勇者復活
約束の日。
グワラニーは用意した策をアリストに示す。
内容は少しだけ変更して。
「……最近?」
「私は最近自分が魔術師であることに気づいたということにするのか?」
グワラニーが変更した部分にアリストは眉間に皺を寄せる。
「ここまで公表しておきながら、なぜそこで嘘をつく必要がある?」
「大昔から魔術師であったことを知っており、それを行使して魔族と戦っていた。もちろんそう言ってしまうのは簡単ですし、もう隠すものがないのでそちらの方がいいという意見は理解できます。ですが……」
「そうなると、周辺の者を騙していたことになり、殿下に対する忠誠心に陰りが出る可能性があります。さらにフランベーニュの王太子からすぐさま苦情が入る可能性があります」
「ホリー王女に確認したところ、殿下が魔術師であることを知っているのは王宮の一部のみとのことでしたのでそれの方が現状との齟齬が少ないかと」
……そういうことだ。
グワラニーの言葉は、アリストもすでに気づいていた。
そう。
これはグワラニーの本気度を試すもの。
もちろんグワラニーもアリストがそのような小細工を用意してくることは想定済み。
まさに狐とたぬきの化かしあいである。
その一方のアリストは表情を隠したまま頷く。
……まあ、いずれそれが嘘だったことはわかるだろうが、そのときまでにそのことが吹き飛ぶくらいの成果を手に入れていればいいのだ。
……とりあえず合格。
「いいだろう。前払い金を支払うことにしよう」
だが、これですべてがクリアになったわけではない。
次の王である王太子に魔術師の素養が現れた。
むろんこれは国家の一大事であり、アリストの一存だけですぐに宣言できるわけではない。
当然父王の承認が必要となるわけなのだが、この件に関しての最大の難関はその父王の承認だった。
そして、予想通り父王は反対に回る。
だが、ここはアリストも譲らない。
「陛下。ノルディア、アリターナに続き、フランベーニュも続けざまに大きな打撃を受けました。しかも、それはすべてひとりの男によるもの」
「そして、次に奴の剣が向くのは間違いなくブリターニャ」
「ですが、このままではなすすべなくやられます。ダワンイワヤ会戦のように」
アリストが一気にまくし立てる。
それを聞き終えた王はアリストを見やり、口を開く。
「おまえが魔術師であることを宣言するとそれが防げるのか?」
たしかにアリストが語った前半部分は未来に関するものも含めてすべて事実。
だが、それを防ぐためになぜアリストが魔法を使えることを宣言しなければならないのか?
もちろんアリストの魔力が多くの場所で敵を壊滅させているグワラニー軍所属の魔術師と同等以上の力を持つのなら十分な抑止力になるだろうが、そうでなければ必要性はまったくない。
父王は知っている。
その程度のことをアリストがわからぬはずがないことを。
つまり……。
「おまえは魔族軍にいる化け物魔術師に勝る魔力を持ち、巨大な魔法を展開できると考えていいのか?」
「ええ」
アリストは父王の問いに短い肯定の言葉で応じると、少しだけ話題を変える。
「魔族が度々大敗を喫しているという噂の勇者をご存じですか?」
「もちろんだ」
その瞬間、父は息子が何を言わんとするか察する。
そして、すぐにそれが正しかったことがあきらかになる。
アリストは一呼吸後、この言葉を口にする。
「あれは私と私の護衛たちです」
実をいえば、この時父王の頭に娘と同じ疑問が浮かんでいた。
だが……。
まさかこの機に及んで嘘は言うまい。
真実であろう。
それが父王の心の声。
だが、なぜそれをここまで黙っていたのだという思いはある。
そうすれば、もっと楽にことは戦いを進められただろうし、ダワンイワヤ会戦で戦死した息子たちも死なずに済んだとも。
そう思いながら父王が目を向けた瞬間、アリストから言葉がやって来る。
「……陛下の言いたいことはわかります」
「ですが、そうなった場合、私はブリターニャの人殺しの道具に成り下がる」
「それだけは遠慮したかった」
「ですが、このままではブリターニャが魔族の国に飲み込まれる、だから、止むを得ず魔術師であることを宣言し、戦いに参加することに決めた。そういうことです」
