらか。ですが、その場合でも結果は同じ。枷が外れたところで我々が動き出せばいいのだから」


「つまり、どのような形でも最終的に待っているのは魔族による人間の完全支配の復活。その脅威を永遠に取り除くことを望むのなら魔族を根絶やしにするしかないのです」


「そうなれば、女性や子供、老人と言ったそれまで勇者が見逃して者たちも手をかけなければならない。慈悲を請う者に剣を振り下ろす光景は有名なアルフレッド・ブリターニャがおこなったもの以上に凄惨なものになることでしょう。まあ、人間側の視点では快挙になるのかもしれませんが、いずれにしてもそれを完遂することができればアリスト王子は歴史に残る人物になることでしょう」


 自分ではとても到達できない場所に行った兄であるアリスト・ブリターニャの思考。

 そして、それを看破したグワラニー。


 この戦いの決着したとき、ふたりのうちどちらかひとりは確実に消える。

 それが現在の自分の思い人であった場合、自身も含めてこの場にいる者全員が彼と運命を共にする。

 そして、兄アリスト・ブリターニャが消える場合は、兄だけではなく父や母も消える。


 自分に待っているのは不幸なだけの二者択一。


 苦みの強い暗い表情をしたホリーの肩に手を置いたのはアリシアだった。


「何が正しいのか?それは正義と同じ。その人物の立ち位置で変わってくるものなのです」


「そして、私たちは今ここに立っている」


「つまり、私たちにとっての正義や正しさは、アリスト殿下ではなくグワラニー様の側にあるということです」


「そこにつけ加えれば、少なくても私や王女殿下の時代にはアリスト殿下が懸念することは起きません。逆に平穏な未来を願うアリスト殿下の希望が成就した場合、彼に抗った私たちはこの世から消えることになります。遠い未来について責任を負う立場になく、そうなると生きていくことができない私が無責任に主張するならば……」


「それによってその時代に生きる者が皆平和な世界で安心に暮らせるのであれば十分」


「未来に起きることは未来の者が考えればいい」


「それは先人たちが私たちのことを考えて生きてきたわけではないと同じ。その時代の問題はその時代の者が考えればいいでしょう」


「少なくても、未来のために現在に生きる自分が不幸になる必要はまったくないということです」


 アリシアの言葉に顔を真っ赤にしたホリーは何度も頷く。

 そして、アリシアの言葉が終わったところで、それを待っていたグワラニーが口を開く。


「さて、少し話が逸れましたが、アリスト王子の言うところの、悪逆非道な集まりである我々はアリスト王子と違い自らに正義の枷をつけることはなく自身の利益のために最大限の努力をすることができるわけです」

 

「我々にとって明確な敵意を示しているのはブリターニャとフランベーニュ。そのうち、ブリターニャはアリスト王子とフィーネ嬢がいる以上、簡単に攻略はできない。そういうことであれば、我々としては、より弱い方をさらに弱体化させ、こちらがブリターニャと本格的な戦いを始めた時に手を出せないようにしておく」


「そして、そのために今回はおこなうことは最初に言った噂を流すことということになりますが、これをやる場合に、その発信者が誰かがわからないようにするための基本的なことがいくつかあります。ひとつ目は……」


「伝えた本人の意思がある言葉と思われないこと。もうひとつは、多くの者が別々の場所で噂を流す」


「後者について少し説明しておけば、別の場所で同じ話に出会うことが数度起こると、その者にとっては、もうその噂は噂でなくなる」


「それから流したい噂を多くの話に混ぜ込む。意図するものとは正反対の言葉を盛り込むのも効果的です」


「言葉というものは量の差はあっても必ず口にした者の感情が加わる。気の利いた者は聞いた話から相手の意図を探ることができる。そして、それによって相手がどのような利を得ようとしているかも掴む。ですが、流し方に注意することによってこちらの意図が露見する危険が大幅に減らすことができます」


「……すごい」


 ホリーはグワラニーの言葉に思わず声を漏らす。

 だが、これはグワラニーの完全なオリジナルというわけではない。

 というよりも、別の世界で教え込まれた知識とテクニックを披露したと言ったほうが正しい。


 彼がこの世界にやってくる前に属していた組織にとって世論操作というのは非常に重要であった。


 政策を強引に進めるとき。

 組織にとって不都合な事態が生じたとき。


 そのような場面になったときに、彼らはそれをおこない、国民の目をそこから遠ざけ、自らにとって都合の良い世論形勢を構築していく。

 それをおこなうための硬軟取り揃えたそのやり方が記されたマニュアルがその組織には存在していた。

 その一部をこの世界に使用できるようにアレンジしたのだ。

 

