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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十一章 ダワンイワヤ会戦 交渉
252/377

魔族へ売られた王女 

 ブリターニャ王国の都サイレンセスト。

 その中心にある王宮内の一室にアリストはいた。

 そして、彼の視線の先にいるのはこの国の頂点に立つ者。

 その男は息子であるアリストの言葉をすべて聞き終えると、小さなため息をつく。


「おまえでも苦戦するということはそのグワラニーという魔族も相当口が達者だということなのだな」


 父王は冗談とも皮肉とも取れるような言葉でアリストが相手にしている魔族をそう表した。

 そして、もう一度ため息をつく。


「その魔族の言い分はわからないでもない」


「お互いに剣を振るっている者ならともかく、怪我をして動けなくなっている者や女子供が目の前で殺されるのは同族にとっては堪らないものだからな。だが……」


「その要求には応じられない」


「なぜなら、魔族を滅ぼすこと。これが我々の目的だからだ。だから、その場では解き放っても最終的には殺さなければならない。そうであれば、捕らえた時点で殺すことと変わらぬ。いや、捕虜返還で返したその兵士はまた戦場に復帰し我が国の兵士を殺すことになるのだからむしろ害になるといえる」


「女子供もそうだ。助けた女が子供を産み、やがてその子供が我が国の民に仇なす敵兵になるのだから」


 アリストはわかっていた。

 王都から出かける前に話をした時点で、王はアイゼイヤをはじめとした囚われの身になった者たちを救うという選択肢を捨てていたことを。


「ということは、アイゼイヤたちを見捨てるということでよろしいですね」


 アリストは念を押す。

 もちろん答えはイエス。

 それ以外の答えはないのだから、聞くまでもないはずだったのだが、ここで父王の口から意外な言葉が漏れ出してくる。


「いや。そうとは限らないだろう」


「……魔族が出した条件の話をもう一度聞かせてもらおうか」

「はあ?」


 予想もしなかった父の言葉にアリストは間の抜けた声を上げると、薄く笑った父王はもう一度同じことを口にする。


「だから、我が国が魔族の要求を受け入れるにあたって魔族が欲しいと言った借金の肩代わりが何かもう一度言えといったのだ。アリスト」


 ブリターニャ金貨三十兆枚。

 ホリー王女を我が国の客人として数年間滞在してもらう。


 これがグワラニーの要求した担保だった。

 それを聞き直した父王は一瞬後、この言葉を告げる。


「魔族の要求に応じる。捕虜ひとりあたりブリターニャ金貨三千枚で交渉をまとめろ。アイゼイヤについてはその確保を優先せよ」


 アリストは父王に視線を向ける。


「よろしいのですか?」

「もちろんだ」


 自らの問いに即座に返答した父王の言葉にアリストは頷くものの、グワラニーのこの提案には付帯条項が付く。

 そうなれば示されたふたつのうちのひとつを選ばねばならない。


「それで、捕虜返還に際しグワラニーが要求しているものについては?」

「金貨三十兆枚など出せるわけがないだろう」


 そう言って父王は笑った。

 だが、彼の息子の顔には笑みはない。


「ということは、ホリーを魔族に預けると……」

「そうだ」


 王はアリストの負の感情が籠った問いに短い言葉で答え、さらに言葉を続ける。


「アリスト。おまえならすでに察していると思うが、これは捕虜を返還させるための方便だ。先ほども言ったとおり私は魔族の要求を飲む気はまったくない」


「つまり、魔族に引き渡したらホリーとは一生会えないことになる」


 王子ひとりを王都に戻すために王女を生贄にする。


 王の言葉は言外にそう言っていた。


「アイゼイヤは馬鹿かもしれないが、それでも私の血を引く者。そして、数少ない王子だ。さらに言えば、この交渉を進めなければ魔族はノルディアで起こした騒乱をブリターニャでも必ず起こす」


 ノルディアの騒乱。

 それはノルディアの王が王族のみを身代金を払って救い出し兵たちは見捨てる決定をした直後、グワラニーがその情報をノルディア国内に流したことを示しているのは間違いない。


 王の冷たい言葉は続く。


「王子ひとりが戻り、騒乱を防ぐことができ、一万人の兵が戻る。その対価がホリーひとりの命。安いものだ」


「小賢しい魔族は私を甘く見たようだな」


 そう言って王はもう一度笑った。


 王子ひとりと一万人の兵、さらに騒乱の回避。

 王女ひとり。


 王はそれを天秤にかけ前者を選んだのだ。


 ……王としての判断は間違っていないのかもしれないが……。


 アリストは呟く。


 そして、改めて思う。

 このような判断ができなければ王にはなれないのだと。

 苦渋に満ちたアリストの表情を眺めながら父王は言葉を続ける。


「今晩、魔族のもとに出向くホリーを主賓とした宴を開く。必ず出席せよ」


 そして、その晩。

 王宮で開かれた宴は豪華ではあったものの、華やかさに欠けた。

 むろんその理由の第一は出席者の少なさにある。

 王が主催する宴は多くの種類があるが、その一番小さなものでも王都にいる王子たちは全員参加する。

 だが、ホリーを主賓とする今回のものは王とアリストのほかはアリストとともに王都に戻ってきていたジェレマイアとふたりの母親でもあるアマリーエのみ。

 寂しいかぎりではあるが、四人の王子は冥界に旅立ち、もうひとりは魔族に囚われているため致し方ないともいえる。


 もちろんこの宴が開かれた名目は交渉を進めるために自ら敵陣へ赴いたホリーの労をねぎらうというものであるが、すでに真の理由を告げられているアリストは当然浮かれる気持ちにはなれない。

