ダワンイワヤ会戦 Ⅱ
時間を遡ったダワンイワヤの魔族軍陣地。
「まだ、クアムートに戻らないのですか?」
側近のバイアからやってきたその問いに、湿地帯を挟んだブリターニャ軍陣地を双眼鏡で眺めるグワラニーはこう答えた。
「勝者とは……」
「その戦場に最後まで残った者だ」
むろんこれは多くの場合の正解ではあるのだが、「勝ち逃げ」という言葉あるとおり、相手に痛撃を与えて引き上げる勝ち方もある。
ただし、この場合でも見方を変えれば残った側は相手を撃退したともいえるので、グワラニーの言葉は概ね正しいといえるだろう。
「ですが、そういうことであれば相手こそこちらが引くのを待つのではありませんか?」
そして、バイアのこの言葉も正しい。
それこそこれだけ負けたブリターニャ軍としてはなにかしら誇れるものが欲しいはず。
すでに勝敗は決しここから一撃を与えられる可能性もなく、さらに捕虜を取り戻す代わりに多額の身代金と王女を取られたブリターニャ軍が、「自分たちこそがこの戦いの勝者である」と主張できる唯一の根拠が最後まで戦場に残っていたこととなれば、当然意地でも居座るだろう。
十分にありえる話である。
だが、それは相手による。
「アリスト王子ならそんなことはしないだろう」
「戦いに参加していた将軍たちなら王都に戻ったあとに起こる責任問題をある。そうすることもあるだろうが、どうやら現在あの軍の実権を掌握しているのはアリスト王子」
「そうなれば、取り戻した捕虜たちを一刻も早く家族のもとに返そうとするだろう」
そして、グワラニーの言葉どおり、それから程なくブリターニャ軍は転移を開始し、その最後。
「アリスト王子と護衛の女性の魔力が消えました」
デルフィンの言葉に頷いたグワラニーは視線をタルファへと向ける。
「相手の撤退が確認できたので我々も引き上げる。ここに残る者を百人ほど人選してください」
続いて、少女の祖父である老魔術師に目をやる。
「魔術師も……」
「それはぬかりないがここもグワラニー殿の管轄になると、魔術師はともかく兵のほうは少々足りなくなるように思えるのだが」
魔術師長アンガス・コルペリーアが口にした懸念はもちろんグワラニーも承知している。
グワラニーはすでに王から領地として与えられている北部の要衝クアムート周辺だけではなく、魔族領の南部一帯もその担当地域となっている。
さらに金や銀を算出する山岳地帯の警備もおこなっているのだが、そのすべてをカバーするには三万の兵は少なすぎるといえる。
そして、今回の紛争地もそこに加えられるとなると、兵不足はさらに深刻なものとなる。
もちろんできないと言えばいいわけなのだが、そのすべてが自身の将来にとって重要な場所であるため言えないという事情がある。
結局やりくりして進むしかない。
「まあ、自由に使える直属部隊が多いことは悪くないのですが、私の意志を完全に理解するには時間がかかりますし、なにより経費的なことを考えれば増やせばいいというわけではありません」
「今回のように必要な数を借りるという方法がいいでしょう。無派閥の将軍たちはもちろん、ガスリンやコンシリアの派閥に所属する将軍たちだって今回いい思いをしたことは簡単には忘れない。意外に簡単に応じそうです」
「必要なときに借りる。賃料は王が支払う、グワラニー殿らしい」
グワラニー言葉に老魔術師はそう言って笑った。
それからまもなく。
「では、王女殿下。そろそろ出発です」
グワラニーの言葉に表情を硬くしたものの、それを懸命に隠したホリーは小さく頷く。
それでも一瞬後、口を開く。
「本当に行く場所はクアムートなのですか?」
実をいえばこの時点でもホリーはグワラニーを疑っていた。
兄であるアリストにはクアムートに連れていくと言いながら全く別の場所に連れていく。
