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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十二章 あらたな動き
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エターニティ・サンセット

 バレデラス・ワイバーンが乗る彼らが御座船と呼ぶ旗艦「デウカリオン」。


 この世界にはデウカリオンという言葉は存在しない。

 そのため、「単純に閃いた」というバレデラスの言葉は受け入れられ、その船の名は公的には特別な意味は持たないものとされる。

 ただし、その名づけ親だけはそれに意味があることを知っていた。

 当然である。

 なにしろ、自らのあたらしい船が誕生するにあたり、彼はふさわしい名を必死に探したのだから。

 そして、見つけた。

 別の世界で。


 その第一候補は「ノア」だった。

 もちろんそれは同名の物語から拝借したもので、人類が滅びても生き残る、すなわち不沈の願いが込められたものだった。

 だが、結局この名はボツとなる。


 方向性はいいが捻りが足りない。

 なによりも響きが好みではない。


 それが理由となる。


 やがて、すべての条件を満たすものに辿り着く。

 それがギリシア神話に登場する船に関わる者の名である「デウカリオン」だった。


「ノアの箱舟は有名であるが、あれはこの神話を拝借したものである。そうであれば、こちらの方が私の船の名にふさわしい」


「なにしろ、ノアよりも響きがいい」


 元の世界最大の宗教、その有名な逸話を真っ向から否定するような言葉をこっそりと口にしながらバレデラスはその名に決定した。


 長い説明になったが、その由緒正しき名の大海賊の御座船には、総指揮官であるバレデラスの私室として特別上等な船室がつくられていた。

 ちなみに「デウカリオン」の船長室は別にあり、現在はアンドレア・マントゥーアの推薦により船長に抜擢されたバジリオ・サリテーヌがその部屋を使用している。

 ついでにいえば、この世界では司令官と船長の関係は微妙であり、完全分業制というわけではない。

 基本的に複数の船を指揮する司令官が乗る船の場合は、司令官が船の指揮も兼任することがほとんどで、船長が置かれている場合でも船長は事実上司令官が兼務し、船長の地位にあってもどちらかといえば副船長兼操舵長という立場であると考えたほうがいいだろう。


 さて、その特別な船室でバレデラスが考えていたこと。

 もちろんそれはこの日あったフィーネ・デ・フィラリオという名の女性についてだった。

 勢いに押され、考えがまとまらぬうちに終戦を迎えた反省を込めて。


「……一つ一つの言葉に特別怪しいところはない。だが、全体から漂ってくるこの違和感のようなものはなんだ」


「何かがおかしい」


「では、どこかおかしいのかといえば、それはわからない」


 それはすでに何度も繰り返した言葉だった。


 そうして、今日の出来事を振り返りながら悶々と考えていたところでようやくあるものに辿り着く。


「……サングラスか」


 バレデラスは呟く。


「あれは扱う手つきは初めて触った者のものではない」


 そう呟いたバレデラスは部下たちがあれをどのように扱ったかを思い返す。


 まずその珍しさからガラスを眺め、そして叩く。

 ついでフレームの感触に驚く。

 だが、あの女はその過程がなかった。

 まるでそれはすでに知っているかのように。


 もちろん事前にガラスだと伝えたが、それでももう少し驚くはず。

 そして、フレーム。


 部分的ではあるが、この世界にない物質であるプラスチックが使われているのだ。

 当然なんらかの反応があるはず。


「もしかして、あの女は向こうからやってきた者か?」


 そうであれば、例の肉もあの女が調達しているということになる。

 だが、バレデラスは自身の考えを否定する。


「やはり、それはないな」


「まず、あの女は年齢的に私が送り込んだ者のひとりではない。となれば、自分自身の力でこの世界に渡ってきた者ということになる」


「……つまり、私と同じようにこっちと向こうを行き来できるということだ」


「そして、ブリターニャには特別な肉が取れる牛が飼育されていないことは確認済みなので、肉が和牛のものであれば、あの女が持ち込んでいることになる。だが。牛肉、場合によっては清酒も持ち込めるのだから、サングラスだって自身で持ち込める。わざわざ私に注文などしない」


