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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十四章 勇者と魔族の冒険譚
289/377

戦いの後始末 

 戦いが終わった翌々日、グワラニーからミュランジ城の城主リブルヌに書状が届く。

 出撃した者たちは誰も戻らず、さらに翌朝より対岸のアンムバランに捕虜になったフランベーニュ兵らしき者が粗末な小屋から出入りしているのが確認されたとグボコリューバの警備隊から報告を得ている。

 相手がグワラニーであることを考えれば戦いの結果など想像できる。


 さすがに感謝の言葉はないだろうが、迎撃が無事終わったとでも書いてあるのだろう。

 そう思いながらその書を読み始めてすぐリブルヌの顔色が変わる。


「これを王都のダニエル王太子に届けろ。国家の一大事だと取次の者に言って最優先にしてもらえ」


「急げ」


 二日前、将軍ボワレ・シュバイズ率いるフランベーニュ軍がモレイアン川を渡り魔族領に侵攻してきた。

 当然撃退したが、これはあきらかな協定違反である。

 さらに我が軍に捕らえられた将軍クルレ・ヴェルナントによれば、この侵攻は自分たちの独断ではなく王太子で宰相であるダニエル・フランベーニュの命令によるもの。

 これは看過できるものではない。

 誠に不本意ではあるが、相応の報復をおこなわなければならない。

 まずは、グボコリューバの徹底破壊とミュランジ城への攻撃をおこなうことを通告する。

 続いて、進軍を開始し、最終的にはフランベーニュの王都アヴィニアを陥落させる予定である。

 ただし、これまで両国の関係を良好なものにしようとしたクロヴィス・リブルヌの努力もある。

 特別にこちらが指定した日時及び場所でダニエル・フランベーニュが弁明をおこなうことを許可するが、明日の昼までにそれについての文書での返事がない場合は弁明の意志なしとみなし、攻撃を始める。


 それがその書に記されたことであった。


 そして、その日の夜のフランベーニュの王都アヴィニアの王宮。

 そこでひとりの男が悩み苦しんでいた。


 これは事実上の宣戦布告。

 それを回避するにはグワラニーが指定した場所で自分が弁明するしかない。

 だが、それで許されるのかは微妙。

 辱めを与えただけで戦いは始められ、一方的な虐殺が始まることだってあり得る。

 そうであれば、弁明などせず戦いに突入すべきなのだが、それは事実上自身の手で国の終焉を告げるもの。

 

 男の頭の中では多くの意見が入れ替わり立ち代わり勢力を増す。

 だが、結局纏まらず。

 再び三人の男が呼び出される。

 そして、今回もあの男が口を開く。


「どこであろうが出向くしかありますまい」


 それがその男の言葉だった。

 男の言葉は続く。


「グワラニー氏が本当にその気があるのなら警告なしに攻撃をしてくるでしょう」


「つまり、交渉でケリがつく可能性はあるということです」


 その男エゲヴィーブの言い分はダニエルも理解している。 

 だが、相手は常に自分の予想の逆をいくあのグワラニー。

 今回もそう思わせて自分を呼び出し、開戦の宴に供する供物にするかもしれない。

 状況だけを考えればあり得ない話ではなく、実際、古今東西この手の話は数多く存在する。

 だが、その可能性を問われたエゲヴィーブは大きく首を横に振ってそれを否定する。


「なくはないでしょう。ですが、可能性は低い。なぜなら、グワラニー氏にはそのような回りくどいことをする必要がないのですから」


「フランベーニュの人間としては残念なことですし、王太子殿下の前で言いにくいことでもありますが、グワラニー氏がその気になれば、ミュランジ城だけではなくこのアヴィニアもあっという間に陥落させることができるでしょう。王太子殿下の首はその時いただければよいのであって、そのような謀略は彼には不要なのです」

「……本当に不愉快な物言いだ」


 ダニエルはそう言葉を吐き出した。

 そして、それはその場にいる者全員の思いでもある。

 だが、それが荒唐無稽の妄想と否定できないことも事実。

 それどころか、エゲヴィーブの言葉こそが正しいと思える。


「……エゲヴィーブは随分とあの魔族を買っているようだな」


 ダニエルは言い返せない腹立ちを別の形にして魔術師にぶつける。

 だが、戻ってきたのは再びダニエルを不快にさせるものだった。


「まあ、戦っている敵でなければ私だってすぐに旗下に加えてもらいたいという気持ちはあります」


「それだけの男です」


 堂々とそう言い切ってダニエルを鼻白ませたエゲヴィーブの言葉は続く。


「さらに言えば、グワラニー氏は『強き者が剣を振るい、魔術師が大魔法を展開し、賢者が策謀を巡らし敵を倒してすべてが解決する』英雄譚に登場する英雄たちをひとりで体現する軍人というだけではなく、支配者もしくは統治者としても一流かつ、平民たちに愛される政治をおこなうことはクペル城にいる女どもやプロエルメルの農民たちが楽しそうに生活していることからもあきらか」


「そのグワラニー氏にフランベーニュが占領されて困るのはその特権を奪われる現在権力を握っている貴族や高級軍人。そして、ダニエル殿下のような王族の方々のみ」


「つまり、グワラニー氏の統治が始まってしまったら、現在の体制は過去のものとなり二度と復活できません。殿下が今後も今の体制を維持し、国に君臨したいと考えているのならなすべきことはひとつ。グワラニー氏が支配者としてフランベーニュにやってくることを阻止すること。そのためには絶対にグワラニー氏率いる魔族軍の侵攻を止めねばならない。いや、彼に侵攻の口実を与えてはならないのです」