もちろん本来であればそれは奪還対策のため十分に考えられることであり、ホリーがそう思うのは当然である。
だが、今回に限りその可能性はまったくない。
当然グワラニーの答えはイエス。
「クアムートは私の本拠地ですので」
間接的にその問いに肯定の言葉で応じる。
「私はタルファ夫妻の家に閉じ込められることになるのですか?」
「一応言っておけば、クアムートは魔族の町。当然他の場所と同じように人間が自由に歩ける環境ではないです」
「ただし、タルファ家の者たちと一緒であれば問題ないでしょう」
「あの家には王女とほぼ同じ歳の女の子がいますので、彼女と一緒に歩くといいでしょう。ブリターニャの王都サイレンセストと同じとは言いませんが、それなりに活況があります。それに、サイレンセストではあなたは王女でしたが、クアムートでは、ただの人間の少女。かえって楽しめるかもしれません」
とりあえず納得したホリーであったが、実は彼女にはもうひとつ心に引っ掛かっているものがあった。
いや。
そちらこそ本命かもしれない。
「それで……」
一度は自分の中でケリをつけた。
いや、自分の中ですべてのケリをつけ、納得したつもりであったものの、ひとりになった途端、再び大きくなる不安から確実は答えがどうしても必要だった。
ホリーはその言葉を口にする。
「あなたの妻になった私は何をすればいいのですか?」
もちろん彼女にとってそれは非常に重要なことである。
それはまちがいない。
そして、このようなことを自分から口にするのだから、相応の不安があるのだろう。
グワラニーはそう理解した。
……だが、さすがにここでそのようなことを聞くのはどうなのだ?
グワラニーは苦笑いする。
もちろん答えは何もする必要はないのだが、さすがにここまで堂々と問われては、「夫婦になるのだからすることはひとつ」などと言って王女の顔を真っ赤にさせてやりたくもなる。
だが、目の前にはデルフィンがいる。
さすがに彼女の耳に入れるにはその言葉は少々刺激が強すぎる。
そうかといってお茶を濁すようなことを言ってしますと、誤解されるのは間違いない。
……何もない。と言っておくべきなのだが、それでは彼女に余裕を持たせすぎになる。
……難しいな。
「王女殿下。まずはタルファ家で我が国について学び、慣れてもらうということになります。その後のことはそれから考えたらいかがでしょうか?」
ここは逃げの一手。
それがそう決めたグワラニーの言葉だった。
「とりあえず行きましょうか」
こうして、ブリターニャ、魔族、両軍が戦場を離れたことによりようやく終結したダワンイワヤ会戦であるが、その結果はこうなる。
まず、勝者である魔族軍。
グワラニーが王へ提出した報告書に従って説明しよう。
第一陣。
指揮官グワラニー。
参加数。
将兵一万六千二百二十六名。
魔術師長デルフィン・コルペリーア、魔術師千六百八名。
死傷者なし。
第二陣。
左翼部隊。
指揮官アンブロージョ・ペパス。
参加数。
将兵二万二千八百七十三名。
魔術師長アパリシード・ノウト、治癒専門二十名を含む魔術師九百三十七名。
掃討戦を担当するペパスの直属部隊千百十五名には百六十五名の負傷者が出たものの死者はなし。
ガスリン派で構成される追撃部隊の損害。
兵士の戦死者二百五十一名。
負傷者二千八百六十八名。
中央部隊。
指揮官はアルトゥール・ウベラバ。
参加数。
将兵三万八千二百四十一名。
魔術師長フロレンシオ・センティネラ、治癒専門二十名を含む魔術師千百二十一名。
ウベラバの直属部隊千五百九十八名の負傷者は三十六名。
追撃部隊の損害。
戦死者百九十八名。
負傷者三千百二十九名。
右翼部隊。
指揮官はアゴスティーノ・プライーヤ。
参加数。
将兵二万四千三百三十七名。
