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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第三章 クアムート攻防戦
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クアムート攻防戦 Ⅱ

 翌日の朝。

 それを見たノルディア軍は戸惑った。

 なにしろ、一刻も早く城へ物資を搬入したいはずの魔族軍がまるでそこに立て籠もるかのように陣地をそっくり堀で囲み、さらにその内側に柵をつくり上げていたのだから。


「あれを一晩で掘り上げたとは驚きだが、それよりも……どういうことだ?」


 ノルディア軍指揮官ベーシュは、その様子を遠方から眺めながらその意図を図りかねていた。

 だが、やがてある結論に達し、小さく声を上げる。


「……なるほど。今回は随分頭を使ったようだな」


 ベーシュはこの様子から導かれる魔族軍の意図を自らの頭の中ですべてを解き明かすと椅子から立ち上がり、命令を次々に発する。


「敵はこの後我が軍の南北に新たな部隊を展開させる。そうやって挟撃される不安を取り除いてから陣地を出て城内に食料を強行搬入する作戦だ。そうはさせん。新手が来ないうちに中央に居座る者どもを排除する。フェストとタルファにそれぞれ六千を率いて出陣するように伝えろ。そして、我々も七千で出撃。すべての指揮は王弟殿下にお任せする。せっかくだ。王子たちも同行していただき然るべき武勲を挙げていただくことにしよう」


「総指揮を王弟殿下に、ですか?」

「しかも、王子もご一緒に?」

「そうだ」

「ですが……」

「心配はいらぬ」


 幕僚たちが懸念を示した実戦経験が乏しい将来クアムート城主になる男にこの攻撃の指揮を任せたのにはもちろんベーシュなりの思惑がある。


 まず、この戦いは完勝することが確定していること。

 そして、王がわざわざ王弟や王子たちをこの軍に加えたのは手柄を立てさせたいがため。

 そういうことであれば、その意向を沿うことが臣下の務め。

 そして、それは戦いの後にやってくる自分の栄達にも役立つ。


「もちろんフェストとタルファだけではなく、殿下の相談役して私の配下のなかでもっとも気が利くモーションとタラクというふたりの将軍を随行させる。王弟殿下はふたりの提案を頷くだけで済み、難しい判断をするなどない」


 こうして、朝と昼の境界が近づいた頃、攻撃準備が整ったノルディア軍はようやく動き出す。


「ようやくお出ましか」

「そうですね。数は少々少ないようですが」

「我々が搬入部隊ではなく単なる囮ではないかとまだ疑っているのか、それとも、動いた直後に背後を取る部隊が現れると考えているのか。どちらにしても、用心深いことだ」


「私としては、大量に木箱や麻袋を用意し、仮眠をとる魔術師や鉱夫の方々にそれなりの格好をしていただいているのですから、是非とも後者であってもらいたいものです」

「そうだな。とりあえず、奴らに我々の状況を十分に把握してもらったところで、いよいよ歓迎の宴を始めるとするか」

「では、手はず通り」


 ノルディア軍の一万九千人が取り囲む輪を狭めながら迫ってくる魔族の陣の中央でふたりの男が余裕綽々という表情で言葉を交わす。

 後ろを振り返った側近の男が合図を送ると、一晩にわたってこっそりと結界を維持した孫娘からその役を引き継ぎ攻撃魔法からこの陣地全体を守っていた老人が一瞬だけ防御魔法を解く。

 その一瞬を待っていた老人の高弟のひとりフロレンシオ・センティネラが杖を振るう。


 それが彼らの言う宴の始まりだった。


「霧?魔法でつくった霧に紛れて城に入ろうということか。それとも、ただの悪あがきか」

「だが、どちらにしてももう遅い」

「まったくだ」


 ノルディアの兵たちは突然現れた霧にも慌てる様子はなく嘲りの言葉を口にする。


 当然である。

 包囲はすでに完成し、攻撃を逃れるには転移するしかない。

 だが、すでに転移魔法封じの策を講じている。

 つまり、完璧な攻撃態勢が出来上がっている。

 その状況をこのような小細工ひとつで一転させることなどできるはずがないのだから。


 だが、この状況を怪しむ者がいた。


「……そんなことは敵も承知している。これは何か特別な仕掛けを隠す罠かもしれない。殿下。ここは一旦引いて霧が晴れるのを待つべきではないでしょうか」


 それはクアムート城を包囲していた軍から直属の兵を率いてやってきたタルファから王弟への上申だった。

 だが、同じ平民出身ということもあり以前からタルファをライバル視していた人狼部隊を率いるフェストが大声でそれを否定する。


「いや、奴らが準備していたのは堀と柵だけなのは間違いない。そして、慌てて出したこの霧の狙いはただの時間稼ぎ。それなのにここで引いてはそれこそ彼らの狙い通りになるではないか。今すぐ攻撃を開始すべきだ」