 言い返したい。

 だが、言い返せなかった。


「……つまり、非公式なこととはいえ、フランベーニュ王国の王太子である私に恥を忍んでグワラニーに会えと言いたいわけだな」


 それが正しいということは理解していても、フランベーニュ王家の誇りがそれを拒もうとする。

 その葛藤が見て取れるダニエルを冷ややかな目で眺めながら、エゲヴィーブは無言で頷く。

 そして、そのままさらに言葉を続ける。


「もしかしたらダニエル殿下は私が提示した案がこのような結果を招いたと思っているかもしれませんが、私自身は今でもあれは間違っていなかったと思っています」


「そして、こうなることを避けるにはどうしたらよかったかといえば、ダニエル殿下が自身の力でシュバイズ将軍たちの計画を抑え込むこと」


「だが、軍や貴族との関係を気にされたダニエル殿下はそれをおこなわなかった。その時点で最良の選択は消えていたのです」


「では、私の案を無視し、将軍たちを放置すればよかったのか?」


「もちろん答えは否。今回の警告などやってこないままこの国は蹂躙されていたことでしょう」


「つまり、グワラニー氏からの呼び出しはフランベーニュにとって不愉快極まりない屈辱的な出来事ではあるでしょうが、最悪なことではないということです」


「雲の中からわずかに差し込む細い光。それがこの呼び出し。もちろんこれを受けるかどうかは殿下の判断となるわけですが、自身の自尊心と国の行く末。それを天秤にかけてどちらを選ぶべきかをよく考えていただきたいと私は思います」


 まるでダニエルの胸の内を見たかのようなエゲヴィーブの言葉だった。

 そして、実をいえば、ロシュフォールもロバウも薄々ではあるが思っていたことでもある。


 ただし、彼らには軍人。

 言葉を超えてはいけない一線がある。

 軍事以外のことで簡単には王太子に意見することはできないという。

 もちろんそれは海軍所属のエゲヴィーブも同じなのだが魔術師という生き物はどの国においてもそのようなしがらみを気にすることなく、堂々と自身の意見を口にする。


 あとはこの言葉をダニエルがどう受け止めるかということになる。


 もちろん激怒し目の前で無礼な言葉を並べる魔術師の首を撥ねよと命じることもできる。


 だが、そうなれば有能な魔術師兼策士を失うことになるうえ、ダニエルの枷は外れ、これ以降権力者に諫言できる者もいなくなることだろう。


 さらにいえば、それだけのことを言った以上、エゲヴィーブにも覚悟と準備がある。

 簡単には斬ることはできない。

 それどころか逃げ切る可能性が高い。

 そうなったときエゲヴィーブは最近知己になった女性を頼ってブリターニャの王太子のもとに向かう。

 いや。

 先ほどの言を考えればグワラニーのもとに逃げ込むことだってありえる。

 そうなれば、戦力の減少だけではなく、敵の戦力強化に繋がる。


 しかも、エゲヴィーブの言葉は言い方はともかく内容だけを考えれば正論と言えるもの。

 それを口にした者を誅したとなれば直属の上官のロシュフォールだけではなくロバウも反感を持つ。


 最高権力者である自分に対して無礼な物言いをしたのは腹立たしい。

 だが、すべてを天秤を乗せたダニエルは最後の一線を超えることなく踏みとどまる。


「為政者として国のために動くのは当然だ」


 それが実際に口から漏れ出たダニエルの言葉だった。

 だが、話はそこで終わらなかった。


「それからもうひとつ」


 ダニエルの決意表明の直後、エゲヴィーブが再び口を開く。


「その際、グワラニー氏は侵攻をしない対価を必ず要求してきます。それについてある程度の対応方針を決めておくべきでしょう」

「たしかに……」


「……考えられるのは金銭。それから領土の返還。人質。こんなところか」


 ダニエルがそう呟くと全員が頷く。

 全員の顔を眺め、それ以上の可能性がないことを確認すると、ダニエルは言葉を続ける。


「王宮にある金貨を巻き上げられることになればかなり厳しい。そうかと言って、戦線の後退を要求されてもこれまでの苦労を考えたら簡単に飲めるものではない」


「残りは人質。いや……」


「さすがに人質を要求してくるとは思えない。となれば、考えられるのはふたつか」


 最初に議題にしたのは、金銭による解決の場合だった。


「要求されれば払うしかないわけだが、相手は魔族。金銭支払いの名目が必要だ。まあ、今回はこちらの不始末に対する詫び料なのだが、さすがに詫び料を払ったというわけにはいかない。そういうことで支払われた金は囚われた者に対する首代とする。詫び料などより立派な理由であり、漏れ出した情報を聞いた国民も納得するだろうから」