魔術師長アウグスト・ベメンテウ、治癒専門二十名を含む魔術師九百七十五名。
プライーヤの直属部隊千八百四十八名の損害は百九十八名の負傷者のみ。
コンシリア派で構成される追撃部隊の損害。
戦死者六百七十二名。
負傷者カマクアン・ブリチス将軍を含む四千四百三十六名。
第三陣。
指揮官アントゥール・バイア。
参加数。
将兵二千十四名。
魔術師長アンガス・コルペリーア、治癒専門四十名を含み魔術師二千四百五十一名。
被害なし。
参加総数。
将兵十万三千六百九十一名。
魔術師七千百十二名。
被害総数。
死者千百二十一名。
負傷者一万八百三十二名。
意外なのは、掃討という名で捕虜を確保していた第二陣を指揮していたグワラニー配下の将軍たちの直属部隊に負傷者が多数出ていることである。
これは魔族が捕虜を取るなどとは考えてもいなかったブリターニャ兵士たちがあの世に道ずれにしてやろうと渾身の一太刀を浴びせたからで治癒魔法を会得していた魔術師たちが同行していなければ命を失った者も相当数いたと思われる。
実は同行していた治癒担当の魔術師の使える治癒魔法は止血や鎮痛と言った比較的簡単なものであった。
だが、それでもそれだけの効果があったことは治癒魔法を担当する魔術師を軍に同行される意義は十分にあったといえるだろう。
また、左右両隊と中央部隊の負傷者にかなりの差があるのは、ペパスの言葉を借りれば「自分たちのところには生きのよい負傷者が多かった」、グワラニーの言葉を使えば、「負傷者を助ける意欲の差」ということになるのだが、新参のためグワラニーの意向があまり浸透していな中央部隊に負傷者が少なかったということは、グワラニーの言葉が正しいように思える。
いずれにしても、助けようとした者に斬りつけられ負傷する今回起きた事例をグワラニーは重く受け止めた。
そして、再び同じことが起きぬよう対策を講じるよう指示を出したところである。
続いて、ブリターニャ軍。
実はこちらの方は多くの死体が回収されていないうえ、混乱のなかで死亡した事例が多く、指揮官クラスの者もでさえ戦死が確認できなかった者も少なくない。
当然一般兵士となればその状況はさらに深まる。
そのため、本来であれば戦死ではなく行方不明というのが正しい言える者が大多数である。
だが、これだけ時間が経っているにも関わらす自陣も戻らず敵中に残って、そのうえで生存していることなどまずあり得ないこと。
そのため、撤収までに安否がわからない、いわゆる行方不明者はすべて戦死扱いとするブリターニャ軍の方針に誤りはないと思われる。
それから、ブリターニャ軍の損害について語るうえでつけ加えておかねばならない前提がもうひとつある。
たとえば、これが正規軍であれば、公的な記録として王都に正本が残るのだが、今回の遠征軍は私兵と傭兵で構成されているため王都には記録は残っていないのだ。
さらに移動中にも兵を募集していたため、その数が正確に記録されていたのは戦功評価のための名簿だけということになる。
だが、肝心の名簿は各軍の実質的指揮官で王子の後援者たちが手元においていた。
むろんそれは、これからやってくる山のような戦功報告を記載するためだったのだが、彼らのもとに姿を現したのはその対極にある存在。
そして、そこから始まる敗走と混乱の中で名簿は失われてしまったので正確な兵数はわからなくなった。
そういうことでブリターニャ軍の出発時の陣容、その数については概数ということになる。
ブリターニャ軍左翼部隊。
主将ダニエル・ブリターニャ。
副将アルバート・ランゴレン。
同行王子アール・ブリターニャ。
兵八万一千。
ブリターニャ軍中央部隊。
主将ジェレマイア・ブリターニャ。
副将アーサー・ドルランログ。
兵四万二千。
ブリターニャ軍右翼部隊。
