謀略対決
ペリゴール。
ミュランジ城から前線への補給ルート。
その前半部分の終着点であり、最大の難所であるセヴィンヌ渓谷地帯の出発点でもある。
当然周辺で一番の大きさを誇る城塞都市であり、相応の数の兵が駐屯している。
そして、ここを守備しているのはベルナードの腹心のひとりアルセーヌ・ヒュメル。
だが、ヒュメルは生粋の軍人。
実直ではあるが、どちらと言えば内政的な仕事が主となるこのような役職に向いているかといえば疑問符がつく。
当然それはベルナードも十分に理解しており、有能な文官が彼の下につけられた。
そのひとりで文官長のアリスティッド・ミルクールはミュランジ城からやってきたその情報に顔を顰めた。
「魔族?」
そして、その名を知った瞬間、さらに歪みは深くなる。
「アルディーシャ・グワラニー。なぜ我が国最大の敵が堂々と旅をしているのだ?」
「ここに書いてある内容によれば現状打開に協力するそうで……」
「その状況をつくった奴が何を言っているのだ」
「ですが、王太子殿下が仕事を依頼したとあります。そうであれば、我々はそれに従って自身の仕事をおこなうだけです」
「現に、グワラニーは依頼された仕事をおこなっているようで、先日も大規模な野盗狩りに成功したそうです」
「それにランパイエでは野盗と組んでいた我が軍の者たちの不正を暴いています」
暴発寸前のミルクールにどこまでも冷静なデジレ・ヴァゴンとディオン・オペルナは事実を伝え沈静化を図る。
ふたりの必死の努力が報われ、どうにか一線を超える手前で踏みとどまったミルクールだったものの、やはり怒りは抑えられず、その感情が流れ出す言葉を口にする。
「どうせ奴はなにかろくでもないことを考えているに違いない。まあ、とにかくヒュメル様に伝えるしかあるまい。招かざる客がまもなく到着すると」
文官であるミルクール様があれだけ荒れていたのだ。
軍人であるヒュメル様はさらにその上をいく。
抑えるのは容易ではない。
誰しもがそう考えた。
だが……。
「……わかった。そういうことなら、止むを得ない。特別な歓待はしないが、邪魔はせず要求されたものは用意してやれ」
「はあ……」
あまりにも予想外のヒュメルの言葉にミルクールは間の抜けた言葉を返す。
「よろしいのですか?その……」
「もちろん、よろしくはない」
ミルクールの問いにヒュメルは無造作にそう返した。
そして、つまらなそうに言葉を続ける。
「よろしくはないが上で決定したことを我々が拒否するわけにはいかないだろう」
「それにここにあるように奴はここまでそれ相応の実績を残している」
「実際のところ我々は責務を果たしているとは言い難い。我々の代わりに渓谷に巣食う野盗どもを退治してもらおうではないか」
ここまで言ったところでヒュメルはニヤリと笑う。
「だいたい奴が『セヴィンヌの悪魔』を始末できるかだってわからない。それどころか返り討ちに遭うことだって考えられる」
「我々としては、悪魔と魔族が共倒れになることを望むが、どちらから消えるだけでも十分な成果だろう」
「だから、見た目だけだが気持ちよく送り出す。そういうことだ」
それからまもなくヒュメルのいう「招かざる客」がペリゴールに姿を現す。
もちろん事前に連絡を受けていた監視の目はその馬車に注がれるわけなのだが、魔族を探すはずの目はすぐさま別の人物へ集中する。
入城許可の申請をおこなう魅力的なフォルムを青いドレスで包む若い女性。
この城ではお目にかかれない上品な美しさを持つその女性の名はもちろんフィーネ・デ・フィラリオ。
まあ、実際のところ、通行証をはじめとした各種証書の宛先は彼女だったのだからこうなるのは当然といえば当然なのだが。
では、彼らの目当ての者はどうしているかといえば……
二台目の馬車の中からその様子を伺っていた。
もちろん隣にいるデルフィンは最高位の防御魔法を展開しどうなろうともグワラニーには傷ひとつつかない状況になっている。
