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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十七章 ある大国の死 そして再生復活
313/374

混迷のアストラハーニェ

 王都の一角で始まったアストラハーニェの内戦は国中に広がっていた。

 ただし、無風地帯の場所もある。

 マジャーラとの戦いが続く南部、それから魔族と国境を接する西部である。

 正統派を名乗る王弟にとって、カラシニコフとの戦いは叛乱軍を誅するものという建前である以上、外敵との対峙する軍から兵を引き抜くなどありえぬ話であり、カラシニコフも内輪もめの最中に外敵を呼び込むのは愚策以外のなにものでもないという理由から、暗黙の了解としてその方針に従っていた。


 そして、外敵と戦いながら大規模な内輪もめをおこなう形となる奇妙なその内戦は膠着状態に突入していた。

 王弟であるブロニィンツィ・チェーホフを旗頭とする軍は依然正規軍の高級指揮官の八割を抑えているものの、アレクセイ・カラシニコフ率いる反王弟派を破ることができない。

 むろん、その主要因はカラシニコフの個人的強さにある。

 だが、それととともに無視できないのは脱走する兵士が続出していることだった。

 指揮官がいても実際に前線で剣を振るうのは兵士。

 それが毎日減り続けていたのだ。

 ただし、脱走兵全員がカラシニコフ派に加わるのかといえばそうではない。

 というより、カラシニコフ派からも相当数が戦線離脱していた。


「……やはり、相手の頭を落とさないとケリはつけられないか」


「だが、王弟は陛下の隣にいる。王弟を倒すということは陛下も倒すということになる。それは避けたい」


 今でも王に対する忠誠心を持っているカラシニコフにとってそれはそれを躊躇うに十分な理由だといえた。

 さらにいえば、元は二十一世紀の日本人である彼はそれなりのモラルがある。

 いわば私闘といえるこの戦いで国民に犠牲を強いることは避けたい。

 別の世界の常識が彼を縛り、すべての策が中途半端になる。


 一方の王弟派には、同じ状況の中でも勝つ算段があった。

 国内の食糧庫の大部分は自分たちが押さえている。

 つまり、時間が経てば、相手は食料が尽き飢え死にする。

 そこを叩く。


「先日の我が軍の例を出すまでもなく、どこの国、どの時代においても飢えた軍が勝ったことはない。個々の戦闘において勝利しているとはいえない不本意な戦況ではあるが、このままの状態が続けばこちらの勝利は疑いようもない」


