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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十六章 東部戦線
302/372

驚愕の一手

「これで対アストラハーニェ戦がこちらの勝利となったら、第一功は夫人ということになるのだろうな」

「ええ。ハッキリいえば、今回のアストラハーニェの予想以上の攻勢は我が国にとっては危機といえるものでした。それを完勝といえる結末を迎えられることになれば、彼女は本物の国母と呼ばれるべき存在になることでしょう」


「そして、アストラハーニェ軍司令官アレクセイ・カラシニコフの誤算は……」


「我が軍にアリシアさんがいたこと。それを知らなかったのが大きいでしょうね」

「まったくだ」


 グワラニーとアンガス・コルペリーアの黒い笑みを浮かべながら語らった謎めいた会話。

 それが形となって現れたのはグワラニーがアストラハーニェ軍の前に現れてから八日目のことだった。


 アストラハーニェ王国の王都ニコラエフカ。

 昼を過ぎたところでほぼ同様の急報を携えた伝令が次々とやってくる。


 そして、そのうちのひとりは軍をまとめるアレクセイ・カラシニコフのもとへ。


「……南方の国境が破られた?」


 その内容を聞いたカラシニコフは顔を顰める。


「マジャーラの山賊どもが……」


「我々が魔族の戦いに手一杯になっているのをいいことに調子に乗って攻勢に出てきたのか」


「だが、奴らを押さえつけるだけの兵力は南部国境に配置していただろう。まさか山に踏み込んだのか?」

「い、いいえ」


 カラシニコフの語気の強さにたじろぎながらもヴャジマ・カシモフという名の少年兵は全身を使いそれを否定する。


「突然の奇襲を受けカルゴポリ砦の主要部分が破壊され、伝令班長の命により私はこの時点で後方に走ったので、その後の詳細はわかりませんが……」


「ただ、遠くではありますが火柱が何本も上がっていましたので前線はほぼ壊滅したのではないかと……」

「山賊どもにそこまでやられるとは指揮を任せていたストヴェンニ将軍は何を……」

「……カラシニコフ様」


「攻めてきたのはマジャーラの山賊どもではありません」


「魔族です」

「……魔族?」


 カシモフが来た南部は魔族ではなく山賊国家マジャーラとの国境地帯。

 そして、魔族との国境はすべてアストラハーニェが攻勢をかけているので魔族がマジャーラ方面に移動するなど不可能。


 カラシニコフはカシモフの言葉をまったく信用せず、その言葉を聞いても南部国境を侵犯したのはマジャーラだという考えを変えていなかったのにはそのような正当な理由があった。


 だが、血だらけの別の伝令がカラシニコフの部下たちに引きずられるように入ってくると状況は一変する。


「ペ、ペドロバルク城が何者かに襲撃され完全破壊されました」


 伝令はそれだけ言うとこと切れる。

 いや。

 死んだように見えたものの、カラシニコフが確認するとその少年はまだ息があった。

 すぐに手当するように命じ、あわせてカシモフも下がらせる。

 残ったのはふたりの側近ボリス・エラニ、ゲラシー・カリニンスクだった。

 カラシニコフはふたりに目をやる。


「ほかに何か言っていたか?」

「城が突然燃えた。自分は伝令兵なので瓦礫から抜け出して後方に走った。城は瓦礫になったので大部分は死んだと思われる。アイハルの砦に援軍を求め、それから王都に報告に来たと」

「ひとりで来たのか?」

「魔術師がひとり。ですが、その者は自分は後方のアイハルの砦に所属しているので何も知らないと」


 ペドロバルク城は南部では有数の堅城。

 マジャーラごときに落とせるはずがない。

 

