思わぬ来訪者との楽しきひととき
三隊に分かれた魔族軍第二陣の指揮はグワラニーの配下の将軍たちがおこなっていた。
むろん彼らは配属された将たちが転移前に抜け駆け行為をしないように見張ることが与えられた任務だった。
そうなれば追撃が始まってしまえばすることがないように思われるが、実はそうではなかった。
生き残った敵兵を捕らえ、尋問すること。
それが追撃開始後の彼らの仕事だった。
魔族軍左翼。
指揮官ペパスの直属部隊は嵐が過ぎ去った戦場を横広がりになってゆっくりと進んでいた。
転がっているブリターニャの将兵の生死を確認しながら。
むろんほぼすべてがすでに死亡している。
だが、幸か不幸かかろうじて息のある者もいた。
普段なら即座にとどめを刺すところなのだが、そのような者を見つけると同行する治癒魔法を会得した魔術師によって治療され、それから捕縛される。
さらに高級士官や貴族などそれらしい者は死亡していても回収するように命じられている。
こちらについては交渉の際の駒のひとつとして理由するものである。
「……まあ、下級兵士では手に入れられる情報は少ないだろうが、命令である以上仕方あるまい。兵士たちは身分階級を問わず生きていた者を発見したら一名あたり金貨一枚が支給されるのだからよい小遣い稼ぎになるだろうが……」
ぼやき気味の言葉を口にしながら死体を避けて前に進んでいたペパスのもとに兵士が飛んでくる。
「高級甲冑を身につけた者を見つけました」
「生きているのか?」
「はい。どうやら一撃を食らったところで気絶し、そのおかげで放置されたようです。比較的元気ですのですぐにでも尋問できそうですが……」
「わかった」
ようやく見つけた高級軍人。
最終的な尋問はグワラニーがおこなうのだが、名前や階級くらいは聞いておくべきであるし、なによりも元気であるのなら暇つぶしになる。
だが、その男が名乗った名を聞きペパスは驚愕する。
「アイゼイヤ・ブリターニャ?」
「ということは、おまえは王子のひとりなのか?」
王子のひとりを生きたまま捕らえた。
当然、その情報はお役御免とばかりに第三陣にまで下がって休憩していたグワラニーのもとに伝えられる。
「名乗ったのか?」
その情報を持参したペパスの配下のベテラン伝令兵カルモ・オルシミナはグワラニーの問いに大きく頷く。
「はい。アイゼイヤ・ブリターニャと」
「……五男か」
……できれば六男ジェレマイアがよかったのだが、こればかりは如何ともしがたい。
……というか、中央部隊の後ろ半分を吹き飛ばした時点で死んでいると考えるべきなのだ。さすがにそれを望むのは虫が良すぎるというものだ。
まさか、ジェレマイアが攻勢に参加しなかったなどとは考えていなかったグワラニーはまず少しだけ残念がり、続いて自身の欲深さ反省した。
もちろんそれは捕らえたのがアリストの実弟であるジェレマイアだったら、多少でも捕虜返還交渉が有利に運べると考えたからなのだが、たとえそうでなくても王族であれば十分有利な交渉材料になると思い直す。
「証拠は……」
「所持品のいくつかに王族を示すものがありました。ペパス様は間違いないと思うと申しておりました」
「わかった」
「では、会いに行こう」
丸一日寝ずに魔法を展開させていたデルフィンは現在就寝中。
彼女の祖父も孫娘の代わりに防御魔法の維持をおこなっているうえ、この後大仕事が残っている。
そういうことで、魔術的護衛を兼ねて同行するのは老魔術師の高弟のひとりアルシャンドル・ウマイタだった。
……これがブリターニャの王子?
