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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十七章 ある大国の死 そして再生復活
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新王誕生 

 この時点での王都ニコラエフカ内での両陣営の兵力はカラシニコフ派二万五千に対し、王弟派は三十三万。

 

 この数の差を利して王弟軍が攻め立てれば、カラシニコフ派に勝ち目などないように思えるのだが、必ずしもそうとも言えない。

 いや。

 それどころかカラシニコフはそれを望んでいたといえるだろう。


「戦いの武器。それは剣だけではない」


 それがこの圧倒的な数の差をどう克服するのかという兵たちからの疑問に対するカラシニコフの答えであった。

 つまり、カラシニコフは勝てると信じ集まった敵を魔法で一網打尽にすることを目論んでいたのである。


 通常の戦いで少数が多数に勝利する場合の基本戦術は各個撃破。

 つまり、多数といえども常に集中運用されているとは限らず、敵が戦力を分散させていれば、少数側は全軍で薄い部分を叩き、数の差を縮めていく。

 そして、グワラニーの本当の母国の古い時代におこなわれた「桶狭間の戦い」のように敵の本陣を叩き、首隗の首を取ってしまえば少数でも多数に勝利できるのである。

 少数が多数に勝つもうひとつの戦い方が、多数の利を生かせない場所を戦場にすること。

 これはこの世界の戦いでも多く見受けられるが、代表的なものをひとつ挙げておけば、マンジューク銀山を目指してフランベーニュ軍とアリターナ軍の同時侵攻がおこなわれた渓谷地帯の戦いということになるだろう。

 だが、それはあくまで通常戦力での戦いでの話。

 使用回数は限られるが特大の一撃を持った者であれば、ひとつの集団となっていてもらったほうがむしろありがたいのである。


 王城の正面門から延びる大通りに布陣したカラシニコフ軍二万五千。


 王城を守護するように対峙するのは王弟軍七万。

 さらに、王弟軍の総司令官ピトリアルはカラシニコフ軍に悟られないように遠回りにさせた左右各四万で包囲を始める。

 さらに、中央部隊の後方に二万の予備軍。


 アストラハーニェ軍の教書によれば、相手よりこちらが圧倒的に数が多い場合には半包囲が最良の策。

 半包囲で叩き、用意された逃げ場から敗走する敵を追撃して殲滅する。

 つまり、これは教科書通りの策。

 そこに予備部隊まで加えているのだ。


 数の差。

 そして、その配置。

 これだけを見れば、この世界と言わず、別の世界においても勝者と判定されるのは間違いなく王弟軍。


「これぞ必勝の策。敗走か降伏。それとも全滅か。どちらにしてもこれで終わりだ。カラシニコフ」


 半包囲が完成したところで、両軍の配置図を見ながら吐き出していたピトリアルの大仰ともいえる言葉はそう間違っていないと言っていいだろう。


 だが、ピトリアルはひとつだけ見落としがあった。


 相手に特別な力を持った者がいる。

 または相手は特別な武器を持っている。


 この場合に限り、その定石は通用しないということを忘れていたことである。

 正しくは、注意事項を忘れていたわけではなく、カラシニコフの魔力を完全に過小評価していたということになるのだが。


「さすが軍学校の校長だったピトリアル。まさに教科書通りの見事な半包囲策。だが、残念だがそれでは勝てない相手もいるのだ」


 カラシニコフは嘲りを込めて笑うと懐から杖を出す。


「……さて、始めるか」


 その呟きとともに、周囲を見渡し、まず、包囲する左右の敵に向けて一度ずつ、続いて前面に一度、さらにやや右に向けてもう一度杖を振る。

 たったそれだけ。

 だが、それで勝負は決まってしまう。


 もちろんアリストやフィーネ、それにデルフィン程の力はないため、一瞬ですべてを焼き払い殲滅というわけにはいかなかったのだが、それでも敵の防御魔法を破って左右両翼に大打撃を与えて敗走させ、正面と予備部隊にも大きな損害を与えた。


 カラシニコフは目の前に控えている伝令兵に目をやる。


「各隊に指示。突撃せよ」


 カラシニコフの魔法で大きな損害を受け、さらに恐怖を植えつけられ敗走が始まっていたとはいえ、それでも王弟軍には多くの兵が残っている。

 その状況で剣での戦いに移行するというのは、グワラニー軍ではありえない。

 この辺がカラシニコフと、彼が今回の策の参考にしたグワラニーの違いといえるかもしれないのだが、実を言えば大魔法を行使したカラシニコフの魔力はそう多くは残っていなかった。

