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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十一章 ダワンイワヤ会戦 交渉
254/377

魔族を弟に持ったブリターニャ王子 

 五日間にわたりおこなわれた捕虜になった兵士たちの返還が終了した日の夜。

 明日、アイゼイヤの身代金とともに魔族のもとに向かうホリーはアリストと最後の宴を楽しんでいた。

 表面上は。

 だが、ホリーはもちろん、彼女を送り出す者もその心のうちは晴れやかとは対極にあった。

 硬い表情。

 そして、会話もまったくはずまない。

 ただし、料理と酒は最高のものだった。

 

「……これを口にするのも今日が最後なのですね」

「まあ、そうはならないでしょうけど」


 自らの呟きに即座に返ってきたその言葉にホリーはつくりものの笑みで応じる。


「そうですね。いつかは帰れるわけですから……」

「私が言っているのはそんな遠い未来の話ではありません」


「さすがに毎日というわけではありませんが、アリストとの面会の回数以上は食べられると思います」


 そう言ったのはもちろんホリーの大好物をこの場に提供した人物だった。

 やって来たのは慰めの言葉と受け取ったホリーは首を傾げる。


「どういうことでしょうか?」

「あなたが滞在するクアムート近くには魔族とノルディアの非公式な交易所があります。グワラニーからそこを経由させてセイシュを定期的に輸入したいと申し入れがありました。そうなれば、当然同じ方法で別のものも魔族の国に持ち込むことができるということです」


 その言葉に少しだけ明るさを取り戻したホリーを眺めるその女性の言葉は続く。


「まあ、そういうことで、これまでと同じような水準は望めないでしょうが、王女が考えているよりも遥かによい生活はできると思いますよ」


「ついでに言っておけば、あのグワラニーという男は魔族ということを除けば、この世界の大部分の男よりまとも。さらに、グワラニーによれば、あなたを預かるタルファ家の女主人は女性でありながら魔族軍の中でも相当高位にある。心配することなどないといえるでしょう」


 そして、翌日。

 その時がやってくる。


 合図の狼煙が魔族軍陣地から上がった直後にブリターニャ陣地に姿を現したのはグワラニー、デルフィン、アーネスト・タルファといういつもの三人にアリシア・タルファも加わっていた。

 そして、コリチーバ率いる護衛隊。

 それからホリーの荷物持ちを担う十八人もの魔術師。

 さらに、軍官のひとりで財務担当エソゥアルド・ジャウジンドと彼の部下百五十人。

 当然彼らは持ち込まれた金貨の真偽を確かめ、数える役割を担うものたちであり、金貨運搬係の魔術師二十人が同行している。

 そして、なぜかそこに加わっていたのがフランベーニュ人の女性が三人。

 その代表となるアンナ・コッジャがたどたどしいブリターニャ語でホリーにこう挨拶をした。


「ようこそ。魔族の国へ」


 彼女たちは全員クペル城に逗留するフランベーニュ人。

 南方のクペル城に滞在しているはずの、いや、そもそもフランベーニュ人である彼女たちが魔族領の北方であるこの地に現れたことについてはやはりそれなりの説明が必要だろう。


 クペル城には城に残ったフランベーニュ人の妊婦や生まれてきた赤子や幼児の世話のため、クアムートから多くの魔族の女性がやってきていた。

 種族は違えども同じ女性。

 彼女たちはすぐに打ちとけ、仲良くなる。

 そして、お決まりの話から始まる情報交換。

 クアムートからやってきた魔族の女性たちが口にしていたのはノルディア語と少々のブリターニャ語。

 フランベーニュ人たちはフランベーニュ語オンリー。

 それにもかかわらず、意志疎通が図れるのは男性にはなかなかできないすばらしい能力ともいえるわけなのだが、女性らしい共通の話題を抱えているということもその理由にといえるだろう。

 さらに彼女やミュランジやナニカクジャラで愛嬌を振りまいていたアリアンヌ・ベンヌのような社交性の高く時間が空いた何人かについては軍に同行して小遣い稼ぎもおこなっていた。

 当然今回もその一環というわけである。

 もちろんそれは魔族の国にひとりで向かうホリーを安心させるための仕掛けであるのだから、グワラニーにとって相応の利がある。

 だが、コッジャたちやってきたフランベーニュ人の女性たちにとってもそれは同じ。

 いや。

 彼女たちにとってはこれまでの小遣い稼ぎとは桁違いの意味があった。


 その理由のひとつは異国のという条件はつくものの、本物の王女様を間近で見られること。

 これは平民である彼女たちにとってのステータスになるものである。


 それからもうひとつ。

 実はこれこそが彼女たちにとって大きな意味、というか、楽しみであった。

 クアムート訪問。

 魔族の女性たちから聞かされていたクアムートは魔族の国の王都イペトスート以上に華やかで活気がある夢のような場所であったため、フランベーニュ人たちの憧れになっていたのだ。

