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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十四章 勇者と魔族の冒険譚
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華麗なる反撃

 もちろん公的なものではないのだが、生産量と消費量から割り出したフランベーニュの穀物自給率は二百パーセント。

 つまり、大きな被害ではあったものの、初日の被害だけなら輸出には影響するものの、国内の消費分は十分賄えた。

 だが、二回目の農地襲撃によって焼失面積は六割を超え七割に届こうとしている。


 残った小麦は、まずは王族、続いて畑を焼かれた上級貴族、続いて軍幹部、それから軍の備蓄。

 もちろん彼ら用の備蓄はある。

 だが、この状況にもかかわらず当然の権利のように彼らは来年の備蓄を考え使用分以上に確保しようとする。

 それを差し引いて残ったのは必要量の半分。

 もちろん不足分は輸入するしかないが、商人がこちらの窮状を見れば値を上げるのは確実。

 そうなった場合、それはそのまま売り値に影響し、平民たちが手の出せないものになりかねない。

 それを避けるには助成するしかないわけだが、ただでさえ苦しい国の台所にとってそれは大きな負担となる。

 だが、それをやらなかった場合、平民たちの不満は募り爆発しかねない。


 平民を斬り捨てるか。

 それとも国家財政がさらに悪化するのを承知で小麦を買い入れ安い値で放出するか。


 難しい判断を迫られたダニエル・フランベーニュに軍から新たな難題を持ち込まれる。


 このままやられたままで済ませるわけにはいかない。

 魔族領の農地を焼き討ちする報復攻撃を速やかに実施すべし。


 その計画を持ち込んだ伯爵でもある軍幹部のひとり将軍ボワレ・シュバイズの提案を聞き終えたところでダニエルは重々しく口を開く。


「言いたいことはわかる。だが、報復するといっても襲撃する場所がなければどうにもなるまい」


 モレイアン川の東岸には少し前までフランベーニュが領有していた土地があり、そこには多くの耕作地も含まれる。

 だが、その耕作地のほぼすべてがアリターナのものとなっている。

 さすがにここでアリターナの農民が耕作している土地に火をかけるのはアリターナとの戦いに発展しかねない愚行中の愚行。


 ダニエルの短い言葉は言外にそう言っていた。

 だが……。


「あるではありませんか。格好の場所が」


 シュバイズはそう言って胸を張る。

 ダニエルは胸のざわつきを抑えながら目の前の男をもう一度見る。


「どこかな。その場所は?」

「プロエルメル」

「プロエルメル?」


 シュバイズが口にした地名を聞いた瞬間ダニエルの表情が曇る。

 もちろんダニエルは知っている。

 地名も。

 そして、そこがどのような場所かも。

 だが、その表情を読み間違えたシュバイズはダニエルがその地を知らないものと勘違いし、隣に控えるふたりの将軍を見る。


「テュファラン。ヴェルナント。王太子殿下に説明を」


 上官に命じられたふたりの将軍アルジャノ・テュファランとクルレ・ヴェルナントが一歩前に進み出る。


「王太子殿下に説明いたします」


 テュファランはその言葉を前置きにして説明を始める。


 まず、その場所がどこにあるか。

