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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十二章 あらたな動き
262/373

彼らはこれでも勇者である

 二日後。

 アリストとホリー、それからフィーネの姿はダワニワヤのブリターニャ軍陣地にあった。


「狼煙を」


 アリストの声とともに上げられた狼煙に呼応するように魔族軍陣地からも狼煙が上がる。

 それからまもなく、ブリターニャ軍陣地に護衛隊長コリチーバとデルフィンだけをともなったグワラニーが現れる。


「よくお戻りで。副王様。そして、王太子叙任おめでとうございます。アリスト殿下」


 わざとらしい言葉と仰々しいまでの挨拶にアリストは鼻白む。


「なにがおめでとうだ。おまえの余計な……まあ、ホリーが王都に戻れたのだからそこまでいうことではないが、とにかくそう思うのなら私からふんだくった金貨を返せ。悪党が」


 対グワラニー専用のとても王太子のものとは思えぬ乱暴な言葉を投げつけたところで、アリストは少しだけ表情を変える。


「ところで、おまえたちが食事の世話をしているファーブたちは今どうしている?まさか餓死したということはないだろうな」


 もちろん冗談である。

 だが、軽い気持ちで尋ねたアリストのその言葉に返ってきたのはふたり分の苦笑いだった。


「コリチーバ。彼らが何をしていたかを王太子殿下に聞かせてやれ」


 そう言われた護衛隊長が口にしたのは、いつぞやの海賊船での出来事の再来だった。


「とりあえず一本取りましたが、それまでに二十回以上叩き伏せられました」


「つまり、あれが木刀でなかったら私の大事な兵士が数百人あの世に旅立っているところでした。まあ、いい訓練にはなったことは事実です。それにしても……」


「強いという噂は聞いていましたが、アリスト王太子の護衛を数人でおこなうだけのことはあります」

「まあ、その分金はかかるのだが」

「それがわかっているのなら話は早い。ということで、とりあえず彼らが飲み食いした分の請求は後日させていただきます」

「この守銭奴が」


 とりあえず、ここはグワラニーの速攻に一本というところで、話は次の話題へと進む。


「ところでアリスト殿下。今さらですが、我々の国には副王という地位にある者はおりません。今後失礼がないようにホリー王女をなんと呼べばいいのか確認したいのですが」


 わざとらしさ満載の問いであるが、ここは先ほどお返しのチャンスとばかりにアリストはもったいぶった表情をつくる。


「我が国では陛下という敬称は国王のみに用いることになっている。ただし、副王は国王の準ずる者となっているので場合によっては陛下という敬称もありえる。ついでに言っておけば、王も副王も男がなるものと思って典範はつくられているので、王の妃は王妃殿下、副王の妻は副王妃殿下となるわけなのだが、副王であるホリーが結婚した場合に相手の男にどのような呼び方をされるかは知らない。まあ、それはともかく、陛下と呼ばれるくらいにホリーは偉いのだ。これからもホリーを敬い下僕のように仕えろ。グワラニー」

「それは十分に承知しています。王太子殿下」


「では、確認がとれたところで、あらためて副王陛下。出立の時間です」


「すぐに三人を連れて戻ります。殿下」


 嫌味たらしいその言葉を残してホリーを連れたグワラニーたちはようやく消えた。


 そして……。


「……アリスト殿下。こちらはホリー様よりもお手紙となります」


 三人の剣士とともに再び現れたグワラニーだったが、その言葉とともに羊皮紙を渡すとすぐに自軍の陣地へと戻っていく。


 ……嫌味を言われるのが嫌で逃げたか。

 ……いや。


 アリストは目の前に魔族の指揮官がいながらアリストの命により手が出せないカーマーゼンの不機嫌の見本のような顔を目をやる。


 ……おそらく将軍がいたからだろう。

 ……まあ、いい。あの守銭奴に対するお返しはそのうちにたっぷりとしてやることにしよう。それよりも今は……。


 ……ホリーからの手紙を……。


 言いたいことがあるのなら、言う機会などいくらでもあっただろうにと思いながら、なぜかどきどきしなはら妹からの手紙を読もうと広げたところで、アリストは苦笑いする。


「……なるほど」


 達筆ではあるが、妹の字体とはあきらかに違う。

 そう。

 それはグワラニーからアリストへのメッセージだった。


 そして、勇者一行にその手紙の内容が伝えられたは王都に戻って来てからとなる。

 