 だが、本当に襲撃が魔族のものだとしたら魔族はマジャーラ領を通ってきたことになる。

 だが、あのマジャーラが黙って通すはずがない。

 当然魔族はすでにマジャーラと一戦やってきたということになる。

 だが、そのような兆候があったなどという報告はない。


「……話の整合性がまったくない」


 カラシニコフは混乱する。

 そこに王宮からの使者が来る。

 もちろん呼び出しの要件は疑いようもない。


「……この忙しいときに……」


 そうは言ったものの、自分は王の臣下。

 命があれば行かねばならない。


 カラシニコフは自身に言い聞かせるように歩き出した。


 アストラハーニェの王宮。

 応接間と呼ぶには華美な装飾が施された一室。

 王宮の主はいないものの、その代わりとなる者がカラシニコフを待っていた。

 そして……。


 カラシニコフを呼び出した者である宰相アナトリー・イグマスはやってきた男を冷ややかに見やる。


「王宮への報告をまとめると、南の国境のほぼ全面が抜かれている」


「山賊ごときにこれとは軍の大失態だ。さらに肝心の魔族領も兵を失うばかりで何も得られない。すべてが終わったら相応の処分が下されると思え。カラシニコフ」


 イグマスの視線と同じ種類の言葉を丁重に受け流すと、事態に対応するためにと称して退室したカラシニコフは思案する。

 ここまで大規模かつ広範囲となるとさすがにマジャーラの仕業とは思えない。


「だが、本当に魔族だった場合、マジャーラの山賊どもは何をしていたのだ?」


 王宮にある自身の部屋に入った瞬間、八つ当たり気味にそう怒鳴り散らかしたカラシニコフのもとにさらに情報が届く。

 それはまるで自身の問いに対する答えのようなものだった。


「……魔族軍の後方にマジャーラの兵が進軍しているだと?」


 つまり、マジャーラは魔族と共闘したということである。

 いつ、どうやってという疑問はある。

 だが、先ほどの宰相の言葉もある。

 すぐさま軍を派遣し鎮圧しなければならないのだが、主力はすべて西方に送り出している。

 残っている軍のうち魔族軍と対等に渡り合える戦力を有しているのは王都を守る部隊のみ。

 迎撃にはこの部隊を使うしかないだろうが、敵の全容がわからぬうちはその規模は決められない。


「いや。ここは……」


 カラシニコフの頭の中で別の世界で得た知識が言っている。


 相手の戦力がわからぬときは持てる最大兵力を至急向ける。


「そうだった。では、そのように」


 ……といっても、さすがに王都防衛軍をそっくりというわけにはいかない。

 

 ……問題は魔族。平野に出てきたマジャーラの山賊などいくらいようが敵ではない。

 ……魔族の数が二万として五倍で十万。その五割増しというところか。

 

「ボリス、ゲラシー。王都防衛隊長グレゴリー・アニシェフ将軍と副魔術師長のアガフォン・クロチホフに、十五万の兵と二万の魔術師を率いて南部の国境を侵犯してきた無礼な輩を鎮圧してこいと伝えろ」


「……現在釘づけにしているのはグワラニー軍で間違いない。しかも、その数は二万を超える。つまり、全軍。そういうことであれば……」


「……たとえやってきたのがマジャーラと手を組んだ魔族であったとしてもそう恐れることはない。下手をすれば魔族を装ったどこかの傭兵団という可能性もある」


 ふたりが大急ぎで出かけると、ひとりになったカラシニコフは窓の外を眺める。


「報告が正しければ、それだけの攻撃力を有しているのはやはり魔族。だが……」


「どうも信じられない」

 

 なぜなら、相手は山賊国家マジャーラ。

 勝てない相手だからと魔族の大軍を黙って通すなどという知的な行為をあの蛮族にできるはずがない。

 状況から唯一考えられるのはマジャーラと魔族が手を結んだということだが、魔族はともかく、マジャーラの蛮族が話し合いで取り決めをおこなうなど間違ってもありえない。


 そうなると仲介者がいるということになるのだが、それはアリターナとアグリニオンのどちらかということになる。

 だが、それをやって仲介者に利があるのか?