 そして、盛り上がりに欠ける宴の最後に王はこの日の主賓に声をかける。


「ホリーには申しわけないがもう少し苦労をかけることになる。大変だと思うが王女の務めだと思い頑張ってくれ」


 表面的には何も問題ない。

 当然ホリーは笑顔で頷き、こう答える。


「お任せください。ブリターニャの名を辱めるようにならぬよう立派に務めてまいります」


 その瞬間、隠そうとしたものの隠しきれずアリストは目頭を熱くした。


 そして、王の非情な決定がなされてから二日後、アリストとホリーが前線に戻ってくる。


 当然交渉は再開されるわけなのだが……。

 グワラニーはすぐに気づく。

 アリストの異変を。


 ……つまり、こちらの提案を王が蹴り飛ばしたというわけか。

 ……息子を見殺しにするとはなかなか肝の据わった王だな。

 ……尊敬に値するが、それではこちらが困る。

 ……担保はともかく、条件を飲んだうえで払うべきものを払ってもらわねばならない。

 ……そのためには、第二段階に移行するしかない。


 ……その前にアリスト王子がブリターニャ王になんと言われたのか聞かねばならないが。


 ある程度答えを予想したところでグワラニーに視線を向け直す。


「では、王都に戻った結果を聞かせてもらいましょうか」

「ああ」


 グワラニーの不必要に明るい問いに覇気のない声で応じたアリストはそのまま抑揚のない声で返答となるものを言葉にする。


「王はおまえの要求を受け入れるそうだ」


「兵ひとりあたりブリターニャ金貨三千枚で交渉をまとめて来いと言われた」


「そして、おまえがこの金額で捕虜を開放する条件とした、今後の戦いでブリターニャ軍は捕らえた魔族兵及び戦いに参加していない魔族の民に対する略奪や暴行をおこなわないことについても履行することを約束するそうだ」


「そして……」


「それをおこなう証しとしてブリターニャ王国第四王女ホリー・ブリターニャを魔族のもとに預ける。その期間はブリターニャが協定内の事項を履行していく意志があることを魔族側が確認できるまでとする」


「なお、その間は王女の安全を保証してもらうが、ブリターニャが協定内の事項を破った場合は王女の身柄は魔族側の自由とすることは魔族の権利であることをブリターニャも承知することをつけ加える」


 グワラニーは自分の耳を疑った。

 そう。

 ブリターニャが事実上の生贄としてホリーを差し出すというのはグワラニーにとって全くの想定外のことだったのである。


 救えるはずの王子を父王が見捨てるはずがない。

 当然付帯条件を含めて飲む。

 だが、さすがに王女を差し出すことはない。

 そうなれば、残りは金貨を積み上げるしかない。

 もちろんその山の大きさや返還方法は交渉となるだろうが、黙って履行すれば金が返ってくることを示してやればよいわけだし、その額の大きさから軍の行動は当然掣肘が加えられる。

 その間、こちらも同じように無益は殺生を控えれば相互信頼が出来上がる。


 それがグワラニーの目論見。

 だが、今の言葉によってそれが完全に瓦解する。


 自身の奥深くに湧き上がる黒い予感を振り払おうとするものの、その不安は消えないどころか、大きくなるばかりである。


 グワラニーは目の前に座る男を睨みつける。


「アリスト王子。話は承ったが、納得しがたい点がいくつもある。一応その主旨を説明していただきたいのだが……」

「……語るまでもない。すべてがおまえの想像通りだ」


 自身の言葉を遮ったアリストらしくもない投げやりな物言い。

 グワラニーはすぐに悟った。


 悪い予感が間違っていなかったということを。

 だが、ここで終わりにするわけにはいかない。


「……とりあえず、今の話を聞いて私がどう理解しているか言わせていただきます」


「ブリターニャはこちらの要求を飲み、捕虜ひとりあたり金貨三千枚を支払う。それと同時に、こちらが付帯条件として示した降伏した者や負傷で動けなくなった者、それに非戦闘員に対する拷問その他いかなる暴力行為もおこなわないことを約束する」