 魔力をすべてを使い果たしてしまっては、状況が変化したときに対処できなくなる。

 その辺の事情を考慮すればカラシニコフの判断は妥当といえるだろう。


「戦いは数だけでやるものではないことを理解しろ」


 多くはその逆の戦いをおこなっているものの、実は典型的な数の信者であるグワラニーが自軍に追い立てられる王弟軍を眺めながらカラシニコフが呟いたその言葉を聞いたら一笑に付しそうであるのだが、まさに状況はその言葉どおり。

 多数派は少数派にあっという間に蹴散らされ敗走していく。

 いや。

 兵たちだけではなく、中級指揮官クラスの者にも寝返りが続出し始める。


 カラシニコフ派の大勝。


 王宮へ逃げ込んだ王弟派はこの一戦だけで死者四万、王宮に戻ったものは一万を少しだけ超える数だった。

 そして、死者の倍する数が戦場離脱、いわゆる逃亡者と寝返り組となり、王弟軍から脱落した。

 カラシニコフ派も六千の死傷者を出したものの、それを補って余りある数が新たに加わったため、戦いを始める前より兵が増えるという奇妙な状況になった。

 だが、大敗したとはいえ、王弟派の戦力は王城に残っていた兵をを加えれば、まだカラシニコフ軍の五倍以上残っていた。

 さらに、カラシニコフの魔力はほぼ底をついている。

 もし、王弟軍がここでもう一度攻勢に出れば、止むを得ず杖を振るったカラシニコフの魔力は完全にカラとなり、そこから始まるのは剣と剣の戦い、すなわち数の勝負。

 おそらくカラシニコフの命運はここで尽きたことだろう。

 だが、王弟側の諸将から再出撃を求める声が出ることはなく、結局両軍は睨みあったまま、夜を迎える。


 そして、翌朝。

 カラシニコフは降伏することを呼びかける。


 むろん自軍の二割しかいない相手からの降伏勧告など受け入れられるはずがなく、王弟派に拒否される。

 だが、前日の戦いの余韻が残っている王弟軍は城外での戦いは不利とみて籠城戦へと移行する。


 アストラハーニェの王城、正しくはプロガロードヌイ王宮は、高い城壁に囲まれ、本当の意味での王宮やすべての行政機能だけではなく都市機能も持ち合わせており、この世界にある他の王城と同様、王都の中にある城塞都市と言えるものだった。

 当然兵も多く、食料も十分。

 さらに地方の多くは自らの側に立つ者たちが押さえている。

 やがて、援軍がやってくる。

 その時に再攻勢をかける。

 それまで凌げば勝てる。


 それが彼らの目論見だった。


 だが、兵が増えるのはカラシニコフの陣営ばかり。


 そもそも周辺地域に駐屯している部隊や王弟派に忠誠を誓っている者たちはすでにやってきている。

 そして、正規軍の主力はマジャーラと戦闘中。

 そうなると唯一可能性があったのは王都からかなり遠方に駐屯している部隊ということになるわけなのだが、彼らも様々な理由をつけてもやってくることはなかった。


 彼らの任務は治安維持。

 そして、すでに王弟の命令に従い、駐屯部隊が王都に移動した町がその後にどうなったも知っている。

 さらに小規模ながら王都でおこなわれている戦闘の多くはカラシニコフ派が勝利しているという事実も彼らの足を重くしていた。

 故郷を捨てて敗者の側につき、わざわざ死に行く必要はないということである。


 こうして何も起こらぬまま睨み合いが始まって十日目。


 カラシニコフは遂に王宮へ最後通牒を突きつける。


 国政を壟断する王弟派は王宮から出て決戦に臨むべし。

 明日昼間までに動きがない場合、止むを得ず王宮への攻撃を開始する。

 その戦火に陛下や王族の女子供が巻き込まれてもその責は王弟ブロニィンツィ・チェーホフと彼に与するアリスタルフ・ピトリアルたち腐敗しきった軍幹部にある。 

 なお、こちらの要求どおり、王弟派が王宮を出た場合、王宮への攻撃をおこなわないことを約束する。


 だが、王弟派は当然拒絶する。

 むろんそれはカラシニコフが王に剣を向けることはできないという前提がある。

 たしかにそれは正しく、これまで攻撃を躊躇していたのはそのためであった。

 つまり、チェーホフは兄王を盾にしていれば自分たちは安全と思っていた。

 むろん、それはこれまでカラシニコフの行動から証明されている。

 だが、それととともに、それはすでに過去の話にもなっていた。


 すでに舵を大きく切ったカラシニコフは、最後通告として王宮内にいる王族とその家族、宰相ほか行政関係者、その他今回の戦闘に関係のない者、いわゆる非戦闘員の退避勧告をおこなう。