そして、その時が来る。
手続きが完了したところで門番長グレゴリ・イソールがフィーネに尋ねる。
「ところで……」
「フィーネ・デ・フィラリオ。あなたが率いる荷馬車にはこの国では滅多に会えない方が乗っていると書かれているのだが……」
「せっかくだからご尊顔を拝したい。それで、どちらにおられるのかな。その方は」
つまり、グワラニーに会わせろ。
それはその場に立ち会ったデジレ・ヴァゴンが指示したことだった。
もちろんこれは予想できたこと。
顔色を変えることなくそう応じたフィーネは二台目の馬車に視線を送る。
「……だそうです」
そして、その言葉に応えるように馬車から若い男女が下りる。
「本物かどうか確認したいのですが……」
「わかりました」
イソールの言葉にふたりはサングラスを外す。
赤い目。
すなわち、本物の魔族。
「私はアルディーシャ・グワラニー。彼女はデルフィン・コルペリーア。そこにある者とは私たちのことです」
「納得していただけましたか?」
むろん事情を知らされていない多くの兵士はその目を見た瞬間一斉に剣を抜く。
彼らにとって魔族は見つけ次第に叩き斬るものと教えられているのだから当然である。
もっとも、本当にことが始まれば、倒れるのは彼らの方であるのだが。
「待て」
兵士たちに制止の命を出したのは同じくその場に立ち会っていた三人の軍指揮官のひとりエドガール・ジョワニーだった。
「王太子殿下より特別な許可証が出ている。魔族ではあるが斬ることは許されない」
「賢明な判断だ」
「ああ。こんなところで死ぬなど遠慮すべきだからな」
ジョワニーは自身の言葉を嘲るような応じたふたりの御者役の男ふたりを睨みつける。
だが、表立っては何も言わず、すぐにグワラニーに視線を移す。
「ようこそ、ペリゴールへ。この城の主アルセーヌ・ヒュメルが皆さまにお会いしたいとのことです」
「こちらへ」
その言葉とともにグワラニーたちに背を向けて歩き出すと、薄い笑みを浮かべて眺めていたフィーネはグワラニーと少女に続いて歩き出した。
そして……。
「……人間種とはよく言ったものだ」
「話には聞いていたが、目の赤さを除けばまさに人間」
入ってきた六人を出迎えたヒュメルが口にした言葉にグワラニーはこう応じる。
「人間種は母親が人間の場合、または両親がともに人間種ときに生まれるわけですから、人間の色が濃く出ます。まあ、父親が人間で母親は純魔族の場合も同じことが起こるのでしょうが、そのような組み合わせというのは聞いたことはないのですが」
「……ほう」
「魔族でありながら、魔族という言葉を使うのか。私の知る限り、その言葉は魔族の中では使用するのは禁忌とされていたはずだが」
「好まないと言う点では間違いないのですが、実際のところこの言葉を使わないとは人間との交渉に支障を来たす。だから、私や私の仲間は躊躇いなく使っています」
「それで……」
「ここから渓谷地帯を入り野盗狩りをするということであるが準備するものはあるかな?」
ヒュメルとしては、余計な揉め事を避けるために自室に招いたものの、もとより会いたいわけでもなどない。
しかも、歓迎の意味を込めた嫌味は見事なばかりに切り返され、非常に分が悪い。
そういうことであればすぐさま本題に入るという彼の選択は当然のことである。
もちろんそれはグワラニーとて同じ。
「では、お言葉に甘えて……」
そう切り出してまず要求したのは渓谷内の地図だった。
「地図……」
ヒュメルは唸る。
もちろん地図がないわけではない。
それどころか、ペリゴールと、渓谷の出口にあるもうひとつの拠点シャリニャック双方からの距離、さらに水源や休憩可能地点なども書き加えたものがある。
だが、それはいわば機密文書。
軍関係者以外の者に見せるわけにはいかない。
しかも、相手が魔族となればなおさらである。
