どこまでも深く、そして暗い道
この辺でとりあえず戦いの結果を示しておこう。
魔族軍は要衝を奪われ、大幅な後退を余儀なくされた。
さらにこの日の戦死者は約二万人。
当然その大部分は壮大なショーの幕が開き、大反撃が開始されてからであり、さらにポワトリヌウから渓谷に残る戦死者はその三割ほどだったことから多くはフランベーニュの反攻から始まる敗走中に討たれたということになる。
そして、もうひとつ。
魔族軍戦死者の四割が負傷し動けなくなったところを捕らえられ斬首された者である。
これがこの世界でおこなわれている戦いの現実である。
続いて、同じ日のフランベーニュ軍の損害。
戦死及び負傷した者。
十万五千。
この数字を示すだけでフランベーニュが目的を達成するためにどれだけの命を失ったかがわかるというものである。
だが、驚くべきはこの日以前の状況である。
魔族の被害は負傷者こそ多数出ているものの、戦死者は百人にも満たない。
一方のフランベーニュ軍の被害はといえば、二十日あまりに及んでいた戦いで戦死者二万五千と六万人の負傷者を出していたのだ。
しかも、状況は攻撃開始からなにひとつ好転していなかった。
つまり、グワラニーが示した策を用いず延々と同じ戦いをしていれば、進軍できないまま損害だけが増える事態に陥っていた可能性すらあった。
それこそ、第二のマンジューク攻防戦になっていたことだって考えられるのだ。
あれだけの損害を出しながらベルナードへの非難が少なかったのはそのような理由からだった。
一応、ベルナードの名誉のために言っておけば、ベルナードがそれまで無為に過ごしてきたかのようにグワラニーは言っていたものの、実際にはベルナードはポワトリヌウ攻略のため単純な力攻め以外にも多くの策を講じていた。
ただし、「結果がすべてであり、失敗し実りはゼロであれば、どれだけ努力していようがやっていないのと同じというのがこの業界の常識」という別の場所で口にしたグワラニーの言葉に則れば、たしかベルナードは何もやっていないのと同じであり、そこ間に人材、物資、時間を浪費したのだから、それ以下ともいえなくもない。
グワラニーが口にした小細工のようなその策をベルナードがあっさりと受け入れたのはそのような事情があったからだ。
そして、不本意ながら受け入れた結果は成功。
さらにその成功によってベルナードはある名誉を得ることになる。
偽装撤退で引きこもる敵を外へと誘引し、頃合いを見て反転攻勢に転じ、敵味方混戦状態をつくり門内に逃げ込む敵とともに砦内に突入する。
生者の誰もが知らぬことだが、実はアポロン・ボナールがマンジュークまで続く渓谷地帯を一気に抜くために考案していた策でもあるこの妙手は、堅固な要塞や城塞を抜く最高の奇術とされ、「ベルナードの奇手」と名が与えられることになる。
ただし、この話には続きがある。
実はこの策をベルナードが使用したのはこれ一回限り。
さらに、その名を冠したこの妙手はこの後多くの場所で試されるものの、部分的な成功はあってもここまで完全な形で成功した者はいなかった。
「奇術は最初に見たときは驚くが何度も見せられるとタネもわかり興ざめする。奇手も同じ。対策を講じられた後には陳腐な策に成り下がる。それに対し数で押し切る戦い方はその有効性は永遠。つまり、戦いは数を揃え基本に忠実に戦うベルナード将軍のような戦い方こそが最高だということだ」
ある戦いで自身が考案の「ベルナードの奇手」を披露しようとした敵をウジェーヌ・グミエールが粉砕したという話を聞いたグワラニーが口にした言葉であり、あれだけの戦果を挙げながらその策を二度と使わなかったアルサンス・ベルナードはやはり名将といえるだろう。
せっかくだ。
歴史上の出来事を比較的俯瞰的に見ることができる後世の歴史家や軍事史研究家がもこの戦いをどう見ていたかも見てみよう。
実は彼らは揃ってベルナードの策に高評価を与えていた。
「たしかに一日の戦いとしては非常に多い戦死者を出した。だが、あの策が成功せず、マンジューク防衛戦の再現をあの地でおこなっていた場合、その被害はあの程度では済まなかったことだろう」
ブリターニャの歴史研究家アレックス・グラッシントンの言葉である。
フランベーニュの歴史家ウスターシェ・ポワトヴァンも同様の内容となるこのような言葉を残している。