 もちろん安全を保証して。


 だが、王宮にはここでも動きはない。


「……これで義務は果たした」


 見張りからの報告にカラシニコフはそう呟くと杖を取り出す。


 やるからには中途半端というわけにはいかない。

 完全な形。

 すなわち現アストラハーニェ王とその後継者の完全抹殺。

 冷酷のようだが、このようなときの温情が悪い結果をもたらすことは歴史の中で数多く証明されている。


 カラシニコフは大きく息を吐き、それから杖を王宮へと向ける。

 そして、呟く。


「さらば、陛下。そして、すべての過去を焼く尽くせ」

 

 そして、その直後、王宮は火に包まれる。

 ただし、石材を使用している建物が焼き落ちたわけではない。

 だが、全体が火に覆われるので内部はとんでもない暑さになる。

 焼死はしないが、蒸し焼き状態にはなり得るということだ。

 さらに窓は木製。

 そこから火が入り、内部にある多くの可燃物に燃え移る。


 この時点で、アストラハーニェ王国の王アレクセイ・アストラハーニェは四人の妻、八人の子、そしてふたりの孫とともにあの世に旅立つ。

 もちろんカラシニコフのメイン・ターゲットであるブロニィンツィ・チェーホフ、アリスタルフ・ピトリアルも家族とともに死亡、さらに別邸にいた王の末弟ジェミヤン・クラスネノもまもなく冥界へと旅立つことになる。

 そう。

 現王と王に近しい者はほぼすべてが一瞬で消えたことになる。

 もちろん裾野の広い王族の血を受け継いだ者はどこかにはいるだろう。

 だが、事実上ここでアストラハーニェの王家は消えたといっていいだろう。


 そして、広大な王宮を包んだ炎が収まりかけたところで、カラシニコフの直属部隊の兵士が王宮に突入し掃討戦を開始する。

 このような時のお約束である大規模な略奪や暴行などはカラシニコフが事前に戒めていたため起きなかったことがせめてもの幸いとも言えるのだが、すべての場所が平穏だったといえば違う。

 当然ながら、王弟派に与し王宮に立て籠もっていた貴族は王都内に邸宅を持っていた。

 反抗の拠点になることを恐れたカラシニコフは勝ち馬に乗るために後から加わった者たちに点在するそれらの邸宅の制圧に任せたのだが、彼らはそこで盛大に宴が開催したのだ。

 そして、その凄惨な宴の終盤で起きた火事は二十七か所。

 結局これが周辺に燃え広がり、王都の五分の二が焼失する。


 これが後に「王都炎上事件」、または「ニコラエフカの大火災」として記録されるわけなのだが、少しだけ先の話をすれば、この日からそう遠くない未来でこの世界の王都の多くが火の海に包まれたうえで完全破壊される惨事が起こるのだが、この日の出来事はその先駆けともいえるものとなる。