「……達筆だな」

「ああ。ファーブより百倍うまい」

「では、ブランより千倍うまい。おっと、間違えた。ブランは字が書けないのだったな」

「ファーブなんか字が読めないのだろう。かわいそうに」

「ふ、ふざけるな。俺はブランと違い俺は読み書きができる」

「俺だって同じだ」

「嘘をつけ」

「ファーブこそ嘘をつくな。だから、糞尿勇者は嘘張り言うので困る。小便漏らして死ね」

「ブランこそ小便漏らして死ねばいい」


 別の世界の小学生でも言わない実に恥ずかしい口論の脇でそれを読み、顔を歪めるのは糞尿兄弟一号または糞尿剣士二号ことマロである。


「これではまるで請求書ではないか」

「というより、請求書ですね」

「散々飲み食いさせて請求書を送りつけるは随分とあこぎな商売をするな。魔族は」

「魔族は、というより、グワラニーが、ですが」

「ですが、グワラニーはアリストやマロと同じくらい金にシビアというのは前からわかっていたでしょう。そういう者の誘いにホイホイ乗らないでしょう。普通は」


「つまり、これは調子に乗って飲み食いした方が悪いのです。この世界の平和のためにおとなしく支払うべき」


 アリストとマロの会話に強引に割り込んだフィーネがそう断言すると、マロはあきらかに何か言いたそうだったものの、どうせやっても勝てないと戦うことをあっさりと諦める。


 そして……。


「まあ、経緯がどうであれ、自分が得たものに見合った請求書が来てしまったら払うのはたしかに道理ではある。ここで踏み倒しては勇者の名が廃る。ということで……」


 マロはアリストにそれを渡す。

 もちろん渡された者にはその意味がわからない。


「なんですか?これは」

「もちろん請求書だ」

「それは知っています。ですが、いい思いをしたのはあなたたちでしょう、なぜ私が支払いをしなければならないのですか?」

「簡単なことだ。請求の宛先はアリストになっている。つまり、払う義務を負うているのはアリストだ」

「冗談じゃない。これはそっくりお渡しします」

「俺は他人宛ての請求を払うほど人間はできていない。諦めろ」


 ここまで一方的に押されていたアリストであったが、一瞬後、何かが思い浮かんだのかニヤリと笑う。


「では、支払うことにします。ですが……」


「飲み食いしたのは三人なのですから、当然この支払分はマロ達の給金から差し引きます」


 そして、最後にアリストは胸を張ってこうつけ加えた。


「百日はタダ働きをしてもらいます」

「くそっ」


「納得いかん」

「いいえ。これこそが道理。世間の厳しさを知ってください」


 これを読む者で忘れている者もいるかもしれないの念のために言っておく。


 他人の前ではとてもできない恥ずかしい会話をおこなう彼らはこの世界を救うために立ち上がった勇者一行であり、アリストにいたっては大国ブリターニャの王太子である。


 さて、重要な注意事項を語ったところでグワラニーからアリストに渡されたその手紙であるが、実は高額の請求以外のことも記されていた。


「……二十日に一回程度の面会を許可するということですが」


 そのうちの一項目に目が止まったフィーネの口から洩れた言葉にアリストが頷く。


「そう。随分と気前がいいと思いませんか?」


「ホリーの話からグワラニーはホリーの行動に対して特別な制限をかけているわけではない。つまり、ホリーと会うたびに魔族の国の情報が私に漏れるということになります」


「これは相手の情報を取ることと同じくらいに自分たちの情報が外に漏れないようにしてきたグワラニーとは思えぬ緩い対応です。ホリーの魅力に骨抜きにされたのでなければグワラニーは意識してそうやっている。つまり、私にはホリーから私に情報が洩れる、それ自体がグワラニーの目的に思えますね」


「グワラニーはホリーを通じて私に記憶させたいものだけの情報を流しているのでないか。言い方を変えれば、自由に見せているように見えて、実は見せたいものだけを見せているのではないか」


「そして、その情報を根幹として策を講じさせて失敗させようとしている」


「それ以外で考えられるのは魔族の民が楽しそうに生活している姿を見せクアムートや王都への大規模な攻撃をおこなわせないようにさせようとしている。これはこれまでの勇者の戦い方を分析して考案されたものといえます」


「それに加えて、ホリーがどこにいるのかわからなければ大規模な魔法攻撃はおこなえない。まあ、ホリーは死んでいるものと考えているブリターニャ軍であれば躊躇する理由はありません。ですが、グワラニーの部隊の力ならブリターニャ軍などいくらでも対処できる。グワラニーにとって問題なのは勇者一行。それを押さえることが目的ということならこれは有効な策をいえるでしょう」


