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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十三章 勇者を雇おう
273/378

勇者選考会

 多くの思惑が絡み合った勇者チームにグワラニーが参加するというありえない話であるが、それもこれも勇者チームがフランベーニュ王都でおこなわれる選考会に参加し合格しなければ絵に描いた餅となる。

 むろん実力的には問題ないだろうが、選考基準に政治的要素が加わってくると必ずしもそうとも言い切れなくなる。

 なにしろフィーネはこの国の貴族界最高の地位にあるフィラリオ家の一員。

 当然フィラリオ家から娘にそんな危険な仕事はやらせられないと待ったがかかるかもしれないし、貴族の女性にどこの馬の骨ともわからぬ男たちと何日も野宿させるようなことを強制するのはいかがなものかという意見も出るだろう。

 さらに、ダニエルが天敵であるアリストがいないことを、これ幸いとばかりに自身の王宮に招こうとするかもしれない。


「まあ、どうなるかはわかりませんが、とりあえずその選考会とやらに参加しなければ何も始まりません」


 実家からの圧力があるかもしれないというアリストの言葉にそう答えたフィーネは予定通り、ファーブたち三剣士とともにフランベーニュ王都アヴィニアへ向かった。


 そして、それからまもなく。


「五日後、王太子臨席のもと選考会をおこなう。選考方法は実技。剣士は一対一の模擬戦。魔術師は一対一の魔術戦とする」


「剣士の相手はミュランジ城攻防戦で大きな功を挙げた海軍のふたりの准提督アンセルム・メグリース、シリル・ディーターカンプ。魔術師の相手は同じくミュランジ城攻防戦で魔族軍魔術師団を殲滅し勝利に貢献した海軍の魔術師オートリーブ・エゲヴィーブが務める」


「模擬戦には木製剣を使うが、力量を測る以上審査官も全力でいく。命の保証はしないので、それを承知のうえで臨むこと」


 簡素ではあるが、その分間違えようの文面で公示されたその布告文で申込者の大部分が消える。

 それでも当日会場となるサンブール広場に集まったのは四十八組の自称猛者。


「期待できそうだな」


 主賓となるダニエル・フランベーニュはそう呟いた。


 一応、世間で知られている勇者の情報はこのようなものである。


 勇者は三人の剣士のひとり。

 この三人はともに剣の達人で大剣や戦斧を使用する怪力の持ち主である。

 さらに男女ひとりずつの魔術師が加わり、五人組の集団である。

 女性魔術師は「銀髪の魔女」と呼ばれているとおり、長い銀髪で魔女と呼ばれている。

 また、彼女は非常に若く胸が大きく、また剣の扱いにも慣れている。


 実は勇者についてわかっているのはこんなところで、メンバーの名前もわかっていない。

 そういうことで、勇者一行を識別する際にまずその目が行くのは外見からもよく目立つ女性魔術師ということになる。


 今回の選考会も、その見た目を気にするのであれば、五人のメンバーを揃え、そのうちのひとりが銀髪の女性魔術師ということになる。

 むろん体裁を整えようとすればそのような女性をメンバーに加えなければならず、実際にそのような努力をした者たちも多くいたのだが、見た目はともかくその強さを持っている者などいるはずもなく、結局外見上で勇者一行に完全に一致する参加者は一組もなかった。


 この選考会は勇者を選び出すもの。

 本来であれば、この時点で全員失格となる。

 だが……。


「……体裁を気にするよりもまずは実力だ。つまらぬ基準で参加者を振るいにかけることがないように」


 ダニエルのその言葉によって、メンバー構成によって選考はおこなわれず、すべては実地試験で決められることになる。


 魔術師より圧倒的に数が多い剣士の選考はふたつの会場でおこなわれるが、試験官役のアンセルム・メグリース、シリル・ディーターカンプによって参加者は次々に打ちのめされ、失格者が生産されていく。