 だが、人間に自身の領地を歩かせるなどご法度。

 これまで多くの方法で自分たちの希望をグワラニーに伝えていたものの、それを盾に却下されていた。

 だが、今回は自身の利にもなるグワラニーが積極的に動いた結果、王都を経由させずにクペル城からクアムートに直接転移することを条件にそれが許された。


「……そうは言っても、私がブリターニャの王女を手に入れたとなれば、王だっていずれ王女を王都に呼ぶことになる。つまり、転移ポイントを与えないことが約束されていれば問題はないのだ。まあ、彼女たちの口からクアムートに関する情報はフランベーニュに流れるわけなのだが、ホリー王女によっていずれ漏れるものだから、拒む理由は減ったといえるだろう」


 それがフランベーニュ人が魔族領に立ち入ることを王へ願い出たグワラニーの言葉となる。


 さて、早速その手続きが始まるわけなのだが、まずおこなわれるのは身代金の受け渡しとなる。


 アイゼイヤの開放にかかる費用はブリターニャ金貨十万枚。

 それをエソゥアルド・ジャウジンドの部下たちが例の道具を使って調査、計測していくわけなのだが、当然時間がかかる。

 もちろんグワラニーはそこに立ち会うのだが、アリストはアリストで魔族たちに不正がないかを確認するため立ち会う必要がある。

 となれば、本来であればそれまで黙って待っていなければならないのだが、ホリーはその時間を利用してコッジャたちフランベーニュ人でありながら魔族に同行してきた女性たちと積極的に会話をする。

 情報収取も兼ねて。


 そして、知る。

 彼女たちの好待遇を。


 むろんそれを簡単には受け入れられないホリーは彼女たちの言葉を半分ほどだけ信じ、さらに問いの言葉を重ねる。

 だが、出てくるのはクペル城を退去するときに得た金貨の話や、その後、別の場所で始まった開拓事業の話など信じられないものばかり。


 話を切り上げようとしたホリーにコッジャはサインを強請る。


「フランベーニュに戻ったときに宝になりますから」


 何気なく相槌を打った直後、彼女たちの言葉にあってはならぬ事実が含まれていることにホリーは気づく。


「あなたがたはフランベーニュに戻れるのですか?」


 確認のように問うホリーの言葉にコッジャたちは嬉々として肯定の言葉を口にする。


「もちろん。子供たちが動かしても大丈夫なくらいになったらということになりますが」

「残念」

「でも、面白かった。まあ、まだ終わってないけど」

「とりあえずクアムート土産は買わないと……」


 信じられない。

 

 ホリーは愛想笑いを浮かべる。


「……グワラニー司令官をどう思いますか?」

「いい領主様」

「本当にそう」


 ……ん?


