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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十七章 ある大国の死 そして再生復活
312/375

明かされる秘密 

 妹の前でアリストの言質を取り、肝のひとつである勇者の蠢動は阻止できた。

 当然、次の段階に入る。


「せっかく準備するのですから、お客さんが多数来てもらわねば困る」


「あれだけ大きなことを言って、始めてみたら誰も来ず、店員の方が客より多いなどとアリスト王子に馬鹿される事態は避けねばなりませんから」


「ということで、呼び込みをしたいと思います」


「……アグリニオンの女傑に連絡を……」


 もちろん目的は西部国境には安全地帯があるので、戦火を逃れるのなら西へ進むように促すことを触れ周れという指示を伝えること。


 だが……。

 あらゆる面で常識的なアドニアは、グワラニーの指示は受け取ったものの、これが正しいものかを疑う。

 大いに。


「……非常にお尋ねしにくいものではありますが……」


 そう前置きし尋ねたのはもちろんその情報の信憑性だった。


「もちろん内戦は王都から地方へ広がりつつあり、そのままその地に留まっていれば、殺されるか略奪されるか、それともその両方か。つまり、生きるために先祖伝来の土地を離れなければならないことは間違いありません。ですが……」


「逃げてきた場所が本当に安全な場所なのか?これは重要なことです」


「あなたがたがおこなう狩りの獲物の手配をするということであるのなら、その仕事を受けるのは遠慮したい。そんなことに関われば私たちは今後アストラハーニェで仕事ができなくなりますから」


「ついでに言わせてもらえれば、あなたがたがおこなおうとしていることが本当なのか。私は疑問を持たざるを得ません」


「十万の避難民を食べさせるだけも多くの食料が必要になります。もちろんそれだけではなく水、さらに寝る場所も。それを用意できるかという問題もありますが、たとえそれが用意できたとして、あなたがたにとってそれをおこなうことにどのような意味があるのですか?」


「もちろん評判はよくなるでしょう。ですが、そんなものは一瞬のことです。そもそも戦争で自身の家族や親族が戦死している者も多い。その程度のことで憎しみは消えないと思います」


「自己満足的な罪滅ぼしという意味でおこなうのならともかく、評判を上げるという意味でおこなうのであれば、金と食料の無駄になるのでやめておいたほうがよいと忠告させていただきます」


 アドニアは二十一世紀の日本から来た者。

 当然難民支援の重要さは知っている。

 だが、それとともに現在の彼女は大商会をトップとしての使命を果たす責任もある。


 この世界は文字通り弱肉強食の世界。

 その中でも多くの商会が競い合いながら多くの利益を上げることに奔走するアグリニオン国の住人は利益に繋がらないものに金を使うことをひどく嫌う。


 すべてが自己責任の世界。

 もちろん他国の民を援助するなどという概念は一切ない。


 そのような中で育てば彼女の思想がどのような形に変わるかはあきらか。


 しかも、相手が同じ境遇の者であることを知らない。


 縁もゆかりもないアストラハーニェの民を魔族が助けるなどありえないという前提ですべての思考を動かしている。

 そのようなかで出された結論は、余興の類。


 彼女がそのような言葉を口にするのは当然のことであろう。


 もちろんグワラニーの方も相手が自身と同じ境遇だとは思いもしない。

 しかも、有名な守銭奴商人。

 当然自身の価値基準が理解されるとは思っていない。

 だが、少なくても自身に協力したことで今後の商売に悪影響が出ることはないということは約束しなければ、協力が得られないことは理解している。


「まず、言っておけば、今回の要請に協力してもカラブリタ商会がアストラハーニェ国内で仕事ができなくなることはない」


「もちろん前提として我々の関係が相手に知られないというものがある。だから、情報を流す際には少々の細工が必要である。だが、アドニア商会の情報を信じて西に向かったアストラハーニェの民が魔族の仕置きによって戦火に巻き込まれる以上の苦しみを味わうことはないことは断言できる」


「過酷の放浪の旅の先には更なる苦難が待ち受けているということはない。さらに、どちらかが勝利し、アストラハーニェの国内が平穏を取り戻したとき、帰郷を望む者はその権利も保証する」


