勇者の始まり
翌日の夜。
クアムートの交易所にフィーネが再び姿を現した。
ひとりで。
そして、それから二十ドゥア後、グワラニーがデルフィン、それからコリチーバ率いる護衛隊とともに姿を現す。
「昨日言い忘れたことがあったので話に来ました。とりあえず、これはお土産です」
フィーネが差し出したのは白米と味噌。
「次回からは有料です。よく宣伝してください」
「さて……」
「そういうことで少々深い話になりますので……」
フィーネの視線がデルフィンへと動き、それから再びグワラニーへと戻る。
つまり、人払いの、無言の要求である。
だが……。
「基本的に彼女にはすべてを聞いてもらうつもりですので構いません」
それがグワラニーの言葉だった。
……人払いなどすれば、色々な意味で疑われるということですか。
……まあ、どうしてもということになれば日本語を使えばいいわけですから、人払いなどしなくも隠し通せるということですか。
……わかりました。
グワラニーの言葉の奥にあるものを悟ったフィーネは小さく頷く。
「では……」
「昨日観客が多く、尋ねられなかったこと。それは……」
「あなたが目指しているものは何ですか?」
「そのような命令がないにもかかわらず 殲滅できる敵と休戦する。それは 単純な勝利を目指しているわけでわけではないのはあきらか。その目的が知りたいのです」
……さて、どうするべきか。
これは核心に迫るもの。
彼女に真実を話すことは自身の目的とは近いようで遠い未来を描いているアリストに漏れることを意味している。
「それは簡単に話せない類のものですね」
「心配は無用。ここでの話はアリストには言わないですから」
そう言われても信用していいかは疑うべきものはある。
だが、これはよい機会でもある。
……一歩踏み出すか。
グワラニーが口を開く。
「私が目指しているもの。それは……」
「白でも黒でもなく灰色の世界」
それがグワラニーの答えだった。
この表現はどちらか一方に偏ることがないという意味で多くの場面で使用される。
当然フィーネもそれが意味するところは知っている。
「それは永遠に戦いが続ければよいということですか?」
そう。
この表現を聞き、最初に思い浮かべるのはこれ。
すなわち、拮抗したまま動かず戦いを続けるということ。
「それとも別の意味があるのですか?」
自身が口にした理由がグワラニーの言葉にふさわしいものではないと気づいたフィーネはそう言葉をつけ加えた。
そして、その直後、グワラニーが口を開く。
「私の言う灰色とは政治体制の現状を維持するという意味です」
「私の軍がその気になれば魔族による世界統一は可能。ただし 人間をこの世から完全に抹殺しない限りゲリラ活動は止まらない。ですが、現実問題として人間を根絶やしにすることなど絶対にできない。そうなれば目指すべきは……」
「魔族と人間の共存」
……なるほど。
……これは本当に違いない。
フィーネは小さく頷く。
「休戦し互いを認めるということですか?」
「そういうことです」
「実際のところ、強者が譲歩し弱者に歩み寄らなければ恒久的休戦は実現できない」
「ですが、多くの場合、強者はその力を誇示し弱者からすべてを奪う」
「強者の権利として。ですが、それは強者の言い分。奪われるものはそう思わない。当然弱者は強者を恨む。それが戦いが止まらぬ理由です」
「私は譲歩し手を差し伸べる強者になることを目指します。つまり、相手を圧倒的力でねじ伏せる。ただし、相手が彼我の差を理解してところで対等な関係を構築する。その後は交易をおこなっていく。つまり、現在の魔族とノルディアの関係が全人間国家に広がっていくということです」
……そこが真意ということであれば、この男がこれまでやってきたことはすべて理解できる。
フィーネはグワラニーの構想を理解した。
……現在の前線を国境として確定させる。
……場合によってはさらに後退させても構わない。
……それは圧勝していたノルディアやアリターナとの休戦交渉で見せていた。
……ただし、鉱山群や耕作地帯は手放さない。