「だが、それは見かけ上約束したものであり、身代金を支払い、アイゼイヤ王子を含む捕虜が全員解放された後はすべてを破棄する」


「当然協定遵守の担保となるホリー王女はその代償として命を奪われることになるわけだがそれはやむを得ない」


「あなたの父であるブリターニャ王はそう言った」


「間違っていれば訂正してもらいたい」


 グワラニーは胸に溜まっていたものを一気に吐き出した。

 もちろん最後につけ加えた問いの言葉は、アリストに否定してもらいたいという強い思いが籠ったものだった。

 だが……。


 アリストはグワラニーの思いを鼻で笑う。

 そして、口を開く。


「いや。概ね間違っていない。ついでに王は最後に言った言葉を教えてやろう」


「王女ひとりの命で国家分裂の危機を救い、さらに王子ひとりと一万人の兵士が救えるのであれば安いものだ」


「偉大な王らしい実に理に適っている素晴らしい言葉だと感服した」


 むろんこれは自身の無力さを笑った言葉だ。

 それを察したグワラニーはもう一度問う。


「それについてアリスト王子は反論しなかったのですか?」


「どう反論しろというのだ」


「ひとりの命を犠牲にして一万人の命が救える。ここに王子ひとりが加わってしまえば、同じ王族でも王女のひとりなどただのようなものだ」


「しかも、交渉相手はアルディーシャ・グワラニーというよく口の回る男。言いくるめて金貨千枚払っただけで全員を取り返すなどという芸当は絶対にできない。そのような状況でどう王を納得させられるというのだ」


 そこまで言ったところでアリストは自嘲気味に笑みを浮かべる。


「それとも、かわいそうな王女に免じておまえがつけ加えた条件を取り消し、金貨を受け取るだけで済ませるか?」


 ……相手はアリスト王子。実は王子の言動すべてが演技であり、こちらを嵌める策という可能性はなくはない。

 ……だが、十中八九本当。


 ……さて、どうしたらよいか。


 もちろんこれが個人的な問題であれば、すでに十分な見返りといえるひとり当たり金貨三千枚で話をつけても問題ないところではある。

 だが、これは国家間の問題。

 しかも、相手はお互いの破滅をかけて戦う敵。

 さらに、国家の利益のためなら身内でさえ切り捨てることもできる者に対して情けをかけても、自身に戻ってくるのは盛大なしっぺ返しだけである。

 当然それはできない。

 そうかといってこのまま話を進めてもいいものなのか。

 グワラニーの思案のしどころといったところである。


 ……バイアとアリシアさんに相談すべきか。


 そう思ったところで気になったのはいつもと変わらず魔族陣地に向かったホリーの態度である。


 ……生贄に捧げられたとは思えぬ王族らしい態度……ではないな。アイゼイヤ・ブリターニャを見れば、あの堂々とした姿は王女個人の資質。

 ……殺すのは惜しい。

 ……いや。


 ……もしかして……。

 ……まさか自分が捕虜の身代わりに生贄として差し出されることは知らされていない?


 そして、その予想は的中する。


「アリスト王子。この件をホリー王女はご存じか?」

「言えるわけがないだろう」


 それがグワラニーからの問いに対するアリストの答え。

 渋面のグワラニーがアリストを見やる。


「とりあえず……」


「さすがに言わないというわけにはいかないでしょう。それにいつかは言わなければならないのですから……」

「では、聞こう。なんと言えばいいのだ?」

「いや、それは……難しいです」

「そうだろう」

「……はい」


 敵味方の戦後処理の交渉ではなく、妹に難しい頼み事をしなければいけない兄とその悩みを打ち明けあけられた彼の友人の体。


 まじめに悩む本人たちには非常に申しわけないことではあるのだが、これが今の様子を表す最もふさわしい言葉といえる。


 ……本当に……。

 ……本当にこのふたりが同じ側に生まれていたら……。


 ……ですが、ふたりはいわば同類であり思考は同じ。つまり、このふたりだけではいつまで経っても問題の解決策は見いだせない。

 ……ここは助け船を出すしかないですね。


 捕虜返還の話をそっちのけにホリーになんと話せばよいかを討論し始めるふたりを眺めそう呟いたフィーネが口を開く。


「ご歓談中のところ申しわけないのですが……」


「その件について私からひとつ提案があります」


 前置きのようなその言葉で悩めるふたりの視線を引き寄せたフィーネは言葉を続ける。


「一応確認しますが、アリストは王である父の決定を覆す気はないのですね?」

「私が魔族に寝返らないかぎりないですね」

「では、グワラニーは自身の要求を取り下げる気は?」

「ないですね。残念ですが」

「わかりました。では、その条件でもっともよい解決策を伝授してあげましょう。もちろん有料で」


 そう言ったところでフィーネはアリストを眺める。


「ブリターニャ金貨三千枚」

「高い。十枚。それを採用したら百枚というところでどうですか?」

「採用したら四千枚。不採用でも五十枚。これ以上は安くなりません」


 沈黙。

 すなわち了承。

 そう受け取ったフィーネが口を開く。

 そこにあらたな資金提供者が現れる。

 グワラニーである。


「では、採用した場合、私も千枚加えましょう。その話には非常に興味がありますので」

「いいでしょう。交渉成立です。では……」


「私の提案。それは……」


「ブリターニャ王の提案をそのまま実行する」


「……やられた」


 その瞬間、頭を抱え天を見上げるふたり分の声が漏れる。

 当然ふたりから反論の声が上がるわけなのだが、それを右手で制したフィーネはそのまま言葉を続ける。


「さすがにこれだけであれば詐欺になります。当然この続きがあります」


 そう言って、まずアリスト、それからグワラニーに目をやる。


「まあ、そうは言ってもそう難しいことではありません」


「アリスト。妹をグワラニーに預けておけばいいでしょう」


 その意味がわからず顔を見合わせるふたりを置き去りにしてフィーネの言葉は続く。


「そもそもこの話の発端はグワラニーなのだから、グワラニーに責任の一端を担ってもらうのは当然でしょう」


「交渉の進め方やその結果から想像するに、この交渉に関する裁量権は完全な形でグワラニーにあります。さらに手に入れた獲物の扱いについては王でさえ口が出せないようでもあります。それは捕虜の扱いを見ればまちがいでしょう」


