死者蘇生
再びの敗戦を喫し、さらに王国の魔術師長を失ったアストラハーニェにはこれから長い混乱と試練の時が待っているわけなのだが、ここで同じ頃に別の場所で起きていたある意味ではアストラハーニェの敗戦以上に重要な出来事について語っておこう。
もちろんそれは敵軍を粉砕しながらなぜか撤退した勇者一行に関わること。
すなわち、この世界で初めておこなわれた死者蘇生についてである。
あの戦いの後に彼らが転移魔法で戻ったのはラフギール近くのアリストの別邸。
そして、そこで大魔法「死者蘇生」によりマロがすぐさま復活していた。
というわけではなかったのである。
「死者蘇生」をおこなった場合の枷である魔法が使えないというのは、フィーネが営む店にとって死活問題といえるくらいの一大事であった。
その期間も乗り切れるように多くのことをしておかねばならない。
そのため、しばらくマロの身体は冷凍保存されることになったのだ。
だが、そうなると今度は別の問題が発生する。
残るふたりファーブとブランが町に帰るとことができなくなるのである。
もちろん帰ることはできるのだが、なぜマロがいないのかを問い詰められる。
自称マロの婚約者エマ・フォアグレンに。
当然ファーブやブランでは彼女相手に言い逃れはできない。
そうなれば、事態はさらに数段階は進む。
悪い方に。
そうならならないためにはふたりは戻れない。
いや、戻されない。
いわゆる、軟禁である。
もちろんファーブやブランはそれが数日だと思い我慢していたのだが、さすがに十日を過ぎるとクレームが出始める。
そして、十五日目に遂に爆発する。
と言いたいところが、そうはならなかった。
その理由はアリスト。
そう。
アリストは自身の手によって妹ホリーを灰にしてしまったと思い込み、憔悴しきっていたのだ。
そのアリストに何かを要求するのはさすがの脳筋コンビもできなかった。
そういうことならフィーネ本人に言えばいいだろうということになるわけなのだが、口には出せない諸事情によりそれはなかなか難しい。
そういうことでふたりのストレスはさらに溜まっていく。
そして、勇者一行が半壊状態に陥っていたマロの死から十九日目。
フィーネがファーブとブランに告げる。
「今日おこないます」
「……わかった。ちなみに……」
「それを始めたらどれくらいで兄貴は復活できるのだ?」
ブランからのこの問いは当然過ぎるものではある。
そして、その問いに対するフィーネの答え。
それはこうであった。
「まあ、人間でおこなったことはないのでわからないのですが、前に鼠で試したときはあっという間でしたから、おそらくすぐでしょう」
そう言ったところでフィーネはブランの神妙な顔を見やる。
……成功するかどうか心配なのでしょうね。
……まあ、当然ですが。
フィーネは小さく息を吐きだす。
「安心しなさい。失敗することはありえませんから」
「絶対に」
この世界で初めておこなわれる死せる者を蘇らせるという大魔法。
英雄譚でこの大魔法がおこなわれるシーンを語られるのであれば、これでもかと思えるくらいに長い説明がつけられるであろう。
それこそあることないこと。
……ですが、実際はそのような劇的なことは何もありません。
……死者が生き返る以外は。
フィーネは薄く笑う。
……ただし、精神を集中させなければならないのは事実。
「ファーブ、ブラン。早くマロに会いたいのであれば、部屋から出ていってもらえますか。そうでないと……」
「わ、わかった」
フィーネの言葉を最後まで聞くことなくふたりは大急ぎで部屋を出ていく。
「頼む」
その言葉を残して。
「……さて、始めましょうか……」
無人の、正確には自分と死体がひとつあるので、無人ではないのだが、とりあえず、自分以外の生者がいないその部屋でフィーネは呼吸を整える。
その部屋は地下なので窓はない。
そして、灯りは蝋燭。
精神を整えるのであれば、これほどふさわしい場所はないだろう。
「ですが……」
「ここまで気を使う必要はないのです」
「理を超えた魔法とはいえ、治療魔法の一環。どこでもできるものでなければならないのですから」
その直後、フィーネの右手に杖が顕現する。
