あらたな動き
ホリーの不機嫌になった原因がわからないアリストにとっては実に微妙な結末となったわけなのだが、王子たちの遺体を対価なしで手にできたのだ。
それをブリターニャと考えた場合、今回の交渉は十分な成功といえるだろう。
当然それをおこなったアリストの評価は一段と上がる。
そして、すでにライバルたちが一斉に舞台から降りてしまった段階で事実上決まっていたアリストの王太子就任はこれで確定した。
それが王城内外で流れる噂。
一方、魔族側に目を移すと侵攻してきたブリターニャの大軍を粉砕しただけではなく、ブリターニャの王族を多数討ち取ったというニュースに王都イペトスートは大いに沸く。
そして、その指揮を執ったのがグワラニーであることがわかると、その歓声は一段と大きなものとなる。
むろんガスリンやコンシリアにとってそれは望ましいものではなかったのだが、その凄まじい戦果を見せられては自身の子飼いにも褒美が出ただけで満足するしかなかった。
「ありがたいことに奴は自らの活躍の場を次々と休戦状態にしている。つまり休業状態。となれば、われわれは開店している店で派手な活躍をすれば十分に追いつける」
微妙な比喩で自らを奮い立たせるようなコンシリアの言葉がその現状をよく表しているといえるだろう。
実はこの時点で魔族軍が戦っているのはブリターニャ、フランベーニュ、マジャーラの三か国のみ。
しかも、マジャーラは単発的な略奪はおこなっても、大規模な攻勢に出ることはないので、実質的には二か国ということになる。
さらに大きく分けてふたつの戦線を抱えていたフランベーニュはそのひとつを多くの将兵とともに失い、一か所のみに集中することになる。
そうなれば残った一か所に兵力集中すればいいだろうということになるのだが、魔族軍が目の前に陣を敷くミュランジ城は物資輸送の要だけではなく王都からそう遠くない場所。
当然後方に重厚な防御体制を敷く必要があるため、前線に送る余剰戦力はない。
つまり、戦線が整理され兵力が集中できるようになった魔族軍だけが前線に兵を集めることができる状態になったということである。
もっとも、彼らも動かないままのアストラハーニェという最大の敵国を抱えているため、言葉で言うほどは戦力の移動はできないのだが。
そして、ブリターニャ軍。
今回の戦いで二十万近くの兵を失っていたものの、本来の戦場とは別の場所でおこなわれたうえ、戦ったのがほぼすべてが私兵と傭兵だったこともあり、兵士たちには若干の動揺があったもののブリターニャの戦線には大きな変化はなかった。
ただし、それはブリターニャ軍側の話であり、魔族軍側も同様かといえばそうではない。
そう。
彼らと対峙する魔族軍にも戦線整理の恩恵はやってきたのだ。
これまで多くの予備部隊を張りつけていた王都への別ルートや要衝ペルハイの警備をグワラニーの部隊に任せることになったため、そのすべてをそっくり前線に振り分けることができるようになったのだ。
もちろん効果はすぐに現れる。
なんと魔族軍がいくつかの要衝を奪還することに成功したのだ。
しかも、グワラニーに無関係な部隊が。
これは敗北と後退の連続だったこの数年からは考えられないことでだった。
そのような状況の中、ブリターニャ王宮が動き始める。
ブリターニャ王国の都サイレンセスト。
その中心に位置し、カムデンヒルという異名も持つ王城。
この数日間の間にその中での人の流れはそれまでと違うものになったのを多くの者が知覚していた。
その流れを簡単に表現すれば、アリスト詣。
間違いなく王太子となる第一王子に取り入ろうとせっせと媚びを売る輩がひっきりなしにアリストのもとを訪れていたのだ。
その舞台となるのは王城内の一室。
アリストがぼやき気味に、「こんなことなら『黄金の胸』を残しておけばよかった」と言うくらいの盛況ぶりである。
そして、アリストのもとを訪れる彼らは多くの貢物を持参するわけなのだが、そのなかでも最高のものが自身の娘となる。
そう。
簡単に言ってしまえば、妻のいないアリストに自らの娘を押し付け縁故関係を結びたい。
もちろん彼女は将来王妃となるのだから、その権力と富は莫大なものとなる。
彼らはそれを狙っているのである。
だが、さすがに娘本人を連れてくるわけにはいかない。
ブリターニャの王城の警備は緩くない。
自身も公的な理由で入城を許され、「ついでに」アリストの部屋を訪れているという形になっているのだ。