 それについて長々と説明する。

 初めて聞くような顔をするものの、聞くまでもなくダニエルはその場所がクペル平原の北西にあることを知っていた。

 ようやくその説明が終わったところでダニエルが口を開く。


「位置はわかった。聞こう。なぜそこが報復の最適な場所となるのかな。将軍」


 今度はもうひとりの将軍であるヴェルナントが答える。


「まずここは今回我が国の穀倉地帯を襲撃したと思われるグワラニーの領地であるからです」


「そして、ここを耕作しているのは恥知らずな者たちだからです」

「恥知らず?」

「はい。ここにいる農民はもともとフランベーニュ人。ですが、忌々しいあの戦い後、再三の勧告を無視してかの地に残りグワラニーの奴隷として働いているようなのです」

「だから、襲撃してもよいと?」

「当然です。そのような汚らわしい輩は畑と一緒に焼き殺すべき。私たちはそう考えております」


 こんなときに本当に余計なものを持ち込んでくれたものだと、ダニエルは心の中で怨嗟の声を上げる。

 もちろんシュバイズたちの主張も十分に理解できる。


 魔族による今回の農地襲撃は戦ううえでの最低限のルールを逸脱している悪逆非道なおこない。

 それをそのまま放置していてはこれ以降毎年のようにおこなわれる。

 そうかと言って警備が完璧に出来ない以上、別の手を考えなければいけない。

 その一番有効なのは同じことをおこなう報復。

 つまり、魔族領にある農地を焼く。

 今回の焼き打ちの首謀者はほぼ間違いなくアルディーシャ・グワラニー。

 となれば、グワラニーの部隊が駐屯している場所にある農地を焼くことが一番。

 ありがたいことにプロエルメルはその条件にピッタリ当てはまる。

 さらにここで耕作しているのはフランベーニュ人でありながら仲間とともに撤退せずに残った者たち。

 情報によれば、彼らはグワラニーの奴隷となっているらしい。

 つまり、プロエルメルこそ報復をおこなうのにふさわしい場所。


 成功すれば、今回の失態を取り戻せる。

 だが、それはミュランジ城の確保する際に結んだ協定を破ること。

 当然再報復は免れない。


 そもそも相手はあのグワラニー。

 成功するかもわからない。

 いや。

 失敗する可能性の方が高い。

 そのうえで攻撃の口実を与えるということになる。


 それは魔族たちの一方的な利になるだけだ。


 すぐにでも否定したい。

 というより、これは否定すべき案件。


 だが、それを否定できない事情がダニエルにはあった。


 ここでそれを許可しなければ軍幹部にはこれだけやられても手が出せない腰抜けと思われる。

 それはそのまま軍の支持が失われることを意味する。


 王位争いのライバルであるふたりの兄はすでに葬っているので王位を手に入れること自体は間違いないのだが、それから先はどうかといえば、かなり厳しい道のりといえる。

 一応大貴族の多くはかつての力を失っており、唯一生き残っているなかでの最大勢力であるフィラリオ家は自分の支持に回っているので心配ない。

 だが、武力という点では圧倒的に軍の力、特に陸軍に力がある。

 この世界には軍のクーデターという概念はまだ存在していないのだが、もともと軍に支持基盤がないダニエルは軍が武力を使って実権を握り、自分が傀儡になるという不安を常に持っていた。


 そうならないためには軍の不満を溜め込むようなことをしてはならないのだ。


 どうしたらよいものなのか?


