戦争はいい商売
ブリターニャ金貨三千二百九十三万四千枚。
それが魔族軍に捕えられた一万九百七十八名の身代金となる。
グワラニーの換算レートを使用すれば、別の世界での三千二百億円を超える大金となり、むろんブリターニャにとっては大損害である。
だが、その金額をアリストから示された王は意外にあっさりと承諾し、王城にある金蔵から前線に運ばせるよう指示した。
「まあ、アリストが交渉した結果であればやむをえまい。それに……」
「……ノルディアの被害額に比べれば低い」
それが王の言葉であった。
のちに大幅に減額されることになるものの、当初ノルディアが払うことになっていたのはノルディア金貨六十兆一千万枚。
もちろん国家を崩壊されるに十分なものだった。
ノルディア金貨とブリターニャ金貨の価値は等価とされているので、それと比べれば金貨三千二百万枚の身代金は王の言葉どおり少ないといえるだろう。
そう。
低いといっても比較対象が間違っているだけ。
そして、当然それを受け取る方にとっては大金といえる。
王命により、この交渉で得た身代金をすべて受け取ることができるグワラニーにとっては喜ばしいかぎり。
当然お互いにサインをした協定書を眺め直しながら、グワラニーはニンマリとする。
「戦争は本当にいい商売だな」
むろんこれが非常にばちあたりな言葉であることはグワラニーも重々承知している。
だが、これがこの世界の現実であり、実は別の世界でも同じような状況があった時代もあるのだから、このひとことを口にしただけで彼の人格を否定するのはお門違いというものであろう。
そして、もうひとつ。
これだけの大金を敵方から取るのは単純な金儲け以外にも大きな理由がある。
「戦うこと。それ自体を目的としている軍の指揮官たちは気にしていないようだが、戦いは非常にお金がかかる」
「逆にいえば、金がなければ軍を動かすことはできない」
「つまり、金を奪ってしまえば、戦わなくても相手を封じることはできる」
「もちろん金だけでは戦えない。そう。実際に戦う者が必要だ。そして、その者たちは有能で経験豊富であることが必要だ。だが、そのような者を多く抱えるためにはやはり金が必要となる」
「金。これが最終的な勝利者になりたい者が持つべきものである。逆にいえば、手段を戦いに限定せずとにかく相手の金を奪えば勝利を得られる」
一方、その高額な身代金を支払う側にもそれを払うだけの理由がある。
王子ひとりを奪還できること。
ブリターニャには現国王の後継者としてアリスト・ブリターニャという逸材がいる。
大金を支払い取り戻すことになるアイゼイヤ・ブリターニャの才はその足元に及ばない。
それにもかかわらず、ブリターニャ王が気前よく身代金を支払った。
その理由。
それは後継者の確保という王にとって最上位に位置する義務の存在である。
アリストはたしかに有能であるが、明日死ぬということだってある。
しかも、アリストには子供がいない。
そして、今アリストが死んだ場合、王位はアリストの弟の誰かの手に渡る。
だが、現在その権利を有しているのはジェレマイアのみ。
王としては王子をひとりでも多くいることが大切なのだ。
もうひとつ。
王は当初、アイゼイヤを含めて捕虜全員を見捨てるつもりでいた。
それが大金を支払って王都に連れ戻すと方針を変更したのは、ノルディアに放っていた間者が手に入れていたある情報を思い出したからだ。
魔族の将グワラニーは情報を扱うのが得意。
ノルディア王は身代金を支払うのは王族と上級貴族のみ、下級貴族や平民は見捨てると宣言した直後、国中にその噂を流し国に罅を入れた。
慌てたノルディア王は全員の開放をおこなうことにした。
おそらく、捕虜を見捨てると言った瞬間、ブリターニャでも同じ噂が流れる。
そうなれば、王家と民の間に亀裂が入ったノルディアと同じ道を歩くことになりかねない。
それよりは支払い可能な金で解決する方が百倍まし。
それどころか、噂が出ない段階で大金を払い兵士たちを取り戻せば、宣伝になる。
そして、これについては実際にグワラニーはその準備のため、解き放つ鼠となる者の人選を進めていた。
つまり、王はやってくるはずだったひとつの脅威を未然に封殺したともいえるかもしれないし、このことがブリターニャにとって大金を支払ったことで手にした一番の利だったといえるかもしれない。
さて、話がまとまれば当然捕虜返還は始まる。
といっても、まずはサイレンセストから運び込まれた大量の金貨を魔族側に引き渡すのだが、グワラニーがそこの場に持ち込んだものを見たアリストは驚き、そして、安堵する。
危なかったと。
計量器。
そして、それがアリストが驚いたものとなる。
「……グワラニー。とりあえず聞いてもいいですか?」