娘とはいえ、公的な用事に無関係な者を同行させるわけにはいかないのは当然であろう。
そこで娘の売り込みにやって来る彼らが代わりとして持参するものが絵。
いわゆる肖像画ということになる。
そして……。
「……それにしても」
この日三枚目の肖像画を持参した来訪者となるアルバート・チェシントン男爵が部屋を出ていくと、アリストはため息交じりに言葉を呟く。
「誰も彼もなぜ同じような女性の絵ばかり持ってくるでしょうね」
そう。
アリストが苦笑いとともに眺めるその絵はやってくる肖像画の特徴を見事に捉えていた。
「銀髪の美人。そして、大きな胸。まあ、美人はよしとしても、その他はどうなのですか?」
「きっと、アリストは出来の悪い弟と同じで『銀髪の魔女』が好きだと思っているのでしょう」
そう言って、その女性は長い黒髪を搔き分ける。
「まあ、私はこの絵の女性をより十倍美しく、五千万倍強いです」
「それに黒髪ですし」
「たしかに今は黒髪ですが、あなたの本来の髪色が銀なのは王都にいる者は皆知っていることです。アイゼイヤを叩きのめした話はすでに伝説になっていますし、ブルーノ・アルトナハラの一件のことを覚えている者も多いですから」
フィーネが最後につけ加えた言葉に応えるようにアリストが口にしたことはすべて事実である。
だが……。
「ブルーノ・アルトナハラ?誰ですか?それは」
フィーネは首をかしげながらその人物の名を口にする。
惚けている様子はない。
「あなたの恩人ですよ」
「私の恩人とやらにそのような名を持つ者はいませんね」
アリストの苦笑はさらに深みを増す。
「ラフギールであなたが懲らしめた貴族様です」
「あ~」
そこでフィーネは心の隅に残る消えかかった名前を思い出す。
「私の領地の前の持ち主ですか」
そう言って笑ったフィーネはわざとらしい咳払いで仕切り直しをすると、今度は少し黒味のある笑みを浮かべる。
「なるほど。彼女たちはあのときの私をの見本にして選ばれたわけですか。ですが、私が知っているかぎり、この手の肖像画というのは相手の好みに合わせるものだったはずです。ということは、私はアリストの好みの女性ということなのですか?」
そう言ってフィーネは黒い笑みを浮かべる。
もちろん天地神明に誓ってそのような事実はないアリストは即時に否定の言葉を口にする。
「それは色々な意味で遠慮しておきましょう。それに、それは私がそうだというわけではなく、彼らがそうだと思っているのですから、その質問はこの絵を持ってきた方々にぶつけるものでしょう」
「逃げましたね」
「いやいや、本当のことを言っただけです」
「まあ、いいでしょう」
これ以上突っ込んでも何も出てこないと思ったフィーネはそこで追及をやめる。
そして、問う。
「それで、この中から選ぶわけですか?未来の王妃を」
さすがにこちらに関してはいたって真面目な問いであったため、当然冗談で返すわけにはいかない。
アリストは笑みを消し、それから口を開く。
「ないですね。少なくても正妃は」
「理由は?」
「陛下から厳命されていますから。正妃は自分が選ぶと」
「ほう」
「随分と息子思いの父親なのですね」
「というか、陛下にとって私の婚姻は単なる道具ですね。なにしろ陛下が考えている妃は他国の王族ですから」
「……そういうことですか」
フィーネが口にしたのはそこまで。
その後は心の中で呟く。
……国を守るために王女を簡単に手放したときにそう思っていましたが……。
……想像以上にやり手ということですか。
……そして、男尊女卑の権化。
……二十一世紀の日本では通用しない為政者ですね。
……いいえ。
フィーネは一度断言した自身の言葉を否定した。
……あれから二十年以上経って変わったかもしれませんが、少なくても私がいた当時の日本の為政者も同じようなものでした。
「そういうことなら、彼らには違う言葉をかけてやるべきではないのですか」
「傍らで聞いているかぎり、アリストはどの訪問者にも見込みがあると思わせるようなことを言っています。そうなれば、彼らはさらに貢物を持ってくることになりますよ」
「いいではありませんか」
「いいわけないでしょう。あなたも自覚くらいはあると思いますが、そういうのを詐欺と言います。王太子になる身なのですからその性格が直したほうがいいと忠告しておきしょう」
鼻白みながら口にしたフィーネの言葉。