息子の考えは正しい。
父王は頷く。
「……すべて理解した」
「それで、今後は軍を率いるということなのか?」
「いいえ。今までどおり仲間だけで戦います」
「わかった」
父王としてはアリストの意志を無視しても軍に取り込みたいところではあるのだが、「アルフレッド・ブリターニャの呪い」は軍内部に混乱をもたらすだろう。
勝てるはずの戦いが負ける。
それどころか、敵の前で瓦解することだってあり得る。
それは避けなければならない。
現在、優先すべきは魔族に勝つことなのだから。
翌々日、王城前の広場に人々が集められる。
この世界でも王族が国民の前に姿を現すことはそう多くはないだが、まったくないわけではない。
そして、ブリターニャにおいてその必要がある場合に使用されるのはそのためにつくられた臨御の間と呼ばれる場所であり、王城前の広場に人が集められておこなわれるのは役人による布告読み上げが通例。
当然集められた者たちは聞きたくもない話を聞くために渋々やってきていたわけなのだが、そこに現れたのは王都に住む者にとってはよく知った顔の面々であった。
もちろん多数の文官も同行しているが。
「……王太子殿下?ということは……」
「……結婚か」
「相手は隣の……。ん?あれはもしかして……」
「ああ。間違いない。美人ではあるが、この王都での数々の武勇伝から推測するにその気の強い娘が妻ということは王太子殿下も大変だ」
「まあ、見ている方はおもしろいが」
「どちらにしてもめでたいことには変わりない」
その他、口には出せないことを含めて様々ことを思い描きながら、王太子の言葉を聞こうとその小集団を取り囲む。
だが、アリストから発せられたものは彼らが考えていたものとはまったく違うものであった。
アリストが口にしたのは聞き違えが起きるはずがない明確かつ短い言葉だったのだが、それでも人々は自らの耳を疑った。
もちろんそれがどのような意味があるのかは知っている。
いや。
ブリターニャで生を受けた者が言葉を理解できる年齢になればそれは誰もが知ることだと言ってもいい。
「……王太子殿下に魔術師の素養が現れた?」
「……あり得ぬ話だ。いや、あってはならぬ話ではないか」
「くそっ。これこそ『アルフレッド・ブリターニャの呪い』だ」
人々のざわつき一向に収まらないため、アリストはファーブに目をやる。
その視線に頷くと、ファーブは大剣を鞘ごと背中から抜くと、杖をように立てる。
そして、口を開く。
「アリ……王太子殿下の話はまだ終わっていない」
その声に圧せられるように一瞬で静まり返る広場でアリストはもう一度口を開く。
「もちろんこのことは王宮内で留めておくことは可能だった。だが、私はこうして敢えて皆に知らしめた。それはなぜか?」
「答えは、私に与えられた力によって魔族を討ち滅ぼすためである」
「魔族にはアルディーシャ・グワラニーという策略に富む男が現れた。さらにグワラニーの下には奴が考えた策を完璧に実行する有能な部下が集まっている。その中でも魔術師はノルディア軍を粉砕し、『フランベーニュの英雄』と言われたアポロン・ボナールを四十万の大軍とともに滅し、先日我が軍も手酷い目に遭わせた。ハッキリ言おう。グワラニーは強敵である。そして、このままではグワラニーが我が軍を瓦解させ、このサイレンセストを攻略にやって来る」
「そのグワラニーとその軍を破る」
そして、その言葉が全員を圧するのを確認するように少しだけ間を置き、アリストはその本題となるものを口にする。
「魔術師である私が王位に就くことを不安に思う者が多いのことは知っている」
「だが、私はこのまま王太子の地位に留まる」
「そして、戦いが終わり、戦勝の報告後、もう一度問おう。魔術師の才を持つ私が王位につくべきかどうかを」
むろんこのアリストの魔術師宣言にはいくつかの細工が施されている。
その主なものは軍に関わるものとなる。
まず、兵士たちにとっても「アルフレッド・ブリターニャの呪い」は重要な意味を持つ。
当然この言葉どおりであれば、そのような忌まわしい者に率いられる軍には参加したくないと思うことだろう。
