蚊帳の外に置かれた者たち
グワラニーとデルフィンが離脱した後、残された四人は旅を続けるわけなのだが、実は復路にあたるそれはそれまでの時間を考えたらあっという間といえる時間で終わる。
まずはミュランジ城へ転移してリブルヌへ戦果報告。
その後、王都アヴィニアへ向かい、ダニエルより褒美を受け取る。
契約通りに。
そして、次に向かったのはクアムート。
グワラニーに報酬を渡すこともその理由だが、フィーネにはそれ以上に至急かつ重要な案件があったのだ。
グワラニーが旅の最後に口にしていたフランベーニュの農地襲撃。
その対象からフィラリオ家所有の農地を除外するように要請すること。
国はもちろんフィラリオ家にもそれほど愛着をもっていないフィーネだったのだが、それでも育てられた恩はある。
この程度のことはやっておこうという気になったのだ。
ただし、これは実際のところかなり難しい。
その理由。
それはこの世界には詳細な地図が存在しないということだった。
自宅と所有の農地の多くがある国土の南西部全体を襲撃から除外してもらうしかない。
もちろんフランベーニュで最高位の貴族であるフィラリオ家は他にも農地を持っているのだが、さすがにすべてを保護するのは無理というものである。
「まあ、それでもやらないよりはマシでしょう。それに……」
「その一族の農地だけ無傷だった場合、いよいよ魔族との関係を疑われます。そういう点ではちょうどいいともいえます」
クアムートに出向くフィーネは独り言のようにそう呟いた。
そして、クアムートでほんの何日か前まで一緒に旅をしていた魔族の男を呼び出し、やってきたその男にそれを話すと拒む理由がない男はあっさりとこう答える。
「……承知しました」
「ただし、それをおこなうのは私の直属部隊ではないので絶対に大丈夫とはいきませんが」
これでクアムートでの用事は終了。
ここでようやくフィーネたちの足はブリターニャへ向く。
その夜。
ラフギールにある酒場には久々に勇者チームが勢ぞろいしていた。
「……なるほど。それで……」
「同行者について何か新しい情報を掴みましたか?」
ファーブたちを含めての本音と嫌味の応酬後にやってきたその言葉を聞いたフィーネはその言葉を口にした相手の顔を見る。
「では、お答えします」
「あの男は……」
「これまで自身が直接関わった戦いはすべて勝利しています。ですが、それは狭い範囲の戦いに対して成功を求められたからであり、人間との戦い全体について指揮権が与えられた場合、自身の敗北は気にしない。そのような者だと思いました」
「もう少し言葉を加えるならば、人間、魔族。そのどちらの側に属している軍の指揮官も目の前の戦いに勝利することだけを考える。それは軍の地位がどれだけ上がっても変わらない」
「ですが、今回のベルナードに授けた策の一件でわかりました。あの男はさらに大きな勝利のために目の前にある戦いを相手にくれてやることができる」
フィーネのその言葉とともアリストの纏う空気も冷たいものへと変わる。
「……現在関わっている戦いの勝利を求めない?」
「……それは大変興味深い話ですね」
目を細めた男はフィーネの言葉にそう応じる。
「具体的には?」
「まず、ベルナードに授けた策ですが……」
「あの日失った兵の数。それからそれに対する敵の損害。それを比較すればどう考えても失敗。逆にいえば、魔族は大戦果を挙げたことになります。しかし、どちらがより大きな利を得たかといえば大損害を被ったフランベーニュ軍。つまり、グワラニーはその戦いにおいて最も必要なものを手に入れるためには他のものを平気で切り捨てることができる者」
「そして、それがより顕著になったのはその後です」
「これまで完全な形でフランベーニュ軍の攻撃を防いでいた魔族軍の砦を落とす策を教え実行を勧めた。結果は成功。誰が見ても利敵行為。ですが、それを指摘した私の言葉にあの男はこう答えた。『それは逆だ。これは褒美がもらえる素晴らしい策だ』と」
「そして、その後に理由を聞かされた。あれを本当に当初から考えていたのなら並みの将軍では勝つどころか、相手にもなれない。さらに……」
フィーネはそこで言葉を切り薄く笑う。