 王弟派幹部たちの死亡。

 それに続く兵士たちの投降によって、カラシニコフ派により王都の制圧はあっさりと完了するわけなのだが、もちろんこれで終わりではない。

 いや。

 ここからが始まりと言ってもいいだろう。


 なにしろ、カラシニコフが考えていたのは、戦いに勝ち、権力を奪取するまでであり、その後の国を運営するところまでは考えていなかったのだから。

 彼にとって不幸だったのは、官僚組織が完全に消えたことだった。

 むろん地方組織など残った者たちを集め、官僚組織の再建から始めるわけなのだが、簡単に言ってしまえば、地方の村役人に国家の運営を任せようというもの。

 簡単にはできるものではない。


「こんなことならあの時魔族の国に逃げればよかった」


 待ち受ける難問の山に、国の運営に関わった経験のないカラシニコフは国民には聞かせられない悲しい泣き言を呟いた。


 だが、王制を倒した以上、自身が新しい王になり、そこから国を再建しなければならないという義務がカラシニコフについて回る。

 それとともに、彼は王族とは無縁な者。

 簒奪という誹りは免れない。


 むろん武力を使って正当化することはできる。

 だが、それをおこなった場合、その評価はもちろん、結末もろくなものにならないのは目に見えている。

 では、耳障りのいいものを並べ立てればよいのかといえば、それが実現できない時点で評価は急落する。


 だが、王位に就いたことを宣言をするにあたり、簒奪を正当化するだけのものを示す必要はある。


 彼方立てればこちらが立たぬ。


 不足したピースでパズルを完成することを強要させられているかのように右往左往するカラシニコフにそれを解決するヒントを示したのはアドニア・カラブリタだった。


「……私は一介の商人。政治には疎いです。まして、アストラハーニェの内情はまったくわかりませんし、今日初めて会ったカラシニコフ様がどのような世界を目指しているのかもわからぬ状況で何か提言をするというのはさすがに難しいと言わざるを得ません。ですが……」


「いくつかの事例だけで判断することにはなりますが、アルディーシャ・グワラニーという魔族の男は有能な軍人というだけではなく、優秀な為政者の素質があるように思えます。そして、あの男は元文官。崩壊したアストラハーニェの文官組織を立て直すことも可能ではないでしょうか」