だが、それこそがアリストの狙い。
勇者チームについて一切触れていないこの宣言の後に軍幹部が国王に対して「恐れながら」と前置きして王太子はどの部隊を率いるのかと間違いなく尋ねてくる。
そこで王太子に指名された部隊の士気が大幅に下がることが予想されるので王太子殿下が前線に出るのはご遠慮願いたいと遠回しに申し出ることだろう。
そこで、アリストはすべてを承諾し、ブリターニャ軍とは無縁の自身の私兵たる四人とともに戦うと宣言する。
だが、この四人とは当然勇者チーム。
この段取りでいけば、これまでと変わらぬ目覚ましい戦果を挙げた勇者一行が実は王太子とその護衛であることに気づいた前線の指揮官たちから続々とやってくる指揮を執っていただきたいという希望をすべて断ることもできるというわけである。
さて、肝心の仲間の反応であるのだが、ファーブたち脳筋三人衆は当然この宣言を歓迎する。
「これで大手を振って戦場に行けるわけだ」
「しかも、これまでと違いブリターニャ軍の戦場近くでも戦える」
「こんなことならもっと早く言っておけばよかったな。アリスト」
次々やって来るその言葉に笑顔で応じ終えたアリストはもうひとりの仲間に目をやる。
「フィーネはどう思いますか?」
「いいのではないですか。これはアリストの個人的な問題なのですから、アリストが決めればいいことです」
「ですが、広場で口にした嘘だらけの宣言もほぼグワラニーの台本どおりというのはどうなのでしょうね」
そう言ってじっとりした眼でアリストを眺める。
「自身の言葉で言うべきでしょう。あそこは」
「そうですね。そのとおりです。ですが……」
「あれ以上のものが思い浮かばなかったのですから仕方ないでしょう」
「……残念ながら」
そして、そのアリストの魔術師宣言から二日後のラフギール。
ここにもアリストが魔術師であるという情報が流れてきているものの、王都ほどの動揺はない。
それどころか王都でさえ例の名演説のおかげで今まで以上にアリストを支持する者が増えていた。
さらにここはアリストの私領。
その恩恵を存分に受けているのだから、騒ぎなど起こりようがない。
万が一、その恩を忘れて騒乱を起こすようなことになれば、アリストが魔術師かどうかに関係なく弾圧される十分な理由となるだけの話。
もちろんアリストがアルフレッド・ブリターニャの再来にならないと確信を持っているわけではない。
当然早めに逃げ出すことも彼らのひとつの選択ではある。
だが、それはここにいることで得られている数々の恩恵を捨て去ることになる。
もちろん重税もそうなのだが、それよりもまずやってくるのは徴兵である。
確実に、そしてすぐにやってくる不幸と、将来起こるかもしれないそれよりも大きな不幸。
それを天秤かけたラフギールの住民たちは結局後者を選び、誰一人夜逃げする者はいなかった。
そういうことで今までとは異なる数種類の視線を浴びながら出発するアリストたち五人は、村長アーロン・フォアグレンと娘のエマ、アリストの公的な警備隊長でこの町の駐屯する兵たちを指揮するアイアース・イムシーダ、それからアリストの執事長ブルーノ・ドゥルイゼランの見送りを受ける。
「これからしばらく帰ってきませんのでよろしくお願いします」
アリストが口にしたのはいつもどおり短い言葉。
だが、この時はそこで終わらなかった。
「私たちの留守中、お調子者が町を襲うことがあるかもしれません。その時は完璧な形で撃退してください」
「それは国、所属部隊に関係なく」
「ただし、ただひとつ戦っていけない相手がいます」
「わかっています。国王陛下の軍ということですね」
自らの言葉に即座に反応したイムシーダに返答にアリストは首を振る。
「いいえ、この町に住む者を害しようとしたら、どのような理由、そして相手が誰であろうとも必ず迎撃撃退してください」
「私が言う、唯一戦ってはいけない相手」
「それは、魔族軍の将軍アルディーシャ・グワラニーと彼の部隊です」
「今からそのグワラニーを討伐にいくのですから妙な言い方になるのですが……」