「ということは……」


「王女をグワラニーの所有物としてしまえば、何が起ころうが誰も手が出せない」


「たとえ魔族の王でも」


「いやいや……」


 今度はふたりの声が響く。


「ちょっと待ってください。それではホリーがグワラニーの妻になるということなるではないですか」

「さすがにブリターニャの王女を妻にするなど誰も納得しないというか、誰も幸福にはならない」


 想像通りのリアクションをして慌てるアリストとグワラニーを楽しそうに眺めるフィーネだったが、テーブルの反対側の一か所からやってくる殺気を帯びた視線を感じる。


 ……まあ、こちらも想像どおり。


 薄い笑みでそれを受け流すと、さらに言葉を続ける。


「まあ、王女本人の意向もあるから正式な妻というわけではなく、魔族の国に滞在しても安全が確保できる見かけ上の結婚ということになりますが」


 その直後起きるメンバーが若干変わった三人分の安堵の声。


 ……本当にわかりやすいこと。


 フィーネは誰にも聞こえぬようそう呟いた。


 そして、その日の夕方。

 ブリターニャ陣地に戻ったホリーはここ何日間とはまったく違う晴れ晴れした表情をしたアリストの出迎えを受ける。

 そして、ホリーはブリターニャ陣地から戻ってきた三人は兄とは対極にある表情をしていたことを思い出す。


 ……ということは、ブリターニャ側に有利に進んだということですね。

 ……さすがアリスト兄さまです。


 まさか自身の身売り先での安全が確保されそうな方法が見つかったことを兄が喜び、逆に彼女を押し付けられたグワラニーが渋い表情になっているとは思わぬホリーは嬉しそうに微笑む。


「交渉は終わったのですか?」

「まあ、大筋は……」


 ホリーの問いに、アリストは何とも言えぬ表情をし、それから歯切れの言葉を並べていく。


「あとは細かい詰めだけなのだが、グワラニーが必死に抵抗して……」

「頑張ってください」

「……ええ」


 アリストは言えなかった。


 大筋で決まったが、それがどのようなものなのかということを。

 そして、「グワラニーが抵抗している」というものの本当の姿も。


 そして、後者に関する交渉中はこのような会話がなされていた。


「……百歩譲って王女を預かるとして、当然宿代と預かり料は頂く」

「何が宿代だ。こちらこそ大事な妹を預からせてやるのだ。涙を流し感謝し借賃を払うのが筋だと思うのだが」


 そこから始まる舌戦はもはやこの世界最高の知の巨人ふたりのものとは思えぬ低レベルなものとなる。

 しかも、それは時間を経るに従って加速しながら下がっていく。


 綺麗とはいえぬ表現を使えば、ホリーはいわば守られることがない約束の担保。

 本来であれば、すぐさま売り飛ばし金に換えるところを手をつけず大切に保管しておけと要求しているのだから、アリストがそれに見合う金をグワラニーに支払うのが筋。

 だが、それを承知してしまえば、待っているのは高額な支払い。

 しかも、これは父親に内緒でおこなうことであるため、請求書は当然の自分のところにまわってくる。

 今回の捕虜返還の交渉でブリターニャはノルディアの二の舞を踏まずに済みそうなのだが、この交渉がグワラニーの思惑どおりに進めば、アリストは間違いなく破産し、王位に就く頃にはグワラニーに対する莫大な借金を抱えることになる。