「まあ、長い文官生活で身に着けたものですね」


 グワラニーがそのアイデアの出どころについてそう表現したが、真実を知った者から見れば、それは微妙にニアピンと言ったところであろう。


「さて、次に流す内容ですが……」


「その前提として、フランベーニュ国内では現在このような噂が流れています」


 そう言ってグワラニーはニヤリとする。


「アストラハーニェでは強権的な王が廃され、民に寄り添った新しい王が改革に乗り出した。民は軍務から解放され、威張り散らしていた貴族が消え、平民がすべての主役になり国全体が活気に満ちてきた」

「……それはグワラニー殿が流したものなのか?」

「いいえ」


 老魔術師からの問いにグワラニーは即答する。


「そもそもアストラハーニェの現状とその噂は随分と乖離している。こんな噂を持ち込んでも鼻で笑われるだけでしょう。つまり、これはアグリニオンの商人たちがアストラハーニェで見聞きした話がかの地で大きくなり、さらにその噂がフランベーニュ国内でさらに育った結果です」


「噂とは生き物のように育つ。これがその例です」


「そして、噂についてひとつ付け加えるならば……」

 

「人は自分が信じたいものを信じる生き物である」


 そう言ったところっでグワラニーはもう一度笑う。


「たとえば……」


「小麦不足が原因で食料が手に入りにくいフランベーニュでふたつの噂が流れる」


「ひとつは王家が小麦を大量に抱えているが、その小麦を放出すれば小麦不足が一気に解決する」


「もうひとつは王家が抱えている小麦はあくまで軍に対する備蓄であり、たとえそれをすべて供出しても国民全員分にはならない」


「このときフランベーニュの民が飛びつくのはどちらかといえば、もちろん前者」


「実は事実である後者が正しく、『すべてを供出しても一部の者だけが小麦が手に入るという極めて不平等な事態になるうえ、来年以降に軍においても食料不足という事態なるためそれはできない』と、どれだけ説明してもそれを納得する者はいない。それどころか、王の犬と叩かれるのがオチでしょう」


「まあ、そういうことでそれらしい言葉で噂を何度も聞かせてやれば、後は勝手に進化しながら広がっていく」


「そして、ダニエル王子の耳に入る頃にはその噂は真実と認識されているわけです。対応するダニエル・フランベーニュにとってこれは非常に厳しい状況といえるでしょう」


「結局どの選択肢もハズレという最悪のクジなのですが、先ほど言ったとおり、ここは後々にやってくる災難と軍からの非難を承知で穀物庫を開放し目の前の流れを止めるしかない」


「そして、最悪の選択は自身の正義を信じ、声を上げている者たちを力で押さえつけることでしょうね」


「もし、ダニエル・フランベーニュがこれを選んだ場合、我々のフランベーニュ侵攻は案外早くおこなうことになるかもしれません」


「……むろんこれはフランベーニュの民を武器に使うようなやり方」


「それは否定しません」


「そして、非難についても受け入れます」


「ですが、我々がおこなっている戦争とは、子供たちが木刀を振り回す遊びや、吟遊詩人が語る冒険譚に登場する敵であっても相手を思いやる聖者たちのおこなう美しさ溢れるものは違うのです。なにしろ、敗北は死を意味し、勝利にもそれにふさわしい対価が必要なのですから」


「勝つためなら。そして、そこに味方に損害が出ないという条件がつくのであれば、私はどれだけ道にはずれた行為であっても躊躇わずおこないます」


「そもそも国と国との戦いは戦場だけでおこなうものでも、正々堂々と剣を振り回すだけのものでもないのです。いや……」


「情報。物流。そのような戦場以外でのものこそが重要であり、そのすべてを含めて戦いであることを認識できない者はその戦いに勝利できません」


「……今の高尚なお話とは少々離れることをお尋ねします。グワラニー様」


 その場を支配する冷たさだけを纏ったグワラニーの言葉が終わった直後、言葉を挟み込んだのはアリシアだった。

 グワラニーが右手でそれに応じると、アリシアはすべてを溶かす温かい笑みとともに口を開く。


「クペル城に滞在するフランベーニュ人の女性とその子供ですが、彼女たちの帰国はどういたしますか?」


 最後の妊婦の出産からそれなりの日が経ち、移動させても問題ないと判断できる時期が来た。

 つまり、帰国日が迫っているのだが、それについてはどうするか?