「どこかの世界であれば、これだけの魔法儀式をとりおこなうわけですから、まず長々と魔法詠唱し、それとともに色とりどりの魔法陣が現れるところなのでしょうが……」
そう呟き笑う。
「戦闘中にそれをやらなければいけない事態になったときにはどうするつもりなのでしょうか。自分も死にますよ。そんな悠長ことをしていては」
「その他の魔法のときもやっている最中も攻撃されたなどというところは見たことがなかったので、もしかしたら攻撃してはいけないという暗黙のルールがあるのかもしれませんね」
「もし、そういうことであれば、随分と優しい世界です。そこは」
そう言って再びもう一度笑う。
「さて……」
「そろそろ真剣になって精神を統一し、イメージしましょうか」
「それを……」
目を瞑り、生きていた時の男をイメージし、杖を男の死体に向ける。
そして、一瞬の五倍ほど後。
「……まあ、こんなものです。現実は」
フィーネはそう呟き、現実の淡白さに少しだけ笑みを浮かべる。
そう。
彼女の目の前で硬直していたはずの男の身体がモゾモゾと動き出したのだ。
まさに一瞬である。
そして、その男はやがて目を開ける。
顔、それから視線を左右に動かし、辺りを見渡すその目はやがて知り合いの女性に行きつく。
「……ここは?」
「アリストの邸宅の地下ですね」
その女性からの声を聞き終えるとしばらく自身の記憶との整合させているらしい男は黙り込む。
「俺の記憶が正しければ俺たちはあの魔族の罠に嵌り、魔族の大軍に追い回されていたはずなのだが……」
「そうですね」
「そして、フィーネの剣が折れ、斬られそうになったところを俺が防いだ」
「そのとおり。その後は?」
「どうも記憶にないな。だが、この様子では俺は気絶していたのか?」
……なるほど。
……そのポイントに遡ったということですか。
生き返るということはそういうことだと感心したところで、フィーネは種明かしをする。
「……実はマロは三本の剣に刺されました」
「なんだと?」
生き返ったその男は大声を上げ大慌てでそこら中を手で確認する。
「つまり、深手を負って気絶し、ここに連れ込まれたのか。なんたる不覚」
「まあ、串刺しにされて死んだマロをここまで連れ帰り生き返らしたというのが正しい表現ですね」
「死んだ?俺は死んだのか?」
この状況でもっとも不似合いな言葉を張り上げた直後、物凄い音が近づいたと思った瞬間、ドアを蹴破ってふたり男が入ってくる。
「兄貴」
もちろん兄の叫び声を聞きつけ大急ぎでやってきた彼の弟であるブランである。
続いてもうひとり。
勇者の肩書を持つ若者である。
「絶対に大丈夫と言われたが本当のことをいえば、不安だった」
「と、とにかくよかった」
「……そうか。そうだな」
むろん言葉を言い終わるころにはふたりとも大泣きである。
一方、蘇った方はそれとは対照的な表情でそれに応じる。
そもそも彼の中では自分が死んだという実感がないのだから、当然といえば当然であろう。
その男がしばらく周囲を見渡すと口を開く。
「ところでアリストはどうした?」
「死んだ俺が生き返ったのを別の意味で一番喜びそうなアリストがこの場にいないというのはどういうことだ?」
死から生還した男から冷静な問い。
ふたりの男は譲り合うように顔を見合わせて、その役を押し付けられたファーブが渋々応える。
「実は……」
いずれバレる。
そういうことなら今のうちに手早く済まそう。
実にわかりやすい理由によりファーブが語り出したのは、もちろん彼らの中では確定された事実となっていること。
実を言えば、フィーネとファーブ、それからブランはそれについてコッソリと確認していた。
クアムートで。
だが、運悪く、グワラニーはちょうどアストラハーニェとの戦いの最中。
当然戻れない。
そうなれば、応対した者はこう言わざるを得ない。
「グワラニー様は所用で動けない。であるので、しばらくはこちらに来ることはできない」
そして、続く代理の者についてもすべて門前払い。
バイアをはじめとして彼らも皆戦場にいるので当然そうなるわけなのだが、問うた方はその理由を別のものへと判断する。
グワラニーは死んだ。
当然そうなればグワラニーの傍らにいたホリーも巻き添えになって死亡。
ファーブからその話を聞いたマロは少しだけ黙っていたが、やがて口を開き、短い言葉を吐き出す。