「グワラニーはこの後に少数の兵を転移させ、農地を焼き打ちし、灌漑施設を破壊する。さらに荷馬車を襲うそうです。これによって、食料そのものを減らし、さらに運搬手段を失わせる」
「あの男の言葉を使えば、これによって剣を交えなくても戦いに勝つことができるのだそうです」
アリストは唸った。
戦場以外の場所を主目標にする戦術。
この世界においては初めて示されたものと言っていいだろう。
むろんそれはこの世界における戦いにおける暗黙のルールからは逸脱していた。
だが、グワラニーによって開かれたこのパンドラの箱は閉じられることはなく、より効果的に作用するよう発展していくことなる。
「……たしかにグワラニーの見ているものは私たちとは違うようですね」
「剣や魔法で相手を打ち負かす。誰もがその方法を考えていたわけですが、グワラニーはそこに食料や荷馬車まで加えてきたのですから」
そう言葉を漏らしたアリストはため息をつく。
「そして、この策が有用なのは……」
「将来はともかく少なくてもしばらくの間はこの策が魔族だけが使えるというところです」
「なにしろフランベーニュもブリターニャも、魔族領に初めて踏み入るわけですから、奴らの背後に転移できない。それに対し、元々自国の領土だった魔族は奥地まで転移できる……」
そこまで話したところでアリストは気づく。
グワラニーがフィーネに言ったという「フランベーニュはやがて占領地を返す」という意味を。
そして、翌日の夜。
勇者一行がクアムートに姿を現す。
もちろんいつも通り予告なしの来訪である。
だが、なぜかそこにはお菓子その他諸々が用意されている。
当然毒見と称してファーブたちが飛びつき、アリストもご相伴に預かる。
そんなこんなであっという間に一セパが過ぎた頃、アリストにとっての待ち人が現れる。
むろんグワラニーをはじめとした多数の随行員とともに。
さて、フィーネたちが留守中は会うことができなかったアリストの待ち人であるが、約六十日の間に外見が大きく変わった。
真っ白だった素肌は少しだけだが色味がつき、さらに本人に気を使った言い方をすれば「ふくよか」になっていた。
むろん王族のとしてはともかく、庶民の基準ではまったく問題なしのレベルであり、さらに一家で肉体労働に携わる者から言わせれば、細すぎるということになるだが。
「……元気そうで何よりだ。ホリー」
少し驚き、思わず見たままの感想を口に出しそうになったアリストがそれを飲み込み、多くの選択肢の中から選び出した言葉を口にすると、元ブリターニャ王女は顔を赤くしながら礼の言葉を述べる。
そして、ふたりは立ちあがる。
「グワラニー。おまえにはフランベーニュでおこなった悪事について聞きたいことが山ほどある。覚悟しておけ」
捨て台詞を残して妹とともにアリストが部屋を出た瞬間複数の嘲笑が沸き上がる。
「恥ずかしいです。非常に」
全員の声を代表してフィーネが言葉にすると、全員が頷いた。
「まあ、あれが妹を思う兄の正しい姿というものでしょう。しかも、形ばかりですが、他人の嫁になったわけですから」
グワラニーがその場にいない本人に成り代わり、その心情を口にすると再び笑いが起きる。
もちろんその後に続いたのはあることないこと取り混ぜた敵味方双方が参加した盛大なアリストこき下ろし大会であった。
一セパ後、妹との楽しいひと時を過ごしたアリストが自分を待つ者たちがいるその部屋に戻る。
そして、席についたアリストの、その時間を与えてくれた恩人に対する第一声がこれだった。
「フィーネたちに言っていないことがあるだろう。まずそれを聞かせてもらおうか」
強烈な脅し文句。
と言いたいところだが、たとえその言葉を口にしたのがアリストであっても、グワラニークラスとなれば、この程度の言葉では動揺することはない。
……いかにも証拠を掴んでいる。または、報告から深みまで入ったことを匂わせ、余計なことを喋らせる。
……ですが、その程度の言葉では私からは何も引き出せません。
……もう少し学習したほうがいいですよ。王太子殿下。
薄い笑みの裏側でそう呟いたグワラニーが口を開く。
「私たちは敵同士。当然隠し事は山ほどあるでしょう。もし、尋ねたいことがあれば、具体的に言って頂ければ幸いです」