 アリシアはそう問うたのである。


 もちろんグワラニーが失念していたわけではない。

 それどころか、今回の策を俎上に上げた時点で、彼女たちはネズミとして王都に放ち、情報を拡散させる手段に使えることに気づいていた。

 もし、グワラニーが本当に勝利至上主義者であったのなら、躊躇うことなく彼女たちを使い捨ての駒として使用するだろう。

 だが、グワラニーはそれを思いついた瞬間に捨て去っていた。

 それこそがグワラニーが自他とも認める謀略家とは違うものがその核にあることを示していたといえるだろう。


 そして、実を言えばグワラニーは迷っていた。

 必要な物資の多くが不足し、さらにこれから動乱が起こる可能性が高いフランベーニュに彼女たちを帰すのは適当ではない。

 すなわち帰国の延期。

 それとも予定通りに家族のもとに帰すべき。

 そのどちらかがベターな選択かということを。


「まず、予定通りフランベーニュに帰すか帰さないかという選択ですが……」

「夫のもとに送り届けるべきでしょう。もっとも、あの時一緒に戻らなかったことに腹を立てた夫から離縁された方が結構いますが」

「ということは、その方はクペル城に残すと?」

「いいえ。彼女たちにも実家がありますので同じように戻すべきでしょう」


 自分よりもフランベーニュ人女性と繋がりのあるアリシアの言葉に頷いたものの、これから混乱がやってくることがわかっているフランベーニュに彼女たちを放りだすのは気が引ける。


「この状況で彼女たちを帰した場合、騒動に巻き込まれる可能性が高いですが、それについてはどう考えますか?」

「懸念があるから帰さないということであるのなら、我が国とフランベーニュの戦いが終わるまで彼女たちはフランベーニュには帰ることはできなくなります。そういうことで、彼女たちをフランベーニュに帰すことが最良の選択と思われます」

 

「より完璧を期すならば、今後起こり得ることを説明したうえで、いくつかの選択肢を示し、その中から本人たちに選ばすということにすればよろしいでしょう。すなわち……」


「このまま我が国に残る」


「一度フランベーニュに戻るものの、家族を連れて再び戻ってくる」


「今後フランベーニュで家族とともに暮らす」


「大別すればこの三つでしょうか」


 アリシアはそう言ったところで、一度言葉を切り、それからもう一度口を開く。


「そして、三番目の選択した者は我が国と無縁となり、今後どうなろうが、グワラニー様が思い悩む必要はないでしょう」


「まあ、それは女性たちそれぞれの考え方となるのでしょうが、とりあえず問題は送り帰す方法ということになりますが……」


「ミュランジ城の連中に引き渡せばいいだろう」


 アリシアの言葉の直後、老魔術師からやってきたその提案は十分に妥当性のあるものであった。

 だが……。


「王都が最終目的地であったとした場合、ミュランジ城から王都までの道中に護衛がつくかどうかわかりませんので安全に難ありというところでしょうか」


 それがアリシアの言葉だった。


「最低でもフランベーニュの王都アヴィニア到着まではこちらの責任ということになります。ですが、我々が王都に乗り込むのは揉め事を呼び込むことになるため避けたほうがいい」


「そうなると信用できる第三者に頼むことになるわけですが、選択肢は勇者一行、というかフィーネ嬢。次にカラブリタ商会。それからチェルトーザ氏というところでしょうか」


 グワラニーは視線を動かす。


「どう思う?バイア」

「チェルトーザ氏でしょうね」

「アリシアさんは?」

「私もアリターナ経由がいいと思います」

「理由は?」

「彼には公的な肩書があります。もちろんカラブリタ商会の長アドニア・カラブリタは国の頂点であるから本来の肩書でいえば上位なのでしょうが、フランベーニュの役人たちの感性では彼女は小生意気な一介の商人。それに対しチェルトーザ氏はアリターナの公爵家の実質的当主。そして、まもなく宰相になるという噂。さらに『赤い悪魔』の長。これだけの肩書は他国とはいえ、役人にとって相当な圧力となるでしょう」