「アリストはグワラニーの厚意を随分と後ろ向きに捉えているのですね」

「そういうフィーネは随分とグワラニーの肩を持ちますね」


 自身の感想に対してアリストからすぐさまやって来た強烈な嫌味を「ふん」と鼻で笑って吹き飛ばしたフィーネは薄く笑う。


「あの男が考えていること。それは私やアリストの魔法で町が消し去られることを防ぐ。それは間違いないでしょう。ただし、それは勝利のためというより、純粋にそこに住む者たちを戦いに巻き込まないためと考えるべきでしょう」

「そう断言できる理由は?」

「あの男がやってきたことを見ればわかるでしょう」


 そう言いながらフィーネは心の中で別の理由を口にしていた。


 ……私は知っている。

 ……あの男は巨大魔法を向こうの世界のあの忌まわしい武器に見立てている。


 ……使わないことに越したことがない。


 ……だが、自分たちが破れれば魔族の民が虐殺される。つまり、あの忌まわしき兵器以上の惨劇が自分たちのもとにやってくる。

 ……使わざるを得ない。

 ……だから、自身に枷を与えている。

 ……敵軍に対してのみ使用する。しかも、他に選択肢がない場合のみという条件で。

 ……それは今回の戦いで使用しなかったことで証明されている。

 ……そして、おそらくグワラニーはそれを私たちにも求めている。


 ……まあ、たしかに今はそれが守られている。


 ……ですが、王太子になったアリストがこれまでと同じことができるのかをグワラニーは疑っている。

 ……だから、自身だけではなく町の盾として使うためホリー・ブリターニャを手に入れた。

 ……そのホリー・ブリターニャを通じて魔族の民も人間と同じ暮らしをしていることを知らしめ、さらに妹が魔族の友人を多く持つことで兄への牽制にしている。


 ……私も一般市民の大量虐殺などには加担したくありません。


「アリスト。一応言っておきます」


「魔族の王都を落とす際に究極の魔法を使用することは止めません。たった五人で魔族の都を攻めるのですから」


「ですが、それを使用したとき、グワラニーも同じことをおこなうと思っておくべきですし、そうなったときは自身も同じことを魔族の民におこなったのだから仕方がないと甘受すべきです」


 唐突ともいえるフィーネの言葉にアリストは数瞬戸惑う。

 だが、すぐにその表情は変わる。


「大丈夫です」


「そういう状況になる前にグワラニーとは決着をつけますから」


 自身の覇業が成就した際にはブリターニャの支配下に置かれる新魔族の国を総督にするためグワラニーは殺さないというアリストの考えを聞かされているフィーネはその言葉を薄い笑いで聞き流す。

 そして、もう一方について思いを巡らす。


 ……グワラニーが王位を狙っているのはおそらく間違いない。

 ……私はてっきり簒奪を目論み、そのためにアリストを利用しようとしているのではないかと思っていたのですが……。


 ……王女の話が正しければ、より確実に王位に就ける方法。

 ……それは勇者一行を倒し、最大の功績を挙げるということになります。

 ……ですが、グワラニーは勇者と本気で戦う気はないように思えます。

 ……勝てないからと考えているのならいい。


 ……問題はそれ以外の理由があった時。


 ……あの男の思考が本当に読めません。


 ……理解するためにも、もう少し観察しなければなりませんね。そのためにはもう少し接触する必要があります。


 そして、それから十日後の深夜。


 魔族領北部の要衝クアムート近郊のノルディアとの間で開かれている非公式交易所の警備をしているノルディア軍兵士たちは、やって来る者五人の集団に彼らにとってもっとも会いたくない人物が混ざっていることに気づく。


 フィーネ・デ・フィラリオと名乗る傲慢な女。


 交易所のルールは完全無視。

 そして、ノルディア側からやってくる民間人で彼らが自主的に設定した通行料を唯一徴収できない者でもある。


「しかも、今日は目つきの悪い男連れか」

「最低だな」


 彼女がやってきたときに得られるたったひとつの役得である視線で彼女のフォルムを楽しむ、いわゆる目の保養さえ今日は三人分の厳しさに嘲りの成分が大量に混ざった視線が邪魔をする。


