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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十四章 勇者と魔族の冒険譚

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ポワトリヌウの戦い 

 そして、ここからこの世界の軍事史の一ページを飾ることになる通称「ポワトリヌウの戦い」が始まる。


 そう言いながら、ここでまず述べることは軍事的にも歴史的にも意味のないものとなる。

 戦いの舞台であり、戦いの名にもその名が冠されたこの丘であるが、実はポワトリヌウと呼ばれていたわけではなかった。


 では、その名はどこからやってきたのか?


 ポワトリヌウとはフランベーニュ語で胸を意味する。

 まあ、文法や定冠詞の使用方法は全く異なるが、フランベーニュで使用する単語自体はその大部分が別の世界のフランス語から持ち込まれたことからその意味になるのは理解できる。

 ちなみに、本物のフランス語では発音すれば、「ポワトリヌウ」というより「ポワトリーヌ」と発音した方はより正確だと思われるが、それを持ち込んだ者が所持していた旅行者用の辞書に「ポワトリヌウ」とカタカナで書かれていたことからそうなったものと推察できるということは裏話として付け加えておくことにする。


 そして、その「ポワトリヌウ」であるが、現在グワラニーたちが立つ戦況を見渡せる山の上から見るとその丘の形状が女性の胸に見えたことから兵士のひとりが口にしたことがその由来となる。


 ついでに言っておけば、魔族軍のものはこの場所を地名である「カイエニ」または、「左陣地と右陣地」というこちらは色気が皆無な呼び名であった。


 そして、この「ポワトリヌウの戦い」がなぜ軍事史に名が刻まれたかといえば、もちろん魔族であるアルディーシャ・グワラニーが提示した策をフランベーニュ人であるアルサンス・ベルナードが実行したことが大きい。


 魔族が考案した策を人間が魔族に対して初めておこなった歴史残る出来事。


 言ってしまえば、こういうことだろう。

 ただし、戦術的には見るものがなかったかといえば、そうではない。


 要衝に立て籠もる敵を門の外に引き出して叩き、退却する敵を追撃して乱戦状態のまま門内に突入する。


 戦いをおこなう者にとっての難題を一挙に解決するこの策はこの戦いの後、多くの場所で見られることになる。

 ただし、成功したかどうかは別の話ではある。

 グワラニーとベルナードが口にしたようにその根幹となる偽装退却をおこなう部隊には有能な指揮官と熟練した兵たちが必要になるうえ、損害も増える。

 しかも、そこまでやっても擬態を疑われれば失敗する。

 この「ポワトリヌウの戦い」の戦いは、この策が要塞の攻略に使用された最初の例というだけではなく、完璧に成功した数少ない成功例となるのだ。

 軍事史に名が刻まれても当然といえば、当然であろう。


 では、長々と前段を説明したところで、話を戦場へ戻すとしよう。


「さて……」


「気乗りはしないが、やるからには絶対に成功させねばならない」


「策についての詳細な説明をしてもらおうか」


 ベルナードのその言葉にグワラニーは頷く。

 そして、呟く。


 ……なんというか……。

 ……これはもうベルナード軍の参謀になった気分だな。


 戦場用に設えた大型のテーブルに手書きの地図。

 そこには赤と青に分かれた多数の駒が配置されている。

 テーブルを囲むようにフランベーニュ軍の幹部たちが立つ。


 そして、その中心となるベルナードの隣にグワラニー。

 まさに司令官に作戦説明をおこなう参謀である。

 

 もちろんグワラニーの真横にはデルフィンがいる。

 本来であれば女、しかも子供がこの場にいることを咎めるところであるが、それさえ許容する。

 それだけがこの風景の違和感というところだろうか。


 一方、四人の勇者一行はそれには加わらず興味なさそうに茶を飲む。

 ただし、その視線はまちがいなく警戒を緩めたわけではない。


 そして、始まる。

 それが。


 グワラニーはテーブルを囲む全員を見回し、それから口を開く。


「……ここで重要なことは……」


「撤退と再反撃の……時機です」


 タイミングという単語が出たかかったグワラニーはそれを飲み込み言い直した。

 そして、何事もなかったかのように言葉を続ける。


「それから、撤退が前提ではありますが、攻撃は本気で。それこそ絶対に落とすつもりで攻撃してもらいたい。ですから、この策はこの場にいる者だけの話とすべきでしょう。実際に戦う者が撤退することを知っていれば、確実に動きに影響が出ますので」


「そして、撤退ですが、整然ではなく。醜態を晒すという体でお願いします。ですが、矛盾するようですが、最初に醜態を晒すこの部隊こそ切り札。本当の反撃の時に先頭に立つ者たちです」