そう言って軽く受け流す。
むろんアリストにとってその返答は不快ではあるが想定内でもある。
すぐさま二の矢を撃ち込む。
「では、尋ねる」
「自国の要衝を敵に奪わせ、多くの兵士を殺したおまえの責任がどうなったかを聞いておこうか」
当然これも質すべき事項ではある。
だが、こうやってこの場に姿を現している時点でグワラニーが責任を問われていないということはあきらか。
と言っても、報告していなければそのような事態にはならないのだからそれを含めて確認すべきだろう。
「ちなみに王には報告したのか?」
「当然です」
ほう・れん・そう。
自身の身を守るために必ずおこなうべきことと体に染みついているグワラニーにとっては当然のことである。
世の中には都合の悪いことは上司に報告しないという者が一定数存在する。
だが、これはよい方向より悪い方向に進むことが大きい。
特にその失敗が発覚した場合は問答無用で切られる結末が待っている。
そして、これはグワラニーがかつて所属していた組織の特徴といえるのだが、報告をしておけば、もはやそれは個人の責任ではなくなり、組織は自分たちが傷つかぬよう防衛のために盛大に動き出し、その行動の正当化に乗り出す。
結果、表面上はともかく最終的には救済されることになる。
極端なことを言えば、失敗してときこそ報告すべきなのである。
しかも、今回は成功という評価を得られる可能性が高い。
となれば、絶対に報告する。
だが、王子という地位にあったため、自身の周辺に蔓延る貴族の対処方しか知らず、報告することによって責任の大部分を組織に押し付ける逆転の発想的な高度な処世術には無縁なアリストにはそれがすぐにはわからない。
当然その言葉をまったく信じていない。
顔全体を使ってそう主張しながらアリストがグワラニーに目をやる。
「それで……」
「無役になったと?」
「いいえ。今まで通り。褒美は今のところ出ませんが、結果が出たところで多少の褒美は出ると思われます。つまり、お咎めなし。ご期待に沿えず申し訳ございません」
アリストからやってきた盛大な嫌味を熨斗をつけてお返ししたグワラニーの言葉はもちろん事実であり、状況からいってグワラニーのこの言葉に偽りはないことはアリストも理解していた。
だが、理解しているのと納得しているのは全くの別物。
当然アリストは食い下がる。
「ちなみにその報告はすべて事実なのだろうな。まちがいなくその裏切り行為を自主的にやったと言ったのか?」
「当然です」
「それで問題にならないなどありえないだろうが。魔族の王や幹部が相当の馬鹿でもないかぎり」
やはり真実を報告していないのではないのか。
これがアリストの主張とであり、グワラニーの見立てではその主張は間違ったものではない。
ただし、その見立てにはアリストが知り得る知識だけで推測すればという条件がつくのだが。
色味の濃い笑みを浮かべたグワラニーがアリストを見やる。
「まあ、アリスト王太子の言いたいことは十分にわかります。そして、実際のところ、私は報告したときに王は顔を顰め、その場にいたふたりの軍幹部は怒号を飛ばしました」
「ですが、最終的には王が私のおこないを是とし、怒号を飛ばした幹部も納得はしていないでしょうが、とりあえず承諾しました」
「ひとつ聞く。魔族の王は馬鹿なのか?」
アリストのこの言葉はハッキリ言って無礼千万である。
たとえ普段こき下ろしている者でも、他国の者に面と向かって自国のトップを馬鹿者呼ばわりされれば気持ちのよいものではないし、まして、魔族の者たちは今の王を慕っている。
その言葉とともにその場にいたものたちから強烈な殺意のオーラが立ち上る。
だが、その中でグワラニーだけが苦笑ひとつでそれを受け流し、さらに周囲のオーラも右手で制す。
そして……。
「ハッキリ言えば、極めて聡明。さらに洞察力もあり、王にふさわしい者。ブリターニャの王族の前でこのようなことを言うのは非常に申しわけないのですが、人間界の王の誰よりも王らしく、そして人間界の王より数段格上でしょう」
アリストはグワラニーの言葉を鼻で笑う。
「では、聞こう。その聡明な王がどのような理由でそのような愚かな判断を下したのかな?」