 当然全員が不愉快になる。

 ここは嫌味のひとつでも言わねばおさまらない。


「今日は……」

「通しなさい」


 だが、男のひとりが発した言葉を視線と言葉で遮ったフィーネは四人の男を引き連れノルディア軍兵士の脇を通る。

 そして、最後のひとりがノルディア軍兵士を耳元でこう囁く。


「こんな夜中に働くとご苦労なことだ」


「貴様。我々を侮辱するのか。ゆる……」

「何か?」


 激発しかけた男の喉元に大剣を突き付けた若者が嘲笑交じりに問う。


「死にたいのなら手伝ってやるぞ」


 結局ノルディア軍兵士たちはなにもできず、ただ嘲笑とともに遠ざかるその集団を見送っただけであった。


 そして、その奥にある交易所の魔族側の警備をする兵士たちがフィーネたちを確認して二十ドゥア後。

 コリチーバともうふたりの兵士とともにグワラニーとデルフィンが姿を現す。


「グワラニー。ホリーはどうした?」


 第一声となるアリストのこの問いは一見するともっともらしい。


 だが、時間は深夜。

 しかも、その来訪は突然。


 もちろんアリストの言葉はグワラニーの苦笑とフィーネの嘲笑で盛大に応じられる。


「王太子殿下。さすがにそれは無理というものです」

「だから、アリストはダメなのです」


 グワラニーに続いて口を開いたフィーネの言葉はさらに続く。


「就寝中の年頃の娘がたたき起こされ、そこから準備するには最低でも一セパが必要です。王女ともなればそれ以上。たとえばそれが火事ですぐに逃げ出さなければならないということであれば話もわかりますが、人と会うのに二十ドゥアで準備しろと要求するほうが無理なのです」

「ですが、そこのお嬢さんは来ているではありませんか?」


 ……本当にわかっていないのですね。この人は。


 なおも食い下がるアリストの問いにフィーネは苦笑する。

 たしかに目の前に広がる光景だけを見ればその言葉は正しいように思える。


 ……ですが、そちらは子供ですよ。


 呟きかけたその言葉をフィーネが止めたのは、その少女がグワラニーに対して抱く感情の熱量はホリーがアリストに抱くものに劣るものでないことを思い出したからだ。


 ……さすがにまだ子供だからと本人がいる前で言うわけにはいきませんね。


 フィーネが自らを嘲るように笑みを浮かべる。


「彼女は軍に所属しています。王女とは準備の仕方が違うのです。女性の身支度を舐めてはいけません」


「……なるほど」


 なぜかそこで声を挙げたのは四人。

 もちろんひとりはアリストであるのだが、残りも彼の側からのもの。

 つまり、その三人とはファーブたちであり、それはアリストのその方面の常識レベルは糞尿三剣士と同じということを示していた。


「恥ずかしいと思いなさい。アリスト」

「ええ。それは今じっくりと噛みしめていますよ。なにしろ、自分の常識がファーブやブランと同列だったのですから」


 当然のようにやってきたフィーネの言葉にアリストはそう返したのだが、その言葉に納得しないのはもちろん三人の若者だった。


「ちょっと待て、アリスト。俺たちと同列になるとなぜ恥ずかしいのだ」

「ケチなうえに無礼な男だ。こんなのが王太子になるとはブリターニャの未来は暗いな」

「そのとおり」


 敵であるグワラニーの前であることを忘れ、いつも通り醜態を開陳する勇者一行であったのだが、とりあえずアリストの肩を持って言い訳をすれば、アリストのいる世界では決められた時間に遅れるのは恥とされる。

 上位者が下位の者を待たせるという文化はもちろんこの世界でも存在するものの、それでもそれは形の上での話である。

 当然それは女性も同じで、決められた時間になると彼女たちは何事もなかったように姿を現す。

 それがアリストのなかでの常識であったため、ホリーが遅れることを咎めたということになる。


 ただし、女性たちが定刻通りにやって来られるのは、アリストやホリーが住む王族の世界はすべての予定がかなり前に決まっており、その時間に合わせて女性たちはかなり早くから準備に入るからという事情がある。

 アリストはそれを失念していた。

 いや、知らなかったというところだろう。


 ついでに言っておけば、身支度に時間をかけるのは王都にいる身分の高い女性たちにほぼ限定され、ファーブたちが住むラフギールに住む女性たちのそれは王宮のそれの十分の一以下。


 それを知っていたことも、今回のアリストの失言に繋がったといえるだろう。


「まあ、いい」


「ホリーが来るまでおまえと雑談できるのだから」


 むろんアリストのこの強がりはさらなる失笑を買う結果となったわけなのだが、とりあえず、敵同士とは思えぬくらいにお互いに相手をよく知る者たちはアリストをネタにした笑いを興じながらひとつの部屋へと向かう。