主将ファーガス・ブリターニャ。
副将アリスター・ウフスリン。
同行王子アイゼイヤ・ブリターニャ、レオナル・ブリターニャ。
兵七万五千。
そこに魔術師たちが加わるのだが、こちらも正確な数字はわからず、二千から三千という数字になると思われる。
ブリターニャ軍はおよそ十九万八千の兵と三千人の魔術師で構成されていたということになるだろう。
さらにブリターニャ軍の北部方面部隊からも本体との連絡のため若干の連絡要員も派遣されていた。
本来であれば、ここで「ブリターニャ軍が失った兵数を」となるわけなのだが、最初の数がはっきりしないのだから、当然こちらも概数となってしまう。
そういうことなので、まずはそれを割り出すための根拠となるハッキリした数が残る生還者について語っておくことにしよう。
ダニエルが指揮官を務めていたブリターニャ軍左翼。
生きて自陣に戻ってきたのは合計五千七百三十五名。
続いて、本来軍を率いなければならなかったジェレマイアが出陣を拒否した中央部隊。
ここはもともと罠を警戒して他の二隊に比べて歩みを遅くしていたこともあり、一万二百九十八名と比較的助かった者が多かった。
もちろん魔法攻撃の洗礼は他の部隊同様受けたわけなのだが、追撃部隊に追いつかれることなく逃げ切ったのは最前線にいた四人の指揮官が全員助かったことからも彼らの判断が正しかったことが証明されていると言っていいだろう。
最後にファーガスの部隊であるブリターニャ軍右翼。
四千百四十四名。
それがこの部隊の生存者数で、三隊の生存者の総計は二万百七十七名となる。
そこに捕虜になり、金貨と交換に開放された者が加わる。
総数一万九百七十八名。
その内訳は左翼部隊所属兵士四千二百六十三名、中央部隊兵士千百九十八名、右翼部隊兵士五千五百十七名となる。
自陣に戻って来た者に捕虜を加えた各部隊の数字はこうなる。
左翼部隊九千九百九十八名、中央部隊一万一千四百九十六名、右翼部隊九千六百六十一名。
総計三万一千百五十五名。
ここから逆算すると、戦死者は凡そこうなる。
左翼部隊七万一千、中央部隊三万五百、右翼部隊六万五千三百、合計十六万六千八百。
生還率は十五パーセントということになる。
もちろんこれでも文字通り全滅した魔術師よりはまだマシといえるかもしれないのだが、その生還率は「勝者の門」改め「敗者の門」を通るにふさわしい数字であり、生還した者たちをそこを通るにふさわしき者であるべきだと「王者の門」から王都に入ることを強硬に反対した典礼大臣アートボルト・フィンズベリーの正しさを証明するものといえるだろう。
そして、ブリターニャ軍の主な戦死者は次の通りである。
魔族軍の反撃開始となる大規模な氷槍による戦死者。
左翼部隊。
第三王子アール・ブリターニャ、左翼部隊の実戦指揮官である将軍アティカス・ロスクレア。
右翼部隊
第七王子レオナルド・ブリターニャ、ウフスリン侯爵の子であるアルヴィンとバナビー兄弟、将軍の肩書を持つオーガスト・ダーリントン、アシュリー・ステイス、バートランド・ホーンシーという三人の貴族、准将軍アントン・レイバーン。
それに続く、デルフィンの中央部隊中核に対する魔法攻撃による戦死者。
ドルランログ家の当主アーサー・ドルランログとその息子アレン、後方に転移してくる敵に備えていた実戦部隊の指揮官アレックス・マインヘッド将軍。
追撃部隊の掃討戦による死亡者。
左翼部隊。
将軍アルヴィン・ダルケイス、バーナー・クレイル、アルフ・デヴォン、ランゴレン家の私兵頭アイトン・エドルストンと息子アルヴィン。
右翼部隊。
右翼部隊の司令官で第四王子ファーガス・ブリターニャ、ふたりの将軍バージル・ストイトホルムとクレイグ・セトル、准将軍アーンサイド・マルハム。
