いざ!アヴィニアへ
「……では、私たちの仕事の概要を話します」
その日の夜のクアムート。
その言葉を口にしたのはグワラニーとテーブルを挟んで座るフィーネだった。
「荷馬車に乗り、ミュランジ城から渓谷地帯を通り、ベルナード将軍が指揮するフランベーニュ軍のもとに食料を届け、ミュランジ城へ戻る。約六十日の行程となります」
「当初は四百台の荷駄隊の護衛ということでしたが、私たちが乗る荷馬車を狙う野盗たちを狩るのが主な仕事になりました」
「もちろん野盗の完全な排除は不可能であることはフランベーニュの王太子も理解しています。ですが、報酬を貰う以上依頼主の希望はできるだけ叶えたい。そのための策を考えるのがあなたの仕事になります」
「それから……」
「その過程で王太子から要望が出たのですが……」
「追加で加わる者に挨拶したいそうです」
「一応、あなたの希望通り念書は取ってきましたが、おそらく王太子の頭にある追加で加わる者とはアリスト。そこに魔族のあなたがやってきたら……」
「王太子がどのような表情をするのか。これはなかなかの見ものでしょうね」
フィーネは表情を変える。
「まあ、冗談はさておき王太子に会うとなった場合、当然彼の側近と顔を合わせることになりますが、フランベーニュの有名人に知り合いはいますか?」
フィーネの言う有名人とは、為政者や軍幹部を示す。
むろんグワラニーは王や王子、有力貴族など為政者の知り合いはいないが、軍幹部についての心当たりなら山ほどいる。
「元クペル城主ロバウ将軍。海軍ののロシュフォール提督とその部下の准提督。それから彼には有能な魔術師がいる。彼も私の顔を知っているでしょう。あとはミュランジ城主リブルヌ将軍というところでしょうか」
「海軍の魔術師の名前は?」
「記憶にないですね」
フィーネはほんの少し前に顔を合わせた男の顔思い浮かべる。
「今、あなたが挙げた者たちのうちリブルヌ将軍以外は皆王太子の側近として活躍しています。つまり、このまま出かけていけば、あなたは漏れなく知り合いと会えるわけです」
「どうしますか?」
むろんフィーネの言葉は断りを促す言葉。
誘った手前、自分の方から話を潰すわけにはいかないのだからこのような言い方になったのだが、この時点でフィーネはこの話が破談になることを予想していた。
この状況を聞けば、十人中十人、いや、十一人がこの話から下りるだろうから、当然といえば当然であある。
ロバウたちとは間近で顔を合わせているのだ。
生半可な変装ではバレてしまう。
イコール、揉め事確定になり、とてもその先に進めそうもないのだから。
だが……。
グワラニーは心の中でこの世界で崇拝されているすべての神にこのような言葉で感謝する。
……天祐だな。これは。
そう。
フィーネは知らなかったが、グワラニーはフランベーニュの軍人たちとは友好関係が構築されている。
少なくても、彼らに対して大量の恩を押し付けている。
ここで自分に危害を加えようとしたら報復がどのようなものかは彼らなら想像できる。
絶対に成功、つまり、グワラニーを殺せるという確信がなければ手は出せない。
……つまり、安全の保証は問題はない。
……しかも、フランベーニュの最高権力者に会えるのだ。
……この話は断るつもりでいたが……。
……予定変更。
……行く。
グワラニーが口を開く。
「話を進めましょう」
もちろん問題がないわけではない。
フランベーニュに限らず、人間世界にとって最大に敵であるグワラニーがブリターニャの王太子の護衛達と行動をともにしている理由をダニエルに親切丁寧に説明しなければならないのだから。
……理由などいくらでもつけられる。
……それに、それを説明するのは私ではない。
グワラニーは心の中でそう呟くと薄く笑う。
「私としてはあなたがフランベーニュの王太子殿下に魔族である私たちをどのように紹介してくれるのか楽しみにしています。フィーネ・デ・フィラリオ」
当然ながら、フィーネにとってグワラニーのその言葉は非常に困る。
フィーネはその感情が出た渋面のまま、グワラニーの意図を思考する。
「……つまり、私たちに対する嫌がらせ。それだけのために行くということですか?」
フィーネの言葉からはあきらかに苛立ちの香りが感じられた。
相手がアリストならさらにもう一手となるのだろうが、相手を考えればそれはできない。
グワラニーはすぐにご機嫌取りのために救いの手を差し伸べる。