……これによって、経済的な従属を受けない。逆に優位な状況を維持できる。
……そのうえで全人間国家と休戦、講和し、交易もおこなう。
……自由貿易は、基本的にはまず金を持つ者がいる国、すなわち市場を持っている国、続いて資源を持っている国が有利となる。
……この世界においては魔族はその両方を兼ね揃えている。
……つまり、軍は維持するものの、それを動かすことなく、貿易を通して経済を押さえることによって世界の再支配を実現することができる。
……ですが、その支配者は領土的野心がなく、当然他国に政治的干渉もしない。
……支配をするといっても経済上で縛りを入れるだけで独立国。
……そう。ノルディアに対して魔族がおこなっているように。
……もちろんそうなれば人間側は王や貴族という特権階級の支配が続く。
……国民の不満は交易によって金を吸い上げる魔族ではなく、自国の為政者へ向く。
……これぞ完璧ともいえる間接統治。
……一方のアリストの案はといえば……。
……王都を落とし、対魔族との戦いを終結させたブリターニャの王太子となったアリストは、褒美として手に入れた魔族領の一部に生き残った魔族を集め、ブリターニャの管理のもと自治をおこなわせるというもの。
……当然、鉱山群や肥沃な耕地は没収され、経済的な自立などできず、ブリターニャの属国としてようやく存続できる状況におかれる。
……そして、その国の総督となるのがグワラニー。
……何度か変更を加えられたアリストのプランの最新版はこのようなものだった。
……魔族にとってよりよいのはもちろんグワラニーの案。
……では、人間にとってはどうだろうか?
……おそらく旧魔族領の分配方法で揉め、戦いの第二ラウンドが起きる。
……そして、勇者という強力な駒を持つブリターニャは最低でもフランベーニュを飲み込み、下手をすれば全国統一を成し遂げることになる。
……ブリターニャの支配を受ける世界。
……喜ぶのは人間全体ではなくブリターニャ人だけ。
……そして、それを不満に思う各国が抵抗運動を始める。
……歴史は繰り返す。
……そうなると、人間にとってもよいのはグワラニー案ということになります。
……ですが、これは困りました。
フィーネは心ではあるものの、困惑していた。
……グワラニーとアリスト。
……おそらくこの世界最高知者であるふたりが考えた、似て非なる未来。
……そして、そのどちらがこの世界を幸福に導けるかといえば、間違いなく前者。
……ですが、私は後者に与する者。
……では、グワラニーの案をアリストが飲めるかといえば無理。
……なぜなら、アリストは王族。しかも、大国の為政者。世界の中心はあくまでブリターニャ。
……つまり、そこがアリストの限界ということになるのでしょう。
……そうかと言って、衝突を避けるためにグワラニーが妥協するかといえば、それもあり得ない。
……では、私はアリストを見捨てグワラニーの部隊に参加するべきなのでしょうか?
……私が望みさえすれば、おそらくグワラニーも彼の部隊も受け入れるでしょう。
……ですが、それは最終手段であり、今やるべきではない。
……まあ、それはそれとして……。
フィーネはそこで大きく息を吐きだす。
……最初から完全なる善と完全なる悪が存在し、最後には善が勝つ。
……そのようなものは現実の世界には存在しないことがこれを見ればあきらか。
……そもそも一方にとっての正義が他方においても正義とは限らない。
……むしろコインの裏表のように正義が悪になり悪が正義になることのほうが多い。
……そして、歴史は生き残った者、すなわち勝者によって語られる以上、勝ちさえすればどんな悪でも正義となり、負けた方はそれまでどれだけ優れたおこないをしていても悪となる。
……これこそが真。
……グワラニーとアリストが導いた世界の最終形態も、この世界にとってより良いものが選ばれるのではなく、直接対決に勝った方の案が採用されることになるのでしょうね。
フィーネは薄く笑う。
「今の言葉。よく覚えておきましょう」
「では、ついでにもうひとつ」
「アリストと大海賊との関係です」
「アルフレッド・ブリターニャの話は覚えていますよね」