「では、チェルトーザ氏に頼むことにしよう。そして、かのふたりにはさらにもうひと仕事を頼むことにしましょう……」


 そして、クアムートで会議がおこなわれてから十日後。


 その噂が最初に流れ出したのはフランベーニュ西部。

 つまり、アリターナとの国境の検問所周辺。

 時を同じくしてフランベーニュの各港にも同様の噂が流れだす。

 そして、その噂はこのようなものだった。


「フランベーニュの王家はアヴィニアの王城内にフランベーニュ全国民が数年食べていけるだけの小麦を隠し持っている」


 当然のようにその話にはすぐに尾ひれがつく。


「王家は王都だけではなく各地の離宮内にも相応の小麦が隠している」


「宰相ダニエル・フランベーニュは国民の不満の声が大きくなっているのを憂慮し、これ以上不満の声が高まった場合、溜め込んだ小麦の放出もやむを得ないという決定を下した」


 そして、その噂が王都にも蔓延してしばらく経った頃、クペル城に滞在していたフランベーニュの女性と子供がアヴィニアに戻ってくる。

 実はこのタイミングも重要だった。

 たとえば、これが逆になった場合、彼女たちが噂を流した張本人と疑われる可能性もある。

 その点、噂が流れているところに戻ってくれば、彼女たちには疑いはかかることはない。

 だが、このタイミングは彼女たちの安全を確保するためだけのものではなかった。

 

 実をいえば、噂の出所を探していたダニエルはこの情報を掴むと、それまでこの噂を流した悪党候補の一番手としていたグワラニーをリストから外す。


 彼女たちはその噂を流す駒として最適。

 あのグワラニーがそのような駒を使わずに済ますはずがない。

 つまり、それを使わなかったということはこの件に関してはグワラニーはシロ。


 それまでこの手のことをおこなってきたダニエルのいわば加害者側の思考。

 さらにその鋭い洞察力。

 それを逆用したグワラニーの勝利となる。


 そして、グワラニーの推測どおり、国境付近で流れ始めたその噂は王都に辿り着くころにはとんでもないものにまで成長しており、ダニエルは犯人捜しなどやっている暇はなくなる。


 この事態にどう動くべきか。


 ダニエルは苦悶していた。


 実をいえば、この問題に対する文官たちの意見はほぼ統一していた。

 力による封じ込め。

 そして、それはまさにこの策を開始するにあたり、グワラニーがホリーに対して口にしていたこと。


「自分の食い扶持しか考えていない平民や下級貴族どもの声など聞く必要などない」

「奴らは小麦畑を食い荒らす虫と同じ。あればあるだけ食べる。そんな者たちに貴重な備蓄をくれてやるのは捨てるのと同じ」

「そもそも備蓄は王家と軍、それに我々のためのもであり、その量も一年分。それを放出してもわずかの者にしか回らないだろう。そんなことをしたら混乱が大きくなるだけ。食料を放出したうえにそれが原因で混乱を起こすなど愚行の極み」


