式典前夜
アリストの王太子就任式は十五日後と決まる。
本来であれば、それなりの規模でおこない諸外国の王族を含む多くの招待客を呼ぶため、最低でも百日、通常はその倍くらいの準備期間が必要となるのだが、ブリターニャの現状を考えれば内輪であっさりとおこなうのが妥当なところといえるだろう。
ただし、十五日間の期間というのは式典を取り仕切る典礼大臣アートボルト・フィンズベリーと彼の部下たちが忙しいだけであってアリスト本人は特別やることはない。
当然王城が好きではないアリストは休養と称し、ラフギールへと戻る。
式の二日前には戻るという伝言を残して。
「王太子などという肩書がついたおかげで王都にいても城の外に出られなくなったのです。そうなればあの城にいる意味などないでしょう」
それがファーブたちに言ったアリストの本音である。
「ホリーがラフギールに館をつくって移り住んでから、王都からこちらに店を出す者も多くなりましたので王都にいなくても必要なものはすべて手に入ります。そして、なによりも……」
「王都にあったフィーネの店が閉まり、この町だけになりましたからね」
「待ってくださいください」
そこまで言ったところで、アリストの話に強引に割り込んだのはもちろんフィーネ。
「嫌な言い方をしますね。それでは売り上げが落ちて閉店したように聞こえるではありませんか。王都の店を閉めたのは私も王都で有名人になってサイレンセストは歩きづらくなった。それだけのことです。それにこちらのほうが新鮮なうちに食材が手に入るのですからいいことばかりです」
「それで売り上げは?」
アリストが薄ら笑いを浮かべてそう問うと、フィーネは即座にこう応じた。
「食べたければどこにあっても来るでしょう。私の店はそれだけの味を提供しているのです」
そう言っていつも通りアリストを返り討ちにしたフィーネの言葉はさらに続く。
「それはそれとして……」
「なりたかった王太子になったわけですが、これからの勇者としての方針を聞かせてもらいましょうか?アリスト」
「これからは王太子の仕事に専念し勇者を廃業するということならもちろんそれでもいいです。そうなれば、私は待遇のよい条件を出して誘ってくれたグワラニーか、さらに大きな未来の王妃という地位を用意するらしいフランベーニュの王太子のもとに向かいます。まあ、その時は剣を振るう以外に取柄のないので勇者廃業とともに自動的に無職になる糞尿三剣士を現在の一割増しの条件で雇ってあげることにします。感謝しなさい」
もちろん前段は皮肉であるが、後半部分は本気。
そのようなフィーネの言葉にアリストは微妙な笑みを浮かべる。
……まあ、フィーネの性格ではたとえ王妃であってもダニエル・フランベーニュに嫁ぐことはない。
……となれば、グワラニー一択。
……さらにファーブたち……はさすがにないか。
その瞬間である。
「いいね」
「おう。魔族は嫌いだが、グワラニーの部隊は居心地がいい。アリストと違い金払いはいいみたいだし、なにしろ飯はうまいし」
「ああ。せっかくだから、グワラニーを焚きつけて魔族の国を奴に奪わせるというのはどうだ?」
「いや。やるなら魔族の国だけではなくこの世界全部がいいだろう」
「なんか勇者らしくなってきたな」
「まったくだ」
冗談に聞こえるが、本音も多分に含まれている。
そのようなファーブたちの言葉に苦笑いよりもさらに苦めの成分が多い笑みに変わった表情のアリストが口を開く。
「そんな話を聞かされては絶対にやめられないではありませんか。勇者の仕事は」
実をいえば、ファーブに続いてマロが口にした「グワラニーに魔族の国を乗っ取らせる」という言葉は、アリストの最終プランに近く、グワラニーに関していえばそれこそが目的そのものであった。
だが、立場上ここで「それはいい」と言うわけにはいかないアリストはことさら表情を険しくする。
「魔族の世界統一に人間が力を貸すなどありないでしょう。まして、あなたがたは勇者ですよ。もう少し自覚を持ってもらいたいものです」
だが……。
「魔族軍にはすでに人間が加わっています。今のアリストの言葉は却下です」
「そうだ。それにこの前などフランベーニュ人の女が堂々と魔族軍陣地に小遣い稼ぎに来ていたぞ」
「魔族軍兵士に昼飯を売っていたフランベーニュ人もいた」
「そもそも俺たちは悪逆非道な魔族を倒すが、人間にやさしい魔族まで殺す必要はないだろう」
「というか、グワラニーは貴族の百倍いい領主、そして、アリスト百万倍気前のよい領主になる」
「奴が魔族の国を治めれば、人間ともうまくやるだろうし、そのグワラニーに対して人間が理不尽な戦いをするようなら俺は魔族の側に立つぞ」
瞬殺である。
そして、アリストの言葉に即座に反応したフィーネの反論に続くファーブたちの主張は実をいえば真実をかすめている。