 一方、剣の試験会場から少し離れた場所でおこなわれたエゲヴィーブが審査官を務める魔術師たちの選考は淡々と進んでいた。

 メグリースとディーターカンプとは違い、その主旨を十分に理解していたエゲヴィーブは自身の前で防御魔法を発動させる、それだけでその実力を判断していた。

 ただし、こちらも実力不足の者ばかり。

 いや。

 剣士たちよりもさらに数段階レベルが低かったのだが、これはある意味仕方がないことだといえるだろう。

 なにしろ人間の世界には魔族国の長老たちが所持する秘宝、すなわちその者が魔力を持っているかを測る鑑定器がない。

 つまり、その素養は偶然その能力が発動したときに発見されるもの。

 発見されれば即軍に徴兵されるので、女性を除けば、魔力を持ちながら軍に属さない者など本当の流れ者以外にはほんの僅かになる。

 しかも、その数少ない者もほとんど専門的な修行を受けていない。

 そうなれば、伸びるものも伸びない。


「……とりあえず、数を手に入れるためにそれなりの防御魔法を展開でき、攻撃魔法と転移魔法が使えるというところまで合格基準を下げるしかないか。まあ、そんなことをせずとも合格する者もいるわけなのだが……」


 独り言としてそう呟いたエゲヴィーブは最後方に立っている白い甲冑姿を黒髪の女性を見やる。

 そして、その人物の順番。


「一応尋ねますが……」


「どのような理由でここに?」


 試験官と受験者とは思えぬ言葉にはなるが、自身と目の前にいる女性の序列は例の一件ですでについている。

 できるだけ穏便に、かつ短時間で終わりにしたいというエゲヴィーブの気持ちがよく籠った問いといえるだろう。


「もちろん小銭稼ぎです」


「ひとりですか?」

「いいえ。従者が三名ほど」

「なるほど。では、合格」

「いいのですか?なにもしないうちから合格にしてしまっても」

「白々しいことを……」


 女性の嫌味をどうにか躱したエゲヴィーブは一息つく。

 だが、あらぬ方向からそれに対する非難の声が次々と上がる。


「知り合いかもしれないが、審査はやるべきだ」

「金をもらったか」

「不正行為」

「その女が合格であることを我々にもわかるように示せ」


 無駄な時間をかけたくないエゲヴィーブは嵐が収まるのを待った。

 だが、その声は止むどころか大きくなるばかり。


 止むをえまい。


 心の中でそう呟いたエゲヴィーブが口を開く。 

 エゲヴィーブは黒髪を靡かせる女性をもう一度眺める。


「では、見物人の要望だ。特別に試験をやることにしよう」


 エゲヴィーブは最初に声を上がった方向を見やる


「この女が合格であることに不満がある者は前に出ろ」


 八人の男と三人の女が前に出る。

 もちろん全員が先ほど試験を受けた魔術師。

 といっても、全員落第だからそれ相応の実力なのだが。


「おまえたちの最大の防御魔法をこの者が破ることができれば合格としよう。それで、よろしいな」


 十一人の男女が頷くのを確認すると、エゲヴィーブはその様子をせせら笑う女性に目を向ける。


「そちらもよろしいな」

「もちろん」


「では、始める。防御魔法を展開せよ」


 十一人は杖を取り出し、防御魔法を展開する。


「準備ができたようだな。では、攻撃魔法を」


 その女性が視線を向けた直後十一人の魔術師が十一人の元魔術師になる。

 まさに一瞬の出来事だった。


「これでいいでしょうか」

「もちろん私はいいが、これでも文句のある者はいるなら続けて試験をやるのだが」


 むろん誰も名乗り出る者はいない。

 エゲヴィーブは女性を見やる。


「ということで、改めて合格だ」


 人肉の焦げた匂いのするその場でそう宣言したエゲヴィーブにその女性が声をかける。


「こちらの用が済んだようなので向こうに行きます」


 そう言ってまだまだ時間がかかりそうな剣士たちの選考会上を視線で示す。


「仲間を迎えにいくと?」

「まさか。私も参加するのですよ。あれに」


 その瞬間、声にならない声が上がる。

 