 王弟軍を率いるアリスタルフ・ピトリアルのその言葉はある意味正しいといえるだろう。

 そして、それを踏まえて考えれば、見た目とは裏腹にこの状況が続けば勝利に近いのは王弟派だった。


 むろんカラシニコフ派も食料の重要性を忘れていたわけではなく、食料確保のため王弟派が守備する食料庫を襲う。

 だが、すべて失敗する。

 ピトリアルは「倉庫を保持できない場合は食料に火をかけて撤退せよ」と指示を出していたのだ。

 いわゆる焦土戦術。

 それは王都だけではなく、地方でも同じ。

 しかも、逃走間際にこのような噂を周辺にばら撒く。


 叛乱軍が食料を大量に確保した。


 当然飢えた民は集まってくるわけなのだが、実際には食料を手に入れられていないカラシニコフ派の兵士は八つ当たりがてらに彼らを追い散らす。

 そうなれば、民の恨みは食料を焼き撤退した王弟派ではなくカラシニコフ派へ向く。


 すべては噂を流したピトリアルの計算通り。

 そして、カラシニコフ派の兵たちが引き上げていった後、再びやってきた王弟派の兵士たちは腹をすかした民にわずかばかりの食料を配る。

 配る食料の少なさを補う盛大な恩着せがましい言葉とともに。

 だが、たとえわずかでもゼロよりはいい。

 彼らは過分すぎる歓喜で迎えられるわけなのだが、これは宰相アナトリー・イグマス発案の策。


「やってくれる。小役人どもが」


 事実に反する奇妙な噂とともにその報告を受けたカラシニコフは悔しがるものの、こちらにはそれをおこなうことさえできないのだから、その非難は受け入れざるを得ない。

 こうして、実際の戦い以外のところでポイントを失い続けるカラシニコフはこのままでは最後の一戦をおこなう前に崩壊する危機を迎える。


 そして……。

 側近のボリス・エラニから出されたある提案にカラシニコフは顔を顰める。


「……農民に対する徴発?」


「略奪の間違いだろう」


「食べ物を配れず非難されている軍が徴発などおこなったら、支持されることはないだろう」

「ですが、このままでは……」

「とりあえず王城内以外の王都内の食料庫はすべて襲撃する。それらすべてを焼くことになれば、向こうにも影響が出る。なにしろ抱えている兵はあちらの方が多いのだから」


 エラニの言葉を遮り、そう言ったカラシニコフにとって、それは絶対にできないことであった。

 だが、現実はそれをおこなわなければ敗北が決まり、それは自身の死を意味する。


 農民たちから僅かな食料を奪い取るという最終手段を取らずに済む方法はないか?


 そして、カラシニコフの思考が辿り着いたのは交渉で顔見知りになったグワラニーからの小麦の借り入れだった。


 ありがたいことにグワラニーとは話が合う。

 利子はつくだろうが、この戦いに勝ちさえすればどうにでもなるし、負けた場合、自分はこの世にいないのだから関係ない。


「こちらにとってはいいことずくめだな。そこに軍資金も出してくれるならいうことなしだ」


 そう言って苦笑するものの、もちろん問題はある。

 その一番はグワラニーが小麦を供与するかどうかというところだ。

 つまり、グワラニーが自分に金と小麦を提供するだけのものを示さなければならない。


「まずそれを提供すれば、必ず勝てることを保証しなければならない。それこそ負ければ、貸したものは何も返ってこないのだから」


「なかなかハードルが高いな」


 当然ではあるが、王弟側も同様のことを考える。

 もっとも、こちらは王族や上級貴族らしく援助してもらう者とは思えぬ高みからの援助要請であった。

 そして、その相手も魔族ではなく、いつも通り取引相手であるアグリニオン国の商人たち。


 曰く、今後も取引をおこないたければ軍資金を援助せよ。


 商人たちは一斉に鼻白むものの、無視はできない。

 お茶を濁す程度の援助をおこなうことを決めたのだが、問題が発生する。

 王弟側が必要とする軍資金の使い道は軍人たちの目の前にぶら下げる人参。

 つまり、効果が一番大きいのはアストラハーニェ金貨。

 だが、商人たちは手持ちのアストラハーニェ金貨はあまりなかったのだ。


 頭を捻ったところで思い出したのが、カラブリタ商会が例の両替騒動で山ほどアストラハーニェ金貨を押しつけられことだった。

 彼らはカラブリタ商会に押しかけ、ブリターニャ金貨やフランベーニュ金貨と交換する。

 その手数料は一割。

 押しつけられ止むを得ず受け取った使い道のないゴミ同然のものが大金に生まれ変わり、再びカラブリタ商会の利益が生まれる。


 そして、アドニアは、自身の商会にも届いているアストラハーニェの内紛の当事者の一方からの資金援助の可否を確かめるためにグワラニーと面会する。

 

 魔族とアリターナの暫定的な国境付近に建てられた、アリターナの公爵チェルトーザ家の別荘「ベッラ・パーチェ」で。


「王都ニコラエフカに残っている者からの情報では、カラシニコフ率いる叛乱軍は食料を求めて食料倉庫の襲撃を繰り返しているとのこと。しかも、それが成功しているかといえば、そうではない」