「もちろん」
自身の問いにグワラニーがそう答えるとフィーネは言葉を続ける。
「八人の大海賊のひとりアレクシス・コパンはアルフレッド・ブリターニャの子孫なわけですが、さらに、数人はその関係者の可能性があります」
「それから、大海賊で一番好戦的でもある唯一の女性海賊頭ジェセリア・ユラ。彼女はアリストに好意を持っています。好意というか恋愛感情を持っていると言ったほうがいいでしょう」
「……ほう」
さすがにこれには苦笑せざるを得ない。
「大海賊と王太子の恋物語。吟遊詩人が喜びそうなネタだ」
「そうですね。ですが……」
「ここで問題なのは恋愛の成就ではなく、八人の大海賊のうち少なくてもふたりが確実にアリスト側に立つということです。そして……」
「明敏なあなたなら当然気づいているとは思いますが、魔族の国が交易を通じて人間の国と直接取引をした場合、大打撃を受ける大海賊がいます」
「ワイバーンですね」
「そう。彼の力の根源は魔族と人間の間に入った金銀貿易。それがなくなるのですから、当然彼もアリスト側につく」
「とは、限らないでしょう。そうならないよう金銀についてはワイバーンを通すことを約束してやればいいのですから。それにブリターニャが鉱山群を手に入れたら結局もっと悪い状況になります」
「ですが、それこそ灰色の状況が崩れぬよう魔族側が勝利し過ぎぬように動くことはあり得るでしょう」
「つまり、あなたは陸上にあるものだけで構想を組み立てていますが、海も視界に入れなければならないということです。ブリターニャというよりもアリスト個人に結びつきがある大海賊にはもう少し注意を払うべきでしょう。それに、陸上においてもアリストに加担する者はまだいます。たとえば、アグリニオンの商人たち。さらにアリターナの辣腕交渉人もアリストとは良好な関係を保っています。さらにフランベーニュの現王太子も……」
「ひとつ尋ねてもいいですか?」
「今の話は非常に参考になりました。ですが、なぜそれを私に教える気になったのですか?」
「ホケンですね」
もちろんこの世界にはいわゆる保険に相当するものはない。
当然そのような言葉は存在しないのだからホケンという日本語が使われるのは理解できる。
ただし、この場合の保険は本来の意味ではなく次善の策というニュアンスで使用されているのだから、そう言えばいいともいえるのだが。
もちろんその意味を理解するグワラニーは小さく頷く。
「つまり、最終的には我々が勝つと?」
「というより、勝つ可能性がある。私はその時にアリストとともに消える気はありません。ですから、そうなったときにも生き残れるようにしておくだけです」
「ですが、その話を敵である私にしてしまってはそれこそホケンを使うリスクが増えるように思えますが」
「いいのです」
グワラニーの言葉をそう斬り捨てたフィーネは続いて意外なことを口にした。
「そもそも私は勇者の勝利を心の底から望んでいるわけではありませんから」
「私は自分の利益のために加わっているだけで、自身の利益に合致しなければすぐにでも勇者を抜けます」
「それは私が勇者一行に加わるときの条件にですので」
「ということは、王太子はそれを承知していると?」
「そうなります」
「つまり、こちらに加わった方があなたの利益になると思えば加わってくださるということですか?」
「そうなりますね」
「ただし、今はアリストの側にいたほうがより利益が大きいですが」
「……思ったよりも浅い関係なのですね」
グワラニーは思ったことを素直に呟くと、フィーネは笑う。
「アリストとファーブたち三人は主従関係がありますが、私とアリストは対等です。というより、請われて加わったので立場は上です」
「なるほど」
「ということは、王太子はもともと四人で魔族討伐をおこなおうとしていたのですか?」
「四人というより、アリストは自分ひとりでおこなうつもりだったといったほうがいいでしょう」