アイゼイヤと対面したグワラニーは盛大に失望する。
もちろん同じブリターニャのすべての王子がアリストとは思わなかったものの、少なくてもクアムートで捕らえたノルディアの王族たちくらいには堂々としていてもらいたいという期待はあった。
だが、目の前にいる男はひたすら自分がブリターニャの王子であることを連呼し、命乞いをする情けなさだけしか持ち合わせがないようだった。
……こんな男が王になれば、ブリターニャはすぐに終わる。
だが、それと同時に使える人材であることを見抜く。
……命の保証をしてやれば、なんでも喋る。
……情報を引き出すのにはもってこいの男だ。
その感情を顔の裏側に押し込んだグワラニーは薄く笑い、口を開いた。
「私は軍の司令官アルディーシャ・グワラニーである」
「アイゼイヤ・ブリターニャと名乗ったそうだが、それは事実か」
必要以上におこなった高みからの言葉。
もちろんこれはグワラニーの交渉テクニックのひとつ。
この手の輩に効果的な。
司令官とは思えぬ少年のような若い男の高慢な言葉に驚き、少しだけ曇らせたアイゼイヤだったが、この時点では年長者が自身の利点だと思い込んでいた。
感情と表情を整えるとそれに答える。
「もちろんだ」
……無理な意地を張るのもそこまでだ。
グワラニーは薄く笑う。
「そうか。それは残念」
わざとらしさ満載の残念顔を披露したグワラニーはその続きの言葉を口にする。
「わかっているだろうが、我々とブリターニャは戦争状態である。そして、これもわかっていることだと思うのだが、お互いに捕えた者はその場で斬首ということになっている」
「まして、王族となればなおさらだ。味方から見える場所で公開処刑。その後首を晒す」
「最後に言いたいことがあれば聞いてやる」
むろんグワラニーはそのようなことをする気はないのだが、これまでブリターニャ軍が捕らえた魔族軍の兵士に対してどのようなことをおこなっていたかをアイゼイヤは知っている。
さらにここまでの短い時間で感じた目の前の男の傲慢さ。
アイゼイヤはグワラニーの言葉を完璧な形で信じた。
殺される。
死の恐怖に支配された表情のアイゼイヤの口から言葉が漏れ出す。
「……助けてくれ」
哀願。
グワラニーの想像通りだった。
……この場に及んでそれとは情けないかぎり。
その言葉を吐きだしたグワラニーだったが、むろんそれはすべて心の中で処理をし、実際に見える部分では困惑の表情を顔中に披露する。
「困ったな」
「こ、困ることはないだろう。金は言われた額を払う」
「まあ、払うのはあなたではないので、気前よく言えるだろうが、引き取り手が実際に払ってくれる保証がない。そのような状況であなたを助けるという約束はできない。そうだな……」
「では、こうしよう」
「あなたが我々にとって有益だと認めたら、捕虜返還をおこなうようブリターニャに持ち掛けてもよい。その時にはいくらでも支払うというあなたの言葉を使わせてもらう。つまり、あなたはまず我々の役に立つことを証明してもらう。これでどうかな」
「お願いする。それで、私は何をすればいいのだ?」
「我々の問いに正直に答える。ただし、偽りがあった場合は即斬首」
「それでよろしいか?」
「よろしくお願いする」
……たわいもない。
グワラニーはそう呟いた。
……これがアリスト王子ならここまで来るのにあと数日くらいは必要だろう。
……もっとも……。
……あの男が囚われるなどということはないだろうが。
……だが、これが演技という可能性もある。まずこの情けない姿が本物かどうか。そこから進めていこうか。
「では、始めようか。アイゼイヤ王子」
自身の言葉にアイゼイヤが頷くのを確認したグワラニーが最初に問うたこと。
それは……。
「今回の軍の規模と編成。それから司令官の名を言ってもらおうか」
もちろんこれはすでにワイバーン経由で手に入れている情報である。
それを敢えて問うたのはもちろんアイゼイヤの言葉の正しさを確認するため。
そして……。
……こちらの情報と一致している。
アイゼイヤはあっさりと重要情報を漏らしたことはグワラニーにとっては吉報であるのだが、それとは相反する微妙な感情が芽生える。