それをアリストは笑顔で受け流す。
「ご忠告は感謝しますが、私と違って彼らは金持ち。グワラニーに金をふんだくられた哀れな私はこういうような方法で小銭をため込むしかないのです。それに……」
「みっともないと言うのならその原因をつくったグワラニーに言ってください。フィーネ」
「また責任を擦り付けるのですか」
「そこは責任を分かち合うということでお願いします」
悪びれずに堂々と恥ずかしい言葉を言い放つアリストの言葉にフィーネの顔が歪む。
「まあ、所詮ブリターニャ貴族の話ですから、いいことにしておきましょうか」
そう言って強制的に手打ちにしたフィーネが次に言及したのは今後の予定だった。
「……それで、アリストが王太子になる手順というのはどのようなものなのですか?」
アリストの王太子叙任は決定的という巷の噂を耳にしていたフィーネの言葉はそう深いものではなかったのだが、アリストから返ってきた答えは意外なものだった。
そして、これがその答えとなるものである。
「皆が思っているほど簡単ではないのですよ。これが」
そう言ったアリストは今日何度目になるかわからぬため息をつく。
「アイゼイヤとジェレマイアという候補者がいますので」
アリストのこの答えはフィーネにとっては意外すぎるといえるものだった。
「ですが、彼らは今回の戦いで傷がついているでしょう」
そのとおり。
誰もがそう思う。
だが、そうはならないのが、宮廷というところなのである。
実は自身もフィーネと同じ意見だったアリストは苦笑する。
「まあ、そうなのですが、ジェレマイアを推す勢力から多額の金品をもらっている王族もいる。形だけでも彼を推さなければならない。アイゼイヤについても彼と同じ母親であるファーガスの後援者であるウフスリン侯爵家からもらった金の分くらいは何かしなければならない者はさらに多い。そのような者たちが集う場所が王族会議なのです」
二日後。
予想通り王族会議の招集が決定され、それから三日後という異例の速さで開催される。
その一日目。
王太子候補者にアリストのほか、五男アイゼイヤ、六男ジェレマイアが選出される。
ここまでは慣例に従って進んだわけなのだが、ここで予想外の動議が出される。
「アリスト王子は魔族と手を結んでいた可能性が高い」
これは第二王子ダニエル・ブリターニャを推していたランゴレン侯爵家から多額の金品を贈られていた侯爵アッシャー・ディニントンと伯爵アティカス・クラウルから出されたもので、ファーガズ・ブリターニャの後援者ウフスリン侯爵家に近いエイベル・キーズリー公爵、ブラッドリー・ラドクリフ伯爵も賛意を示したのだ。
一軍を率いていたジェレマイアが戦いの始まる直前に戦いに参加することを拒否するというありえないことは起きた理由。
それは魔族の将に自身の競争相手の殺害を依頼していたアリストがその巻き添えにならぬように当日戦場に行かないようジェレマイアに指示をしたからだ。
それを示すように魔族の攻撃はジェレマイア王子を避けていた。
そして、それはブリターニャの配備状況を魔族軍が知っていたからできることであり、アリスト王子が魔族軍に詳細な情報を流していた証拠でもある。
「そのような卑劣な男がこの国の王太子になることなど絶対に認められない」
ダニエル陣営からの意見にファーガス陣営が乗る。
見た目上、この動議はそうなるわけなのだが、実はその実態がまったくの逆であった。
もう少し詳しくいえば、ファーガス陣営を中心にいる王族エイベル・キーズリーがダニエル側の王族アッシャー・ディニントンにアイゼイヤの王太子叙任に手を貸せば、相応の報酬を約束していたのだ。
具体的には……。
アイゼイヤの妻、つまり将来の王妃としてディニントンに繋がる者を嫁がせるというもの。
これによって両家ともに力を増す。
ダニエルだけではなくレオナルドも失い、駒がなくなっていたディニントンにとっては十分なものといえるだろう。
むろんディニントンとクラウルはアリストが魔族と繋がっているという物的証拠を提出したわけではない。
だが、ジェレマイアの不可解な行動はそれを十分に思わせるものではあり、さらにジェレマイアを避けて攻撃したと思わせる結果が残っているのもこれまた事実。
中立的な立場の王族なかにもこの主張に頷く者が多かったのはそのようなことがあったからだ。