「王弟側は支えきれない場合は、倉庫を焼いて相手に食料が渡らないようにしているのは間違いないようですから」


 その言葉にグワラニーは顔を顰めるものの、それについては何も触れず、カラブリタ商会が王弟側に資金援助することを了承し、アドニアを返した直後、自身もアリターナとの国境からクアムートへ戻ったグワラニーはバイアとアリシア、それからアンガス・コルペリーアを呼び寄せる。


「アストラハーニェの内戦は一方が食料不足に陥るのが確実になった。そして、その一方の長であるアレクセイ・カラシニコフは近々食料援助を我々に頼み込んで来ると思われる」


「これについての意見が聞きたい」


「悩むことはあるまい」


「奴らが勝手にやっていることに関わる必要などないだろう。アストラハーニェの王都付近で戦っている者たちを支援しても、我々の得になることはないのだ。放っておけばいい」


 いきなり、バッサリと斬り捨てたのはこの場で一番の年長者となるデルフィンの祖父であった。

 バイアもそれに続く。


「私も魔術師長の意見に賛成します。そこにつけ加えるのであれば、もし、それを望むのであれば、それに見合う対価と返済方法を示させればいいでしょう」

「私もおふたりの意見に賛成しますが……」


「とりあえず、その事態になる前に、もうひとりの意見を求めてはいかがでしょうか?」


 アリシアはその人物の名を口にしなかった。

 だが、その場にいる者はアリシアが誰を念頭に話をしているのかはあきらかだった。


 グワラニーはこれ以上のものはないと思えるくらいの苦笑いを披露する。


「……我々が行動するのにいちいちブリターニャの王太子の許可を得なければならないのは釈然としないが、後で言いがかりをつけられても困る。止むを得ないな」


 渋々と音がしそうに同意したグワラニーのこの言葉は翌日の夜に現実なものとなる。


 暇つぶしに嫌がらせの意味も込めた訪問だったそこでグワラニーにアストラハーニェの状況を説明されたアリストは即答を避ける。

 以前宣言したとおり、王太子という立場上同じ王政を敷く者として王弟側を支持しているものの、その問題点を熟知しているため、それは積極的なものではない。

 そうかと言って、叛乱軍を支持する理由もない。

 戦いが早く収束することこそ一番と考えるアリストにとってカラシニコフたちが飢え死にすることは止むを得ないことと考えに傾き、当然助ける理由はない。


 だが、それとともにアリストは察する。


 もともと介入する気がないと言っていたグワラニーがこの話を持ち出してきたということは、実はその気があるということであるいうことを。

 当然、カラシニコフを支援することがグワラニーにとって何かしらの利があるということになるのだが……。


 国そのものを乗っ取る以外でその利になりそうなものが思いつかない。

 だが、それはやってしまえば、あの広大な土地に足を突っ込み、動けなくなるのは確実。

 他の者ならともかく、この男に限ってその選択をすることはありえない。


「ちなみに叛乱軍の要求する食料を供給した場合、おまえたちにはどのような役得があるのだ?」


 アリストらしからぬストレートな物言いは、その理由が思いつかない苛立ちを現わしているといえるだろう。

 数瞬後、その答えとなるものがやってくる。


「一応言っておけば、我々もカラシニコフ氏を助けると決めたわけではありませんし、助けるといっても、食料を分け与えるだけで、武器の供給はする気はないです。まして、どこかの誰かのように隣の国の兄弟喧嘩に介入し、方々に手を回したり、直接的な軍事的支援をおこなったりする気はありません」


 そう言って、身に覚えがあり過ぎるアリストを鼻白ませる。

 盛大に機嫌を害したアリストを眺めながらグワラニーの言葉は続く。


「そもそも、王弟側のやり口が気に入らない。勝つためとはいえ、溜め込んでいた小麦に火にかけるのは私の主義に反する。そのおかげでアストラハーニェの民が飢えているのですから」