 そう言い終えたところでダニエルは苦笑する。


 国を代表する者になると、その言葉ひとつひとつが重要になる。

 このようなどうでもいいことにまで気を使わねばならないのか。


 だが、その言葉を心の中で呟いた直後、ダニエルは表情を変える。


「捕虜ひとりあたりフランベーニュ金貨に換算して一万枚以上を要求してくる。つまり、百人いた場合、金貨百万枚は必要となる」


 つまり、フランベーニュ金貨百万枚。

 別の世界の通貨に直せば十億円。

 フランベーニュのような大国にとっては微細な額にも思えるが、今のフランベーニュにとってこの額が看過できるものとはいえないものといえた。 

 だが……。


「いやいや、その程度では済みますまい」


 それを完全否定する言葉はエゲヴィーブからのものだった。


「おそらくグワラニー氏はその千倍から一万倍を要求してくるでしょう。それこそ王宮どころか王都の金貨を根こそぎ奪うつもりで」

「もちろん拒否だ」

「ノルディアだってその要求を示されたときそう思ったことでしょう。ですが、それを断れないだけのものを用意して交渉に臨まれたため、受けざるを得なかった」


「今回も念入りにその準備をしてくるでしょう。それに、今回はあきらかにこちらに非があるわけですから、言われた額を用意する覚悟は必要でしょう」


「残念なことですが」


 ロバウとロシュフォールは常識的な者たち。

 このような会話もできなくはないが、多くの制約のある軍人である以上、エゲヴィーブのような深みのあるものは期待できない。


 不快なだけの話題ということもあり、それに気づいたダニエルはその話を切り上げると、もうひとつの話題へと移っていく


 占領地の返還。


 だが、ダニエルはもちろん、残りの三人も気づかなかったのだが、実はグワラニーがこれを要求してくるのはほぼあり得ぬ話であった。

 理由は簡単。

 グワラニーはフランベーニュの補給に負担をかけるために味方の犠牲を伴った後退をしたのだ。

 補給の過剰負担からフランベーニュを開放する占領地返還など要求するはずがない。


「フランベーニュは生かさず殺さず」


 元の世界の歴史上の人物が口にしたとされる言葉を借用して基本方針を示したグワラニーが補給と経済でフランベーニュを締め上げるつもりであることは明確。

 つまり、その方針から考えればグワラニーが要求するのは金銭一択。

 実をいえば、より時間をかけては話し合った占領地からの後退案は完全に無駄。


 だが、この協議はやがて活きてくることになる。

 まったく違う形で。


 さて、これだけ話し合いをしたのだ。

 当然グワラニーの要求に対してのダニエルの答えは是。

 つまり、釈明するためにどこにでも出向くというものだった。

 そして、その返答は当然好意的に受け取られる。

 側近のバイア相手にグワラニーはこのような感想を漏らしていた。


「まあ、これ以外の答えだったらダニエル・フランベーニュもそれまでの男だといえるが、為政者としての最低限の常識はあるようだな」


「……口惜しさに流した涙で湿った紙。そして、屈辱に震えた字。彼の心情が籠った実によい手紙だ」


 三日後。


 グワラニーが会談場所に指定したグボコリューバではこの二日間昼夜を問わず工事がおこなわれていた。


 期日に遅れない。

 そして、フランベーニュ王家の名誉と威厳を保つ内装と外装を施すこと。


 相反するような指示を受けての工事の指揮を担ったのはミュランジ城城主クロヴィス・リブルヌ。


「ダニエル王太子は不満を持つかもしれないが、今回は工期こそが最優先事項」


 そう言って僅か二日で臨時の迎賓館を設営したリブルヌはまず王都からやってきたフランベーニュ側の代表をその建物へ迎え入れる。

 続いてやってくるグワラニーたちを出迎えるために川岸に向かいながらリブルヌは呟く。


「大臣や文官たちは同行しているが、ロバウ殿、ロシュフォール殿、それにエゲヴィーブ殿。これひとつ見ただけでダニエル王子が誰を信用しているかわかるというものだ」


「一方のグワラニーは……まあ、全員見知った顔だろうな」


 十人ほど。


 そう伝えられていた参加者の数からリブルヌは相手の顔ぶれを想像した。

 だが、そこに到着したとき、リブルヌは緩み切った気持ちが最高レベルの警戒へと変わる。


 完全武装の魔族軍兵士三千人。


 それがリブルヌを驚かせたものだった。


 部隊の最高指揮官が敵地に渡るのだ。

 護衛の兵が集結しているのは当然だろう。


 自分自身にそう言い聞かせるように言葉を呟いたリブルヌだったが、心の落ちつけてグワラニーを探し始めたところで、さらに見てはいけないものを見つける。


 いや。

 存在してはいけないものを見たという方が言い方としては正しいかもしれない。

 とにかく、その見てはいけないもの。


 それは……。

 人間。


 もちろん魔族の中には人間種と呼ばれる外見は魔族の特徴である赤い目以外は人間と同じという者もいる。

 だから、あれは人間種と言いたいところで彼らの一部が掲げる看板に書かれた文字は間違いなくフランベーニュ語。

 さらに、魔族の文字とは違うが読めない文字の集団もいる。

 そのふたつの種族の人間を含む多数の者たちが何をしているのかといえば、それはこの世界の屋台。

 つまり、集まってきた兵士相手に商売を始めていたのである。


 しかも、魔族軍兵士はそれを略奪するどころか行儀よく行列をつくり、そこで売られているものを手に入れている。

 金を払って。


「奴らは金を払って食べ物を手に入れているのか……」


 ミュランジ城のような後方はともかく前線では日々の食事やその材料を付近の町の住人から半強制的に提供させることが常識になっているフランベーニュ軍の空気を吸っているリブルヌにとってそれは驚き以外のなにものでもない光景だった。


 やがて、グワラニー一行の上陸の準備が始まる。

 対岸から呼び寄せた小舟に乗った兵士と魔術師は二十人ほど。

 だが、それがあっという間に千人規模になる。

 そして、肝心のグワラニーであるが転移魔法を使わず、デルフィンとアリシア、さらにコリチーバ率いる護衛隊とともにやってくる。

 さらに危機管理の観点から通常はこのような場には顔を出さないバイアもデルフィンの祖父とともに姿を現したほか、軍官と呼ばれるグワラニー直属の文官長たちもそこに加わる。


 たしかに交渉に参加するのは十人前後かもしれない。

 だが、そこを取り巻くのは千五百人の兵士と百人の魔術師。

 相手が十人前後という話でそれに合わせて百人を少しだけ上回る護衛でやってきたダニエルたちフランベーニュの交渉団はその数に圧倒される。


 まるで、これから始まるダニエルによる弁明の困難さを暗示するように。


 そして、ダニエル・フランベーニュの申し開きを聞くという名目の会議が始まる。


 フランベーニュ側の出席者。

 宰相ダニエル・フランベーニュ。

 外務卿アロイス・バンドーム、副外務卿ブノア・プレシュイール。

 財務卿アナトル・ポワティア、副財務卿オーレイアン・シャルトル。

 法務卿アルベルク・レーグル 法務参事バルナベ・クレイユ。

 陸軍代表将軍エティエンヌ・ロバウ。

 海軍代表提督アーネスト・ロシュフォール。

 海軍魔術師オートリーブ・エゲヴィーブ。

 書記官バティスト・セリウラ。


 グワラニー軍の出席者。

 総司令官アルディーシャ・グワラニー。

 副司令官アントゥール・バイア。

 幕僚アリシア・タルファ。

 将軍アンブロージョ・ペパス。

 魔術師長アンガス・コルペリーア。

 副魔術師長デルフィン・コルペリーア。

 ホリー・ブリターニャも幕僚という肩書で加わる。

 そして、そこに軍官の幹部たちが加わる。

 軍官組織のトップである調整官アンデルソン・ビルキタスに率いられた法務担当グスタヴォ・アウメイダ、財務担当エソゥアルド・ジャウジンド、交渉担当アドリアーノ・カベセイラとブニファシオ・イタビランカ、書記官アイウトン・バレアルである。