「つまり、この部隊は最精鋭となりますし、すべての事情を知る者たちとなります。まあ、普通に考えてここにいる将と兵たちとなるでしょう」


「ただし、その多くは命を落とすことになります」


「そこはご承知ください」


 反応はすぐにあった。


「我々は貴様たち魔族とは違う」

「命など惜しくない」


 ……勇ましいかぎり。

 ……だが、馬鹿々々しくもある。


 次々とやってくるその言葉をすべて聞き流しながらグワラニーは思う。


 ……自殺志願者ならともかく、そうでなければ死んでもいいなどと思う者などいないだろう。

 ……まして、家族がいれば。


 ……だが。


 ……自分の死をどう思うかなど関係なく、指揮官は作戦を成功させるために部下を殺さなければならない。

 ……つまり、言い換えれば、作戦を成功させるために対価として支払う、兵士の命をできるだけ少なくする。もう少し露骨な言い方をすれば、兵たちを効率的に殺す。それがよい指揮官というわけだ。


 ……私は偶然とんでもない力を得て、損害を出さない戦いをしているが、本来は毎回このような算段をしなければならないのだ。

 ……生き残るために選択したとはいえ、割に合わない仕事をさせられる。

 ……軍人というのは。


 そこでグワラニーは自分がその嫌な仕事をしなくて済む根源となっている少女に目をやる。

 ある言葉を飲み込んだグワラニーは声のする方向へ視線を向ける。


「それは頼もしい。では、この策が成功するためにせいぜい派手に死んでください」


 そう言い放って名も知らぬ勇者たちを黙らせると、ベルナードに一度視線を向け、それから地図で視線を移し、説明を続ける。


「ですが、唐突に退却を始めたら敵は疑う。誘引ではないかと」


「そう思わせない何かが必要になります」


「そして、それは……」


「流言飛語。その手始めは……適当な理由をつけて本隊が撤退を始めたというものがいいでしょう」


「そして、その言葉とともに一部は後退を始める。撤退を誘う声を上げながら」


「当然味方が雪崩を打って退却を始める。ですが、より大事なのは、敵の耳に退却理由を届けること」


「誘引を目的の退却ではなく、本隊の撤収に端を発した崩壊だと認識させるために」


「そして、そうなればこれまで防戦一方だった反動から衝動的に逃げる敵を追う」


「もちろん多少の反撃は必要でしょう。ですが、基本は逃げる。本格的な反転攻勢をおこなうのは敵が完全に外に出たところ」


「そこから混戦状態に持ち込み門内に突入する」


「それからもうひとつ」


「当然ながらこの策を成功させるためには汚れ仕事を請け負う者が必要となります」


「ひとつは砦攻略をおこなっていた軍に動揺の波を起こす役」


「私が考えているその流言は『ベルナード将軍が逃げた』というものですが、その流言によって軍は総崩れになるわけですが、それは言わば利敵行為。戦いが終わった後に非難の対象になるでしょう。たとえそれが勝つためにおこなったものであっても、部下や友人を失った者のなかには納得できない者もいるかもしれない。さすがにベルナード将軍に文句を言う度胸のある者はいないでしょうが、実際にその流言を広げた者に私的制裁がおこなわれるということはあるでしょう」


「さらに敗走を調整する者も必要となります」


「敗走する際にあまり早く逃げては敵が諦めて追撃してこない。確実に敵に食いつかれなくてはなりません。むろんこの後に反撃をおこなうのですからこの餌役に最精鋭をあてるわけにはいきません。つまり、敗走中に味方を選別して餌役に仕立てその餌を敵に食わせる。そのような仕事をおこなう者です」


「これらは非常に重要な役目です」


「精神力があり、かつ任務を忠実に実行でき、さらに情報を漏らさす口の堅さも必要です」

「ひとつ確認していいか」


 その言葉を口にしたのはグミエール配下将オーギュスト・ティムレだった。


「これだけのことやって失敗ということは許されない」


「たとえば、我々の疑似後退に魔族どもが乗ってこなければ笑いものになるだけだ。だが、穴が埋まらず本当の崩壊になったらそうするのだ」


 崩壊が偽装ではなく本物になったときの責任を取れ。

 ティムレの言葉は言外にそう求めている。

 だが……。


「ハッキリ言っておきます。そうならぬようこうやって事前説明をしている。それでも不安であるならこの策を用いなければいいでしょう」


「言っておきますが、私はベルナード将軍の求めに応じて策をひとつ提示しただけ。これを採用すると決めたのはベルナード将軍なのだから、責任はベルナード将軍にある。あなたが失敗の責任を求めるのならベルナード将軍に直接言われるがよろしかろう」