 もちろん魔族に対する借金など踏み倒せばいいわけなのだが、その時にまだホリーがグワラニーの保護下にあることは確実。

 当然その手は使えない。

 となれば、ここでなんとか踏みとどまるしかない。


 そう。

 実をいえば、抵抗しているのはグワラニーではなくアリストだった。


 さらにそれ以前の問題もいまだ解決されていない。


 ホリーにどうやって話をするか。


「言い方を間違えれば、彼女は父や兄に見捨てられたと思い、自刃することだってあります。言葉には十分気をつけてください」


 フィーネのその言葉によってハードルはさらに上がり、アリストはお手上げ状態になっているのだ。


「何かいい手はないですか?フィーネ。あれだけの大金を払うのそこまで考える義務はあると思いますが」

「あれはあれ、これはこれ。そもそもそれを考えるのがあなたの仕事でしょう。アリスト」


 ……ご苦労様と言っておこうか。


 敵であるはずの自分たちの前で醜態を晒すアリスト。

 その姿を当然グワラニーはそのよう言葉をつぶやきながら対岸の火事を楽しい見世物として眺めていたわけなのだが、翌日その火事の火の粉は彼のもとにやってくることになる。

 もちろんこの時点で彼が知る由もないのだが。


 そして、翌日。


 フィーネから出されたある提案にグワラニーは驚愕する。


「……つまり、私がホリー王女にあの話をするということですか?」


「アリスト王子の代わりに……」


 そう。

 これが火の粉の正体である。


 ただし、これがアリストとの協議との結果ではないことはその言葉を聞いたときのアリストの表情から容易に想像できる。

 再び知の巨人ふたりを手玉に取った女性はグワラニーの言葉に軽やかにこう答える。


「驚くことではないでしょう。もともとあなたが王女を担保とすると言い出したのですから、それを言っても問題ないでしょう」


 もちろん返す言葉はない。

 まさに正論をぶちかまされたのだから。


 ……フィーネ嬢の言うことは間違っていないが……。

 ……だが、それはアリスト王子にとっては恵みの雨のようなもの。絶対に乗ってくる。そして……。

 ……国家を瓦解させるような無理な要求を飲むことはできないが、一万人の兵は救いたい。国の未来のために泣く泣く妹を手放す決断をする兄を演じるのは目に見えている。

 ……当然、私はブラコン王女の恨みを買う悪役。 


 ……この役を受けるのであれば相当なギャラを貰わねば割に合わないぞ。


 ブリターニャ王の決定をグワラニーが知って二日目となるその日。

 その日の交渉の冒頭でグワラニーは最終的な条件を提示する。


 魔族がブリターニャに引き渡す兵数一万九百七十八名。

 ブリターニャは魔族に対し、彼ら全員ひとりあたりブリターニャ金貨三千枚、合計三千二百九十三万四千枚の身代金を支払う。

 ブリターニャ王国王子アイゼイヤ・ブリターニャの引き渡しは兵たちの引き渡しが終わった後におこない、その身代金は兵たちとは別にブリターニャ金貨十万枚が必要となる。

 なお、捕虜引き渡しはブリターニャが魔族側から示された協定をブリターニャが遵守することを約束し、その担保としてブリターニャ王国王女ホリー・ブリターニャを引き渡してから始まるものとする。


 一応、補足的に説明しておけば、引き渡す兵一万九百七十八名は捕らえた総数である一万千三十四人に比べて少なくなっている。

 その理由は言うまでもないないだろう。

 冷酷に思えるだろうが、魔術師に転移ポイントを与えないことがこの世界の戦いにとってそれだけ重要なことであり、グワラニーはそのことをよく理解しているということでもある。


「……とりあえずこれが要求の概要となるわけですが、これは公式の、つまり、ブリターニャ王国に対してのものです。当然これで終わりではありません」


「次はアリスト王子。あなた個人に対してのものです」


「まず、悪役を買って出る報酬。これがブリターニャ金貨五十万枚」

「高い」

「いやいや、本来は金貨百万枚頂くところなのですからこれでも安くしたと思っていただきたいですね」


「続いて……」

「まだあるのか?」

「当然」


 即座にやってきたアリストのクレームをこちらも即座に撥ね退ける。

 そして、要求を続ける。

 次々と。

 

「王女の預かり料。一日あたりブリターニャ金貨五百枚。日数はまだ決まっていないのでとりあえず百日分を前払い」

「金貨五万枚?これこそ絶対に高いだろう」

「安いです。さらに支度金その他諸々でさらにブリターニャ金貨一万枚」

「この守銭奴」

「その言葉、そっくりお返しいたします」

「さらに……」

「いい加減にしろ」

「いやいや、これも大事なのです。なにしろ王女自身が使う生活費。一日ブリターニャ金貨二十枚もあれば十分でしょうから、二千枚ほど……」

「……まあ、それはしかたがないな」

「それから……」


 二十ドゥア後。

 グワラニーの請求は遂にその額は大台に乗る。

「おい、グワラニー。金貨百万枚だぞ」

「王女にかかわる経費は父上に請求すればいいでしょう。形式上王女は数年滞在することを前提に我々とブリターニャの協定が出来上がっているのですから」

「まあ、それはそうだな。だが……」


「そうであっても、やはり高い。もう一度詳細の検討をすることを要求する」


 そう言って、支払いを減らす話をスタート地点に戻そうとしたアリストに新たな敵が出現する。


「アリスト。もちろん私への支払いも忘れていないでしょうね」


 請求者の顔を眺め、それから渋々と音を立てながらアリストは口を開く。


「……たしか銀貨十二枚でしたね……」

「違います。金貨六千枚です」


 どさくさ紛れに盛大におこなった割引は成功せず、罰として高利貸以上の利子までつけられアリストは頭を抱える。

 だが、アリスト悲劇はまだまだ続く。


「そこにセイシュ代とヤキオニギリ代。そして、グワラニーにやりたくない役を押し付けるという画期的な提案をしたその料金は金貨三千枚。諸々考えて合計一万枚。端数は落としたのでこれ以上は一枚たりとも値引きはありません」

「値引きうんぬんよりもまず高いでしょう。すべてが」


「だいたい私はヤキオニギリは食べていないし、セイシュもここで飲んでいたのはフィーネで残ったものを持ち帰ったのはグワラニーだ。少なくてもそれは差し引かれるべきでしょう」