「これでどうかな」


 グワラニーからやってきた約束。

 それはアドニアが動くには十分なものだった。

 だが、それとともに先に上げた懸念材料には答えていないものでもある。


 相手の目的はどういうものかがわからない。

 だが、それによってカラブリタ商会に不利益にならないのであれば、協力しないという選択肢はない。

 魔族がどれだけの損害を被ろうが。

 それは自身の判断なのだから。


 アドニアが思考の先に辿り着いた結論を噛みしめ、口を開く。


「承知しました。それで……」


「報酬は?」

「ブリターニャ金貨一万枚。これだけのものを支払うのだから、それに見合った成果を出ることを期待してよろしいか」

「努力します」


 ブリターニャ金貨一万枚。

 これはグワラニーの換算では元の世界の一億円に相当する。

 だが、それは金の含有量から算出したものであり、物価等彼我の経済水準を考えれば、その十倍はあると思ったほうがいい。

 そのブリターニャ金貨一万枚を情報を流すだけに支払うというのは、出す方も出す方だが、簡単に受け取る方も相当なものだと言えるだろう。


 むろんグワラニーは具体的な目標は示していない。

 つまり、「努力はしたが戦果は出なかった」と言えなくもない。

 だが、それは彼我の関係が対等の場合。

 現状ではそのようなことは言えるはずがない。

 そして、ブリターニャ金貨一万枚という途方もない額はそのような意味も含まれている。

 つまり、必ずその金額以上のものを示せということである。

 どれくらいのものを示せば満足できるのかわからぬため、目標を示されるよりも辛いといえる。


「ちなみに上限は?」

「我が国はブリターニャやフランベーニュとは違う。助けを求める者たちなら、すべて受け入れる。それこそ、百万だろうが二百万だろうが構わない」


「まあ、こちらとしては第一段階として五十万人程度の仮設住居の用意はできている。必要があればいくらでも用意できる」


 さらに……。


「そういえば、アストラハーニェから押し付けられたアストラハーニェ金貨の扱いを困っていましたね。その使用方法が見つかりましたのでその一部を引き取ってあげましょう」

 

 その翌日。

 アストラハーニェの対魔族における最前線となるコフドル砦の指揮官ザハール・ドレチェのもとをグワラニーが訪れる。

 差し入れと称し、フランベーニュ産の酒とアリターナの菓子を手渡したグワラニーが問うたのはアストラハーニェ、というより司令官ドレチェの方針についてだった。


「我々が手に入れた情報によれば、アストラハーニェの王都で大規模な内戦が始まり、戦火を避けようと自身の故郷を捨てたものたちは皆西に向かっているとのこと」


「私が聞きたいのはその者たちが来た場合、ドレチェ殿はどのような対処をするつもりなのかということです」


「先に言っておけば、彼らが望めば我々は仮宿を提供する用意がある」


「少し前ならともかく、現在は休戦中の間柄。それくらいのことはさせていただく。ですから、我々に気兼ねなくドレチェ殿は避難民をこちらへ向かわせて構わない」


「一応それを伝えにきたのです」


 国内のことであるから当然ドレチェのもとにもその情報は届いていた。

 そして、彼が把握していた数字は最低でも五万。

 後続の列を加えれば、その数倍になることは間違いない。

 だが、備蓄された食料は自分たち五百人の三十日分。

 数十万人の避難民が来たら一瞬で消える。


「そうならぬよう我々は避難民を排除しなければならない」


 ドレチェは数日前に部下とおこなっていたその会話していたことを思い出しながら、グワラニーからやってきた言葉に安堵した。

 だが……。


「ただし……」


「こちらは戦火を逃れてやってきた者はすべて受け入れるのは本当だ。だが、こちらに剣を向けるようであればその限りではない。もし、そのような事態になった場合、それはアストラハーニェの意志と考える」


「ドレチェ殿。我々は本気だ。助けることも、報復をおこなうことも。そして、もし、報復をおこなう場合、対象はこの砦だけではなく、王都にまで及ぶ。その際にはあなたの名前を使わせてもらう。これはドレチェ将軍から攻撃を受けた報復だと」