そして、それはアリストがだいぶ前に辿りついた境地。
どうやらにファーブたちもようやくそこに到達したようである。
アリストが口を開く。
「よほどタルファ夫人のお菓子が口に合ったようですね。ファーブたちは」
もちろんこれは軽いジャブ。
だが、ファーブたちから戻ってきたのは倍返しのような強烈な言葉だった。
「そうだな。たしかにそれはある」
「そして、俺たちが夫人の菓子の匂いに釣られて魔族軍の合流し世界を滅ぼさないようアリストは俺たちの待遇をよくする義務がある。人間社会の代表として」
「そのとおり」
「ということで、俺は食事の質と量を二割増しにすることを要求する」
「酒の量と濃さは十割増しだ」
「泊まる宿泊場所は使用人用の屋根裏部屋ではなく正規の客室」
「あらあら、今回は珍しく糞尿剣士の勝ちのようですね」
その言葉に大歓声を上げる三人の若者とは対照的に頭を抱えるアリストに判定を下した女性が問う。
「それで……」
「肝心の話ですが、あるのですか?王太子の義務を放りだして、勇者として外に出かけられる方策は?」
「もちろん」
「宮廷の人間は私が内政に関わることをよしとしていないようです。そういうことであれば、今後も今までと同じように過ごすしかないでしょう」
一瞬で立ち直ったアリストを鼻白みながらながらフィーネの問いは続く。
「ですが、ただの王子と王太子では立場が違うでしょう」
「一応それなりの理由を考えました」
「敵は非常に強力な魔法を使う者。もしかしたら、宮廷魔術師が展開する王都の結界が突き破られることがあるかもしれません。そのようなときに王と王太子、そして副王がすべて同じ場所にいては一撃でブリターニャは滅びます。そうならぬよう、王と王太子は別の場所に居を持つべき」
「どうでしょうか?」
「悪くないですね」
フィーネは呟く。
……本能寺の変。織田信長の失敗は自身だけではなく、少数の護衛だけを連れただけの信忠を京都に呼び寄せていたことです。
……そうでなければ、たとえ自身があの場で光秀に討たれても、織田家は秀吉に天下を奪われることがなかった。
……まあ、そのチャンスを逃さなかった光秀が見事ということになるのでしょうが。
……あの時のことを知っていれば、アリストのこの言葉は容易に理解できます。
……危機管理上これは正しい策。
ただし、フィーネが実際に口にしたのはその心の声とはまったく逆のものだった。
「よく考えつくものですね。そのような戯言を」
「ですが、話としてはよくできていると思いますし、筋は通っていると思いますがいかがですか?」
アリストはこう言ってこの話を締めくくった。
そして、それからさらにのんびりした時間が過ぎ、式典がおこなわれる前々日の昼過ぎ。
アリストがアイアース・イムシーダ率いる護衛部隊とともにサイレンセスト近くに姿を現す。
一方、ファーブたち四人は別の場所から王都に入る。
そう。
これは公的行事。
私兵の出る幕ではないということである。
「てっきり俺たちも『王者の門』を通れると思ったのに、いつものところか」
「所詮門は門。どこでもいいだろう。そんなことより……」
ブランが口にした不満の声を払いのけたところでファーブが気合いの入ったドレス姿の女性を見やる。
「俺たちも王城に入れるのは聞いているが式典は出られるのだろうな?」
「そうだ。式典にはうまいものも出るのだろう。それは絶対に食べたい」
「ああ。そうでなければ来た甲斐がない」
「そのとおり」
三人がその希望を盛大に披露し終えると、女性は彼らの愚問、いや疑問に答えるために口を開く。
「もちろん私は出席しますよ。ですが、あなたがたはたぶん無理でしょう」
「はあ?」
フィーネの即答にファーブは間抜けな声を上げるが、彼女はそれを無視するように言葉を続ける。
「王城の公式行事にはそれなりの服が必要なのです」
「それでその服か」
「いいえ。これは王城に入るための服で警戒が厳しく身なりの悪い者は王都にすら入れない可能性がありますから。まあ、そういうことであなたたちは私に感謝すべきなのです」
「なぜ?」
「私と一緒にいればあなたたちは私の従者に見えるでしょう。そうでなければあのように……」
言葉を切ったフィーネが視線で示したのは門番たちに王都への通行を拒まれる商人の姿。
そうして、ファーブたちを納得させたフィーネは言葉を続ける。
「ちなみに式典にはブリターニャの公的行事に参加するのにふさわしい別のものを用意しています。それで、肝心のあなたたちですが……」
「あるのですか?王室主催の式典に参加するときに着る服が……」
答えはもちろんない。
となれば、おとなしく待機ということになる。
「くそっ」
「つまらん」
