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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第三章 クアムート攻防戦
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クアムート攻防戦 Ⅲ

 グワラニーが口にした今回の作戦の残り半分。

 それは魔族軍に捕らえられていたノルディア軍兵士三人が警護兵の隙をついて脱出し、味方でもっとも近いクアムート包囲軍の陣に飛び込んだところから始まる。

 もちろんそれがグワラニーの描いた大いなる罠の一部であることを知っていたのは一方だけであり、その相手となる者たちの大部分は最後の一瞬になるまでその完全な姿どころか可能性があることすら気づくことはなかった。

 いや。

 実を言えば、昼よりも夜に近いとはいえ、まだ太陽が空にあるうちに起こったということもあり、それをなにかの罠ではないかと疑う気持ちを持つ者は少なからず存在した。

 だが、魔族を見事に出し抜いたというこの出来事によって半日前の大敗を一瞬でも忘れられるという思いと、三人がもたらした重要な情報の存在によってその心の声は自らの手によって黙殺されていく。


「……お加減はいかがですか?人狼軍指揮官フェスト様」

「敵である俺たちを治療するとは何のつもりだ。言っておくが、誇りある戦士である俺も俺の部下も恩を感じて貴様ら魔族の手下になるなどということは絶対にないぞ」

「もちろんそのようなことはわかっています。ですが、あなたがたは結果的に我々の役に立ってもらいますので治療費は、ペイ、いや対価として成立します」

「だから、手下になることなどないと……」

「あなたがたの意志など関係ない」

「なんだと」

「物分かりの悪いあなたにもわかるように説明しましょう。まず、ひとつ尋ねます。我々が捕らえたのは約二千。そして、そこには王の弟エーシェン様やエーナル様とフィーゲン様という王子ふたりも含まれている。行方不明になっているそのような高貴な方々が元気だと知れば仲間思いのお味方はどうすると思いますか?」

「……助けに来るだろうな。間違いなく。だが、だからどうした?」

「気づいたとは思いますが、我々は数が多くない。先ほどの戦いに勝ったとはいえ、あなたがたの被害は思ったより少なかった。これでは三か所どころか一か所だってこちらからは攻めることはできない」

「まあ、そうだろうな」

「ですが、守っているところに攻めて来てくれれば、十分にお相手ができるのは十分おわかりになったはずです」

「……それで?」

「今晩我々が準備万端整え待ち構えているところに王弟殿下や王子たちを取り返しにお味方が来ることを期待しているのですよ。私たちは」

「つまり、王弟殿下や俺たちは味方を呼び寄せるエサというわけか」

「そういうことです。そして、我々は夜間戦闘が得意。しかも、次は先ほど以上の仕掛けを用意している。闇に紛れてやってくるお味方はそれを見破ることは不可能。完璧でしょう」

「その後に我々を始末するわけか」

「それは二日後に二万の軍勢を率いてやってくる司令官が決めることですね」


 脱出してきた兵士たちが牢の壁越しに聞いていたその会話は、大やけどをして動けなくなっているところを捕らえられたビヨン軍指揮官フェストと魔族軍に属する人間種の男とのもの。

 しかも、ありがたいことにその魔族が口にしていたのはほぼすべての人間が理解できない魔族の言語どころか、この世界の人間が他国と交渉するときに用いる共通語と呼ばれるものでもなく彼らの母国語であるノルディア語。

 下級兵士でも意味の取り違えもなくすべてを記憶できたのにはそういう事情があったのだ。


 もちろんそれは三人を保護したタルファから攻略軍指揮官ベーシュにすぐさま伝えられる。

 重要情報として。


「……なるほど。そういうことなら……」


 深夜の襲撃を考えていたベーシュはその情報を聞き、黒い笑みを浮かべる。


「縛られてはいたものの元気に魔族陣地内を歩く王弟殿下のお姿はすでに確認していたが、それに加えて王子ふたりも無事であるとはすばらしい。三人の無事が確認できたのだから本来であればすぐにでも奪還に向かいたいところだが、迎撃の準備をしているところにわざわざ出かけ、損害を出す必要はない」