 ホリーは自身の問いをフランベーニュ人が取り違えたかと思った。


「グワラニー司令官は魔族軍の指揮官なのでしょう?」


 ブリターニャが得意でなさそうな女性たちにもわかりやすいよいようにホリーはそう問い直す。

 だが、コッジャたちの答えは変わらない。

 そして、ホリーの表情で彼女の疑問の根幹を理解したコッジャが言葉をつけ加える。


「軍の指揮官。非常に強い軍の指揮官。そして、フランベーニュ軍の兵士がグワラニー様の軍に数多く殺された。それでも私たちにとってはよい領主様」


 コッジャの返答に続いて一番の若手で元気の良いジョセ・ラグラスが言葉を重ねる。


「魔族の女性たちが言うには魔族の国はふたつに分かれているそうです」


「魔族国は南と北はグワラニー様の領地で、特に北のクアムートは非常に住みやすい。王都を中心としたその他は住みにくいそうです」


「住みやすいとは?」

「戦争がない。物が豊か。便利。クペル城周辺もグワラニー様が治めるようになって随分変わった。あまりにも便利でフランベーニュに帰ったら困る気がする」

「どこかそんなに便利なのかしら?」

「一番は循環馬車」

「あれはいいよね。フランベーニュも採用してほしい」

「聞いたことがないわね。循環馬車というのは?」


 ホリーの問いにコッジャがこう答える。


「街中を走る乗合馬車みたいなものです。安いしたくさん走っているのです」

「あれもいいでしょう。外灯」

「そうだ。あれのおかげで夜も歩ける。フランベーニュでは王都でも夜は真っ暗」

「ブリターニャでも露天が出ていないところは真っ暗ね。夜歩くのは兵隊と泥棒だけと言われている」

「そういえば、グワラニー様が治めるようになってから泥棒もいなくなった」


 コッジャの言葉に先ほどのラグラスが続く。


「至る所に警備の兵隊さんが立っているからね。きっと仕事がやりにくいのよ」


 そこに褐色美人といえそうなコミル・ミュルバが加わる。


「クアムートの泥棒は皆王都に移ったとか言われているそうです。クペル城でもそうだけど夜でも女だけで安全に歩ける町なんてそうはないでしょう」


「……そうかもしれないですね。では、アリシア・タルファという女性は知っていますか?」


 もちろんホリー自身は彼女をよく観察していた。

 人間の女性でありながら、魔族軍の兵士たちに敬われていることも知っている。

 そして、フィーネの言葉によって、軍においてもそれなり地位を確保していることも知った。

 だが、彼女は自身が得た知識はアリシアに関するもののほんの僅かであったことをこの直後に知る。


 ホリーの問いにコッジャたちフランベーニュ人全員が大きく頷いた直後、彼女たちの口から流れ出したのは永遠に続くのではないかと思われるくらいのアリシア賛歌だった。


 そして……。


「……生まれた子供は全員アリシアと名づけた?」


 フランベーニュ人の口から飛び出たその言葉にホリーは思わず聞き返すと、女性たちは大きく胸を張って誇らしげに答える。


「そう。まあ、全員が女の子だったからということもありますが」


「つまり、強制されたということですか?」

「まさか」

「アリシア様はフランベーニュに戻ってからよく相談して改めて決めるべきだと言っていましたが……」

「旦那が名前を変更するなどと言ったら離縁だね」

「当然」

「絶対に変更させない……」

 

 作業開始から二セパ後。


「すべて完了。たしかにブリターニャ金貨十万枚ありました」

「では、これが受取証だ」


 ジャウジンドの報告に頷いたグワラニーは自身の署名付きの羊皮紙をアリストに渡す。


「金貨と王女をこちらの陣地に連れていき、それからアイゼイヤ王子をここにお連れすることになりますが……」


「誰かここに残したほうがいいですか?」

「では、夫人を」

「承知しました」


 アリストの言葉をあっさりと受け入れたグワラニーはその視線をアリシアに移すと、アリシアも頷く。


 グワラニーの短い言葉にホリーは無言で頷き、一度アリストに視線を送り、それから正面を見ながら歩き出した。


「……行ってしまいましたね」

「ええ」


 グワラニーたちが消え、ブリターニャ軍陣地にひとり残されたアリシアの言葉にアリストはそう応じる。


「グワラニー様にはよくしていただいていますが、それでも私の家はブリターニャの王宮とは違います。その点についてご容赦願うしかありません」

「それについてはよく話してあるますので心配ないでしょう」


「とにかくよろしくお願いします」


「ところでグワラニーとの連絡方法はどのようなものになるのでしょうか?」

「グワラニー様はそちらの女性に交易所への立ち入り許可証をお渡しするそうなので、彼女が交易所にくるときに同行するということになるでしょう」


「まあ、環境が急に変わるのですから最初は戸惑うこともあるでしょうが、すぐに慣れます」


「経験者が言っているのですから間違いありません」


 そう言ってアリシアは笑った。


 ……そう言えば、そうだ。


 噂程度のものではあったが、その事情を知るアリストはそう呟く。


 ……ホリーと違い、タルファ将軍の家族は完全に敵の中に乗り込む形だった。

 ……相当な苦労があったことだろう。

 ……それに比べればホリーの状況はかなり良いと言わざるを得ない。


「よく受け入れましたね、魔族の国に向かうことを」

「私から言わせれば、よく受け入れたと思います。魔族の方々が。となりますが」


「それに私たちの場合はノルディアで理不尽な仕打ちを受けたうえ、事実上ノルディアによって売り飛ばされたのですから、拒否権などありませんでした」


「ですが、結果がこれです。人生というのはわからないものですね」


 そう言ってアリシアはもう一度笑った。

 その直後、アリストは魔力を感じる。

 そして……。


「戻ってくるのが早すぎるぞ。グワラニー。本当に気の利かない男だな」


 アリシアとの有意義な会話を終わらせるように再び姿を現した魔族の男にアリストは精一杯の嫌味を投げかける。

 もちろん言われた方もただ言われただけ済ませるはずがなく、すぐさまアリストにとって一番言われたくない言葉でお返しをする。


「酷い言い方ですね。義兄さん」


 もちろんこれは表面上ホリーがグワラニーの妻となったことを盛大に誇張した言葉である。


「なにが義兄さんだ」


 不機嫌の極みのような表情でその言葉を投げ返すアリストであったが、魔族の国に滞在する敵国ブリターニャの王女であるホリーの身の安全が保証される一番の方法であることは十分に承知している。