「あなたの名前がアストラハーニェ滅亡の原因をつくった者として残したくなければ、武器の類は回収する。それからこちらの意向をやってきた者たちに伝える。それくらいはやるべきだろう」


「どうかな」


 むろん、これは強烈な脅し。

 だが、その一方でグワラニーはドレチェに対して見返りを要求しているわけではない。

 しかも、それをおこなうのは自身と自身の国を守るためのもの。

 そういう意味では一般的な脅迫にはあたらないともいえる。

 無用なトラブルを避けるためにおこなった強い口調での注意。

 この辺が妥当なものなのかもしれない。


 だが、それはそれをおこなった側の言い分で、受け取る側にとっては脅し以外のなにものもでもない。

 場合によっては、自作自演でそれをおこない、再侵攻の口実にするということも考えられるのだから。


 ドレチェとしては悩みどころである。

 そして、自身の能力の限界を感じる。


 自分が軍人。

 命令に従って戦う。

 むろんその点については自信がある。

 だが、このような場面に際して自身では考えたことはなかった。

 いや。

 考える必要がなかった。

 しかし、今は自分に命令すべき者たちは諍いを起こし、それどころではない。

 つまり、自分で判断し、答えなければならない。

 しかも、時間的猶予はない。


 一瞬の数百倍の沈黙後、ドレチェが口を開く。


「数が数だ。完全とはいかないかもしれないが、できるかぎりの努力はする。それと……」


「魔族と我々。双方が望まぬことをおこなった者はもちろんその場に斬り殺しても構わないが、できるのであれば引き渡していただきたい。そうすれば、皆の前で我々が斬首する。もちろん見せしめのために」


「いかがか」


 実際のところドレチェの配下は五百人余り。

 その人数で五桁の避難者のチェックをするのだから、すり抜ける者も出る。

 そうかと言って言って完璧にやろうとしたら、渋滞は免れない。

 そうなった場合、新たな火種となりかねない。

 暴動が起こり、救うつもりの者を掃討するようなことになればならない事態になったら目もあてられない。

 適当なところで妥協するべき。


「それでいいでしょう」


 そう言って立ち上がりかけたところでグワラニーはドレチェを見やる。


「もう一度言いますが、規則を守り、こちらの危害を加える気がない者についてはすべて受けいれることを約束します」


 呼び込み役を手配し、門番であるアストラハーニェ側の了解も取った。


「準備完了。では、始めましょうか」


 グワラニーのその言葉とともに始まったのは魔族とアストラハーニェの暫定国境の魔族側に次々と転移してくる簡易住居。

 それはグワラニーが「移動ユニット」と名づけた自軍の前線での木製の居住施設のお古。

 だが、それだけでは足りるはずもなく、新規でつくられたものも多数含まれる。

 ただし、新規でつくられたものについては経費や工事期間を最優先事項としていたために、雨露は凌げるものの居住性はよいというわけではない。

 それに対し、グワラニー軍が使用していたものは、最初期のものであっても居住空間として新規のものより機能としては数段優れているといっていいだろう。


 むろんその前に魔術師と戦闘工兵による大規模な整地作業がおこなわれたわけなのだが、実をいえば、グワラニーがドレチェのもとに行ったのはこのためだったともいえる。


 移動ユニットとは言わば兵舎。

 新規でつくられたものもその準じるもの。

 それを無警告で敵前に並べれば、相手がどのような反応をするかは考えるまでもない。


 後に起きそうな余計な揉め事を避けるための面倒なひと手間。


 グワラニーのコフドル砦訪問はそう表現できる。


 四日後。

 十五万は余裕で入居できる兵舎群が誕生する。

 そのうちの十二万人分にあたる中古住居の多くは「ダワンイワヤ会戦」時に急遽つくられ、その後倉庫代わりに使用されていた移動ユニットの転用であり、新規につくられたものは三万人ほどということになる。