「もちろんそのようなことはありません。それに、そのような状況になった時は守ってもらえる。それが前提だったではありませんか。ですから、こちらは大船に乗った気で誰とでも会うということです」
そう言ってグワラニーが少女に目を向けると、少女は何度も大きく頷く。
だが、グワラニーの言葉にフィーネの不機嫌さは増す。
たしかにグワラニーの言葉は完璧といえるくらいに筋が通っている。
ただし、筋は通っているのだが、間違っていないはずのその言葉からは嘘の香りがプンプンする。
だが、どこがどう嘘なのかがわからない。
しかも、グワラニーを誘ったのは自分。
自分の誘いを受けるという言葉を蹴り飛ばすことはできない。
つまり、その言葉を受け入れる以外にない。
フィーネの思考はこれからやってくる問題の前で行き止まる。
……この男の言うように、フランベーニュの王太子に魔族の男を紹介するのは私の役目。
……さすがにここは力業というわけにはいきません。
……一応念書はありますが、少なくてもグワラニーがここに来る経緯については説明しなければなりません。
……しかも今後、悪影響が出ない理由を考えなければなりません。
……失敗すれば、フランベーニュだけではなくブリターニャでの活動も大幅に制限されます。
……それこそ、魔族の国に身売りするしかなくなります。
……まあ、その相手がこの男である以上、それはそれでいいのですが……。
大きく息を吐きだしたフィーネが口を開く。
「では、あなたとあなたの護衛であるその少女を加えるということでよろしいのですね」
「お願いします」
……ぬけぬけと言ってくれますね。
……そして、この様子は間違いなく待っている。
……こちらの言葉を。
……乗りたくはありませんが、こちらに手がない以上仕方がありません。
「ところで、フランベーニュの王太子に会うに際し、それなりの言葉を用意しなければならないのですが、なにかよい文言はありますか?」
そう。
これが「グワラニーが待っている」と、フィーネが思った言葉。
そして、それは間違いではなかった。
一瞬後。
「私としても勇者一行との関係が失われるのは惜しい」
「ですので、少々ですがご助言を」
そう勿体ぶるような前置きをしたグワラニーが示したのがこれだった。
「幸か不幸か先日、ブリターニャの王族たちが大挙して攻め込みダワンイワヤで戦いになりました」
「もちろん我々が勝ったわけですが、その際に多くの捕虜をアリスト王子が奪還したことはおそらくフランベーニュの耳にも届いているでしょう。それを利用するというのはどうでしょう」
「具体的には?」
フィーネのその言葉にグワラニーは小さく頷き、それをつまびらかにする。
「交渉で会ったブリターニャの王太子に返還の条件としてフランベーニュの王太子に会える段取りをつけるよう要求した。もちろん直接話をつけることは拒絶したが、そのような機会ができるよう努力をするというところで話がついた」
「もちろんそれでうまくいかなければ話はそこで終わりだが、今回は偶然フランベーニュの王太子から顔を合わせたいという申し出があったのでそれに乗った。ということにしておけばいいでしょう」
「あくまで、諸々の事情による義務。これであれば、魔族である私たちとブリターニャの王太子の護衛であるあなたがたの接点も、それから、仲間に加えるという常識的にはありえない話ができあがっていく過程もある程度の説明はできるでしょう」
「まあ、アリスト王子に悪役になってもらわねばなりませんが」
グワラニーがその計画を開陳し、最後にそうつけ加えると、フィーネは薄く笑う。
「そもそもアリストは根っからの悪人。それくらいのことはやりかねないとフランベーニュの王太子も思うことでしょう」
「それと、紹介まではしますが、それから先はあなたがすべてを仕切ってください。フランベーニュの王太子はなかなかの曲者。なにしろ王太子を含む兄二人を合法的に排除しただけではなく、父親も隠居させ王権を一瞬で奪い取ったのですから」
「それで結構です」
フィーネは自嘲気味の笑みを浮かべる。
「とりあえず聞いておきますが、あなたはフランベーニュの王太子に会って何を話す気なのですか?」
「もちろん降伏勧告と言いたいところですが、停戦を提案でしょうか」