 渋い顔のままグワラニーを睨む。


「言っておくが、ホリーになんかあればおまえはこの世に生まれたことを後悔するくらいの拷問をし、それからゆっくりと殺してやるからな。そうなりたくなかったらホリーを崇めながら奉仕しろ」

「もちろん承知していますよ。義兄さん」

「だから、義兄さんはやめろ」


「まあ、とにかく……」


「ホリーを頼むぞ。グワラニー」


 本当に敵に対するものなのかと疑いたくなるような言葉をアリストが口にした数瞬後、グワラニーたちの気配は完全に消える。

 その直後、大きなため息をつくアリストに背後から声がかかる。


「どうですか?妹を嫁に出した兄の気持ちというのは?」


 もちろんこの言葉の主はフィーネである。

 アリストは振り返ることなく、その言葉にこう答える。


「思っていた以上に辛いですね」


「まあ、幸いなことに私の場合は彼女にまた会えることができる。この戦いで死んだ弟たちの家族に比べれば遥かにマシであることを深く心に留めておく必要があるでしょう」

「ですが、それを知っているのはアリスト以外では私、それから糞尿剣士くらいでしょう」

「そういうことです。ですから、簡単には口には出せませんが」

「それで……」


「タルファ夫人とは何を話したのですか?」

「ひととおり。そして、せっかくですから、これからホリーが暮らすクアムートについても聞いてみました」

「それで、夫人はなんと答えましたか?」

「想像の範疇を超える場所だそうです」


 そう言ったアリストはアリシアの言葉を思い出す。


「夫人によれば、グワラニーがやってくる前のクアムートは辺境の城塞都市だったそうです。ですが、今その周辺につくられている新市街地は……」


「舗装された道路が整備されているだけでも驚きですが、夫人によればその道路はすべてコンクリート製だそうです。ちなみに、コンクリートとは……」

「知っています」

「……そうですか」


 少しだけ意外そうな顔をしたアリストだったが、その点については何も触れることなく、言葉を続ける。


「道幅がとんでもなく広いそうです。その幅は荷馬車六台が余裕で通行できるほど」


「いうまでもないことですが、そんなものはブリターニャにもフランベーニュにも存在しません」

「魔族の国の基準ということですか?」

「魔族の王都にもないそうです。というか、魔族の王都はとりあえず主要道路こそ舗装されているそうですが、小石を撒いて踏み固めたものでコンクリートを使ったものではないそうです」


「しかも、街中を循環する乗り合い馬車や夜の町を照らす外灯もあるとか」


「もちろんクアムートの驚きはその外見だけではなく、中身も、だそうです」


「……一度訪れたいものですね」


 ……なるほど。

 ……向こうの世界の知識をこちらで披露するというのは物語ではよくある話ですが、まさかそのようなところで形でその知識を使用するとは思いませんでした。


 フィーネは薄く笑みを浮かべた。


「……ところで……」


「グワラニーからクアムートの交易所に立ち入り許可証を貰ったそうですが……」


 アリストはおそるおそるフィーネに尋ねる。

 実をいえば、今アリストは後悔していた。

 そう。

 グワラニーが戻る前にそれを確認していなかったことを。


 あの時アリシアは許可証を渡すと言っていた。

 つまり、あの時点ではフィーネは許可証を手にしていないということになる。

 それがそのままになっていたら、フィーネは許可証を持っていないことになる。

 それは自分がホリーに会えないことに直結する。


「どうなのですか?」

「ありますよ」


 その言葉とともに胸元からそれを取り出す。

 さすがに羊皮紙であるためヒラヒラとはならないが、それをはためかせる。


「実はすでにその交易所がどういうところか行ってみました」

「いつですか?」

「少し前に。貰ったものが使えるのか試すべきでしょう。肝心なときに使えないということにならぬように。まあ、グワラニーだってセイシュを定期的に手に入れたいからまがいものは渡すとは思いませんでしたが」