 それらはすべて木製ということになるのだが、その中に石材でつくられた建物が点在していた。

 住人はクアムートの商人たち。

 彼らはグワラニーの招きにより避難民相手に商売をするためにやってきた。

 当然その多くはパン焼き職人など食料の提供をおこなうものたちであるのだが、別の世界においてもこのような避難民が集まる場所には存在することが珍しい職業の者もまぎれていた。

 そして、避難民たちが魔族領に入るために登録をする管理事務所。

 ここを通過して初めてこの地の住人になれるわけである。

 もちろんこの管理はグワラニー直属の軍官たち。

 さらに駐屯する兵の宿舎。


 稼働し始めたら二十万の大きな町が出来上がる。


「悪くない」


 まだ住人のいないその町を視察したグワラニーはそう呟いた。


「ところで小麦はどうなった?バイア」


 隣に歩く男にグワラニーはそう尋ねる。


「五十万袋が送られてきました」


 それがバイアの答えだった。


「王は何か言っていた?」

「五十万などといわずに、その十倍の者が来ることを期待していると笑顔で」

「なるほど」


「冗談であっても言えることではない。その言葉を各国の王たち聞かせてやりたいな」


「住居は?」

「クアムートだけではなく王都周辺も活況だそうですよ」


「何しろつくった分だけ買い取るなどという話ですから」

「結構だ」


「万事予定通り」


 そして、遂にそれは始まる。

 三千人ほどの集団がコフドル砦に保護を求めてやってきたのだ。

 そこに食料の配給要求も加わる。


 当然余力のないドレチェは拒否する。


 もちろんこれは正しい選択といえる。

 そして、ありがたいことにドレチェにはそれに対する代案があった。


「皆にひとつ提案がある」


 避難民の代表を集めたドレチェはそう前置きして話し出したこと。

 それは……。


「この先は魔族の国の領地だ」


「諸君も知ってのとおり、つい最近まで我々と魔族が戦争をしていた。そして、我が軍は負けた。ただし、その結果、休戦協定が結ばれている」


「そして、先日魔族軍からありがたい申し出があった」


「万が一、戦火を逃れて逃げてきた者がこの地に現れ、我々が手に負えない場合には、その者たちを受け入れる」


「そして、その証明となるのがあれだ」


 そう言ったドレチェは遠方に並ぶ仮設住居群を指さす。


「……つまり、あれは魔族が我々のために用意したものということなのか?」


 苦しい逃避行中のリーダー役となっていたバルダイ・オッポラがそう問うと、ドレチェは重々しく頷く。


「奴らがどのような理由でそれをおこなうかはわからないが、奴らが決めた規則に従うと宣言するのなら魔族領に入ることを認め、あそこに住まわせ、さらに食料も提供するそうだ」

「信用できるのか?魔族を」

「それについてはなんとも言えない」


「だが、奴らが狩りをする気ならあのような面倒なことをする必要はない。なにしろ奴らはそれだけの力があるのだから」

「食料は?」

「小麦はあるそうだ」


 そこまで言ったところで、ドレチェは言葉を切り、その場にいる者たちを見やる。


「ここまで来た者たちに言うのは酷なことだが、我々にはおまえたちに分け与えることできる食料はない」


「つまり、飢え死にしたくなければ、魔族の申し出を受け入れるしかない」


 だが、魔族に対する恐怖とその魔族の厚意に対する不安は簡単には消えない。

 結局、避難民の大部分はその場に留まり、魔族領に向かったのは十三家族八十七人だった。


 彼らは検問所のような建物に入って行き、しばらくしてそこから出てきた家族はいくつかの建物に出入りしていたが、やがて持っていた僅かな荷物をそのひとつに放り込む。

 やがて、そこに大きな袋が運び込まれる。

 そして、そのうち子供を連れた母親らしき者が籠を持って出ていく。

 かなりの時間が経過後、戻ってきた母子の手には大量のパン。

 さらに袋にも何かが入っているようだ。


 それがアストラハーニェ領内に残るものたちが遠方から見る同胞の姿だった。


「……一応、魔族から聞かされた話をすれば、手続きをした後にひとりあたり小麦十セネジュとアストラハーニェ金貨千枚が支給されるそうだ。その小麦をパン焼き職人のもとに持っていき、その量に見合うパンを貰う。また、それ以外のものは金貨を使って買うそうだ」


