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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第二十一章 ダワンイワヤ会戦 交渉
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茶番劇のはじまり

 対魔族連合の中心であるブリターニャと魔族の歴史的協議。


 それは間違いのない事実なのだが、実は当事者の一部にはあまり高い評価は受けていないのもこれまた事実。

 曰く、これは単なる茶番である。

 もっとも、それは本当に当事者のごく一部だけが知る事実に基づいた評価だったので、世間的には「戦いが始まって以来、ブリターニャと魔族が公的に接触した最初の出来事」と記録に残り、記憶されることになる。

 また、ついでにいっておけば、歴史学者たちが認定した本物の「茶番」とはこれからしばらく後にやってくるものであり、「大いなる茶番」として後世の人々に記憶されることになるのだが、これについての詳細はそれが起こった時に語ることにしよう。


 その日の朝。

 ブリターニャ陣地はざわついていた。

 予定ではまずホリー・ブリターニャが三人の護衛とともにダワンイワヤ湿原地帯を渡り、魔族軍陣地に入ることになっていた。

 だが……。


「なぜ魔族がこちらにやってくる……」


 タリーンコートが唸る。


「何かを企んでいる可能性がある」


 当然残存部隊の指揮官シャラーフは迎撃準備をするように命じるのだが……。


「……将軍。相手はふたり。しかも白旗を掲げているではありませんか。ここで手を出したら停戦が終わるだけではなく、ブリターニャの名誉も消えますよ」


 嘲り半分に将軍にそう声をかけたのは黒髪を靡かせた女性。

 だが、彼女は顔にはまったく笑みはない。

 そして、かすかに届く声で隣に立ち、同じように厳しい表情を見せる男に声をかける。


「……アリスト」

「ええ。間違いないでしょうね」


 フードを被り顔は見えないが、そのうちのひとりは漏れ出したそのおびただしい魔力によって確定し、そうであればその隣にいる相手も想像に難くない。

 だが、だからこそわからない。

 なぜやってきたのかが。


「……とりあえず気づかぬふりをしてしばらく眺めているしかないでしょう」


 アリストはそう言いながらふたりを睨みつけていた。


「……それにしても……」


「楽しそうですね。あのふたり……ん?」


 ……なるほど。


 自身の口から漏れ出した言葉から、それが正解だと確信したとたん、表情が一気に緩んだフィーネはもちろん知っている。

 あのふたり、つまりグワラニーとデルフィンは将来結婚することになっていることを。


 ということは、あれはいわばデート。

 しかも、戦場、さらに敵味方に監視されながらの。


 ……たしかにこういうシチュエーションもありかも。


 かつてホリーがブラコンであることを一瞬で見抜いたことでもわかるとおり、フィーネは恋愛マスター。

 こういう話が大好きである。

 当然そのような特別なフィルター付きの視線で見れば、そのように想像することはそう難しいことではない。

 だが、全員がそうかといえばそうではない。


「まあ、若い男女が歩いているわけですからたしかに楽しそうに見えますが、私は彼らがどうしてこちらに向かっているのかのほうが気になります」


 色気の欠片もないことを堂々と言ったその男アリスト・ブリターニャの表情を一度眺め、それから大きなため息をついたフィーネは言葉を続ける。


「一応私の見解を述べておけば……」


「グワラニーがわざわざ最強の護衛をつけてまでやってきたのはあなたの妹に配慮してのことだと思います」

「ホリーへの気遣い?どこか?」


 この瞬間、フィーネはもう一度、今度は先ほどの数倍大きなため息をつく。


「アリスト。あなたは王女であるあなたの妹を足場の悪い湿地帯を一アケトも歩かせることをなんとも思わないのですか?」


 この言葉でアリストもようやく気づく。