「おそらく自身の強大な力は王子という立場上表立って使えないと知った時から放浪の旅に出かける風を装って魔族討伐をおこなうという計画はあったのでしょう。ですが、いざ実行に移すと、色々と不都合が生じた。その中でも一番の問題は睡眠中には防御魔法は展開できないということ。もちろん転移して安全な場所に戻る方法もありますが、やはり不便。そこで荷物持ちを兼ねた護衛役の剣士を探すことにした」
「そんなときにアリストが別荘としている館の近くにある村に大剣を振るうとんでもなく強い子供が三人いるという話を聞こえてきた。そして、実際に見にいくと想像以上に強い。そこで、自身の護衛役として雇い入れたいと彼らの親に談判した。王子と名乗って」
「当然一国の王子の頼みとなれば拒むという選択肢などあるはずがない。まあ、三人も乗り気だったということで話が簡単にまとまったようですが」
「そして、その後、あなたが加わったと……」
「ですが、あなたはフランベーニュ人。しかも、大貴族の娘。接点などなさそうですが」
「そうですね」
フィーネの話を聞き終えたグワラニーがそう尋ねると、フィーネは少しだけ笑みを浮かべる。
「アリストは偶然通りかかったと言っていましたが、相手はあのアリスト。今考えると十分に怪しいですね」
「たしかに」
グワラニーは苦笑いしながらフィーネに同意する。
「ですが、そうなると、王太子がやってくるのなら、その時点であなたには相応の武勇伝があったということになりますね」
グワラニーの言葉にフィーネは直接は答えず、苦笑するだけだった。
だが、それは完全なる肯定。
少しだけ黒味を帯びた笑みを浮かべたフィーネが再び口を開く。
「フィラリオ家の屋敷がある場所は田舎で、御多分に漏れず、上にはこびへつらい、下には暴力を振るう下級貴族の愚息どもが徒党を組んで暴れまわっていました。私はそのような者たちをに死なない程度のお仕置きしていました」
「もちろん私がフィラリオ家の者であることを知る彼らも、その親も直接何かするということはありませんでした。ただし、そのままというわけにはいかなかった。なにしろ、立てないくらいに叩きのめしたうえ、これ以上痛い目をみたくないのなら全裸になって町を走れと脅し、そいつらは泣きながら私の命令に従ったのですから」
グワラニーはその言葉は偽りも誇大表現もないと察した。
「逆恨みとは言えませんね。そこまでやると」
「まあ、そうですね。少しやり過ぎたと反省しています」
「……少しですか?」
「まあ、もう少しプラスしてもいいですが」
グワラニーの言葉に笑いながらそう答えたフィーネはそのまま言葉を続ける。
「いかにも貴族らしいとも言えますが、彼らは自身の手を汚さすに私にも辱めを与えようと冒険者を何組も雇いました。ですが当然……」
「返り討ち」
「そういうことです」
「そんなときにアリストが現れたのです。もちろんあの三人も一緒に」
「もちろん私は最初いつもの輩と思ったのですが、すぐにそのひとりが魔術師、しかもとんでもない実力者だと気づきました。ですが、考える暇はありませんでした。三馬鹿剣士が剣を振り回し始めたのですから」
「あの三人と、一対三でやったのですか?」
「ええ。当然ですが、さすがに分が悪い。ですが、負けるわけにはいかない。となれば、使うしかない」
「使ったのですか?」
「もちろん。三人の黒焦げができあがりました」
「なるほどそういうことですか」
グワラニーは心の中で納得し苦笑する。
……最初見た時から、フィーネ嬢と三人には明確な上下関係が存在していたが、それはこの件があったからか。
もちろんそれに触れることなく、話を進めるように右手で促すとフィーネは言葉を続ける。
「そこでアリストから誘いがあったのです。腕試しをさせてもらったが合格。できれば、加わってもらいたいと」
「アリストはまず自分がブリターニャの王子であることを明かし、それから旅の目的や条件を提示しました」
……嘘ではないだろう。
「ですが、恵まれた大貴族の家に生まれたあなたがよくそのような怪しげな冒険に出る気になりましたね」
「まあ、それは色々と条件が揃っていたということが大きいでしょうね」