「干し肉や果物もあると言っていた」


「ちなみに店で使えるのは金貨のみとのこと」


 ドレチェは眺めている者たちの背中からその説明をする。


「ちなみに家はもともと兵舎らしいので、将軍が使うものから兵が雑魚寝するものまであるらしい。まあ、最初に行って兵たちが使うようなところは選ぶまい」


「この地では水は貴重だ。魔族は井戸を数本掘ったらしいが、転移魔法を使って遠くまで水汲みにいく我々からすればうらやましいかぎりだな」


 せっかくここまで生き残ったのに、餌に釣られて魔族の狩りの獲物にはなりたくない。


 その思いが強い残った者たちの観測は続く。


 翌日の朝。

 男たちは集まると、魔族に連れられどこかへ出かけていく。


 いよいよか。


 遠方から眺める者全員がそう思った。


 だが、昼になると全員が戻ってくる。

 そして、しばらくするとまた出かけ、帰ってきたのは夕方。

 手には壺、そして、小さな袋がある。

 まるで、一仕事終えた男が帰り道に酒を買い、家族には菓子を買ってきたかのように。

 そして、子供たちが男たちに群がる様子はそれが正しいのではないかと思えてくる。


「男たちは仕事をしているのは間違いない。だが、何をしている?」

「住居の向こうであるのは間違いないが……井戸掘りか」

「あり得るな」

「だが……それをやって得になるのはあそこにいる者たちだけ。魔族の利になるものはない。ということは……」


 二日後、空腹に耐えかねた五百人ほど魔族領へ向かうものの、変化なし。

 さらに翌日は八百人ほどが魔族領へ向かう。

 その頃には後方を歩いていた数万の大集団がコフドル砦に到着する。

 そして、その翌日には万単位の入国希望者が検問所前に行列をつくる。


「警備がきついわけではない。だから、逃げ出す気になれば十分に可能。それにもかかわらず誰も戻って来ないということは、問題はないということになる」


 ドレチェはコフドル砦から魔族領へと途切れることなく延びる行列を眺めながらそう呟く。


「待遇は悪くないということなのはわかる。だが、こちらから向かった者たちはいったいどんな仕事をしているのだ?」


 ドレチェたちアストラハーニェ側の人間が皆思っていたその疑問の答えを当事者たち以外で初めて知ることになったのはグワラニーの誘いに応じてクアムートから転移してこの地にやってきたブリターニャ出身の三人の若者であった。


 その場所にやってきてすぐに気づく。

 子供たちの笑い声があることを。

 直後、香ばしい香りが彼らのもとにやってくる。

 無意識にそちらへ視線が動く。


「あれは?」

「そこに見えているのは総菜屋ですね。魔族の料理ですが、意外に人気があります。少し離れた場所には酒が売っている店もあります。まあ、味は値段相応ではありますが」


 その瞬間、ファーブの顔が強張る。


「戦火から逃げてきた者たち相手にあこぎな商売をやっているのか?」


 さすがに剣には手はかかっていないが、拳はいつ飛んできてもおかしくないオーラを纏ったファーブの肩に手をやったのはマロだった。


「そうは見えないだろうが」


 その言葉にとりあえず熱を冷ましたファーブだったが、疑いが消えたわけではない。

 その視線をグワラニーに向ける。


「どういうことか説明しろ」

「勇者殿。このような場所で商売をしようとしても、そもそも客である者たちは金を持っていない。あこぎどころか商売そのものが成り立たないです。それに……」


「彼らが現在我が国の民ということになっています。その彼らが恒久的にこの地に住むには何が必要ですか?」

「家と食い物だ」

「そのとおりです。とりあえず住む場所で提供した。それから一年分の小麦も用意している。その間に彼らは労働して金を稼ぎ、さらに自身で主要な食べ物である小麦を自分たちでつくってもらう」