 もちろん一番いいのは相手がその提案を取り下げてくれることである。

 そうすれば自分は傷つかずに済む。


 ダニエルが重々しく口を開く。


「将軍に尋ねる」


「その策の有用性は理解した。だが、それは間違いなく成功するのか?」

「当然です」


 どう考えても難題であるはずのものを、あまりにも簡単に是と答えるその声に眩暈がしそうになったダニエルはそれを口にしたテュファランを疑わしそうな目で眺める。


「それは心強い。それでそこまで言い切れる根拠は何かな?」

「これは異なことを言う。そんなことは決まっています」


「魔族ができたのです。我々ができて当然ではないですか」

「……つまり、魔族ができたのから我が軍の焼き打ちも完璧な成功する。そういうことかな」

「そのとおりです」


 その言葉とともにテュファランは胸を張り、シュバイズとヴェルナントは大きく頷く。


 こんな根拠でグワラニーの足を蹴り飛ばしにいくつもりとは……。

 こいつらは馬鹿に違いない。


 ダニエルは自身の眩暈がひどくなるのを感じた。

 だが、ここで切り捨てるわけにはいかないダニエルは三人を眺める。


「気概はわかった。では、具体的な策を聞こうか?」


 盛大な嫌味。

 だが、相手はそれに気づかず、その言葉に頷くとすぐに話し始める。


「……まず、夜間にグボコリューバから小舟でモレイアン川を渡りアンムバランに上陸し……」

「ちょっと待て。転移魔法を使うのではないのか?」


 すべてを聞き終えたところで疑問点を問う。


 これがこのような場合の常識だということはダニエルも理解している。

 理解はしているが、さすがにこれは黙っていられない。

 だが、言葉を遮った直後、あることに気づく。

 そして、申しわけなさそうに問う。


「もしかして、魔力を感知されないようにということか?」


 そう。

 ダニエルは自身の知識の中に高位の魔術師が持つ能力を思い出したのだ。

 これはそれに対する警戒。

 十分ありえることである。

 だが……。


「いいえ。単純に東岸に転移できる魔術師がいなかっただけです。小舟には魔術師を乗せますから当然その後は転移魔法を使います」


 テュファランの答えは、ダニエルのささやかな期待を裏切る答えだった。

 目の前の男たちの能力の低さと策の杜撰さに再び爆発しそうな感情をどうにか抑え込んだダニエルは右手で話を続けるように促す。


「では、続けます」


 そう言ってからテュファランが語った、彼らが用意していた策。

 それはダニエルを驚愕させるものだった。


 グボコリューバから小舟でモレイアン川を渡りアンムバランで軍を整えた後に徒歩で進軍。

 目標であるプロエルメルが見えるところまで進み、そこで畑と町を焼く。

 そして、丸焼けになった町にフランベーニュ国旗を立てる。


 それがその内容となる。


「……将軍は今の話を本気で言っているのか?」


 別の世界の時間では八分強にあたる五ドゥア後、ダニエルはテュファランに対してそのような言葉を投げつけるのは当然といえるだろう。


 だが……。


「もちろんです」


 テュファランはそう答えた。


「相手はあのグワラニーだぞ」

「ですが、魔族でもあります。魔族が、自身の奴隷とはいえ、人間や人間の土地を守っているなどあり得ない話でしょう」


「殿下は心配し過ぎなのです」


 ダニエルはそこで察した。


 目の前にいる者たちは魔族という概念を捨てられないのだ。

 むろん自分だって完全に拭えたとはいえない。

 だが、これまで手に入れた情報。

 そして、なによりもグワラニー本人と会ってわかった。


 自分たちが持っている魔族の概念は捨てなければあの男を理解できない。

 もっとも、理解できたら完璧な対応できるというわけではないのだが。


 ダニエルが口を開く。


「将軍たちはアルディーシャ・グワラニーを甘く見ている。奴は農民たちを守ることだろう。だが、ここはその点を譲ることにする。だが、周辺には奴の部下が配置されている。それはどうする?」


「もちろん排除します」

「どうやって?」

「これは異なことをおっしゃる。当然剣です」

「つまり、魔術師だけではなく、相応の数の剣士も動員するということか?」

「そうなります」


 自分は軍事の素人だが、この男が口にしているように進まないことはわかる。

 だが、軍の幹部に対して「おまえたちでは魔族に勝てない」と言うわけにはいかない。


 数瞬後、搦め手から攻めることにしたダニエルが口を開く。


「重要なことを尋ねるのを失念していた。策を論じる前にそれについての見解を聞こうか」


「ミュランジ城を守るリブルヌ将軍の言によれば、城を守り切ったとは言え、実際のところグワラニーがその気になれば城はすぐに陥落するそうだ。そうならないための枷が休戦協定となっている。そして、『人間は魔族側の許可なくモレイアン川を超えてはならない。また、それをおこなおうとする者を取り締まる義務がフランベーニュにある』という一文がそこにある」