険しい表情で考え込むヒュメルを眺めるグワラニーはわざとらしい咳払いで仕切り直しをして数瞬後、改めて口を開く。
「一応言っておけば、あの渓谷地帯も元々は魔族領。当然我が国に戻れば地図はあります」
「ですが、今回は私が個人的にフランベーニュに関わっているものであり、それを使用するのはおかしいのです」
「ついでにいえば、私は地図を描くのが得意。私が歩いた時点で秘密は明らかになると思ったほうがいい。そして……」
「私が軍を率いた場合、このような大軍を動かす場所には不適な場所を移動せず転移魔法で一気に移動する」
「ハッキリ言ってしまえば、地図は渓谷地帯に巣食う、フランベーニュの食料輸送を難しいものにしている害獣を狩るというその一点に関してのみ非常に有効なものといえるでしょう」
「つまり、ヒュメル将軍が我々に野盗退治に本気で協力する気があるのなら、それを渡すべきということです。と、前置きをしたところでもう一度お聞きします」
「地図を提示していただけますか?」
ヒュメルはこの城の最高責任者。
つまり、どのような判断でもできる。
だが、それはすべての責任が彼ひとりで背負うということでもある。
「少し待たれよ」
その言葉を残し部屋を出る。
三十ドゥア後。
地図を取りに行くだけにしては時間がかかりすぎる。
そもそも部下に命じれば済むことをわざわざ自身が部屋を出たのだ。
それには別の目的もあったことは確実だろう。
そして、その結論が出たらしい別の世界で五十分にあたるその待ち時間がヒュメルの言う「少し」に合致しているのかは微妙と言わざるを得ないところではあるのだが、とにかく談笑によって時間を潰していたグワラニーたちのもとに戻ってきたヒュメルの手には大きな羊皮紙があった。
「これだ」
見るからに使い込んだものではあるが、その分信用がある。
それがグワラニーの判定だった。
もちろんそれについて何も言うことなくひととおり眺めたところで、グワラニーが口を開く。
「ありがとうございます」
「では、次に私たちの相手となる者の情報を」
むろん相手とはこの渓谷地帯を根城にしている野盗団のことである。
尋ねた相手は魔族。
本来であれば、自分で探せと言いたいところであるのだが、ここまで舵を切った以上、そうは言えない。
ヒュメルは頷くと、同席している側近のアシル・ブルガヌフに説明するように視線で合図を送る。
「では、説明させていただきます」
その言葉を前置きにして語り出したその概要はこうである。
実際に野盗たちが名乗っている正式な名称はないのだが、自分たちを含めてこの渓谷を利用する者たちが使用する呼称は「セヴィンヌの悪魔」であること。
その正式な数はわからぬものの、最低でも五百人はいる。
そして、そのリーダー格の者はふたり。
イヴォン・マンドゥーラとグザヴィア・カンキューラ。
ともに三十代後半から四十歳前半の男。
剣の達人でもあるが、とくにカンキューラは策士で多くの場合この男が策を巡らせているという。
「なるほど」
「……いくつか尋ねたいことがあるのだがよろしいか?」
ブルガヌフの説明が終わると、グワラニーはその言葉を口にした。
「どうぞ?」
「まず……頭領の名前や役割の情報はどうやって手に入れたのですか?」
「捕らえた者から聞き出した」
「あなたがたと『セヴィンヌの悪魔』との戦いについてもう少し詳しく教えてください」
グワラニーの言葉にブルガヌフは一瞬躊躇うものの、ヒュメルに促され口を開いた。
そして、そこから流れ出たものは、戦いの歴史というより、敗北の歴史だった。
「……つまり、毎回いいようにやられていると?」
「言葉を飾らずに言えば、そのとおりです」
「もちろんすべてが負けというわけではなく、奴らが姿を現さず何も起きなかったということも多いのです。これがやっかいなところなのです」