「警告しておけば、向こうの試験官は海軍の猛者。手加減というものを知らない。たとえ相手が女性であっても本気でくる」

「こちらこそ望むところ。負けた言い訳に相手が女だったから手加減したと言われたくないですから」


 そして、同じ頃、剣士の選考会でも動きが出た。

 順番が回ってきたところで兄弟らしいふたりの剣士が大声を出し口論を始めたのだ。


「兄貴。今日こそは俺が先だ」

「いや。申し込み順は俺が先なのだから俺が先に決まっているだろうが」


 揉めている剣士とはもちろん勇者の言う糞尿兄弟。

 そして、ふたりの揉め事の原因はその順番。

 どちらにしても戦えるのだから、順番などどうでもよさそうなものであるのだが彼らにとってこれは非常に重要なことであった。


 あの程度なら一瞬で倒せる。

 しかも、戦闘不能にすることも容易い。

 そうなれば戦えるのは最初のひとりだけ。

 そうであれば、何が何でも最初でなければならない。


 だが、それはあくまで本人たちの話であって、相手には関係ない。


「早くしないと失格にするぞ」


 待ちくたびれたメグリースから当然すぎる声がやってくる。


「少しだけ待て」


 弟剣士はとりあえずそう応じるが、もちろん彼も彼の兄も順番を譲る気はない。

 当然このままではふたりとも不合格になる。

 手っ取り早く順番を決めねばならない。


 弟剣士がブリターニャ金貨を取り出す。


「これで決めよう、ちなみに俺は表」

「では、裏」


 そして、出ていくのは兄剣士。

 その若者が口を開く。


「待たせて申し訳なかった。ところで……」


「あんたが得意なのは剣か戦斧か」


 その言葉をメグリースは鼻で笑う。


「それは試験官である私の言葉だ。だが、一応答えておけば、戦斧だな。海軍の兵は海賊相手に戦わなければならないが、奴らの主要武器は小型の戦斧だから」

「なるほど。わかった」


「では、戦斧で」


 メグリースの言葉に納得するように大きく頷いたその男は渡された武器の中から戦斧を数本選び、その中の一本を手にする。


 ……生意気なガキだが、手にしたのは一番重い戦斧。ハッタリでなければ相当やるということか。


「所属と名を聞いておこうか?」

「名はマロ。所属は……」


「少し前はフィ……フィラリオ家で雇われていた。まあ、臨時だが」


 一方は生意気なガキに礼儀を教えてやろうと意気込み、もう一方は相手を圧倒することだけを考えている。


「来い」


 メグリースのその言葉でふたりの模擬戦が始まる。

 それと同時にやってきたマロの一撃は空を切る。


 軽く。


 傍目にはそう見えた。

 だが、実際にはメグリースがどうにか躱したといえるものだった。


「マロといったな。どこで戦斧を習った?」

「倣ったことはない。ただ、あんたと次にやる弟、それから別の会場にいるもうひとりと毎日鍛錬はした」


「話はそれだけなら行くぞ」


 その言葉とともにマロの戦斧が迫る。


 いくつかは受け止め、その他は躱す。

 だが、防戦一方でとても反撃には出られない。


 これは勝てない。


 そう思った瞬間、マロの戦斧が止まる。


「やめだ。これだけやればいいだろう」


「本来であれば、最後までやるところだが弟が後ろにいる。奴にも戦わせないと後で喧嘩になる」


 そう言って戦斧を曲芸師のごとく片手でクルクルと回す。

 そして……。


「ブラン。一点貸しだ」


 そう言って木製ではあるがそれなりの重さのある戦斧を放り投げ、弟はそれをまるで小枝のように軽く受け取ると黒い笑みを浮かべる。


「兄貴も随分と優しくなったものだ」


「てっきり一撃で仕留めるのかと思ったのに」


「言っておくが俺は兄貴程甘くない」


「殺しはしないが痛い思いはしてもらうぞ。おっさん」

「言ってくれるな。小僧」


「とりあえず所属と名を聞いておこうか」


「ブラン。所属は兄貴と同じ」


 メグリースの問いにそう名乗ったブランはニヤリと笑う。


「早く始めろ」


「では、開始」


 その言葉とともにブランの戦斧が唸りを上げ、メグリースに迫る。

 軌道とスピードから避けられないと判断したメグリースは戦斧で受ける。

 いや。

 受けようとした。

 だが、吹き飛ばされる。


「つまらん。一撃で終わりか」


「だが、武器を持たない奴を叩きのめしても面白くない。許しやる」


 どちらが試験官かわからぬ捨て台詞とともに判定も聞かずブランはメグリースに背を向ける。


 屈辱的な言葉以上に、圧倒的な力の差。

 まだ痺れが残る手を睨みつけながら、メグリースは言葉を吐きだす。