もちろん、ジェレマイアが難を逃れたのは、魔族の最優先の攻撃目標である魔術師から離れるようにというアリストのアドバイスに従った必然と魔術師以外の者が攻撃に巻き込まれないようにピンポイントで攻撃するよう命令を出したという偶然が重なっただけであり、意図的に彼が攻撃されなかったというわけではない。
そして、魔族軍の大軍がブリターニャを待ち受けていたのは情報が洩れていたからという主張も、それ自体は正しいものの、情報の入手先は大海賊ワイバーンであったのだから、アリストが魔族軍に情報を流したという主張は大きな間違いである。
ふたりの貴族の主張の中で唯一正解に近いのは、ジェレマイアが直前になって攻撃に参加しなかったのはアリストの言葉に従ったからという部分ではあるのだが、これだってアリストは単純に可能性のひとつとして述べていただけであり、グワラニーたちが待ち構えているとは思ってもいなかった。
ただし……。
「まあ、私が潔白であることを証明するにはグワラニーに証言させるしかないわけだから事実上無理だ。しかも、何かの拍子にグワラニーがそう答えても魔族の答えなど信じられないとなるに決まっている。つまり、その疑いは晴らしようがない」
その話を聞いたアリストは苦笑いしながらそう答えた。
そして、その夜。
アリストからその話を聞いた者たちは大いに盛り上がる。
「だが、アリストが王太子にならないのならアイゼイヤとかいうお情けで助かったポンコツ王子か、軍司令官にもかかわらず戦いを逃げた腰抜け王子のどちらかになるのだろう」
「アリストはそんな連中より下だということはブリターニャの王族にとってケチであることは最低のおこないということなのだろうな」
「まあ、ケチな王様など魅力がないのは確かだ。残念だったな。アリスト。金儲けが出来なくて」
「ですが……」
一時的にラフギールに戻ったアリストが王族会議の話をするとファーブたち三人の剣士はそれをネタに日頃の鬱憤を晴らし始める。
そこに加わってきたのは勇者一行のもうひとりフィーネだった。
「第一王子が王太子候補になったときはそのまますんなり決まると言っていませんでしたか?」
事実である。
最終的には議決権を持つ王の意向がそのまま反映される。
それがブリターニャの王族会議での特徴となる。
その問いには答えず、苦笑いするだけのアリストを眺めながらフィーネはさらに言葉を続ける。
「アリストに聞きます。ポンコツを推すその王族とやらの目的は想像できますが、もっとも大事なこと。つまり、ポンコツが王になってもブリターニャがやっていけるのかまで考えてやっているのですか?」
「私は見たところで、ポンコツも腰抜けも王の器には思えませんでしたが」
これまた核心を突いた問いといえる。
アリスト以外のふたりの王子はアリストを押しのけて王太子になるにふさわしいだけのものをこれまで示してきたのかと言えば、まったくない。
それどころか、今回の戦いでアイゼイヤは魔族の捕虜になってブリターニャが多額の金を支払うきっかけをつくり、ジェレマイアにいたっては戦いが始まる直前に戦場に向かうことを拒否したのだから、マイナス要因しかない。
王太子、そして、王として軍を率いる資質は微塵も感じられない。
もちろんアリストも今回の戦いを含めて軍を率いて戦場に出た経験はない。
その点は同じであるが、その減点がふたりよりも大きいとは思えない。
さらにいえば、これまで何度かおこなわれた父王立ち合いの討論の場で、アリストの存在感は圧倒的であった。
そして、今回の交渉。
大金を支払ったものの、捕虜となったアイゼイヤを奪還したうえ、戦死者の遺体を数多く返還させたほか、通常なら相手の戦利品となる多くの武具を持ち帰る成果を挙げている。
そのアリストを押しのけ、王の資質があるとは思えぬアイゼイヤを王位にして、ブリターニャはやっていけるのか。
フィーネはそう問うたのが、この問いに関してのアリストの答えはイエスでもありノーでもあるというなぞかけのようなものであった。
もちろんアイゼイヤがこれから隠れた資質を爆発させる可能性が低い以上、出来の悪い王が誕生するのは確実である。
だが、そのような出来の悪い王がこれまでいなかったかといえば、そのようなことはなく、それどころかこれまでの王の大部分は凡庸な王だったといっていいだろう。
つまり、そうであっても国は動く。
それだけの文官組織がブリターニャにはあるということなのである。