 そう。

 これがアリストなのである。


 アリストを眺めながらフィーネは出かかった「だから、あなたはダメなのです」という言葉を飲み込むものの、やはりその感情は隠せず、それ以上のものが出てきてしまう。


「アリストとグワラニー。私が男としてどちらを選ぶといえば、間違いなく後者でしょうね」


 言ったフィーネ。

 そして、言われたアリスト。

 双方が見せた苦笑いは微妙に色合いが違うものだったのは言うまでもない。


「その言葉は相当傷つきますよ、フィーネ」

「事実だから仕方がないでしょう」

「ですが、それはグワラニーがやってきた目的がホリーを歩かせたくないためだったときの場合でしょう」

「まあ、それはそうですが、そうなると思いますよ、多分」


 そして、そのどちらの主張が正解だったかといえば……。


「……賭けは私の勝ちですね。アリスト。もちろん約束通り王都に戻ったら一番高価なお酒をご馳走してもらいますから」

「なぜそこで一番高価なお酒になるのですか。だいたいそういう約束はしていませんし、そもそも賭けだってしていませんから」


 それからまもなく一方は大喜び、一方は渋い表情をしながら必死に出費を回避する姿からあきらかだろう。


 そう。

 グワラニーが自らデルフィンを連れて出向いてきたのは人質役であるホリー・ブリターニャを迎えにきたのだ。


 といっても、これがグワラニーのアイデアだったのかといえばそうではない。


 もちろん歩く距離が長いことも足場が悪いこともグワラニーの頭には入っていた。

 だが、それをクリアすることはブリターニャのやるべきこと。

 こちらには関係がない。

 極めて真っ当な判断をしていたグワラニーに助言をおこなったのは、アリシア・タルファだった。


 ブリターニャに限らず、王族の女性が自らの足で道路を歩くことは滅多にない。

 このような湿地帯となれば絶対にないと言っていいだろう。

 さらにこの距離。

 歩くことになれていない女性には無理である。


 では、どうするのか?


 転移魔法?

 これは事実上不可能。


 供の者に背負ってもらう?

 供とはあの三人の剣士。

 もちろん力自慢の彼らなら可能ではあるだろうが、敵の前でおこなうには見た目があまりにも悪い。


 輿?

 そのような気の利いたものは存在しない。


 では、どうすればよいか?


「グワラニー様がお迎えに行かれればいいでしょう」

「私が?」


 想定外の答えにグワラニーが驚きの声を上げると、アリシアは薄く笑う。


「もちろんグワラニー様が王女を背負って戻ってくるのではなく、副魔術師長が転移魔法でお連れすればいいでしょう。ですが……」


「こちらも転移できるのは湿地帯の半分ほど。ですから、ブリターニャ陣地までは五十アクトほどあります。その距離を彼女ひとりで行かせるのはどうかと」

「……なるほど」


 こういうところはアリストより飲み込むが数段早いグワラニーはアリシアが何を言いたいのかすぐに理解した。


「たしかに効果は大きいですし、悪くはありませんが……」


「お伺いします。それでよろしいですか?」


 グワラニーの問いかけにデルフィンは大きく頷き、このなかなかお目にかかれない状況でのデートが実現したのであった。


 さて、当然ながらグワラニーがやって来ただけではアリストの負けにはならないわけなのだから、確認にはおこなわれたわけである。

 諸々の事情があったとはいえ、まさかこれから交渉をおこなう魔族の将がフライングで姿を現わしたなどとは欠片ほども考えもしないバルハルがグワラニーに向けて怒鳴り散らす。


「おい。魔族。殺されに来たのならすぐに希望を叶えてやるが、違うのなら目的を言え」


「……グワラニー様、あの無礼な輩を殺してもいいですか?」

「いやいや。あれは遠回しに目的を尋ねているだけですから気にすることではないです」


 デルフィンが口にしたのは魔族の言葉であったからからブリターニャ人は誰も気づかなかったのだが、実はバルハルはあと少しのところでこの世から消える、正確には同僚の前で文字通り生きたまま解体されるところであった。