「死者と捕虜合わせて四千人の損害を出したとはいえ、戦力的にはまだ我々が圧倒的に有利なのは間違いなく、全力で戦えば万が一にも負けるはずがない」


「そうであれば、王弟殿下やふたりの王子が混乱の中で生きた殿下から死んだ殿下になりかねない夜襲は避けるべき。そして……」


「小賢しい相手の策を逆手にとってやろう」


「今夜の襲撃は中止。襲撃は明日早朝におこなう」


 居並ぶ幕僚たちにベーシュは作戦変更を伝える。

 当然その短い言葉だけでは幕僚たちは司令官の意図を飲み込めぬ。

 そのひとりが口を開く。


「早朝ですか?」


 間の抜けたような部下の言葉に対し、怒鳴りつけたい衝動に駆られ眉間に皺を寄せたベーシュだったが、すぐに思い返しその理由を説明する。


「奴らは我々が深夜にやってくると思っている。だが、いくら待っても我々はやってこない。やがて、睡魔に襲われる。そこを狙い撃ちする。ただ勝つだけではダメだ。我々に恥を掻かせた魔族の鼻を明かしてやらねばならん。しかも、王弟殿下やふたりの王子の救出は絶対だ。夜襲などかけて王弟殿下を間違って自ら手にかけるなどということはあってはならんのだ」


「しかも、情報によれば奴らの増援は二日後にしかやってこない。心置きなく兵を出せる。今度は全力でやる。我々とビヨン軍は怪我が重い者以外はすべて出陣だ。もちろん指揮は私が執る」

「承知しました」


「それにしても……」


「……魔族とはどこまでも愚かだな。瀕死の敵兵を治療し、重要情報を聞かれていることにも気がつかず、さらにその聞かれた兵に脱走されるとは」


 普段のベーシュなら絶対に口にしない、ことさら敵を貶める浅慮の極みのような言葉。


 上官の異変に気付いた部下たちはお互いに目を合わせる。

 霧の中での同士討ちに巻き込まれ行方不明となっているヤン・モーションとハンス・タラクに代わりに上席の副官となっているアンドレアス・メルプがその代表としておずおずと口を開く。


「魔族側は情報が漏れたことに気づきませんか?」


 メルプのこの言葉はそう的外れなものではない。

 だが、実は自らもそれに気づいていたため、かえってその言葉に気分を害した様子のベーシュは不必要に強い言葉で否定する。


「気づくはずがない。それにたとえ気づいても我々が夜襲をおこなうことは十分にありえることだ。どちらにしても寝ずの番になる。状況は変わらない」

「斥候は?」

「不要だ。余計なことをしてこちらの動きを気づかれるわけにはいかないからな」

「ですが……」

「これは命令だ」


 ……ベーシュ様は焦っている。


 幕僚たちは言葉に出すことはなかったものの、心の中では皆同じ思いをもっていた。


「……やはり万全の体制で臨み、完勝するはずが失敗に終わった昼間の攻撃が尾を引いているようだな」

「ああ。王の覚えをよくしようと実戦経験が乏しい王弟殿下を指揮官にしたのはあきらかな失策。しかも、その王弟殿下だけではなく箔をつけさせるつもりで送り出したふたりの王子まで囚われの身になるという失態。それはベーシュ様も気づいている。だから、その帳尻をあわせるために必死なのだ」

「いつもはあれだけ細心の注意を払うベーシュ様が人狼さながらに前のめりになっているのは不安だ」


 ベーシュが自らの寝所へ機嫌よく引き上げた後に、不安に駆られた彼の側近たちはさらに協議を続ける。


「三人が会話を聞いたことは間違いないだろう。だが、魔族が本当にそれを不注意で話したかどうかは怪しい。……しかも、逃亡を許すなどあり得ぬ話だ。そもそもこちらの攻撃をまったく受けつけない防御魔法を三人はどうやって突破してきたのだ?」

「つまり、魔族どもが意図的に情報を流しているということか?」

「絶対にそうだとは言えぬが、そのように疑うことも必要なのではないか?」

「だが、そうなるとどういうことになるのか?」

「まず考えられるのは、実は彼らは夜戦を望んでいない。または、手札をすべて使い切ったとも考えられる」

「では、二日後に本隊が来るというのは?」

「違うと考えたほうがいいだろうな」

「早くなるのか?」

「そこまではわからない。だが、それも欺瞞情報ということも十分考慮すべきではないか」

「とにかく、明日の作戦については決定している。成功のために全力を尽くすが失敗したときには夜戦をおこなうよう我々から提案してみようではないか」


 彼らの協議はここで終わる。

 だが、彼らがその提案をベーシュにおこなう機会は訪れることはなかった。


 彼らが望まぬ理由によって。

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