「そういうことなら、申しわけないことをしたな。アリストには」
「だが、とにかく生き返ったことだけは伝えないといけないな」
自分が生きていることを確認するようにゆっくりと立ち上がる。
そして……。
「……アリスト」
「お帰りなさい。マロ。外見上はどこも変わっていないですが、どこか変わったところはありましたか」
私室にやってきたマロを抜け殻のようなアリストはそのような言葉で迎える。
それでも少しだけ光を取り戻したような瞳でマロを眺め直すと、もう一度口を開く。
「それで死者の間にはどのような体験をしてきましたか?」
「それはあの世とやらの話だろうが、何もなかったな。少なくても記憶には残っていない」
「そうですか」
「とりあえず、記憶や知識、そしてなによりも武器の扱いなどに変化がないかを確認して問題ないようならラフギールに行ってもいいですよ」
「ただし、あなたが体験したことは絶対に話してはいけません」
三人の若者は部屋を出ていく。
誰が酒を奢るのかを大声で口論しながら。
残ったのはアリストとフィーネ。
「ご苦労様」
「それで……」
「実際のところ、どうなのですか?マロは」
アリストが尋ねるのは当然である。
この世界初めて死からの生還をしたのだ。
いや。
死者を蘇らせたのだ。
その記録は残すべきものだ。
外見は後からでも確認できる。
まずはその他から。
アリストがいつも通りであれば、事前準備がされているだろう。
だが、そうでない今は、手際の悪さは致し方ないところであろう。
フィーネもアリストを気遣うようにその点に触れることなく、問われたことを答える。
「どうやらマロは死の記憶はないようです」
「というより、刺されたことも覚えていない。ということは、記憶を含めてそれより少し前に戻ったということのようです」
「もっとも、それが術を行使するときに私が思い描いたマロの姿でしたから」
「なるほど」
「ということであれば、うまくすればもう少し遡れるということなのでしょうか?」
「さあ。ですが、あまり欲を掻くと失敗するかもしれません。次回行う場合も、その辺にしておくのがよいのではないでしょうか」
「……そうですね。それで……」
「魔力は?」
「完全に抜けていますね」
「まあ、それは仕方がないですね。とにかく……」
「ご苦労様でした」
「……それで、アリスト。ひとつ提案があるのですが……」
「言わなくてもわかっていますよ。フィーネ」
「こうして死者蘇生が成功したのだから、ホリーも蘇らせることができると言いたいのでしょう」
「ですが、私が手に入れられるのはホリーの髪の毛くらい」
「それで成功するかもわからない状況で、さらに何百日もあなたを魔法が使えない状態にしてやるべきことをさらに先延ばしにするわけにいきません。それに……」
「今回はマロの完全体で死者蘇生をおこなったので目の前に復活させられましたが髪の毛から復活させた場合、どこで彼女が蘇るのですか?」
「術者であるあなたの目の前ならいいです。ですが、ホリーの場合、灰とはいえ死体がある場所とは違うところで死者蘇生をおこなうわけです。そのようなことも含めてホリーにその術を行使するのはもう少し考えたほうがいいでしょう」
そう。
死者蘇生の魔法はこの世界で初めておこなわれたもの。
つまり、すべてのことに比較する前例がない。
すなわち、今回知ったこと以外のすべてが想像の世界、すなわち未知なのである。
そのような大部分がわからぬ以上、まずは魔力復活を優先し、そして、魔族討伐をおこなうべき。
それがアリストの意見となる。
「ホリーの件はその後。そして、それまでは私の枷として心に留めておくことにしましょう」
そう言って自身の提案を謝絶したアリストを眺めながらフィーネは気づく。
アリストに与えられたダメージの深刻さを。
あの場面での判断ミスがそもそもの始まり。
結果論にはなるが、もう少し慎重な判断をすべきだった。
勇者を仕留めるための最高の手段は多数の戦士の投入。
これは勇者出現以来、魔族軍がおこなっていたこと。
ただし、それが成功しなかったのはその数を劇的に減らされていたからだ。
その方法が攻撃魔法。
これが防げないためにこれまでの魔族軍の攻撃はすべて失敗していた。
では、それを防ぐにはどうしたらよいのか?