「数を揃え待ち構えているところには現れず、移動し始めたところで襲撃されたこともありました」
グワラニーは真剣に悔しがるブルガヌフの様子を心の中で笑うものの、相手の戦い方に聞き覚えのあることに気づく。
……ゲリラ戦。それも相当訓練された集団。単なる山賊ではないな。
……そして、その動きから城内の動きを事前に掴んでいると思って間違いない。すなわち、間者を放っている。
「相当手ごわい者たちのようなので少しだけ準備に時間が必要なようです。それからいくつかお願いしたいことがあります……」
最後に加えられたグワラニーからの追加の依頼。
そのひとつはペリゴールに到着した翌日、城主アルセーヌ・ヒュメルの名でこのような布告として形になる。
「『セヴィンヌの悪魔』ことイヴォン・マンドゥーラとグザヴィア・カンキューラ率いる野盗集団を討伐のため、王都より有能な冒険者六人を呼び寄せた。まもなく六人が渓谷に入り討伐が実行される。なお、結果のいかんにかかわらず討伐が終了するまで渓谷内の通行は禁止とする。これは討伐期間内に渓谷内にいる者はすべて野盗の仲間として討伐対象となるためである」
そして、布告にある有能な冒険者がどのようなものかはどこからともなく流れた情報によって程なく判明する。
それと前後するように、純人間の四人は酒場や食堂に現れ派手に飲み食いをしていた。
当然人だかりになるのだが、いつもなら三人を使って群がるハエを追っ払うフィーネもこの日ばかりはなぜ愛想よく応じる。
「……私たちは人寄せパンダですか」
こう誰にも聞こえないような声で呟きながら。
実をいえばフィーネはある種類の人を探していた。
単純に興味本位で近づいてきた者とは雰囲気の違う者。
もう少しいえば、情報収集のために近づいてきた者。
「……討伐隊の話が流れ、その直後討伐隊の者たちが酒場にあらわれれば、奴らが放った間者が必ず近づいてきます」
それがグワラニーの言葉。
「まずはその者たちに偽情報を掴ませる」
「それが最初の一歩です」
そう。
これは罠。
そして、しばらく待ったところで遂にフィーネたちの待ち人が現れる。
「……少しよろしいかな」
そう声をかけてきたのは身なりのしっかりした紳士。
ただし、顔は黒く服から見える腕は筋肉を纏っている。
「私はクロード・ジェノス。ここで製材業を営んでいる」
「仕事柄、渓谷に入れないというのは商売に差し支えるのだが、だいたいどれくらい我慢すればいいのか尋ねたいのだが」
筋は通っている。
そして、その営みについても偽りはないのだろう。
……ですが、あなたのオーラはそれとは別の職業を暗示しています。
同類のオーラを纏うものたちを散々見てきたフィーネは心の中でそう呟く。
……そういえば……。
……ふたりの首領のうちのひとりグザヴィア・カンキューラの顔を幹部以外は知らないという情報がありました。
……この男がそのカンキューラかもしれません。
……油断せずにいきましょう。
素晴らしい笑顔を披露し、フィーネが答える。
「十日から二十日。というのが見立てです」
「長いですね」
「ですが、その間を我慢すればその後は安心ができるのですから収支は釣り合うというものです」
「つまり、『セヴィンヌの悪魔』を倒せると?」
「もちろん」
「これまで駐屯していた軍は何度も討伐に出てその度に失敗していることはご存じか?」
「ええ。ですから私たちが呼ばれたのでしょう」
「つまり、秘策があると?」
「ええ。まあ、相手は所詮頭の悪い野盗。秘策など呼べるものを使わなくても私たちにかかれば軽いものですよ」
「ほう」
「それは興味深い。その策をぜひともお聞かせ願いたい」
その瞬間、フィーネの顔に笑みが広がる。
無言で。
当然それによってその笑みの解釈は相手に委ねられる。
そして、クロード・ジェノスと名乗ったその男がどのような解釈をしたかといえば……。
「やはり秘策は秘策。教えられませんか?」