「経費です。つまり、交渉の主催者であるアリストが支払うのが当然のことです」


 そう言って縋りつくアリストを豪快に蹴り飛ばしたフィーネはトドメの一撃を繰り出す。


「もちろんアリストのつまらぬ仕事につき合わされた代金は別にいただきます。合計で……金貨一万五千枚ということにしておきましょうか」


 結局支払いを減らそうとした努力が仇になり、金貨一万五千枚にまで跳ね上がった請求額にアリストは完全に意気消沈。

 当事者のひとりが寝込んだため、この日は午前中で交渉が終了。


 そして、翌日。

 遂に交渉は成立する。


「まあ、人質とはいえ王女はクアムートで自由に生活できることは保証しましょう」

「金貨百万枚も払うのだからそんなことは当たり前だ」

「先ほどから百万枚と連呼していますが、私のような平民ならともかく、大国ブリターニャの第一王子であるあなたにとっては金貨百万枚など端金でしょう」

「そんなことあるわけがないだろうが。フィーネやファーブが垂れ流す金も私が出しているのだぞ」

「いやいや、アリスト王子は渋くて困ると三剣士の方々は言っていましたよ」

「そんなこと……」

「ありますね。たしかに」


 アリストとグワラニーのケチ談義に割り込んできたのは再びフィーネ。


「泊まる宿も食堂も町で一番安いところ。しかも、そこで値引き交渉をおこなう。飲む酒も水で薄めたというより、水に酒を垂らした程度のものばかり。あれだけやれば、アリストの屋敷にある金蔵は床が抜けるくらいに金貨で一杯になっていることでしょう」


「なるほど。そういうことであれば、割引などせず正当な額を要求すべきでした」

「あるわけないだろう。というより、そもそもおまえが出した金額はぼったくりだろう」


 お金がないことを何度も念を押したところでアリストの表情が変わる。


「とにかく例の件はよろしく頼む」


「それからホリーのことも」


 翌日。

 出発準備をしていたホリーはアリストに呼び止められる。

 そして……。


 テーブルの一方にはアリストとホリー。

 もう一方にはグワラニーたち魔族の三人。

 そして、いつもはアリストの隣に座るフィーネはアリストたちの背後に用意された椅子に座る。


「では……」


 そう言ったのはグワラニーだった。


「我々の要求を伝える」


 もちろんその内容をアリストは知っているがこれは儀式のようなもの。

 初めて聞くかのようにアリストが頷くと、一瞬後、グワラニーの口から言葉が流れ始める。


「まず、主議題である捕虜返還についてだが、我々が捕らえた一万九百七十八人の兵士たちについてはひとり当たりブリターニャ金貨三千枚。合計三千二百九十三万四千枚のブリターニャ金貨と交換に開放する」


「続いて、ブリターニャ王国第五王子アイゼイア・ブリターニャは兵士たちとは別にブリターニャ金貨十万枚を受け取ったあとに開放する」


「返還方法は、まずブリターニャ側が用意された金貨を魔族側に受け渡し、その確認後、それに見合った数の兵士を開放するものとする。なお、アイゼイア・ブリターニャの開放はすべての兵士の返還が終了したあとになる」


「続いて、付帯事項」


 そう言ったところで、グワラニー言葉を一度切る。

 もちろん、その間もその視線はブリターニャ側のふたりを外すことはない。

 そして、言葉を続ける。


「まあ、これは付帯事項というより、これを承諾することが王子を含む捕虜返還の条件となるので心して聞くように」


「さて、その条件であるが……。それは……」


「この協定締結後、ブリターニャ軍は、負傷等により戦闘不能になった魔族軍兵士に対していかなる暴力行為もおこなわず、また負傷者に対しては適切な延命措置をおこない、食事その他すべての行為において人間の捕虜と同等以上の扱いをする」


「また、ブリターニャ軍兵士は戦闘に参加していない魔族の非戦闘員については略奪及び暴行をおこなわず、捕らえた場合、捕虜と同等の扱いをする。そして……」


「しかる後、ブリターニャ軍は捕虜となった魔族軍兵士及び、捕らえた非戦闘員を身分の上下に関わらず兵士はブリターニャ金貨二枚、非戦闘員については年齢性別に関わりなくブリターニャ金貨一枚と交換で魔族軍に引き渡す。引き渡し場所はダワンイワヤのブリターニャ陣地とする。当然そうなればこの地で戦闘をおこなうわけにはいかない。非公式なものにはなるが、ダワンイワヤの湿原地帯を魔族とブリターニャの国境、いわゆる緩衝地帯とし、この地域の戦闘行為は禁止するものとする」


「そして……」


「魔族軍はブリターニャ軍がこの条件を誠実に履行する証として、ブリターニャ王国王女ホリー・ブリターニャを最低五百日間預かることとする。その間、王女は私アルディーシャ・グワラニーの妻という身分にする」


「当然ではあるが、捕虜返還後、ブリターニャが協定を破棄、またがブリターニャ軍兵士が協定を破り、魔族軍兵士および非戦闘員に対して略奪および暴行をおこなった場合、または定められた国境を超えてきた場合は王女は報復対象となりその命は保証されない」