「そういうことで、カラシニコフ様が相談すべきはアルディーシャ・グワラニーだといえるでしょう」


 勝利を祝いにやってきたアドニアを捕まえ、他人には言えない相談を持ち掛けたカラシニコフに、彼女は自身が持つ最高のカードを切ってみせた。


「だが、奴は魔族……」

「ですが、事実上の休戦状態でもあり、実際に窮地にあったカラシニコフ様を支援しています。すでに支援を受けているのに何を躊躇うものがあるのでしょうか」


「そもそも私のような部外者に相談をしなければならない状況なのです。利用できるものはすべて利用すべきでしょう」


「たとえ相手が悪魔であっても」


 そして、翌日。

 カラシニコフはグワラニーに会う。

 表面上は小麦の支援に対する礼と、戦いの終結を伝えるもの。

 だが、カラシニコフの本当の目的はその先にあるもの。

 もちろんアドニアから報告を受けているグワラニーはすべてを承知している。


「……すべてを承知しました」


 カラシニコフの言葉を聞き終えたところでグワラニーはそう応えた。


「王都の再建。それから新王朝の発足。そこにマジャーラとの戦いが加わる。これは並大抵の努力では解決しないでしょう」


「さらにカラシニコフ殿は簒奪者。国民に受け入れてもらうためには今まで以上のものを示さなければならない」


「そして、それは言葉ではなく見える形で示す必要があります」


「ですが、それをおこなうためには相当の軍資金が必要となります。とりあえず尋ねますが、カラシニコフ殿が葬った旧王朝の方々が溜め込んだものはどうなりましたか?」


 アストラハーニェの王宮には行政機関のほかに、貨幣鋳造所があった。

 当然相応の金や銀があった。

 さらに金貨や銀貨、さらに貴石も多数あったはずなのだが、すべて大火の洗礼を受ける。

 略奪をおこなわせぬよう、直属部隊に差し押さえに行かせたものの、すべてが材料に戻っていた。

 つまり、貨幣そのものはほとんど手に入らなかったのである。

 そして、鋳造もすぐには再開できない状況。

 さらに穀物蔵も焼け落ち、食料もない。


 ……天罰だな。これは。


 状況を聞いたグワラニーはそう呟いたのだが、実はカラシニコフも同じことを呟いていた。

 しかも、この世界には存在しない同じ言語で。


「……カラシニコフ殿」


「今のあなたの状況は助言を求めるというよりも助けを求めるというべきもの」


「そして、ハッキリいえば、それは国家そのものを助けるというべきものです」


「この前は冗談で言いましたが、その状況のアストラハーニェを助けるとなった場合、本当に我が国の属国となることを承知していただかないといけません」


「それくらいの覚悟がなければ手助けは難しいです」


「もちろんアストラハーニェが我が国の一部になるというのならそのような手続きは不要になりますが、さすがに誰もそのようなものは望まないでしょう」


「そうであれば、安定を手に入れるために提供する資金と食料の返済が終わるまではそのような状況を甘受していただく必要があります」


「そうでなければ、我が国の王からそれだけのものを引き出すことができませんから」


「まあ、属国と言っても、国の運営について我が国の指示に従ってもらう根拠のようなものと思ってください。むろん、この話は外に漏れるものではありません」


 厳しくはあるが、グワラニーも相応の譲歩はしている。

 なによりも、これ以上どころか、これ以外の選択肢がないのだ。

 カラシニコフは承諾するしかない。

 グワラニーは小さく頷き、さらに言葉を続ける。


「では、次にカラシニコフ殿は、新生アストラハーニェをどのような国にしたいかを指し示していただきたい。我々はそのような国になるようお手伝いしますので」


 一瞬後、カラシニコフ殿が口を開く。


「私はこれまでの秩序を破壊した簒奪者。拠り所はこれまでの為政者側に置くことは難しい。平民や下級貴族の支持を得られるものでなければならない」


「もちろん軍の支持は必要だろうが」


 そこからさらに続けたカラシニコフの言葉を聞きながら、グワラニーはその真剣な表情の裏側で苦笑する。


 ……まるで二十一世紀の日本。

 ……まあ、そこからやってきたのならそうなるだろうな。いや。権力を私腹を肥やすことだけに使用する腐った政治屋と政治屋と釣るんで甘い汁を吸う利権組織がいないのだから、王制とはいえ、二十一世紀の日本を基本にしたより良い国家になるかもしれない。

 ……そして……。


 ……言葉を端々からこの男は権力志向というわけでないことがわかる。

 ……そこに軍事的素養を加味すると、凡その職業は想像できる。

 ……まあ、独特の政治臭がしないところから背広組ではなく制服組なのだろうが。


 ……同郷の者のよしみ。

 ……そして、今後同じ道を歩く者として大いなる実験台になってもらうのだ。

 ……協力しよう。


「カラシニコフ殿の理想はこの世界に生きる者としては少々崇高過ぎて理解が及びませんが、とにかくその理想を可能な限り実現できるよう努力させていただきます」


「五日ほど時間をいただければそれなりのものを示すことができると思います。それまでは王都の治安回復と南部での戦線維持に努めていただきたいと思います」


「それと……」


「アストラハーニェに貨幣鋳造能力が無くなっているとのことなので、しばらくの間、我が国がその代わりを務めることにしましょう。材料さえ提供していただければ」


  実際のところ、貨幣不足はすでに始まっており、それについて打つ手なしだったカラシニコフはその申し出に感謝した。

 だが、これは諸刃の剣。

 経済の根幹にかかわる貨幣の生産を他国に依存するのだから。

 むろんその恐ろしさをは知っている。

 だが、この申し出の肝はそれを知っていても断れないというところ。

 ここは何があろうが依頼するしかない。


 魔族の国の王都イペトスート。

 その王宮。


「グワラニー。アストラハーニェの様子はどうだ?」

「順調です」


 王宮の主は自身の問いに対して答える目の前にいる男を見やる。


「まず貨幣の鋳造を請け負いました」


 その瞬間、王の表情が微妙なものへと変わる。

 軽蔑?

 いや。

 もっと別の種類の表情だった。


「貨幣鋳造は国の経済の根幹。よく許したな」


 そのとおり。

 しかも、魔族は貨幣鋳造に必要な材料も職人も多数抱えている。

 その気になれば、いくらでもその国の経済を混乱させられる。

 それだけ信用しているとも言えなくはないが、それでも貨幣鋳造権を簡単に渡すのは為政者失格ではないのか。

 王の短い言葉にはそのような意味が含まれている。


 グワラニーは笑みとともにそれに答える。


「やむを得ないでしょう。なにしろ自分の手で鋳造所を破壊したのですから」

「つくりたくてもつくれないということか」


「それで、次はどうする?」

「カラシニコフは自身の一族が王族として永遠に続く新しい王朝を目指しているわけではないようです。というより、特権階級が政治をおこなう王政を廃止する方向が望みのようです」

「つまり、我が国、いや、例の商人国家のような体制か。随分と苛烈な思想だな」

「もちろんそれは簡単ではなく、また、周囲に理解されるかといえば厳しいと思われます。ですが、彼がそれを望むならこちらはそれに進む道をつくってやるだけです。その後、内部で混乱が起きようがこちらには関わりのないこと。まずはなるべく早く王位に就いたことを宣言させ、走り始めてもらうこと。ここが肝要でしょう」