「では、王城に入った俺たちはその間何をしていればいいのだ?」
「そうですね……」
「あなたたちにふさわしい馬小屋の掃除とか庭の草むしりをすることになるでしょうね」
「ふ、ふざけるな」
この辺についていつも通り。
すべてが通常運転というところだった。
そして、王城にいる者すべて、いや、特配が出る前線の兵たち、恩赦の出る囚人、さらに国中の者が「明日中にすべての準備が整い、明後日の式典を迎える」と思っていたその夜、事件が起こる。
五人がアリストの部屋で酒を飲んでいると、アリストの名を呼ぶ声とともに部屋のドアを乱暴に叩く音がする。
「ファーブ」
アリストの冷気を帯びた声とともに三人の若者は剣を握る。
もちろんこの時点で完全な防御魔法が展開され、何事にも対処できるようになっている。
「誰だ?」
ファーブの乱暴な誰何に言葉を返したのはイムシーダ配下の騎士アティカス・ファラーフと名乗る男だった。
「こんな夜中にやってくる要件はなんだ?」
「前線のアルバート・カーマ―ゼン将軍からアリスト殿下に大至急の使者が来ました。返答が欲しいと使者が待っていますがいかがいたしましょうか」
「内容は?」
「その……」
「アリスト殿下に直接伝えると言っておりますので……」
「刺客ではないのか確認したのか?」
「もちろんです」
「どうする?アリスト」
「会いましょう。使者をここまで連れて来てください」
そして……。
クリフトン・キャンバリー。
すでに身体検査はしたというが、マロとブランにより再度の検査を受けたその男はそう名乗った男はまず人払いを要求する。
「……アリスト殿下にのみ伝えよとカーマ―ゼン様より命じられておりますので」
「なるほど」
……魔術師か。
男から漏れる魔力からその男が魔術師であることはあきらか。
……ここでそれを隠すのであれば刺客確定だが、果たしてどうかな。
目を細めたアリストが口を開く。
「ここまでどうやって来たのかな?」
「私は魔術師ですので自力で」
……違う。ということですか。
「わかった」
「みんな、隣の部屋に移動してくれ」
「ああ」
「ごゆっくり」
アリストの言葉にファーブとフィーネが応じ、四人が隣の部屋へと移る。
むろんすでに完全防御の体制が出来上がっているので男が何をしようがアリストは傷つかないことを見越してのことであるが、それを知らないキャンバリーはアリストの様子を窺い、こう呟く。
……武器はなし。
……緩いな。もし、私がその気になればあっさ暗殺成功だ。
そこにアリストの声がやって来る。
「さて、これでふたりだけになったわけだ。では、その大事な話を聞かせてもらおうか」
「はい」
アリストの言葉にそう返事してからキャンバリーはもう一度辺りを見渡す。
そして、口を開く。
「……カーマ―ゼン様からの伝言。それは……」
「今朝、ダワンイワヤの魔族軍の陣地から狼煙が上がり、その後やってきた使者がアリスト殿下に至急の話があると」
「もちろん我が軍の兵士は無理だと答えたのですが、魔族側はなおも食い下がりこう言ったそうです。『アリスト王子の王太子叙任の式典があるのは知っている』と。そして、こうつけ加えたそうです」
「ホリー王女に関すること。アリスト王子にそう伝えよ。それだけで話は通じる」
「それから、この件は他言無用とも」
「なるほど……それで……」
「具体的の内容は?」
「何も。ただし来なかった場合に後悔するのはそちらだと言っていたそうです」
「わかりました」
「では、式典後に会う……」
「それが……明日という指定がありまして……それで大急ぎで王都に来たわけで……」
「なるほど」
「いかがいたしましょうか?」
「そうですね」
さすがのアリストもこの問いには悩む。
……ホリーに関わることとなれば、行かねばならないが、さすがに公的行事を放り出してはいけない。なにしろ私は今や王太子。しかも、今回の催しは王太子になった私を祝う行事。
……よりによってこんな時に……。
「ちなみに魔族は誰が来ると?」
「グワラニーだそうです」
……ということは、これは嫌がらせの類。
……ホリーの名を出したということは、王太子になったことを祝しホリーに合わせるということなのだろうが、わざわざ前日に指定するとは奴がやりそうなことだ。
……私が思い悩む姿を想像している奴の底意地の悪い笑みが目に浮かぶ。
……だが、ホリーには悪いがここは断るしかあるまい。
アリストは大きく息を吐きだし、それからゆっくりと口を開く。
「では、返答を伝える」
「その接触要求は拒否する。どうしても必要であるのなら、別の日にせよとも伝えてもらい……」
「ちょっと待ってください。密談中に口を挟んで申しわけないけど……」
「相手がグワラニーということであるのなら、私が代わりに行っても大丈夫でしょう」