「……私が協定遵守の証」


 ホリーは驚く。

 そして、すぐに理解した。


 魔族から出された協定の内容はブリターニャがとても飲めないもの。

 その飲めない協定の担保にされた自分は魔族のもとに行ったら一生にブリターニャには戻れない。

 それどころか、協定破りがわかった瞬間殺される。


「……アリスト兄さま」


 ホリーはすぐさまアリストを見る。

 そして、察した。


 アリストがこの要求を受け入れるつもりだと。

 そして、それは兄の意志ではなく父王による命であることも。


 見捨てられた。


 絶望するホリーに追い打ちをかけるようにグワラニーが言葉を紡ぐ。


「念のため言葉を申し添えておけば、王女はブリターニャの誠意の証し。万が一、自刃などおこなった場合は協定破りと認識し、こちらもそれにふさわしい対処をおこなう。よろしいか。アリスト王子」


「承知したが、ちなみに対処というのはどのようなものかな?」

「もちろん止めていた進撃をおこなうということだ。言っておくが、我々はブリターニャの北部部隊の背後を取れる位置に陣を敷いている。崩壊させるのは容易いと思ってもらおうか」

「そこは承知した」


 アリストはそう応じたところで言葉を止め、それからもう一度口を開く。


「だが、協定の証であるとはいえ、要求どおり王女を渡すのはブリターニャの威信にかかわる。さらにホリーは私の実の妹。ホリーの代わりに証を金貨でおこなうことを提案したい」

「……なるほど。たしかに兄として当然の反応だ。だが……」


「私はホリー・ブリターニャを非常に気に入っている。そして、その価値はブリターニャ金貨五千兆枚と見ている」


「もし、ブリターニャが金貨を証にしたいのなら、それだけの金貨を揃えてもらいたい」


 ブリターニャ金貨五千兆枚。

 別の世界の金額に換算すれば兆のひとつ上の単位となる五京円。

 もちろんこんな支払いをした瞬間ブリターニャは国として破産である。

 そもそもそんな金貨はブリターニャの国中のものをかき集めても揃わない。


 ……つまり、ブリターニャは私を差し出す以外に道はないということですか。


「そちらの要求はすべて聞いた」


「グワラニー。回答する前にホリーと話がしたい。はずしてもらえるか」


 アリストからの言葉にグワラニーは立ち上がりテントを出ると、デルフィンとタルファも厳しい表情で続く。

 そして、それに続くようにフィーネも。

 ただし、その顔は今にも吹き出しそうな笑みで満たされている。

 そして、外に出て、テントからはその声が聞こえないところまで来たところで、それは決壊する。


「これまで知っている中で一番の喜劇だったわよ。グワラニー」


 そう言ってフィーネは笑いだす。


「それにしても金貨五千兆枚とは随分とつけたものね。今後あの王女を金貨五千兆枚の女と呼んであげることにしましょうか」


 もちろんグワラニーもここまではどうにか我慢していたものがついに漏れ出す。


「まあ、どうせなら、と思いまして言ってみました。これでアリスト王子も説得しやすくなることでしょう。これで失敗するようなら、それは王子の責任です」

「そうですね」


 フィーネは笑みは黒味を増す。


「ところで……」


「金貨五千兆枚の女を連れ帰ったらどうするつもりなの?まさか本当に愛人にする気ですか?」


 もちろんそれは冗談なのだが、言ってはいけない冗談だったのはすぐに気づく。


「まあ、隣のお嬢さんが怒るからそういうことはないだろうけど」


 と、すぐに訂正を加える。

 そして、その直後、グワラニーから正解となる言葉がやってくる。


「タルファ家に預かってもらうことになっています。まあ、軍を動かすときには同行してもらうつもりですが」

「戦場に連れて行くのですか?」

「ええ。彼女には我々の戦い方を見てもらう必要がありますから。それに……」


「私の目の届くところに置いておけば、危害を加えられることはないでしょから」

「そして、それを私に言ったということは、勇者対策でもあるということね」

「そういうことです」


 いうまでもないことなのだが、その頃テントの中では外側とはまったく違う会話がされ、そこに流れる空気もそれに見合うものとなる。


「ホリー。本当に申しわけないことになった」


 むろんすべてを知り、そのうえの言葉ではあるのだが、それでも申しわけないという気持ちには偽りはない。


「ホリーの件はすでにグワラニーから通知されており、王都に戻ったのは父上にその対案となる金銭での解決は可能かを確認するためだ。だが……」


「父上の答えは国を傾けるような金は払えないという為政者らしい答えだった」


「私がそれを支払うことができればいいわけなのだが……」


 王が自分のために宴を開いた理由がどのようなものかも。

 そして、王都から戻ってきてからの兄の様子がおかしかった理由も。


「納得してもらいたい」

 