 そこは簡素ではあるが、それなりの設えがされた場所であった。


「さて、さっそくですが、前回お別れする前にお願いしたものをいただきましょうか」


 この地に駐屯する兵のひとりが持ってきた茶をひとくち含んだ後のグワラニーの言葉に、アリストは必要以上に渋面をつくりながらァーブに視線を向けるとファーブは麻袋をテーブルに置く。


「おまえが要求した俺たちの食事代ブリターニャ金貨百五十枚だ。ありがたく受け取れ」

「では、ありがたく頂戴します」


 ……この様子では支払いをどちらがするかで揉めたな。


 仏頂面のファーブの言葉に軽い笑みを浮かべたグワラニーだったが中身を確かめることなく金属の響きがする麻袋を足元に置くと、グワラニーの視線がフィーネへ動く。


「では、商品を」

「マロ」


 グワラニーの短い言葉に応じたフィーネの声とともにテーブルに置かれた木箱に入っているのはガラス瓶十二本。

 別の世界でいう一ダースである。


「注文された品。運搬賃込みで金貨十五枚」

「……高い」


 声を上げたのはアリストであり、受け取り側であるグワラニーはその声に少しだけ反応したものの、それに同調することなく先ほどの袋から金貨を取り出す。


「承知しました。それでは商品代として金貨十五枚。それから……」


「これは運搬のお礼です」


 そう言って三人の剣士にそれぞれ金貨二枚を放り投げる。


「見たか。アリスト。これが上に立つ者の見本」

「アリストも見倣うべき」

「そのとおり」

 

 もちろんそれはアリストにとって非常に都合が悪い。

 当然こうなる。


「余計なことをするな。だいたいおまえが金を払うべきは自分のところの兵士だろうが。敵に金を配る暇があれば自軍の兵士に配れ。たとえば、そこの兵士たちとか。こんな夜に個人的な理由で働かせてとんでもない司令官だ」


 アリストは部屋の隅に立つコリチーバに目をやりながら喚きたてる。

 だが……。


「アリスト王子。我々は超過勤務手当を貰えることになっておりますのでご心配なく」


 瞬殺である。

 そして、アリストと彼を瞬殺したコリチーバの会話は続く。


「超過勤務……」

「手当です」

「なんだ。それは?」

「このようなときに頂けるものです。今日はこの後夜も営業しているクアムートの食堂で好きなだけ食事ができることになっていますので、私も部下も楽しみにしております」


「くそっ」


 あっさりと切り返されたアリストは王族とは思えぬ言葉を吐きだして悔しがるものの、その直後アリストは気づく。

 グワラニーの部下たちへ話題を振ったそれは余計なひとことだったことを。


 だが、後の祭り。

 それはすぐにやってくる。


「おい、アリスト。魔族にはそういうものがあるのなら、俺たちにもあっておかしくないだろう」

「まったくだ」

「まあ、俺たちは優しい。さっきそこの魔族の魔族がくれたものの十倍で手を打ってやる」


 つまり、金貨二十枚。

 だが、そこはアリスト。

 すぐさまこの言葉でそれを封殺する。


「これは魔族だけにある制度。ブリターニャにはないので当然ブリターニャの王太子である私もそのようなものは認めません」


 ちなみに、コリチーバが口にした超過勤務手当はもちろん残業代と同じ意味を持つ別の世界の言葉である。

 それをこちらへ持ち込んだ際に、グワラニーはこちらの言葉に変換するため三つの単語を並べた造語がその超過勤務手当となるのだが、そもそも残業代が割り増しとなる概念がないこちらの世界での超過勤務手当は本来のものとは少々意味が異なり、どちらかと言えば臨時報酬的なものとなる。

 だが、それが存在する世界に住んでおり、当然超過勤務手当の本当の意味を知るフィーネはコリチーバが口にしたその言葉を聞き、懐かしさが込み上げ思わず笑った。


 さて、そこから続く、アリストのケチエピソードの数々を三人の剣士たちが披露し、その場にいる全員が失笑するというその場の雰囲気が変化したのは、ホリーがこの場に到着したという知らせが入ったときだ。