 正論。

 そして、瞬殺である。

 ティムレはグワラニーを睨むものの、言い返すことはできない。

 そこにベルナードが言葉を加える。


「残念だが、この男の言うとおりだ。そして、私が責任を取るような事態にならぬよう努力するのがおまえたちの役目だ」


 ここまで言われてはティムレに言葉はない。

 そのティムレに代わってグワラニーに問いの言葉を投げつけてきたのはグミエール参謀役のガエタン・ボアジエールだった。


「では、ベルナード司令官に進言するための参考にするため尋ねる」


「もっとも重要な部分。つまり、我々の誘いに魔族が乗ってくる確率はどれくらいだと考えているのかということだ」


「そうですね……」


 全員の視線が集中したその魔族の男は、まずそ気の抜けた言葉で全員の毒気を抜く。

 そして、全員の顔を見てニヤリと笑い、言葉を続ける。


「始める時機は完全なもの。それに続く動きも申し分のないもの。ということが前提条件になりますが……」


「敵が引き寄せられ巣穴から出てくるのは……」


「ほぼ確実でしょう」


 つまり、成功する確率は百パーセントということになる。

 それがグワラニーの回答だった。


 もちろんその瞬間大きな声が上がる。

 歓喜に似たものがその大部分となるが、疑いの香りが漂う声も相当数含まれていた。


 少数派に属するその声の持ち主のひとりが口を開く。


「そこまでいうのだから根拠があるだろう。聞かせてもらおうか。それを」


 もちろんその声の主とはベルナードだった。


 ベルナードはてグワラニーを睨む。


「どうだ?」


 もちろんそれは、いわゆる社交辞令的言葉を拒絶するもの。

 グワラニーはそれをすぐに察する。


 ……確実に成功する。

 ……たしかにそれは喜ばしいことではあるが、それは言葉だけで根拠のないものであれば、それに基づいて兵を動かすことになる。指揮官としてはたまったものではない。

 ……ベルナード将軍としては当然そうなるだろう。


 グワラニーは小さく頷く。


「もちろん根拠はあります」


 そう言って、ベルナードを見返す。

 続いて、彼の部下たちを見る。


「私がわざわざ言うまでもないことですが、ベルナード将軍はこの手の小細工を弄することを好まない。そして、当然この軍に属する者たちも同じ」


「当然その噂は敵も知っている」


「ベルナード将軍が指揮するフランベーニュ軍は小細工はしない。これが敵方の常識」


「その中で、ベルナード将軍の突然の撤退とそれに続くフランベーニュ軍の敗走を見て、それが擬態だと思う者は少ない」


「特に相手の将軍の情報を手にしている指揮官たちは」


「目の前で起こっているぶざまな敗走劇が自分たちをつり出す罠ではなく、本物の敗走と思うのは必然」


「そうなったとき、彼らが何を考えるかなど言うまでもないということです」


 翌々日。


 グワラニーは難攻不落と思えた要衝を落とした喜びを爆発させるフランベーニュ兵の歓喜を聞いていた。


「……どうやら賭けはおまえが勝ったようだな」


 グワラニーを見やりながらベルナードはそう言って笑う

 

「策を考案した報酬として金貨一万枚を……」

「それは戦死された兵士の遺族に支払う見舞金の足しにしてください。あとは戦死した我が軍の埋葬費に」


 グワラニーはそう言ってベルナードが用意するという金貨の受け取りを拒否する。

 その代わりというわけではないだろうが、グワラニーはベルナードに対してこのような問いを投げかけた。


「なぜここの攻略に拘ったのですか?」


「かなり遠回りになりますが、迂回する手もあったでしょうに」

「愚問」


 ベルナードはグワラニーの言葉を聞いた瞬間、即座にそう言葉を返した。


「目の前に敵の陣地がある。それを放置できないということですか?」

「更なる愚問だな」


 グワラニーの言葉にそう返答したところでベルナードはたった今陥落したその場所に目をやる。


「たしかに迂回してもこの先に辿り着ける」


「だが、そこに行くまでに難所がいくつもある。そのうちのひとつは簡単には落ちない。それこそ、そこを抜くにはここ以上の損害が出る」


「それに簡単に迂回といっても相当な遠回りになる」


「ここを抜けば迂回路に居座る魔族どもを挟み撃ちにできる」


「つまり、多くの点でここを抜いたほうが圧倒的に利があるということだ」


「これだけ答えたのだ。こちらの問いにも答えてもらう」


 ベルナードはそう言って、ニヤリと笑った。


「今回の成功についてどう考えているのか?」


 ベルナードの問いはいたってシンプルである。

 そして、その問うていることもその言葉どおりであれば非常にわかりやすいものである。

 だが、実をいえばその意味するところは深い。


 数瞬後、そのすべてを察したグワラニーが口を開く。


「ご心配ありがとうございます」


 それがグワラニーの第一声であった。

 一見すると意味不明であるこの返答であるが、ベルナードの問いが何を意味するかがわかれば理解できる。

 そして、その言葉を最も理解しているベルナードがグワラニーの返答をどう受け取ったのかといえば、顔全体で渋さを表していた。

 続いて、その感情を口に出す。


「言ってくれるな」


 つまり、グワラニーが口にしたそれは感謝とは程遠い言葉ということである。


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