 ない。

 特に、アストラハーニェとの貿易を独占しているアグリニオンの守銭奴商人にとっては。


 どの道もすぐに行き止まりになり、粘り強いことを自慢のひとつとしているカラシニコフもついに推測することを諦めた。


「まあ、いい。魔族を破り、その後ろをこそこそ歩いている山賊を捕まえその口から真相を聞けばいい」


 カラシニコフにとっては難攻不落の謎解きのようなその出来事。

 その真実を知るにはグワラニーが兵を動かす決定をした日よりさらに何日も時間を戻さねばならない。


 その日。

 美しい女性が少女ふたりとおそらく夫と思われる男性騎士とともに姿を現したのはアリターナの王都パラティーノだった。

 そして、その集団を自邸に招いたのはその国の公爵家の実質的当主でこの世界で最高の交渉集団「赤い悪魔」の長アントニオ・チェルトーザ。

 そのチェルトーザが口を開く。


「ようこそ、アリターナへ。アリシア・タルファ。そして、皆様方」


 そう。

 やってきたその女性は魔族軍将軍アルディーシャ・グワラニーの幕僚アリシア・タルファ。

 むろん公的なことを言えば、魔族軍の幹部であるアリシアはアリターナには入国できない。


 だが、どの世界でも同じであるが、光には闇が、表には裏がつき従う。

 当然、公的なものにはその対になるものが存在する。


 それがこの状況ということだろう。


 一応、アリシアたちがここに来た経緯を簡単に説明しておけば、魔族とアリターナの国境で定期的におこなわれている書簡のやりとり。

 そこに「緊急」の文字が書き加えられたチェルトーザ宛ての書簡を持った四人組が現われ、それを読んだチェルトーザが大急ぎで現地に出向き、王都に連れ帰った。

 そういうことである。


 むろんチェルトーザはあのときの苦い記憶とともにアリシアを怯えている。

 だが、サングラスをした少女には会った気がする程度。

 残りのふたりについて初めて顔を合わせる。

 たぶん。


 護衛を兼ねてアリシアの身分を偽装するための要員。


 そう考えていたチェルトーザは、自己紹介されるたびに腰を抜かしかけることになった。


 もちろん、アリシアの夫と囚われの身であるはずのブリターニャ王女というふたりの自己紹介にも十分過ぎる驚きであったのだが、やはり極め付きは最後にサングラスを外し挨拶をした少女だった。

 彼女は魔族であろうことは推察していたのだが、アリシアよりその名を聞かされた瞬間、チェルトーザの記憶が揺れ動く。


「……思い出した。クペル平原のあれをおこなったという少女……」


 もうこれは護衛のレベルではない。

 どのような目的でやってきたかは知らないが、脅しのタネとして彼女が同行してきたのは間違いない。

 

 チェルトーザはそう確信した。

 唇を噛んだチェルトーザは、北方の女性の特徴をすべて手にしている美しい人妻を眺め直す。


「さて、今回はどのような目的で……」


 アリシアが国境を警備していた兵士に手渡した書簡には、アリターナ王都に行きたいので出迎えを頼むと書かれていた。

 単なる交渉なら国境にチェルトーザを呼びつければ済むこと。

 それをわざわざ敵国の王都に行きたいと言ったのだ。

 当然何かしらの目的がある。


 幸い、それを伝えねばアリシアも目的には辿り着かないという事情があるので、入口での駆け引きはない。

 問題はその中身だ。


 飲めない要求は拒絶するしかないのだが、その場合の反応を考えれば、要求にはできるかぎり応じなければならない。

 微妙な表情を見せるチェルトーザの問いにアリシアは笑顔のままでこう答えた。


「アグリニオン国の女主人に面会がしたいのです。明日には会えるように取り成しをお願いします」


「もちろんその時に詳細はお話しますが、これはアリターナの将来にも関わることなので当然チェルトーザ様にも同席していただきます」


 つまり、アグリオンの女傑アドニア・カラブリタと直接交渉をしたいので、明日中に交渉できるようセッティングしろ。

 そういうことである。


 自分とカラブリタの関係からそれは可能であろう。

 そこに自分も同席することがいいことなのかはわからないが。


 当然拒否するわけにはいかない。


「すべて承知しました」


 アリシアたち一行を自邸に泊まらせ、できるかぎりのもてなしをするよう執事長ファウスティーノ・オルバサーノに命じると、チェルトーザはすぐさまアグリニオン国の都セリフォスカストリツァにある国の中核ウーノラスへ飛ぶ。