「ひとつ聞いてもいいか?」


「なんだ?」


 いかにも面倒くさそうにブランが振り返る。


「ふたりと戦った感想だ。たしかに強い」


「仲間がもうひとりいると言ったが、もうひとりもおまえたちと同様に強いのか?」

「そうなるな。だが、仲間で一番強いの奴ではない。本当に強いのは……」


 そう言ってブランが視線を動かした先には白い甲冑姿の女性。


「どう見ても女だが」


 メグリースの言葉にブランが頷く。


「だが、強い。特に剣速がすごい。だから、模擬戦をやっても勝てない」


「もしかして実戦ではおまえたちのほうが上と言いたいのか?」

「まさか」


「実戦というのは何を使ってもいいのだろう。そうなったら俺たちに勝ち目は完全になくなる。兄貴もそう思うだろう」

「ああ。だから、俺はやらん」


「そういうことだ。とにかく、あんたは相手が俺たちだったことを感謝すべきだ」


 そして、「自分たち同じくらい強い」というブランの言葉を証明するように、まもなく始まったファーブとの模擬戦でディーターカンプは数合も経たぬうちに戦斧を叩き落とされる。


「……ディーターカンプもやられただと」


 ロシュフォールは呻く。


「誰だ?あれは」

「すぐ確認させろ」


 ロバウとダニエルの言葉にそこに控えていた文官たちは大慌てで会場に飛んでいく。

 そして……。


「フィラリオ家に一時的雇われていた者?」

「本人たちはそう言っております」


 続いて文官はその名を告げると、ダニエルは呟く。


「ファーブ、ブラン、マロ?どこかで聞いたことがあるような……」


 そこに試験を終えたエゲヴィーブが戻ってくる。

 そして、ぼやく。


「どういうつもりかは知らないが、ブリターニャの王太子の護衛たちが参加している」


 そこでようやくダニエルは思い出す。

 後に王位継承戦ともいわれることになるソリュテュード平原会戦の際に父王を暗殺者集団から救った三人の剣士のことを。


「……あのときの護衛か。ということは?」


「ああ。女魔術師も来ていた。当然合格だ。ついでに、言いがかりをつけた馬鹿を十人ばかり一瞬で灰にする余興まで見せてくれた」

「それで、彼女はどうした?」

「剣の実技も受けるとか言っていたが……間に合わなかったようだな」


「……それで、三人の剣士の強さはどの程度だったのかな…………」


 そう言ったエゲヴィーブはそう言って上官に視線を向けると、その男はため息交じりにその答えを口にする。


「メグリースとディーターカンプに圧勝だ。しかも、あの様子では相当手を抜いていた」


「つまり、さすが四人だけでブリターニャの王太子の護衛をしているだけのことはあるということか」


「だが……」


「彼らはブリターニャの王太子に雇われている者。フランベーニュの現状を見せることになる。しかも、金を払って」

「だが、それは将来的なことだ」


 エゲヴィーブの言葉にダニエルはそう言葉を吐きだす。


「他の合格者だけで補給路の安全が確保できるのならいいが、どうかな?ロバウ将軍」

「無理ですな」


「では、彼らを雇い、輸送隊の本格的な運用に先行させて野盗狩りをおこなわせてはどうでしょう」


 それはロシュフォールの提案だった。


「我々海軍も定期的に海賊狩りをおこなっています。まあ、彼我の実力を考えれば大海賊を狩るのは無理ですが、海運の被害の多くは小物海賊によるものですから効果は十分にあります。それと同じように……」

「野盗や山賊を狩り、数を減らすということか」


「わかった」


「では、そういうことならこうしよう。彼らを含めて合格した者たちで小さな隊商を組み、出てきた野盗を狩り尽くす。完全にいなくなるということはないだろうが。損害は大幅に減らせる」


ダニエルが決定を下してからまもなく。


「……野盗の掃討ですか」


 選考会の合格とともにすぐに言い渡された仕事にフィーネはやや不満そうな表情を浮かべる。


 ……合格は十組程度ということでしたので、とても毎日送り出す荷駄の護衛を請け負うには全然足りない。

 ……そういうことであれば、野盗狩りをしてほうが手っ取り早い。

 ……悪くないです。


 ……ですが、この男の横柄な態度は気に入りません。

 ……少し遊んでやりましょう。


 目の前の男のいやらしい視線を撥ねつけながら黒い笑みを浮かべたフィーネが口を開く。


「……まあ、それを受けるか受けないかは条件次第ですね」


「野盗だの山賊だのがいる場所にいくのです。半端な報酬では受けられないのは当然でしょう。それに、勇者にふさわしい報酬を用意すると言っていたのです。ケチな金額なら当然蹴り飛ばします」