 そして、彼らを統べるダニエル自身も文官たちと同意見であった。


「……今後も魔族どもが小麦畑を襲撃するのは避けられない。そのような状況で備蓄している食料を平民たちのご機嫌取りに使うわけにはいかない」


 むろん、多くの数的根拠によって示された文官たちの主張は正しい。

 それは特別な選民意識があるわけではないダニエルも同様の意見を持っていることからも明らか。

 だが、それに反対する者たちも当然ながら存在する。

 そして、意外ではあるがその大部分は軍人であった。


 ただし、軍人といっても上層部の大部分を占める爵位持ちの貴族ではなく実際に鎮圧にあたることになる実戦部隊の指揮官たちだ。


 敵ではなく自国の民に剣を向けるなど、自分たちの矜持にかけて許さぬ。


 それが彼らの言葉となる。


 だが、それとともに、その主張は王太子であり事実上の国王でもあるダニエルの命令に背く行為。

 反鎮圧派の旗頭と押し立てられ板挟み状態になり、困り果てたロバウが相談に出向いたのはロシュフォールの屋敷だった。


 そして、幸運なことにそこにはロシュフォールの知恵袋ともいえる魔術師長オートリーブ・エゲヴィーブがいた。

 もちろんそれは本当に偶然であり、彼は妻であるエメリーヌとともに夕食をともにしていたのだ。

 だが、深刻を顔全体で表現したロバウにその目的を察したロシュフォールの妻アルテは即座に反応し、男女別部屋での食事会に変更する。

 そして、ふたりの男を客人が待つ部屋に追い立てると、ニコリと笑い、こう言って扉を閉める。


「こちらはこちらで楽しくやらせていただきますので、必要なときはお呼びくださいまし」


 三人だけとなったところで、ロバウはまず謝罪をするものの、食事が途中となったふたりは特別にそれを怒る様子もなく軽く流す。


 そして……。


「実は……」


 ロシュフォールに促され、そう応じたロバウの口から続いて流れ出たのはもちろんダニエルの命令について。

 矜持と命令の板挟みとなっている苦悩だけで出来上がったロバウの言葉を聞き終える頃にはロシュフォールの表情もロバウのそれと変わらぬものになっていた。


「王都に駐屯する陸軍がそれに応じないとなると、宰相殿下の護衛隊か海軍に命令が下るのは確実だ」


「まあ、護衛隊は忠誠心だけで出来上がっている奴らだ。それに応じるだろう。だが、奴らの数ではできるのは王城周辺くらい。当然海軍にも命令はやって来るものと思った方がいい」


「というより、ロシュフォール殿に直々に命令が来るだろう」


 そう言ったロバウは数瞬の沈黙後、打ち明けたのは、今回の騒動の前段にあたる部分、つまり、アストラハーニェに対する工作についてだった。


「……余計なことを」

「言いたくはありませんが、エゲヴィーブの言葉どおり宰相殿下は余計なことをなされた」

「まったくだ。だが、あそこで私がもう少し強く諫めるべきだった。そういう点では私にも責任はある」


 ふたりの感想にそう応じたロバウはロシュフォールに目をやる。


「極言すれば宰相殿下がやろうとしているのは、不当な要求とは言えぬものを口にしている自国民を軍の武力で黙らせるというのは暴挙。やはり、それは止めなければならない」


「その協力をお願いしたい」

「だが……」


「実質的な国王の命に背くということになることは脇に置いても……」


「そもそも宰相殿下も無下に民の言葉を蹴り飛ばしたいわけではないだろう。ハッキリ言えば、現在のフランベーニュはやりたくてもできないのだ。敵がいない場所だけで勇ましいことを言う酒場の自称勇者たちと違って我々は目の前に宰相がいる。当然その点も考慮しそれに対する対案も用意せねばならない」


 エゲヴィーブはそう言うと、ロバウを見やる。


「ロバウ殿」


「宰相殿下を納得させられるだけの対案はあるのか?」


 有効な対案があるのか?


 そう問われて「ない」と答えては、まさに、ただ反対という言葉を声高に叫んでいる酒場の勇者たちの同類となるわけなのだが、実際のところ、ダニエルが直面しているのは、「相手が要求しているものを自分たちは持っていない」という解決不可能な問題だ。

 その対策がロバウが答えらえる程度のものであれば、文官やダニエル自身がとっくに思いついている。

 ロバウ、ロシュフォールはともに黙り込むなか、エゲヴィーブはさらに言葉を重ねる。


「王城の穀物庫の開放を要求する民たちを武力で鎮圧する宰相殿下の方針に反対するのはよしとしても、その対案もなくそのまま放置するというわけにはいかないだろう」


「……ここは出せるだけは出すしかないでしょう」


 言葉が詰まるロバウに代わりそう答えたロシュフォールの言葉はさらに続く。


「そして、それを説明するしかない」


「信じるかどうかはわからぬが、そうするしかない」

「理解した。だが、提督」


 その言葉の主はむろんエゲヴィーブ。


「宰相殿下だってそれで話がつけば一番だということはわかっているだろう」


「だが、王城に備蓄されている大部分は軍に対するもの。さすがにそれは手をつけられない。それを省けば、すべてを供出してもたいした量ではない」


「つまり、すぐにやってくる再びの要求運動時には手札がない状態で臨むことになるが?」

「それでもやるべきだ。そして、最初の供出にあたり、事情を説明する」


「出せるものはすべて出したと」

「なるほど」


 エゲヴィーブは大きくため息をつく。

 そして、自身の上官を見やる。


「提督がそこまでの覚悟があるのならひとつ案を提供しよう」


 数瞬のタイムラグ後、エゲヴィーブは再び口を開く。


「まず、ダニエル殿下に面会し、軍による鎮圧に反対する」


「当然それに対し、ダニエル殿下はこう言うだろう。それは重々承知している。だが、それ以外の策はあるのか?と」


「それに対し、提督はこう言うのです。自分にすべてを任せてもらいたい。そして、具体的に王族用の備蓄、それから、軍用の備蓄の半分を全国民に対して供出するという提案をする」