「とにかくグワラニーのもとに赴いてもいずれ帰ってくることを信じている。そのときのための魔族の世界の様子をよく観察してきてもらいたい」


 もちろんこれはアリストが懸命に並べた説得の言葉のひとつに過ぎない。

 だが、この言葉が決定的なものとなる。


 ……なるほど。

 ……そういうことですか。


 ホリーはうわべだけの意味しかないアリストの言葉を拡大解釈した。

 まさに愛の力。

 と言いたいところだが、簡単にいえば大いなる勘違いである。

 そして、彼女のその解釈がこれである。


 つまり、魔族の内部事情を調べ、グワラニーの弱点を見つける。

 私がグワラニーのもとにいく理由。

 妻の地位であれば殺される心配がない。

 そして、アリスト兄さまが機会を見て救いに来てくれる。


「わかりました」


 微妙に正確さに欠く理由ではあるものの、とりあえずホリーが協定の担保として魔族の国にいくことを承諾したところで、四人がテントに戻る。

 もちろんそこは表現のしようのない笑みを浮かべたアリストとはっきりと敵愾心を見せるホリーがつくりだすなんともいえない空気が充満されていた。


 ……まあ、こうなることは予想していたのだが、アリスト王子は我が身可愛さに必要以上に私を悪人に仕立てたわけではないだろうな。

 ……いや。

 ……王女の表情からはそれ以外の答えは導き出せないのだが。


 グワラニーはアリストに目をやる。


 ……まあ、大金をもらうのだ。よしとするか。


 とりあえず、こちらも納得し、とても本心からのものとは思えぬ取り繕い臭が漂う笑みを浮かべたグワラニーが口を開く。


「こちらの要求を受け入れていただき感謝する。アリスト王子。それからホリー王女」


 そう言って、ホリーを眺め直すが、とても状況が改善されたようには見えない。


 ……才はある。

 ……だが、さすがブラコンだけあって拒絶姿勢が半端ではない。

 ……本当に王女を娶ることになっていたら一日でギブアップ。


 ……というか、フィーネ嬢以上にノーサンキューだ。


 グワラニーは苦笑いした。


「王女は基本的にクアムートに滞在していただく」


「ただし、私が戦場に出るときは同行してもらうことになるが。その点は了承してもらいたい」

「わかりました」

「それから……」


「定期的にアリスト王子との面会の機会を設けよう」


 そう言ってからグワラニーはホリーに目をやる。


 ……いよいよ本物だな。これは。


 慌てて取り繕ったものの、そこであらわれたホリーの表情を見たグワラニーはニヤリとする。

 そして、気づく。


 ……どうやら相手の方はまったく気づいていないようだな。その思いを。

 ……意外に鈍感だな。アリスト王子は。


 そして、もう一度笑う。


「とりあえず今尋ねておきたいことはありますか?アリスト王子」


「クアムートに住むということはわかったが、実際に住むのは……」

「私の屋敷。と言いたいところだが、私の屋敷には女性が住むには不便が多い。そこで……」


「同じ人間ということでタルファ夫妻の家に同居していただく。歳が近い娘さんもいるし」


「もちろんタルファ夫妻には許可を得ている。夫人には娘と同じように扱ってくれと言ってある。よろしいか?」

「……いいだろう。せっかくだ。ついでに聞いておこうか。グワラニー」


「とりあえず承知はしたが、協定では魔族の兵士を金貨二枚で開放するのに今回の我々はひとりあたり三千枚の金貨を用意するということには納得はいっていない。どう考えたらそのような差が生まれるのだ」


 グワラニーはその言葉を鼻で笑う。


「もし、本当に双方が捕虜を開放する準備が整ったときに改めて条件を整備するようになれば、我々がブリターニャに対して支払うものを少し引き上げたうえ、ブリターニャと条件を揃えるということになるでしょう。ですが、ブリターニャに魔族皆殺しをやめる気がない以上、細かな設定は無意味。つまり、ブリターニャに捕えられた捕虜の開放条件がどれだけ劣悪なものであってもブリターニャには痛みはない。逆に私にとってそのとんでもない条件は国内向けの宣伝として使える。それによって身代金という実のあるもので大幅な譲歩した事実が薄まる」


「言い方を変えれば、ブリターニャは名を捨てて実を取り、魔族は逆に実を捨てて名を取ったというわけです。どちらの選択が有益なのかは言うまでもないことでしょう」


 グワラニーの言葉にアリストは苦笑いする。


「その点は理解した。だが、今の言葉は質問の半分しか答えていない」


「そして、答えていないのはより重要な方だ」


「なぜ我々は金貨三千枚を支払分ければならないのだ?」

「簡単なことです」

「アグリニオンの商人風にいえば、相手が高くても買うのであれば、より高く売りつけ利益を得るのは当然のことでしょう」


「ですが、金貨三千枚で助かる命ならやはり助けるべきでしょう。それが戦場に兵を送り出した者の責務というものです」


 ……おかしい。


 ふたりの会話を聞いていたホリーは心の中で呟いた。


 ……グワラニーが私を手に入れるために無理難題を口にしていたのは間違いないです。

 ……ですが、言葉の端々からこの男が私を妻にする気などまったくないように思えます。

 ……では、あれだけ強引に私を自分のもとに置こうとした理由は何?


 ……やはり私は盾代わり?

 ……ですが、この男が率いる軍は魔族軍のなかで最強。それどころか、ほぼ無敵。そのような軍に盾など必要なのですか?

 

 どの道を進んでも行き止まりになる迷路を歩くような感覚を感じながらホリーはさらに思考を進めようとしたところでそれを停止させる。


 ……すべては魔族の国に行ってからです。

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