「将軍たちの計画はそのすべてを破るということになるわけだが、それについてどう考えているのかな?」


 もちろんダニエルはこれで将軍たちを黙らせられると考え、これを持ちだしたのだ。

 だが……。


「現在戦闘中との敵と部分的な休戦。そのようないびつで不健全な協定など守る必要などないでしょう」


 即座にそう断言したヴェルナントのその言葉に残るふたりが頷く。

 むろんこう言われてしまえば、ダニエルの言葉にも力が入る。


「リブルヌ将軍にはどう伝える?」


「不要。こちらがフランベーニュの旗を掲げていれば友軍とわかるでしょうから」


「国旗を掲げた味方を攻撃すれば重大な軍規違反。そのようなことをすれば奴は魔族の仲間として処分できる」


 糠に釘。

 馬の耳に念仏。


 別の世界の言葉ではこのような状況をこう表現する。

 だが、さすがにそうすることの危険性はどれだけ愚かな者でもわかる。

 つまり、彼らがここまで強硬に主張するのは別の意図がある。

 それは何か。


 ダニエルは三人の将軍を眺めながら思考する。

 そして……。


 見えた。


 ダニエルは呟く。


 ミュランジ城城主クロヴィス・リブルヌは陸軍内では非主流派。

 かつ、平民出身。

 ボワレ・シュバイズのような爵位持ちばかりの陸軍幹部にとってそれは目障りで仕方がない。

 魔族への報復ついでに始末してしまおうという算段。

 しかも、敵であるグワラニーの手によって。


 だが、これは愚かにも程がある。

 彼らの思惑通り、畑の焼き打ちが成功し、怒り狂ったグワラニーが報復に動きミュランジ城を落としたらどうなるか?

 むろんリブルヌは戦死するだろう。

 だが、その後はどうなる?


 枷が外れたグワラニーはフランベーニュ中を蹂躙しながら前進を続ける。

 そして、すべてが終わる。


 ダニエルのギアが数段階上がる。


「問う」


「そうなれば、グワラニーは部隊を率いてモレイアン川を渡ってくる。もちろんミュランジ城は落ちるだろう。だが、それで終わりではない。そのまま王都までやってくるだろう」


「将軍たちはボナール将軍と彼が率いていた精鋭を一瞬で葬ったグワラニーの部隊を止める策があるのか?」


 テュファランはその言葉を待っていたかのように薄い笑みを浮かべる。


「当然用意しております」


「もちろん忌々しいグワラニーの軍と堂々と戦い、奴らを永遠に葬りたいところですが、グワラニーの本隊は強力であり正面からぶつかれば我々が勝ち目がないのは承知しています。そこで……」


「我が軍は全軍で攻勢に出た奴らをやり過ごした後、背後に転移します。もちろんこの時点でミュランジ城は落ちていることでしょう。ですが、心配は不要です」


「その後方を守る者たちが本隊と同等の力を持っているわけではない。後方部隊を粉砕してクペル城を落とし、さらにマンジュークを奪取する。さすがにこのまま維持するのは厳しいでしょうから相応の好条件を引き出しもう一度停戦に持ち込む。その時点でミュランジ城を奪還します」


「奴らは無人の農地を焼いただけですが、こちらはさらにもう一歩踏み込む。敗戦続きの国民の戦意高揚になることまちがいのない華麗な戦果となることでしょう」


「いかがですか?」

「……たしかに悪くない」


 数瞬後、ダニエルはそう呟く。

 外見上は見事な策であることは否定できない。

 だが、それはすべてがこちらの思惑通りでなければ成り立たない。


 そうかと言ってこの実行をこの場で許可しないと言うのは自分が置かれた立場を考えれば非常に難しい。

 

 ダニエルは最後の手札を切る。


「テュファラン将軍。このすばらしい策は誰が考案したものかな」

「もちろんシュバイズ将軍が中心になって我々が考案したものです」

「この場にいる三人ということか?」

「そのとおりです」

「そうか。それと……」


「やや複雑な策に思えるが成功するのか?」

「計画通りにおこなえば確実に成功します」

「わかった」


「では、この策の実行を許可する。ただし、この華麗な反撃の最初の一撃となるプロエルメル襲撃部隊の指揮はシュバイズ将軍。そして、副司令官にテュファラン将軍とヴェルナント将軍にお願いする」


「これはあのグワラニーを出し抜くもの。成功させればあらたな英雄になるのは間違いない。その栄誉を他者に与えるのは不本意であろう。三人にはその栄誉を是非掴んでいただきたい」


 お願い。

 そう言いながら、これが王太子の命令であり、それがこの策を実行するための条件であることは確実。


 どうせこいつらにはそれだけの勇気はない。

 言い訳を並べて王都から動かない。

 そうなったら、それを理由に中止にできる。


 満面の笑顔を浮かべるダニエルは三人を眺めながら心のなかでそう呟いた。

 だが、ダニエルはある重要なことを見落としていた。


 貴族とは言え彼らも軍に身を置く者。

 つまり軍人の本質である戦場で手柄を立てたいという気持ちを彼らも持ち合わせているということだ。

 そのような彼らにこれだけの煽り文句をくれてやればどうなるか?