アリストの声を遮り、割り込むようにやってきた声を主は女性のものだった。
むろん渋い表情を浮かべたのはキャンバリー。
たとえ盗み聞ぎとはいえ、将軍の命令を履行できなかったのだから当然である。
もちろんアリストは彼の心情をすぐに把握する。
「あなたからの話を聞いた私が彼女に話をしたということにすればいいでしょう。それで……」
「フィーネ。あなたが行ってどうにかなりますか?」
そう尋ねるアリストの言葉にフィーネは黒味のある笑みで応じる。
「さあ。ですが、少なくてもグワラニーがこの時機を狙ってそのようなことを言い出した意図くらいはわかるでしょう」
「それに、行かなければ後悔すると言っているのですから誰かは行かないわけにはいかないでしょう。幸い私もあの男とは顔見知り。他の者が代理になるよりはいいでしょう」
「そうですね。では……」
「ですが、殿下。殿下の代わりになるのがこのような……」
「それ以上言ったらここで死にますよ。ヘボ魔術師」
アリストとフィーネの会話に口を挟んだキャンバリーの頬を細い氷槍がかすめて壁に突き刺さる。
「視線ひとつで……」
相手が圧倒的な上位者であることを悟ったキャンバリーは呻く。
そして、それを肯定するような三人分の嘲りの成分が濃い言葉がやってくる。
「やめておけ。フィーネは脅しではなく本当に殺す」
「そうそう。俺たちはいつもひどい目に遭っているからよくわかっている」
「まあ、あんたが甚振られるのが好きな変わった趣味があるのなら止めないが。ただし、この後は外でやってくれ。気持ちの悪い声を聞かされては酒がまずくなる」
もちろんマロの言う変わった趣味を持ち合わせていないキャンバリーは三人の言葉に従い押し黙る。
キャンバリーがすべてを理解したところでアリストが言葉を続ける。
「キャンバリー。あなたにはカーマ―ゼン将軍のもとに戻り、私はやはりダワンイワヤには出向けないこと。それから、その代わりの者を送ることを伝えてください。もちろんそれによって起こったことの責任は将軍ではなく私にあることも伝えて」
「それから、ダワンイワヤでグワラニーでの交渉は私の代理人であるこのフィーネ・デ・フィラリオに一任することも伝えてください。彼女もすぐに現地に向かいます」
ただちに戻り殿下の言葉を将軍に伝えます。
その言葉を残し、キャンバリーはそそくさと部屋を出ていく。
ブランのあからさまな嘲笑を背中で受け止めながら。
「さて、では本題を」
キャンバリーが消えてすぐ、そう切り出したアリストの表情は先ほどまでの笑みはどこにもなかった。
と言いたいところなのだが、実際は顔中に笑みがこぼれていた。
「さすがにグワラニーだって王太子になった私が重要な国家行事を放りだしてやって来ると思っていないでしょう。ですが、話が通じる相手でなければ肝心の話が伝わらない。だから、代理人の選定を慎重におこなうようにわざわざ多くの条件をつけてきた。この事態はそういうことでしょう。そうなれば……」
「グワラニーもフィーネがやってくるのは想定していることでしょう」
「問題はあの男の意図です」
「嫌がらせではないのか?」
「まあ、それはそうなのですが、その嫌がらせがどのようなものかということは問題ということです」
「つまり、アリストが動きたくなる内容。となれば、金か?」
「王太子になった祝いに金をくれる。または奪い取った金を返す。これであれば、来なかった場合にアリストは泣いて後悔する」
「間違いないな。あの魔族がどのような顔で言うのか直に見たい」
「ああ。今後の参考のためにも言い方も聞かねばばならない」
「どうせ暇だし」
「なるほど。馬小屋掃除が待っているあなたがたがフィーネに同行したい気持ちはよくわかりました」
「では、三人にはフィーネの護衛ということで同行をお願いしましょうか」
「護衛?荷物持ちの間違いでしょう」
「そうですね。まあ、とにかく彼らを連れていってください。馬小屋掃除を免れるのですからどれだけこき使っても構いませんから」
「そういうことなら仕方がありませんね。では、行きましょうか。お仕置き好きな従者諸君」
四人が騒音とともに部屋から出ていくとアリストはすぐにベットへと向かう。
「さて、護衛はイムシーダに任せることにして、私は私の義務を果たしましょうか」
「その一。睡眠」
「今日は三人の地揺れのようないびきに悩まされずに寝られそうです」
「そして、明日は式典の打ち合わせと準備」
「それから、明後日は本番。あれだけの衣装を持ち込んでいるのですから明日中に帰ってくるでしょうね。フィーネは。そうなれば、三人は……」
……結局、馬小屋掃除。
「見事に騙されたわけです」
やがて、アリストの意識は薄くなっていく。
まさか明日にとんでもない事態が待っているとも知らずに。