もう少し踏み込んだ言い方をすれば、文官上層部にとっては才があり自身の意志をもって積極的に動く王よりも自分たちの言葉に頷くだけの凡庸な王の方が望ましい。
そういう点ではアイゼイヤなりジェレマイアこそ彼らにとって理想の王。
つまり、彼らが王太子に選ばれることを文官たちは望んでいる。
その文官たちに恩を売り自分たちが権力を掌握する。
内向きではあるが、ある意味で公爵たちの主張は理に適っているともいえるのである。
当然アリストはその辺の事情を把握している。
……これまでならそれでよかった。
……だが、相手の魔族にグワラニーという化け物がいる以上、ブリターニャの文官たちでは絶対に対応できない。もちろん公爵たちも。
……つまり、目先に利益に囚われ、アイゼイヤを王太子に選んだ瞬間、ブリターニャの敗北が決まる。
……それどころか、人間社会がまた魔族に従属する世界が始まることになる。
……グワラニーは軍人としての才もすばらしいが、これまで見聞きしたことを合わせて考えれば為政者としての才もある。それは様々な事情が付加されているとはいえ、事実上の属国となったノルディアに対して魔族が特別厳しい枷を与えていないのはノルディアをほぼ単独が屈服させたグワラニーの存在が大きいのだろうし、彼が自らの領地としている場所に住むフランベーニュ人の扱いを見れば彼が王になれば「良き支配者に支配される世界」になるのは間違いない。
……それでも……。
……我々人間は魔族の支配を受けるわけにはいかないのだ。
……なぜなら、グワラニーは魔族のなかでは異物。あの男の時代はともかく、その次もあの男の資質を受け継いだ者が王になるとは限らぬ。それどころか、人間を家畜としか思わぬ者がその地位に就くと考えるべき。
……だから、勇者という人材を持った今魔族を叩き、力を弱めたところで管理下に置く必要があるのだ。
……そのためにはその中心にあるブリターニャはホリーのような明敏な王をいだかなければならない。
……そのホリーが王城にいない以上、不本意ながら私がその地位に就くしかないのだ。
相反すような言葉を羅列する心の声をそこで止めたアリストが口を開く。
「彼らのなかでは十分にできると考えているのでしょう」
「公爵もそこまで馬鹿ではない」
「滅びと引き換えにしてまで得なければならない利などありません」
「公爵たちには手に入れた権益を長く保てる自信があるということです。まあ、その核にあるのは、せっかく手に入れた権益を簡単には手放したくということなのでしょうが」
「まあ、どちらにしても決めるのは国王。周りがどれだけ騒ごうがどうにもならないことなのです」
「そして、当然明敏な王の選択は三人の中で一番ふさわしい者を選ぶことになります」
つまり、父王が自分を選んであっさり終了。
アリストは暗にそう言っていた。
だが……。
実は、その頃彼の父ブリターニャ王、カーセルは悩んでいた。
むろんアイゼイヤを推す者たちが声高に叫ぶアリストが国を裏切り魔族と手を握ったという主張はまったく信じていない。
さらに、アリストが将来の王である王太子への道に立ち塞がる大きな壁とされた魔術師である事実も、過去の例にならっていくらでも飛び越えることは可能。
そして、なによりもアリストの才が圧倒的。
悩むものは何もないと言っていいはずだ。
だが……。
父王は今まで以上に悩んでいた。
そして、それが相手のいない場所で無自覚に言葉が漏れ出す理由でもあった。
「……アリストがアイゼイヤとジェレマイアよりすべての能力があるのは疑いようもない」
「……さらに自身に箔をつけるために出かけた今回の遠征でふたりは傷を負い、捕虜になったアイゼイヤを取り戻す交渉をおこなったのもアリストだ」
「……アリストを王太子に選ばない理由がない」
「……だが、アリストの思想は急進すぎる。まあ、外交はそれでもいい。だが、伝統と慣習が最も重要な内政は正しさだけでは決定できない」
「……その点アイゼイヤは凡庸。政治的手腕の皆無。おそらく文官の言葉に頷くだけが彼の仕事になるのだが、内政に限ってはそのほうが望ましい。しかし、小物が権力を持った時、その権力を国のためではなく私欲のためだけに使う前例も多い。アイゼイヤの場合はその権力の行使先は女に向くのは間違いない。そうなれば、アルフレッド・ブリターニャとは別の意味で有名になりかねない」
カーセルの深き悩みはさらに続く。
「……王をアイゼイヤ。その暴走を止めるための相談役にアリストを置く。もっとも妥当なものに思えるのはこれだが、アリストにどの程度の権限を与えるか?」