「もし、それを認めないというのなら、アリスト王子がその代わりを担って頂きたい。つまり、アストラハーニェの王都に乗り込み、持参した自国の小麦でアストラハーニェ国民に配る。そうすれば、ブリターニャはもちろんアリスト王子の評判も大いにあがることでしょう。まあ、この世界で一番のケチという汚名が消えるかもしれませんのでアリスト王子にとってはよいことかもしれませんので、これまでの悪行の穴埋めにささやかな善行をおこなうのも悪くはないでしょう」


 ここまで言われたはアリストも認めざるを得なくなる。

 やってきた嫌味に熨斗を付けた言葉でそれを許可する。

 その言葉の上澄みだけを掬い取ったグワラニーがもう一度口を開く。


「できればもうひとつ」


「普通に考えれば、カラシニコフ氏の側が負けるのは避けられない」


「そこで、負けた後。彼らが保護を求めて来た場合、その要望を叶えたいと思います。先ほども言いましたが、これは単純に為政者側のやり口が気に入らない。それだけのことです」


 こちらについては意外にもアリストはあっさりと認める。


 つまり、アリスト自身アストラハーニェの王弟たちのやり口を好ましく思っていないということなのだろう。


 グワラニーはそう読んだ。


「大国の王太子になると、思ってもいないことを口にしなければならないのだな」


 グワラニーは帰っていくアリストたちを見送りながらそう呟いた。


 アリストと打ち合わせが終わってからわずか二日後。

 アレクセイ・カラシニコフがコフドル砦に姿を現す。

 たったひとりで。


 むろんコフドル砦の指揮官ザハール・ドレチェは正統性がより高い王弟派に近い。

 ただちにカラシニコフを拘禁しようとするものの、五人の部下を瞬殺される。

 血が塗られた剣を持ったまま、カラシニコフはドレチェに目をやる。


「安心しろ。おまえたちを始末しにここまできたわけではない。剣を向けるようなことをしなければこちらも何もしない」


 そう言ったカラシニコフが続いて要求したのは魔族への取次だった。

 自分と部下の命を優先させれば、当然ドレチェには拒むという選択肢はない。


 そして……。


「一セパ後。魔族の指揮官アルディーシャ・グワラニーがこの砦に来るとのこと」


 それが戻ってきた伝令の言葉だった。


 それから一セパより少し時間が回ったところで、グワラニーは少女と五人の護衛兵、それからふたりの文官とともにやってくる。


「こんなに早く再開できるとは思いませんでした。カラシニコフ殿」

「まったくだ」


 見た目上の歳の差はグワラニーよりカラシニコフの方が上。

 だが、現在の彼我の立場を考えれば、この態度はやや違和感があると言わざるを得ない。

 もちろんカラシニコフからすれば、たしかにお願いする立場ではあるが、それが過ぎると足元を見られ、とんでもない要求をされかねない。

 多少なりとも自分を大きく見せる必要があるのだ。

 一方のグワラニーはその辺は大目に見るというスタンスであるため、入口で揉めることはない。

 ただし、それを完全に受け入れたわけでないことを示し相手に釘を刺すことは忘れない。


「それで……」


「忌まわしき魔族の将を呼び出すくらいの要件とはどのようなものなのでしょうか」


 言葉は丁寧。

 だが、中身は辛辣。

 そこにわかりやすいくらいに大量の嫌味を込める。

 カラシニコフを鼻白ませるには十分なものだった。


 だが、このようなことに構っていられない事情がカラシニコフにはあった。


 実際のところ、互角に近い戦いをしているのはすべて自分の力による。

 つまり、取り巻きは皆忠誠心こそ高いが能力は凡庸。

 そのような者たちに指揮を任せ、この場に来ているのだ。

 成果を挙げ、可能なかぎり戻らなければならないのだ。


「実は少々困った事態になっている」


 その言葉に続きカラシニコフの口から流れ出したのは、内乱が始まった経緯。

 それを聞き終えたグワラニーは小さく頷き、それから口を開く。

 