「当然失ったものとこれから得られるものを天秤にかけ、後者が圧倒的に大きいという素晴らしい判断をしたからです」
そう言い切ったところで、グワラニーはアリストに目をやる。
「ちなみに、これから起こることが何かご存じですか?」
「フランベーニュ中の農地を焼き払うのだろう。小賢しいおまえが考えそうなことだな」
「ですが、その有効性については否定しない?」
嫌味に真実で返されたアリストは顔を顰める。
「ああ」
「だが、私がこの件をダニエル・フランベーニュに伝えたらどうする?」
アリストが口にしたそれは農地を焼くというその策には決定的なダメージを与えるものとなる。
まもなく農地を焼きに魔族軍が現れるのであれば、ベルナードがティールングルでやったことの再来が期待でき、そうなればフランベーニュ側はアマラでの敗戦の汚名を返上し、さらにお釣りがくるくらいのものが得られ、逆に魔族側は相応の負の遺産を抱えることになるのだから。
だが……。
「特別何も」
グワラニーはそれが考慮にも値しないことのように薄い笑いとともにそう斬り捨て、そこからさらに言葉を続ける。
「たとえばそれを聞いたダニエル王太子が農地に護衛を配置する。まあ、これ自体現実的ではありませんが、もし、ありったけの魔術師を動員してそれを成し遂げたとしましょう」
「それをいつまでおこなうのですか?」
「……私が軍の司令官であれば、その動きを察知した時点で攻撃を見合わせる。こちらはそもそもやる予定がなかったものですから延期してもさほど影響はない。ですが、フランベーニュはどうか?ただでされ魔術師が不足しているところに誰も来ない農地に多数の魔術師を配置し続けることになる。つまり負担でしかない。それだけも十分な効果はあります。ですが、それだけはありません」
「やがて、こんな噂が流れてくる。魔族はブリターニャの王太子と手を組み、フランベーニュに負担を強いる策を始めた」
「さて、現状を眺め、私がアリスト王太子の護衛と旅をした事実を知っているフランベーニュ側はアリスト殿下の情報提供をどう判断するでしょうか?」
ブリターニャからの情報に基づいて網を張って待ち構えていたものの、魔族がやってくる様子はない。
それどころか、前線への圧力が強くなる。
だが、増援や輸送に関わるはずの魔術師を農地の護衛に転用しているため対応できない。
そこにそのような噂が流れてくればどうなるかは火を見るよりあきらか。
ブリターニャへの不信。
もともと両国は敵対関係にある。
そして、そこ現在の状況。
フランベーニュ側はブリターニャに騙されたと怒り狂うことだろう。
「……農地を焼くことを延期してもそれ以上の見返りがあるわけです」
「いずれフランベーニュの農地は焼かれる運命なのです。そうであれば、余計なことをせず情報を握り潰すことこそがブリターニャの国益になると思うのですがいかがでしょうか」
「よくもそう次々と悪巧みが思いつくな」
即座にそう嫌味を口にしたアリストだったが、心の中ではすでに察していた。
そして、それがあきらかになったところで、また鼻白む。
「当然です。なんといっても軍師ですから」
「何を言う。おまえなど策士。いや、小賢しく小細工職人がいいところだ」
やってきた自称から数段階格下げをした称号をグワラニーに与えたところでアリストはその場のいない者に関わることに思いを巡らす。
「わかった。私はおまえと違って善の道を歩む者。おまえの悪事に巻き込まれ、国を傷つけるわけにはいかない」
「フィーネの話は聞かなかったことにしておこう」
同盟国の危機を知らせず済ますという、とても善人とは思えぬことをさらりと言ってのけたアリストであったが、言うまでもなく、そもそもその気があったのならフィーネの話を聞いた時点でなにかしらの助言をつけてダニエルに伝えていたはず。
つまり、最初から知らせる気などなかったということである。
実をいえば、グワラニーが口にしたことをアリストも可能性のひとつとして考えついていた。
そう。
つまり、善人かつ被害者を装っているが、結局アリストもグワラニーと同類。
いわば、同じ穴の貉というわけである。
その貉コンビのひとりが口を開く。