 そして、彼らの後方にアイマール・コリチーバと五人の警護官が立つ。


 もちろん双方とも建物の外にかなりの者が待機しているわけなのだが、フランベーニュ側の集団のなかに着飾った八歳から十一歳までの少女五人含まれていた。

 もちろん彼女たちは対グワラニー用の隠し玉としてダニエルが用意した生贄である。


「先日はお世話になりました。王太子殿下」


「ですが、こんなに早く、しかも、このような形でお会いするとは思いませんでした」


 交渉が始まった直後、笑顔とともにやってきたグワラニーの毒の籠った挨拶にダニエルは唇を噛む。

 だが、これはわかりやすい挑発。

 乗るわけにはいかない。

 一呼吸後、ダニエルがそれに応じる。


「私も同じ思いですよ。グワラニー殿」


「ですが、不始末をしでかした愚か者たちの戯言によって身に覚えのない罪を着せられたのです。さすがに放置はできませんのでこうして参上した次第。ぜひとも私の言葉のすべてを聞き、そして、信じてもらいたい」


 つまり、今回の件は自分の知らないところで部下が勝手に起こした出来事。

 捕虜になった者が何を言おうが、それは自分の身可愛さに言っていることであってすべてが嘘である。


 例の手紙など存在しなかったかのようにそう言い放ったところで、目の前に置かれた木製容器に入った水を一気に飲み干し、ダニエルはさらに言葉を続ける。


「ですが、我が軍に属する者がモレイアン川を渡ったことは事実。それについては謝罪したい」


 預かり知らないことではあるが、事実は事実。

 国のトップとして謝罪する。


 ダニエルの言葉は、完璧とまではいかないまでも、状況を勘案したうえでこれからやってくる請求を軽減するためのものとしては悪くはないといえる。

 ただし、それの程度の言葉でなんとかなるほどグワラニーは甘くない。


 これについてアリターナの交渉集団「赤い悪魔」の長アントニオ・チェルトーザはこのように表現している。


「あの男に交渉で勝つための条件はふたつ。最低でも対等な立場であること。そして、もうひとつはあの男に時間を与えないこと」


「もちろんこちらもそれだけ準備する時間があるわけなのだが、同じ時間を得ても有利になるのはあの男。つまり、こちらの時間を削ってでもあの男に考える時間を与えてはいけないのだ」


 そう言ったところで、チェルトーザに苦笑する。


「残念ながら、そういう状況はやってくることはないだろう」


「あの男は常に自分が用意した舞台に相手を呼び込む。つまり、準備万端のうえで相手を待ち構える」


「そういうことで我々にとって一番望ましいことはあの男と交渉する状況が起こらないことだ」


 この世界随一の交渉人にそこまで言わせる男にたっぷりと時間を与えたうえでの交渉。


 すでに勝敗の行方は決まっているといえる。

 本来そのような戦いをおこなうなど愚の骨頂。

 やるべきではない。

 いや。

 やってはいいけない。


 だが、ダニエルはその負けが決まった勝負を挑まねばならない。

 勝利ではなく、より小さな敗北を手に入れるために。


 そうなれば、ダニエルにできることは逃げの一手しかない。

 卑怯者と言われようが、責任逃れと言われようがお構いなし。

 とにかく逃げる。


 それだけである。


 それに、今回の襲撃を許可したのは事実だが、将軍たちの暴走を止められなかったというだけで、積極的にそれを推し進めたいなど思ったことがないのだ。

 これくらいのことは許される。


 そのような思いがダニエルにはある。


 そういうこともあり同じ逃げでも潔さが伴っている。


 ……ここまで堂々とやられるといっそ清々しい。


 ダニエルの言葉を聞きながらグワラニーが苦笑いするくらいに。


 ……まあ、だからと言って手加減してやる理由など欠片ほどないのだが。

 ……では、いかせてもらう。


「問う」


「ダニエル王太子は今回の件をどの程度深刻に受け止めているのか?」


 グワラニーからやって来たこの簡素な問いは実を言えば非常に厳しいものだといえる。

 軽く流して答えることはもちろん可能だ。

 だが、それは誠意が感じられないものとなり、戦闘開始の口実にされかねない。

 では、その逆を言えばいいのかといえば、それは大きな要求に直結する。


 今まで通りの状況を保ちつつ、今回の不始末に対する詫び料は少なくしたいというダニエルの理想に適した言葉は何か?