「そして、見た感じではあの女も、それから同行していた三人の剣士も向こうの世界からの持ち込み品は見につけていなかった」


「それは奴らが護衛しているアリスト王子も同じ。なぜなら、そのような報告はない。ということで……」


「あの女の周辺に向こうからやってきた者がおり、知識を持ち込んだ可能性はあるが、あの女自身が向こうからやってきた者ではない。一番怪しいのはいなくなった料理人とやらだが……」


 バレデラス・ワイバーンは多くの優秀な部下を抱えている。

 実際のところ、大海賊ワイバーンの成功の多くは部下たちのものであった。

 もちろん有能な部下を集め、それを使いこなすことが組織の頂点にいる者の仕事であり、その才さえあれば、他のことが多少劣っていても問題ないとさえいえる。


「馬に乗る者が早く走れる必要ない。早く走れる馬を見つけ、そして早く走れるように操れればいいのだだから」


 指揮官に求められる資質を示すこの世界の格言であるのだが、これはまさにバレデラス・ワイバーンのためにある言葉と言ってもいいだろう。

 自身が劣っている部分はその才を持つ者を見つけ補わせる。

 それによってバレデラス率いる大海賊ワイバーンは大海原に君臨し続けていたのだ。


 だが、この問題に関しては、バレデラスは自分の才だけで問題を解決しなければならない。

 しかも、フル回転させなければならない彼の脳はすでにフィーネから渡された清酒にどっぷりと浸かっている。


 輝きのない、というより、大穴が開いたような結論しか出ないのは致し方ないところと言えるだろう。


「要注意人物がひとり見つかっただけでよしとするしかあるまい」


 自身の判断が完璧なものではないことは承知している。

 そして、部下たちに相談すればもっと良い提案がされることもわかっている。


 だが、自分ひとりで考えなければならない以上、この辺が精一杯。


「……できないことをやろうとすれば、必ず無理をする。そして、それが取り返しのつかない歪みを生む」


「こういう時はあきらめが肝心だ」


 バレデラスが都合よく結論づけ、眠りに入った同じ頃。


 陸上に上がったフィーネたちはアリストと酒を飲んでいた。

 といっても、そのうちの三人は酒を断り、黙々と食事に勤しんでいたのだが。

 むろん、断酒を始めたわけでも、まして、慎み深くなったわけでもなく、船上で飲んだ強烈な酒のお返しがやってきた一時的なものといえばわかりやすいだろう。


 そういうことで話をするのはフィーネだけであった。


「……あまりにも早いご帰還で驚きましたが、そのような理由があったのですか」


 概要を聞いたところでアリストは呟く。


「まさか、ワイバーンと遭遇するとは。会いたかったですね」


「それでどんな男でしたか?バレデラス・ワイバーンは」

「ひとことで言えば、大海賊の親分らしい男でした。それと……」


「海賊の長らしく剣や戦斧を振るう腕前は相当なものらしいです。それとともに魔法が使えますね。まあ、こちらは並みといえる程度ですが」

「使っていたのですか?」

「ええ。防御魔法を」


「ただし、バレデラス・ワイバーンのそれ以外の能力はグワラニーより数段落ちますね」


 そう断言したフィーネの言葉にアリストの表情は少しだけ変化し、その思いが籠った言葉が口から漏れ出す。


「……有能な部下を御し、そして、自身の力の源が何かを理解し、それを活用することも組織の上に立つ者の大事な能力だと思います」


「もちろんグワラニーにはそこに加えて単独で何をおこなえる才があります。ですが、そういうことなら、自身の力のみで対処しなければならないような場面にならぬようにすればいいだけのことです。そして、そのような状況をつくりださない。それもひとつの才能といえるでしょう」


 アリストのの言葉は正しい。

 そして、もちろんそれはフィーネも十分に理解している。


「まあ、ここまで強者でいられたということは、そのようにしてきたのでしょう。ただし、いつもいつも都合のいい戦場で戦えるわけではないということもたしかでしょう」

「ですが、これまでそのような状況になっていないということはワイバーンはそうならぬようやってきた。それはワイバーンが自身の能力を正しく認識しているということになります。そして、そういう相手のほうが実を言えばやりにくい」