「その農地を焼いて回るというその悪逆非道のおこないであるが、すべての点でそれをおこなうのにふさわしい卑しいおまえがその役を担うのであろうな」
これも当然問うべきものではある。
もっとも、フランベーニュ軍がこれを完全に防ぐのは完全に無理であり、さらに通報しないという決定をした以上、聞いてどうなるということはない。
つまり、これはアリストの興味と嫌味を言うための口実というのが正確なところだろう。
むろんグワラニーはアリストの意図をすぐに読み解く。
そして、そうなれば偽りを伝えることも可能。
だが、ここは真実を伝える。
「同僚の方に功を譲るように王から命じられました」
「それについておまえは何も言わなかったのか?」
「まあ、私の部隊を動かさなくてもできることですからいいのではないでしょうか。それに……」
「王太子殿下の言葉どおり、それほど崇高な仕事ではありませんので、代わりにやっていただける方がいればありがたいかぎりです」
「そうすれば、私の部隊はふさわしい仕事に専念できますので……」
この後さらにいくつかのことについて問答があったが、やってきた直後に口にした勇ましい言葉とは裏腹にアリストはあっさりと引き上げていった。
そして、アリストが黙認することになった、グワラニーが計画しガスリンとコンシリアが自身の配下を使っておこなうことになったフランベーニュ国内の農地焼き打ちであるが、これが驚くほどの成功を収めることになる。
「こんなことなら軽くでも知らせておくべきだったかもしれません」
フランベーニュ国内に放った間者たちの報告を聞いたアリストがぼやき気味の感想を口にするくらいに。
実は実行するにあたってグワラニーはこのような助言をふたりの上官にしていた。
「これは奇襲のひとつ。そして、奇襲とは相手の意表をつくことが肝要です。間違っても相手が待ち構えているところに出向いてはいけないのです」
「ですから、最初の一撃。これが大切なのです」
「もう少しいえば、最初の一撃ですべてを終わらせる。それくらいの気構えと準備が必要ですし、先陣争いなどというくだらないことを執着せず、同時にことを動かすことが肝要です。ですから……」
「よく協議し、重なりや抜けがないかを検討すべきでしょう」
むろん言われた方にとってこの助言は不快なものである。
だが、それは王の前での言葉であり、その直後、王より「全体の成功を最優先するように」という言葉で釘を刺されたため、渋々であるが、それをおこない、王の許可を受けてから開始という段取りになる。
こうなれば、あとは焼失面積の勝負。
異口同音にその言葉を口にしたふたりの軍幹部はありったけの魔術師と兵をかき集め、その日に臨む。
そして、結果はその不愉快な努力が報われるものとなる。
むろんそれは魔族側にとってということであり、フランベーニュ側にとってはとんでもない大損害以外のなにものでもない。
全耕地の約四割。
当然、その襲撃の目的を瞬時に理解したフランベーニュの王太子ダニエルは残りの耕地を守るために自営農の土地には虎の子の宮廷魔術師を、そして、貴族の荘園はそれぞれが囲っている魔術師と私兵で守備するように指示を出す。
だが翌々日、魔族が姿を現したのはまったく無防備だった前回と同じ場所。
そこで灌漑施設、と言っても、水車や用水路などであったのだが、それらを徹底的に破壊し燃やした。
その翌日からは二日間にわたって街道沿いの宿場町に現れた彼らは馬車の破壊をおこなう。
そして、三日を開けたところで、あらたな耕地で仕上げの仕事に従事する。
むろんダニエルの命令どおり警備していれば被害の多くは防ぐことができたはずだったのだが、大部分の魔術師が命令を自主的に解除していた。
やってこない魔族たちをこき下ろして。
その結果、本来はなかったはずの戦果を魔族たちに献上することになったのであった。
「こんなことを思いつくのはあの男なのは間違いない」
「やむを得ない事情があったとはいえ、そんな男を自由に国内を歩かせたのは間違いだった」
「予想すべきことを予想しなかった。それを含めて最初の攻撃に関しては私の落ち度だ。だが、この程度の失敗はどこの国の為政者でもある。それなのに……」
「なぜこうやってフランベーニュばかりに悪いことが起こるのだ」