「ベルナードを批判するのは簡単だ。だが、それはあれ以上の策でかの地を抜いた者だけに許されるものであることを忘れてはいけない」
同じくフランベーニュの軍事研究家エリック・シュルアンドルは苦みを込めてこう言った。
「あの当時できる最高の策である。敢えて欠点を挙げるのなら、その考え出したのがフランベーニュ人ではなく、忌々しいあの魔族の男だったというところだろうか」
そして、ある意味でグワラニーに大きな借りができたアルサンス・ベルナードであるが、この戦いが終わってしばらく経ってから、魔術師長であるアラン・シャンバニュールとこのような会話をしていた。
「将軍はあの魔族をどう思う?」
ベルナードにそう尋ねてから、シャンバニュールは自身の感想をつけ加える。
「最初に言っておけば、私は将軍とあの男は十分にうまくやれると思うのだが」
「馬鹿々々しい。ただの戯言だな。それは」
ベルナードはシャンバニュールの言葉の直後、そう断言した。
だが、ベルナードの言葉はそこで終わらなかった。
「だが、一応ここだけの話として言えば……」
「うまくやれば魔族軍最強の軍を率いるあの男が私の軍に加わることも可能。そうも考える」
「もちろんそれが可能になるには陛下の許可が必要だ。なぜなら、我々は魔族をこの世から排除するために戦っているのだから」
「だが、その命令があれば、あの男を自分の幕僚に加えてもいいと思うし、あの男だってそれを拒むことはないように思える」
「魔術師長も見ていただろう。目の前で同胞があれだけ殺されているのに奴はまったく気にする様子がなかった」
「あれはあの男が自分の国に対してたいした忠誠心がない証拠だ」
「軍内部の対立ということは考えられないかな。我が軍でもそのようなことは珍しくもない。現に最近も似たようなことがあったであろう」
シャンバニュールの言葉は正しく、フランベーニュ軍内部でも口には出さなくても仲の悪い将軍の失敗を喜ぶことはそう珍しくはない。
だが、その言葉とともにベルナードが顔を顰めた。
アマラの戦い。
あれだけの大敗だったにもかかわらず、自身に対抗意識を燃やすアルベール・キュースティーヌとその一派をまとめて始末できた。
シャンバニュールの言葉は、言外にベルナードがそう考えていたことを指摘するものだったからだ。
ベルナードは硬い表情のまま口を開く。
「忘れたかったが、たしかにあった。だが、あれは勝敗には直接関係ないものだったからそう考えたまでだ。だが、今回のあれはあきらかに魔族軍にとって大きな損出」
「そのような策を提示しただけでも驚きだが、それが成功し、多くの兵が死んでも気にする様子がないとなれば、そう考えざるをえないだろう」
「では、あの者を魔族軍から切り離すために情報を流してやればいいのでは?」
シャンバニュールの言う情報とは、もちろん今回の策の提供者がグワラニーであることを魔族軍に知らせる。
もちろん直接知らせる術がないので魔族軍幹部の耳に入るように情報を流すということになるわけなのだが、一見するとこれは非常に有効な手に思える。
なにしろグワラニーがやったのは明らかな利的行為。
さらにそのことからこれが魔族軍幹部の指示ではないことはあきらか。
それどころか、これを無届けでおこなった、いや、魔族軍幹部にこちらにやってきていることすら伝えていない可能性が高い。
そうであれば、それを知った幹部たちがどう動くかはあきらか。
指揮官の座を追われ、場合によっては断罪される。
それを避けるために国外逃亡ということも考えられ、そうであれば逃げ場が必要。
目の前の光景を考えれば、ブリターニャの王太子が手を差し伸べることは十分に考えられる。
その前に好条件を示せば、フランベーニュ軍に加わるということもあり得る。
そうならなくても、少なくてもグワラニーを軍指揮官の地位から追い出すことは可能。
ハッキリ言えばグワラニーの軍だけに負けていると言っていい、フランベーニュ軍にとってこれ以上のものはない案といえる。
だが……。
「できないな。それは」
それがベルナードの答えだった。
「奴を貶める。その一点ではいえば、それはたしかに有効な策といえるだろう」
「だが、貶められるのは奴だけとは限らないだろう。我々フランベーニュ軍は自力で要衝を抜くことが出来ず、あろうことか敵である魔族の男、しかも、散々大敗を喫している国家の敵とも呼べる男の知恵を借りてようやくそれを成し遂げた」