つまり、その笑顔が拒否。
男はそう解釈したわけである。
だが……。
「いえいえ。そういうわけではなく、策を考えたのは私ではなく、私もその内容については聞かされていないのです。十日、遅くても二十日もあれば討伐できるとだけ」
ここでフィーネはこの男の素性を確認するためにある一手を打つ。
「ただし……」
「野盗頭のひとりは策士気取りらしいが、策士でもなんでもないただの小賢しいだけ。軽く蹴散らして本当の策士との差を見せるとは言っていましたので相当自信があるのではないでしょうか?」
……ビンゴ。
気づかぬふりをしたものの、男から一瞬上がった殺気にフィーネは心の中で声を上げる。
一方、表情をすぐに戻した男は何事もなかったかのようにフィーネの言葉に笑顔をつくり直す。
そして、一瞬とはいかない沈黙後、口を開く。
「それは頼もしいです。期待しましょう」
「そういえば、同行者の中に魔族の方がいるとお聞きしましたが、その方が策を講じられていると?」
「そのとおりです」
そして、少しの沈黙後、男が口を開く。
「その方に会ってみたいものです」
「会う?魔族に?」
「残念ながら私は魔族に会ったことがない。こういう機会がなければ一生会うこともないでしょうから」
「しかも、本来であれば見つけた瞬間に殺すべき魔族がこのように堂々とフランベーニュ国内を歩いているだけではなく、仕事まで依頼する」
「その魔族はそれだけの価値があるということなのでしょう」
「会ってみたいと思うのは当然のことでしょうか」
即答したいところを我慢に我慢を重ねて一瞬の百倍ほどの沈黙した後、フィーネが口を開く。
「わかりました。では、私からその魔族グワラニーに話をつけておきましょう」
「明日の昼前に私たちが宿泊している宿屋『デヌエット』へ来てください。周辺を取り囲む護衛の兵士には話を通しておきますから」
そして、男が店を出ると同時に、フィーネは薄く笑う。
「……予定通り」
そう。
あの時の彼女の笑みは拒絶ではなく、苦笑に近いものだった。
「……まるでグワラニーが台本に沿って先ほどの男が演技していると思えるくらいに同じ内容の言葉を並べ策について問うてきた」
「そして、こちらも用意された言葉を紡ぐと、あの男は想定定通りに答え、ことが進んだ。カンキューラとやらがどれほどの男かは知りませんが、やはり、グワラニーの足元にも及ばないようです」
そして、やってきた翌日。
予定通り宿屋までやって来たクロード・ジェノスを出迎えたのはフィーネとマロ。
ふたりに挟まれるようにして歩き、その部屋の前に立ったところでジェノスが口を開く。
「一応、彼の名前を聞いておきましょうか?」
「アルディーシャ・グワラニー。見た目は小僧ですが魔族軍の将軍をしています。そして、驚くべきは負け知らず。さらにいえば、『フランベーニュの英雄』アポロン・ボナールの軍を破ったのも彼です」
「ほう」
「ますます興味が湧きました。ですが、彼に会う前に尋ねておきたい」
「そのような魔族軍の将軍がなぜこんなところで野盗狩りをしているのでしょうか?」
「そもそも先日フランベーニュの大軍を葬ったのはたしか……」
「そう。グワラニーの軍です」
「それなのに……」
ジェノスにとっては当然尋ねるべきものではあるものの、この旅が始まって数えきれないくらいに答えたフィーネはため息をつく。
「色々あったということにしておきましょうか」
「話してもいいのですが、誤解ないように話をすれば三日はかかりますので」
「では、こういうのはどうでしょう……」
ジェノスはフィーネの耳元で囁く。
だが、一瞬後フィーネは即答する。
「やめておきましょう」
「理由は?」
「それも色々です」
そう言ってその話を強制的に打ち切ったフィーネはドアを示す。
「どうぞ」
部屋に入ると男と少女が立っている。
赤い目。
疑いようもない。
魔族。
フィーネが口を開く。