「いったい、報酬はいくらでしょうか?」


「……やはり、金か」


 フィーネにそう返した男の名はクロアジー・シェルセーヌ。

 男爵という爵位を持つ文官である。

 そして、絵に描いたようなクズ貴族。


 つまり、自身より上位の者、特に爵位の上にある者には媚びへつらい、爵位のない下級貴族や平民を見下す。

 さらに、この世界の潮流である男尊女卑の思想にどっぷりと浸かる。


 当然女性であるフィーネが男である自分に対しての言葉遣いが気に入らない。


 この男は何も知らない。


 彼女や彼女の仲間が審査会場で何を披露したか。

 そして、彼女が誰の娘なのかということも。


 優雅曲線を描くフォルムを舐めるように見回したところでシェルセーヌは呟く。


 だが、いい女であることは認める。

 そういうことなら……。


 無知とは恐ろしいものである。

 すべての点で手を出してはいけない相手に言ってはいけない言葉をかける。


 それがどのような結末をなるのかも考えもせずに。


 「さて……」


 シェルセーヌがもったいぶるように咳払いをする。

 そして、重々しく言葉を語り始める。


「もちろん本当の勇者が現れたらふさわしいものを出すが、おまえたちも他の者も勇者ではない。つまり、報酬はおまえたちにふさわしいものとなる」


「まあ、私が口添えをしてやれば多少は余計にもらえるかもしれないが、それには条件がある」

「聞きましょう」

「おまえが私の女になるということだ」


 その瞬間、フィーネの後ろにいてふたりの話を聞いていたファーブたちは一斉に頭を抱える。

 むろんこれからどうなるか想像がついたからだ。

 三人は顔を上げお互いに顔を見合わせる。

 そして、視線で代表に指名されたファーブが口を開く。


「あんた。それはやめておいたほうがいいぞ」


 むろんファーブたちはシェルセーヌの身を案じたわけではなく、単純に余計な揉め事に巻き込まれたくなかったからなのだが、残念ながらその思いはシェルセーヌには届かなかった。