「簒奪して玉座に座ったら、引きずり降ろされぬよう必死になる。自身のおこないが正しいことを証明するために。たしかに」


 そう言った王は意味ありげにグワラニーに目をやる。

 そして……。


「わかった」


「いつかは知らないが、あたらしい小麦で返ってくるのだ。古い小麦を好きなだけくれてやれ」


 そして、約束の日。


「カラシニコフ殿。王位継承宣言の草案です」


 そう言ってグワラニーは最終的に自身が手を加えた軍官たちが作成したものを手渡す。


「いかがですか?」


 カラシニコフは読み進めていく。


「法と税、役務の公平の約束。これは?」

「人間社会に存在する貴族の一部はこれらが免除されていると聞いています。それを廃止するということです」


「血でなく、才によって取り立てをおこなうということか。悪くないな」


 グワラニーの説明に大きく頷いたカラシニコフは相手の男をもう一度見やる・


「ちなみに、魔族はどのようになっているのか?」

「法に関しては平等。税については税を納めるのは人間種のみで純魔族は無税。ただし、これは軍務が純魔族にだけ課せられているためで、人間種も軍務についていれば無税となります」


「それと昇進についてはほぼすべてが能力主義、というより、結果主義です。特に軍務に関してはそれが顕著です。私の部隊には本当の人間がふたりおりますが、ともに将軍を指揮する立場にいます。それはそれだけの才を示したからで、純魔族の者も人間の命令を受けることを拒むことはないです……」


 すべてを読み終えたカラシニコフは大きく息を吐く。

 むろん、望み通りのものとはいえ、その内容がこれまでのアストラハーニェの体制とは大きくかけ離れたものであり、これから進む道の困難さをあたらめて感じたからだ。


 その様子に薄い笑みを浮かべながら眺めるグワラニーが口を開く。


「もちろんもう少し整えられたものが望ましいのですが、すべての者に理解してもらうことを念頭に置いています。もし、お望みなら、役人が書きそうな文体に直させますが……」

「いや。これでいい」


「感謝する」


 二日後。

 その宣言は公布される。


 アストラハーニェ王国の名は引き継ぐものの、自分はそれまで続いたアストラハーニェ王家とは無縁な存在であることを公言する。

 これは事実上、簒奪を宣言するものとなる。

 カラシニコフは、続いて「すべての国民を平等に扱う」新王朝の方針を簡素な言葉で示し、それを示すために備蓄された食料を開放し王都を中心とした食料危機に対処することも約束し、王宮跡に建てられた安普請の仮王宮の脇には小麦が詰まった袋が山積みにすることでそれを証する。

 もちろんこれはグワラニーが用意したシナリオどおり。

 

 その直後、一時的に王都を離れ、前線に赴いたカラシニコフはマジャーラの一部隊を殲滅してみせる。

 もちろん指揮官クラスの大部分は王弟派であったのだが、劣勢だった戦況を一気にひっくり返したその実力の前には認めざるを得ない。

 渋々ながら忠誠を誓うことになった。

 これにより軍の掌握も成功する。


「言葉ではなく目に見える形の実績を示せば、すぐに支持は広がる。平民にとって為政者の出自などどうでもいいこと。自分たちを幸福にしてくれるかどうか。そこが重要なのだから。軍も同じ。血筋のいい連戦連敗の将と下賤ながら常に勝利する将。部下がどちらを選ぶかなどいうまでもない」


「まさに本当にグワラニーが言ったとおりだ」


 こうして、第一段階は無事終了したが、実はここからが本当の本番であった。


 自身が炎で焼いた行政システムの再建。

 これが成功しなければ国は回っていかない。


 だが、カラシニコフ自身は行政に関しては完全に素人。

 実際のところ、どこをどのようにしたらいいのか考えもつかない。


「それについてはこちらで手配しましょう」


 グワラニーはそう言うと、まず地方の文官たちを呼び寄せることで窮状を乗り切るが、今後は試験を通じて優秀な文官を集め、将来の幹部を育てるシステムの構築するように勧める。

 そして、それが軌道に乗るまでは、各部門の長となる者は自身の部下を充てることを提案する。

 これは魔族である軍官がアストラハーニェの文官を差配するということである。


「心配ないでしょう。彼らは同様のことを日々おこなっていますし、仕事上の問題は指摘してもつまらない嫌がらせなどしません。もちろん、机の下で何かを要求するようなこともありません」


「とりあえず、コフドル砦近くに専用の建物を用意しましょう。専門の担当官を常駐させましょう」


 むろん、これはアストラハーニェにとって大きな利があるわけなのだが、グワラニーの側にもアストラハーニェ状況を確認できるうえ、若手軍官の経験の場にもなるという利点がある。


「こちらは人間とともに仕事をおこなうことについて特別な感情を持つことはありませんが、そちらは管理される側。割り切れないところもあるかもしれません。その辺についてはカラシニコフ殿から注意をお願いします」


