夢のあとさき
アストラハーニェによる魔族領侵攻から始まった一連の出来事は、ここで一応の終結を見る。
戦いに敗れたアストラハーニェ王国はその後に起きた内乱によって政治体制が大きく変わったわけなのだが、それはまさに革命と呼べるもの。
そして、新王となったアレクセイ・カラシニコフが最終的に目指すのは貴族階級を廃した祖国をモデルとして実質的に国民主権の国家。
もし、これが成功すれば、いずれその流れは他国へも波及すると思われる。
一方、勝者となった魔族は一時的に危機的状況に陥ったものの、結局アストラハーニェ軍の排除したうえ、さらにアストラハーニェ領の一部を占領するという大戦果を挙げる。
さらに敗戦をきっかけに起こったアストラハーニェの内戦に乗じてアレクセイ・カラシニコフの後ろ盾として東の大国に対して大きな影響力を行使できるような立場も手に入れ、不安視されていた東方国境は完全に安定する。
また、対アストラハーニェ戦に際し、その力を背景にしたもののマジャーラとも一応の友好関係が構築できたことにより、事実上紛争地域は西部地域に限定されることになった。
この大成功の立役者はもちろんグワラニー。
ただし、そのすべてをグワラニー個人がおこなったわけではない。
対アストラハーニェ戦の大きな転換点となったマジャーラ国境から侵攻すること許可するようマジャーラ側と交渉をおこなったのはアリシアで、実際の侵攻で指揮を執ったのはバイア。
アストラハーニェの内乱に際し多くの難民を活用して長大な水路建設をおこなう計画を発案したのはクリストァン・ゴルダ、ジョルゼ・スペンセという軍官。
グワラニーひとりですべてをおこなわなければならなかったのであれば、ここまでのことはできなかったといえるだろう。
つまり、これだけの人材を抱えていることこそグワラニーの強み。
逆にそれを持たないことがライバルであるアリストの弱みとなる。
グワラニーとアリスト。
戦闘という括りでいえば、ふたりの才はあるもののほぼ互角と言っていいだろう。
魔法を使えるという点でいえば、アリストの方が上とさえいえる。
だが、当初互角、どちらかといえばアリストの方が上と思われた状況がグワラニーに傾きつつある理由の第一は組織の有無にある。
魔法は使えなくても有能な魔術師を抱えることでそれを補う。
自身の代わりになる者を用意することで多くの事業を同時におこなうことができる。
グワラニーには組織があり、個々の能力の差を十分に埋めることができ、さらにそれを活かして大きくなったのに対し、組織を持たなかったアリストは目の前の戦闘には勝利できたものの、それを保持できなかったのだ。
言い換えれば、「偉大な個」の、組織に対する敗北というところだろうか。
むろん組織にも欠点はある。
大きくなればなるほど、そして、組織が完成されれば完成されるほど硬直化する。
さらにその組織に権限が与えられていた場合、本来の目的よりも組織の利益を優先させてしまう。
これは古今東西、いや、どの世界においても同じ。
当然それは魔族の国でも起こっていた。
ただし、グワラニーはその弱点を克服するための策を講じ、悪影響を最低限にしたうえでそのプラス部分から生み出される果実を手に入れた。
では、ブリターニャの官僚制度はどうか?
実りもあったものの、その陰の部分も大きくなっていた。
王の才の有無に寄らず、安定して国政をおこなうための組織だったそれは、いつのまにか自分たちの言葉を頷くだけの王こそが良い王と考えるところまでその思考は進んでいた。
簡単に言えば、組織に指示を出す現在の王も彼らの基準では失格、まして、多くの点で規格外のアリストなど論外中の論外。
もちろんそれはアリストも感じている。
そして、当然彼もその組織を嫌う。
そう。
グワラニーと同じような組織を見ながら、アリストはその欠点に目が行ってしまった。
ただし、アリストが個人の力ですべてを解決しようとする勇者の思考で動いたのは組織を嫌悪していたからだけではない。
自身の能力が不足している部分を補うためには組織が絶対に必要だったグワラニーと違い、アリストには最初から必要な権力や財、そして力といったものがほぼすべてが揃っており、組織がなくても目的の達成が可能だったという事実も大きな要素だった。
そう考えると、アリストにとって不幸だったのは、個人の能力で状況を打破できたというそのこと自体だったのかもしれない。
そして、組織を持っていたこととともにグワラニーがアリストに対して優位に立った大きな理由は間違いなく戦いに経済を絡めてきた点であろう。
この世界の戦いは吟遊詩人の言葉のとおり、剣や魔法を駆使して戦う。
そこに戦術が組み合わされるわけなのだが、あくまで戦いは戦場でのみおこなわれ、そこに加わるのは武力を背景とした外交的なものくらい。
微妙な違いはあるものの、基本的にはアリストもここで留まっていたと言っていいだろう。
ところが、グワラニーはあらたな武器として貨幣や食料を加えた。
経済を抑えることで、実際に戦わなくても相手を屈服できるという思想で。
グワラニーはそのことを元の世界で得た知識から知っていたのだが、その先例と比較した場合、「飴と鞭」の鞭だけではなく「飴」政策も積極的におこなったことが大きな特徴となる。
グワラニーは法外な賠償金を要求し敵国の経済破壊をおこなったのは事実。
だが、それとともに、困窮した相手に救いの手を差し伸べたこともこれまた事実。
そして、今回のアストラハーニェやそれより少し前のノルディアの例を見るとおり、最終的にはそれによって敵国を影響下に置くことに成功している。
ただし、これをおこなうには莫大な資金や物資が必要になる。
残念ながらその個人的資質によってアリストには大盤振る舞いをおこなうことは不可能だったのだが、たとえ改心したとしてもそこまでの大金や物資を動かせるだけの権限は現在の彼にはない。
いや。
たとえブリターニャの王になっても、グワラニーがおこなっているようなことはおこなうことは国の財政が許さない。
そういう意味では、グワラニーがノルディアからせしめた大金は大きかったし、そもそも魔族の国が慢性的は過剰生産による小麦の在庫を大量に抱えていたことも幸運だったといえるだろう。
相手が優位なときには、笑顔を裏側でその弱点を見つけ突く。
そして、自らの優位になったら、絶対にその優位性を手放さない。
これは交渉におけるグワラニーの姿だが、それは他でも同じ。
つまり、様々な要因で対アリストにおいて優位な状況になったグワラニーからその優位性を奪うのは至難の業。
しかも、グワラニーにはアリストにはない、その手足となって働く多くの部下がいる。
事実上、逆転の目はない。
つまり、アリストがグワラニーより優れているのは戦闘以外には存在しないということだ。
しかも、それでさえ、組織がない状態では戦闘の勝利が戦争の勝利には結びつかない。
「このまま同じようなことをしていては、グワラニーとの差は広がるばかり」
酒場でアリストはそう呟いたが、それはアリストの焦りとともに自身の未来を言い当てたものとなる。