 ……たしかに。


「まあ、それはそうですね。それで……」

「まず、ノルディア側の検問でこれを出し、それから魔族側の検問でもう一度出す、そういう手順のようですね」


「ということで、妹に会うことができます。安心してください」


「そして、出来の良い義弟に感謝しましょう」


 そう言ってアリストを渋い顔にさせたフィーネはすました顔で言葉を続ける。


「そういえば、グワラニーは王女を戦場に連れていくと言っていましたよ」


 フィーネとしてはさらなる一撃のつもりであったのだが、さすがにこれは予想していたアリストの表情に揺らぎはない。

 薄い笑みを浮かべながらそれに応える。


「そうですね。まあ、大金と一緒に強引に押し付けられたのですから当然有効活用するでしょう」


「ということは、今回は完全にグワラニーにやられたということになりますね。アリスト」


 そう言ったところでフィーネはアリストに目をやる。


「それで、これからどうするのですか?アリスト」


 もちろんこのまま魔族軍が引き上げるまで留まるという選択肢もあるのだが、それでは再びのチキンレースとなりかねない。

 しかも、こっちは大量の元捕虜を抱えている。

 王都に引き上げる以外の答えはない。

 だが、その言葉はなかなかやってこない。

 それが妹を送り出した兄の思いの深さということなのだろう。


 一瞬の百倍ほど時間が経った頃、アリストがようやく口を開く。


「王都へ」


 ただし、そこからのアリストの動きは素早かった。

 まず、開放された捕虜たちと残存兵の合計約三万が王都へ帰還するために必要な魔術師を呼び寄せる。

 王都を発しこの場にやってきたときの数二十万を考えれば大幅に減ったものの、それでも十分多いといえるだろう。


「さすがに自分たちだけ転移魔法で帰り、残りはここから王都まで歩かせるわけにはいかないでしょう」


「そこで、陛下の許可を得て特別に宮廷魔術師二千人を動員したわけです」


 もちろん宮廷魔術師がこのような形で戦場に姿を現すのはそうあることではない。

 さらに言えば敗軍を迎えるために彼らが戦場に赴くことなど異例中の異例である。


 アリストの、幕引きのための動きはさらに続く。


 この地を含む北部方面を管轄するアルバート・カーマ―ゼンを呼び出し、再侵攻をおこなわないように釘を刺したのだ。

 だが、これについては少しだけ揉める。


 ……甘い。

 

 アリストの言葉を聞き終えたカーマ―ゼンが反論の言葉を口にする。


「殿下」


「その話は以前殿下としました。もちろんその結論も覚えています。ですが、あの時と今では状況が大きく変わっています。ブリターニャ軍が湿地帯を超え魔族軍の陣地を占領した。そうなれば、魔族も自分たちにも同じことができると考えるのではないでしょうか。つまり、湿地帯という特別な場所が両軍を隔てているためお互いに攻撃してこないという常識はすでに過去のものになったと思われます」


「特にダワンイワヤは我が軍の横腹にあたる場所なのですから、これまでは攻めたくても攻めることができないと思っていたのが、攻めることは可能とわかればやってくることは十分に考えられます。そういうことであれば、逆にこちらから再攻勢をかけもう一度敵陣を占領すべきなのではないでしょうか?」

「なるほど」


 カーマ―ゼンの言葉にアリストは頷く。

 ただし、それがその言葉を肯定したかといえば、まったく違う。

 数瞬の沈黙後、アリストの口が開く。


「先ほど将軍が根拠にした、今回我が軍が一時的にでも敵陣地を占領できた件ですが、あれは相手がこちらを罠に引き込むために意図的引いた結果であって、その気になればあの地で十分な迎撃戦ができたのです。それは今でも変わっていないと思います」


「しかも、ありがたいことにあの地を戦場にしないと魔族との休戦協定が結ばれています。こちらは最低限度の兵をおくに留め、相手の様子を監視すべき」


「万が一、相手がやってくれば、この地で攻勢に出ることがどれだけ愚かなのかを教えてやればいいでしょう」

「ですが……」

「将軍」


「あの地には立ち入らぬことで生まれるこちらの利を理解し、納得していただこうと思っていたのですが、どうやらそれは無理のようです。ですが、この点については私も譲れない」


「ですので、申しわけないが権道を使わせてもらう」


「王の代理として将軍に命じる」


「今後、ダワンイワヤで戦闘行為をおこなうことを禁じる。よろしいか」



 


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