せめて偽情報を掴ませるぐらいの男気を見せてもらいたいという。
だが、それはそれ、これはこれと自らに言い聞かせ、次に進む。
「三隊に分かれた部隊の司令官は三人の王子とのことだが、何人の王子が今回の戦いに参加しているのかな」
これについてもワイバーンから情報を手に入れているのだが、ある人物について確認する必要がある。
さらに本国に帰ったこの男が質問内容を口にすることは想定せねばならない。
だが、このような問いにしておけば、こちらの意図は悟られることはない。
「長男のアリスト以外の全王子だ」
「というと?」
「司令官の三人以外は三男アール、私、七男のレオナルドだ」
「アリスト王子はなぜこの戦いに参加しないのかな?」
「今回は王位継承権争いの候補者を絞るという意味があると聞いている。もう少しいえば、アリストの対抗者となる者を決めるということだ」
……これも情報にあったな。
グワラニーは頷くと、そこから少しだけ踏み込んだ問いをする。
「アリスト王子は長子。それなのになぜ王太子に叙せられないのか?」
「それは……」
「それは?」
一瞬だけ躊躇ったアイゼイヤだったが、沈黙は死に直結する。
黙秘する余裕など当然ない。
「アリストが魔術師だからだ」
……やはり。
グワラニーは心の中で雄叫びを上げる。
だが、ここで問いをやめては不自然さんが残る。
それを払拭するためにはすべてを吐かせる必要がある。
「魔術師だと王太子になれないと聞こえたが、それはどういう意味か」
「我が国では魔法を扱える王の治世に国が荒れたのだ。それ以降魔術師は王になれないという王族内の決まりがある」
「ほう」
「そのすばらしき王の名は?」
「アルフレッド・ブリターニャだ」
「よく覚えておこう。それで……」
「そのアルフレッド・ブリターニャの再来を恐れて魔術師は王になれないという決まりをつくったのなら、魔術師の素養があるとわかった時点でアリスト王子には王位継承権はなくなるような気がするのだが、なぜいまだに王位継承権を持ち、その有力候補になっているのか?」
「他の王子が……。いや、アリストの才が圧倒的だからだろう。それに先ほどの話は王族のなかでのもの。アリストが魔術師でないといえば簡単にケリはつく」
その後いくつかたわいのない質問をしたところで、グワラニーは少しずつ重要部分についての質問を加えていく。
「王子はこうして囚われの身となっているわけだが、他の王子はどうなったかご存じか?」
これはすでに回収していた王子らしき三人の遺体の情報を取るためである。
むろんそのような様子をグワラニーは欠片も見せない。
そのグワラニーを一瞬だけ眺めたアイゼイヤはため息をつく。
「私の近くにそれらしい死体はあったか?」
「あったようだ」
「それは弟レオナルドだ。私と同じ場所で空中からの攻撃を受けて悲鳴を上げていたから。それ以外はわからない」
そこまで言ったところで、アイゼイヤは自嘲の見本のような笑みを浮かべる。
「このままでいけば、何事もなく王都に戻るのはジェレマイアだけになりそうだな」
アイゼイヤが口にした呟きのような言葉にグワラニーが表情を変える。
「それはどういうことかな?」
「奴は急病で寝ている。つまり、ここまでやってきていない」
「ジェレマイアは臆病風に吹かれた仮病を使った腰抜けだとファーガスはこき下ろしていたが、本当に仮病であったのなら奴の判断は正解だったということになる」
中央部隊にジェレマイアはいない。
これは重要情報である。
少しだけ熱を帯びたグワラニーの言葉は続く。
「では、ジェレマイア王子の部隊は誰が指揮を執っていたかな?」
「奴の婚約者の父親かその子だろう」
「ちなみにジェレマイア王子はどこで静養されていたのか?」
「本陣だろう。仕事もしない魔術師どもと楽しくやっていたに違いない」
……ということは最初の戦死者はジェレマイア王子か。
あの状況で巻き添えになっていないと考えにくい。
ジェレマイア生け捕りを改めて諦めたグワラニーが次に問うたのは再びアリストについてだった。
「ところで、王太子の有力候補アリスト王子は結婚されているのか?」
これはグワラニーにとって重要な質問であった。