「だが、見たところそんな畑など……」


 そこまで言ったところでファーブはグワラニーが何を言いたいかをようやく理解した。


「開墾させる気か」


 そう言ったファーブはグワラニーの表情から自身の言葉が正解であることを確認する。


「だが……」


「そのようなことをやったことがないおまえは知らないだろうが、開墾は非常に大変なことだ。そもそもここにはそれをおこなうためにとって重要なものが欠けている」

「なんでしょうか?」

「水だ」


「見たところ、草原地帯だから雨はそれなりに降るのだろう。だが、それではだめだ。特に大きな農場をおこなう場合には」

「つまり、川がないこの場所は大規模な農場をつくるには適さないと?」

「そういうことだ」


 もちろんファーブのその言葉は自身の体験に基づくもの。

 間違っていない。

 だが、グワラニーはそれを聞いても動じることなく、薄い笑みを浮かべてこう答える。


「たしかにこの周辺には川はないなく一番近い川はここから二十アケト離れています。そのため飲み水を得るために井戸を掘りましたが、相当難儀しました。畑に使用する水を井戸からくみ上げるのは無理です」


「ですが、その点についての対策はすでに考えてあります」

「そんなものがあるはずが……」

「あるのです」


 ファーブの言葉を遮ったグワラニーはニヤリと笑う。


「やってきた彼らには伝えてあります。小麦をつくるには畑が必要。その畑を維持するためには安定した水の供給が必要。そのために二十アケト離れた川から水路を引く。畑の前に、まずこの工事をおこなってもらいたいと」

「二十アケトの水路。そんなものを……」

「深さ二ジェレト。幅十五ジェレトの規格。一ジェレトごとに切り売りし請け負わせます。担当区画が完成後アストラハーニェ金貨十枚を支払う。一応こちらの目算では一区画は一日で掘り終える。つまり、工事に従事すれば一日あたり金貨十枚が手に入るということになります」


 二十アケト。

 これは別の世界での二百キロメートルに相当する距離。

 すなわち二十万メートル。

 それをほぼ一日から二日で完遂できる一メートルと同等の一ジェレトで分ければ二十万区画。


 だが、視野を少しだけ広げれば、これが途方もない数字には思えなくなる。


 現在の二千人ほどの従事者であっても、早ければ百日で水路は完成できる。

 しかも、ここから従事者はさらに増える。

 五桁になるのもそう時間はかからない。

 転移魔法を移動手段に使えば、移動時間は無視できるのだから、二十日もあれば完成する。


 そして、そこから今度は開墾が始まる。

 もちろんそこは初期から労働に従事していた者たちが優先に好きな土地が分け与えられ各々が与えられた土地を整備する。

 当然家と水場に近い場所を選ぶ。


 まさに平等と競争の微妙な組み合わせによって短期間に無から有に生み出す魔法。


 そして、グワラニーは驚き、グワラニーから説明を受けた王が絶賛し褒美を支払った、ゴルダとスペンセがグワラニーに示した奇策の概要はこのようなものとなる。

 