「奴の部隊は魔族軍最強。というより、この世界最強と言っていい。その部隊がこの町にやってきたときには降伏するように」
「それが生き残るただひとつの方法です」
「魔族に降伏などと思う気持ちはわかります。それでも……」
「もし、奴らがここにやってきて降伏勧告を出したらそれに従うこと。絶対に抗ってはいけない」
「承知しました。ですが……」
「魔族軍のなかでそのグワラニーとやらの部隊をどうやって見分ければよいのですか?」
アリストの指示を聞き終えた直後、村長のフォアグレンが口にした疑問はもっともなことである。
自身の中では常識になっていたため、それを伝えることを失念したアリストは苦笑する。
「奴らの部隊は単色の旗である他とまったく違う虹色の軍旗です」
「虹色?」
「そう。だから、見間違えることはありません」
「もう一度言います。グワラニーの部隊から降伏勧告。または退去勧告が出た場合は必ずその指示にしたがってください」
「ちなみにその勧告に従わなかった場合はどうなるのですか?」
短い髪の毛、そして、女性らしさの欠片もないフォルム。
ただ、声だけは女性であると認識させるその人物に視線を向ける。
「聞きたいですか?エマ・フォアグレン」
「聞きたいから尋ねているのです」
気の強さを示すような返答にアリストは薄い笑みを浮かべる。
「わかりました」
「勧告を拒否する。その直後、ここに火球が現れます。そして、一瞬ですべてが灰になる。フランベーニュ軍四十万の兵はそうやってこの世界から消えました、ですから……」
「マロと結婚する気なら絶対に降伏しなさい」
「軍の指揮官グワラニーは降伏した者には非常に寛容です。生き残ってさえいれば必ずマロに会えます。もちろんマロが戻って来られたらという前提がありますが、とにかくつまらぬ強情を張ってはいけません。よろしいですね」
「わ、わかりましたからマロの名前を何度も出さないでください」
「まったくだ。まるで俺が死んで二度とここに帰ってこないみたいではないか」
最後はふたりの男女が顔を真っ赤になるという微笑ましい光景で終わるこのアリストの注意喚起。
もちろん、このときはその言葉を口にしたアリスト自身、起こる可能性は低いものの、念のため口にしたものである。
だが、フォアグレンによって住民全員に伝えられたそれは別の場所に住む一部の者の命を救うことになる。
まるで、ノアの箱舟の伝説のように。
さて、ラフギールを出発した五人が姿を現したのはフランベーニュの小さな町ランバイエだった。
もちろんそこは勇者一行五人のうち四人が少し前に訪れた場所である。
その時にはいた文官長のダレス・フロンジェも武官長のシャーモン・リクヴィールも結局ミュランジ城城主であるリブルヌによって更迭され、王都から新しい支配者がやってきていたのだが、これは五人にとってありがたいことであった。
あれだけの武勇伝を残しているのだ。
やってきたことが知られれば、ミュランジ城なり王都なりに連絡される。
そうなれば厄介ごとが増える。
だが、新しい統治者として王都からやってきた男爵家の四男の男は不正には無縁であるものの凡庸、いや、すべてに寛容らしく部下たちも厳しさとは縁遠い者ばかり。
最も目立つフィーネは黒髪ではあるが、前回の六人から五人に減り、全員が人間であるこのメンバーであれば身元が判明することはないだろう。
それが当初の食料などの調達と休憩を取るだけだったこの町にしばらく滞在をすることにした理由である。
その夜。
「これからの予定を聞こうか?アリスト」
「そうですね……」
安酒をあおりながら尋ねるファーブの言葉にアリストはすぐに応じた。
「ミュロンバから進むこともできますが、魔族軍の大幅な後退があったのですから、そこから進む道にいるのは野盗くらいでしょう」
「ここはグワラニーが奇手を用いた場所まで転移してそこから先に進むことにしましょう」
「幸いなことにここは顔見知りがいないうえに旅人や傭兵たちの出入りも多い。私たちが身を隠すのに都合がよい。さらに交通の要衝なのでミュロンバよりも物が手に入りやすい。拠点はここにしてもいいでしょう」
「そういうことで勇者の仕事を明日から始めましょうか」