「カラシニコフ殿。始まった経緯については理解した。そして、どちらに非があるかも。だが、本物の戦いは正義か否かで勝敗が決まるわけではない。というよりも、勝った者こそが正義となる」


「私が思うに、魔族に相談に来るということは劣勢にあるのはカラシニコフ殿。そのカラシニコフ殿に我々が何かおこなうには相応の対価が必要となる」


「それを踏まえて問う」


「カラシニコフ殿は我々に何を望むのか?」


 二万人分の食料。

 三十日分。

 それからアストラハーニェ金貨二十万枚。


 これがグワラニーの言葉の直後、カラシニコフからやってきた要求となる。


 意外に少ない。


 それがグワラニーの感想となる。

 そして、これはカラシニコフが短期間にケリをつける算段をしていることを意味していることもすぐに理解した。

 グワラニーの表情が変わる。


「王弟派はどれくらいの兵を擁しているのですか?」

「王都周辺だけでいえば、数十万というところか。もしかしたら五十万くらいはいるかもしれない」

「つまり、五十対二。それでも勝てると?」

「勝てる。もちろんまともにぶつかればわからないが、王弟派多くの要衝を抑えている。つまり、戦力を分散している。それに対しこちらは集団で行動している。個々の戦闘では我々は大半で勝利しているのはそのためだ。だが、兵が少ないから手に入れた場所を保持できない」


「本来これでは戦争には勝利できないのだが、実は今回にかぎり、このような状況でも我々が勝利できる方法はある」

「……相手の頭を狩ってケリをつける」

「さすがだな」


「ですが、持久戦を続ければ勝てることを知っている相手が決闘に応じるとは思えません。つまり、近いうちにこちらから出向き狩りをおこなわなければなりません」


「それを踏まえてひとつ尋ねます」


「相手の旗頭であるブロニィンツィ・チェーホフは現王の弟とのこと。つまり、カラシニコフ殿は王族に剣を向けるということになるわけですが、王はどうなりますか?」

「私は陛下の臣。それは今でも同じ。だが、そうだからと言って、謀叛人の名で誅されるのは納得できるものではない」


「陛下と王弟を切り離す策を講じるが、それができない場合は止むを得ないと考える」


 つまり、場合によっては国王も討つということだ。


「その後は?もしかしてカラシニコフ殿が新しい王になるのですか?」


 そう。

 グワラニーの問いの核心。

 それはカラシニコフの勝利の先にあるもの。


 むろんカラシニコフが勝利をするということは現王朝の終焉を意味する。

 現王朝を打倒したあとはどうするのか?

 もっとも可能性が高いのは、打倒した者が次の権力者になること。

 グワラニーの問いはそれについて尋ねているわけなのだが、それに対するカラシニコフの答えはこれである。


「いや。私は自らの身に降りかかった火の粉を払っただけ。そのような地位に就くつもりはない」


 無私を示すようで響きは良いが、これはある意味では無責任ともいえる。

 新しい為政者のあてもなく、現在の為政者を倒し体制を崩壊させてしまえば、アストラハーニェは無政府状態。

 そうなれば次の王になろうとする者たちによるさらなる戦いが始まるのは確実なのだから。


 さらに一段階表情を厳しいものにしたグワラニーは言葉を続ける。


「個人的な意見ではありますが……」


「現王朝を倒した者はそれに代わるものを用意する。それが混乱を起こした者の責務と思われますが」


「それは私に王位に就けと言っているのか?」

「そうでなければ、その地位に就ける者を準備すべきでしょう。それもなく、ただ現王を殺し、王朝を倒して終わりでは混迷が続き、結果として国民に迷惑がかかります」


「たしかにおまえの指摘には反論できないものはある。そして、残念ながら私とともに戦っている者のなかにはその地位にふさわしい者はいない。そうなれば私がやるしかなくなる。責任を取るという意味で」