「バレデラス・ワイバーン。彼は自身の強みと弱みを知っており、弱みに関してはその対策はどのようなものかも知っている。そして、自身の強さが発揮できる場所で戦う者」


「今回は偶然の出会いからの交渉でしたから彼にとっての不本意な結果になったのでしょうが、次はそうはいかないと思ったほうがいいでしょうね」


「今日の教訓を生かして、あなたに関する情報を集め、入念な準備をしてくると思います」

「……それについてひとつ情報があります」


「バレデラス・ワイバーンは王都にあった私の店を知っていました」


 一見すると自慢にさえ聞こえるフィーネの言葉。

 だが、アリストが何を意味しているかを理解するには十分であった。


 一瞬後。


「……つまり、王都にワイバーンの手の者が入り込んでいるということですか」


「可能性はあると思い、そう思って行動すべきとは思っていましたが、いざそれが確実となると、さすがに感慨深いものがあります」


 微妙な表現で自身の思い言葉にする。

 ただし、アリスト言葉はそこでは終わらない。


「さすがに王宮にも入っているとは思いませんが、王都にまで入れれば情報を取る手段などいくらでもあるでしょう」


「ですが……」


 アリストは笑う。


「そこまで情報網がしっかりしているのなら、こちらもそれを利用させてもらっても構わないとは思いませんか?」


 アリストの言葉にフィーネは無言で疑念示すと、アリストはさらに笑みを深める。


「取引はやっているものの、グワラニーの様子からワイバーンが魔族の国に深入りしておらず、情報を取れるなどとは思っていません。つまり、利用するとは情報を取るという意味でなく、逆。ワイバーンを通じてグワラニーに情報を流すという意味です」


「……グワラニーが手にしている敵国の情報はワイバーン経由ということで間違いないです。そういうことであれば、それを利用し欺瞞情報でグワラニーを混乱させることだってできるでしょう」