「この事実だけでもフランベーニュ軍にとっての大きな汚点」
「さらに、そのような者を前線に招き入れたという事実。これを他国に追及された場合、言い逃れは絶対できない。もちろん王都からの手出し無用という命令があったのは事実である。だが、それを言ってしまうと、今度はそれを命じた王太子殿下はもちろん、国としてのフランベーニュの立場も非常に悪くなる。そして……」
「これはついでではあるが……」
そう言ってからベルナードは長い時間沈黙し、残りの言葉を吐きだす。
「……自力ではどうにもできなかった要衝を抜く方法を提示してくれた恩人を貶める行為などできれば遠慮したい」
「言っておくが、これは本当についでだ」
……なるほど。つまり、それが理由の主たるものということか。
シャンバニュールは心の中で呟く。
……古風だ。
……だが、それがこの男のよいところだ。
……まあ、それが良い方向に転がるかはわからぬが。
「まあ、我々はブリターニャの野蛮人とは違う。当然ですな」
老魔術師長は微妙な言い回しでベルナードの言葉を肯定した。
実を言えば、シャンバニュールが提案しベルナードが否定したその提案を、ふたりと同じようにその可能性に気づいたフィーネはグワラニー本人にぶつけていた。
「フランベーニュにとってあなたは天敵のような存在。その天敵がいわば自分で自分の足を刺したような失敗を犯した」
「これを利用しない手はないでしょう。少なくてもアリストなら礼を言った直後に魔族の国の王都にまで届くくらいの大声で叫ぶでしょうね」
グワラニーはその言葉に苦笑いで応じる。
「そこでアリスト王子の名前がなぜ出てくるのかは知りませんが、まあ、私がベルナード将軍の立場なら間違いなくやるでしょうね。しかも、丁寧なお礼の言葉を添えて」
「我が国の王や軍幹部はその者を大いに疑い、これまでの功績を考えて死罪にはしなくても軍における地位は取り上げるくらいのことは考える。そう思って」
「違うのですか?」
「違いますね。それどころか今回の件は褒美の対象になるかもしれません」
「冗談ですか?」
あまりにも意外なグワラニーの言葉にフィーネは思わず聞き返すものの、グワラニーはやや種類の異なる笑みを浮かべ直しながらこう答えた。
「もちろん本気です」
「……たしかに彼らは要衝を抜き、さらに我が国の奥地へと侵攻した。これは事実。そして、魔族軍はここで数万の兵が失われ、迂回路にいた将兵もその多くは戦死することでしょう」
「もし、話がここで終わりなのであれば、私は魔族の国の裏切り者です」
そう言ったところでグワラニーは薄く笑う。
「ですが、ある条件を加えると、一瞬にして勝者と敗者は入れ替わるのです」
「……食料」
フィーネはようやくグワラニーの意図を理解した。
「……もしかして……」
フィーネは唸った。
グワラニーの説明は回りくどいものであったが、概略はこうだ。
フランベーニュ軍は本土から前線への補給に苦しんでいる。
もう少しいえばミュランジ城から前線への輸送に苦しんでいる。
そのため、ただでさえ数が足りない魔術師を輸送任務に投入している。
それでも補給物資が間に合っているとは言い難い。
陸路でも輸送が絶対に不可欠なのだが、その距離が延びたためにその状況はさらに深刻なものとなる。
もうひとつの方策である現地調達は、魔族側がその管理を徹底しているためあまり望めぬ。
つまり……。
前進してしまったために必要物資の枯渇は今まで以上深刻になる。
「さらに言えば、それに対して魔族軍は前線までの距離がより短くなる。フランベーニュの問題は魔族軍は無縁なものになるわけです」
……補給路の長さまで武器にする。
……単純で脳筋の武辺の者では相手にもならない。
「あなたはどこまで考えていたのですか?」
「ここまではもちろん考えていました」
「いつから」
「随分前から。いや」
「……私はこの旅が始まる前から思っていました」
「補給が追いつかないような場所まで兵を進めるべきではないと」
「あなたも知っているでしょうが、ある国では補給を無視して兵を前進させ、結果無為に兵を殺した。もちろん死なないことに越したことはありませんが戦争をしている以上そうはならない。それは兵たちもわかっている。ですが、武器を使った敵との戦いではなく食べ物がなく敵と戦う前に餓死をする。これほど悔いの残る死に方はないでしょう」