「むろん私が勝利したならばということなのだが」


 それはカラシニコフの決意表明ともいえるもの。

 グワラニーは薄い笑みとともに頷き、再び口を開く。


「その言葉を聞いて安心しました。では、そろそろ本題に入りましょう」


「まず、そちらの要望についてですが、こちらはそれを叶えることは可能です」


「そのうえで伺います」


「我々がカラシニコフ殿の要望を聞き入れた場合の見返りはどのようなものになりますか?」


 カラシニコフにとってこれは当然来るべき問い。

 そして、それによって要望の成否の要。


 何を出すべきか?


 むろん「そちらの要望は何か」と尋ねるということはできる。

 だが、その場合、無理難題が示される可能性があるうえ、彼我の立場を考えれば相手から示されたものを拒むことは難しい。

 主体的に示すべき。

 だが、実際のところなにも考えてこなかった。

 いや。

 考える時間がなかった。


「どのような見返りがあればこちらの要望が実現するのだろうか?」

「新しいアストラハーニェは我々の属国になること」

「さすがにそれは承知できないな」


 自身の問いに対して、間髪なくやってきたグワラニーにカラシニコフはそう応じた。


 小麦一万袋とアストラハーニェ金貨二十万枚。


 この程度で売るほどアストラハーニェは安くない。

 しかも、この内戦は自分と王弟ブロニィンツィ・チェーホフとの私戦のようなもの。

 これを飲んだら売国奴。

 それまでどれだけ正当性があっても、確実に国を裏切った者として名が残る。

 別の世界では国の護り手として働いていた者としてそれは絶対に甘受できないことである。


 交渉決裂か?

 だが……。


「まあ、そうでしょうね。そして、それを受けるようであればそれこそ私はこの場であなたの首を落とし王弟に献上します。売国奴を捕らえたとして」


「そういうことで、それについてはすべてが終わった後に話し合うことにしましょう。その時にはもう少し穏便なものを要求することにしましょうか」


「では、小麦を十セネジュ袋一万袋。それから、アストラハーニェ金貨二十万枚を用意します」


「ですが、金貨はともかく小麦はさすがにそれを運ぶということは難しいでしょう」


「アストラハーニェはアグリニオンの商人たちと取引があると聞きましたが、一番の取引相手はわかりますか?」

「アドニア商会だろうな」

「そこはニコラエフカに出先はありますか?」

「ある」

「では、そこで受け取れるように手配しましょう」


 グワラニーはあっさりと言った。

 だが、言われた方はそうはいかない。


「可能なのか?」


 当然すぎるその問いにグワラニーは笑い、それから呟くようにこう答える。


「……世界は……」


「繋がっていないようで繋がっているのです。それが魔族と人間の間であっても」


 そして、カラシニコフに対するグワラニーの約束はすぐに実行に向けて動き出す。

 その初手として、グワラニーはアドニアを再び呼び出し小麦運搬の仕事を依頼する。


 だが、これはなかなか難易度の高い仕事といえるだろう。

 そして、そのすべてが王都に到着してから引き渡しをおこなうまでのものに属する。


 王都の大部分は王弟派が押さえている。

 その中で敵対する者に商品を渡すのだ。

 妨害はもちろん、その後の報復、さらに戦後の取引に対しての悪影響まで考えなければならない。


 だが、グワラニーはそれを説明するアドニアの言葉に薄い笑いで応じる。


「……まあ、事実としてはそうでしょうね」


「ですが、戦後については考慮する必要はないでしょう」


「なぜなら、勝つのはカラシニコフ氏なのですから」


 グワラニーは困惑するアドニアを眺め、彼女の疑問に答える。


「実はカラシニコフ氏は魔術師。しかも、上級の。おそらくアストラハーニェで彼の上をいく魔術師はいない」


「国王への忠誠心によってこれまでは王弟への直接攻撃を控えてきたが、さすがにそろそろ限界のようだ」


「つまり、王弟はもちろん国王に対しても攻撃をおこなうのは確実。私はアストラハーニェの王宮がどのようなものかは知らないが、それなりのものでも十分に破壊は可能だろう。つまり、始まった瞬間、終わる」