ダワンイワヤの湿地帯での魔法攻撃による死亡者。
左翼部隊。
軍の指揮官で第二王子ダニエル・ブリターニャ。
右翼部隊。
ウフスリン侯爵家の当主アリスター・ウフスリン、将軍コリン・スキプトン。
更に、第六王子アイゼイヤ・ブリターニャは最初の攻撃で負傷したところを捕らえられ虜囚の辱めを受けることになった。
一応つけ加えておけば、戦死が認定された者のうち、追撃していた魔族軍に斬り殺された者については魔族軍の所持品の調査や捕虜に確認させたことによって名が判明し、残りは生きて自分の陣地に辿り着いた者の言葉によって死亡が確認された者となる。
当然ながら、そのどちらにも含まれていない安否不明、いわゆる本物の行方不明者のなかにも有名人はいる。
まず、ブリターニャ軍の左翼部隊の実質的司令官であるアルバート・ランゴレン侯爵。
彼はダニエルの傍らにいたはずだが、ダニエルがもう一歩で助かるところで無念のリタイアとなったときにはすでに姿が見えなかった。
その時点では息子ブレントやデクスター、弟のエドウィンとともに死亡していたと思われるのだが、魔族軍による戦死者調査では彼らの遺体は発見されていない。
となれば、戦死したのは第一撃の時ではないのかと予想されるのではあるのだが、もしかしたら、敗走開始直後にダニエルと離れ離れになり、一族でダワンイワヤの湿地帯まで辿り着いたものの、魔族軍の最終攻撃で命を失ったということも十分に考えられる。
また、右翼部隊のグレゴリー・ファーネスや侯爵の側近のひとりでもあるアビモア・ストロンシャンも戦死したこと自体は疑いようがないものの、その場所がわからない者たちに含まれる。
ただし、追撃が始まったときに彼らが生きていれば、ブリターニャの右翼部隊ももう少し組織的な反撃がおこなわれたと思われることから、魔族の追撃が始まった時にはすでにふたりはこの世の住人でなかったとも考えられる。
右翼部隊の傭兵団をまとめていたクリフトン・ファントナに関しては少なくてもダワンイワヤの湿地帯にまではやってきてきたことは確認されている。
ただし、傭兵はその特徴から敗走する場合は集団で逃げることはないため、それ以降彼がどうなったのかはまったくわかっていない。
もっとも、湿地帯まではやってきたことが確認されたうえで行方不明になっているということは、三度にわたる魔法攻撃のいずれかが彼の命を奪ったのはまちがいところであろう。
こうやって著名な戦死者、行方不明者の名前を並べると、ダワンイワヤ会戦はブリターニャにとって大きな痛手のように思えるのだが、それは王族の後継問題に影響があるだけで表面上かつ純軍事的に考えれば実はそうでもないとも言える。
二十万の九割近い損出を出しているがそれはすべて私兵と傭兵の類。
正規軍がそれだけ減ったわけではない。
それがその理由となる。
もちろん私領での徴兵と各地での募集によって将来正規軍に入るべき若者を失ったことで将来の人員補充に影響は出るだろうし、貴族の私兵は万が一王都に敵が迫って来た場合には正規軍とともに王都を守る重要な兵力なのだから、それを失ったことは長期的には損出とはいえる。
だが、とりあえずブリターニャ軍がおこなっている目の前の戦いについては特別な影響は出ないということである。
そういう点でいえば、今回の戦いで軍にとって一番の痛手だったのは魔術師団の喪失だった。
もちろんこちらも核となるのは貴族たちに雇われていた魔術師である。
そして、その後多額の報酬に釣られて遠征軍に参加していったのは魔術師の卵のような者たち。
当然彼らは経験も訓練も足りない未熟な魔術師たちで即戦力には程遠い存在。
遠征軍は王都周辺にいるそのような者たちをかき集めて連れていき失ってしまった。
なぜそれが魔術師不足に悩む軍にとって大問題なのか?