 ダニエルは言葉を探す。

 そして、選び出したものがこれだった。


「協定違反というのは由々しき事態。だが……」


「先ほども言ったとおり、私はモレイアン川を超える行為を認めてはいないだけではなく、そのようなことを望んでもいない。だが、勝手にやったこととはいえフランベーニュ軍の一部が川を超えたことは事実。今後、このようなことがないよう軍の掌握には十分に留意したい」


 グワラニーは隣に座るバイアに目をやる。


「どう思う?」


 その誘いの言葉にバイアはグワラニーと同じ色笑みを浮かべて口を開く。


「さすがに一国の頂点に立つ方。素晴らしいお言葉です。ですが……」


「それは襲撃に失敗したから言えることでしょう。襲撃に成功し我が国の領土の奪取が成功した場合でも今と同じことが言えますか?王太子殿下」


 その瞬間、複数の笑いが魔族側から上がる。

 むろんその笑いは嘲りの要素が濃いものである。


 ダニエルは発言者を睨みつける。


 本来なら「そうならぬようこちらから情報提供したのだろうが」というひとことでバイアの言葉は一蹴できる。

 だが、それは言えない。

 この場でそんなことを言ってしまえば、最高権力者が自軍を敵に売った事実が自国の者に耳に届いてしまう。

 

 ダニエルは口から出かかったその言葉を飲み込むとこう言い放つ。


「当然です。我が国は約束を守る国。それは相手が誰であろうとも変わらぬ」


 再び起きる嘲笑。

 だが……。 


「……だそうだ」

「さすがです」


 グワラニーはそう言うとバイアもあっさりと矛を収める。

 もちろん二の矢がなかったわけではない。

 冒頭で彼我の力関係を示す。

 それが目的である以上、それ以上は不要。

 

 そのような判断である。


 そして、その直後、グワラニーが口を開く。


「では、それを踏まえてさっそく本題に入りましょうか。今回の件に関する誠意を示してもらいましょうか」


「まさか、言葉ひとつですべてが解決できるというわけではないでしょう」


「フランベーニュはいったいどのようなものを今回の件の対価として支払うつもりなのでしょうか?」


「ちなみにこうして軍幹部も同席させている意味を説明しておけば、フランベーニュが今回の件を本気で謝罪する気がないと判断した場合、ただちに行動に移すためです。そして、そこでこちらがふさわしいと思う対価を自らの手で手に入れる所存」


「そのつもりでお答え願いたい」


 細心の注意を払って言葉を選んできたダニエルのここまでの努力を葬ったグワラニーの言葉。


 むろんフランベーニュ側はグワラニーの口から「詫び料」の請求が来るのは予想していた。

 だが、こんなに早く、そして、これだけ縛りかけて来ることまでは予想していなかった。

 特に後者はフランベーニュにとって非常に厳しいものといえた。


 まずは相手に要求を提示させ、そこから減額していく。


 これがフランベーニュの交渉手順。

 だが、その前提は崩れ、こちらが差し出すものを示さなければならなくなった。


 このような場合、支払い予定額の半分から四分の一から始める。


 それがこのような場合における支払い側の一手目とされる。

 だが、グワラニーの言葉は、「そちらが出せる最高の額を提示せよ。その額に満足できなかった場合は席を立ち即戦闘が始める」というもの。


 そう言われてもまだ悠長に金額交渉をする余裕などフランベーニュにはない。


「少し席を外して協議してもよろしいか?」


 そう言って席を外したフランベーニュの交渉団であったが、もちろんこれはまったくの想定外の出来事。

 当然このような事態になるとは思わなかったため、そのような場所は用意されていない。

 そうなればフランベーニュで一番権力者が会議をするにはふさわしい場所とはいえない質素な部屋でやるしかない。

 もちろんダニエルは少しだけ表情を変えたものの、口に出して文句を言うことはなく、すぐにそれは始まる。


「財務省ではどの程度まで出せるのか?言っておくが、これは国家存亡にかかわるもの。ケチるな」


 相手を待たせる以上、すぐに本題に入らねばならない。

 開始早々ダニエルからやってきたその問いに、アナトル・ポワティアとオーレイアン・シャルトルという財務省幹部ふたりを官僚たちが取り囲む。


 金貨一億枚まではなんとかなる。

 だが、もう二桁上がるようだと国そのものが崩壊しかねない。


 二ドゥア後にやってきたその言葉に頷いたダニエルはその場にいるひとりを見やる。


「エゲヴィーブ。グワラニーはどう考えていると思う?」


 間髪入れず、現在フランベーニュが陥っている状況を予言した者が答える。


「相手の要求は最低でも百億枚」


 フランベーニュ金貨百億枚。


 グワラニーの独自レートを使用すれば、別の世界の十兆円に相当する。


 魔族軍との戦いの戦費。

 さらに徴兵と連作障害により主要産業である農業生産の減少で傾きかけたフランベーニュの経済にとってこの目が飛び出しそうな金額の賠償支払いは決定的なダメージになる。


 ちなみに別の世界ではこれ以上の賠償額を請求された例がある。

 第一次世界大戦の敗戦国ドイツ。

 その時の支払額は二十一世紀の換算で二百兆円とされる。


「馬鹿か。そんなもの払えるわけがないだろう」

「私が言っているのはこちらが払える額ではない。相手が要求する額の話だ。そんなこともわからぬ者がこの場にいるとは驚きだ」


 ポワティアの言葉をエゲヴィーブが一蹴し、プライドを傷つけられたポワティアは激高するものの、それで問題が解決するわけではないことは誰もが理解している。

 ふたりを視線で抑えるとダニエルが言葉を続ける。


「……だが、要求されても払えないものは払えない。それは交渉でなんとかするにしても、相手を交渉の席に座らせておくことが最低限の条件になる」


「だが、あの守銭奴魔族のことだ。こちらが最大限の誠意を見せてもそれ以上要求するのは見えている。席を立つふりをして」


「そうなると、やはり、最初から切り札を出すわけにはいかない」


「……金貨一億枚から始めるか」


 ダニエルの言葉に財務省の官僚は頭を抱えるものの、彼らの胸にあった金貨一千万枚では門前払いを食らう可能性がある。

 そうなれば、魔族軍は戦闘を開始し、あっという前に王都にやって来る。

 当然自分たちの権益は消え去る。

 それどころか自身や家族の命だって危ない。

 認めるしかない。

 