「王宮にいない王族もいるかもしれないが、主だった者はほぼ消える。それはすなわち現王朝は終わる。そうなれば。当然次の王朝が必要となる」

「もしかして、次の王は……」

「本人は嫌々のようだったのだが、当然そうなるだろう。その未来の王に今のうちに恩を売っておけば、当然悪いことは起こらない」


「王弟に払った軍資金は戻ってこないが、それを忘れるくらいのものは手に入ることだろう」


「それを踏まえてもう一度問う。仕事を受けてもらえるか?」


 小麦を十セネジュ袋一万袋。

 アストラハーニェ金貨二十万枚。


 これがアストラハーニェの王都でアレクセイ・カラシニコフに手渡す商品となる。

 さらに、小麦二万袋。

 こちらはカラブリタ商会の名でニコラエフカに住む非戦闘員に配るもの。


 そして、その手数料はブリターニャ金貨三千枚。

 その危険度に比べればかなり安いが、追加分の二万袋はカラブリタ商会の名でおこなう以上、商会の宣伝のようなもの。

 そして、これをおこなうことによって、将来的に将来的に多くの利益を生むのだから、割引は当然。

 さらに、カラシニコフ派が負けた場合には相応の損金を支払うという条項がある。


 むろんこれだけ揃えば拒む理由などない。


「これはこちらの腕の見せ所ということになりますね」


 グワラニーとの会談、いや、商談を終えてセリフォスカストリツァに戻ったアドニアはそう言って笑う。

 危険はある。

 だが、なぜか恐ろしさはない。

 むしろ楽しみ。


 大昔に別の世界で味わった権力によって捻じ曲げられた理不尽すぎる敗北。

 これはあの屈辱を晴らす絶好の機会。


「あの時は相手が強者の後ろ盾があった。ですが、今回は私の後ろには圧倒的強者がいる」


「しかも、今の私は魔族だけではなく硬軟取り合わせた多くの駒がある」


「絶対に勝つ。そのためにはまず……」


 五日後。

 アストラハーニェ王国の王都ニコラエフカの中心地にあるカラブリタ商会の建物周辺に突然禍々しい香りが纏った三種類の旗が掲げられた。


 十三本の剣が描かれた黒旗。

 槍に下げられた錨が描かれた黒旗。


 前者は「鉄壁の大海賊ワシャクトゥン」、後者は「幻影の大海賊ボランパック」のもの。

 そして、そこにさらに目立つ緋色の旗も加わる。


「……さすがに海に無縁な我々でもあれは知っている。大海賊の中で一番残忍だというジェセリア・ユラ率いる大海賊の血色の旗」

「ということは、残りもふたつも……」

「間違いないだろう」

「……なぜここに大海賊の旗が並ぶ?カラブリタ商会は大海賊に乗っ取られたのか?」


「いや」


「その様子ではカラブリタ商会が大海賊を雇ったのだろう」


 そう。

 アドニアが用意した奇策のひとつ目。

 それが大海賊たちを護衛として雇い入れることだった。

 そして、その求めに応じてボランパックが五百人、ワシャクトゥンが二百人、そして、ユラが千人の海賊をニコラエフカへ送り込んできたのだ。


 やがて、カラブリタ商会の事務所にカラシニコフ派の兵士たちが現われ、小麦を引き取っていく。

 むろん見張りからの報告を受けた王弟派から猛烈な抗議が上がるわけなのだが、それに対してジェセリア・ユラ、マルシアル・ボランパック、レジェス・ワシャクトゥンという大海賊の長たちとともにニコラエフカに乗り込んできていたアドニアはこう返した。