 通常は馬車を使った正式ルートでやってくるチェルトーザが転移魔法でやってきたことにウーノラスの女主人アドニア・カラブリタは少々驚いたが、チェルトーザが口にした内容はさらに驚くものであった。

 ただし、商才溢れる彼女はそれから漂う儲けの香りを嗅ぎ取る。

 当然チェルトーザを経由させたアリシアの要求を承諾する。

 そこまで決めたところでアドニアはチェルトーザに尋ねる。


「ところでそのアリシア女史の要件は何かわかりますか?」


 本来はすべてを知ったところで要求に対して回答するわけだから、自身の行為が通常とは真逆。

 もちろんそれは自覚しているものの、やはり聞かねばならないことではある。

 だが、残念ながらこの時点でもチェルトーザは魔族側の意図を掴みかねていた。


「アストラハーニェが魔族領に侵攻したことに関係があるとは思いますがそれ以上はなんとも」


 それがチェルトーザの言える精一杯の言葉だった。


 翌日。

 時間にルーズなこの世界にあっては予定通りといえる時間にチェルトーザに連れられた四人の男女がセリフォスカストリツァに姿を現す。

 むろん四人ともアグリオンの地を踏んだのは初めてだったのだが、その中でもデルフィンは、のちに「この地を失ってから初めて南の海が見える地点に到達した魔族の国の住人」と評されることになる。


「噂には聞いていましたが随分と活気がある町ですね」


 それがアリシアの感想であり、他の三人も同じ思いだった。


「金さえ払えばほぼすべてのものが手に入ります……」


 そう返したチェルトーザは少しだけ時間をおいて、このような言葉をつけ加える。


「ただし、海の向こうには『すべてが手に入る場所』があるということなので、そちらには劣るのでしょう。ですが、少なくても陸上では一番でしょう。まあ、魔族の国を除けばということになりますが」


「そして、あれがこの国を統べる者たちが集う場所ウーノラスです」


 そう言って、貴重な板ガラスを全壁面に使用したこの世界で最も華美な建築物を指さす。


 そして……。


「アドニア・カラブリタ。アグリニオン国評議会の長を務めています」

「アリシア・タルファと言います。現在はグワラニー将軍の部隊で幕僚を務めています元ノルディア人です」


 非公式なものとはいえ、交渉する両国の代表がどちらも女性というのは男尊女卑が蔓延るこの世界では画期的なことといえるだろう。


 一方がそれをおこなうだけの才があれば性別も年齢も関係ないというどこまでもビジネスライクな商人国家の者。

 もう一方は事情により交渉人としてその場に送り込めるのはアリシアだけだったという選択肢の少なさ。

 そのような条件がこの実現に深く関わったことは間違いのない事実なのだが。


「では、すぐに本題を入りましょう」


 アドニアはそう切り出し、右手でアリシアに発言を促すと、それに応じるようにアリシアは一礼する。


「私の上官アルディーシャ・グワラニーが望むこと。それは……」


「マジャーラの長と話し合い」

「マジャーラの長と話し合い?」

「はい。といっても、我が国は現在アストラハーニェと交戦中。グワラニーもまもなく戦闘に参加するので、話をするのは私ということになりますが。あなたにはその仲介と当日の通訳をお願いしたい」


 魔族の国とアストラハーニェが戦いを始めたのは知っている。

 だが、その状況でマジャーラの長と何を話すのか?