「……王を止めるためにはかなり大きな権限をあたえなければならない。そうなれば肩書も宰相ではなく副王がいいだろうが、そうなってしまっては事実上アリストの意向ですべてが動くことになり、アリストを王にするのと変わらない」
「では、アリストではなくジェレマイアに権限を与えて副王の地位に就かせるか?いや。アリストがその地位に就く以上にろくな結果にならない。こんなことを決めては死んでから祖霊にもう一度殺されかねない」
「……待てよ」
そこまで考えを進めたところでカーセルの思考はある結論に辿り着く。
「……アイゼイヤに権力を与えると私的目的に使用するのが不安でアリストをつけようかと考えたが、そうであれば、逆にアリストを王太子にしてアイゼイヤとジェレマイアを抑える側として配置することにすればいいではないか」
「アイゼイヤを第一副王、ジェレマイア第二副王としておけば、もしものときにも揉めることはなく王位の移譲ができる」
「発表前にアリストには釘を刺しておくべきだろうが……」
その夜。
ラフギールから王都に呼び戻されたアリストが向かったのはもちろん父王の私室。
そして、そこで語られたのは王太子に叙任についてだった。
「王族会議最終日におまえが王太子に叙せられる」
「まあ、第一王子がその候補者であり、私がおまえを王太子に推しているのだから当然のことだ」
「アリスト。おまえはすべての点でブリターニャの王となるべき才を持っている」
「だが、おまえの考えの一部は王宮に住まう者たちを不安にさせるものがある」
「そこで、王である私は、おまえが王太子になるための条件を加えることにした」
「おまえが王になる際にはアイゼイヤとジェレマイアを副王とし、その言葉を十分に尊重することを宣言せよ」
……つまり、アイゼイヤとジェレマイアが私の枷ということですか。
アリストは父王の言葉にあるものを理解する。
……国を動かす中心に不安があってはグワラニーとは戦えないということですか。
……まあ、正しくはあります。
……ですが……。
……王族や貴族の都合で予定外の戦いを始めるようなことがまかり通る今のような体制を維持したままでではグワラニーには勝てない。
……ですが、それは王位に就いてからおこなえばよいこと。
「承知しました。その条件で王太子をやらせていただきます」
「ですが、それについて私からひとつ提案があります」
「とりあえず聞こう」
それは何があろうが変更は一切ないという父王の意志表示である。
……まあ、そうでしょうね。
心の中でそう呟いたアリストが表情を変える。
「王太子になった私が王になった際にアイゼイヤとジェレマイアを副王にする。その点について異論はありません。私の提案はもうひとりそこに名を加えていただきたい者がいるということです」
「誰だ?」
「ホリー・ブリターニャ」
「ホリーを副王?」
「はい」
「……それは無理だな」
一瞬後、王はそう返答した。
王の言葉は絶対。
一度口にしたものは変更などありえない。
だが、それは公的な場での話。
ここは私的空間。
さらにこの場にいるのは王とアリストのみ。
十分にひっくり返せる。
それがアリストの算段だった。
そして、唐突に持ち出されたように見えるこの提案であるが、もちろんそれはアリストがかねてから抱えていたホリーをブリターニャ王にするというアイデアの入口にあたるものである。
ただし、それは今回の論功行賞の際に披露するつもりでいたもの。
ここでそれを提案したのはダワンイワヤ会戦でたっぷりと汚名を着たふたりの王子が副王にするという王の言葉があったからだ。
父王の言葉があったにも関わらず、絶対的な勝算のあるアリストが父王の言葉の直後それに応じる。
「なぜでしょうか?」
「むろんホリーは女だからに決まっているだろう」
「ですが、女性が副王になれないとどこにも書かれていません」
事実である。
王位に関する規定を示す王室典範には「国王は王の血を引く男子」とは書かれているが、副王に関する規定はない。
ただし、これは記されていないだけで、王の代理、または王が王太子を定めず世を去ったときなど王として国政に携わるのだから、王に準ずるのは当然。
つまり、アリストの言葉は単なる屁理屈。
最大限によく言っても拡大解釈の類といえる。
それを咎めようと父王が口を開きかけた瞬間、アリストはトドメとなる言葉を口にする。