「フランベーニュがモレイアン川と呼ぶボルタ川の水運を止めただけで前線の補給が困難になった今回の件でわかるとおり、わざわざ二百万の敵兵に戦いを挑まなくても容易に勝つことはできる。また、我々は単独でもベルナード将軍二百万を殲滅させられる。そうなれば、他の部隊が攻勢をかけフランベーニュの王都はそれほど時間がかからずに落ちる。だが、その前に停戦すれば、相応の実りを手にして戦いを終えることができる。王位に就かずに最後の王太子として終わるのか、その才を内政に注ぎ名君の名を手に入れるのか。よく考えてもらいたいと」
「それを言って帰ると?」
「まさか。報酬を貰うのですから依頼された仕事は果たします。それに勇者とともに野盗狩りをするというのはまさに異世界の冒険譚。これを逃す手はないでしょう」
……言いますね。
……そして、この部分は本音と見ました。
……まあ、その点については私も同じようなものですが。
「わかりました。とにかくフランベーニュの王太子には旅が始まる前に会えるよう準備をしましょう」
そして、翌日。
「……行く?行くというのは勇者たちに同行しフランベーニュに行くということですか?」
グワラニーからそれを聞かされたバイアは驚き声を上げる。
見送りが妥当という結論を見事なまでにひっくり返したのだから当然である。
「……理由は?」
「ダニエル・フランベーニュが王宮で会ってくれるそうだ。これを逃す手はないだろうと思った」
「もちろんダニエル・フランベーニュと話す機会ができるのは魅力的ですが……」
「ダニエル・フランベーニュの傍には元クペル城主とミュランジ城攻防戦で我が軍を殲滅した海軍提督とその幕僚たちがいるとのこと。そして、私とフランベーニュの王太子との顔合わせには必ずその者たちが立ち会うことになるそうだ」
「我々の強さを知る者が傍にいた方が話を進めやすい。もちろんそこで決着をつけられるとは思わないが、少なくても、フランベーニュの最高権力者の為人を見ることはできるし、相手にこちらの強さを示すこともできる」
「ですが……」
「勇者の紹介で会うとなれば、我々が繋がっていることを感づかれるのではありませんか?」
「その点は大丈夫。アリスト王子に悪者になってもらう完璧な理由を用意してある。それに、それで困るのは我々ではない。当然勇者たちも確実に演じてくれる」
「心配ない。それよりも、私の留守中の指揮をよろしく頼む。バイア」
「ホリー王女は?」
「さすがに連れていけないな。留守番だ」
そして、翌日、クアムート経由で迎えに来たフィーネたちとともにフランベーニュ王国の都アヴィニア近郊に姿を現した六人。
街道から少し離れた場所であるそこは六人のうちのひとりフィーネ・デ・フィラリオの実家フィラリオ家が所有する土地である。
「あれがフランベーニュの王都アヴィニアです」
フィーネの言葉にふたりの魔族は感嘆の声を上げる。
むろんグワラニーが上げた声は遠くにその地が見えるところまでやってきたことに対するものであったのだが、デルフィンのそれは、ノルディアの王都ロフォーテン以上に洗練された建物が並ぶフランベーニュ王都に感動したものであった。
「さて、ここからは少しだけオシャレをしていきましょうか」
そう言ったフィーネが取り出したものはサングラスだった。
「これは?」
「もちろんワイバーンがせしめたものです」
むろんグワラニーはそれが何かを知っている。
だが、メガネさえないこの世界の人間にとってそれは奇妙な形をした魔道具以外のなにものでもなかった。
「……グワラニー様」
「これはどのような効能があるのでしょうか?」
……効能。
少女が口にした言葉のおかしさに笑いかけたところで、グワラニーは気づく。
これがサングラスを初めて見た者の反応なのだと。
もちろん答えるのは簡単。
だが、さすがに初めて見た者がペラペラと解説するわけにはいかない。
……任せるべきだな。
グワラニーはフィーネを見やる。
「説明していただけますか?」
「もちろん」
グワラニーの言葉にそう応じたフィーネはサングラスの「効能」の解説を始める。
「これは大海賊ワイバーンが開発したもので本来は眩しさを軽減する役割をするものです。ですが、それとともに女の子のかわいらしさを向上させるとてつもない魔道具となります。そして、これはあなたがた魔族だけに有効なのですが……」
「これをつけているかぎり目の色がわからない」
「つまり、魔族ではありますが、赤い目以外は人間そのものであるあなたがたはこれで魔族とは知られずにフランベーニュ王都を堂々と歩けるということです」
「ということで、早速この魔道具を試してみてください」