 和議以外にない。

 そして、和議ということでなければ、当然同盟を結んでアストラハーニェの背後で蠢動させる以外にない。

 

「……それで、具体的内容は……」


 チェルトーザに遅れてその終着点に辿り着いたアドニアは確認のためのそう問う。

 だが、アリシアが口にしたことはアドニアやチェルトーザの上をいくものだった。


「国境の開放。具体的には我が軍の通行を許可をマジャーラに求めるということになります」


 予想外の内容にチェルトーザは天を仰ぎ、アドニアも自身の脳をフル回転させた後にある結論を達する。


 無理。


「アリシア・タルファ。私がマジャーラの長との仲介をおこなったとした場合、その要求をマジャーラが承諾すると思いますか?」

「もちろん」


 自身の問いに間髪入れず肯定の言葉を口にしたアリシアをアドニアは見る。


「あなたは知らないでしょうが、私、それからアグリオンの多くの商人はアストラハーニェに対して多くの利権を持っています。その私がアストラハーニェの不利益になる行為を承認するとお思いか」


 つまり、事実上の拒否。


 チェルトーザは音のない言葉で同意の言葉を呟く。

 だが、その直後、事態はふたりの意志とはまったく反対へと舵を切る。


「お伺いします」


「あなたはアストラハーニェに多くの利権を持っており、その利権を守るために私の要請を拒否すると言いました」


「つまり、アストラハーニェにある利権の方がアグリニオンが持つ我が国に対する利権より大きいと認識していると思っていいのでしょうか?」


 もちろんそれはアリシアの言葉であるが、明敏なアドニアもその言葉の意味することをすぐに理解できなかった。

 薄く笑うアドニアが口を開く。


「そもそも現在のあなたの国と交易をしている我が国の商人が……」

「金と銀」


 いないと言いかけたアドニアの言葉を遮って口にしたアリシアの言葉は短いものだった。

 ただし、そこで終わりではなかった。


「もちろん直接取引をしている者はいないでしょう。ですが、この世界の金や銀はどのような者を通して流れているかを考えてください」


「もし、私たちがその者にこう話をしたらどうなりますか?」


「あなたとあなたの仲間はあの者との取引をやめなさい。そうでなければ、今後金や銀はアリターナを通じて人間社会に流します」


「より効果的には、あの者がこの世に存在するかぎりあの国のすべての商人と取引しないようにと言うでしょう」


 アリシアの言葉が終わった時、両者の立場は完全に逆転していた。


 アドニアも、そしてチェルトーザも知っている。

 その相手とは大海賊ワイバーン。

 そのワイバーンの力の根源こそ、魔族の金や銀で人間社会の経済が回るというこの世界の大いなる矛盾をつくりだしている仲介貿易。

 ワイバーンがその要求を拒むことは絶対にない。

 そうなれば他の大海賊も動く。

 そして、カラブリタ商会は多くの権限や利権を失うだけではなく、一族の命も消える。


「つまり、私はあなたの言葉を誠実に実行しないかぎり生きる道はないということですか?」

「言葉を飾らずに言えば、そういうことになります。ただし、それによってアリターナはこれまであなたの国が持っていた特権を引き続くのですから、チェルトーザ氏はそうなることを熱望しているでしょうが」


「私を嵌めましたね。チェルトーザ」


 その言葉とともにアドニアの攻撃的な目がチェルトーザを睨みつける。

 むろん、その話をこの場で初めて聞いたチェルトーザは無実である。

 だが、これだけの話を聞かされたアドニアには最高級の弁解の言葉さえ無意味。


「冗談を……」


 その言葉を口にするのが精一杯だった。

 それでも、アドニアよりは冷静さを保っていたチェルトーザは心にある疑問をぶつける余裕があった。


「ですが、彼女がマジャーラの長との会合の場を設けても、彼らがあなたの要求に応じないことだってあるでしょう」


 チェルトーザやアドニアの考えでは、その可能性が圧倒的に高い。

 いや。

 絶対にない。


 だが……。


「彼らにはそうする方がよいと思わせるだけの利を与えます。ですが……」


「それでも拒否した場合は、彼らにはその地に住む者全員に未来がなくなるという愚かな決断をしただけの報いがその場で与えられます」


 チェルトーザはその場で一番の年少者の顔を見る。


「つまり、彼女はそのための要員ということですか」


 アリシアの言葉は続く。


「言い忘れていましたが……」


「私たちに協力したことにより、カラブリタ様をはじめとしたアグリニオンの商人の方々がアストラハーニェとの交易によって得ていた利益が失われる可能性は十分にあります。その部分については我が国が補填します。同等の商品、金貨または貴石で。ただし、要求する場合は帳簿類を添えて、あなたがたとアストラハーニェとの取引一覧提出してください」