第一線で戦う者たちが消えるまでに次の者をそれなりに育てて前線に送り出す「自転車操業」的な構造になっていたブリターニャ軍の魔術師供給システム。
そのシステムにとって最も重要な次世代の魔術師となる肝心の卵が今回の戦いでそっくり消え、育てように育てるものがなくなったからである。
もちろんこのような事態になる懸念を持った軍幹部もいないわけではなかった。
だが、その多くは、可能性はあると思いつつ、反対することはなかった。
王子や大貴族が関わっていることもある。
だが、同行することになった魔術師たちの卵が実際の戦闘には役に立たないことを彼らが知っていたことが反対を強く主張しなかった理由となる。
どうせ連絡要員。
つまり、後方での仕事。
経験を積むいい機会。
それを私費でやってくれるのであればやってもらおうではないか。
それが口には出さなかった彼らの心の声。
そして、戦場に赴くということを甘く見た彼らのツケは、思っている以上に早くやってくることになったわけである。
さて、双方の損害も語ったところで、そろそろダワンイワヤ会戦の関わるすべてがあの話に決着をつけよう。
そう。
この戦いをダワンイワヤ会戦と命名した理由についてだ。
たしかに魔族軍の本格的な反撃が始まったのはグルナッシェ平原であり、魔族軍が攻撃魔法の一撃でブリターニャ軍を崩壊させ、敗走が始まった直後に転移魔法でブリターニャ軍の背後に現れた部隊による追撃という魔法と剣士の芸術ともいえる見事なコンボプレイがおこなわれたのもこの地である。
だが、そもそも両軍が対峙していたのはダワンイワヤの湿原地帯であり、最終的な戦いと停戦が定められた場所もダワンイワヤであることから、歴史学者たちがそう主張するのも頷ける。
さらにこの「ダワンイワヤ会戦」案を主張する者に戦術研究家が多いのは、グワラニーが自陣を撤収する直前におこなった一撃が理由となる。
「実は魔族軍が撤収前にブリターニャ軍所属の魔術師を一掃していた。あれで、この戦いの勝負は決していたのだ。素人の目に焼き付く派手な追撃戦もあれがなければできなかったことである。あの戦いで最も価値のある一手が打たれた地の名前を戦いに与えるのは当然のことだ」
この戦いの名前の取りまとめをおこなったひとりで戦術研究の第一人者とされるエイブラハム・ウインスターの言葉である。
ブリターニャの戦史研究家フィログ・ホーリーヘッドも同様の言葉を残している。
「グルナッシェ平原でおこなわれた追撃戦など単なる敗残兵狩りであり、そんなものがおこなわれた場所の名を戦いにつける必要はない。戦いの始まりと終わり、そして、戦いの趨勢を決める一撃を放たれた場所の名をつけるべきであろう」
この世界で起こった戦いの名称を決める「統一戦史研究学会」の重鎮でフランベーニュの大歴史家ショボニー・プラティエは別の理由で「ダワンイワヤ会戦」の名を支持したひとりである。
「結局、ブリターニャと魔族が部分的にせよ休戦し、ブリターニャと魔族との戦いの歴史上初めて捕虜の返還がおこなわれただけではなく、遺体の返還までおこなわれたこと。その歴史的重要事項を語るためにはその交渉がおこなわれたダワンイワヤの名を戦いに関するべきである」
結局、プラティエのこの言葉が決め手となり、この戦いは「ダワンイワヤ会戦」ということになるわけなのだが、ウスターシェ・ポワトヴァンは少々の皮肉を込めてこの事実をこう評価した。
「ダワンイワヤという名を冠したことは、ブリターニャ人がグルナッシェでの惨敗を忘れるために都合の良いものだったといえるだろう」
「まあ、ダワンイワヤも大金を取られたうえに、王女まで奪われた屈辱的な地ではあるのだが」