自身のミスを認めつつダニエルが愚痴を言いたくなるのはたしかに理解できる。
今回の焼き打ちによってフランベーニュは小麦不足が確実になった。
だが、そもそもの発端はこの世界では知られていなかった連作障害と労働者不足による将来の食料不足の可能性に気づいたアリターナの辣腕交渉人アントニオ・チェルトーザが商人国家アグリニオンを率いるアドニア・カラブリタと組んで人間世界の小麦を買い漁った一連の出来事。
そして、今回の農地焼き打ちでもその過程で首謀者であるアルディーシャ・グワラニーと行動していたのは潜在的敵国であるブリターニャの王太子の護衛たち。
加害者になりたいわけではない。
だが、蚊帳の外に置かれたフランベーニュだけが一方的に被害者役を押し付けられるのは不公平ではないか。
ダニエルの思いを代弁すればこうなるのであろう。
だが、為政者とは最終的には結果でその功罪が判断される。
しかも、ダニエル・フランベーニュは自らその地位を望み、兄たちを退けてその地位を手に入れたのだから、必然的に評価基準は厳しくなる。
フランベーニュの歴史家ウスターシェ・ポワトヴァンはこう言う。
「フランベーニュの三大厄災には含まれてはいないものの、『グワラニーの野焼き』と呼ばれる魔族軍によって意図しておこされたこの飢饉はフランベーニュをひどく傷つけた。そして、その原因をつくり、さらにそれを防ぐことができなかったのはダニエル・フランベーニュの失態といえるだろう」
「考えてみれば、この時点までのダニエル・フランベーニュの成功は簒奪くらいしかない。たしかに彼の構想は素晴らしいものがある。だが、それが自身の駒が実現できるものでなければ意味はない。それどころか害になることはマンジューク銀山を目指した渓谷内の戦いやクペル平原の惨劇からもあきらか。さらに、ダニエル・フランベーニュの成功例にどうにか加えることができる海軍提督ロシュフォールをミュランジ城の防衛戦に送ったことも、その才と成功を見込んだものではないのだから偶然の産物といえるだろう」
「つまり、彼は並みの為政者でしかなかったのだ」
「もちろんダニエル・フランベーニュが排除したふたりの兄のうちのどちらかが王になった場合、フランベーニュにより遥かによい未来をもたらしたとは思わない。だが、ダニエル・フランベーニュが導いた未来もそれとたいして変わるものではなかった。そう言えるだろう」
「結局ダニエル・フランベーニュがここから自身が望むフランベーニュの栄光を取り戻すためには特別な才を持つ者を手に入れる、またはその者にフランベーニュの未来を委ねるという二択しかなかったのだ」
非常に厳しい評価である。
だが、これがブリターニャ人になるとそれはさらに厳しいものとなる。
歴史家アック・ナハネットのこの言葉はその代表といえるだろう。
「この時点でアルディーシャ・グワラニーが有名な策士であることは知られていた。それにもかかわらずダニエル・フランベーニュはグワラニーに自国の内情を見聞させたのはなぜか?」
「もちろん自身の命の保全を優先させたからである。つまり、国の未来より自分の生き残ることを優先させたというわけだ」
「国の命運を託された為政者の最低限のこともできない男。それがダニエル・フランベーニュである」
「そして、自己評価が事実と天と地ほどにかけ離れたこの男に国の命運を託さなければならなかったことがこれからフランベーニュ人のもとにやってくる大きな悲劇の原因であったといえるだろう」
最後に彼らよりも少しだけダニエルに好意的な評価を下したフランベーニュの王政史専門家エブロン・ロモランタンの言葉紹介しておこう。
「ダニエル・フランベーニュは有能である。彼がもう少し平穏な時代に生まれていれば、高い評価を受けたことだろう。だが、彼が存在したのはアリスト・ブリターニャのような異才を持つ者だけが乗り越えられるくらい困難な時代。残念ながら彼では役者不足であった。彼が不運だったのは、フランベーニュが大国であったことだったこと。そうでなければ、ノルディアやアリターナのように舞台から降りることができたのだから。まあ、それを承知で舞台に上がったのだから批判の言葉を浴びせられるのは当然といえば当然なのだが」