「だが、この霧では敵味方を視認できない。同士討ちの危険がある」

「それは魔族どもも同じだろう」


 相反する意見。


 だが、どう見ても兵士の大部分は猛将として名高いフェストを支持している。

 そして、このような役を初めて任せられた司令官である王弟エーシェン・エルベルムはその空気に飲み込まれる。


「ここはフェスト将軍の意見を採用する。ビヨン軍を先陣として全軍順次攻撃を開始せよ。一兵たりとも逃がすな」


 相談役であるふたりの将軍に尋ねることもなく王弟が口にした、自らの、そして、最終的にはノルディア王国の未来も決めることとなるその言葉とともに動き出したノルディア軍は、まず人狼軍が、続いて残りふたつの集団のひとつが包囲の中心を目指して霧の中に突入する。

 霧はすぐに晴れることを信じて。


 だが、高等魔法で生み出されたその霧は時間が経っても晴れないどころか、少し離れてしまうと前を歩く者も見失いそうになるくらい濃くなっていく。

 やがて、彼らの目の前に前日の夜に鉱夫たちがつくった堀が現れる。

 その先にうっすらと見えるのは柵の中で待ち構える魔族。


「その程度の堀と柵で我らを止められると思ったか」

「すぐにそこに行くぞ。待っていろ。魔族の馬鹿ども」


 魔族の浅はかさを口々に嘲り、思ったよりも深い堀に飛び込んだ彼らはそこで初めて敷き詰められた藁の下に黒く粘りのある液体が溜まっているのに気づく。

 そして、そこから異臭が漂ってくることも。

 もちろん彼らはその匂いが何かを知っている。


 それは意図的に流さなければ、ここにあるはずのないもの。


「燃える泥。それに油か?」

「つまり、これは火計……」


「ま、まずいぞ……」


 ここでようやく罠の存在を気づいたものの、彼らは戻ることはもちろん、立ち止まることもできなかった。

 まだそれを知らぬ後続の者たちが次々に堀に飛び込んできたのだ。

 目の前で挑発する魔族の首を取ろうと目を血走らせながら。


 だが、真っ先に堀に飛び込んだ彼らの不幸はここでは終わらない。

 前に進むしかない彼らは油まみれのまま、どうにか堀から這い出したものの、今度は柵の手前から先に進めない。

 これは老人が展開させている結界の魔法の効果。

 そして、ここでも油から逃げることに精いっぱいで先客が見えない壁に阻まれていることなど思いも寄らない者は次から次へと押し寄せる。

 お互いの怒号が飛び交う大混乱の中、それはついにやってくる。


 その始まりが魔族からやってきたものだったのか、それとも金属が擦れた時に偶然起こった火花から始まったのかはわからない。

 だが、きっかけはどうあれ、溜まった油に火がついてしまえば、あとは一気に燃え広がるだけである。

 荒れ狂う炎の中、火だるまになったノルディア軍兵士が次々と倒れる。

 さらに、混乱のなか、「霧に紛れて魔族が多数自陣に紛れ込んでいる。注意しろ」という誰のものともわからぬ言葉があっという間に広がったノルディア軍は黒煙の中から現れた油まみれの味方を敵と間違え斬りかかるという凄惨な同士討ちも多数発生する。


 そのような状況のなか、強靭な肉体を誇る人狼の中には霧の外に逃げる仲間たちを切り倒しながら逆に進み、炎の中に果敢に飛び込み、さらに老人がつくった結界を突破し魔族の陣まで到達出来た者があらわれる。