 だが、気前よく支払うことのないよう釘を刺しておくべき。


 官僚らしい思考が視線で了承されると、その代表であるポワティアが一礼してそれを実行に移す。


「ですが、王太子殿下。王都中の金貨をかき集めても十億枚がいいとこ。それ以上の支払いになると、国内に金貨がなくなり、ノルディアと同じ状況になることをお忘れなきようお願いします」


「財務卿にひとつお伺いする」


 ロシュフォールが声を上げると、ポワティアは睨むような眼差しをロシュフォールへ向ける。

 ポワティアから見ればロシュフォールは財政の素人。

 そのロシュフォールがが財政に関する話し合いに踏み込んでくるのは極めて不快。

 本来であれば、怒号ひとつで場外に追い出しいたいところであるがそうはいかない。

 なにしろロシュフォールはアポロン・ボナールに代わる国民的英雄。

 扱いを間違えた場合、自分の将来に関わる。

 渋々であるが、右手で発言を促す。

 一礼後、ロシュフォールの口が動く。


「相手の要求が百億枚。こちらの支払い限度が十億枚、そうなったときにその差額はどのようにして支払うのでしょうか」


「むろん交渉で相手が十億枚で納得すればいい。ですが、状況は譲歩しなければならないのはこちら。つまり、相手の要求に近づけることになるのですから」


 ロシュフォールの言葉が終わると、ポワティアが相手を見やる。


「土地でしょう。占領地の返還だろう。それしか……」

「いや。私がグワラニー氏の立場なら要求するのは金。おそらくグワラニー氏は我が国の状況を掴んでいる。継戦能力を簡単に落とせる金銭の要求こそが一番だろうから」


 ポワティアの言葉を遮ったのは再びエゲヴィーブ。


「では、どうすればいいのだ?」


 顔を真っ赤にしたポワティアを制して副財務卿オーレイアン・シャルトルがそう言うと多くの者はその言葉に同意するように頷く。

 だが、エゲヴィーブは顔色ひとつ変えず、こう言葉を返す。


「殿下。これはここに来てから思いついた案であり、あの男相手に通用するかどうかはわからぬが……」


 そう前置きしたエゲヴィーブはそれを示す。

 そして……。


 悪くない。

 いや。

 ここを乗り切るにはこれしかないという名案だ。


 口には出さなかったものの、複数の心の声が飛び交う。


「……わかった。それでいこう」


 席を外してから三十ドゥア後。

 ダニエルたちフランベーニュ側の代表が戻ってくる。

 そして、席についた直後、ダニエルが口を開く。


「お待たせした。では、こちらが提示する誠意。それは……」


「セヴィンヌ渓谷の北の占領地を返還する」


 その瞬間、魔族側からどよめきが上がる。

 だが、数人はなぜか苦笑いしている。

 その瞬間、ダニエルは心の中で雄叫びを上げる。

 成功だと。


 そう。

 苦笑いをしたのは、グワラニー、バイア、それからアリシアだった。

 もちろん残りふたりがどう思っているかは知らないが、少なくてもグワラニーはそれを望んでいない。

 グワラニーの表情をダニエルはそう読み取った。


 これで、交渉が動く。


 ダニエルは心の中でもう一度歓喜の雄叫びを上げる。


「いかがですか?」


 ダメ押し気味にダニエルからやってきたその言葉にグワラニーはバイアとアリシアの顔を見てもう一度苦笑いする。


「すばらしい提案ですが、それは遠慮しておきましょう」


 それがフランベーニュの提案に対するグワラニーの回答であった。

 グワラニーの言葉は続く。


「それによって多くの領地が奪還できる。これは大きな功となるわけですが、それとともに私は自らの剣で土地を奪還すると息巻いていた者たちから罵られ恨まれる。功を奪ったと」


「ということで……」


「それとは別のものを提示していただきましょう」


「もちろんこれほどのものはないという提案を拒絶するのですから、こちらも相応の譲歩させていただきます」


 グワラニーの言葉を受けたダニエルは少しだけ余裕を持ち、こう提案する。


「ではフランベーニュ金貨五千万枚でいかがでしょう」


「さすがにそれは少ないですね。桁をひとつ上げてもらいましょうか」


 ダニエルの言葉にそう応じたグワラニーのその言葉。

 支払額が金貨十億枚を超えることがなくなった瞬間だった。

 このチャンスを逃すまいとダニエルが畳みかけるように言葉を重ねる。


「では、フランベーニュ金貨一億枚で」


 数瞬後、答えがある。


「まあ、いいでしょう」


「フランベーニュ金貨一億枚を受け取り、今回の件は忘れることにしましょう。あわせて、預かっている方々をお返しいたします」


 決着である。


 もちろんこの金貨一億枚の支出というのはフランベーニュ王宮から金貨が消えるくらいの大損害である。

 だが、予想された金貨百億枚を考えれば微々たるものであり、これでフランベーニュはかろうじて生き残ることができたわけである。

 そして、絶対ないと思われたグワラニーからの譲歩を引き出したエゲヴィーブの提案は、のちに「金貨百億枚の言葉」として語り継がれることになる。

 