「グワラニー。こちらが昨日話したクロード・ジェノス氏」
「そして、男の方がアルディーシャ・グワラニー。少女はデルフィン・コルペリーア」
「ようこそ。クロード・ジェノス。アルディーシャ・グワラニーです」
そう言ったところで、グワラニーはジェノスに椅子を勧める。
そして、そこから長い雑談後、ジェノスは自身の本題へと言葉を進める。
「仕事柄山に入ることは宿命。用心に用心を重ねていたのでこれまで奴らと顔を合わせずに済んだが、こ今後も無事であるという保証はない。だから、あなたがたが『セヴィンヌの悪魔』を討伐してくれるのは非常にありがたいことだ」
「だが、軍が度々討伐部隊を派遣しても返り討ちに遭うばかりで戦果といえるものはほとんどない」
「軍ができないものをあなたがたができるという根拠を示してもらえればありがたい。そして、何か手伝いができるものなら手伝いたい」
「なるほど」
理路整然。
そう言いたくなるようなジェノスの言葉にグワラニーは不必要なくらいに何度も頷く。
まるで相手に媚びる様に。
「実は軍の関係者より返り討ちにあった場所を示された地図を頂いた。そこはたしかに地理不案内の者には不利な場所。しかも、大軍が展開するにも不向き。渓谷を根城にしている野盗たちがそこを選ぶには最適だと思われます」
「ですが、襲撃する場所は複数あるものの、地形はどこも似ている。つまり、彼らがやってくる場所はある程度推測できるというわけです」
「それがわかれば野営する場合はその地点を避けることができる。ついでにいえば、彼らが襲ってくるのは夜のみ。となれば、昼間に相応の準備ができるというわけです」
「編成は?」
「我々六人だけですね」
「六人だけ?この城にも傭兵がいます。彼らを雇ってはいかがか?」
「いや。大丈夫」
そう言ってグワラニーは三人の剣士を見やる。
「この三人はとんでもない剣の使い手。ひとりで数百人の剣士を相手にできる。それが三人。つまり、野盗団が千人までなら問題ない。そして、彼女。女性ですが、彼女は三人に引けを取らない剣の使い手。楽勝です」
「あなたがたは?」
「私は御覧のとおり剣は使えない。策を講じるだけです。彼女は少々の治癒魔法は扱えますが基本は雑用係。戦闘中はふたりとも役に立たないただの見物人です」
「つまり、あなたたちには攻撃や防御に対応できる魔術師はいないのですか?」
「ええ。ただし相手もいないとのことなので魔術師がいないことは特別な問題にはなりませんが」
そう言い切ったグワラニーとは対照的にジェノスは納得しがたい表情を浮かべた。
だが、その表情はすぐに消え、再び問いの言葉を口にする。
「……具体的な戦い方は?」
「あのような場所での野盗狩りはやってきた敵を叩く。これしかない。実をいえば、私はここよりずっと東で同類と戦闘をしたことがありまして、これはその教訓です」
「このような戦いは通常の戦いと違い、数を揃えればいいというわけではないのです。それはこれまでの討伐隊の失敗からあきらか。つまり、特別な剣技を持つ少数の者で挑む。これが成功の秘訣となります」
「『セヴィンヌの悪魔』の頭領のひとりグザヴィア・カンキューラを安っぽい小細工使いと嘲っていたとのことですがその根拠は?」
「もちろんカンキューラの策が有効だったのはこれまでの一方的な結果であきらかです。ですが、あれは相手の油断と能力の低さが大きな理由であり、策自体は特別なものではないどころか、陳腐なものといえます。もし、噂通り、カンキューラが自らを希代の策士と思っているようであれば、おおいなる勘違い。できれば直接その勘違いを正してやりたいものです」
「山の中まで聞こえるように最高の討伐隊が来たと言いふらしているので彼の耳にも我々の話は届いていることでしょう。だが、身構えて待っていると、やってきたのがわずか六人。さすがに何かあると思うが、何が用意されているのかわからない。ここはやりすごすべきと襲撃を見送る可能性もあります。その時には『グザヴィア・カンキューラは無能だけではなくこの世界一の腰抜け』と世間に言いふらしてやることにしましょう」