 幸いのことにグワラニーは笑ってバルハルの言葉を許したので助かったのだが。


 まず笑顔でデルフィンを落ち着せ、それからその笑顔のまま、見事なブリターニャ語でこう答える。


「泥の中をブリターニャの王女殿下に歩いてもらうわけにいかないと思い、お迎えに上がったのですが……」


 もちろんこの瞬間にフィーネは勝ち誇りアリストは頭を抱えたわけなのだが、それに対してやってきたのはまずは長い沈黙、それから怒号であった。


「誰が王女殿下の付き添いを貴様ごときに頼んだ?」


 バルハルのその怒号にグワラニーがすまし顔で即答する。


「ということは、王女殿下を泥の中を歩かせる。一アケトも」


「なるほどブリターニャ王国の臣下は気配りができた方が揃っているようだ」


 もちろんこれは完全な嫌味であり、言われたほうにもその意味は伝わる。


「貴様。今すぐ……」

「まあ、どうしてもというなら後ほど相手して差し上げますが、とりあえずアリスト王子とホリー王女の意向を確認してもらいたい」


「腐った血肉の匂いが漂う湿地を歩く。彼女の転移魔法によって一瞬で我が陣に到着する。そのどちらを選ぶのかを」


 さすがにこれだけ堂々と問われてしまってはそれに応じなければならない。

 命知らずの捨て台詞を再び残し、バルハルはアリストとホリーのもとに向かう。


 そして……。

 バルハルの言葉が終わった直後、ホリーはきっぱりと答える。


 自らの足で歩き敵陣に向かうと。


「ですが、殿下。魔族の言うとおり一アケトというのはなかなか遠く……」

「しかも、道はないと同じ。しかも、まだ兵士たちの死体はそのまま。さすがに歩くのはやや困難であるかと……」


 タリーンコートとバラチナルが言いにくそうにグワラニーの言葉を肯定するものの、ホリーは薄い笑みを浮かべる。


「あの少女が歩けるものを私が歩けないとは思いませんませんが……」


「どうしてもというときにはアリスト兄さまの護衛の方々に背負ってもらいます」


「さすがにそれはいささか見栄えが悪いかと」

「そうです。しかも、そうであっても転がっている死体や匂いは避けられません」

「いいのです」


「私はブリターニャ王国の王女。我が国の兵士が倒れている場所が汚いだの臭いだのとは思いません。そして、たしかに背負われることは見栄えは悪いですが、魔族の助けを借りなければ敵陣地にも行かれないなどと思われるより百倍いいです。そういうことで皆さん。お願いします」


 シャラーフも加わって説得するものの、ホリーの決意は変わらず、その勢いに押され、ファーブたち三人もホリーの言葉に大きく頷き、グワラニーの提案を蹴り飛ばすということでほぼ決定となったところでアリストが口を開く。


「ホリーの王女としての誇り。それから、意気込み。十分にわかりました」


「ですが、私の配慮が足りなかった。この件に関してはあの魔族の言葉は正しい」

「ですから、その場合はこの方々に……」


 言いかけたホリーの言葉を右手で制したアリストは


「ホリーは先に向こうに行って、この三人が到着するのを美味しいお茶でも飲みながら待っていてください」

「いやいや。到着するのは魔族軍の陣地だぞ。それでは護衛にならないではないか」

「では、今から出発して向こうで王女を待っていなさい」


 兄妹の会話に割り込んだのはファーブ。

 そして、そのファーブの言葉を瞬殺したのはフィーネだった。

 もちろんフィーネの言葉はそこで終わらない。


「いうまでもないことですが、もし、王女より遅れた時は……」


「厳しいお仕置きです」


 腑に落ちない点はある。

 だが、アリストの言葉はすべてが正しいと信じるホリーは魔族の提案を受けいれる。

 そうなればバルハルたちにはもう言葉を挟む余地はなく、ただ見送りをするしかない。

 一方、納得いかないのが三人の剣士である。


「泥沼を一アケト歩くのだぞ。どんなに頑張っても一セパはかかるだろう」

「それで転移魔法で移動する王女より先についていなかったらお仕置きというのはあまりにも理不尽だ」

「そのとおり」


 そこまで言ったところで名案を思いついたのは兄弟剣士の弟ブランだった。


「おい。魔族」


「せっかくだから俺たちも一緒に連れていけ」


 ブランの名案。

 それは自分たちも転移魔法で魔族陣地に連れていけばすべてが解決するというもの。

 

 だが……。


「お断りする」


 魔族の男はブランの要求をきっぱりと拒絶する。


「この女性は私にとって大事な人。あなたがたのような下賤な輩の手が彼女に触れることなど絶対に許さない」

「……グワラニー様」


 少女は顔を真っ赤にしながらも満面の笑みを浮かべる。


 ……なかなかいいものを見せてもらいました。

 ……あれが言えるか言えないか。それがあの男とアリストの違いなのでしょう。


 その様子に眺めていたフィーネは隣にいる男を眺め、それから彼の妹に目を移し、小さく首を振った。

 そして、あることないことを喚き散らして自分たちも連れていけと騒ぐ三剣士を眺める。

 汚らわしいものを見るかのような表情で。

 そして、口を開く。


「相手がダメだったと言っているのです。さっさと走りなさい」


「それともまずここでお仕置きされますか?皆の前で」


 そう言って指先に小さな火の玉をつくる。

 もちろんそうなれば過去何度もその火球のお世話になっている三人には選択権はない。

 勇者とその仲間とは思えぬ情けない声をあげながら物凄いスピードで走りだし、別の世界の十キロメートルと同じ一アケトの泥沼ロードレースをスタートさせていった。

 それを見送ったアリストは視線をホリーへと移す。


「では、よろしくお願いします」

「はい」


 ホリーは兄の言葉に短い言葉で応じるとふたりの魔族が待つ丘の下まで降りていく。


「もう少し気の利いた言葉はかけられないのですか?アリスト」

「あれで十分です。ホリーは私の意図を随分理解していますから」

「はあ……」


 なぜか妹の思いだけは通じない兄を冷たい視線を向けながらフィーネはこの日一番大きなため息をついた。


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