 まず、アストラハーニェとの国境付近に住居を用意し避難民を受け入れる。

 もちろん当初は彼らが必要としている食料を提供する。

 これは避けられない。

 だが、いつ終わるかわからないアストラハーニェの内乱のツケを我々が支払い続けるのは難しい。

 むろん請求書をアストラハーニェの為政者たちに回せるのならそれもいい。

 だが、そうなる可能性は極めて低い。

 つまり、黙っていれば、我が国の小麦はアストラハーニェの国民に食い尽くされてしまう。

 タダで。


 避難民を受け入れ、さらにその経費が掛からないという、相反する方策。

 これを可能にするのは早い段階に彼ら自身が自らの食するものをつくるようにしなければならない。

 すなわち、彼らが住む国境付近で耕作をおこなわせる。


 だが、ここにはふたつの問題が立ち塞がる。

 ひとつ。

 その場所には耕作地がない。

 もうひとつ。

 そこには水源がない。

 そして、より重要なのは後者。


 では、その水源をどうするか。

 多数の井戸を掘るという方法もあるが、ここで選択すべきはこの地域から一番近いトゥラ川から延びる水路をつくること。


 約二十アケト。

 ただし、ほぼ平坦であるため、素人でも数さえ揃えれば工事は可能。

 つまり、数は多ければ多いほどよい。

 単純な労働時間だけいえば、二百万の労働者もいれば数日で完成する。

 そして、その後彼らに土地を与え自身の土地として開墾させる。

 多少の援助は必要ではあるが数年後には完全に自活できるようになる。


 最終的には自分たちのため。


 そうは言っても、水路建設工事に従事するにはそれだけではモチベーションは上がらない。


 さらなる動機づけ。


 それが報酬の支払い。

 しかも、担当する区画が完成したところで支払う出来高払い。

 それから、当日払い。

 基本的には一区画は一日で完成するくらいの作業量であることを考えれば、ほぼ毎日現金が手に入る。


 そこに現金が使える店が並ぶ。

 そうなれば、彼らはそこで買い物をし、作業に従事した者たちに支払ったアストラハーニェ金貨は回収できる。

 そして、ここでさらなる細工が用意する。

 魔族国内で使用が可能なアストラハーニェ通貨は金貨のみ。

 その代替として金貨一枚を十枚の銀貨券に交換できる制度を用意する。

 これで、使用する側はより細かな買い物が可能になり、魔族側もアストラハーニェ金貨の回収が進み、翌日の支払いに充てることができる。


 だが、実をいえば、ここまでは表面上のこと。

 グワラニーは苦笑いしながら採用し、アリシアやホリーが絶賛、そして、魔族の王が喜び進んでこの計画に協力する理由はその下層にあるものだった。


 クリストァン・ゴルダとジョルゼ・スペンセが示したこの策の真の利点。


 それは……。


「トゥラ川からバルティスクまでの二十アケトの水路は、たしかにアストラハーニェとの国境に広大な耕作地が出現させます。ですが、水の確保ができたのは終点だけではありません」


「その間の草原地帯。そのすべてが水源を確保できるということになります」


「さらに水路は水運にも使えます。物資の大量かつ高速の輸送には水路が絶対に必要。そう言う点で考えれば、労働者に支払う金など水路が稼働し始めればすぐに元が取れます」


「アストラハーニェの内戦が終わった時にさらにこちらの利がやってきます」


「グワラニー様は彼らを受け入れるにあたり、内戦が終了するまで保護すると宣言します」


「そして、内戦が終了する。その時彼らはどうするか?もちろん二択です。ここにある土地を放棄し、故郷に帰る。または、ここに留まる。そして、後者に対してグワラニー様はこう尋ねるのです。保護の期間は終わった。これから先もこの地に留まるにはあらたな契約を結ばねばならないがどうするか?」

「奴隷契約?」

「そのとおりです。資金と物資の提供は陛下より受けていますが、その管理運営はグワラニー様がおこなったのですから、そこがグワラニー様の土地になるのは確実でしょう。万が一、奴隷契約を拒むのなら、彼らは自身が水路を引き、開墾した土地を放棄する。そうなれば、よく手入れされた耕地が丸々手に入ります。その後誰か別の者にその土地を与え耕作させればよいわけです。つまり、どちらに転んでもグワラニー様は得をする側になります」


「そう考えれば、耕作者が多ければ多いほどよい。つまり、避難者はどこまでも受け入れられる。いや、受け入れるべきということになります」


「水路網はどんどん広げられ、耕作地帯も増えるのですから」


 そう。

 個人ではなく国家を動かすにはそれをおこなった場合に得られる利が必要なのである。


 悪くいえば伊達や酔狂、よく言えば理念や理想のためだけに、そのようなことをおこなえるのは個人、大きくなっても小集団までであり、自国民を統べる為政者が自国のために使うべき資金や資材を他国の為政者から見放された者たちに見返りなしに投じることなど国民に対しての裏切り行為に等しい。