「その提案をすれば、当然先ほど私が口にした問題が持ちだされる。それに対して、民を説得するという話になるわけなのだが、ここでも肝は、それを宰相ではなく、『新・フランベーニュの英雄』である提督がおこなうと言うこと」


「それと……」


「これを実現させるにあたり宰相にもひとつ約束する必要がある」


「この策でも騒ぎが収まらなかった場合、自分が鎮圧をおこなうと」

「結構厳しいな」

「ああ。特に最後のものは」


 エゲヴィーブの言葉の直後、ロシュフォール、ロバウの順にその感想を口にした。


「だが、これくらいの責任を負わねば、宰相殿下から小麦は引き出せない」

「そうだな」


「だが、気は進まんな」

「そうは言っても、この提案をしなければ、鎮圧は即座に始まり、宰相殿下と国民の間には大きな溝ができる」


「さらにいえば、過去の例を考えれば、一度枷を外した者はもう止められない。おそらく、宰相殿下は自身の言葉に反する者には誰であろうと容赦なく武力を行使するようになる。それはまさにフランベーニュのアルフレッド・ブリターニャ。そのような事態は避けねばならない」


「……わかった」


「やろう」

「もちろんこの話を持ち込んだのは私だ。民を弾圧する役は参加させてもらう」


 善は急げ。


 この世界にはない格言通り、三人はすぐさま動く。

 そして、ロシュフォールの提案、その前半部分を聞き終えたところで、ダニエルが口を開く。


「提督は理解していると思うが、これは宰相たる私の決定だ。しかも、これは軍に関わることではない。もちろん暴徒と化した者たちの排除は軍によっておこなわれるものではあるが、その前段である部分については軍人が口を出すところではない」


「違うかな」


 ダニエルの言葉は間違いなく正しい。

 だが、それを承知のうえで王宮に乗り込んでいるのだ。

 当然ここで引き下がるわけにはいかない。


「もちろんその点は承知しています」


 必要以上に熱を帯びたダニエルの言葉に対し、ロシュフォールのそれは極めて冷静。

 そう表現できるものだった。


「ですが、殿下の命は、我が軍の剣を向ける相手が敵ではなく、本来護るべき国民であるというところは事実。それを避ける要求をすれば、その前段について言及せざるを得ないということになります」