「……なぜそこまでグザヴィア・カンキューラを笑いものにするのですか?」
「魔族である私は人間が嫌いだ。だが、能力をある者には敬意を表している。今ともに旅をしている四人はそれに値する者だ。だが、カンキューラは彼らとは違い、口先だけの能無し。そのような者はそれにふさわしい扱いをするのは当然でしょう」
一見すると楽しそうであるのだが、そこに緊張感が混じり合うという微妙な空気のなかで時が一セパほど過ぎた頃。
「……さて、長々とお時間を取らせました」
立ち上がったジェノスはそう言った。
「必ずお見送りをしたいと考えておりますので、出発の予定がわかれば教えていただきたいのだが……」
「三日後の朝。もちろん晴れていればということで」
「わかりました」
「また近いうちにお会いできると信じています」
その言葉を残しジェノスはグワラニーたちが泊まる宿屋から出る。
すぐにふたりの男が近寄ってくる。
「……いかがでしたか?」
そのうちのひとりがそう尋ねると、ジェノスの顔に先ほどまでとは一変する表情が浮かびあがる。
「クソ生意気な小僧だった」
「それで奴らの計画は掴めましたか?」
「ああ。最初は間者を疑っていたようだが、その疑いが晴れたとたんペラペラと喋り出した」
「それで……」
「どうしますか?誰かを山に送りますか?」
「いや。俺が直接話す」
一方、ふたりの男とともに帰っていくジェノスを少しだけ開けた木戸の隙間から見送った側も、その直後に多くの言葉が交わしていた。
「……あれは間違いなくグザヴィア・カンキューラ本人ですね」
グワラニーは苦笑しながらそう断言した。
「……ここまで単騎でやってくる胆力は見上げたものですが、自分の感情を制御できなければ手の内を晒しだけになるのですからやめたほうがよかったと思いますが」
「まあ、こちらとしては直接お土産をお渡しできたのでありがたかったのですが」
「気前よく喋り過ぎたように私には思えましたがあれでよかったのですか?」
「もちろん」
フィーネからやってきた疑問の声に対しグワラニーはそう答える。
グワラニーはさらに言葉を加える。
「私の初手を覚えていますか?」
「間者ではないかと疑ったあれですよね。話を聞いていなかったので少し驚きました」
「ですが、彼は怒るどころか皆さんほどは驚かなかった。それどころか目は笑っていました。つまり、あの肩書は誰に尋ねられてもいいようにずっと前から用意されていたもの。待っていましたとばかりにそれを発動させたということでしょう」
「そして、それに見事に引っ掛かり謝罪に追い込まれた私に対して彼は特別な要求をせずに流した」
「そうなれば私は何か礼をしなければならない。そこで例の話を持ち出す。当然私は盛大に喋らざるを得ない」
「それが彼の書いた筋書き。私はそれに乗ったので彼としては疑うどころか、大成功と心の中でニンマリしたと思います」
「……つまり、あれは失敗したのではなく、そう見せたということですか。本当にあなたは他人を貶めると言うことに関しては天才ですね」
フィーネは大量に皮肉を込めた賞賛の言葉を送る。
「それで……その天下の極悪人はかわいそうな被害者に毒の入ったお土産を大量に渡しましたわけですが、その中で重要なのはどれですか?」
「彼にとって重要なのは、まずは出発日。それから私たちの数。それから魔術師の有無。そして……」
「私たちが野盗団の中に魔術師がいないと思っているというところでしょうか」
「彼が噂通りの有能な策士であれば、そのすべてを信じるということはないでしょうが、聞かされたことの大部分が嘘とは思わないでしょう。まあ、どこまで疑っていようが結果はあまり変わりませんが」