 アリシアがアドニアに伝えたのは一見すると損害補填の申し出。

 そして、正規の要求はまちがいなく支払いをされるだろう。

 だが、帳簿の提出によってアグリニオンとアストラハーニェとの取引状況は魔族に把握される。

 もちろん、それによって貪っていた暴利も。

 そうなったときにはその後恐喝の材料にされる可能性がある。

 その危険を避けるのなら提出しないという選択肢を選ぶしかない。

 たとえ経済的な穴は補填されなくても。


 すべてのものに罠がある。


 それが目の前の女性の言葉。


 チェルトーザは唸った。

 もちろん、当事者であるアドニアも。


 アドニアを正視するアリシアが笑みとともに口を開く。


「さて、ひととおりの説明は終わりましたのでお聞きしましょう」


「こちらがお願いしたお仕事を受けていただけるかどうかを」


 これだけ脅したうえで尋ねるのですか?


 アドニアは目の前の女性を睨む。

 だが……。


「お受けします。ただし……」

「明日会えるようにお願いします」

「さすがにそれは……」

「では、明後日ということでよろしくお願いします」


 すべてがアリシアの思惑通りに進んだ交渉だった。


 二日後。

 マジャーラ王国を南北に貫く街道バーチュキッシュ。


 そのバーチュキッシュ街道の南端を守るドラーヴァ砦。

 砦といっても、こちら側は友好国であるアグリニオンと国境を接しているため、国境を守るというより、税関的な業務、それが主たる仕事になっているのだが。


 だが、この日ばかりはいつもの数倍の兵が、いつもの百倍ほど緊張感をもって軍人らしい仕事に勤しんでいた。

 その理由は、これから国王アールモシュ・ヘールヴァール王がこの砦にやってくるからだ。


 そして、それから三十ドゥア後。

 用意された部屋でその会談に出席する者たちが揃う。

 アールモシュ・ヘールヴァール。

 父とともに参加するのは兄の死によって後継者に指名された次男デネス・ヘールヴァール。

 それから、アンドリス・セーケンフェル、フェレリ・ボジョニ、アッティラ・ジュラフェ、バリント・バラーニャ。

 彼らはナニカクジャラの戦いで戦死した父親の跡を継いだ者となる。

 テーブルの反対側に座る者は魔族領からやってきた四人に、アドニアとチェルトーザを加えた六人である。


 その冒頭。


「アグリオンの評議会議長からおおよその話を聞いた。軍の通過を認める代わりに我々にとってこれ以上ない条件を提示するとのこと」


「おもしろい話であるが、ここに来たのはあくまで評議会議長の顔を立てるため。どんな条件を出そうが承知する気はない」


「だが、せっかく来たのだ。その条件とやらは聞いてやる」


「話せ。女」


 無礼、傲慢、その他諸々マイナスの形容詞が並びそうなヘールヴァールの言葉であったが、アリシアはすぐに察する。


 これは落ちると。


 そして、ここから数日前にセリフォスカストリツァで披露した硬軟取り合わせた交渉術が再び披露される。


 ヘールヴァールの恫喝を笑顔で受け流したアリシアが口を開く。


「では、こちらが提示する条件を聞いていただきます」


「通行料としてブリターニャ金貨二十万枚を支払い、さらにマジャーラ国境から侵攻した魔族軍が占領した地域はすべてマジャーラへ引き渡します」


 そう言い終えたアリシアはテーブルの反対側に並ぶ面々の顔を眺める。


 手ごたえあり。

 ただし、まだまだ増やせるので何を要求しようかと思案している。


 そう読む。

 そして、そのとおりの言葉が戻ってくる。


「我が領土を通るには随分と少ないな」

「まったく。話にならない」


 王に続いたのはセーケンフェル。

 その後も次々と上乗せを求める言葉が続く。


 アリシアは微笑みながらその言葉に何度も頷く。

 その様子からマジャーラ側はまだ上げられると読んだ。


 だが、それは大きな間違いだった。

 すべてが終わったところでアリシアがわざとらしく大きなため息をつくとチェルトーザに目をやる。


「チェルトーザ様。こちらとしては通行料として十分な対価を支払うと申し出ているのですが、マジャーラの国王陛下は、神聖な国土に私たちを絶対に踏み入れさせないとおっしゃる」