だが、さり気なく、そして先ほどと同じようにたわいもない話として多くの質問に紛れ込ませて問うたものだったため、アイゼイヤもそれほど警戒心を抱くことなくこう答えた。
「アリストはもうすぐ三十歳になるのだが、特定の女を囲っている様子はないし、もちろん結婚もしていない」
「まあ、最近は護衛の銀髪女と妹のホリーがお気に入りのようだが」
護衛の女とはフィーネ嬢で間違いない。
問題はもうひとりの方だ。
表情を厳しくしたグワラニーは口を開く。
「私にはアリスト王子は妹を愛人にしていると聞こえたが、そういう意味か?」
「そうだ。ホリー・ブリターニャ。母親も同じだ。つまり、ホリーは実の妹。その妹を愛人にするとはアリストは妹を妾にしたアルフレッド・ブリターニャの後継者にふさわしいといえる」
「なるほど。ちなみにそのホリー・ブリターニャはどのような女性なのかな」
「一言で言えば小賢しい。そして、口がよく動く。だが、護衛の女と違い見栄えもよくない。あんな女のどこがいいのかさっぱりわからないな」
「外見については人それぞれ好みがある。だが、小賢しい女が嫌いというところに関しては同感といっておこうか」
そう言ってグワラニーは笑った。
実はグワラニーがホリーを知ったのはこの時だった。
ただし……。
……ホリー・ブリターニャ。興味深いな。
……だが、今はここまでだ。
下世話な話になりかねないため、自身を諫めるようにしてそう言ってグワラニーはその話を切り上げた。
もちろん人名録にはホリー・ブリターニャという名は書き加えることは忘れなかったのだが。
さらにいくつかの尋問を終わらせたグワラニーは一度ここにやってきたときよりかなり遠くになった戦場の方に目をやり、次の問いへと移る。
「これまでの話を聞くかぎり、あなたには軍を動かす決定権どころか意見を述べる権利も与えられていなかったようだが、それを踏まえて聞く」
「ブリターニャ軍の中でこのような事態になることを予測した者はいなかったのか?」
これは軍事的には重要なことである。
そして、グワラニーにとっては個人的にも興味を引く対象でもある。
今回の策。
細かなテクニックは光るものはあったが、グワラニーにとってはいつものと変わるものではない。
相手の情報を手に入れる。
それに絶対に勝てるだけの戦力を揃え、自身に最も有利な場所に布陣する。
敵が恐れをなして逃げぬよう、食いつきそうな餌を撒き誘引する。
逃げられぬ場所まで引きずり込んで叩く。
その際にまず相手の魔術師を殲滅し、ついでこちらの魔術師団の力を最大限に利用した戦い方をおこなう。
もちろんブリターニャ軍を相手にしたのは初めてではあるが、ノルディアやフランベーニュを相手に大規模な戦いをおこなっているのだから、それなりの情報は入っているだろう。
それにもかかわらずほぼ同じような策に引っ掛かるというのはいったいどういうことなのか。
それをおこなった張本人であるグワラニーがそれを口にするのは奇妙なところではあるのだが、それとともに疑問に思うのは当然ともいえる。
アイゼイヤが口を開く。
「ファーガスもある程度進んだ段階では罠の可能性はあると思っていたようだ」
「だが、目の前に大きな獲物を見せられて引けなかったというのが本当のところだろう」
「それにこちらが引いたときには反転攻勢は避けられない。それを恐れていたようだ」
「逆に反転攻勢を誘引してやってきた魔族を叩くとは考えなかったのか」
「……それはなかったようだが……悪くない策だな。それは」
そう言ったところでアイゼイヤは自嘲気味に笑う。
……こちらの問いとはややずれているが、つまり誰も警戒もしていなかったということか。
心の中でそう呟き同じようにグワラニーが笑ったところで、護衛隊長コリチーバが入ってくる。
「予定地点に到達したという狼煙が三隊から上がっています」
「わかった」
グワラニーは小さく頷くと、アイゼイヤに視線を向ける。
「おもしろい話を聞かせてもらったが、そろそろ戦いに幕引きをおこなう時間なので前線にいく」
「心配だろうから一応伝えておく。もう一度話を聞くことになるだろうがとりあえず合格。王子の無事は保証しよう」
「ただし、殿下が王都に戻れるかは父上がこちらの要求した額をブリターニャ王が支払ってくれるか次第だが」