 

「承知した」


 一瞬後、その言葉を口にしたシュバイズに続き、テュファランとヴェルナントもすぐに続く。

 当然こうなってしまってはダニエルが用意していた次の一手は使えない。

 許可。

 これがダニエルの最終決定となる。


「……失敗した。最初から不許可と言うべきだった」


 三人が顔を紅潮させ部屋を出ていった直後、ダニエルは言葉を漏らすものの、後の祭り。

 最初から失敗が約束されたその出来事が動き出すことになった。


 これだけ打つ手打つ手が後手に回る事態に、さすがのダニエルも完全に自信を失う。

 エティエンヌ・ロバウとアーネスト・ロシュフォール、それからロシュフォールの知恵袋的存在である海軍の魔術師長オートリーブ・エゲヴィーブという腹を割って話せる軍関係者を呼び出しすべてを話し助言を請う。


「さて、どうするべきか?」


 ダニエルの問いは短い。

 ただし、内容は深刻かつ重要なもの。

 簡単には答えられない。


 ふたりの幹部が沈黙する中、口を開いたのはエゲヴィーブだった。


「切り捨てるべきでしょう。その三人を」


 もちろんその意味はわかる。

 そして、フランベーニュが生き残るためにはそれが一番良い選択肢ではあることもわかる。

 だが、それをどうおこなうかが問題だった。


「すでに許可を出している。それを取り消すわけにはいかない。それに、シュバイズは陸軍の幹部であると同時に伯爵でもある。残るふたりの爵位こそないがともに子爵家の一員。力づくというわけにはいかない」


 それをやってしまえば、軍だけではなく貴族からも批判が出る。

 支持基盤が強くない自分にはできない。


 ダニエルの言葉は言外にそう言っていた。

 もちろん魔術師の横のつながりを利用して多くの情報を手に入れていたエゲヴィーブもそれは理解している。

 だが……。


「問題ないでしょう」


 それがエゲヴィーブの答えだった。


「国の命運がかかっているのですから、貴族であることなど無関係」


 エゲヴィーブはそう言い切った。


「だが、それ切り捨てる側の言い分で、捨てられる方はそうは思わないだろう」

「まあ、そうですね。私がそちら側でしたら断固抗議しますので」


 ロシュフォールの言葉に冗談交じりでそう応えたエゲヴィーブだったが、直後表情を変える。


「ですので、ここは彼らが使おうとした手段を使えばいいでしょう」


「グワラニー氏に三人を処断してもらう。まあ、これも相応の対価を支払わねばならないでしょうが、少なくても殿下自身が三人を斬るよりは被害は少ない」


 つまり、シュバイズが目障りなリブルヌを処分する方法とそのまま利用する。

 そういうことである。


「悪くはないが……」

「ああ。グワラニーとの協定を破ったことは消えないだろう。馬鹿将軍を誅した勢いでミュランジ城も落とされる」


 再びやってきたロシュフォールの呻きに今度はロバウも加わる。

 だが、エゲヴィーブの表情は変わることがない。


「では、こちらから知らせておけばいいでしょう」


「物ごとの道理もわからぬ愚か者が率いる部隊がプロエルメルを目指してグボコリューバから小舟でモレイアン川を渡りアンムバランに上陸する。何度も制止してもやめようとしない。申しわけないがそちらで処断してくれと」