同じくそれを見て驚いたフィーネがグワラニーにそっと近づき、耳元で囁く。
「こんなもの、一日や二日でつくれるものではないでしょう。ということは、あなたは最初からこうなることを予想していたということなのですか?」
むろん答えはノーである。
では、なぜそのようなものがあるかといえば、それはノルディアから大量の金貨を奪い取ったときの苦い経験が影響していた。
ノルディアに対してとんでもない要求を出した直後。
「……これだけの金貨を要求されたノルディア国王は考えることはなにかわかるか?バイア」
「もちろんですとも」
グワラニーが黒い笑みを浮かべて問うたことに側近のバイアが同じ種類の笑みを浮かべた即答した。
「金の含有量を落とした金貨をつくる」
「そういうことだ。それで、やってくると思うか?」
「わたしなら絶対にやりますし、黙っていれば、ノルディアも確実にやってくるでしょう。なにしろ、こちらが要求したのはノルディア金貨。金の含有量については言及していませんから」
「では、注意喚起しておくか」
「そのような金貨はまがい物として認めないと」
その効果は色々な意味で抜群だった。
そう。
まさにグワラニーたちの言葉どおりのことをノルディア側は準備をしていたのだ。
そして、その金貨とはなんと金の含有量を半分にするというとんでもない代物だった。
「どうせ魔族から海賊どもに流れるもの。構わないでしょう」
「そのとおり。そして、我々のもとに戻ってきたときにはその含有量にケチをつければよいだけの話」
厳しい状況に陥ってやむを得ないともいえるが、これは国家ぐるみのペテン。
グワラニーは騙される方が悪いと言ったが、相手も国家となれば常識的に考えればそれなりのお返しをされても仕方がないものといえるだろう。
だが、結局この悪事はグワラニーの言葉で未然に防がれ、ノルディアの状況はさらに悪化したのだが、その半値の価値しかない金貨を支払いにあてた場合の報復を考えれば、よかったとも考えられる。
もちろんノルディア側は大汗を掻きながら一貫してそのようなことはおこなわないと言ったものの、用心深いグワラニーは当然チェックをおこなうわけなのだが、これがとんでもない大仕事だった。
天秤を使って約三十兆枚の金貨を検査する作業。
その数字を言うだけでそれがどのようなものだったか想像できるだろう。
一枚ずつの調査から始まり、十枚単位、百枚単位での調査となったわけなのだが、それでも数が数だけに進捗状況は芳しいものではなかった。
だが、要求したのはこちら。
やるしかない。
天秤と調査役を大幅に増やし、どうにかこうにか終了させることができたのだが、そのときにのちに財務に関わる軍官となる者が考案したのが別の世界に存在したコインカウンターと同類のもの。
これによって、重さを大きさで誤魔化すトリックも排除されることになる。
そして、その進化形が現在アリストやフィーネが目にしているものとなる。
「金貨三千枚をケースに並べ、それから天秤で重さを測る」
「これでも十分に手間ですが、それでもすばらしく効率的といえる。これでも」
「そして、重さの足りないこのようなものも意外に簡単に見つけられる。大きさについても同じ」
そう言って、籠に放り込まれたどこでつくられたわからない偽造ブリターニャ金貨を眺めた。
そして、そのような文明の利器を見て、アリストが安堵したと理由とは……。
実はブリターニャにもノルディアと同じことを考える者はいたのである。
大蔵大臣アーサー・ブリンククロイス。
そして、ふたりの次官アシュリー・フェアボーンとベンジャミン・ランピター。
彼らはそのような大金を支払っては長期的には戦争継続に支障を来たすと主張し、そのうえでこう提案したのだ。
魔族に渡す金貨は一割から二割金の含有量を減らし、従来のものに混在させて渡す。
もちろんこれでも経済的には十分に痛手なのだが、それでも何もしないよりはまし。
そもそも魔族はブリターニャ金貨と指定はしても金の含有量は指定いていないので違反ではないし、含有率の変更はブリターニャの裁量で決まられるものなのだから変更しても問題はない。
陛下の許可が得られ次第、鋳造を開始する。
さらにいえば、財政に絶対の忠誠を誓う彼らは以前から金の含有量を減らした金貨をつくる準備をしていた。
そして、これこそ絶好の機会とばかりにその提案をおこなったわけなのだが、王によってその提案はあっさりと却下される。
「残念だが、すでに魔族側から釘を刺されている」
「従来のものに比べて金の含有率の低い金貨はすべて偽金貨とみなし受け取らない。それだけはなくその数を公表すると」
「国が支払ったものに大量のまがい物が含まれていたとなればブリターニャの名誉が失われる」
「当然そんなことはできない」