 ここからカラシニコフの簒奪者としての苦労の日々が始まるわけなのだが、アストラハーニェの内戦が王弟軍が破れ、王族の血を引かぬアレクセイ・カラシニコフなる者が新しい王として即位するという情報は各国は大いに慌てさせる。

 しかも、権力を手にしたカラシニコフは王政そのものを否定しなかったものの、王政を支えるはずの貴族を敵視し、その特権を奪うと宣言し、実際に貴族の荘園を取り上げると小作人たちに与えているという情報が入ってくると、驚きは恐怖へと変わる。

 むろんそれはその流れが自国へとやってくるのではないかという危機感からのものであったのだが、それと同時に権益を奪われる者からの反発によって早晩失敗に終わるのではないかという予想もしていた。

 いや。

 期待していた。


 具体的には暗殺。

 そして、彼らの期待を込めた予想どおり、数十もの計画と八度にわたってそれは実行に移される。


 だが、暗殺計画はすべて失敗に終わる。

 これは護衛の有能さというよりカラシニコフの魔法によるものといえるだろう。

 もちろん依頼者である貴族には相応の報いがやってくる。

 処刑と家の取り潰し。

 そして、領地の収用とその大部分を平民たちへの譲渡。


 結局彼らの悪事はカラシニコフの権力基盤の強化に貢献するだけであった。


 この状況を見た他国の為政者たちは一様に同じ言葉を呟く。


 ありえない。


 その中の何人かはさらにもう一歩進んだ感想を持った。


 あまりにうまくいきすぎている。

 そして、その思考の先でこのような結論が導かれていた。


 カラシニコフの背後には魔族、いや、あの男がいる。


 そのひとりがカラシニコフが離脱を決めた対魔族共闘の考案者で、アリターナ王国の次期宰相と噂されるアントニオ・チェルトーザ。

 本来であれば、隣国の悪しき風がアリターナに流れ込まぬよう相応の措置を採るべき。

 だが、チェルトーザはアストラハーニェの内政に干渉することを避けるように王へ提言している。

 そして、その理由を問われたチェルトーザは最も重要な部分を隠してこう答えている。


「アストラハーニェの王朝が倒れたのは長年の悪政によるもの。その点、我が国は陛下の善政により国が安定し、民は陛下を尊敬しております。そうであれば、忌まわしきアストラハーニェになど関わりを持たずに今までどおり歩みを進めていきさせすれば、心配ことなど何も起きますまい」


 一方、同じ結論に達しながら、チェルトーザより能動的に動いたのはフランベーニュ王国の実質的な王であるダニエル・フランベーニュである。

 確かな情報は掴んでいなかったものの、ダニエルはその手法からアストラハーニェの王家転覆にグワラニーが関わっていると断定する。

 各国の王家を倒し、国家の弱体化を狙う。

 これはその実験。

 そして、今回その駒として動いていたのがカラシニコフ。

 さらにアストラハーニェは対人間国家の先兵として動く可能性大。

 そう考えたダニエルは、人類の裏切り者新王アレクセイ・カラシニコフが権力基盤が安定する前に排除しなければ世界が魔族に支配されるとし、暗殺計画の準備を始める。


 そして、最後にアリスト。

 彼はグワラニーから報告を受ける立場にあったため、その関り具合をある程度掴んでいた。

 だが、そのアリストもカラシニコフの勝利は想像していなかった。

 当然アリストは疑った。

 グワラニーが直接的に内戦に加担したと。

 さらに、権力を手中し王位に就いたカラシニコフが簒奪宣言の中で並べ立てた言葉は、いかにもグワラニーが口にしそうなことであったため、その疑いは濃さを増す。


「カラシニコフは間接統治の駒。実質的にグワラニーがアストラハーニェを乗っ取ったと思っていい」


 アリストはこの世界の者としては非常に先進的な思想の持ち主である。

 だが、それにも限界はある。

 しかも、彼は大国ブリターニャの王太子で次期国王。

 その基盤は王制。

 残念ながらそれを廃止するところまでに思考は進まない。


 伝統的な王政の解体をしようというその方針はグワラニーの頭から生み出されたものとしか思えないのは当然である。


「カラシニコフとやらは軍の司令官だったらしいが、魔族領侵攻に失敗した責任を取らされ処断されるはずだった。停戦にあたり、首を差し出す生贄役を命じられたところでグワラニーに利用価値ありと思われ唆された。そして、王都で謀叛を起こし、アストラハーニェ王家の滅ぼし自身が王になった。おそらくグワラニーと少女がニコラエフカに出向き暴れ回ったのであろう」