 もちろん策としては悪くない。

 というより、プロエルメル襲撃自体を止められないということであればこれ以上の策はないだろう。


 ダニエルは多くの感情を混ぜこんだ苦みの濃い笑みを浮かべ、こう問う。


「具体的にはどのようにすべきか?」

「まあ、リブルヌ将軍に任せるのが一番でしょう」


 むろんエゲヴィーブが冗談の類を言ったのではない。


 魔族と接触がしやすい。

 すべての面でこの場にいる誰よりもリブルヌがこのようなことを対処する能力が長けている。


 そのリブルヌに掣肘なしにすべてを任せれば、すべてはこちらの期待どおりの結果となる。

 エゲヴィーブの言葉はそう言っていた。


「……殿下が望まれるのであればリブルヌ将軍への伝令と説明をおこなう役は私が勤めますが」


 そして、一セパ後、エゲヴィーブと上官のロシュフォールがリブルヌに対するご機嫌伺いと称してミュランジ城へ向かう。

 多くの土産を持って。


 むろんエゲヴィーブの予測どおり、すべてを聞き終えたリブルヌはダニエルの要請を受ける。

 いや。

 むしろ積極的に受けたと言ってもいいだろう。


 シュバイズたちの成功する可能性が皆無のその策の生贄にされるなどまっぴらごめん。

 さらに失敗した場合でも確実に巻き添えを食うのだからこの選択は当然。


 それがリブルヌの偽らざる気持ちだろう。


「それにしても……よくもそんな策が成功すると思ったものだな」


「もちろんその失敗で痛い目を見るのがシュバイズ将軍だけなら目を瞑るだけにしておくが、まちがいなくこっちにまで災いがやってくるのだ。自分の失敗に他人を巻き込むなと言いたい」


 リブルヌの軍幹部の批判とも受け取れる言葉を聞き流したところで、ロシュフォールは自身に課せられた使命を告げる。


「それで、リブルヌ殿。一応手段を聞いて来いというのが王太子殿下の命令だが……」

「グワラニー宛てに文を一通書く。それだけですね」


「ボワレ・シュバイズのいう名の馬鹿がアルジャノ・テュファランとクルレ・ヴェルナントという仲間とともに夜中にこっそりグボコリューバから川を渡るそうだ。目的はプロエルメル。それなりの地位にある者であるため、残念ながら止めることができなかったので恥を忍んでこうしてお知らせすることになった。私としてはその者の行動にかかわらず今後も今までと同じようにお付き合い願えればと思っている」


 一瞬で頭の中で書き上げた素案を披露したところでリブルヌは苦笑する。


「敵将に対してこんな情けない手紙を書かせるとは本当に迷惑な話だ」


 そして、表情を少し変える。


「そして、相手があの男で本当に助かった」


「同じ条件であっても、他の者であれば確実に終わっているのだから」


 ミュランジ城から対岸にある魔族軍陣地へクペル城内にいるフランベーニュ人女性たちへの差し入れ。


 その中に入れられたリブルヌの言う「恥ずかしい文」は事実上ダニエルからグワラニーへの密書となる。

 もちろんそれはクペル城を警備するジルベルト・アライランジアから渓谷地帯を守護し南方方面に展開するグワラニーの指揮官でもあるアンブロージョ・ペパスを経由してクアムートのグワラニーに届けられる。

 もちろんそれを読んだグワラニーはプロエルメル周辺を守備するアビリオ・ウビラタン、エルメジリオ・バロチナに最高レベルの警戒をするように命じるとともに、クアムートにいる側近のものたちを集め協議に入る。


「……というわけだが、さて、この扱いをどうしたらよいかな」


 手紙を朗読し終わったところで、その場にいる全員の顔を眺める。


「むろん本当にやってくれば迎撃はする。完膚なきまでに」


「だが、そもそもこの話が本当なのか?」


「話はそこから始めることにしようか」

「だいたいやって来ると書いてあるが、いつとは書いていない。気が利かない奴らだ」

「まあ、それはこの前のお返しということでしょう」


 クアムート城の城主であり、グワラニーの領地に防衛を担うアゴスティーノ・プライーヤが口にした疑問の言葉にグワラニー軍の次席指揮官でもある最側近のアントゥール・バイアはそう答える。