「黙れ。小汚い小僧が黙っていろ」


 ファーブを睨みつけ怒鳴り散らすと、もう一度フィーネに目をやる。


「それで、返事を聞こうか?ちなみに私は男爵だ。不自由はさせない。こんな仕事などやめれば、すぐに屋敷のひとつも与えるぞ。どうだ。悪くない話だろう」


 ……やはり貴族ですか。

 ……ですが、貴族だの王族だのという生き物はやはりこうでなければいけません。

 ……清廉な貴族などまったく魅力的ではありませんから。


 そう呟いたところでフィーネの視界にある男が入る。


 ……これはいい。


「男爵の愛人ですか。私があなたの要求に応じれば屋敷が与えられ不自由もしなくて済む。確かに悪くないですね」


「ですが、私はフランベーニュからの依頼を受けようとしている身。そして、男爵様はその伝えに来た方。よろしいのですか?そのような話をして」

「構わん。仕事は後ろにいる小僧たちにやらせればいいだろう」

「なるほど」


「だそうですが、どうしたらいいでしょうか?ダニエル殿下」


 そう。

 もちろん視界に入っていたフィーネは知っていたが、フィーネを口説くのに集中していたシェルセーヌは気づかなかった。

 シェルセーヌの背後にこの国の最高権力者が迫っていたことを。

 そのためフィーネのわざとらしい誘いの言葉に乗ってしまった。


「ダニエル殿下?」


 その言葉とともに慌てて振り返ったシェルセーヌが見たのは、黒い笑みを浮かべた宰相兼王太子である男だった。

 その男が口を開く。


「その女性が魅力的だということはわかる」


「だが、自身の欲望を私の命令より上位に置くのは感心しないな。男爵」


「当然ではあるが、この程度の使い走りもできないようでは王宮では働けないな」


「何もわかっていないようだから、ついでに説明しておけば、彼女は非常に有能な魔術師。というより、この国最高の魔術師だ」


「そして、フィラリオ家の次女でもある」

「フィラリオ公爵の令嬢……」

「そうだ。その公爵の令嬢に対して、自分の愛人になれと言っていたように聞こえたのだが、聞き間違えかな。男爵」


 それを肯定しては取り返しがつかないことになるのはあきらか。

 当然シェルセーヌは答えない。

 いや。

 答えられない。

 沈黙を決め込むシェルセーヌの代わりにダニエルの問いに答えたのはフィーネだった。


「ハッキリそう言っていました。屋敷を用意するとか、不自由はさせないとか」

「なるほど」


「当然公爵家にもこの一件は伝えるが、それについては公爵の判断に任せるとして、私の命を蔑ろにした件について問おうか」


「どう責任を取る?」

「……報酬返上。それから謹慎を……」

「甘い」


「次期国王の命令を無視、しかも、その理由が自身の欲望ということであれば、罪を軽くする理由はない」


「死刑」


「と言いたいところだが、全財産と領地を差し出せ。それで命だけは救ってやる。近日中に書面で通知する。それまで自邸で謹慎していろ」


「下がれ」


 弁解の機会も与えらぬまま、シェルセーヌは項垂れてその場を去ると、唾を吐き出しそうな表情でその男の見送ったダニエルがフィーネに頭を下げる。


「奴は爵位の爵位以外にはまったくと取柄のない男。爵位持ちだから文官組織のなかでそれなりの地位にあったのだがなにしろまったく使えない。ただ飯食いの見本。報酬を払っているのだから何かしらの仕事をと思ったがすべてダメ。仕方なく地位の高い方に対しての使いという仕事を与えていたのだが、それすらできないとは」