「その後、魔族領から小麦を流し込み、治安に安定させた。そして、自身が用意した台本をカラシニコフに読ませた」


「これが今回の茶番の流れ」


「あの詐欺師に問い質さなければならない」


 二日後の夜のクアムート近郊の非公式な交易所。


「アストラハーニェの新王の宣言文を手に入れた」


 アリストはそう言ってテーブルにグワラニーの悪事の証拠となる羊皮紙を放り投げる。


「実に興味深い内容だ」


「なにしろ新しく王になった者が王政を否定するようなことを最初の言葉として選んでいるのだから」


「私はてっきりおまえが名を変えてアストラハーニェの王になったかと思った」


 そう言ってグワラニーを睨みつける。


「では、申し開きがあれば聞こうか。グワラニー」


 グワラニーはすぐに察した。

 アリストはカラシニコフが自分の操り人形だと確信していると。


 グワラニーはカラシニコフの言葉を伝えるために国中に張られた布告文の一枚である羊皮紙を手に取る。


「アリスト王子はカラシニコフ新王とは面識はありますか?」

「ない」

「では、一度会うことをお勧めします。どこで素養を身に着けたのかは知りませんが驚くほど開明的な方ですから」


 つまり、これはあくまで本人のものであり、自分の言葉ではない。


 グワラニーは言外にそう言ったのである。

 そして、自らの言葉を興味深そうに聞くアリストの隣の女性に目をやる。


 その女性が口を開く。


「もしかして、そのカラシニコフという新王はあなたと同類ということなのですか?」

「そうなります」


 同類なのか?


 むろんその場にいる者の大部分はその言葉どおりにそれを理解する。

 だが、その問いの言葉を口にしたフィーネとそれに答えたグワラニーにとってそれはまったく違う意味を持っていた。


 同胞のものなのか?

 つまり、別の世界からやってきたものなのか?


 フィーネはそう問い、グワラニーはイエスと答えたのである。


「言葉の端々から私と同じ香りがしますね。彼は」


「なるほど」


「そういうことなら、この布告はその新王の思いから出たものかもしれませんね」


 そう言ったフィーネはあっさりと舞台を降りた。


 ……フィーネは興味を失ったようですね。まあ、彼女がこの手のものに興味を示さないのはいつものことですから。

 ……ですが、私はここで終わりにするわけにはいかないのです。

 

「圧倒的少数の兵しかいなかったカラシニコフたちが王弟たちに勝った理由はなんだ?」

「まあ、それはカラシニコフ氏個人の能力が高いからでしょう」


 グワラニーはそう言ってアリストとフィーネを眺める。


「彼は魔術師。もちろんおふたりに比べれば相当落ちますが、それでも並み以上。少なくてもアストラハーニェ軍の所属の魔術師ではとても相手にならない」


「しかも、彼はその能力を自覚していた」


「つまり、それを使って戦いを始めるとなれば、相手がどれだけの数だろうが勝利は手に入れられるというわけです」


「ただし、彼はその能力を使って戦うことを躊躇していた。理由はもちろん王への忠誠心。だが、王はカラシニコフ氏と対立していた自身の弟を選び彼を排除しました。それだけではなく誅しようとした。そうなれば、躊躇うことはない」


「そこまで聞いたところで我々は彼の要求を入れて援助をおこなった」


「我々は勝てる側についただけでそれ以上のことはしていません。少なくても直接的には」

「では、あの宣言は?」

「むろん彼の意向。こちらはそれに沿ったものを用意しましたが、それを押しつけたということはありません」


「ついでに言っておけば……」


「カラシニコフ氏がおこなおうとしていることは、アストラハーニェにこれまで存在していた制度や慣習の多くを否定するもの」


「抵抗もあるだろうし、そう簡単には馴染むことはないでしょう。もちろん武力によって押さえつけるという手をありますが、カラシニコフ氏にそのつもりはないようなので軌道に乗るまで相当時間がかかると思われます」


「そういうことでカラシニコフ氏が始めた制度をアストラハーニェが輸出するというのは現実的ではない。少なくても短期的には」


 グワラニーはそう言ってアリストの懸念を消す。


「魔族が抱えている避難民が母国に帰ると言ったら?」

「もちろん喜んで送り出します、アリスト王子との約束を破るほど私は悪党ではありません」


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