もちろん防御魔法を展開するということになるわけなのだが、それは魔力量によってその強さが決定される以上、事実上防ぐのは不可能だった。
だが、それ以外にもうひとつその方法があった。
それが魔法無効化結界と呼ばれるもの。
もちろんこれも相応の魔力と能力が必要とされるのだが、それをおこなえば、指定されたエリア内では相手が誰であろうと魔法を発動できない。
そして、その範囲は視界内。
もし、グワラニーが本気で勇者を討つ気であれば、必ずこの魔法を展開するだろうし、それをおこなうのに最高な場所は隠れるところがない平原。
そこまでわかっていながらあの場に踏み込んだのがそもそもの間違いだった。
もちろんあの場では十分に気を使い、それに対する対応はしていたつもりだったが、結局深みに吸い寄せられたのだから、十分な対応が出来たとはいえない。
もちろん後退を指示したことは間違いではない。
フィーネにふたりの護衛を付けたのも選択としては間違っていない。
逃げ切れなかったのは、後方の敵を完全に排除しないまま草原に踏み込んだからということになる。
そして、最大の失策。
それは……。
怒りの感情を抑えきれず、グワラニーに向けて一撃を放ったこと。
今までのグワラニーの戦い方を考えれば、乱戦状態になっておけば味方を巻き込んだ攻撃はしてこないのはわかっていたはず。
つまり、こちらも防御魔法を展開するだけで十分だった。
それなのに、ホリーが隣にいることを知っていながら……。
そう。
これがアリストの心の刺さった棘。
自責の連鎖。
そこにグワラニーの死亡は確実という話はできない。
……さすがにクアムートの話はしない方がいいですね。
そんなアリストを見ながらフィーネはそう呟いた。
さて、せっかくだ。
ここで少しだけ考察的な話をしよう。
この世界で初めておこなわれた今回の死者蘇生の結果だけで考えれば、蘇生した本人については特別なペナルティはないのだが、これは別の世界の常識からいえば驚くべきことである。
実をいえば、某世界の英雄譚には死者蘇生のような大魔法を発動させた場合、ほぼ確実に数々のペナルティが存在する。
それを知るフィーネはそれを訝しみ、この後、アリストの家にいる簡単な治癒魔法が使える魔術師に依頼して試したが、治癒魔法を受けつけないというような副作用もない。
では、能力のレベルダウンはどうか?
もちろんマロの能力というのは怪力を活かした剣技だけなので、それは剣技ということなのだが、それについてまったく変化なし。
残るペナルティとしては、死者蘇生は同じ人間には一回しか使えないというようなものなのだろうが、こればかりはそのときにならないとわからない。
そうなると、フィーネの推測どおりこの世界では死者蘇生は治癒魔法の延長線にある魔法ということになるようである。
ただし、延長と言っても、いわゆる限界突破の魔法であることは間違いなく、その限界突破の魔法を行使した魔術師にはペナルティは付加される。
これはフィーネが勇者一行に加わる前におこなった実験での経験によってわかっている。
そして、フィーネが再び魔法を使用できるようになれば、そのような場合でも魔力の完全消滅ではなく、時間が経てば使用できる類の者であることが証明されるわけである。
さらにそこから推測できることもある。
死者蘇生と同じく、異世界転移という究極の転移魔法によって別の世界からこちらへやってきた者たちが手にした魔法書には「異世界転移をおこなって失った魔力は回復しない」と記されていたようなのだが、実際は時間こそ要するものの、復活はできるのではないかという仮説も成り立つ。
もちろんそれらはすべて仮説。
成り立つのかはその時がこないとわからない。