 だが、そこで待っていたのは数多くの魔族の戦士だった。

 普段なら魔族の戦士たちとも対等な勝負ができる人狼軍の兵士だが手ひどい火傷を負っているうえに強力な結界を強引に通りぬけた代償として多くのダメージを受けている。

 さらに多勢に無勢。

 当然勝負になるはずもなく、簡単に斬り倒されていく。


 霧も完全に晴れたとき、残されていたのはやってきた人狼軍の二割、その他も含めて二千ほどの死体とそれと同じくらいの数の動けぬ負傷者。

 なんとか脱出できた者も大部分は何かしらの傷を負い、半数の兵を霧の外側で待機させていたタルファの部隊を除けば無傷だったのは数える程度しかいないという惨憺たる状況。


 ノルディア軍の攻撃は完全な失敗に終わった。


 それからしばらく経った魔族軍陣地。


「死体は埋めるとして……」


 大勝利に沸く兵たちとは対照的に渋い表情を崩さぬ将軍の地位のある男は隣に立つ男に呟くようにそう問いかけると、話しかけられた男がそれを遮るようにすぐさま言葉を返す。


「ちなみに将軍は彼らをどうされるべきだと考えていますか?」

「もちろんすべて殺すべきでしょう。我々も、そして、相手もこれまで捕らえた敵はそうやってきたわけですから」

「なるほど」

「……ですが、この様子ではグワラニー殿はその気はないということのようですね」

「まあ、最終的なことは決めていませんが、とりあえずはせっかく捕らえたのですから有効利用したいと思います。更なる勝利のために」

「更なる勝利?そのために、まずやることがこれなのですか?」


 将軍はそう言いながら疑わしそうに眺め直したのは、負傷した敵兵士を治癒魔法で次々に治していく人間種の少女の姿だった。


「いいのですか?本当に」

「もちろん。捕虜の処置を決める権限は指揮官にあるということが我が軍の軍律にありますので、法的に問題ありませんし、死んでしまっては利用価値がなくなりますから。それに、治療する前に拘束しているので恩を仇で返したくてもできません。ご安心を」


 自らの疑念を晴らすその言葉に大きく頷いてから男は話を変えるように再び口を開く。


「それにしても魔術師長のお孫さんは本当に優秀ですな。戦場に女性、しかも、あのような幼い方を連れてくるのはいかがなものかと思っていましたが」

「そうですね。ですが、あの治癒魔法の能力は捨てがたい。今は敵に対しておこなっていますが、あの力は我々の今後に大いに役立つでしょう」


 もちろんその言葉は嘘ではない。

 だが、それと同時にグラワニーは彼が知る彼女の能力の半分も話していないのも事実である。

 それでも、グラワニーの隣に立つ将軍にとってはそれが驚くべき能力であることには変わりない。


「そうですな」


 心の底から驚き、漏れ出したその言葉とともに再び頷くと、将軍の地位にある男はため息交じりに隣の男にもう一度声をかける。


「グワラニー殿が文官として高い能力があることは以前から知っていましたが、まさか戦の経験がないにもかかわらず、これほどの策を弄する当代一流の軍略家だったとは思いませんでした。十倍の敵に攻められながらこちらは一兵も失わず四千の死傷者を残して敵に退散させるという我が軍どころかこの世界の歴史に燦然と輝く圧勝となった今回の戦いに用いたあの策はどうやって思いついたのか後学のためにご教授願いたいものです」

「はあ……」


 ……長年、力だけを頼りに戦場に立っていた者にとってはたしかに不思議なことなのだろうな。

 ……だが、私は知っている。相手がどれほど武勇に誇ろうとも、知略とそこにくるまでの準備でいくらでもそれを上回ることできるということを。

 ……もちろん数がすべてを凌駕することは多々ある。

 ……しかし、それは双方が持つ武器が同等のときにのみ成り立つもの。

 ……残念ながら今回はその理は成り立たない。


  男の賛辞を十分に噛みしめてからグワラニーはもう一段階思考を進める。


 ……文官の仕事はほぼすべて私自身が実際に体験した知識と経験を生かせるものだし、それなりの自信があった。

 ……だが、軍事については、私は間違いなく素人。

 ……今回の策を含めてこれまで用いた策は、ほぼすべて、歴史的事実と、フィクション、ノンフィクション問わず乱読していた宇宙や異世界まで含めた古今東西多くの場所を舞台とした軍記小説からヒントを得たもの。

 ……まさか、ミリオタ的趣味で読んでいたものが実際の戦いでこれほど役に立つとは思わなかった。


 ……先人たちから学ぶことがいかに大事か実感させられるな。


 だが、諸々の事情によりその呟きをそのまま口にするわけにはいかない。


「……まあ、それは秘中の秘ということで。それに、今回用意した私の策はまだ半分。しかも、次からが本番であり、先ほどの戦いが軍史に載るものであるのなら、それはすぐにその一部として書き換えられることになるでしょう」

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