「その点については理解いただきたく思います」

「なるほど。筋は通っているように聞こえる。では、聞こう」


「民に剣を向けなくて済む良案を」


 想定通り。


 もっともこの流れからそれ以外の道に進むのはあまり考えられないのだが。

 とにかくダニエルからやってきたものは、ロシュフォールにとって想定どおりの言葉となる。


「当然彼らの要求に応じます」

「それは?」

「もちろん国が備蓄している食料を国民に対して供出します」

「なるほど」


 その言葉とともにダニエルの表情は急激に険しさを増す。


「提督。この王城と各地の穀物庫に備蓄されている小麦の量を知っているか」


「王城に住む者たちと王都の防衛にあたる将兵の分が二年分。さらに全軍の一年分。それだけだ」


「すべてを王都に住む国民に渡しても百日ももたない」


「その後についてどうするつもりかな?」


 これまた予定通り。


「最初の問いについては私も軍のそれなりの地位にある者。我が国が軍に対してどれくらいの食料備蓄があるかは承知しています」


「そして、王宮に関わる備蓄に関してもある程度把握しております」


 ロシュフォールはそう前置きしたところで本題へと踏み込む。


「その権利がないことを承知で言わせてもらえれば、それでも王城で備蓄された食料は国民に向けて供出すべきです。しかも、できる最大のものを」


「それから、その後についてですが……」


「まず、供出するにあたり、国民に向けて説明をします」


「これが次の収穫時期まで国が出せる最大限のもの。そして、これ以上の要求をされた場合は国の安全を守るための行動を起こすと示します」


「王太子殿下。よろしいか」


 ふたりの会話に割り込むように言葉を挟み込んできたのはエゲヴィーブだった。


「ここで重要なのはその説明というか、宣言をする役だ」


「非常に言いにくいことだが、この役は王太子殿下では務まらない」


 当然その言葉はダニエルの気分を害するに十分なものだった。

 相手を睨みつけ、こう言い放つ。


「国の一大事に国を統べる者が説明しなくてどうする?」


 だが、相手はすでに対応の言葉を用意してきた。


「まあ、それは王太子殿下の言葉どおり。そして、そういうことであれば、その役の担うのは国王陛下であり、王太子殿下ではないとも言える」


 そう言って、ダニエルを黙らせたところで、エゲヴィーブは言葉を続ける。


「もちろん、それが叶わないのは承知している。なにしろ、私はそれに手を貸したひとりなのだから」


「だが、問題なのはそこではない。王太子殿下がその地位に就いてから何か国民に支持されるようなことをしたかといえば、ないと言っていい。それこそが問題だ。そして、今回の件だ」


「この事態をここまで放置していた王太子殿下の言葉では国民には響かない」


「そこでその代わりの者がそれをおこなう」


 いったい立場が上なのはどちらなのかと疑いたくなるその会話をエゲヴィーブが締めくくると、自身を睨みつける者に目をやる。


「それをおこなうのにふさわしい者。むろん、それは『新フランベーニュの英雄』」


 ダニエルの視線がまずエゲヴィーブ、続いてロシュフォールへと動く。


「つまり、その宣言をするのはロシュフォール提督だというのか?」

「そうなりますな」


「そして、その宣言をするということは、平民たちの騒ぎが収まらなかった場合は提督が自身の直属部隊を率いて鎮圧するということだな」


「はい」

「もちろんその時は私も兵を率います」


 自身の問いに答えるロシュフォールに続いたロバウをダニエルは厳しい表情で睨みつける。


「将軍。私が鎮圧を命じたときにはそれを拒否しながら、ロシュフォール提督の手伝いはするというのはどのような了見かな」

「こちらの打てる手は全部打った。それでも流れが止まらず国の行く末が危ういということになれば、止むを得ないということです」


 ロバウとエゲヴィーブは、自分よりロシュフォールのほうが上と見ている。


 それはダニエルにとって許容できるものではない。

 だが、それと同時にそれと同時にロシュフォールほどの覚悟が自分にあるかといえば、ハッキリとあるとはいえない。


 ここはそれを受け入れるしかない。


 それにそうなった場合、海軍も陸軍も鎮圧部隊を出すことを約束したのだ。

 相応の対価は得ていることになる。


「よし。では、王城にある食糧を放出することを約束する」


「そして、その宣言とやらをおこなう役は提督に任せる」


「その代わりに騒ぎが収まらなかった場合には無礼な輩は必ず鎮圧してもらう」


 最終的には自国の民を弾圧することになる。

 だが、やることもやらずにそれを始めてしまっては隣国の歴史的有名人であるその人物と肩を並べるフランベーニュ史上最悪の為政者として歴史に名を残しかねない。


 ロシュフォールの主張は間違っていないとダニエルも思う。

 だが、効果の薄い貴重な食料をばら撒く行為をおこなうこのは愚行という文官たちの主張を理解している。

 ダニエルの思考は圧倒的にこちらに近いのだが、目の前で起こっている出来事を放置できない以上、ロシュフォールの提案に乗るしかない。


「では、五日後に王都でその宣言をおこないますので、すぐに供出できるよう準備をお願いします」


 ロシュフォールはそう言って王城を出ると、向かったのはミュランジ城だった。


 ダニエルのもとを訪れる少し前。

 最後の調整をしていたロシュフォールたち三人はこのような言葉を交わしていた。


「我が国がこのような醜態を晒していると、グワラニーが蠢動し始めるのではないか?」

「というより、もともとこの噂はグワラニー氏が焚きつけた可能性があるだろう。もっともいつも通り、そのような証拠は何もないのだろうが」


 ロバウの疑問にエゲヴィーブがそう答える。


「ということは、この状況はあの男が望んだとおり。となれば、ここからなにか仕掛けてくるということになるが、現状で手一杯な我々としては、もう打つ手はない」


「では、そうさせないように釘を刺しておくべき。いや。言葉を取り繕ってもしかたがない。お願いしにいくしかないだろう」


 苦虫を百匹ほど口に入れた表情で口にしたロバウの言葉に、同じ表情でロシュフォールが応じる。


「ありがたいことに証拠がないというのであれば、気づかぬふりをしてお願いにいけばすんなりと話は通るかもしれない。もちろん相手のことを考えれば成功するかどうかはわからない」