「まず、自分がフィラリオ家の人間であること。やはり、肩書が重要です。とくにそれを崇める者たちを相手にするときは。そこに軍資金に問題も加わります。所持金によって行動が制限される心配がありませんから。さらに、私は偶然、剣と魔法、その両方の力を手に入れていたこと。これによってとりあえず他人をあてにせず行動できる。これも重要」
「そこに強力な力を持った仲間がつく。これだけ好条件が揃っていて旅に出ないということはないでしょう。私が言っている意味はわかりますよね」
……せっかく異世界に来たのだ。冒険に出よう。
「冒険譚」
「そういうことです」
「ですが……」
そう前置きしたフィーネの笑みは表現の難しいものに変わる。
「いざ旅に出ると、実際の旅は吟遊詩人が語る冒険譚とは随分と違うものだと実感しました」
グワラニーは笑う。
……違うな。
……デルフィン嬢の前であるからそう言うしかないが、まちがいなく、それは元の世界の映画や小説を示している。
自身も同じような感想を持っていたグワラニーは引き込まれるように口を開く。
「どの辺が?」
「まず退屈なこと。最前線にいないかぎり毎日敵に合うことはないです。そして、日々お金と食べ物の心配をしなくてはいけません。寝る場所も同様です。吟遊詩人は戦いの場面しか語りませんが、そんなものは全体のほんの僅かで、大部分の時間は移動と食べ物と寝る場所を確保するための交渉で費やされます」
「さらに、これはあなたの方がよく知っていることでしょうが……」
「吟遊詩人が語る派手な功績は、その何倍も時間をかけた準備が必要です。もちろん遭遇戦もありますが、英雄譚で主人公がおこなうような、その場の思いつきと勢いだけで戦っていては最終的な勝者にはなりません。そして……」
「魔法という特別な力によって少数が多数を倒すことはできますが、それまで。少数でできるのは戦闘に勝つまで。戦争で勝つことは絶対にできません」
「たしかに」
「戦闘に勝ち、その地を占領しても、それを維持できなければ戦争に勝利したとは言えませんから」
グワラニーはそこで大きく頷き、それから言葉を加える。
「英雄譚に登場する方々はその点はどうしているのでしょうね」
そこからは始まったのは、某世界で繰り返し語られる剣士と魔術師で構成される正義感溢れるパーティが悪逆非道な魔族から世界を救うという英雄譚を実際に体験したふたりが、物語の主人公を徹底的にこき下ろすというその世界ではなかなか見られぬ光景だった。
「何度も言いますが、準備もしない。策も用意しない。大声で剣を振り回してくるだけの者など待ち構えて一ひねり」
「まあ、私なら、魔法一撃で黒焦げでしょうね」
「そういう意味では三人は真の勇者と言えますね」
「何も考えず剣を抜くところなどまさに彼らは勇者です。ですが、彼らも戦うときには無駄な叫び声を上げたり、高く飛び上がったりはしません。その点では少しはマシですね」
「そういえば、この世界の剣士が上に飛び、剣を振り下ろす姿は見ませんね」
「あんなことをやったら後方や両脇から剣がやってきてもなにもできず、串刺しになるだけです。自殺志願者でもないかぎりやる者などいません。というか、背の高さ以上に飛びあがるには相当の助走が必要ですし、それだって身軽な状態という条件がつきます。重い甲冑をつけたまま高く飛び上がり斬りかかるなど、魔法の加護がないかぎりできるはずがないでしょう」
「魔族の国にはそのような魔法は存在しませんが、もしかして人間の世界にはあるのですか?能力を強力にしたり弱くする魔法が」
「いわゆる、バフやデバフですね。あるのなら使ってみたいもののですが、私も知りませんね。そのようなものは……」
大いに盛り上がったその話が一段落したところで、グワラニーが尋ねたのは勇者という名前の由来だ。
「もちろん今は『勇者』といえば、あなたがたを指すし、言葉としてこの世界に存在します。ですが、その言葉が使われる前には『勇者』という言葉を使う者はいなかったのは文献を見ればわかります。英雄とか勇敢な者という表現はあっても勇者という言葉はなかった……」
「そうでしょう」
「なにしろ、それを最初に言ったのは私ですから。ファーブの戦いぶりは物語の勇者そのものだったから。剣が驚くほど強い。正義を愛す直線的思考の持ち主。そして、ノウキン」