フィーネはふたり分のサングラスをグワラニーに渡す。
グワラニーは魔道具につけられたロゴを見て思わず笑みを浮かべる。
「……これは相当高かったでしょう」
「ええ」
そう言いながら別の世界で高級バッグメーカーのものとして有名なロゴを親指で示す。
もちろんその意味を知るフィーネも笑みとともに頷く。
「手数料込みでブリターニャ金貨二十枚。私の見立てではワイバーンの儲けが半分はあるでしょうが、いいものであることは間違いありません」
「なるほど。まあ、どちらにしても心して扱わなければなりませんね。では……」
グワラニーによるデルフィンへの「魔道具着用」儀式をおこなう。
そして、次の瞬間……。
「……いやいや、これは想像以上。かわいらしさが十倍。いや、百倍増しました」
「というより、大人っぽさが加わりました。あなたたちもそう思うでしょう?」
緊張を顔全体で表現するデルフィンにサングラスをかけた直後に漏れ出したグワラニーの言葉に大きく頷き、さらに評価を上書きしたフィーネが問うたのは後ろで暇そうにしている三人組だった。
だが、ハッキリ言って聞いた相手が悪かった。
「あ、ああ。似合う」
「そうだな」
「うんうん」
これぞ取ってつけたような言葉。
そして、気の利かない三人組から続けてやってきたのがこの言葉だった。
「それで、フィーネ」
「自分以外にそいつとその娘の分があるということは当然俺たちの分もあるのだろうな?その男前が上がるらしい魔法道具」
ワイバーンたちのサングラス姿を見て密かに憧れの気持ちを抱いていたファーブのその言葉は、三人を代表するものであった。
だが、三人に冷たい目を向けたフィーネはこう言い放つ。
「あるわけないでしょう。下品でガサツなあなたたちにこれをつける資格などないのです。そんな小汚い輩のために高価な品物を用意する必要性などまったく感じません」
「小汚い輩とは何たる侮辱」
「納得できん」
「同じく。それに、それでは俺たちは魔族よりも男として格下ということになるではないか」
だが……。
「まあ、当然そうなりますね。事実ですし」
「承諾しかねる」
「不当な評価だ」
「何を言っているのですか。それこそが正当な評価でしょうが」
「そもそもあなたたちがこれをつけたら、その瞬間これの価値が半分になるではありませんか」
フィーネが三剣士を言葉で甚振っている脇ではこのような会話が交わされていた。
「このガラスはすごいです。これだけ黒いのによく見えます。これだけの透明な……透明ではないですが、反対側が見えるガラスがあるのですね」
「そ、それでグワラニー様も早く……つけてみてください」
「わかりました」
そして……。
「素敵です。本当に素敵です。グワラニー様」
……背中が痒くなりそうです。
右耳から聞こえてくる少女の甘ったるい言葉にフィーネは心の中でそう呟いた。
「では、出発しましょう」
フィーネの言葉とともに六人はアヴィニアまで移動する。
徒歩で。
もちろんフランベーニュ人であるフィーネがいるのだから、転移魔法で一気に移動することは可能である。
だが、転移魔法最大の弱点である転移直後の攻撃は防ぎようがない以上、安全を優先させるならば徒歩での移動こそ選択すべきもの。
もちろんグワラニーもデルフィンも文句を言うことはない。
特にデルフィンはグワラニーと手を繋いで歩けるのだから文句があるはずがない。
大歓迎。
口には出さないがデルフィンの顔にはそう書いてある。
一方、そうでないのは例の三人。
六人分の荷物を三人で持つ。
それだけも納得いかないところに、そのうちのふたりは敵である魔族というおまけまでつくのだから口から出るのは文句ばかりというのは仕方がないところであろう。
そして、二セパ、別の世界で三時間弱後。
この世界には存在しない妙なもので目を覆った三人と仏頂面の三人という六人組が王宮の門の前に到着する。
当然のようにやってくる門番の誰何。
それに対して、フィーネは自身の実家の名と、王太子の署名入りの書を示す。
もちろん怪しげなふたりも含めて無事王宮へと入ることに成功したわけなのだが、実をいえば人間と魔族の戦いが始まってから魔族の者が一国の王宮に入ったのは初めてのことになる。
つまり、大袈裟にいえばこれは歴史的快挙。
ちなみにその逆はすでに元ノルディア人ふたりと、ブリターニャの王女が果たしている。
さて、王宮内の一室に待つこと二十ドゥア。
ついにこの国の最高権力者が待つ部屋と案内される。