「ですが、私たちはどうしてもここを通ってアストラハーニェ領に侵攻したい」


「別の方法を考えなければならなくなりました」


 もちろんアリシアの言う別の方法がどのようなものかを聞かされているチェルトーザとアドニアは顔色を変える。

 そして、すぐにそれがやってくる。


「では、陛下は自らの国土に私たちに踏み入れさせないとおっしゃるのであれば、そこが国王陛下とは無縁の土地にすることにしましょう」


「それはどういうことだ?」


 アドニアに訳されたその言葉に反応した複数の怒号がアリシアに向けて放たれるものの、そのすべてを笑顔のまま撥ね退けたアリシアが再び口を開く。


「言葉どおりです。その地を私たちのものにすると……」

「調子に乗るな……」


 アリシアの言葉を遮りながら立ち上がり、懐から短剣を出しかけたバリント・バラーニャだったが、何が起こったかもわからぬまま首が落とされる。


「こちらには帯剣を許さず、自分たちだけが剣を持ち込む。マジャーラの方はやや礼儀を失しているようですね」


「ついでに言っておけば、後ろに控えている魔術師の方が防御魔法を皆さまに纏わせているようですが、こちらの魔術師にとってはそのようなものないのと同様」


「信じられないようでしたら、この場で全員の首をそこの方と同じように落としてみせますが……」

「ア、アリシアさん。とりあえずそこまでにしていただきたい」


 そこに割り込んだのはチェルトーザである。

 続いて、チェルトーザはヘールヴァールに目をやる。


「陛下に申し上げます。非常に言いにくいことですが、そこにいる少女は有名な『フランベーニュの英雄』の軍四十万を一瞬で葬った者。このままでは、この場にいる方だけではなく、マジャーラ人全員が焼かれることになります」


「私が思うにこちらの女性が示した条件は通行料としては十分なものです。ここはそれを受け取り、彼女の申し出を受けることをお勧めします」

「私からもお願いします。その通行料に今後も親交を温めるという一文を加えておけば、魔族軍の侵攻も心配しなくて済みます。どうぞ、そのように」


 チェルトーザに続いてアドニアからも手打ちの言葉が投げかけられる。

 助けを求めるように周りを見るヘールヴァールだったが、常日頃の蛮勇が嘘のように狼に襲われた羊のごとく震えるだけで言葉を発する者さえいない。


 すべてが決した。


「評議会議長の言葉もある。そういうことなら通行を認めよう。それでいいか。評議会議長」


 数ドゥアの短い内輪で打ち合わせの後に放たれたそれがどうにか体面を保った、いや、取り繕ったヘールヴァールの言葉だった。


 そう。

 グワラニーとアンガス・コルペリーアが交わしていた言葉はこの交渉のことであり、それによって始まったのが魔族軍のマジャーラ領からの侵攻というわけである。


 もちろんこれはカラシニコフだけではなくアストラハーニェ軍の誰もが考えもしていなかった奇手であり、アストラハーニェ軍にとっては大打撃となる。


 南方の国境に沿って十分な兵を駐屯させる。


 それがアストラハーニェ軍の対マジャーラの基本方針であり、それで十分と認識したカラシニコフも伝統あるその方針を踏襲していた。

 当然、たいした予備兵力は後方に配置していない。

 そこに予想もしていなかった魔族軍の出現と防御線の突破。


 つまり、国境の防御ラインを抜かれた現在の状況は王都まで魔族軍の進撃を遮るものはないと言っていい。

 こうなれば王都に住む者にとってあらたな敵を抑え込むことが唯一の関心事であり、魔族領侵攻など二の次。

 むろん、これまでも出し渋っていた増援はこれで完全に打ち切りとなる。


 そして……。


 北に向けて進軍するバイア率いる魔族軍の目の前にすでに展開を終えたアストラハーニェ軍が現れる。

 それは王都から派遣された総司令官である将軍グレゴリー・アニシェフとアガフォン・クロチホフが率いる十五万の兵と二万の魔術師であり、さらに敗走してきた兵たちも合流していた。