「本当に失礼なことをした」

「構いません。たしかに失礼極まりないことですが、それはすべて男爵のおこないであって王太子殿下がそこまで謝罪することはないでしょう」


「それよりも……」


「男爵に問い質した報酬のことをお聞きしたいものです。男爵によれば、私たちの最初の仕事は野盗狩りだそうですが……」


 そう言ったフィーネは後ろに並ぶ三人の若者に目をやる。


「アリストはここに来るにあたってこう言いました」


「最低でも自分が払っている報酬以上は貰うべき。そうでなければ依頼は断るようにと」


「マロに尋ねます」


 フィーネが指名したのはリーダー格のファーブではなく糞尿兄弟のひとりだった。


「アリストは私たちにいくら払っているかしら」

「ひとり一日あたりブリターニャ金貨十枚。戦いになった時にはそれとは別に最低ブリターニャ金貨三百枚」


 即答である。


 ちなみに、ブリターニャ金貨一枚はフランベーニュ金貨十枚と等価というのが多数の通貨を扱う商人国家であるアグリニオン国の為替レートとなる。

 ついでにいえば、グワラニーが金の含有量から割り出したレートでは魔族金貨の十分の一の価値があるブリターニャ金貨は別の世界にある某国の一万円程度としている。

 その価値をそのまま流用すれば、マロの言う、自分たちの日当は十万円、臨時ボーナスは三百万円以上。


 単位を利用した某国でさえ、これだけ貰えれば立派な高給取りと呼べるのだから、経済水準が低いこの世界であればどうなるのかはいうまでもないだろう。


 では、これだけの報酬を貰いながら彼らは毎日のようにアリストをケチだと罵っているのかといえば、違う。

 といっても、違うのはマロが口にした報酬であるのだが。


 そう。

 実際に支払われている日当はこれの十分の一。

 臨時ボーナスに至っては雀の涙。


 これなら非難されても仕方のないところなのだが、実はブリターニャ軍兵士に支払われる報酬はこれよりもさらに低い。

 当然他国もそれは同様である。

 傭兵となれば、それよりは多少上がるものの、マロたちの報酬よりかなり少ない。

 払う側としては十分に支払っていると主張するのもわからなくはないところではある。


 ちなみに魔族軍兵士の待遇はこれよりも圧倒的によい。

 それは魔族の国の中でも非軍人に比べても驚くほど高収入である。

 さらにグワラニーの部隊のように戦果を挙げ続けていれば戦勝ボーナスも相当入る。

 しかも、兵士たちの報酬にはどれだけ稼ごうが税は一切かからない。

 つまり、魔族の国の民にとって戦争に参加するということは非常によい商売なのである。


 徴兵によって強引に戦場に引き出された兵とやる気満々の兵士。


 魔族軍兵士が強いのはこの辺に由来しているのかもしれない。


 さて、そういうことでマロが口にしたのは、もはや水増しなどとは呼べないレベルのとんでもない虚偽申告。


 そう。

 あの時フィーネがファーブでもブランでもなく、マロを選んだ理由は、金にシビアというだけではなく、三人の中で一番応用力があるからだった。

 これがファーブやブランなら素直に貰っている金額を白状しているところ。

 ここで高額の報酬を設定すれば野盗退治の報酬もとんでもないものになると一瞬で悟り大きく吹っ掛けたマロと、そのマロを選んだフィーネの勝利といえるだろう。


「……随分と払っているのだな。アリスト王子は」


「いや。彼らの力を考えれば、安いといえるくらいだ」

「私もそう思います。彼らはひとりで数十人分は働きそうですから」


 自身の率直な感想は、同行してきたエゲヴィーブとロバウによってあっさりと否定され、納得せざるを得ない状況になったダニエルは渋々であるが、そのアドバイスに従って算定を始める。


 もともと文官たちが策定していたのは、往復で六十日ほどかかるとされる仕事の報酬は金貨百枚を前払いで支払うとされていた。

 しかも、これは一隊あたりで、四人で割れば二十五枚。

 そこに成功報酬として金貨二百枚が追加される。

 一往復でひとりあたり金貨百枚にも満たない。


 一方、マロの申告に基づいた報酬と同額となった場合、一日あたり金貨百枚。

 六十日間で六千枚。

 それの四倍。

 さらに、野盗狩りにおこなうとなれば金貨一万枚以上が消える。


 だが、色々な意味でここはケチるわけにはいかない。


「では、こうしよう。他の傭兵たちに支払うものとの兼ね合いがある。日当は往復合計金貨二千五百枚でお願いしたい。ただし、それなりの成果を挙げることを前提に野盗狩りの成功報酬は金貨二万枚を用意する」


 ……どうやら相当奮発したようですね。


 ダニエルがその言葉を口にした瞬間、背後に控える文官たちの顔色が青くなったのを楽しそう見ながらフィーネが呟く。


 むろん条件に不満はない。

 だが、ここでその感情を表に出し簡単に応じてしまっては、虚偽申告がバレて減額されかねない。


「……個人的には少し安い気もしますが、これで受けるか仲間と確認します」


 そう言ってダニエルたちに背を向け三人の剣士に近づく。

 もちろんこの時にはファーブたちにもフィーネの意図は伝わっている。

 嬉しさをどうにか押し殺したというような表情で彼女を迎える。


「詳細はともかく報酬はあれで十分でしょう」


 むろんフィーネの言葉に三剣士は承知する。


 それからまもなく。


「額についてはそれでいいです。ただし、戦果についてはもう少し詰める必要がありそうです。とりあえず確認ですが、目の前にやってこなければ私たちでも狩れない。そこは了解されているのですね」


 ハドルを解いたフィーネからの言葉にダニエルは頷く。


「もちろん。野盗たちも馬鹿ではない。やってきた者が圧倒的強者だった場合、わざわざ狩られにはこない。その点は理解している」

「では、その仕事を引き受ける方向で……あっ」


 そう言ったところでフィーネはわざとらしい声を上げる。


「大切なことを忘れていました」


「より多くの野盗を狩るために場合によっては増員したいと考えています。もちろんそれによって報酬を増やすよう要求することはありませんが……」


「それにあたって王太子殿下の承認の言葉をいただきたい」


「こちらが連れてきた者について、たとえそれがどのような者であっても、フランベーニュ側は捕らえたり危害を加えたりしないという」


 フィーネからの要求を聞き終わると、厳めしい表情で考え込むふりをしながらダニエルは自分より少しだけ遅くブリターニャの王太子になった男の顔を目に浮かべる。


「その点は承知した。証文を書き、それから軍にもその旨を伝えておくから心配はいらない。ただし、その場合はひとこと挨拶がしたいのだがどうかな?」

「挨拶?」

「そう。仕事を依頼するのだ。その者にも挨拶をするのが礼儀であろう」


 その言葉に一瞬だけ危険を感じたフィーネだったが、すぐにダニエルの意図を読み取った。


 ……この男は盛大に勘違いをしている。


 ……おそらく想定しているのはアリスト。

 ……少しだけ困った状況になりましたが、まあ、それは後のこと。

 ……とりあえず、ここは……。


「わかりました、本人が何と言うかわからないのですが、それは伝えておきます」


 フィーネは笑顔とともにダニエルの要請に応じた。


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