 これがこの世界の常識。

 いや。

 この世界に限らず国を動かす者の常識である。


 つまり、冷酷に見えたアリストの言動は正しく、逃げて来たアストラハーニェ国民を救おうとしたグワラニーこそ異質。

 そして、実際にグワラニー自身それを自覚し、大風呂敷を広げたものの自分の財布で賄える範囲で救うことができる限界であることを認識していた。

 自己満足の極みではあるが、それでも救われる者がいるのならいいだろうと自身に言い聞かせて。


 それがここまで大規模にできたのは、すべての反対者を納得させるだけのものを示したふたりの異才の存在が大きかったということになる。


「このような場合、すべての者が満足する結果というのはありえないこと。だが、今回は多少の不満はあっても、大部分が概ね満足できる結果になったといえるだろう。まあ、現在に至るまでこれ以降これだけ大規模に同類のことがおこなわれていないことからわかるようにこの成功が奇跡的なものだったのは間違いないのだが」


 後の時代の歴史学者のセレスタン・バイヤールが述べた言葉は今回の件のすべてを現わしているといえるだろう。


 そして、当のグワラニーもこれについてこのような言葉を残している。


「結局、このような状況になった者に対して必要な物資を提供することが必要なのは間違いない。だが、与えるだけでは何も解決しない。集団を形成し自立できるようにする方向に進まなければ、いずれ提供側が破綻し、最終的にはすべての者が不幸になる。そう言う意味では、我々はその終点まで道筋を立てたうえでことを始めたことが成功した理由だろう」


 その日の夜。

 クアムートの交易所からファーブたちとともにラフギールに戻った瞬間、アリストは大声で叫ぶ。


「くそっ」


「そういうことだったのか」


 アリストとしては叫ばずにはいられない。

 なにしろ、それは自身の想定の範囲外のことではあったものの、いざそれを示されると十分に納得できるものだったのだから。


「グワラニーだけなからともかく、アリシア・タルファやホリーが納得していると言った時点でもう少し深く考えるべきだった」


「逃げてきた者は食べ物と住む場所が得られる。魔族は草原がタダ同然でつくられた水路によって耕作地に生まれ変わる」


「しかも、魔族にとってはタダ同然でも、やってきた者にとっては収入が得られる」


「しかも、そこは魔族領。内戦に巻き込まれる心配がない」


「文句を言う者などいないだろう」

「では、いいではありませんか」


 自身の言葉の直後にやってきたフィーネの言葉が心の奥にある正解の的の中央を射ていたためにアリストのモヤモヤ感はさらに高まる。

 フィーネにその感情がタップリと詰まった視線を向けながらアリストは言葉を続ける。


「もちろん制度自体は悪くはないです。ただ、それを考えたのがあのグワラニーだというところが気に入らないと言っているだけです」

「つまり、グワラニーに自分の思考の先に出られたのが悔しいわけですか」


 再び心の内を言い当てられたアリストは大きく息を吐きだす。

 これ以上抵抗すれば、さらに傷が大きくなることを察して。


「率直にいえばそうなります」


「言われてみればそれしかないと思うのですが、それを示されるまで考えもつかなかったですから」

「そうですね」


 フィーネはそう応じながら心の中で思う。


 誰もが考えつきそうなものなのに元の世界でもこれだけ大規模かつ完全な形で成功した国家による難民支援は聞いたことがないと。


「まあ、それはそれをおこなうだけの条件が揃い、やる側にそれだけの余力と利があったからでしょう。そのひとつでも欠ければできないことですから」


 ここでひとつだけつけくわえておけば、アリストもフィーネも今回のアストラハーニェの避難民を自国に招き入れ、金を払って土木作業に従事させるというプランはグワラニーの頭からひねり出されているものとしているのだが、これは間違いである。

 クリストァン・ゴルダというジョルゼ・スペンセという企画担当の文官がその発案者である。

 そして、そのふたりからその計画の概要を示されたときにグワラニーが口にした言葉は、アリストがフィーネとの会話中に口にした「言われてみればそれしかないと思うのですが、それを示されるまで考えもつかなかった」と同じもの。


「……餅は餅屋。そして、すべてのことに精通している者などいない。やはり、組織を動かし、より良い成果を挙げるには多くの人材を集めることは重要だ。そして……」


「私にとっての異世界であるここが愚鈍な者しか二十歳の壁を超えられない気持ちの悪い世界でなかったことに感謝する」


 これがひとりになったグワラニーが口にした言葉となる。



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