 説明を求めるプライーヤの視線に応じるようにバイアは言葉を続ける。


「ワイバーン経由の情報ではダニエル王太子が警備を命じたものの、魔族軍がやってこなかったために部下たちが警戒を解除した。そこにやってきた魔族軍が誰もいない農地を焼き払った。それを聞いてダニエル王太子は怒り狂い担当者を罰したそうだ」


「そのお返しをしてやろうということでしょう。つまり……」


「こちらは丁重に情報提供した。それで失敗したのはそちらの失態。それに対する報復はご遠慮願うということなのでしょう」

「となると、この情報はまちがいないものということになりませんか?」

「そうなりますね」


 自身の言葉に対してこの場にいる三人の女性のひとりであるアリシア・タルファがそう問うとバイアが肯定の言葉で応じ、他の者も頷く。

 直後、その中のひとりが口を開く。


「それでどうする?」


 その言葉を口にしたのは魔術師長アンガス・コルペリーア。

 老魔術師、それから残りのものが視線を向けた先にいる若者がその言葉にこう応じる。


「一応侵攻先は書かれているわけですが、これが確実というわけでない以上、警戒のためにミュランジ城から北側はすべて魔力を感知できる体制をとっておきましょう。それから討伐軍はすぐに対応できるようプロエルメル周辺に待機ということにしておきましょう」


「いつ来るかわからぬお客を待つ」


「これも我々の仕事のひとつということで」


 これから敵がやってくるという情報を手に入れた後の基本的対応など、警戒と迎撃、そうでなければ先制攻撃くらいのもの。

 当然ではあるものの基本方針は意外にあっさりと決定される。


「では、すぐ手配をすることにしようか。フランベーニュの愚か者と同じことをせぬように」


 その言葉を残し、魔術師団を動かすために老人が席を外す。


 むろん、もう少し詰める必要があるため、老魔術師抜きで話はさらに続く。


「……それにしても、一国の王太子、というか実質的な国王が自国の軍を敵に売るようなことをするとはおかしいだろう」

「それをやることで得られる利益。というより、これをやらないことで失う損出とやることに失われる損出を比較的して圧倒的に後者を選ぶほうが国家の未来にとって有益だと思ったからでしょう」


「ですが、彼はフランベーニュの最高権力者。自身の力を使えば襲撃は止められたはずです。ですが、彼はそれをおこなわず我々に密告した。邪魔者を始末させるため」


「つまり、彼は自分が傷つきたくなかった」


「もう少しいえば、襲撃を止めればこれだけやられているのに何もしないのかと批判を受ける。だから、襲撃を許可した。だが、成功するか失敗するかは別にして襲撃があれば盛大な報復が待っている。その報復は避けなければならない。相反するようなことを実現するため襲撃を許可したうえで、我々に襲撃をおこなわれることを知らせるということなのでしょう」


「一見すると良策に見えますが、私に言わせればやはり悪手」


「襲撃に参加した兵は無駄死にするのはもちろんですが、その策に乗じてこのような手も打てます」


 そう言ってグワラニーはニヤリと笑う。


「……やってきた者のうち何人かを意図的に逃がす」


「もちろんただ逃がすだけではなく、このような話を聞かせてやるのです」


「実は、おまえの国の王太子から襲撃に関する詳細な情報をもらっていた。だから、これだけの準備をして待ち構えることができた」


「当然帰った者たちは話す。そうなれば……」


「……王太子の人気がガタ落ち。さらに軍や貴族からの支持を失う。こちらが手を出さなくてもフランベーニュは崩壊する」


「自分は汗を掻かず、もちろん傷をつかない。そのうえで最高のものを得る。そのようなうまい手など存在しない」


「もちろん今回、我々は報復をおこなうことはないし、密告があったことを公表しないので彼の目的は達成できたともいえますが」


「軍の指揮官である以上、兵士たちには死ねと命令しなければならないこともあるでしょう。もちろん私もそのような状況になれば躊躇いなくそう命じます。ですが……」


「自分の身可愛さに味方を売った今回のダニエル王子の選択のようなことは絶対にしない」


「そう約束しましょう」



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