 奇跡的な展開により今回の交渉の勝者はダニエル・フランベーニュとされ、当然敗者になるのはグワラニー。


 少なくてもフランベーニュではそう受け取られているわけである。

 だが、よく考えれば、この一連のやり取りでグワラニーが本当に敗者だったのかといえば、微妙と言わざるを得ないだろう。

 なにしろ、この交渉の始まりはグワラニーの一方的な言いがかり。

 その被害者であるダニエル・フランベーニュが王宮の蔵を空にして加害者であるグワラニーに金貨一億枚を支払うことになったのだ。

 勝者と敗者を逆転させても問題はないといえるだろう。


 さらにグワラニーが占領地を差し出してくる可能性を予測していなかったというのもあり得ない話である。

 彼はこの世界の来る前に大小様々な交渉を経験しているが、その対策としてその世界の伝統である「想定問答」というものを準備していた。

 もちろん今回もバイアやアリシアと協議を重ね、頭の中に想定問答を仕込んでおり、その中にはエゲヴィーブが提案しダニエルが示したあの案も存在していた。


 さらにもう一歩深みに入れば、フランベーニュ上層部で大成功とされた占領地返還の提案からの要求額減額が実はグワラニーにとっても最良の道とされていたもの。


「さすがに火のないところから煙を起こす行為で金貨百億枚を取るのはさすがに心が痛む」


「そうかと言って減額する理由が用意されなければそのまま要求し続けるしかなかった」


「そういう意味では誰が考えたかは知らないが、あの提案は非常に助かった」


 もちろんグワラニーの言葉であり、ダニエルのあの言葉の直後、グワラニー、バイア、アリシアが苦笑いに似た微妙な笑みを浮かべたのはそういうことだったのだ。


 だが、その直後グワラニーが予測のすべてが的中する英雄譚に登場する主人公ではないことを証明する事態が起こる。

 信じられないことではあるのだが、ダニエルたちが用意しそうな提案のすべてを網羅つもりでいた想定問答集の穴が発覚したのだ。

 そして、それはダニエルの言葉から始まる。


 「ところでグワラニー殿」


「支払い額が決まった直後に言うのは気が引けるのだが、もう少しなんとかならないだろうか?」


「実をいえば、相談もなく決めてしまったのが気にいらないらしい金を管理する者たちの視線が厳しいのだ」


 冗談交じりに言っているが、ダニエルのこの言葉は値切り交渉。

 交渉成立後の値切り交渉は、公的な場でやれば交渉自体が不成立になり、市場でやれば袋叩きにされる。

 いわばマナー違反の行為である。

 もちろんダニエルだってその程度のことは承知している。

 それでも、ここでそれを持ちだしたのはグワラニーが乗ってくるという読みがダニエルにはあったからだ。


 困惑の表情を浮かべるグワラニーを無視しダニエルは言葉を続ける。


「もちろん対価なしに割引してくれなどという厚かましいことは言わない。当然相応のものを用意している」


 そう言った直後、ダニエルは後方に控える者に合図を送る。


 そして、二ドゥア後。

 その根拠となるものが現れる。


 着飾った五人の少女。


 幼いが十分に上品さを兼ね備えた可愛らしさがあり、将来は美人になることが約束されているといえるだろう。

 だが、その顔は明らかに怯えており笑みはない。


「一応紹介しておけば、左からアリアーヌ・モンパルナ十一歳。シャルロット・ベルビーヌ九歳。クリスティーヌ・ヴァンセンヌ十歳。ファスティーヌ・モントルイニ十一歳。アリス・シェルセーユ八歳。アリスは私の姉の娘であり父親は侯爵だ。クリスティーヌの父は王族であり公爵家の次期当主、アリアーヌとファスティーヌは侯爵家当主の娘。シャルロットの父は伯爵家であるが王家に名を連ねる者」