こうして、魔族軍の将とフランベーニュの最高権力者が顔を合わせるわけなのだが、むろんその一方はこの時点ではまだ相手が誰かはわかっていない。
当然のように六人の男女が入室した瞬間、男は顔を顰める。
「……誰だ。あれは」
その男ダニエル・フランベーニュが想定していたのは、旧知の間柄でもあるブリターニャの王太子ブリターニャの王太子アリスト・ブリターニャ。
だが、やってきたのはまったく知らぬ者。
しかも、彼に同行しているのは報告どおり、どう見ても子供。
まったく知らぬ者。
だが、この程度のことで動揺していては足元を見られる。
それに、わからなければ、名乗らせばいいだけのことではないか。
どうにか気持ちを立て直したダニエルが口を開く。
「わかっているとは思うが、私が今回の仕事を依頼したこの国の王太子で宰相も兼任しているダニエル・フランベーニュである」
「フィーネ嬢をはじめとした他の四人は知っているが、新しく加わった者は記憶にない」
「どこかで会っていたら申しわけないだが、名乗っていただけるかな?」
相手がどこかの国の王族という可能性もあるため、とりあえず言葉を選んでいるが、簡単に言えばサングラスを外して名乗れと言っているわけである。
むろんそのつもりであるグワラニーはそれを拒むはずがない。
薄い笑いとともにそれに応じる。
「承知しました。では……」
「お初にお目にかかる。フランベーニュ王国王太子ダニエル・フランベーニュ」
「私の名は……」
「アルディーシャ・グワラニー。あなたがたと交戦中の国の将である。そして、隣にいるのは私の部隊の副魔術師長デルフィン・コルペリーア。並みの記憶力を持っていれば知った名だと思うのだが、いかがかな」
もちろんその名は知っている。
いや。
自分だけではなくフランベーニュ人なら子供でも知っている。
自国の英雄アポロン・ボナールとその配下を皆殺しにしたこの国にとって最大の敵のものとして。
その男が宮殿に乗り込んできたのだ。
なぜ来た?
どうやって?
兵士たちは止めなかったのだ。
多くの思いが絡み合う。
うろたえるダニエルとは対照的にその若い男は冷静そのもの。
「信じられないようですから証拠をお見せしましょう」
言葉にならないダニエルの疑問に軽やかに答え、それを示すようにサングラスを外す。
赤い目。
すなわち魔族。
さらに……。
「お久しぶりです。ロバウ将軍。ロシュフォール提督」
ダニエルの脇に立つふたりの男に声をかける。
「本物か?」
「残念ながら」
希望虚しく、肯定の言葉が戻ってくる。
終わりだ。
ダニエルは悟った。
魔族の将が最強の魔術師を伴ってやってきたのだ。
当然目的は自分の命。
命乞いを。
この状況で何を差し出そうが許されるわけがない。
仕方がない。
「……ひとつ教えてくれ」
「なぜブリターニャの王太子の護衛が魔族の将軍を同行させているのだ?」
「もしかして、アリスト・ブリターニャは魔族と手を組んだのか?」
「そして、私とフランベーニュを魔族に売ったのか?」
……まあ、この状況に出くわせば当然そう思うだろうな。
グワラニーは心の中でダニエルを憐れむ。
だが、口にしたのはまったく違う種類の言葉だった。
「とりあえず、忠告しておく」
「王太子を守る。その忠義の心は賞賛に値するが、我々もここまで来たのは新王太子の貢物になるためでもボナール将軍の敵討ちをさせるためでもない。どのような者でも手を出したら戦いの開始と判断する」
「言っておくが、こちらにはボナール軍四十万に加えて先日もアマラでキュースティーヌ将軍率いる三十万の兵士を殲滅させた魔術師と、勇者を探す選考会なる余興でその実力を示したフィーネ・デ・フィラリオと、勇者に匹敵する剣技を持つ三人の剣士がいる」
「その気になればこの部屋どころかこの王宮の全員だって一瞬で葬れる。本当に王太子を守る気があるのなら動かないことだ」
完璧なフランベーニュ語によるブラフ。
それは騒ぎを聞きつけて大慌てでやって来た護衛の兵士や宮廷魔術師を凍らせるに十分なものだった。
「おい、ファーブ。こいつは今どんなハッタリを噛ましたのだ?」
「知るか。だが、こいつら全員が青くなったところを見ると、相当なことを言ったのだけはわかる」
「こっちは最強の魔術師がふたりとポンコツ剣士が三人いる。死にたい奴からかかって来いと言ったのです」
フランベーニュ語が達者ではないブランはファーブに尋ねるものの、ブランと同じくらいしかフランベーニュ語を理解していないファーブが速攻で質問を突き返す。