 合わせて十九万。


 それに対し魔族軍は一万弱。


「この数を見ても逃げないのは褒めてやる。だが、それだけのこと」


「陣を広げ、敵を囲み、半包囲して一気に叩く」


 すでに勝った気でいるアニシェフによる陣形変更命令に続いて、魔術師団を率いるクロチホフが転移避けの展開を命じようとしたのだが、ここで部下のひとりがこのような奇妙な報告をする。


「接敵を王都に報告しようとしたところ転移できません。どうやら敵がすでに転移避けの魔法を展開しているようで……」


 このような戦いで転移避けを展開させる理由はふたつある。


 敵を逃がさないため。

 援軍を拒むため。


 だが、これだけ数の差があるにもかかわらず、少数の側である魔族軍がなぜ転移避けを展開するのだ?


 一瞬過った不安を強引に消し去り、その理由を後者であると判断したクロチホフ改めて転移避けを展開するように命じる。

 

 それと同時にアストラハーニェで上位三人に入ると言われているクロチホフは相手に自分よりやや格上の魔術師が相手にいることに気づく。

 しかも、ふたり。

 そのうちのひとりが強力な防御魔法を展開し、もうひとりが内側から転移避けの魔法を展開しているようである。


 ということは、魔法戦では相手が有利。


「アニシェフ将軍。向こうには私と同格の者がふたりいる。用心したほうがいい」


 むろんそれは相手が強敵であることを知らせる注意喚起であったのだが、その微妙な言い回しは勝ちを確信し高揚したアニシェフに事実を曲解させる。


「魔法戦が互角なら問題ない。そうなれば、数の差で圧倒できる」

 

「前進」


 その言葉とともにアストラハーニェ軍は魔族軍に向けて進軍を開始する。


「一万対十九万。どのような戦いをする気なのだ?」


 まもなく始まる戦いの前にアニシェフは部下たちに聞こえるようにそう言ってニヤリと笑った。


「敵まで三アクト」


「突撃準備」


 接敵後、全く動かない魔族軍を中心において半包囲の体制を維持したまま距離を縮め

 まもなく攻撃開始。

 全員が剣を抜いてアニシェフの突撃命令を待っていたその時だった。


「ま、まずい」


 声を上げたのはアニシェフの隣に立つクロチホフだった。


「どうした?」

「奴ら、化け物を抱えている」


「来る」

「何が……」


 だが、その声の直後、前方の兵士たちの悲鳴と血しぶきが同時にあがり、何かが物凄いスピードで駆け抜けていく。


 地位や所属に関係なく等しく与えられる死。

 一瞬にして全滅。

 その数二十万弱。


 わずか数ドゥアの出来事だった。


 魔族軍。

 楕円形をした陣の最先端に立つ少女が振り向く。


「終わりました」

「お疲れ様でした」


 少女に労いの言葉をかけたバイアは居並ぶ将軍たちに目をやる。


「では、皆さん。生き残っている者がいないかを確認。それから、戦利品の収集をお願いします」


 戦利品の収集。

 これはこの世界では勝者に与えられる特典のひとつで、死者が身につけていた武具や貴金属、それに貨幣がその対象となる。

 ただし、グワラニー軍に関しては、そこに文字資料が加わる。

 いや。

 移動の邪魔になるため、文字資料だけが今回の戦利品となる。

 

 のちに「パンノニア平原会戦」と呼ばれる戦いはあっけなく終わった。


 一応、この世界の基準でいえば、「会戦」の定義は双方が一万人以上兵を有していることが第一の条件であるため、そう命名してよいかは微妙なところではある。

 さらにいえば、その内容も戦いと呼べるものではないのだが、こちらについてはグワラニーが率いる軍との戦いでは常であるためいつもどおり無視されることになる。

 


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