「これでどうだろうか?」


 ダニエルの言葉でグワラニーは察した。


 ……つまり、この少女たちが値引きの対価。

 ……人身御供というわけか。


 グワラニーはまず少女たちを眺め直し、それからもう一度ダニエルに視線を向ける。


「全員が身分の高い方々の令嬢だと言うことはわかりましたが、彼女たちはなぜここに来られたのですか?」


 もちろんこの場にいるという事実、そして彼女たちの表情を見れば、自分の考えは間違いようがないのはわかる。

 だが、聞かねばならない。


 怒りの成分が滲み出しているグワラニーの言葉に少しだけたじろぐものの、ダニエルは言葉を流し続ける。


「もちろん彼女たちは公式には人質という立場。ですが、事実上グワラニー殿の所有物。つまり、好きにしてよろしいということです」

「なるほど」


「それで、彼女たちの意向は確認しているのですか?」

「もちろん。ですが……それは重要なことなのかな」


 グワラニーはあらためて思う。


 ダニエル・フランベーニュが特別なのではない。

 この世界ではこれが普通なのだと。


 ……だからと言って私がそれを受け入れなければならないということにならないだろう。


 グワラニーは少女たちを眺める。


 ……だが、どうしたらよいか。


 むろん、彼女たちを受け入れる気がないのだから、断りの言葉を口にすればそれで済む。

 だが、それだけではどうにも腹の虫が収まらない。


 ……そもそもなぜ幼女ばかりなのだ。

 ……人をロリコン扱いしやがって。

 ……だが、いまさら請求金額の変更はできない。

 ……となれば、そのまんま返ししてやるしかない。


「アリアーヌ・モンパルナ。ひとつ尋ねる」


「あなたは両親からどのような説明を受けてここに来たのか?」


 グワラニーは左端の少女にそう尋ねると、フランベーニュ側から一斉に差すような視線が少女に集まる。

 むろんこれは無言の圧力のなか少女が口を開き、か細い声でこう答える。


「国とモンパルナ家のために役立てと……」


 これは用意された台詞。


 グワラニーはすぐに察した。


「ダニエル王太子の言によれば、あなたは魔族の国に行き、それから私に仕えることになるようだ。あなたはそれでいいのか?」

「……はい」

「ダニエル王太子が言う、私に仕えるとはどのようなことをするのかわかっているのか」

「……はい」

「それでもいいと?」

「はい」

「なるほど」


「では、他の方にもお聞きする。あなたがたも彼女と同じと考えてよろしいのか?」


 グワラニーの言葉に全員が頷く。


 ……おおかた、全員が例の兄弟喧嘩の際に兄たちに加担した家の者。

 ……傾いた家の立て直しをエサに娘を差し出させたというところか。

 ……それとも、潰すと脅したか。

 ……姉の娘は……同じだろう。


 ……必死さは伝わるが、やはりすべての点において私の好みではない。


 グワラニーは薄い笑みを浮かべ直す。


「フランベーニュのご令嬢が五人。これは相当割引が必要なようです」

「では……」

「だが、残念ながら私は金が大好きだ。やはり、金貨で支払いをしてもらうことにしてもらいましょうか」


 ダニエルを一瞬だけ喜ばせ、それから落とす。

 もちろんグワラニーのお返しなのだが、ダニエルは盛大な勘違いをする。


「もしかして、彼女たちは好みでなかったのか。そういうことなら……」

「ダニエル王子。私は彼女たちが気に入らないのではない。このように女性、しかも、こんな子供を交渉材料にしようという考えが気に入らないのだ」


 もちろんダニエルの言葉を強引に遮ったこの部分はグワラニーの本気であり、本音でもある。

 だが、その心情はダニエルには伝わらない。

 当然といえば、当然だ。

 なにしろ自分の目の前にその生きた見本がいるのだから。


「ですが、グワラニー殿は常に子供のような少女を侍らせ、ブリターニャとの交渉ではは少女を受け取り、身代金の減額に応じたと聞いている。しかも、その娘をこのような場まで連れてくるほど気に入っている。今の話とは随分と齟齬あるように思えるのだが……」


 ダニエルはそう言うと、フランベーニュの官僚たちは薄ら笑いを浮かべながらふたりの少女に好色的な視線を向ける。

 彼らが何を想像しているか気づき顔を真っ赤にホリーは睨み返すものの、テーブルの反対側から湧き上がる嘲りは止む気配はない。

 そこに割って入るようにグワラニーが口を開く。


「たしかにホリー・ブリターニャは交渉の過程でこちらに来ることになった。だから、先ほどの私の言葉は間違いと言われればそうとも言える。だが、ひとつ言わせてもらえれば、それは彼女の魅力に引かれた私が望んだからだ。ついでに言わせてもらえれば、相手が彼女であれば、金貨一億枚すべてを帳消しにしてもいい。彼女にはそれだけの魅力がある」


「さて、そういうことでダニエル王子がどうしても私に女性を渡し詫び料を下げたいというのであれば、そちらで選んだ女性を押し付けるのではなく、私の望む女性をここに連れてきてもらいたいものです」


「ということは誰か……」

「ええ」


「その方がこちらに来るというのなら、詫び料を半値にしてもよろしいですよ。ですが、王太子殿下。あなたにそれが可能なのですか?」


 その瞬間フランベーニュの官僚たちからどよめきの声があがる。

 いつもなら、それが誰を指すのかをすぐに察し、危機回避に動いていたはずのダニエルもその額に目が眩み思わず前のめりになる。


「私はフランベーニュを代表する者。もちろんフランベーニュ人であるのなら誰であっても大丈夫だ。それで、それは誰……」

「決まっている……」


「フィラリオ家の令嬢。フィーネ・デ・フィラリオ」


 フィーネ・デ・フィラリオ。


 活動の中心はブリターニャではあるものの、彼女はれっきとしたフランベーニュ人。

 つまり、先ほどのダニエルの言葉に従えば、彼女もグワラニーに進呈可能ということになる。

 だが、これがどれほど大変なことなのかはフランベーニュの中枢にいる者なら誰でも知っている。


 まず、彼女はフランベーニュ一の貴族フィラリオ家の令嬢。

 その彼女を詫び料の割引、その駒にするなどあり得ぬ話。

 万が一、それに賛成し、それに助力したということが公爵である父に知られれば、当然貴族の見えない力で自分も自分の家も葬られるのは確実。

 当然官僚たちは動かない。

 となれば、ダニエル自身が動くしかないわけだが、「お宅の娘を魔族のご機嫌取りに使いたいので差し出してくれ」などと言った瞬間、これまでの蜜月関係は崩壊する。


 問題はまだある。

 彼女はブリターニャの王太子アリスト・ブリターニャの護衛隊のひとり。

 大雑把に言ってしまえば、ブリターニャに雇われている。

 そのような身分の者をフランベーニュ人というだけで拉致し魔族に売り飛ばすようなことをしてしまえば、ブリターニャとの関係が悪化するのは避けられない。

 万が一、彼女はアリストの愛人だったりした場合は、悪化などという可愛いらしい言葉では済まなくなる。


 そもそも、彼女は最上級の魔法の使い手で、剣の腕も相当なもの。

 捕らえるなど容易なことではない。


 権力や腕力でどうにかできるないとなれば、彼女に同意してもらうしかないが、それによって実現可能かなど聞くまでもないだろう。

 さらに悪いことにグワラニーは彼女と面識がある。

 別人を仕立てることもできない。


 そう。

 ハッキリ言って無理である。


 だが、そうなると、先ほどの言葉は嘘だったのかということになる。


 大いなる失態。


 フランベーニュ側の人間はある者は天を仰ぎ、ある者は項垂れる。


 一方、魔族側は彼らを嘲りの表情で眺める。

 

 攻勢に出ていたはずの自分が知らないうちに罠に嵌められていた。

 その口惜しさを顔全体に表すダニエルを眺めグワラニーは待つ。


 ダニエルからの言葉を。


 そして、三ドゥアという意外と長い沈黙後、ダニエルは大きく息を吐きだす


「……さすがにそれは無理だ。だが……」


「彼女が承知したら本当に受け入れる気があるのか?」

「もちろん」


 苦り切ったダニエルの問いにグワラニーは軽やかに言い切る。


「私はブリターニャの敵国である魔族軍に所属している身。そういう点ではあなたと違ってアリスト王子とのしがらみはない。それどころかアリスト王子の強力な駒をひとつ奪い取ることができるのです。拒む理由などないでしょう」


「ですが、私はあなた以上に彼女の為人を知っている。そんなことを口にした瞬間、王太子は灰になります。間違ってもそのようなことを口にしないほうがいいでしょう」


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賠償金なんかより一国に匹敵する大魔術師の貴族令嬢の方を選びそう
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