「これはあくまで商売の一環。代金を受け取った以上、商品を届ける義務が商人にはあります」


「それがどのような方であっても」


「もし、正規な料金を支払い依頼していただけるのなら王弟殿下の依頼も承りますが」


 もちろん、商人の論理からすればこれは百パーセント正しい。

 だが、これは一般的には詭弁の類。

 しかも、アストラハーニェは内戦状態。

 その一方に食料を提供したのだ。

 カラシニコフ派を叛乱軍と呼ぶ王弟派からすれば許されない暴挙である。


 すぐさま、懲罰を兼ねた略奪へと向かう。

 だが、事務所を取り巻くように戦斧を振り回す海賊たちが立ちはだかる。


 むろん手出しはできない。


「カラシニコフたちを斬首した後はおまえたちだ」

「内戦が収まったら貴様らを国外追放にしてやる」


 そう喚き散らしながら王宮へ戻って行く。

 もちろん背中越しに盛大に嘲笑されながら。


 そして、最後。

 いわゆる炊き出し。

 王都に住んでいるからといって全員が裕福というわけではない。

 平民や爵位のない下級貴族の多くは内戦が始まって以降日々のパンすら手に入らないという状況が続いていた。

 その彼らにとってカラブリタ商会が始めた炊き出しは命を繋ぐもの。


 むろん窮乏する全員を救うわけではない。

 しかも、これは打算に基づいた行為。

 

 だが、これによって救われた命があるのだから十分に意味のあるものといえる。

 少なくても、他人の行為を批判するが、自身はそれ以上の何かをしたわけでもない者よりはマシであろう。


 こうなってしまえば、王弟派も簡単には手が出せない。


 もちろんこれがアドニアの狙い。


 さらに、彼らに食料を配るカラブリタ商会の者たちは王弟派ではなく、カラシニコフ派が食料を渡していることもさりげなくアピールする。

 これについてはグワラニーからの依頼はなく、あくまでアドニアの判断。


 ここまで肩入れしてしまっては後戻りなどできない。

 つまり、カラシニコフ派が勝たなければ自分たちの未来はない。


 舵を切ったアドニアはさらにもう一歩進む。


 王都でこのような噂が流れ始める。


 カラシニコフ派は民に配る食糧を手に入れようと努力したものの、王弟派はすべて火をつけた。

 つまり、王弟派は民の敵である。


 もちろん、実は事実であるこの噂は王弟派にも耳に入る。

 もし、ここで方針転換をしていれば、噂は消え、王都内に漂い始めた反王弟派の雰囲気は変わったかもしれない。

 だが、そうなるとカラシニコフたちに食料を奪われることに直結し、これまでの努力が水の泡になってしまうことと同義語。

 そもそも王弟派の中心は王族や上級貴族。

 平民たちの声によって方針変更などありえない。


 噂は本当と認定されていく。

 

「頃合いだな」


 カラシニコフはそう呟き、準備していた王宮襲撃を実行に移す決断をする。


 それからまもなく、カラシニコフ派が王弟ブロニィンツィ・チェーホフの籠る王宮を襲撃するという噂が王都内に流れる。

 そして、それを歓迎する声を多く聞こえる。

 むろんそれはチェーホフたちの耳にも入る。


 激怒する。

 それと同時に選択を迫られる。


 王を自分たちの戦いに巻き込まぬよう王宮を出る。

 それとも、このまま王宮に留まり、王が住む王宮を攻撃するカラシニコフたちが叛乱軍であることを世間に知らしめる。


 そして、決定は後者。

 その結果、周辺に駐屯していた部隊を王宮周辺に呼び寄せる。

 だが、ここであらたな混乱が起きる。

 彼らはその町の治安維持にあたっていた部隊。

 その彼らがいなくなれば、ひと仕事しようとする者たちが集まってくる。

 そう。

 略奪の始まりである。

 それによって、王弟派への逆風はさらに強くなる。


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