「完璧な勇者ですね」
「そう。完璧。そして、ある戦いで魔族を叩きのめし、救われた者たちに名を聞かれたときに『勇者』と名乗ったのが最初です。ファーブも最初は気に入っていないようでしたが、そのうち自ら勇者と名乗るようになりました」
「ですか、この『勇者』は役に立ちましたよ。ただの冒険者の一団のときは冷たくあしらっていた宿屋が勇者と名乗ると泊めるようになりましたから」
そう言ったところで、フィーネの笑みは再び色合いの違うものへと変わる。
「ところで、『冒険者』という言葉を持ち込んだのが誰か知っていますか?」
フィーネからやって来た問いにグワラニーは即座に答える。
「……そもそも冒険者どころか傭兵も魔族の世界には存在しませんので、当然名付け親は人間ということになりますが……」
そして、そこでグワラニーの思考は魔族の資料を漁っていたときのことを思いだす。
「もちろん傭兵はわかります。ですが、野盗と変わらぬ者たちをあえて冒険者と呼ぶことにはやや違和感があります。というか、そもそも冒険者という言葉自体に違和感がありますね」
「もしかして、これもあなたが……」
「これは違いますね」
「私が最初に冒険者という言葉を聞いた時の感想はおそらくあなたと同じ」
……向こうの世界でその言葉を目にしていた者が名づけたということですか。
……ということは、その者も向こうからの訪問者ということになります。
グワラニーの熱が入った目を見ながら、フィーネは言葉を続ける。
「それで、自らが率いる小集団を冒険者のひとつと名乗っていたアリストに尋ねました。まずはその意味。それから、その始まりについて」
「もしかして王太子がその人物?」
「いいえ」
そうなればアリストも向こうの世界からやってきた者となる。
興奮気味にそう尋ねたグワラニーだったが、その問いはあっさりと否定される。
「ただし、ある意味でアリストに近しい者がその言葉を最初に使ったようです」
「アルフレッド・ブリターニャ」
「彼がこの世界に冒険者という言葉を持ち込んだ者のようです。当然冒険者の範囲を決めたのも彼となります」
すでにアルフレッド・ブリターニャは向こうから来た者と確認されている。
「意外とこの世界に貢献しているのですね。彼は」
グワラニーの言葉に頷いたフィーネはそこからさらに言葉を加える。
「実はそれ以外にもあるのです。彼の貢献は」
「まあ、海を知らないあなたには無縁の話ですが……」
「長く海で生活する者には彼ら特有の病気があります」
「……カイケツビョウ」
「そのとおり」
もちろん向こうの世界にいてそれなりに知識の幅を持っていれば、それがどのような病気でどのような対処をすべきかを知ることはできる。
だが、この世界も同じかといえばそうではない。
実はこれと同じ症状は陸上でも起こり得るし、実際に魔族軍内にもその患者はいた。
ただし、籠城中で新鮮な野菜や果実だけではなく食料そのものが枯渇していた状況で起こったのでそれほど問題にはならなかっただけである。
「その病気にかからぬよう対策を教えたのがアルフレッド・ブリターニャで、それだけではなく、彼はその予防に効果的な食べ物を発見したとのことです」
「……レモン。オレンジ。そして、ミカン」
……最初ミカンを口にしたとき、この世界にもあるのだなと思ったものだったが、それも向こうから持ち込まれたものだったのですか。
……まあ、デルフィン嬢の前で「向こうから持ってきた」とは言えないので、発見したと言っていますが。
……そうなると、ジャポニカ米の持ち込みや清酒のつくり方を伝えたのも彼なのかもしれませんね。
「たしかに色々な貢献をした者なのですね。アルフレッド・ブリターニャは。悪党どころか恩人ではありませんか。彼は」
グワラニーは魔法でそれをつくりだした者の前でそう推測し、無関係な者に感謝した。
それからも少しだけ雑談が続いたところでようやく密談はお開きとなり、満足そうな表情でフィーネは帰っていった。
もちろんグワラニーにとっても楽しいひとときであった。