「……さすがに我々がつまらぬ話に興じていたとホリーに知られれば、色々と不都合が出てくる。お互いに」

「残念ですが、それは否定できませんね」


 アリストの言葉にグワラニーが同意すると、アリストは全員を眺める。

 もちろん誰が異議を唱えることはない。


「では、何か難しい話題を提供してもらえますか。殿下」


「そうだな。では、私がおまえに奪われた金の返還交渉を……」

「それは一番ダメな奴だ」

「そうだ。またアリストのケチぶりがさらにあきらかになって笑いを誘う」

「王女の待遇改善でも話していたらどうなのですか?アリスト」

「……そうですね」


 マロとブランの言葉に続くフィーネの提案に、どさくさ紛れに金を奪い返そうとしたアリストも渋々同意すると、フィーネの視線はグワラニーに同意を求める。

 むろんグワラニーに拒む理由はない。


「こちらもそれで構いません」

「決まりです」


「では……」


 そう言った瞬間、アリストの表情が変わる。


「今後、ホリーをブリターニャに戻すなどということはやめてもらおうか。グワラニー」

「それは異なことをおっしゃる。王太子殿下。囚われた王女の故郷訪問を認めてやると言っていることを拒否するとはいったいどのような了見か」


 口調、そして、その内容。

 そのすべてが長いせめぎ合いをおこなっているような雰囲気を漂わせる。


 ……まさに茶番。

 ……ですが、ここまで念入りにやられたら、さすがに明敏な王女もわからない。


 ……これだけでもこのふたりがいかに悪党かわかります。


 フィーネは部屋に迫る足音を聞きながらそう呟いた。


 三回のノックに続いて顔を出したのはもちろんホリー。

 それを確認したところで、アリストはため息をつく。


「もう少しのところだったのだが、ホリーが来た。今日はこの辺で勘弁してやろう。ホリーに感謝しろ。グワラニー」


 ホリーの来訪にも気づかず熱弁を振るっていたかを装うアリスト。

 そして、グワラニーもそれに対してこう応じる。


「それはこっちの話です。惨めな自分を優しい妹に慰められてください。王太子殿下」


 お互いに毒を含んだ言葉を投げつける。


「妹に慰められる兄を見る姿など見る気持ちの悪い趣味はありません。別の部屋を用意しますので、そのその恥ずかしい姿はそちらで披露してください」

「ああ」


 そう言ってアリストが立ち上がる。


「俺たちも行くか?」

「いや。いいでしょう」

「では、俺たちはこっちまで待っているので何かあれば呼んでくれ」

「わかりました。では、ホリー。ここは悪党の住処。空気が悪いので別室に行きましょう」


 案内役のコリチーバとふたりが消えると、残った者全員が薄い笑みを浮かべる。


「俺たち全員で王女を騙していることにはならないか」

「いや。そのとおりだろう。だが……」


「なぜ、魔族と手を組んでそんなことをやっているのだ?俺たちは」

「そんなことはアリストに聞け」


 不満たらたらの三剣士を宥めるのはホリーとともにやってきたアリシアだった。


「軽い食事を持ってきましたが食べますか?」


 むろん答えは聞くまでもないだろう。


「餌付けですね」

「まさに」


 この世界のサンドウィッチともいえるものを貪り食う三人の若者を眺めながら、フィーネが呟くと、グワラニーも同意するように声をあげた。

 そして、そのまま言葉を続ける。


「一応伝えておいてください。我々は軍に所属している以上、命令があればどこへでも出向かねばなりません。そして、そのときは王女に同行してもらうことになります。そのときは申しわけないですが……」


 ……顔見世はできないということですね。


 グワラニーが口にしなかった言葉を呟いたフィーネが口を開く。


「予定はあるのですか?」


「機密事項。と言いたいところですが、今のところはないです。ただし、東方の田舎熊が動き出せば当然我々も迎撃しなければなりません」


 東方の田舎熊。

 対魔族協定に署名したものの、まったく動かないアストラハーニェの蔑称である。


 フィーネはその男に目をやる。


「そう言えば、まったく動きませんね。アストラハーニェは」


「ええ。ですが、彼らが平和主義者ではないのはあきらか。おそらく待っているのでしょう。ブリターニャと魔族の主力が完全に噛み合った状態になることを」

「がら空きになった背中を狙う?」

「そして、我が王都へ一気にやってくる。長い国境線を一斉に超えられたら辛いですね。我が国は」

「そうなったときのためにあなたたちは後方で待機ということですか」


「もっとも……」


「アリストも王太子の仕事が忙しく簡単には旅には出られないと思いますが」

「なるほど」


「お互いにしばらくは平和な時間を過ごせるわけですね」

「そういうことになります」


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