「実際のところ、兵たちを死地に向かわせながらジェレマイアは戦いに出ることなく後方で震えあがり、アイゼイヤに至っては虜囚になるという失態を犯しています。そのふたりがその罪を問われることなく副王になる」
「それに対し、ホリーは本来無関係な戦いの決着のためアイゼイヤと一万の捕虜の身代わりに魔族のもとに向かった」
「その彼女に対しなにひとつ功がないというのはおかしいではありませんか」
「それに……」
「ホリーは二度とサイレンセストには戻れない。そして、ブリターニャが魔族との休戦協定を破れば報復によりこの世を去る」
「となれば、ホリーの副王叙任は名誉称号のようなものでなにひとつ実利はありません」
「私としてはホリーに副王の地位を授けるのはすぐにでも、つまり彼女が生きているうちにお願いしたい。私が王太子に就くと同時にホリーが副王になれるよう手続きをしていただきたいのです」
「……わかった」
おそらくアリストの言葉を慎重に吟味したのだろう。
その短い言葉が発せられるのには驚くほど長い時間を要した。
「その点については私の配慮が足りなかった」
「ただし、副王になったからといって魔族がホリーの返還交渉を切り出しても絶対に応じない。その点についてはここで明言しておく」
「言い方は悪いが、魔族に殺されることを前提にホリーに副王の地位を与えることにするということだ」
「それでいいな」
「もちろんです」
「ありがとうございます。父上」
敢えて、陛下ではなく父上という言葉を使ってアリストは礼を言い、深々と頭を下げた。
「……ところで、アリスト」
「ブリターニャ史上初めて女性副王になる者は元気であったか?」
自身の娘であるにもかかわらず父王の言葉がそのような言い方になったのは、自身に負い目があるためなのか、自らには娘と名乗る資格がないと悟ったのかはわからない。
だが、とにかくホリーの安否を尋ねられたのは間違いない。
アリストは少しだけ微笑む。
「ええ。非常に元気でした。今は」
もちろんアリストは知っている。
グワラニーに預けておけば、ホリーの身は今はもちろん将来も安全だと。
そして、それがたとえ魔族の王がどのような要求をしようがグワラニーなら撥ね退けるくらいのことはやることも。
……そのためにわざわざあの男の妻という肩書にしたのだから。
敵へのものとは思えぬ信頼の言葉を心の中で呟いたアリストに父王はあらたな問いの言葉を投げかける。
「いくらか話をすることができたのか?」
「はい」
「現在にホリーはグワラニーの根城にしているクアムートなる場所にいるようです」
「クアムートというと、グワラニーがノルディアを粉砕した場所か?」
「はい」
まず父王の言葉を肯定し、アリストはそれからそこから言葉を続ける。
「ノルディアとは休戦状態にあることもあり、住んでいる魔族は比較的のんびりしていると言っておりました」
「なるほど」
「戻りたいとは言わなかったか?」
「自分の役目をわかっているようで、そのようなことは一切言わず、こちらからの誘いもきっぱりと断りました」
「そうか」
「たしかに副王にふさわしい」
「アイゼイヤやジェレマイアとは比べものにならないな。ホリーは」
「本当に残念だ。男であればまちがいなく完璧な王太子になれたものを」
「まったくです」
アリストが肯定したカーセルが思わず口にした言葉。
実はこれとほぼ同じ意味の言葉は解放され王都に戻ってきた兵士、そして、北部方面軍を中心とした前線で数多く聞かれていた。
「ホリー王女は素晴らしい」
「さすが王族といえる堂々たる振舞い」
「魔族に連れていかれる際も表情ひとつ変えることがなかったそうだ」
「ああ。我々兵士のために王族が自らを犠牲にするなどありえないことだ」
もちろんそれは彼女の代わりに生きて王都に戻ることができたアイゼイヤや、そもそも戦うことを拒否したジェレマイアに対する非難の入口となる。
そして、王族に対するものとは思えぬ言葉が次々と並んだ彼らの言葉はこう結ばれる。
「ホリー王女が男であったのなら」
もちろんそう言って彼女が男になるわけではない。
では、どうするべきなのか。
簡単なことである。
枷を取ればいい。
そして、ホリーの才に最も早く気づいたアリストがその才を将来のブリターニャの発展に生かすためにおこなった、その枷をはずすための第一歩。
それが今回の一件といえるだろう。