そして、それを聞いていたフィーネが別の世界に存在する物語内でこのような場面になったときの常套句をつけ加えて翻訳する。
だが……。
「……ということは、俺たちはこいつの仲間、というか、子分になったようなものではないか」
「御免被る」
「同じく」
「残念。手遅れね」
グワラニーの後方でおこなわれた小さい笑劇が終了して直後、ダニエルが口を開く。
「とりあえず要求があれば聞こうか」
手を出せば即戦闘開始。
それはすなわち死に直結する。
だが、手を出さなければ、助かる可能性は多少ではあるものの、残っている以上、ダニエルとしては部下たちに剣を引かせ、交渉に活路を見出すしかない。
……よろしい。
そもそもダニエルの排除を目的にやってきたわけではないグワラニーは相手が望む土俵に上がってきたことを確認しニヤリと笑う。
「一応訂正しておけば、先ほどはあのように言ったが、三人は私の部下でもない。簡単に言ってしまえば、止むを得ず付き合っているだけだ」
「フィーネ。なんと言った?」
「あなたたちは部下ではない。成り行きでこうなったと言っています」
「そうだ」
「まったくいい迷惑だ。おい、魔族。もう少しそこを強調しろ。俺たちの明るい未来のために」
フィーネにグワラニーの言葉を翻訳してもらうと三人がその言葉が正しいことを示すように大きく頷く。
背後の言葉に思わず笑みをこぼしながらグワラニーはさらに言葉を続ける。
「すべての元凶はブリターニャの王太子アリスト・ブリターニャだ。といっても、アリストの王子も被害者のひとりなのだが」
そこまで言ったところでグワラニーはダニエルに目をやる。
「アマラの戦いの前に我々はブリターニャにも勝利している。ご存じか?」
「もちろんだ」
「そこで我々は大量の捕虜を手に入れた。その中に王子がひとりいた」
アイゼイヤとかいう奴だったな。
グワラニーの言葉をダニエルは自身の情報とすり合わせる。
たしかその後に王都に戻れたはずだが。
まるでダニエルの心の声が聞こえたかのようにグワラニーはその続きを口にする。
「実はあの時、六人の王子が戦闘に参加していたのだが、そのうち四人が戦死した。戻って来たのはひとり。戦闘に参加しなかったアリスト・ブリターニャを合わせても王子はふたりだけになったブリターニャ国王は捕虜となった王子を取り返すために交渉に乗り出す」
「ブリターニャの代表はアリスト・ブリターニャだったのだが、捕虜になった王子の代わりにブリターニャ王が差し出したのはひとりの王女。といっても、それを要求したのは私だったのだが」
「そして、交渉は成立し王子は王都に帰還できた。だが……」
「生贄となったその王女というのはアリスト王子の実妹」
「王の命とはいえ、アリスト王子がどんな気持ちだったのかは想像つくだろう」
「当然王子は引き渡しの際に妹に手荒なことはするなと言ってきた。そこで私は条件を付けた」
「フランベーニュの最高権力者と話し合いが持てる場を用意せよ。それができるのなら考える。だが、できないのなら、王女は生きていることを後悔するくらいの辱めを与えると」
「そこに降って沸いたような今回の話。というわけだ」
くそっ。
ダニエルは王族らしくのない言葉を心の中で吐き出した。
もちろんそれはグワラニーの書いた事実が半分ほど含まれる茶番劇のシナリオ。
だが、話に矛盾ないうえ、目の前に起きているありえない事実。
裏事情を知らない者にはその言葉を信じる以外の選択肢は残されていなかった。
「もう一度言う。そこまでして私に会いたいと言うのだ。それなりに目的があるのだろう。望むものは何だ」
「もちろんフランベーニュの最高権力者ダニエル・フランベーニュの命。当然であろう」
即答によって助かりようがない状況にダニエルの顔から血の気が引いていく。
だが、ダニエルにとって予想外の言葉がそれに続いた。
「と、言いたいところだが、それは別の機会にしようと思う」
「今日は単純に顔を見て少し話をするだけだ」
「それに……」
「今回の件は野盗に荷馬車が襲われ、前線に食料が届かずベルナード将軍率いる前線の将兵が困っていることに対する対策。すでに私もその前金の一部を貰っている。金だけを貰い仕事をしないどころか依頼主を殺したのでは野盗と同じになる」
「まあ、そういうことでせっかく顔を合わせたのだ。少し話をしようではないか。フランベーニュ王国の王太子兼宰相であるダニエル・フランベーニュ」