「だが……」


「自国の民に剣を向ける最悪の事態を避けるためにできることだけはやろうではないか」


 むろん、ミュランジ城クロヴィス・リブルヌも王都の混乱についてはある程度把握していたものの、ダニエルが軍を動かして食料を要求する国民を鎮圧する計画を立てていたことまでは知らず、初めて聞かされたその話に驚く。


 もちろん軍の人間にとって上官の命令に従わぬことが禁忌事項であることはリブルヌも承知している。

 だが……。

 

「それ以外の選択肢がないとはいえ、国を統べる者が民に対して軍を動かすようではその国に未来はない」


 そう言ってロシュフォールたちの行動を支持することを表明する。

 もっとも、リブルヌはそれをおこなったことですべてが解決しないことにも気づく。

 いや。

 一時凌ぎでしかないこと。

 だが、それでも目の前に迫った暴動とそれに対する武力行使を遅らせることはできる。

 つまり、やらないよりマシ。


 その程度でも今はやるしかない。

 リブルヌはロシュフォールたちの置かれた状況を理解した。


「その一時凌ぎがより長くなるためにあの男の了解を取り付けるということか」 


「承知した。では、グワラニーとの会談を申し込む」


 そして……。


「……なるほど」


 会談の申し出に応じてロバウたちを自国領に招き入れたグワラニーはロシュフォールの説明が終わると短い言葉でそう応じた。


 むろん彼らが言いたいことはすべて理解した。

 そして、自分たちがそれとは無関係という立場である以上、この件が終わるまで関わるなというロシュフォールの主張も一応の筋は通っているといえる。

 だが……。


「だが、我々とフランベーニュは交戦中の間柄。相手が弱っているのであればつけ込むのは当然のことだと思うのだが?」


 グワラニーの言葉もまた真なるものといえる。


「しかも、わざわざ自分たちの混乱を敵に知らせるというのはどういうことだろうか?」


「ダニエル王子はどのような意図があるのだろうな」

「いや。これは宰相殿下の意志ではなく、我々が独断でやっていることだ」

「なぜ?」

「言いたくはないが、殿下は暴徒鎮圧を指示したが、我々は別の提案をした。それの成功のためだ」


 ロシュフォール、ロバウ、リブルヌという常識あるフランベーニュ軍将軍級の者が実質的国の最高権力者の指示に従わず、さらに重要情報を敵に流すということがあり得るのか。


 グワラニーは疑ったものの、状況からすぐにそれが真実であることを察した。

 それとともに、本人たちの意識とは別にフランベーニュは瓦解への道を進み始めたことも理解した。


 ……為政者と国民を分断するはずであったが、王太子と軍の一部に亀裂を入れることに成功するとは予想外の戦果といえるだろう。


 むろんそれはグワラニーにとって喜ばしいことであり、当然その点については承諾する。

 グワラニーはさらに量は約束できないが、軍事用に転用しないという確約が取れるのであれば、王太子の知らないところから小麦を流すことを検討してもよいとまで言い切る。

 もちろん本音と建て前を使い分けて。


「感謝する。小麦の件はよろしく頼む」


 この交渉は当初の目標以上の約束を手に入れたフランベーニュ側は十分な成功といえるものだった。


 だが、グワラニーにとってもこの交渉は予想外のものを手に入れたといえるだろう。

 交渉を終え、クアムートに戻る途中、グワラニーは同行したバイア、アリシアとこのような会話をしていた。


「彼らが実質的な国王の命令に反する行動を出るとは思いませんでした」

「普通なら解任。下手をすれば断罪となるところですが、さすがに命令自体が軍人には承諾しがたいもの。それに反対したロシュフォール提督とロバウ将軍を切ってしまっては軍に対する求心力が失われる。その程度のことはダニエル王子もわかっているということでしょう」

「ですが、たとえ提督たちの企てが成功したとしても、あの三人とダニエル王子との間にできた溝は埋まることはないでしょう。そうなれば、こちらとしてもどちらを支持するか、今のうちに決めておく必要はあるでしょう」


「もっとも、グワラニー様はすでに決めているようですが」


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