「戦いを指揮する者はそれを忘れてはいけないのです」
「そして、逆にいえば、強敵と武器を使って戦わなくてもいいのです。彼らの補給の弱点を突き、そこを押さえるだけで相手兵士は根なし草のように倒れていく」
「鍛えられた兵士と最高の武器を持った軍隊でも、食べるものがなければ飢え、やがて消える」
「もう少し大きな話に置き換えれば、実際の戦闘をおこなわなくても、経済を押さえてしまえば、敵国を屈服させられるのです」
「これは、どこの国、そして、いつの時代でも、通用する鉄則です。ですが、それがわからない為政者のなんと多いことか」
「強兵を揃えることが国家の最優先事項だと叫び武器を買い揃えても、そのために肝心の国が疲弊し国民を飢えさせは本末転倒。それは国民のための手段である軍の整備を究極の目的にした為政者の自己満足と言わざるをえないでしょう。そのような国は消えていくのは当然のこといえるでしょう」
「武器より経済が勝る?」
もちろんフィーネはグワラニーがどの国について述べたものかは知っている。
だが、それについて特別に言及せず、フィーネはその言葉を口にしてせせら笑う。
「すばらしい話ですが、その論理がこの世界で通用していますか?」
文字通り、力によってすべてをねじ伏せてきているフィーネにとっては当然といえる言葉だった。
だが……。
「ええ。もちろん」
グワラニーはあっさりと肯定してみせる。
そして、そのまま言葉を続ける。
「いくら前線の指揮官が優秀でその兵が強くても攻勢の限界に超えた状態で戦うのには限度がある」
「この状態を放置していたらいずれ自壊します」
「魔族軍はそれを待っていればいいのです」
「私はそうなるように彼らを引き込んだ。しかも、あれだけ大きな代償を払っているのでその意図は気づかれない。これは完璧な誘因策だ。そう主張すれば魔族の王も軍幹部も喜ぶことでしょう」
「褒美を出してもおかしくないとはそういうことです」
ベルナードに示した策の成功は自分の思い描いた通りであり、一見するとフランベーニュが大きな利を得たように思えるが、実は、利を得たのは魔族側でフランベーニュは領地と一緒に大きな負荷を手にした。
だから、これは利敵行為ではなく、褒賞ものである。
普通に考えれば絶対にあり得ない話ではあるのだが、それをおこなったグワラニーということになった場合、成り立つはずのないものが成り立ってしまうしまう。
そう思い直したフィーネは不機嫌そうなものから少しだけ緩んだ表情を見せて意図的に話題を変える。
それに応じたグワラニーはいつも以上に饒舌になり、さらに時間が過ぎていく。
そして……。
「まあ、これで私たちの旅は終わりですね」
やってきたのは旅を締めくくるようなフィーネの言葉だった。
「本来私たちは敵対関係にあるわけですから、今回は一時的な休戦として供に旅をしたわけですが、いずれどこかで戦うことになるわけです」
「冒険譚であれば別れ際にこう言うのでしょう。次は戦場で会うことになるわけですね。そして、その時は必ず首を取る。覚悟しておきなさい」
そう言い終わった後にフィーネは嘲りの成分の濃い笑みを浮かべる。
「ですが、残念ながら私たちはそういう風にはなりません。吟遊詩人たちには申しわけないのですが」
グワラニーも何度も口にしていた「冒険譚こき下ろし大会」の余韻を残すように大きく頷く。
微妙な香りのする笑みを浮かべ、口を開く。
「まず報奨金を貰わねばなりませんし……」
その言葉とともに笑みは深みを増す。
「善と悪の代表が当然のように分け前の算段をする。吟遊詩人がそれを見たら卒倒しそうです。そもそも勇者が実は金に汚いなど、英雄譚のぶち壊し以外のなにものでもないとは思いませんか」
「まあ、金に汚いのはアリストだけですけど」
即座に返ってきたその言葉についてむろん言いたいことはある。
だが、それを飲み込んだグワラニーはそれに応じ、このような言葉を口にする。
「仲間とともに邪悪な魔族から世界を開放しようとするイケメン王太子が実は世界一のケチだったというのもなかなか魅力的な話ができそうです」
グワラニーのこの言葉は冗談の要素が大きな比重を占めている。
当然それはフィーネも理解している。
その場にいないその話の主人公を嘲る笑みととも口を開いたフィーネにそれに対してこう応じた。
「是非その冒険譚を聞いてみたいものです」