 ……毒饅頭ですか。


 フィーネは心の中で呟く。

 もちろんこれはアリストが度々口にしていたことであり、その目新しものではない。

 それを再び口にするということは、さらに手を加えたものを用意するということだろう。


「……まったく」


「あなたとグワラニーは本当に似た者同士ですね」


 もちろん心からの言葉である。

 だが……。


「それは心外」


 それがアリストの返答だった。


「私はあの男ほどひねくれていませんし、汚くもありません」

「その言葉をグワラニーに聞かせてやりたいものです」

「彼ならその通りと言ってくれることでしょう」

「それは楽しみです。いつかあなたとグワラニーがいるところで披露してみることにしましょうか」


 そして、翌日の深夜のクアムート。

 その近郊にある交易所の一室に彼女の姿があった。


「お待たせしました。フィーネ・デ・フィラリオ」


 三十ドゥア、別の世界で五十分となる長い時間、彼女を待たせた男は剣士三人と少女を伴って姿を現した。


「南の方に行っていたもので少し時間がかかりました」


「それで……」

「今日バレデラス・ワイバーンに会いました」


 自身の言葉を遮ってやってきた彼女の言葉に男の表情が変わる。

 さすがに完全に隠せなかった表情を楽しんだフィーネは言葉を続ける。


「それで……」


「すぐに話を始めますか?アルディーシャ・グワラニー」


「私はどちらでも構いませんが」


 フィーネはそう言って男の隣に座る少女を見やった。


 ……なるほど。つまり、内容がそういうことなのですね。


 グワラニーはフィーネの言いたいことを察し、そう呟く。


 ……本来であれば、人払いをしたうえで話したいところなのだが……。


 ……彼女は特別。

 ……たとえその結果が最悪の事態になっても外すという選択肢は私には存在しない。


「このままでお願いします」


 グワラニーはチラリと隣に座る少女に目をやった後に答える。


 ……まあ、あなたの立場ではそうなるのでしょうね。

 ……ここは雰囲気を察して自主的に退席するというところですが、子供にそこまでの配慮を求めるのは難しい。

 ……仕方がないですね。


 フィーネは薄い笑みを浮かべ、それからゆっくりと口を開く。


「わかりました。では、始めましょうか」


 その言葉を前置きにして語られたもの。

 それはその日にあったもの。

 そのすべてであった。


「……なるほど」


 すべてを聞き終えたグワラニーはとりあえずの相槌を打つものの、その心中はその程度の言葉で表せるようなものではなかった。

 いや。

 思考を動かすためにはこの言葉こそが正解といえるのかもしれない


 ……我々はすでに奴から双眼鏡を購入しているのだ。

 ……ワイバーンがサングラスをしていようが、それ自体そう驚くことではない。

 ……さらにあれだけの紙を向こうから持ち込んでいるのだ。

 ……往来の回数も相当なものであろう。

 ……それにもかかわらず年齢に影響を受けないということは例の枷はこちらに初めて来たときの一度だけで、向こうに何度戻ろうが、こちらに何度来ようが問題はない。

 ……だが、フィーネ嬢が見たバレデラス・ワイバーンの年齢と、奴の活動痕跡を重ね合わせて考えることによってそれは初めて証明されたと言っていいだろう。


 ……これは大きい。


 ……だが、この情報を会った当日に私に知らせるのはなぜだ?

 ……まあ、前に保険と言っていたので、その延長線にあるともいえるが、それでもこの情報の価値は大きい。

 ……ただで流してよいものではない。

 ……それをこうも簡単に……。


 ……さすがに信頼の証しということではないだろう。

 ……となれば……。


 そこまで考えたところでグワラニーはフィーネに目をやる。


 ……考えられるのはふたつ。


 ……情報は手に入れたがそれをひとりでは処理できない。

 ……これ以上のものを隠し持っている。


 ……普通に考えれば後者だが、これが特殊な事案であることを考えれば、前者であることも十分ありえる。

 ……まあ、相手の意図はともかく、情報は情報。ありがたく受け取っておくべきだろう。

 

 自身の考えがまとまり、方針が決まった薄く笑ったグワラニーが口を開く。


「確認ですが、これは事実ですか?」

「もちろん」

「では、もうひとつ」


「ワイバーンと直接言葉を交わした生存している陸上の生き物はあなただけ。それをなぜ私にだけ知らせたのですか?」


「だけではありませんね。当然ですがアリストにも話しています」

「同じ内容を?」

「もちろん。もっとも……」


「私が話さなくても、私の後ろに控えていたファーブたちが話したでしょうから隠しても無駄ですし」


「ちなみに、アリスト王太子の反応はいかがでしたか?」

「期待外れですね」


「簡単に言ってしまえば、部外者が興味のない話を聞いた。そのような反応ですね。さすがにワイバーン本人には興味をもったらしく、会いたいとは言っていましたが」


「ですが、もたらされた情報の価値がわからなければそうなるのも当然といえば、当然ですが」


「まあ、そういうことでせっかく手に入れた情報を価値がわからぬ者だけに教えたのではもったいないと思い、価値がわかる者を求めてここまでやってきたわけです」


「とりあえず、この情報の正当な価値をあなたが理解したようなので、わざわざ夜中に来た価値はあったといえるでしょう」

「そこまで言って頂けることを感謝します」


 フィーネの言葉にグワラニーは深々と頭を下げ感謝の意を示す。

 床を眺めながらグワラニーは思考する。

 

 ……まあ、他に相談する相手がいない以上、そうなるわけなのだが、そうなると彼女の周りにはやはり同胞はいないということになる。


 ひとつの言葉からここまでのことを導き出す。

 この辺はさすがグワラニー、というか、元エリート官僚の洞察力というところだろうか。


 ……そして、そうなると私も彼女の希望に応えねばならない。


 顔を上げたグワラニーが口を開く。


「では、対価についてお伺いしましょう」


「何がご希望か?」


 グワラニーにしては珍しい単刀直入な物言いにフィーネは黒味を帯びた笑みで応じる。


「では、お言葉に甘えて……」


「あなたが手に入れている領地のすべて。またはブリターニャ金貨十兆枚……」


「と言いたいところですが、今回は勘弁しておきましょう」


「それはそのうちに返していただくということでよく考えおきますのでお楽しみに……」


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