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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第三章 クアムート攻防戦
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クアムート攻防戦 Ⅴ

 もちろん、もうひとつのノルディア軍であるクアムートを包囲していた二万の軍勢も他の陣地の攻撃されるのとほぼ同じ頃、魔法攻撃に晒されていた。

 八か所に分かれて建てられていた魔術師たちが寝泊まりしていた小屋や防御魔法を維持するための魔術師が立つ見張り台を至近距離に突然発生した巨大な火の玉が押しつぶすようにして焼き尽くしたのに続き、陣地全体への魔法攻撃が始まった。

 ただし、他の陣地とは違い魔族兵の強襲はなく、最初の一撃で全滅の憂き目に遭った魔術師を除けば、一般兵士たちにはそこまでの損害は出ることはなかった。

 もっとも、それはあくまで実被害ということであり、一晩中降り注いだ火球や氷槍、それに轟音とともに届く雷に慄き、闇に紛れて逃亡した者が五千人近くにも及び、明るくなったとき陣地に留まっていた生者は一万をわずかに超える程度にまで減っていた。

 しかも、魔術師が全滅した時点で防御魔法はすべて消え、必然的に転移魔法の無効化が途絶える。

 今はまだ気づかれていないようだが、それも時間の問題。

 そうなれば、城内への補給は自由におこなうことができる。

 つまり、この時点で包囲網は破れたのも同然となる。

 さらに、正確には被害の実態はわかっていないものの、その方向から上がった火の手を見れば、本営も、そして攻略軍の要である人狼軍にも多くの被害が出ているのは間違いない。

 このような状況でこのまま漫然と包囲を続けていては、目的が果たせないどころか、背後から強襲されるおそれが十分にある。


「おそらく他も同じくらいの被害は受けている。不本意ではあるが、ここは一時撤退をして軍の立て直しをする必要がある」


「ベーシュ殿もそう考えているのは間違いない。そういうことであれば撤退命令が来てから右往左往し、他軍の足を引っ張ることがないように準備をしておくべきだろう」


 包囲軍指揮官タルファが自軍の状況からすぐさま撤退の準備を開始させたのは適切な判断だったといえる。

 だが、このときには肝心のベーシュはすでにこの世の住人ではなくなっており、幕僚たちも残らず司令官につき従っていたため、いつまで待ってもその命令は届かない。


「やむを得ない。命令違反の咎は私が引き受ける。撤退を始めろ。先鋒はベルガ将軍。殿は私の直属部隊が引き受ける。各隊秩序を持って行動せよ。急げ」


 痺れを切らしたタルファのその言葉とともに始まった撤退作業だったが、それは実に見事なものだった。


「隙だらけのようで実は隙が無い。撤退はまちがいなく本気だろう。だが、それが擬態と思わせるくらいの秩序と陣形が整っている。調子に乗って攻めに出たら籠城中の努力と苦労が無駄になりそうだ」


 逃げ出す包囲軍に一撃を加えてやろうと考えていた守備隊長プライーヤがそう言ってあっさりと攻撃を諦め、グワラニーとともにそれを眺めていたペパスもこう呟いていた。


「攻めは数さえ揃えれば勢いだけでも成功することもあるだろう。だが、このような不利な場面からの後退戦こそその将の能力を示す。あれは相当優秀だ」


 だが、どれほどの賛辞であってもあくまでそれは敵将からのもの。

 敗軍の将にとってはなんの慰みにもならない。

 そして、ここから始まる逃走劇とその結末こそタルファにとっての本当の試練だった。


「……本営は……全滅した模様。生存者……なし」


 どこにいるのか、いや、いるかどうかもわからない敵を避けるため大きく迂回するという困難な撤退作業を指揮しながら連絡を兼ねて出した斥候の報告は衝撃的なものだった。


「……一万近くの部隊が一晩で全滅?」


「……ということは、ベーシュ殿の見立てどおり、やはり別動隊がいたということか?」


「いや。その様子はまったくない。では、例の魔法攻撃によってやられたのか?」


「だが、そうであればもっとも狙われるはずの我々がこれだけ残っているのはおかしい」


 さまざま想定を錯綜させ自問自答するタルファのもとに、自軍撤退の連絡を兼ねて人狼軍へ送り出した斥候も戻ってくる。


「ビヨン軍は全滅です。残兵は……発見できず」

「……なんだと」


 その声の大きさと指揮官が纏った負のオーラに委縮したものの、斥候はその報告に続いてもうひとつの重要情報をもたらす。


「新たな敵三千。我が軍を追撃態勢に入っています」

「新たな敵?」

「はい。ビヨン軍の陣地よりはるか南からやってきたその軍は遠方で荷駄を放棄しクアムートには入らずそのままこちらに向かってきています」

「荷駄を放棄?つまり、元は荷駄隊だったということか?」

「そのようです。ですが、どうやら荷駄は先遣隊に任せたようです。昨日やってきた部隊が南に移動していますので」


「……ということは昨日布陣した部隊はクアムートに荷物を運びこむ予定はなかったということか。つまり、奴らの使命は囮ということになる」


「いや。結果だけ考えれば、もうひとつの可能性がある」


 もうひとつの可能性。

 もちろんそれはノルディア軍の殲滅。


「そういうことであれば、転移場所から始まる奴らの行動はすべて合点がいくが、合計でも五千程度の奴らにそれが可能なのか?」


 そう言ったところで、自嘲気味を笑みを浮かべる。


「実際に我々はこのような状況に陥っているのだ。可能だったということになるな」

 

 足りないピースでパズルを組み立てることを強要され最後はろくでもない結末に辿り着き苦虫を千匹ほどまとめて嚙みつぶしたような表情で歩くタルファに副官アドルフ・ムオニオが言葉をかける。


「撤退中とはいえ、我が方は一万に対し相手が三千。これだけ距離が離れていれば陣を整えて迎え撃つことは十分に可能ですが」


 つまり戦うべき。

 ムオニオの言葉はそう主張していた。


「三分の一しかいない敵に追い立てられて逃げ帰りたくないということか。率直に言えば、私としてもそうしたいところではあるが……」


 タルファはそう呟きながら、降り注ぐ魔法攻撃に一晩中逃げまどい、恐怖と疲労によって戦意喪失し項垂れて歩く部下たちを眺める。

 精鋭を揃えた自らの直属部隊でさえこれだ。

 当然ながら他はさらにひどい。


「今回は負けたが、魔族との戦いが終わったわけではない。ここで戻ることさえできれば復讐戦もおこなえる。将のつまらぬ誇りのために兵を無駄死にさせてはいけない」


「今はバベロを経由して友軍が駐屯しているオコカまで引き上げることにする。とにかく追いつかれないように急げ」


 だが、こちらは疲労困憊。

 対する敵は休養十分。

 このままではオコカどころか途中のバベロまで辿り着かないうちに追いつかれるの確実。

 

「……今はオコカまで戻ることを何よりも優先させなければならない」


「全軍に命じる」

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